終節 レフト・リビングデイ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ピコン、ピコンと耳障りな機械音が、白んだ意識に波紋を落とすように、鬱陶しく何度も何度も脳へ響く。
「ぅ、あ……?」
だがそれが皮肉にも蜘蛛の糸で、いやに高い音を頼りに意識を思考の水面から手繰り寄せる。
そして、目覚めたのは一瞬だった。
「待てゴラテメェ逃さねえぞぶっ刺してやるっ!」
「せっ、先生! 患者さんが物騒なことを喋りながら回復しました!」
人間のこもった匂いとエタノールの匂いが入り混じる入院病棟、その二人部屋。
見舞いの花も飾る間もなかったそこで、アタシは意識を取り戻した。
◆◇◆◇◆◇◆
ウラウラ島にある病院の、清潔なベットに腰掛けたアタシ。対面には目の下にクマを刻んだエーデルワイスが座っており、一通りの診察を受けていた。
「……ふむ、意識レベルも十分。ひとまず脳に問題はないようだな」
「いつまでこんなクソ眩しい光見せられなきゃなんねえんだ。アタシは至って健康だっての」
正しく白衣を目的のために着込んだエーデルワイスは、頬にガーゼを当てながらもこっちの体を確認していた。
光を当てたり、腹部を触ったり、聴診器を当てたり。一通り儀式めいたことを終えると、エーデルワイスはパイプ椅子に腰を落ち着ける。
「健康なものか愚か者。意識を失った貴様を運び込んだときの病状を知らぬのか。右脇の肋骨3本に顔面頬骨の骨折、左腕橈骨のひびや全身の切り傷擦り傷に加え、極めつけはそれだ」
奴がペンをビシッと向けて指し示したのは、アタシの足に仰々しく巻かれた包帯。
確かに後先考えていなかったが、ここまで派手に巻く必要もあるのだろうか。
「粉砕骨折一歩手前だったのだ、仰々しいはずがあるか表情に出ているぞ貴様。手術を担当した私の言うことは聞いてもらうからな」
「へーへー、ギプスなんてクソ暑いだけじゃねえか。ウユリ姉さんみたいにコルセットでもつけてろってか?」
「所望とあらば連絡を入れるぞ」
「悪かった悪かったって。言うこと聞きゃあ良いんだろ?」
この男は残念ながら冗談は言わない人間だ。おもむろに懐から取り出した携帯電話は、ほんの少しの操作でアタシを地獄に突き落とす。
「分かればいい。あと貴様のポケモンだが、こっちの方は軽症だったから返そう」
奥から病室に入ってきた看護師は、木のバスケットに入れられたユキハミを運んでくると、アタシのベットサイドに置く。
スピスピと気持ちよさそうに眠っている子ハミの、もっちり自堕落ボディには包帯が巻かれていた。
「ヒヒダルマとクレベースは専門のものに見せているが、貴様と同じで四日間目覚めていない。しばらくは入院だ」
「四日!? 通りで体が少しだりぃ訳だ」
「私もまだまだ小言は言い足りないが……まずは隣の患者から懇々と説教されるといい。あの騒ぎで私も臨時で働いているのでな」
ツカツカと歩いていったエデ公がカーテンをシャッと開けると、その隣にはニコニコと笑顔を浮かべている薄弱の美少……子供。金髪が窓辺から差す日差しにキラキラと反射させ、それはそれは女神のように柔らかな笑みを浮かべていた。
「あー、リリーさん? それじゃあアタシはまだ体もだるいんでもう一眠り」
「フキちゃん?」
背を向け布団を被ろうとしたが、いつもと比べて上機嫌そうな声がアタシを呼び止める。ビシバシと針の筵のような視線が突き刺さり、観念してゆっくりと顔を向けた。
「あー、そのな、この怪我は必要経費というか、街を守るためにしょうがなくというか……」
「いいよ、元はと言えば私が街をお願いって、私が無理言ったせいでの怪我だもん」
「あんだ、明日槍でも降んのか?」
「昔みたいに喧嘩でボロボロになってきた子にはもちろん怒るけどね! ってそうじゃなくて。とにかく何があったのか私は知らないけど、自分の体は大事にして欲しいな」
「あぁ……悪ぃ」
いつもみたいにチョロネコの生意気な声でキャイキャイ言われるかと思っていたら、予想外にしっとりとした声音で心配された。
それが普段通りでなかったからか、二人ともそこで黙りこくる。はみはみと寝言を立てながら涎を垂らすユキハミの声だけが、病室に木霊した。
「それよりお前はなんで病院の中に居るんだよ。もしかしてアイツらのせいで怪我とかしてんじゃねえだろうな」
「ううん、元から炎天下でスピーチの上、オレアくんと一緒に刀を探し回ってフキちゃんに先に届けるよう頼んだのはいいものの、ミミちゃん抜きで歩いたら疲れちゃってね。とどめにフキちゃんが血まみれで足が変な方に曲がってたんだから、そこで私もフラーっと貧血一発」
「そんな虚弱自慢があってたまるかってんだよ」
やれやれと呆れながらベッドに身体を預けると、あまり動かせない身体を最大限にグイと伸ばした。途端に脇腹あたりにビキリと嫌な痛みが走り、ゆっくりと姿勢をもとに戻す。
そのまま冷房の効いた病室で暇潰しにテレビを点ければ、昼間のワイドショーはどこもこの前の事件で持ち切りだった。
それも確かにアタシは長らく寝込んでいたようで、日付けは確かに四日分進んでいる。カメラを担いだゴーリキーたちが現場を捉えた映像が、延々何度も繰り返されていた。
「にしてもアタシがこれから事情聴取を受ける事になるのかめんどくせぇ。聞きゃあウラウラ島の島キングってやつもポリ公って話じゃねえか」
「ポリ公じゃなくて警察官でしょもう。その人なら私とオレアくん、それにエーデルワイス先生で対応しといたよ。あの赤い目のおじさん、適当そうに見えて飛んだ食わせ物だったよ。フキちゃんに合わせなくて良かったよ本当」
「アタシも会わなくて良かったな。どうにも食い合わせが悪そうだ」
「そう? 私は案外仲良くなれそうに思えたけど。まあそんな訳でフキちゃんは存分に寝ていられたの」
「そいつはありがとさん。番組も碌なものやってねえしアタシはもう一眠りするわ。リリーは?」
「私は入院のプロだからね、読む本だって沢山持ってきたから大丈夫」
「そりゃ良かった」
そのまま目を瞑ると、パラ、パラとほんのページを捲る音だけが響く。それをバックにアタシは夜に備える事にした。
◆◇◆◇◆◇◆
時刻は午後9時過ぎ。やることもなくリリーがすぅすぅと薄いお腹を上下させるのを確認し、するりするりと音を立てないようベットを抜け出す。
電極なんかももう体からは外されており好都合、街に繰り出すなら今しかない。
「おいユキハミ、起きてるか?」
「はみょ……?」
「病院抜け出してうまいもん食いに行くぞ」
「はみみ!」
「馬っ鹿お前声がでけえっての!」
嬉しそうなユキハミの口を咄嗟に抑えると、頭の上にもちっと乗せた。そのまま病室の窓をわずかに開けると、ベットシーツを手繰って紐のようにし、三階から右手だけで降りていく。
最後に降りた先で伸ばしたシーツを引っ張れば、病室の側で括り付けておいた太刀と松葉杖が落ちてきた。
流石に捻じ曲がった足で歩こうとはアタシも思っちゃいない。体に太刀を縛り付けると、松葉杖を腋に挟んで、えっちらおっちら歩き出した。
アタシがぶち込まれていた病院は被害もなかった場所で、夜でも街灯の光が等間隔に輝いている。だがそれも煤けた匂いの元へと歩いていくと、だんだん街並みが暗くなっていく。
煤けた建物の成れ果てはその大部分がもうすでに撤去されており、人が住んでいたはずの土地にはただただ重機が夜の眠りについているのみ。
「はみゃ?」
「飯はもうチョイ待ってくれよ。先にアタシの用事を済ませなきゃいけないんだ」
頭をモチモチと動くユキハミを宥めながら、真っ暗い廃墟を突っ切ってまた別の番地へ向かう。
ロトムも入っていない安スマホのメール欄に送られた住所を何度も確認しながら、故郷を思い出させるような神社や仏閣の多い街の一角。
それほど大きくもない寺こそが、アタシの目的地だった。
「インターホン、インターホンと……寝てなきゃいいんだが」
暗い中門前に設置されたボタンを押すと、ややあってスピーカー越しに老人の声で『こんな夜分にどちら様ですか』と至極真っ当な疑問が返ってくる。
だからアタシは少し悪戯っぽく、口角を吊り上げた。
「刀を借りた張本人だ。直接返しに来たぞ」
◆◇◆◇◆◇◆
「すみませんなぁ、大したもてなしもできずに」
「いや、非常識なのはこっちだ。こんな夜分に押し掛けちまったのはまずいと思ったが、病院抜け出して返しに来れるのはこの時間帯しかねえんだ」
「はみはみはみはみ……」
「おうテメェ茶菓子にがっついてんじゃねえ」
住職は突然の訪問にも関わらず住居まで上げてくれ、簡素だが茶まで出してくれた。それを見てすかさず煎餅に齧り付いたユキハミだったが、ボロボロと食べかすを零すのはやめて欲しい。
「いやぁ、妻も先立ち子供も巣立ったものですから、この程度可愛いものですよ。まだまだ生まれて間もない子なんですかな?」
「らしいな。こいつも持ち主が見つからねえのを引き取ったから、本当のところは良くわかっちゃいねえがな」
軽くそんなことを話しながらアタシは体に縛りつけた刀を解くと、そのままそっと地面に置く。
ユキハミは頭に疑問符を浮かべながらも、何事かと煎餅を食べるのを止めてアタシのそばに近寄ってきた。
「ひとまずここのもんだって事を聞いて、使ったアタシが返すのが筋だと思ってな。頭を下げにきた。本当は詫びの一つでも持って来なきゃいけねえ所だったんだが、何分このザマで申し訳ねえ」
「いやはや、刀を振るうものが何者かと思っていたもので、それが知れただけでも儂にとっては十分な礼ですよ」
「そう言ってくれるとありがてぇ。血や油は拭き取りはしたが、こんなもん返されてもってんなら、アタシにできる限りでやる事はやる」
アタシがそう言って頭を下げると、ユキハミもよく分かってはいないだろうが、主人の姿を真似てペコリと頭を降ろした。
その姿を見て焦ったような住職の声で頭を上げるように言われ、アタシはようやく視線を元に戻す。
「いや、儂も四日も帰って来ないとなれば詐欺かと疑うこともありましたが……貴女のその姿を見れば、本当に必要なものだったって、分からんほど耄碌してはいない筈ですから」
そう言って老人は大太刀を掴んで立ち上がろうとするが、鉄が意外に重かったのか、少したたらを踏みながらも元あった場所へ持っていこうとしている。
アタシも手伝おうかと腰をあげかけたが、それを手で制され、加えて胸に嫌な痛みもよぎったためその言葉に甘えさせてもらった。
「何から何まですまねえな。金で解決しようとしてるようになっちまってすまねえが、もし他に修理や拵の新調とかが必要になったら、ここに連絡してくれ。せめてものケジメだ」
遠慮する住職になんとかアタシの連絡先を渡すと、これ以上住職によくしてもらいこっちのカタが無くなってしまう。
病院抜け出してきているからとか、適当に理由をつけると、引き止められる前にアタシはユキハミの夜食を入手するためその場を後にした。
◆◇◆◇◆◇◆
場所は戻ってウラウラ島の総合病院。フキが抜け出した病室には、本来灯るはずのない灯りが点いていた。
その病室では居なくなったベッドを見つめるリリーが、深くため息をついていた。
「やっぱり抜け出しちゃったよフキちゃ……くん」
「それが分かっているなら、是非とも止めて欲しかったものだがな、委員長殿」
「それ、ボクが言って聞くと思いますか?」
「ふっ、まさかな」
やれやれと頭を振るのは、疲れた様子のエーデルワイス。今日も今日とて病院宿泊とあいなった彼は、患者脱走で上を下への大騒ぎとなった看護師たちを宥め、自身が責任を持って捕まえてくると言ってきた直後だった。
「それで氷の居場所に心当たりを聞きにきたのだが」
「うーん、ハミちゃんも居ないし刀がないから、物を返すついでに何処かでオヤツでも買いに行ってるんだと思いますよ」
「ふむ……あとは病院着を着て松葉杖を使っていればすぐに見つかるか。警察からの連絡の方が先かもしれんが」
リリーはその言葉を聞くと、少し物憂げな表情を浮かべてぽつり、と絞り出すように声を出した。
「先生、呼び戻すためにでも、絶対にフキちゃんには言わないでくださいよ。ボクと先生だけの秘密です」
「あぁ……君がそう望むなら、私は医者としてはその言葉に従おう。だが」
エーデルワイスはそこで言葉を区切ると、少女の顔を気遣わしげに見る。だが、リリーはふいと視線を逸らしてしまった。
「これはあくまで医師としてではなく私個人の意見だ、聞き流してくれても構わない。君が幼少から氷のと共に育ってきたというのなら、正直に伝えたほうが良いのではないか」
「ええ、それは分かってます。分かってるんですけど、まだ言うだけの勇気が持てないんです」
リリーは、まだ光が絶えない街の遠景を眺めながら、ぽつり、とその核心を告げる。
「ボクの寿命が、もって2年くらいだってこと」