第六節 ユニオン・ファイティング
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ぶにぶに、と強張った黒い表皮に揉み込まれ、奥へ奥へと蠕動を受けて運ばれる。黒き巨体のアクジキング、その口内へと飛び込んだフキは、リリーを周囲の圧に潰されないように抱きすくめると、なすがままだ。
周囲は一条の光さえ差さない真っ暗な闇。ドクン、ドクン、と定期的な低い律動が聞こえる以外、ぬるま湯に潰されるような安寧の泥の中。
数秒か、数分か、それとも数時間か。意図も容易く奪われた時間感覚は、急な重力によって再び取り戻される。
「なに、ここ……」
「口ん中がどうしてこうなってんだ? 訳わかんなくて頭パンクしそうだぜ」
そこは、黒ずんだ肌色のヒダで作られた、仄暗いトンネル。等間隔に肉の壁からは燭台が生え、仄かに心もとない明かりを灯す。
そして果ての見えない、遠くに行くほど暗くなっていく横穴。そこには額縁に飾られた多数の絵画が、イーゼルという画家が絵を描くさいに立てかける木の台に無愛想に置かれていた。
彼女らは身長に歩みを進めながら、その絵をチラリと横目でみやる。
それは各地の風景画――例えばカントーにある『世界のはじまりの樹』や、機械仕掛けの『アゾット王国仰望図』、『冠を頂く雪原』など、各地の光景がバロック調に明瞭な陰影を伴って描かれていた。
光さす街や光景を描いたはずなのに、黒い影が幾重にも折り重なった、重厚な立体感を持ってキャンパスから飛び出てきそうな雰囲気を纏っている。
「はみみ! はみ!」
「あ? どうしたんだそんなに跳ね散らかして」
ユキハミがモゾモゾとフキの腕から這い出りると、雪原が描かれた絵画の前でひょこひょこと体を跳ねさせる。
フキはその姿に頭を捻るが、リリーの方が先にピンと来たのか、その絵の地面の部分を指差した。
「ハミちゃん、もしかしてここが故郷なんじゃないかな。ほら、小ちゃくだけど絵に群れが描かれてるよ」
「はみっ!」
「なるほど。この白餅はここに返してくればいいのか」
「はみっ!?」
「ったく、ここが敵地ってこと忘れてんじゃねえかコイツ。本当に故郷に送り込んでやろうかって……」
彼女はそう言いながら、ブニブニと生暖かい床に落ちたユキハミを拾おうとした、そのとき。
薄暗い美術館の絵画の裏、ひょろ長い体を精一杯小さく丸めた青年と、フキはばっちり目が合った。
「ッシィッ」
「な、なんで、僕ばっ、ばっかり!」
フキは素早く意識を切り替えると、瞳を鋭く細めて懐からナイフを取り出し振りかぶる。迷わず首の少し横、薄皮の奥を抉る一刺し。
「フキちゃん!」
そのままだったら致命の一撃だっただろう。しかしそれを静止したのは、後ろに控えるリリーの一声。
金切り声にも近いその声に、僅かながら逸らされる刃。その軌道は青年の薄皮一枚を割いて真っ直ぐ地面へと吸い込まれた。ドム、と地面に刺されば、黄色く澱んだ膿が噴き出す。
その隙に青年は、腰を抜かしながらも脱兎の如く逃げ出した。
「……おい、リリー」
「フキちゃん、いきなり動いたらハミちゃん、落っこちちゃうよ」
リリーが上を差しながらそう言うと、フキの急な動きについて来られなかったユキハミが、ゆっくりと地面へ向かって落下していた。
その姿を見た主人は、押し黙ったままサッとユキハミの腹に手を回すと掬い上げる。
しかしその後、二人はそのまま一言も発さない。無邪気なモチ虫までもが、いつもとは違うピリピリとした空気を感じ取って。オロオロと両者を交互に見ている。
両者ともに何も喋り出さないまま、地面を見つめただ淡々と暗い洞窟を進んでいた。
そのまま歩くこと暫し、フキはピクリと顔を上げると、出し抜けにリリーを小脇に担いで走り出す。
「にゃっ!?」
「クソ忌々しい焼け付いた匂いが突然し始めた、それに風もだ。つまり今、ここはどっかと繋がってるってこった!」
「私そんな匂いも風も全然感じないんだけど!?」
「生憎アタシのリーグでの呼び名は『狂犬』でな!」
「いやそう言う意味じゃないと思うけど!」
右手でリリーとユキハミをまとめて抱えると、真っ直ぐ匂いの元まで進んでいく。
するとすぐに見えてきたのは、薄暗い肉の洞窟にポッカリと開けられた光差す出口。徐々に収縮していくそこに、フキは迷わず身を投げた。
そして二人と一匹を迎え入れるのは、暗闇に慣れきっていたが故の、真っ白な太陽の世界。次いであまりの眩しさに思わず瞳を閉じた一瞬、その一瞬で、肌を焦がすような熱波が二人を襲った。
そんな中フキは薄く目を開けると、そこはどこかオリエンタルな空気を纏った、瓦屋根と木造建築が居並ぶ市街の直上10m。
体を捻らせるとどうにか建物の屋根へと手を伸ばし、二階部分からぶら下がった。
「ったくどこに出たんだ? ま、こんなクソ暑い熱波巻き散らかしてるやつは一人しか心当たりがねえけど」
「み……」
熱で今にも溶けて無くなりそうなユキハミを尻目に、フキは周囲を見回してこうなっている原因を探す。だが難しいことはない、視線を下に向ければ、苛立たしげな表情のエーデルワイスがいるのだから。
「氷の! なぜ貴様はあの化け物の口から出てきた!」
「今は細かいことは言いっこなしだ! とりあえずあの口からは何でも出てくるってことだけ覚えておけ!」
そこは、熱に犯されたウラウラ島。地面が溶けているにも関わらず、未だ建物に火が回っていないのはその才能のなせる技か。
激しく動き回るアーゴヨン相手に、周囲の家屋へ配慮しながらもオレアを守る。バクーダの炎の出力を絞りながらの攻防は、常に紙一重だった。
「で、そっちの現状は?」
「有事でなければマスクをつけろと言いたい所だが……まあいい。先程貴様が吐き出された黒い生物が増えてから相手は様子見をしている。紫の生物は動きが素早いぞ」
「りょーかい。あっちの黒いのは動きはトロいが図体がデカいのと、さっき言った通り、何吐き出してくるか分かんねえ」
「貴様の言う“動きが遅い”は毛程も信用できないがな」
フキはそのまま軽やかに、和風な建物の僅かな突起に足を掛けつつ地面へ降り、エーデルワイスの隣に並び立つ。
彼が先程まで庇っていたオレアの方をチラリと見ると、軽く頭をポンポンと叩き、その隣に小さな委員長を降ろす。
「相手も二人、こっちも二人。チビとガキを背負っちゃいるが、ハンデにはちょうど良いか」
「おいおい、四天王二人はちょーっとばかしおじさん達には重いんだけどなぁ。見逃してくれたり、しない?」
アーゴヨンの主人、ボサボサ頭のM・M はにへら と情けない笑いを浮かべる。それに対してフキは、懐からボールを取り出し言外のノー。
彼女はヒヒダルマを繰り出すと、後方の二人を守るように一歩、前へ踏み出した。
「おい、そこのヒョロガリ。名前は」
「ええっと、ぼ、ぼくは」
「こいつの名前はマンディブラだ。覚えておいてくれよ」
「そ、そう。ぼくはマンディブラ、うん、これが名前」
青年は何度も確認するように頷くと、M・Mに隠れるように後ろに下がる。
「そうか。テメエらがくたばるまでは覚えといてやるよ」
ぐつぐつと、バクーダの溶岩が煮えたぎる。フキは獰猛に口角を吊り上げ、エーデルワイスはゴム手袋の端を強く引っ張る。
ガラリ、と壊れた建物の瓦が落ちるのが、開戦の合図だった。
「んじゃアーゴヨン、『とどめばり』」
アーゴヨンは先程エーデルワイスが見たときよりも素早く、フキ達の後方、守るべき一般人へと襲いかかる。
しかしその直後、グルリと首を後ろに向けたフキに捕捉され、直後ヒヒダルマの『つららおとし』で作られた脇差しによって弾かれた。
「おいおい、この速度を初見で反応されちゃうと、おじさん泣きそうなんだけど?」
「はっ、アタシでもそうするからな」
「四天王サマがしていい発言じゃねえな、そりゃ」
そう会話を交わす間にも、幾条もの剣閃が両者の間で交わされる。防戦ながらもアーゴヨンに一撃を見舞おうとしているヒヒダルマだが、しかしこれはダブルバトル。
アクジキングが空中遠方で口を開けると、吐き出したのは一条の暗い光線。腹部の口と伸びた一対の触口、三箇所から放たれた『あくのはどう』に、ヒヒダルマはその場から飛び退るのを余儀なくされる。
その隙にアーゴヨンは一時撤退。しかし、その隙を見逃す四天王達ではない。
「追い縋れヒヒダルマ!」「バクーダ、『だいちのちから』で拘束しろ」
素早く追撃を入れようとしたヒヒダルマだが、地面から迫り上がった溶岩によって急ブレーキ。一方のバクーダは仲間に当てないよう勢いを抑えたため、素早い紫の蜂を捉えきれない。
「おい医者ァ! どこに目ん玉つけてんだテメェ!」
「氷の、貴様こそ前に飛び出すな。邪魔だ」
「んだと! そもそもテメエが馬鹿みたいに熱ぶちまけるから、こちとら太刀の筈が脇差しサイズなんだぞ!」
「こちらこそ、貴様のせいで溶岩の凝固スピードが想定より速い。抑えろ」
にわかにギャイギャイと言い合い始めた二人に、リリーは思わず天を仰ぎ、そして目頭を押さえた。
その様子に唖然としたオレアは、恐る恐るリリーに問いかける。
「もしかして二人、いつもこんな感じなんですか?」
「四天王みんな我が強いからね。特にあの二人の相性は悪いんだけど」
だが二人が仲違いするのを、亞人器官の二人が悠長に見守るはずがない。
前に飛び出したヒヒダルマへ狙いをつけると、二体が集中してヒヒダルマを襲う。
「アクジキング、ひひ、ヒートスタンプっ」「だったらこっちは近付くだけ危ないか。『ヘドロばくだん』で牽制射」
まず真っ先にアクジキングが前に出ると、その超巨体を生かして上から突貫。炎を纏ってヒヒダルマを押し潰そうと、上空から勢いをつけて落下。
ヒヒダルマでなくとも脅威と感じる一撃。しかし後ろに下がろうとも、アーゴヨンの放つ『ヘドロばくだん』を避け続ければ、やがて自身の後方にいるリリーやオレアに当たってしまう。
「ッチ、姑息な真似しやがるぜっ」
「だるぁ!」
フキは素早く懐からナイフを取り出すと、アーゴヨンの針目掛けて投擲。僅かに発射角度をずらすと、その隙間を縫うようにヒヒダルマは危険地帯を脱出する。
「ま、逃すはずもないんだけどね」
しかしアーゴヨンは怯まず両の鍵爪に毒を纏わせると、素早くヒヒダルマへ追撃の『クロスポイズン』。咄嗟にエーデルワイスが炎を溜めるが、その横を駆ける一陣の風。
フキは髪を後ろに逆巻かせ、真っ直ぐに突貫。高い金属音を響かせ、アーゴヨンの爪をナイフで弾いた。
ギィン、と耳を擘く叫びと共に、火花と汗が光を放つ。
ナイフはひしゃげ弾き飛ぶが、一瞬崩れたアーゴヨンの隙を見逃さず、ヒヒダルマも追って懐へ飛び込んだ。
「つららおとしっ!」
フキは吠えるように叫ぶと、ヒヒダルマは拳に冷気を集め、拳を固く、相手の臓腑に沈ませる。
「モンローさんっ!」
「おうとも、『サイドチェンジ』!」
線の細いマンディブラが悲鳴のような声をあげると、対照的に落ち着いた様子のM・Mがアクジキングとアーゴヨンの位置を入れ替えた。
直後、追い討ちを入れようとしていた日火だるまの前に立ちはだかったのは、巨大な黒い肉の壁。
大口を開けて今まさにヒヒダルマを噛み砕こうとしていたが、二体を巻き込むように遠方から炎の波が襲いくる。
間一髪、ヒヒダルマが身を翻して後ろに下がるが、チリチリと体毛の表面が焦げていた。
「ったく危ねえなぁオイ!」
「貴様こそトレーナーが最前線に出るとは何事だ!」
同じく後方に跳んだフキはエーデルワイスに食ってかかるが、対する医者は至極真っ当に語気を荒げる。
ポケモンと人間の力の差は歴然。だからこそ最前線に飛び出すその姿は、狂気か自殺志願者にしか思えない。
「たまたま『やきつくす』が分断する形になかったから良かったものを。貴様もアレに飲み込まれていたかもしれんのだぞ」
「はっ、そんときゃそこまでの命よ。それよりどうする。相手の連携、スゲー面倒だぜ」
フキは暑さに耐えかねるようにスーツの上着を脱ぎ捨てると、Yシャツの第二ボタンまでを引きちぎる。
額をてらてらと照らす滝のような汗を乱雑に手で払い、髪を後ろに掻き上げた。
「連携? 貴様と私が即興で取れると思うか?」
「同感だね。アタシらは精々いいとこ役割分担が関の山だろうさ。でも、アタシが攻め手だ。テメエじゃ建物燃やすのもビビるんだろ?」
「ふ、貴様が燃えないよう、精々注力することだな」
フキが一歩前に踏み出し、エーデルワイスが一歩下がる。たったそれだけの動きだが、先ほどとは打って変わって、隙が無いように見えた。
「リリー、オレア。一つ頼めるか」
フキは油断なく亞人器官の男達から視線を外さず、軽く二言三言、後ろに居る守るべきもの達へ言葉を伝える。
それに対してオレアは驚き、リリーは苦々しい表情を浮かべるが、両者は最後には首を縦に振った。
「さぁ行け! お前らが頼みの綱だからよ!」
フキはそう叫ぶと拳を掌に強く打ち付ける。それと同時、後ろに二人は一直線にこの場を後に、駆け出した。
「おいおい、そう易々と逃しちゃ堪りませんよっ」
何をしでかそうとしているかは分からないが、決して亞人器官 達の益にならないのは確か。アーゴヨンが逃げ道に回り込もうとするが、その瞬間、行く手を阻んだのは、巨大な炎の壁。
「そう易々と通れると思うな、愚か者」
エーデルワイスは、視線を鋭く睨 め付けた。
時刻は正午少し前。戦場は、まだまだ熱を上げていく。
周囲は一条の光さえ差さない真っ暗な闇。ドクン、ドクン、と定期的な低い律動が聞こえる以外、ぬるま湯に潰されるような安寧の泥の中。
数秒か、数分か、それとも数時間か。意図も容易く奪われた時間感覚は、急な重力によって再び取り戻される。
「なに、ここ……」
「口ん中がどうしてこうなってんだ? 訳わかんなくて頭パンクしそうだぜ」
そこは、黒ずんだ肌色のヒダで作られた、仄暗いトンネル。等間隔に肉の壁からは燭台が生え、仄かに心もとない明かりを灯す。
そして果ての見えない、遠くに行くほど暗くなっていく横穴。そこには額縁に飾られた多数の絵画が、イーゼルという画家が絵を描くさいに立てかける木の台に無愛想に置かれていた。
彼女らは身長に歩みを進めながら、その絵をチラリと横目でみやる。
それは各地の風景画――例えばカントーにある『世界のはじまりの樹』や、機械仕掛けの『アゾット王国仰望図』、『冠を頂く雪原』など、各地の光景がバロック調に明瞭な陰影を伴って描かれていた。
光さす街や光景を描いたはずなのに、黒い影が幾重にも折り重なった、重厚な立体感を持ってキャンパスから飛び出てきそうな雰囲気を纏っている。
「はみみ! はみ!」
「あ? どうしたんだそんなに跳ね散らかして」
ユキハミがモゾモゾとフキの腕から這い出りると、雪原が描かれた絵画の前でひょこひょこと体を跳ねさせる。
フキはその姿に頭を捻るが、リリーの方が先にピンと来たのか、その絵の地面の部分を指差した。
「ハミちゃん、もしかしてここが故郷なんじゃないかな。ほら、小ちゃくだけど絵に群れが描かれてるよ」
「はみっ!」
「なるほど。この白餅はここに返してくればいいのか」
「はみっ!?」
「ったく、ここが敵地ってこと忘れてんじゃねえかコイツ。本当に故郷に送り込んでやろうかって……」
彼女はそう言いながら、ブニブニと生暖かい床に落ちたユキハミを拾おうとした、そのとき。
薄暗い美術館の絵画の裏、ひょろ長い体を精一杯小さく丸めた青年と、フキはばっちり目が合った。
「ッシィッ」
「な、なんで、僕ばっ、ばっかり!」
フキは素早く意識を切り替えると、瞳を鋭く細めて懐からナイフを取り出し振りかぶる。迷わず首の少し横、薄皮の奥を抉る一刺し。
「フキちゃん!」
そのままだったら致命の一撃だっただろう。しかしそれを静止したのは、後ろに控えるリリーの一声。
金切り声にも近いその声に、僅かながら逸らされる刃。その軌道は青年の薄皮一枚を割いて真っ直ぐ地面へと吸い込まれた。ドム、と地面に刺されば、黄色く澱んだ膿が噴き出す。
その隙に青年は、腰を抜かしながらも脱兎の如く逃げ出した。
「……おい、リリー」
「フキちゃん、いきなり動いたらハミちゃん、落っこちちゃうよ」
リリーが上を差しながらそう言うと、フキの急な動きについて来られなかったユキハミが、ゆっくりと地面へ向かって落下していた。
その姿を見た主人は、押し黙ったままサッとユキハミの腹に手を回すと掬い上げる。
しかしその後、二人はそのまま一言も発さない。無邪気なモチ虫までもが、いつもとは違うピリピリとした空気を感じ取って。オロオロと両者を交互に見ている。
両者ともに何も喋り出さないまま、地面を見つめただ淡々と暗い洞窟を進んでいた。
そのまま歩くこと暫し、フキはピクリと顔を上げると、出し抜けにリリーを小脇に担いで走り出す。
「にゃっ!?」
「クソ忌々しい焼け付いた匂いが突然し始めた、それに風もだ。つまり今、ここはどっかと繋がってるってこった!」
「私そんな匂いも風も全然感じないんだけど!?」
「生憎アタシのリーグでの呼び名は『狂犬』でな!」
「いやそう言う意味じゃないと思うけど!」
右手でリリーとユキハミをまとめて抱えると、真っ直ぐ匂いの元まで進んでいく。
するとすぐに見えてきたのは、薄暗い肉の洞窟にポッカリと開けられた光差す出口。徐々に収縮していくそこに、フキは迷わず身を投げた。
そして二人と一匹を迎え入れるのは、暗闇に慣れきっていたが故の、真っ白な太陽の世界。次いであまりの眩しさに思わず瞳を閉じた一瞬、その一瞬で、肌を焦がすような熱波が二人を襲った。
そんな中フキは薄く目を開けると、そこはどこかオリエンタルな空気を纏った、瓦屋根と木造建築が居並ぶ市街の直上10m。
体を捻らせるとどうにか建物の屋根へと手を伸ばし、二階部分からぶら下がった。
「ったくどこに出たんだ? ま、こんなクソ暑い熱波巻き散らかしてるやつは一人しか心当たりがねえけど」
「み……」
熱で今にも溶けて無くなりそうなユキハミを尻目に、フキは周囲を見回してこうなっている原因を探す。だが難しいことはない、視線を下に向ければ、苛立たしげな表情のエーデルワイスがいるのだから。
「氷の! なぜ貴様はあの化け物の口から出てきた!」
「今は細かいことは言いっこなしだ! とりあえずあの口からは何でも出てくるってことだけ覚えておけ!」
そこは、熱に犯されたウラウラ島。地面が溶けているにも関わらず、未だ建物に火が回っていないのはその才能のなせる技か。
激しく動き回るアーゴヨン相手に、周囲の家屋へ配慮しながらもオレアを守る。バクーダの炎の出力を絞りながらの攻防は、常に紙一重だった。
「で、そっちの現状は?」
「有事でなければマスクをつけろと言いたい所だが……まあいい。先程貴様が吐き出された黒い生物が増えてから相手は様子見をしている。紫の生物は動きが素早いぞ」
「りょーかい。あっちの黒いのは動きはトロいが図体がデカいのと、さっき言った通り、何吐き出してくるか分かんねえ」
「貴様の言う“動きが遅い”は毛程も信用できないがな」
フキはそのまま軽やかに、和風な建物の僅かな突起に足を掛けつつ地面へ降り、エーデルワイスの隣に並び立つ。
彼が先程まで庇っていたオレアの方をチラリと見ると、軽く頭をポンポンと叩き、その隣に小さな委員長を降ろす。
「相手も二人、こっちも二人。チビとガキを背負っちゃいるが、ハンデにはちょうど良いか」
「おいおい、四天王二人はちょーっとばかしおじさん達には重いんだけどなぁ。見逃してくれたり、しない?」
アーゴヨンの主人、ボサボサ頭の
彼女はヒヒダルマを繰り出すと、後方の二人を守るように一歩、前へ踏み出した。
「おい、そこのヒョロガリ。名前は」
「ええっと、ぼ、ぼくは」
「こいつの名前はマンディブラだ。覚えておいてくれよ」
「そ、そう。ぼくはマンディブラ、うん、これが名前」
青年は何度も確認するように頷くと、M・Mに隠れるように後ろに下がる。
「そうか。テメエらがくたばるまでは覚えといてやるよ」
ぐつぐつと、バクーダの溶岩が煮えたぎる。フキは獰猛に口角を吊り上げ、エーデルワイスはゴム手袋の端を強く引っ張る。
ガラリ、と壊れた建物の瓦が落ちるのが、開戦の合図だった。
「んじゃアーゴヨン、『とどめばり』」
アーゴヨンは先程エーデルワイスが見たときよりも素早く、フキ達の後方、守るべき一般人へと襲いかかる。
しかしその直後、グルリと首を後ろに向けたフキに捕捉され、直後ヒヒダルマの『つららおとし』で作られた脇差しによって弾かれた。
「おいおい、この速度を初見で反応されちゃうと、おじさん泣きそうなんだけど?」
「はっ、アタシでもそうするからな」
「四天王サマがしていい発言じゃねえな、そりゃ」
そう会話を交わす間にも、幾条もの剣閃が両者の間で交わされる。防戦ながらもアーゴヨンに一撃を見舞おうとしているヒヒダルマだが、しかしこれはダブルバトル。
アクジキングが空中遠方で口を開けると、吐き出したのは一条の暗い光線。腹部の口と伸びた一対の触口、三箇所から放たれた『あくのはどう』に、ヒヒダルマはその場から飛び退るのを余儀なくされる。
その隙にアーゴヨンは一時撤退。しかし、その隙を見逃す四天王達ではない。
「追い縋れヒヒダルマ!」「バクーダ、『だいちのちから』で拘束しろ」
素早く追撃を入れようとしたヒヒダルマだが、地面から迫り上がった溶岩によって急ブレーキ。一方のバクーダは仲間に当てないよう勢いを抑えたため、素早い紫の蜂を捉えきれない。
「おい医者ァ! どこに目ん玉つけてんだテメェ!」
「氷の、貴様こそ前に飛び出すな。邪魔だ」
「んだと! そもそもテメエが馬鹿みたいに熱ぶちまけるから、こちとら太刀の筈が脇差しサイズなんだぞ!」
「こちらこそ、貴様のせいで溶岩の凝固スピードが想定より速い。抑えろ」
にわかにギャイギャイと言い合い始めた二人に、リリーは思わず天を仰ぎ、そして目頭を押さえた。
その様子に唖然としたオレアは、恐る恐るリリーに問いかける。
「もしかして二人、いつもこんな感じなんですか?」
「四天王みんな我が強いからね。特にあの二人の相性は悪いんだけど」
だが二人が仲違いするのを、亞人器官の二人が悠長に見守るはずがない。
前に飛び出したヒヒダルマへ狙いをつけると、二体が集中してヒヒダルマを襲う。
「アクジキング、ひひ、ヒートスタンプっ」「だったらこっちは近付くだけ危ないか。『ヘドロばくだん』で牽制射」
まず真っ先にアクジキングが前に出ると、その超巨体を生かして上から突貫。炎を纏ってヒヒダルマを押し潰そうと、上空から勢いをつけて落下。
ヒヒダルマでなくとも脅威と感じる一撃。しかし後ろに下がろうとも、アーゴヨンの放つ『ヘドロばくだん』を避け続ければ、やがて自身の後方にいるリリーやオレアに当たってしまう。
「ッチ、姑息な真似しやがるぜっ」
「だるぁ!」
フキは素早く懐からナイフを取り出すと、アーゴヨンの針目掛けて投擲。僅かに発射角度をずらすと、その隙間を縫うようにヒヒダルマは危険地帯を脱出する。
「ま、逃すはずもないんだけどね」
しかしアーゴヨンは怯まず両の鍵爪に毒を纏わせると、素早くヒヒダルマへ追撃の『クロスポイズン』。咄嗟にエーデルワイスが炎を溜めるが、その横を駆ける一陣の風。
フキは髪を後ろに逆巻かせ、真っ直ぐに突貫。高い金属音を響かせ、アーゴヨンの爪をナイフで弾いた。
ギィン、と耳を擘く叫びと共に、火花と汗が光を放つ。
ナイフはひしゃげ弾き飛ぶが、一瞬崩れたアーゴヨンの隙を見逃さず、ヒヒダルマも追って懐へ飛び込んだ。
「つららおとしっ!」
フキは吠えるように叫ぶと、ヒヒダルマは拳に冷気を集め、拳を固く、相手の臓腑に沈ませる。
「モンローさんっ!」
「おうとも、『サイドチェンジ』!」
線の細いマンディブラが悲鳴のような声をあげると、対照的に落ち着いた様子のM・Mがアクジキングとアーゴヨンの位置を入れ替えた。
直後、追い討ちを入れようとしていた日火だるまの前に立ちはだかったのは、巨大な黒い肉の壁。
大口を開けて今まさにヒヒダルマを噛み砕こうとしていたが、二体を巻き込むように遠方から炎の波が襲いくる。
間一髪、ヒヒダルマが身を翻して後ろに下がるが、チリチリと体毛の表面が焦げていた。
「ったく危ねえなぁオイ!」
「貴様こそトレーナーが最前線に出るとは何事だ!」
同じく後方に跳んだフキはエーデルワイスに食ってかかるが、対する医者は至極真っ当に語気を荒げる。
ポケモンと人間の力の差は歴然。だからこそ最前線に飛び出すその姿は、狂気か自殺志願者にしか思えない。
「たまたま『やきつくす』が分断する形になかったから良かったものを。貴様もアレに飲み込まれていたかもしれんのだぞ」
「はっ、そんときゃそこまでの命よ。それよりどうする。相手の連携、スゲー面倒だぜ」
フキは暑さに耐えかねるようにスーツの上着を脱ぎ捨てると、Yシャツの第二ボタンまでを引きちぎる。
額をてらてらと照らす滝のような汗を乱雑に手で払い、髪を後ろに掻き上げた。
「連携? 貴様と私が即興で取れると思うか?」
「同感だね。アタシらは精々いいとこ役割分担が関の山だろうさ。でも、アタシが攻め手だ。テメエじゃ建物燃やすのもビビるんだろ?」
「ふ、貴様が燃えないよう、精々注力することだな」
フキが一歩前に踏み出し、エーデルワイスが一歩下がる。たったそれだけの動きだが、先ほどとは打って変わって、隙が無いように見えた。
「リリー、オレア。一つ頼めるか」
フキは油断なく亞人器官の男達から視線を外さず、軽く二言三言、後ろに居る守るべきもの達へ言葉を伝える。
それに対してオレアは驚き、リリーは苦々しい表情を浮かべるが、両者は最後には首を縦に振った。
「さぁ行け! お前らが頼みの綱だからよ!」
フキはそう叫ぶと拳を掌に強く打ち付ける。それと同時、後ろに二人は一直線にこの場を後に、駆け出した。
「おいおい、そう易々と逃しちゃ堪りませんよっ」
何をしでかそうとしているかは分からないが、決して
「そう易々と通れると思うな、愚か者」
エーデルワイスは、視線を鋭く
時刻は正午少し前。戦場は、まだまだ熱を上げていく。