-2- 古城

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読了時間目安:15分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 金城湊きんじょう みなとが短期間の休暇を取得した。
 しかし休暇の明けた翌日、昼前になっても出勤してこなかった。

「金城君……無断欠勤する人じゃないわよね。心当たりはない?」
 と、キズミは女性上司から問われた。
「黙秘します。ウルスラ、ボールに戻れ」
 余計な嘘をつきたくないので、足早にオフィスを離れる。 
 シャツと胸板のはざまで秘密のペンダントが揺れていた。

「パラディン、出てこい」
 警察庁舎の屋上に着いたキズミが命じた。背に腹は代えられない。ミナトのような特別な才がなくとも、このくらいは予測できる。どこかに潜んで話を聞いている。正体不明の敏腕国際警察官の右腕だ。ジョージ・ロング襲撃事件の真相を追う第一人者だ。この街の異変に目を光らせている実質の頂点が、最近の異変の中心にいたであろう少年刑事の足取りを、ノーマークであったはずがない。

(ここに)

 不可視の妙技を取り払う、聖騎士サーナイト。
(申し訳ありませんが、私には任務外に割く時間の余裕は――)
「ミナトはどこだ。さっさと答えろ!」
 灼けつくように喉が火照る。
 怒鳴るな、逆効果だ、と体が頭を警告するが、遅かった。 

 もったいぶる返しは、無言の圧だった。深紅の瞳の力で心を折る方法だった。

 何の感情も読み取れやしない。なのに、あらゆる感情の可能性を読み取らされる。
 態度を詫びたくない。過去に愛犬を傷つけられた。ペンダントが地肌に固い。

 ひとときの戯れであったかのように、サーナイトのテレパシーが再開した。
(“隠し穴”をご存知でしょうか)
 露骨に物言いの棘を振りかざさぬよう、キズミはこらえる。
「樹洞に出来るといわれる、空間のひずみか」
 
 存在自体は、古来より低い頻度で確認されている。所説あるが、それらしきものが有名な英雄神話にも登場する。かの王国の支配をめぐり争った、真実を司る白き竜と理想を司る黒き竜。その力を授かった白樹と黒樹に守られた楽園が、この世界のどこかにある。そこから飛ばされてきた種は木となり根を下ろし、楽園につながる窓となる。
(“穴”から“穴”へ、疑似テレポートに用いる携帯獣も。人間にはめったに扱えません。しかし珍しいことに、この街は別空間を経由する“掟破りな通路”が不自然なほどにひらきやすくなっております。私なら、詳しい者に案内させるでしょう)
 サーナイト=パラディンが見返り、恭しく“透明”に触れた。
 萌黄色の長い髪をもつ音楽の妖精が、聖騎士に手を引かれながら姿を現した。




 霧の中だろう。湿気ていて、気温がうすら寒い。良いと言うまで目を開けない約束で、キズミは案内された。コロモリが鳴きかうような声がする。開けていいと案内役の合図があった。

 鬱蒼とした森の奥深く、湖に浮かぶ孤島に石造りの城壁はそびえていた。

 その筋で畏怖されている闇の霊能一族、レストロイ本家の本拠地があの向こうに守られている。紋章のついた旗は見当たらなかった。音楽を司る妖精を見て、衛兵のゴルーグたちが正門をひらく。同伴者であるキズミも通してもらえた。壁内の敷地を道なりに進むと庭に出た。あの館が城主の住まいなのだろう。裕福な貴族の豪邸のような美観だった。
 扉の前で、翡翠そのもののような淡い瞳の色がキズミを映す。
 音楽の妖精――メロエッタの雰囲気は、心配する時のウルスラに似ている。
「案内してくれて、ありがとう。あと一息お願いします」
 と、キズミに頼まれたメロエッタが手をかざした。念動力で扉が開かれた。

 国際警察の支給品であるサングラス型装備をかけて霊視モードにすれば、うじゃうじゃ視えると思われる。霊感のキズミでも気配を感じるほどに、応接室は妖気に満ちていた。“不定形”に属するラルトスは、近縁種であるゴーストポケモンから負の影響を受けやすい。モンスターボールの遮断性は高いとはいえ、できれば家に残してきたかった。
 客間で待たされている間、キズミは視線だけを動かして部屋中を模索した。豪華で格調高い内装。城主の嗜好か、クラシック様式に凝りすぎていないモダンなゆとりを感じさせる。窓は重厚感のあるカーテンで閉め切られている上に、濃い霧のせいで室内がどしゃぶりの雨の日のように暗い。肖像画や絵画はなく、壁にずらりと飾られている鏡が虚ろな銀器のようだった。ランプテーブルや、天井の電球式シャンデリアを持ち場にしているヒトモシ達の頭の炎の燃え方が怪しい。生気を盗み食いされているのではないだだろうか。訪問者に釘付けになっているあの飢えた目つきは、しつけがよさそうには見えない。
 虚空に、メロエッタがぱっと現れた。
 瞬間移動で戻ってきたのだ。また、じー、と大きな瞳をそそぐ。どうして怖い顔をしているの、とでも問いたげに。ゴーストに耐性があるノーマルタイプらしく、霊感のない人間以上にこのお化け屋敷の居心地のよしあしに鈍感なのだろう。麗しい童女によく似た萌黄色の髪をもつ歌姫の、愛らしいまでの邪気のなさ。こういう相手とは戦いたくない。

 長身痩躯の城主がドアから視界に舞い込んだ。
 その瞬間に、ここは敵地であると意識させられた。
 
「せがれのダチに会うのは初めてだ。ようこそ」

 訪問者をたっぷり待たせたことを詫びる様子もなく、飄々としている。
 若い。年の離れた兄かと勘違いを起こしそうになった。ミナトいわく十五かその時分の年齢でミナトの父親になったらしい。聖職者の平服に似た立襟足丈の白服に身を包む、現当主の名はハイフェン・レストロイ。見目好いミナトの目鼻立ちから東洋系の愛嬌を抜いて大人びさせたような色男だ。色素が濃いめの肌は親子で近い。腰まで届きそうな黒緑色の髪を頭の高い位置で一つ結びにしている。上げて額を出している前髪はひと房、はらりと顔にかかっていた。

「それはともかく。歓迎するのは美人上司のほう、って言わなかったか?」
 城の主が片眉を上げてメロエッタを咎める。
 メロエッタは小首を傾げた。
「着替えもヒゲ剃った意味もねえ……まあいいや、飲もう!」
「遠慮します。年齢が年齢なので」
 断ったキズミを、鼻で笑う。
「ここがどこで、どう法律が違うかも分からねえのに?」 
 言いながら、これ見よがしに琥珀色の液体を揺らし、コルク栓を抜いた。
「先祖代々無駄に大地主でね。これも自家製だ。ぜひ味わってほしいと言ってもダメ?」
「お断りします」
「真面目だねえ、若い国際警察は」
 手持ちのグラッパグラスにブランデーボトルを傾ける。
 香りを楽しみ、舌先で軽く味わう。優雅な所作は気取っている感がない。
 年中飲んだくれていそうな自堕落の中に奔放な色気がある。“悪い男”だ。
「国際警察の美形率はいい。ハニトラ要員がダテじゃねえ。あんちゃんも、デザイナーベイビーのクチかい?」
「単刀直入にお聞きします。ご嫡子は今どちらですか」
 
 レストロイ卿は愉快そうにあごを指先で撫でた。
「オレを監禁好きの虐待パパ扱いしようってか。だろ?」

 キズミはその質問には答えなかった。

「あんちゃんよぉ。せがれの過去を、どこまで知っている」
「ほとんど何も。お互い、詮索しませんでした」
「なら何を根拠に、オレにそんな不名誉をおっかぶせる気だい」
「駐在地にゴーストポケモンが大量流入しています。ご嫡子はまったくと言っていいほど無関心でした。はぐらかしているように見えました。腹を割りたがらなかった原因は、毛嫌いしていた父親が絡んでいたと考えられます。今日彼は出勤せず、連絡も取れないままです。それが根拠です」

 青緑の双眸は途中から、父子の不仲をはっきり指摘した若者から逸れていた。
 レストロイ卿がぽけっとして訊ねた。
「おい貴様、いつまでつまみ食いしてる?」
 ランプ台のヒトモシがびくっと震えて頭の炎が縮んだ。レストロイ卿に掴み上げられた白い身体がティッシュのように、やすやすと引き千切られる。悲鳴は、霊能のないキズミに聞こえる周波ではなかった。床に散らかり、空気に溶けていく解体片。両手をぽんぽんと払い合わせて汚れを落とす仕草で、気まぐれな制裁が締めくくられた。
「なんだっけ? あ、そうそう。つまり君は、囚われの姫を救う勇者になりにきたのだな」
「ただの刑事です」
 惨殺に見える行為の軽さが不快だ。後で再生すると信じたいが。
 隠す気のないキズミの露骨な声色を、肴にして、残りの蒸留酒が飲み干された。
 美味そうに喉仏が動いていた。グラスの縁を離れた唇がにやりと歪んだ。
「大当たり。せがれなら牢にぶち込んである」

 レストロイ卿は監禁を認めた。

「近いうち連れ戻すつもりだった。どんな手を使おうとな。あのガキ、勘づいて乗り込んできやがった。話し合いに来たと思うか? いいや。オレを殺すためさ。信じねえのは勝手だ。ダチなら、せがれがそういう奴だと分かってるはずだが」

 ミナトの、時折の殺気は、嘘偽りない真性。
 それを知る仲の思考の揺さぶり方を、この親父面は熟知している。
 信じないと庇えば、嘲笑われるだろう。話術の蜘蛛糸に絡めとられたら相性が悪い。
 今、告げるべきは。
「殺人未遂であれば尚更、取り調べる必要があります」

「ま、オレの退屈しのぎにはなるか……いいだろう。会わせてやる」
 パチンと指を鳴らした。

 ひとりでに、ウルスラ入りのモンスターボールが腰のホルダーを外れた。宙に浮かび、後方へ飛んでいく。捕まえようとキズミは腰をひねった。失敗した証明写真をいきなり見せつけられたみたいに、自分の上半身と鉢合わせする。小窓サイズの鏡。鏡を宙に支えるメロエッタの空けた片手に、ボールが吸い着く。 
 レストロイ卿に思い切りよく、キズミは背中を蹴られた。
 頭から突っ込んだ先で、割れた破片が刺さる痛みはなかった。
 
「せいぜい仲間割れして、楽しませてくれ!」

 水銀を渦巻かせたような鏡面を通り抜けて、身体が引っ張られていく。
 螺旋階段の中心を落ちていくみたいに、暴君の笑い声が周りを回っていった。


◆◇

 
 伸びをしながら、ハイフェン・レストロイは一日の大半を過ごす場所に戻ってきた。カーテンで遮光してある寝室は、来客用の部屋に輪をかけて、自分のためだけにごてごてと豪華絢爛に、無秩序に飾りつけてある。大型獣が出入りできる幅のテラス窓側を除いて、いにしえの祭器から近代の日用品に渡り、世界中から蒐集した鏡が壁中を装飾していた。革靴も白服も脱ぎ散らかし、グレーのガウンを素肌に羽織る。髪をほどいて、顔面に降り注いできた前髪を指で掻き上げるように梳く。天蓋付きのベッドに寝転がった一城の主の後頭部を、黒々したたてがみが枕代わりに受け止めた。美しい毛並みを撫でられ喉を鳴らす、雷獅子の尾は二本。当然、尾先の立派な十字星も二つある。妖力の強い個体が年老いて変化へんげした、大猫又である。

 指をパチンと鳴らし、使い霊を呼び出す。
 手近な壁掛け鏡の一枚がさざめき、ずるん、とフワンテが滑り出た。
「これアイローン。ついでに、次の着替えも用意しといてくれーい」
 しわくちゃの白服をつんつんと差す、レストロイ家現当主の人差し指。
(んもーう、仕事増やさないでください。イチリがお屋敷を空けるといーっぱい家事が溜まるんですから。イチリは家事専属じゃございませんのにぃ)
 拾い上げた服の皺を手で伸ばし、テレパシーで文句を垂れる。
(そちらにはべらせてる愛霊の方々も働かせてくださいよ。こないだいっぱいしもべを粛清なさって、今お屋敷は霊手不足なんですからー)

 テレパシーを扱える貴重な使い霊が、糸のような腕に洗濯物を干すように白服をひっかけて、元来た鏡へ帰っていった。ぺちゃくちゃと口数の多いところが可愛いフワンテなのだ。ハイフェンはにやにやと見送った後、二つ折りのカード型の手鏡を広げた。消音のポータブルテレビでも観るように、“向こう”を見物する。手鏡の前に割り込んできた、やぶれ帽子とローブ姿に似寄る紫色の愛霊の顔がむすっとしている。「そう妬くなよ」と身体の上に抱き寄せた。
 唇を重ねる。
 のしかかっている魔女霊は、まるで単純作業のような熱の低さが気に入らない。長年召し抱えられているのだから、せめて一度くらい、本気で。寄り集まった魂が生まれ変わる前の人の記憶の残滓を、慰められてみたい。亡き妻の幻を見せる呪文で誘惑するのだけは、オンナのプライドが許さない。そうイライラして、脱がせてしまえと、男物の着心地よさそうな前身頃に両腕を差し入れた。まだこれからという時に、別の愛霊が自分も混ぜてと添い寝しに来た。白い和装に赤帯風の雪女の幽鬼だ。氷の肌の冷たさは、人肌では凍える。色っぽくはだけさせた胸板がガウン下に仕舞いこまれたので、魔女霊があからさまに拗ねた。

(あのさー。そういうお楽しみはよそでやってくんなーい? ゴミじゃん)
 暇を持て余して話しかけてきたテレパシーの主は、ネイティ=麹塵きくじん
 彫りと装飾が美しい、霊的に強固な氷で創られた鳥籠に閉じ込められている。
「なら、こっちは楽しめるか?」
 ハイフェンが手元の映像中継を見せてやると、小鳥は嫌々と体を振った。
(つまんなぁい。でもここから出してくれたら最高に楽しいよ、ぼきゅ!)
「やなこった」
(ひっどーい! いいもーん。ぼきゅの記憶、ちょっとずつ戻ってきてるし。ハイフェン様との力関係なんて、すぐひっくり返してやるもんねっ)
「ほほう?」
(う……ま、待って! じゃ、こんなのは? アイラの親父が誰か、知ってるよね? 忘れたとは言わせないよ。ジョージ・ロングロードのせいで、ハイフェン様はぼくの魂をこの器に封印した。ぼくを封印しなければ、ハイフェン様は湊様と一緒にいられた。小娘をぎたぎたにやっつけて、手っ取り早く親父への恨みを晴らしちゃおうよ。手を貸したげる!)

「黙れ。セレビィ」


 
 やっと吐き捨ててくれた。
 仮の器だと忘れるほど馴染んだ黄色い嘴で、ほくそ笑んだ。
 ネイティより。麹塵より。
 人間無勢が押しつけた呼び名の中では、その響きが一番キモチイイ。

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