5.スイレンの写真
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スイレンがせせらぎの丘に釣りをしに行ったと聞いて、ヨウとハウは四番道路を北に向かって歩いていた。アーカラ島随一の湧水地帯、とめどなく水の流れる丘が、木々の隙間に遠く見える。
「初めてラプラスライドした時さー、気持ち良かったよねー。流れ落ちる水の音がザーザーいってー。」
ハウと一緒に島巡りの体験を思い返せば、彼方にある丘のせせらぎがすぐ側で聞こえてくるようだった。
いや、本当に水の音が間近に聞こえる。
林の向こうの海岸から、バシャバシャと水を分ける不自然な音がしていた。もしやと思ったヨウとハウは道をそれ、海岸に出た。見ると一人の釣り人が、針にかかった木の枝を引き上げているところだった。
海と同じ青色の髪に、セーラー風の白い服。小柄できゃしゃな体つきではあるが、釣り人としての、ポケモントレーナーとしての、そしてキャプテンとしての風格を十分に備えているその人は、
「スイレンー!」
二人が手を振りながら海岸に近づくと、枝にからまった糸を外し終えたスイレンが、おやと目を見張った。
「ヨウさんにハウさんではありませんか。アローラ。お二人も釣りですか?」
「ううんー。スイレンに会いに来たんだよー。」
「まあ、わたしに? どういったご用件でしょう。」
ヨウとハウはリーリエに送ろうと思っている手紙のことを説明した。スイレンは、それはそれはと納得し、協力を快諾してくれた。
「スイレン、せせらぎの丘に釣りに行ったって聞いたんだけどー。」
「ええ、初めはそのつもりでした。でもなんだか大物に呼ばれたような気がして……急きょこの岸辺で糸を垂れていたというわけです。」
そう言いながらスイレンは手際よく竿に糸を張り、新しいルアーをセットした。
「大物って何ー? ポケモン?」
「そうですね……もしかしたら、カイオーガかも。」
「カイオーガ!?」
驚くハウに、スイレンは口元に手を当て「ふふふ」と含み笑いしただけだった。しかし、何かを釣りあげようとしているのは冗談ではないらしい。準備し終えた釣り竿の先を、ひゅっと鋭く水面へ向けた。
「あるいはカイオーガかもしれない大物をわたしが釣りあげた瞬間を、写真に収めてリーリエさんに送っていただけますか、ヨウさん、ハウさん。もしお時間があれば、ですけれど。」
カイオーガが釣れるかどうかはさておきとして、確かにスイレンを撮影するには今が絶好のチャンスだろう。急ぐ旅ではないから、時間もたっぷりある。二人はうなずいて、ロトム図鑑を取りだし数歩下がった。
静かに釣り糸を垂らすスイレンを画面に捉えてパシャリ。そのシャッター音に反応してスイレンがこちらを向き、にこっと笑ってVサインまで決めてくれたのでさらにパシャリパシャリ。
「余裕だねー。」
「釣りは焦っても仕方ありませんから。のんびりとただひたすらに、相手がかかるのを待つのです。」
言った直後、ぴくりと竿の先が動いた。スイレンは素早く反応し、竿を握る手に力をこめる。二、三度体ごと左右に揺れた後、じりじりと一気に糸を巻く音が響いて、あっという間にヨワシを釣りあげた。
「わー!」
ハウの拍手。ヨウもすかさずシャッターを切る。ところがスイレンは特に喜びの表情を浮かべることもなく、「またね」と言ってヨワシを海に解放した。釣りあげられてびっくりしたのか、うるうるの涙目になったヨワシが、ぽちょんと小さな水音を立てて逃げていった。
「まだまだ序の口です。もっといいシャッターチャンスを作りますので、お待ちくださいな。」
スイレンは二人にそう告げて、再びルアーを遠くに投げ入れた。
「はー、釣り人って肝がすわってるというか、なんというか……かっこいいねー!」
ハウが感心してため息をついた。ささやくように声をひそめていたのは、スイレンの集中力を乱さないようにとの配慮だろう。
スイレンから少し離れた場所で、ヨウとハウは彼女の釣りを見守りながら、角度を変えて写真を撮った。その間にスイレンは何度かポケモンを釣りあげたが、いずれもコイキングとかヨワシとかで、スイレンの狙う「大物」ではないようだった。
「なーなー、せっかくだからせせらぎの丘が写るように、もうちょっと引きで撮ってみよー。」
しばらくしてハウが提案したので、ヨウはうなずいた。思い切って距離を取り、空と海を広く写す構図を選んでみる。スイレンの姿はだいぶ小さくなってしまったが、遠くに見えるせせらぎの丘はすっぽり画面に収まった。
「おー、きれいきれい。」
ヨウの隣にやって来たハウが、視界に映るせせらぎの丘と、画面の中の景色を交互に見ながら言った。
「背景に丘が入っていい感じー。これでもし本当にカイオーガでも釣れたら、すっごい絵になるよねー。」
あはは、とハウが笑った時だった。
「来た!」
スイレンの高く、しかし芯の通った声が響いた。見ると釣り竿は大きくしなり、水面が激しく揺らめいていた。まさかカイオーガではないだろうが、一瞬そうかと思わせるほどの巨大な魚影が、竿から伸びる糸と海中でつながっている。
「釣りあげます! ヨウさん、写真の準備を!」
ヨウは急いでロトム図鑑を持ち直した。
「露光量調整オーケー、連写モード準備完了ロト!」
ロトムが叫んだ。
スイレンは大きく足を開き腰を落として、海中に引きずりこまれないように踏ん張った。そしてすごい速さでリールを巻く。と思ったらぱっと手を離して糸を出す。巨大魚は長い糸の先に少しも釣り人を見つけられず、暴れ狂う動きが一瞬止まった。そのタイミングを見計らって、再び素早い糸の回収が始まる。この間、スイレンは竿の方向も小刻みに変更していて、相手が有利な位置に逃げこまないよう常にコントロールしていた。
「すげぇ……これが、釣り人のポケモンバトル……。」
ハウがごくりと唾を飲んだ。
一度、巨大魚の尾がぬっと現れ、激しく海面をたたきつけてまた沈んでいった。水しぶきが画面を突き抜けてヨウの顔にかかるかと思ったほどだ。スイレンと巨大魚がぶつけあっている闘気が、ここまでびりびりと伝わってくる。一生懸命シャッターを切るヨウに、ロトムは「いいネ!」「あっぱレ!」と励ましの言葉をかけ続けてくれていた。
そうこうしているうちに、いよいよ素人のヨウとハウの目にも分かるくらい、海中の魚影の動きが鈍ってきた。しかしスイレンは焦って糸を巻くようなことはしない。逆に糸を出して、慎重に相手の動きを見極めた。最終局面とは思えないほど、じりじりと過ぎていく時間。と、突如スイレンは強く下半身に力を込め、最後の巻き上げの動作に入った。
「頑張れー! スイレンー!」
ハウが叫ぶ。ヨウはロトム図鑑を構える。スイレンが吠える。
「うおおおおぉぉぉぉーーーーっ!!」
バシャアッ! と激しい水音と共に現れたのは、一匹の巨大魚の形をした無数の小魚。群れたヨワシの姿だった。一匹一匹のヨワシの目が、巨体に散りばめられた青い宝石のようにきらめき、宙を舞う最中、ぎろりと地上の人間たちを見据えた。濡れた鱗が光を跳ね返し、まるで銀色の魚のようだった。
連写でシャッターを切りまくるロトムも興奮に震えているのが、図鑑を通じてヨウの手に伝わってきた。
「うあーっ!」
ヨワシを釣りあげた反動で、スイレンが大きくバランスを崩した。スイレン! と声を上げていち早く走ったのはハウ。次いでヨウもスイレンへ駆け寄った。ロトムは「わー! 海水は嫌ロトー」と言って、するりとヨウの手を抜けてしまった。
大きな水音と共に、ヨワシたちが海の底に沈んでいった。晴れた日に降る雨のような大粒のしぶきが、ヨウたちの頬にぽつぽつとかかった。
「スイレン、大丈夫ー?」
ヨウとハウは釣り竿を握りしめたまま仰向けに寝転がるスイレンの顔をのぞきこんだ。糸は途中でぷっつりと切れていた。
スイレンは満足そうに目を閉じて、雨上がりの虹と同じ弧を口元に浮かべていた。怪我はなさそうだ。ヨウが手を差しのべるとスイレンはその手を取り、ありがとうございますと言って起きあがった。釣り人の太い骨を、少女のやわらかな肌で包んだような手だった。
「お疲れ様ー。逃げられちゃって残念だったねー。」
ハウの言葉にスイレンは首を振った。
「いいえ、十分な釣果でございます。」
スイレンが見やった波間には、今や数百の銀片となった小魚の影がいくつも散っていた。スイレンは岸のぎりぎりまで彼らに近づくと、両手を丸く拡声器の形にして口に当てた。
「次は負けませんからー!」
スイレンの声に答えるように、ヨワシが一匹、ぴちょんと跳ねた。
「さてさてヨウさん。良い写真は撮影できましたでしょうか。」
振り返って尋ねたスイレンに、あっおれも見たいー! とハウが同調した。そういえばヨウ自身もまだどんな写真が撮れたのか確認していなかった。ヨウがロトムを呼ぶと、ヨワシの水しぶきを避けるために空中高くに避難していたロトムはいそいそと戻ってきて、保存写真の閲覧モードに切り替えた。
三人がロトム図鑑を囲む中、画面いっぱいに表示されたのは、今にも飛びだしそうな巨体を空に躍らせるヨワシ。そしてそれを釣りあげた瞬間のスイレンの姿だった。水煙にかすむせせらぎの丘が、見事に背景として収まっていた。
おおー、とハウが声を出す。スイレンはすぐには何も言わなかったが、実に感慨深そうにロトム図鑑を眺めていた。きっとその手にはまだ、ヨワシと引きあった釣り竿の感触がはっきりと残っているのだろう。
「素晴らしい写真です。ヨウさん、ありがとうございました。」
やがてスイレンは満足そうにロトム図鑑を返した。そして、では次は寄せ書きをと切り出してくれたので、ハウはリュックを開けて寄せ書き用の紙とペンをスイレンに渡した。
「リーリエさんにもぜひご報告申しあげましょう。このアーカラ島のキャプテンスイレン、伝説のポケモンカイオーガを見事に釣りあげました……と。」
そう言いながらスイレンが筆を走らせるので、
「今の本当にカイオーガだったのー!?」
とハウが目を丸くした。スイレンが紙の上からハウの驚いた顔に視線を移して、にやっと笑った。
「ハウさん、釣られましたね。」
あ、と声にならない声を出すハウ。ヨウとスイレンは口元に手を当ててくすくす笑った。それでハウも恥ずかしそうにえへへーと頭をかいたので、結局三人で声を出して笑った。
「初めてラプラスライドした時さー、気持ち良かったよねー。流れ落ちる水の音がザーザーいってー。」
ハウと一緒に島巡りの体験を思い返せば、彼方にある丘のせせらぎがすぐ側で聞こえてくるようだった。
いや、本当に水の音が間近に聞こえる。
林の向こうの海岸から、バシャバシャと水を分ける不自然な音がしていた。もしやと思ったヨウとハウは道をそれ、海岸に出た。見ると一人の釣り人が、針にかかった木の枝を引き上げているところだった。
海と同じ青色の髪に、セーラー風の白い服。小柄できゃしゃな体つきではあるが、釣り人としての、ポケモントレーナーとしての、そしてキャプテンとしての風格を十分に備えているその人は、
「スイレンー!」
二人が手を振りながら海岸に近づくと、枝にからまった糸を外し終えたスイレンが、おやと目を見張った。
「ヨウさんにハウさんではありませんか。アローラ。お二人も釣りですか?」
「ううんー。スイレンに会いに来たんだよー。」
「まあ、わたしに? どういったご用件でしょう。」
ヨウとハウはリーリエに送ろうと思っている手紙のことを説明した。スイレンは、それはそれはと納得し、協力を快諾してくれた。
「スイレン、せせらぎの丘に釣りに行ったって聞いたんだけどー。」
「ええ、初めはそのつもりでした。でもなんだか大物に呼ばれたような気がして……急きょこの岸辺で糸を垂れていたというわけです。」
そう言いながらスイレンは手際よく竿に糸を張り、新しいルアーをセットした。
「大物って何ー? ポケモン?」
「そうですね……もしかしたら、カイオーガかも。」
「カイオーガ!?」
驚くハウに、スイレンは口元に手を当て「ふふふ」と含み笑いしただけだった。しかし、何かを釣りあげようとしているのは冗談ではないらしい。準備し終えた釣り竿の先を、ひゅっと鋭く水面へ向けた。
「あるいはカイオーガかもしれない大物をわたしが釣りあげた瞬間を、写真に収めてリーリエさんに送っていただけますか、ヨウさん、ハウさん。もしお時間があれば、ですけれど。」
カイオーガが釣れるかどうかはさておきとして、確かにスイレンを撮影するには今が絶好のチャンスだろう。急ぐ旅ではないから、時間もたっぷりある。二人はうなずいて、ロトム図鑑を取りだし数歩下がった。
静かに釣り糸を垂らすスイレンを画面に捉えてパシャリ。そのシャッター音に反応してスイレンがこちらを向き、にこっと笑ってVサインまで決めてくれたのでさらにパシャリパシャリ。
「余裕だねー。」
「釣りは焦っても仕方ありませんから。のんびりとただひたすらに、相手がかかるのを待つのです。」
言った直後、ぴくりと竿の先が動いた。スイレンは素早く反応し、竿を握る手に力をこめる。二、三度体ごと左右に揺れた後、じりじりと一気に糸を巻く音が響いて、あっという間にヨワシを釣りあげた。
「わー!」
ハウの拍手。ヨウもすかさずシャッターを切る。ところがスイレンは特に喜びの表情を浮かべることもなく、「またね」と言ってヨワシを海に解放した。釣りあげられてびっくりしたのか、うるうるの涙目になったヨワシが、ぽちょんと小さな水音を立てて逃げていった。
「まだまだ序の口です。もっといいシャッターチャンスを作りますので、お待ちくださいな。」
スイレンは二人にそう告げて、再びルアーを遠くに投げ入れた。
「はー、釣り人って肝がすわってるというか、なんというか……かっこいいねー!」
ハウが感心してため息をついた。ささやくように声をひそめていたのは、スイレンの集中力を乱さないようにとの配慮だろう。
スイレンから少し離れた場所で、ヨウとハウは彼女の釣りを見守りながら、角度を変えて写真を撮った。その間にスイレンは何度かポケモンを釣りあげたが、いずれもコイキングとかヨワシとかで、スイレンの狙う「大物」ではないようだった。
「なーなー、せっかくだからせせらぎの丘が写るように、もうちょっと引きで撮ってみよー。」
しばらくしてハウが提案したので、ヨウはうなずいた。思い切って距離を取り、空と海を広く写す構図を選んでみる。スイレンの姿はだいぶ小さくなってしまったが、遠くに見えるせせらぎの丘はすっぽり画面に収まった。
「おー、きれいきれい。」
ヨウの隣にやって来たハウが、視界に映るせせらぎの丘と、画面の中の景色を交互に見ながら言った。
「背景に丘が入っていい感じー。これでもし本当にカイオーガでも釣れたら、すっごい絵になるよねー。」
あはは、とハウが笑った時だった。
「来た!」
スイレンの高く、しかし芯の通った声が響いた。見ると釣り竿は大きくしなり、水面が激しく揺らめいていた。まさかカイオーガではないだろうが、一瞬そうかと思わせるほどの巨大な魚影が、竿から伸びる糸と海中でつながっている。
「釣りあげます! ヨウさん、写真の準備を!」
ヨウは急いでロトム図鑑を持ち直した。
「露光量調整オーケー、連写モード準備完了ロト!」
ロトムが叫んだ。
スイレンは大きく足を開き腰を落として、海中に引きずりこまれないように踏ん張った。そしてすごい速さでリールを巻く。と思ったらぱっと手を離して糸を出す。巨大魚は長い糸の先に少しも釣り人を見つけられず、暴れ狂う動きが一瞬止まった。そのタイミングを見計らって、再び素早い糸の回収が始まる。この間、スイレンは竿の方向も小刻みに変更していて、相手が有利な位置に逃げこまないよう常にコントロールしていた。
「すげぇ……これが、釣り人のポケモンバトル……。」
ハウがごくりと唾を飲んだ。
一度、巨大魚の尾がぬっと現れ、激しく海面をたたきつけてまた沈んでいった。水しぶきが画面を突き抜けてヨウの顔にかかるかと思ったほどだ。スイレンと巨大魚がぶつけあっている闘気が、ここまでびりびりと伝わってくる。一生懸命シャッターを切るヨウに、ロトムは「いいネ!」「あっぱレ!」と励ましの言葉をかけ続けてくれていた。
そうこうしているうちに、いよいよ素人のヨウとハウの目にも分かるくらい、海中の魚影の動きが鈍ってきた。しかしスイレンは焦って糸を巻くようなことはしない。逆に糸を出して、慎重に相手の動きを見極めた。最終局面とは思えないほど、じりじりと過ぎていく時間。と、突如スイレンは強く下半身に力を込め、最後の巻き上げの動作に入った。
「頑張れー! スイレンー!」
ハウが叫ぶ。ヨウはロトム図鑑を構える。スイレンが吠える。
「うおおおおぉぉぉぉーーーーっ!!」
バシャアッ! と激しい水音と共に現れたのは、一匹の巨大魚の形をした無数の小魚。群れたヨワシの姿だった。一匹一匹のヨワシの目が、巨体に散りばめられた青い宝石のようにきらめき、宙を舞う最中、ぎろりと地上の人間たちを見据えた。濡れた鱗が光を跳ね返し、まるで銀色の魚のようだった。
連写でシャッターを切りまくるロトムも興奮に震えているのが、図鑑を通じてヨウの手に伝わってきた。
「うあーっ!」
ヨワシを釣りあげた反動で、スイレンが大きくバランスを崩した。スイレン! と声を上げていち早く走ったのはハウ。次いでヨウもスイレンへ駆け寄った。ロトムは「わー! 海水は嫌ロトー」と言って、するりとヨウの手を抜けてしまった。
大きな水音と共に、ヨワシたちが海の底に沈んでいった。晴れた日に降る雨のような大粒のしぶきが、ヨウたちの頬にぽつぽつとかかった。
「スイレン、大丈夫ー?」
ヨウとハウは釣り竿を握りしめたまま仰向けに寝転がるスイレンの顔をのぞきこんだ。糸は途中でぷっつりと切れていた。
スイレンは満足そうに目を閉じて、雨上がりの虹と同じ弧を口元に浮かべていた。怪我はなさそうだ。ヨウが手を差しのべるとスイレンはその手を取り、ありがとうございますと言って起きあがった。釣り人の太い骨を、少女のやわらかな肌で包んだような手だった。
「お疲れ様ー。逃げられちゃって残念だったねー。」
ハウの言葉にスイレンは首を振った。
「いいえ、十分な釣果でございます。」
スイレンが見やった波間には、今や数百の銀片となった小魚の影がいくつも散っていた。スイレンは岸のぎりぎりまで彼らに近づくと、両手を丸く拡声器の形にして口に当てた。
「次は負けませんからー!」
スイレンの声に答えるように、ヨワシが一匹、ぴちょんと跳ねた。
「さてさてヨウさん。良い写真は撮影できましたでしょうか。」
振り返って尋ねたスイレンに、あっおれも見たいー! とハウが同調した。そういえばヨウ自身もまだどんな写真が撮れたのか確認していなかった。ヨウがロトムを呼ぶと、ヨワシの水しぶきを避けるために空中高くに避難していたロトムはいそいそと戻ってきて、保存写真の閲覧モードに切り替えた。
三人がロトム図鑑を囲む中、画面いっぱいに表示されたのは、今にも飛びだしそうな巨体を空に躍らせるヨワシ。そしてそれを釣りあげた瞬間のスイレンの姿だった。水煙にかすむせせらぎの丘が、見事に背景として収まっていた。
おおー、とハウが声を出す。スイレンはすぐには何も言わなかったが、実に感慨深そうにロトム図鑑を眺めていた。きっとその手にはまだ、ヨワシと引きあった釣り竿の感触がはっきりと残っているのだろう。
「素晴らしい写真です。ヨウさん、ありがとうございました。」
やがてスイレンは満足そうにロトム図鑑を返した。そして、では次は寄せ書きをと切り出してくれたので、ハウはリュックを開けて寄せ書き用の紙とペンをスイレンに渡した。
「リーリエさんにもぜひご報告申しあげましょう。このアーカラ島のキャプテンスイレン、伝説のポケモンカイオーガを見事に釣りあげました……と。」
そう言いながらスイレンが筆を走らせるので、
「今の本当にカイオーガだったのー!?」
とハウが目を丸くした。スイレンが紙の上からハウの驚いた顔に視線を移して、にやっと笑った。
「ハウさん、釣られましたね。」
あ、と声にならない声を出すハウ。ヨウとスイレンは口元に手を当ててくすくす笑った。それでハウも恥ずかしそうにえへへーと頭をかいたので、結局三人で声を出して笑った。