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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「ふんふふーん♪」

1匹のポカブが少し音程のずれた鼻歌を歌いながら森を歩いている。四足歩行ポケモン用の引きずり仕様のバッグはパンパンに膨れている。

(今日は記念すべき、夢への第一歩の日!)

ポカブは満面の笑みで天を仰ぎ、大きな鼻で大気を吸い込んだ。雨の匂いも敵らしき存在の匂いも無い。嗅覚が鋭いポケモンと言うとガーディなどを思い浮かべがちだが、実はポカブも同じくらい嗅覚に優れている。おかげで天気予報は一度も外したことがなかったし、長いダンジョン暮らしも自慢の嗅覚のおかげで何度もピンチを切り抜けた。今、ポカブ自身がここにいるのは、この鼻のおかげと言っても過言ではない。

(天気もいいし、きっと今日は素敵なことが……)

ガサッ

(……ん?)

ポカブの耳がピンと立つ。野生の勘が、警戒しろと告げていた。

ガサガサッ

(もしかして……強盗!?)

ポカブは急いでカバンを抱え、険しい顔で周囲を見渡した。これは夢を叶えるために必死に稼いだお金。苦労して稼いだ大金を盗まれてはたまらない。視覚と聴覚で、敵の位置を探る。

(……音の、出どころは……)

ガサササササササササササササササッ

(上!)

ポカブが見上げると同時に、こずえを突き抜けて大量の木の葉と共に何かが降ってきた。それは、一匹のポケモン――ツタージャだった。この辺では見ないポケモンだが、樹上と地上を行き来して生活するポケモンなので樹上にいてもおかしくはない。しかし、仮に木の上に潜んでいたのだとしたら、ポカブの鼻が嗅ぎつけているはずだ。それに加えて、ツタージャと一緒に降ってきた大量の木の葉。樹上で生活するポケモンとはいえ、ツタージャはそれなりに重い。身を潜めるにしても枝先ではなく、幹に近い太い枝のはずだ。木のてっぺんからでも落ちてこない限り、こんな量の木の葉はありえない。

「キ、キミ……大丈夫?」

バッグをしっかりと抱えながら、おずおずと話しかける。もしかしたら、気を失ったフリをしているだけで、近づいてきたところを襲ってくるつもりかもしれない。本当は不意打ちなど疑いたくないが、大金を持っている以上、慎重に動かざるを得ない。
じりじりと近づいて、目の前に来てもツタージャは目を閉じたままだった。本当に気を失っているらしい。

「しっかりしてよ! ねえ!」

右の蹄でツタージャの肩を強めに叩く。もし、頭を打っていた場合、揺さぶってしまうと悪化する可能性があるからだ。念のため左半身でバッグをガードしたまま、上手いこと声をかけていると、ツタージャがパチリと目を開いて起き上がった。

「あ、起きた! キミ! 大じょ……」

向けられたその目を見て、安堵の前にたじろいだ。
一切の光が、無い。
広がるのは完全なる闇。
そこには他人、否、生物は誰も生きることが出来ない──闇を宿す自身ですらも。

「……」

ポカブが黙りこくっていると、ツタージャが口を開いた。オスともメスともつかない、やわらかな中性的な声だった。

「……キミは……ポケモン?」
「え? ああ、うん……。えっと、大丈夫? ケガとか……。どこも痛くない?」
「……大丈夫」

自分の身体を軽く見渡してツタージャは言った。その目に、一瞬おぞましいほどの憎悪の感情が灯ったのを、ポカブは見逃さなかった。

(どういうこと?)

ざわざわした、黒い予感がポカブの背筋を撫でる。それでも、努めて明るく振舞った。

「よ……よかったよ。キミ、急に木の上から降ってきてさ。ホントびっくり! ケガ一つ無いなんて本当にラッキーだね!」
「……」
「ホントびっくり! でも、よかったね!」
「……」
「ボクはポカブ! キミの名前は、なんていうの?」
「……きのえ」
「き……きのえって言うんだ! よろしくね!」

恐怖を紛らわせるように立て板に水のごとく喋った。

「キミは……どこから来たの? この辺じゃ見かけないけど……。まさか、雲の上とか来た!……なんて、そんなこと無いよね~」

冗談を交えながら、さりげなく情報収集。敵ではないと思うが、この辺ではまず見ないポケモン。それに、自分の鼻が見つけられなかった理由も探りたかった。
きのえはしばらく考えた後、ぼそりと言った。

「……声」

きのえの話をまとめるとこうだ。
自分は元々はニンゲンで、死んだはずだった。助けを求める声を聞いたら、いつの間にか今の姿になって天国から落ちてきた。

「……」

今まで何とか反応を返していたポカブでも、こればかりは反応に困ってしまった。

(ニンゲンが……死んで……ポケモンになって……天国から落ちてくる……?)

まだ『雲の上から来た』と言われた方が現実味のある話だったが、少なくとも嘘はついていないだろうことは確信していた。嘘ならばもっと信じてもらいやすいことを言うだろうし、きのえに嘘をついているような素振りは無かった。落ちた衝撃で記憶が混同してしまっている可能性もあるのだろうが、何となく、このツタージャは本当のことを言っているとポカブは思った。
世界は広い。どんな不思議な事も実は自分が知らないだけで、当たり前にあることかもしれない。「自分だってそうじゃないか」とポカブは自分に言い聞かせた。昔は今日の食い扶持を確保するのがやっとの生活を送っていたのに、今はこうして大金を手に入れて社会を良くするために動こうとしている。

「わかった。そうなんだね。ボクは信じるよ」
「……信じるんだ」

きのえにとっても意外なことだったらしい。ほんのわずかだが、驚いたような、呆れたような、安心したような声色が混じっている。無感情に思えたきのえに少しだけ感情が見えて、ポカブはホッとした。

「そりゃ、人間なんておとぎ話の中にしか出てこないと思ってたし……その人間がツタージャになって天国から落ちてくるってのもあり得ないって思うけど……」
「つた……何だって……?」
「うん。ツタージャ。今のキミはそういうポケモンだよ」
「ふうん……。いいや、蛇で」

きのえのマイペースな物言いにポカブはずっこけた。

(確かにツタージャは『くさへび』ポケモンだけど……)

きのえの予想外の発言で、言いかけていたカッコいい感じのセリフをすっかり忘れてしまった。実はさっきの嫌な予感は勘違いで、本当は大丈夫なんじゃないかと思った矢先だった。何も言えなくなっているポカブを見て、話が終わったと判断したのだろう。きのえが口を動かした。

「……ねえ。訊きたいんだけど」
「うん?」
「ここって地獄?」
「……は?」

背筋が凍った。
きのえはさらに話を続ける。

「自分は死んだ。でも天国に行く資格がないから地獄に堕ちてきたと思った」
「……ポケモンは、生きてるよ。ボクも、キミも」

感情なく淡々と発せられる言葉に、ポカブはそれだけ言うのが精いっぱいだった。

「そっ、か……。ありがとう」

それだけ言うと、ツタージャはポカブの脇を通り過ぎ、立ち去ろうとした。ポカブに止める理由はない。ただでさえ遅れ気味の旅程だったし、そのまま行き違うつもりだった。
それなのに。
すれ違った時、正面からではよく見えなかった瞳がハッキリ見えた。世のすべてを『諦め』の一言で括ってしまった澄み切った色。その色の奥に色々な感情があるだろうにそれらを表すことはない。表す必要がないのだ。
何もかも見つめているようで、目の前の物事は何も見ていない瞳。

その眼は、命の果て――死を見つめるだけのものだから。

本来は忌むべき恐ろしいものなのに、強い酒に酔ってしまったように魅了されてやまない。惹きつけられてしまうのは、恐怖の裏返しである羨望ゆえか。それとも、太古の昔から連綿と受け継がれる生と死の連鎖への畏怖ゆえか。

(いや、違う)

粗目の紙に垂らしたインクのように、薄ぼんやりとした最初の記憶が浮き上がってくる。

自分を見つめてくる、両親の瞳。
目の前の瞳と同じ色をしている。
その両親は、物心つく前にこの世を去った。

自分のそれは、死者に対する哀悼だった。しかし、このまますれ違えば、名前と出自を知っただけの他人になる。双方生きていたとしても二度と会うことはないだろう。残酷だが、知り合いでも何でもない通りすがりの生死など気にしている暇はない。それに、かつては見ず知らずの相手が死ぬところなんて茶飯事だった。それなのに。

(どうして僕は、君に生きてほしいって思うんだろう)

考えるより先に口が動いていた。

「ねえ! きのえ!」

名前を呼ばれたツタージャが振り向く。まずい。何を言うか、どうやって連れていくか全く考えていなかった。ポカブはしどろもどろになって言葉を絞り出した。

「ぼく、この先を急ぎたいんだけど、この先は難しくて苦戦しそうな気もして、目的の場所までもうすぐなんだけど、でも急がないと間に合わないかもしれなくて……」

苦戦しそうなんて大嘘だ。長い野生生活に比べれば、大抵のダンジョンはカイスのみより甘い。こうしてダラダラ引き留めている間にも、時間は刻一刻と過ぎていく。ただでさえ遅刻しているのに、すれ違いにちょっかいをかけたせいで大遅刻になっていた。

「ああもう! 時間がない! 付き合って!」

無理やり押し流す感じになってしまった。ポカブはきのえの背後に回り込み、グイグイと背を押して道のりを進んで行った。



ー-でこぼこ山 西の口ー-

でこぼこ山は標高の低い穏やかな山だった。雪が積もることもなければ風が吹きすさぶことも、天候が急変することもない。あるとすれば特徴的な凸形をした山の稜線に由来する断崖絶壁だが、ご丁寧に登山道まで整備されているので余程のひねくれ者でもない限り、まず遭難しない。それにも関わらず、訪れる冒険家や観光客は後を絶たなかった。その目玉は流れ落ちる二段の瀑布。上下から聞こえる滝の轟轟とした迫力は圧巻の一言。しかも、それが東西で二本。東西にまたがる石造りの橋の上は絶景として名高い。でこぼこ山の特徴的な凸の形をした山の稜線が、そのような摩訶不思議な地形を生み出しているのだ。その滝つぼから始まる川の流れは透明度が高く、川底の砂の一粒まで透けて見える程。暖かな陽光を反射して水しぶきの一粒までダイヤモンドのように煌めいている。水に触れれば、氷水のようなキン、とした冷たさが手に嚙みついてくる。飲み水にしたって申し分ないそれは山のふもとまで流れ、冒険家の憩いの場である宿場町に恵みをもたらしていた。

〈霧の大陸〉は寒さが厳しい反面、空気も澄んでいて自然が豊かな土地が多い。通常の元人間であれば、その美しさに息を呑んで、その雄大な風景に足を止めてまで見とれただろう。

しかし、きのえにはその風景――以前に自分をここまで連れてきたポケモンの話ですら届いていなかった。会話の声はキンキンと頭に響いて耳障りだったし、とにかく疲れてしまって思考すら億劫だった。目の前の存在は自分の母国語を話しているのに、なぜか聞き取れず、聞き取れたとしても理解が追い付かなかった。質問には辛うじて答えていたが、正直、正しい返答が出来ていたのか自分で分からない。自分の話し声ですら現実感が無く、自分の魂が抜けだして、声を出す自分を傍から見ているような心地だった。これ以上は限界だと悟って会話を切り上げようとしたのに、なぜだかここまで連れてこられてしまった。
そんな状態だったから、周りの景色なんて見ている余裕はない。

「あ! 橋が……。これじゃ先に行けないよ……」

だから、ポケモンが立ち止まったことも、目の前の石橋が落石で崩壊していることも見えていなかった。ひびが入っていた足元の石が欠けて、橋を押し流した岩の上で跳ねる。その音に気づいたポケモンが間一髪、きのえの尻尾を強い力で引き止めた。つんのめって盛大に転ぶきのえ。首から上が橋からはみ出る形になって、初めてその高さにゾッとした。土砂で覆われてなお、谷底の深さに眩暈がする。ひょうっ、と風が吹いて、乾いた砂の空気が鼻先をかすめる。心臓が口から零れ落ちる心地だった。

(……)

転んだまま腰が抜けてしまったきのえを、ポケモンは尻尾を掴んだまま引きずっていった。ずるずると引きずられていくと、どっしりと安定した大地が身体全体を支えてくれた。安心して体重を預けると、しっとりとした土の感触。いつの間にか眩暈も収まって、力も入るようになってきた。
安全な陸地部分まで来ると、ポケモンはきのえの尻尾を離して叫んだ。

「危ないじゃないか! 死ぬつもり!?」
「……」

その声色には心配や安堵が滲んでいた。普通であれば「ごめん」や「ありがとう」といった言葉が出てくるだろうが、きのえはきょとんとした顔で目の前のポケモンを見つめた。『死ぬ』という具体的な危機ですら現実感がない。見えない透明な箱が自分の周りにあって、その壁越しに全ての物事が起きている気がしていた。
それでありながら、とんでもない迷惑をかけてしまった事は分かっていた。怒られるだろうか。失望するだろうか。少なくとも愛想は尽かされただろう。きのえは砂を払いながら次の言葉を待った。

「ま、無事でよかったよ。それにしても、どうしよう……。これじゃ先に行けないよ……」

ポケモンはあっさりと流すと、切り替えてきょろきょろを辺りを見回した。予想外の反応に虚を突かれたが、怒るまでもないほど呆れられたのだと判断した。少なくとも、このポケモンとはここでお別れだろう。嵐のようにポケモンは後方の奥まった所にある横穴を見つけて、きのえを振り返って言った。

「あっちから行けそうだよ。早く行こう!」

ポケモンは変わらず、きのえの背を押していった。



ー-でこぼこ山 西の穴ー-

そこは不思議な場所だった。入口から洞窟に入ると数歩で辺りの風景がぐにゃりと歪んだ。岩の壁は渦を巻いて斑模様になり、足元は湿った土の感触がなくなり、空気が足の裏を通り抜けていった。異様な感覚にきのえは戸惑って思わず立ち止まったが、後ろのポケモンは慌てた様子もなく「早く進んで」と急かしてきた。郷に入っては郷に従え。このポケモンはきのえより先にこの世界に居たようだし、そのポケモンが言うのだから、この世界では当たり前の事象なのかもしれない。きのえは大人しく従うことにした。

そのまま足を進めると、岩の壁に囲まれた小部屋に出た。足元も湿った土の感触になり、至って普通の洞窟の中に見える。しかし、天井は果てしなく、光源もないのに視界は明瞭、そして後ろを振り返ってもそこは壁。入ってきた入口や通路は跡形も無い。きのえは震えた声でつぶやいた。

「どう……なってるの……?」
「詳しい説明は後。ここから出るには先に進むしか無いんだ。とりあえず進もう」

ポケモンは小部屋から出る唯一の通路を指し示して言った。引き返す道が無い以上、先に進むしか無さそうだ。本来、隊列を組む際は二人の経験者がそれぞれ先頭と最後尾を務め、二人の間に初心者を挟むのが定石。しかし、今はきのえとポケモン一匹のみ。であれば後方をポケモンに任せるのがよさそうだ。きのえがトラブルに巻き込まれても、ポケモンが無事ならどうにかしてくれそうだ。それに……

(自分は最悪、死んでも未練は無いし……)

ポケモン一匹通るのがやっとの通路を、きのえを先頭にゆっくり進む。すると、別の小部屋に着いた。最初の小部屋と同じような構造だが、今回は来た道もあれば、まだ行っていない別の通路もある。全ての道が引き返せない訳ではなさそうだ。早速、先に進もうとした時、ポケモンが叫んだ。

「きのえ! 後ろ!!」

振り返ると同時に頬にビンタ。意外と痛い一撃に、きのえは頬を押さえてうずくまるが、鋭い目できちんと状況を捉えていた。後方を任せている彼とは別のポケモンが攻撃してきたのだ。そのポケモンは全身にリボンがついていて、ゴスロリのような恰好をしていた。可愛らしい見た目とは裏腹に、鼻息荒く、こちらに敵意を向けていた。

「反撃しないと倒されるよ!」

ポケモンも駆け寄ってきているが、反撃の体制をとるには少し時間がかかりそうだ。
生前だって戦いの連続だった。銃も刃物も無いが、ポケモンは「技」が使えると聞く。きのえ自身もポケモンだと、後ろのポケモンが言っていた。自身が何の技を使えるか分からなかったが、少なくともポケモンが来るまでの時間稼ぎにはなるだろう。きのえは、うずくまった姿勢のまま、足にグッと力を籠めて攻撃対象を見据えた。そのまま地を蹴ると、自分でも驚くほどの速さで飛び出していた。どうやら、この身体は全身がバネのようにしなやかで瞬発力に優れるようだ。勢いのまま敵に突っ込むと、かなり良い手ごたえ。敵にぶつかった衝撃も柔軟な身体が吸収して、着地も綺麗に決まった。

「ナイス! それじゃ、ボクも追撃の“たいあたり”!」

きのえの隣に並んだポケモンが腰を落として構えると、そのまま突進していった。敵は攻撃をかわそうと身を翻したが、ポケモンはすぐに踵を返して敵の動きに対応した。子豚のようなずんぐりとした体にも関わらず、意外にも素早い身のこなしだった。
二発を食らった敵のポケモンはひとたまりもない。先ほどとは打って変わって、怯えた目をしてスタコラサッサと逃げていった。それを見て、ポケモンが誇らしげに鼻を鳴らした。鼻の穴からパッパッと火の粉が噴き出る。

「きのえ、センスいいね! 頼もしいよ。さあ、どんどん進もう!」

その後も何体か敵が現れたが、きのえたちは着実に勝利を重ねていった。道は一本道だったので、迷うこともなく行き止まりの小部屋までたどり着いた。不自然なコンクリート製の階段が部屋の真ん中に鎮座している。ポケモンは訝しむ様子もなく、当然のように言った。

「うん。その階段を登ろう。山の中腹に出られるはずだよ」

この世界では考えるだけ無駄なことも多いようだ。きのえは考えるのをやめて、促されるまま階段を上って行った。


ーーでこぼこ山 まんなかの丘ーー

果てしなく続いているように見えた階段は、数段上ると景色が歪み、きのえたちは横穴から外に出ていた。しかし、先ほどより見晴らしがよく、横穴のすぐ真横を透き通った水が流れ落ちている。無事に山の中腹に出られたようだ。しかし、事態は良いとは言えなかった。

「ええっ!? こんなのどうしたら……」

ポケモンが弱気な声をあげて崖っぷちに駆け寄った。山の中腹まで行けば落石の被害はなく東西が繋がっているとの目論見だったのだろう。しかし、落石は想定より酷く、山の中腹をも分断していた。引き返そうにも、横穴は入って数歩のところで行き止まりになっている。
ふと、きのえは崖っぷちに生えている一本の木に気が付いた。手の甲で軽く叩いてみると、虚ろな音が響く。見上げてみても枝葉はない。どうやら立ち枯れしているようだ。しかし、カラカラに乾いた木の表面はまるで鰹節。ちょっとやそっとでは崩れなさそうだ。

(……! そうだ!)

上手くいくかは分からないが、後戻りできない以上、やってみるしかない。試しに全体重をかけてグイグイと押してみるが、びくともしない。上等だ。きのえはパンパンと手を払いながら木に狙いを定めた。数回の戦いのうちに、この身体の使い方もだいぶ分かってきた。重心を低くして、一点に気を集中させる。根元の少し上が脆くなっている。地を這う蛇であれば、あの高さはお手の物だろう。限界まで引き延ばされたゴムがはち切れるように、飛び出して、体当たり。
バキッ!と乾いた音の後、ミシミシと木が倒れていく。倒れた木は落石で凹んだ谷を跨いで、こちらと向こう岸をつなぐ一本橋になった。

「す……すごい! すごいよ、きのえ!」

一部始終を見ていたポケモンが飛びついてきて喜んだ。その温もりと賞賛の言葉が、きのえの記憶を揺さぶる。

『すごいね! きのえ!』

弾けるような少女の声が耳に残ったまま、きのえは先立って一本橋を渡った。眼下をちらりと見る。落石の尖った切っ先が「お前もこっちに来い」と手招きしているようだった。
このまま。このまま足を滑らせてしまえたら、どんなに良いことだろう。しかし、足がすくんで決心がつかない。躊躇っていれば、ポケモンに怪しまれてしまう。

(……今じゃなくてもいい。遅かれ早かれ、このポケモンとは別れるだろう……)


ーーでこぼこ山 東の口ーー

「やった! 向こう側に行けた!」

東の穴を通り抜けて、対岸に渡ってくることができた。西の穴と大して構造は変わらず、ほとんど一本道だった。変わったことと言えば、きのえが調子を落としたことだが、敵も弱かったので大したピンチを迎えることもなく、無事に階段まで着いたのだ。きのえは出てきたばかりの洞窟の出口の中を見た。入れはするものの、やはり入って数歩のところで壁が塞がっていて引き返せない。山の中腹と同じだ。

(もう……戻れない……)

きのえは壁を見つめると左手をつき、ギュッと爪を立てた。土の壁が、指の形に抉り取られる。予想外の脆さに驚いて、土壁を均して爪痕を消そうとしたが、手が汚れただけだった。自分のしでかした手形が、証拠としてくっきりと壁に残っている。

「きのえー? 何してるのー?」

ポケモンが洞窟の外からぴょこりと顔を覗かせた。外の明るさに目が眩んで、ポケモンの姿形しか見えない。

「疲れちゃった? もう少しで抜けられるから頑張って。こっちだよ!」

ポケモンはいとも簡単に洞窟の中に入ると、暗がりの中からきのえを押し出して行った。きのえが付けた傷跡には気づかずに。


>bump
 [名]打撃、衝撃
 [他動]〜にぶつかる、衝突する
    (+ into)〜に(偶然)出会う

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