Film2-1 廃部になりそうさぁ大変

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読了時間目安:40分
「マドカ、マドカ! 起きろってば!」

 マメパト達のさえずりが聞こえてくる朝。タチワキ住宅街の中にある一軒家から、爽やかな朝には不釣り合いな切羽詰まった悲鳴が上がっている。
 寝癖まみれのだいばくはつ頭のライムVS夢の中のマドカで、仁義なき戦いが繰り広げられていた。ライムはベッドで寝息を立てているマドカを揺さぶったり、彼女が抱いている枕を引っ張ったりしている。だらりと襟元に引っかかっている制服のスカーフが、ライムの不慣れさや不器用さをこれでもか、というくらいに表している。
 目覚まし時計を大音量で鳴らしても、布団をひっぺはがしても、マドカは気に留めずに枕によだれなんかも垂らしていた。身体はライムになっても、こういうところは変わらない。

《……えへへ、もう食べられないよぉ……》
「オレ、人間の髪の毛のセットの仕方とかわかんねぇんだよ! 分からないこと聞かれたら答えるって約束どこ行ったんだよ!」

 いつも朝は食パンを加えて家を飛び出すのがデフォルトのマドカだが、今という今はそれでは困る。ライムもまた、マドカの姿になっても性格やしっかり者気質はそのままだ。

(この調子だとまた遅刻ギリギリだ……。あっ!)

 思い立ったように、ライムはマドカ愛用のくしを手に取ると部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。この時間であれば、マイヤが朝ご飯を作っている途中か、もう作り終えて一息ついている頃だろう。
 その予感は見事的中。ガラスの窓がついたドア越しからは、ソファに座りながら朝のニュースを眺めているマイヤの姿があった。食卓の上には、マドカの分の朝ご飯が丁寧に並んでいる。トースト、目玉焼き、サラダ、スープに加え、木の実をちらしたヨーグルトまで。少しでもオシャレな食卓にしようという、マイヤのこだわりが垣間見えた。

「ま、ママ……」

 ドアを開いたライムは、恐々言いなれない言葉を発する。胸の奥いっぱいに、ぞわぞわしたようなものが広がっていくのが分かった。

「どうしたの、マドカ。珍しく早起きじゃない」
「あ、あの……その……髪の毛、結んでほしくて」
「あら、いつもは1分以内でセットできるのに、どうしたの?」

 うげっ、マズったか? 言い訳を考える事を放棄してでも、逃げ出したい__ライムの中にそんな気持ちが湧き上がった。だが、今の自分はマドカ。違和感のないように何か理由をつけなくては。

「ちょ、ちょっと今日寝癖がひどくて、うまく結べないの。頭のケガも、まだ怖いし……」

 自分で言うのもナンだけど、なかなかいい口実じゃねーか? ライムは言い切った後、密かに達成感を感じた。マイヤのことを騙すような形になるのは少し心苦しいが、実際に寝癖もひどいし下手に患部を刺激するのも怖い。

「いいわよ。そこに座って。くしは持ってる?」

 そのマイヤの柔らかい微笑みは、窓からこぼれる朝陽に照らされている。まるでいつか見た、教会の女神様の絵みたいだと、ライムは思わず見とれていた。

「あ、うん」

 ライムはマイヤにくしを手渡すと、食卓のイスにちょこんと座る。くしを受け取ったマイヤは、ライムの後ろに回り込むと、長い髪を丁寧にとかし始めた。
 毎日の毛づくろいなら朝と夜にマドカもやってくれるが、人間として髪の毛をとかしてもらうのは少し変な感じだ。だが、マイヤの手つきはとても手慣れたもので、寝癖もあっという間に整えられていく。

「こうしてマドカの髪を結ぶの、小学校の何年生ぶりかしら」

 マイヤも愛娘の髪の毛を結んであげる、ということをしたのが久しぶりだったのか、どことなく嬉しそうだった。

(お母さんって、こんな感じなんだな)

 今から5年前に母を亡くしたライムにとっては、マイヤがしてくれる様々なことが新鮮だった。忘れかけていた“母の愛”とでも言うべき、特別な感情。ライムは間違いなく、人間の生活という側面を取っ払っても、今までにない経験をしている。
 病室でのマイヤ号泣事件でもそうだったが、お母さんってあったかくてフワフワしているんだな__そんなことを頭の片隅で考えていると、髪の毛のセットは終わっていた。
 いつものマドカと同じ、トレードマークの『ナナのみ』頭。改めてライムは、今の自分はマドカであることを自覚させられる。

「さぁ、できたわよ……あらっ、タイも結んでないじゃない」

 髪の毛のセットだけでなく、セーラー服のタイまで結んでくれるマイヤ。至れり尽くせりのライムは、自然と言葉が出ていた。

「あ、ありがとう、ママ」
「どういたしまして。今日のマドカはずいぶん甘えん坊なのね」

 入れ替わっているから仕方ないとはいえ、今の自分はそう見えていたのか。ライムは自分の顔が、耳の方までポッとねっぷうをかけられたかのように熱くなるのが分かった。



★ ★ ★



 港町特有の潮風と朝陽のアンサンブルが、とても心地よく感じられる。タチワキは湿気が多い町だが、朝の空気はスッキリ爽やかだ。
 スクールバッグがライムの肩にかけられ、ローファーがアスファルトの上でリズムを刻んでいる。バッグをかけている方とは反対側の肩の上には、マドカが固定されていた。いくら小柄なポケモンでも、肩の上に生きものが乗っているのはなかなか身体に負担がかかるようで。

「おっも」
《ライムだって、いつもあたしの頭とか肩に乗ってるんだよ?》
「あのなぁ、オレは“てーけつあつ”なんだよ。朝はもっと余裕持って登校したいのに、お前いっつもギリギリだから……」
《だって朝は昔から苦手なんだもん》

 あたしだって、できることなら朝が得意になりたいのに__マドカは風船のように、頬を膨らませる。
 似たような売り言葉と買い言葉のやりとりを繰り返しながら、アキヨとの待ち合わせ場所・ポケモンセンター前にたどり着く。アキヨと、彼女の肩の上にいるオウリンはマドカ達に気付くと、ぶんぶんと大きく手を振った。

「マドカちゃん、ライムちゃん、おはよぉ!」
「おはよ、アキヨ、リン」
《2人とも、身体の具合はどう?》
《もうバッチリ! お騒がせしました!》

 ぶい、と元気よくVサインを掲げるマドカ。もう少し小さい頃ならオレもそんなことしてただろうけど、今じゃ恥ずかしくてできやしないや。マドカそのもの、な仕草をする自分の姿が恥ずかしくなり、ライムは反射的に目を反らした。

《そうだ、リンちゃん。あたし達がいない間、学園祭の脚本届いた?》
《それがまだなんだ。ずっとシアフェスの練習しかしてないよ》

 お兄ちゃんどうしたのかなぁ、とマドカがぼやく。
 プレイヤ学園のすぐそばに隣接しているポケウッドで年に1回、夏休みに行われるシアフェスこと『シアターフェスティバル』。順位がつく大会ではないが、ウエストイッシュ(イッシュ地方の西側のことをこう呼ぶ)の中学校が集合する、それなりに大きな祭りだ。
 去年の夏休み前には、「これが学園祭の脚本だ」と言われてコウジから分厚い紙の束を渡されていた。そのため、シアフェスと学園祭の練習を同時進行でやるというホットな夏になるハズだったのだが。

「マドカちゃん……じゃなかった、ライムちゃん。初めて人間として学校に行くの、緊張する?」
「緊張が吹っ飛んじまったよ。髪の毛セットできなくて」
「あはは。確かにマドカちゃんのナナのみ頭、綺麗に整えるの大変だもんねぇ」

 くすくす、と口元に手を当てながら上品に笑うアキヨ。その姿は入れ替わる前、ひいては事故に遭う前から変わらない。オウリンだってそうだ。マドカと会話をするのは初めてのハズなのに、アッサリと順応している。
 入れ替わった直後は何かとバタバタしていたから、ライムも見落としていたが。この幼なじみコンビ、特に変わりなく自分達に接してくれている。 

「……って、今更だけど、アキヨもリンも信じてるのか? オレとマドカの入れ替わり」
《何言ってるの、ライムっち。ぼくもアキヨちんも、2人の言うことは絶対信じるよ》
「マドカちゃんもライムちゃんも、特別な友達だもん。私とリンちゃんでよかったら、何でも力になるよ」

 あぁ、そうだ。アキヨもリンもそういうヤツだよな。
 無条件で助けてくれる親友の存在が、何て心強いことか。マドカとライムは、彼女らのありがたみを強く実感していた。



★ ★ ★



 久しぶりの学校ではあるが、気持ちは新天地。それが凸凹コンビの共通認識だった。いよいよ自分達は、お互いを“演じる”生活に足を踏み入れなくてはいけない。意を決して、ライムは部室の引き戸をおそるおそる引いた。
 よかった。何も変わっていない、自分達が知ってる部室のままだ。ユタカの作曲スペースも、アキヨが作った衣装がかけられたハンガーラックも、いつから置いてあるのか分からない段ボールも、何もかもあの事故の前のままだ。

「お、おはようございまーす……」
「おっ、来た来た」

 真っ先にマドカ達の気配に気づいたのは、部長のイブキ。振り返った時に広がった栗色の長い髪からは、ハチミツ仕立てのシャンプーの香りがした。

「おっはよう、マドカ、ライム! いやぁほんと戻ってきてくれてよかったよ~っ!」

 イブキは順番に、マドカとライムの頭を撫で繰り回している。よーしよしよし、と頬ずりまでしてしまうその姿は、どこぞのポケモンだいすきクラブ会長のようだ。
 これがイブキの本性だ。とにかく過激なスキンシップと愛情表現を好む。対象は人であろうがポケモンであろうが、関係ないのが彼女のスゴいところだ。1年前に入部した時も、「待ってたよ新入部員!」と突然のハグをかまされたっけ。

「もうねぇ、この2日間みんな意気消沈してたんだよ! マドカ達がいないよ、どうしようって!」
「あ、はい……。副部長から少し聞きました」
「と・く・に! サヤカちゃんは「マドカせんぱーい、ライムくーん」って2時間に1回は泣いていたと思うよ」
「アケビ先輩だって、ずーっと悶々とした顔でバラ作ってたじゃないですか!」

 アケビが造花のバラを撫でながら補足する。その傍らでは、サヤカが風船みたいに顔を丸く膨らませながら、地団駄を踏んでいた。キザなアケビと熱いサヤカのコンビは正反対に見えて、掛け合いがコメディみたいで面白い。部員達は「またやってる」と思いながらも、2人のことが微笑ましかった。
 それにしても、アケビはなんでいつもバラを持ってるんだろう__ライムは元の身体の時から、密かにそう思っていた。

《ライムさんも完全復帰ですね。身体の具合も大丈夫そうで何よりです》
《いやぁ、みんなお騒がせしました。でも、もうこの通り大丈夫!》

 ちょうど同時進行で、パートナーポケモン達もライム(の姿をしたマドカ)を囲んでいた。ビーナスが胸をなで下ろしている姿は、心の底から心配していたことが伝わってくる。家に来た時はちょっとミステリアスに見えたけど、やっぱりミノリちゃんのポケモンなんだなぁ。マドカはビーナスに、ミノリの影を重ね合わせていた。
 それにしても、いつもは聞こえるハズのなかったポケモン達の言葉が、大きくなった耳にどんどん入ってくる。マドカはマドカで、いつも顔を合わせているパートナーポケモン達が喋っているのが、ちょっと不思議な感じがした。

《本当によく生き延びただぁよ。トラブルに巻き込まれてばっかりのライムだけど、それだけでもすごいラッキーだったんじゃねぇがぁ?》

 訛りの強い口調でうんうんとうなずくのは、エルフーンの男の子・ギン。ライムから事前に、ポケモン達のリーダーだと聞いている。その言葉に違わず、他のポケモン達と比べても、とりわけ年上の貫禄を感じる。
 いつもは自分よりも小さなポケモンを相手にしていることが多かったマドカだが、今はほとんどのポケモンが自分よりも大きな身体をしている。実際、ギンのこともちょっと見上げながら視線を合わせているくらいだ。

《そ、そうかも、しれませんねぇ》
《ライムくんの痛みは部のポケモン達の痛み。そしてみんなの痛みは私の痛み! もしまたおケガをするようなことがあったら、私がみがわりにでもなって__》
《うわーっ! いいよいいよ、ソルダム!》

 突拍子もないことを言い出すのは、イエッサンの女の子・ソルダムだ。イエッサンの性質の通り“尽くす系”の子であることには間違いないのだが、ちょっと自己犠牲精神が強いというか、行き過ぎというか。マドカはどうどうと、ソルダムの暴走モードにブレーキをかけようとする。
 ようやくソルダムが「ふぅ、熱くなっちゃった」と落ち着いた頃、ひんやりとした空気がマドカの背中を伝う。慣れない感覚に、マドカは思わず身震いした。

《ごめん、驚いたか?》
《あ、えーと……カガミ先輩》

 エーフィのカガミだ。そういえば、カガミくんは何か知ってるかもしれないんだっけ。ライムの言葉が自然と結びつくように思い出される。何か話を切り出そうかとマドカが「あの」と言いかける前に、カガミは先手を取る。

《ソルダムはちょっと暴走しがちなんだ。驚くのも無理ないよな》
《そうなんだー、じゃなくって、そうですよね。あははははは……》

 いけないいけない。話している途中で『マドカ』が出かかった。
 まだカガミくんが全部知っているって決まったワケじゃないのに、緊張しちゃうな。会話を軌道修正しながらも、マドカは内心でハラハラしていた。
 それはライムも同じであり、ポケモン達の会話が耳に入ってくるものだから、気が気ではいられない。とはいえ、カガミがこれ以上カマをかけてくることもなさそうだし、この場は何とか乗り切った。
 そう思ったのも束の間だった。

「……感じる」

 ぬーっ、という効果音をつけながら、白い顔の男がマドカとライムに近づいてくる。マドカの先輩でカガミのパートナーでもある、霊感少年のハクロだ。

「「え?」」
「マドカ氏。そしてそのパートナーのライム氏。キミ達のスピリッツが変動を起こしているのを感じる……」

 ギクリ。
 マドカとライムの中に、ハクロの言葉が刃のように刺さる。もしかして、もしかしなくても、やっぱり気付かれてる?

「な、何のことっスか? ハクロ先輩」

 ライムはとぼけて見せるが、挙動不審になっているのは間違いない。
 じりじりと迫ってくるハクロに、ライムは反射的に後ずさりする。ヤバイめっちゃ見てる。めっちゃオレのこと見てる。暗い色の瞳に、全部見透かされているような気がしてきた__。

「ズバリ! キミ達は夏休みを前に、気持ちが高ぶっているね?」

 あまりにも拍子抜けなことを言われ、凸凹コンビは「え?」と間の抜けた声でユニゾンする。

「夏休みは確かに楽しみだ。部活に打ち込めるし、遊ぶこともできる。だがしかし、終業式はラグナロクでもある。ボクらの今期の行動が記された、黙示録が配布されるからだ! 黙示録の内容次第で、今年の夏は天国を見るか地獄に落ちるか。それが問題だ!」
《らぐな、ろく……? もくしろくって、なんのこと?》
「……たぶんだけど、通知表のことじゃね?」

 頭の中にはてなマークを浮かべているマドカに、ライムがこっそり耳打ちする。とはいえ、ライム自身もハクロ語録が何なのかよく分からないけど、文脈とフィーリングからそんな感じだけはする。

「ほどほどにしとけよ、ハクロ。マドカもライムも病み上がりのハーモニーが鳴り止んでないんだから」

 作曲係のユタカが、椅子に座ったままハクロを諫める。こうした気配りや面倒見の良さがナチュラルに表れるのは、さすがはサヤカのお兄ちゃんといったところか。ようやくハクロにブレーキがかかったところで、パンとイブキが手を叩く音が部室中に響き渡った。

「それじゃ、みんな。練習始めるよ」

 ゆるっとしていた部室の空気が、一気に練習モードへと切り替わる。イブキの号令に合わせて、人間の部員もパートナーポケモン達も、ぞろぞろと各々の持ち場へとばらけていった。
 オレはこれから何すればいいんだろう。だいたいポケモンと人間の基礎練習は別でやってるけど__立ち往生しているライムに、おずおずと声をかける少女がいた。

「ま、マドカさん……」

 副部長のミノリだった。普段は垂らしている長い髪は、部活中はポニーテールにまとめられている。ちょっと髪型を変えただけで、かなり印象が変わって見えるものだ。
 ミノリはやっとの思いで、マドカ(inライム)に声をかけることができたように見える。見舞いに来てくれるなど、気配りができて優しい性格をしているハズなのだが、どうもこのミノリはマドカに対してよそよそしい。マドカからも事前に、「ミノリちゃんはちょっと話しづらい」って言われていたっけ。

「今日のポケモン係、一緒だから、その……。よろしくお願いします」



★ ★ ★



《ポケモンフーズの新作、もう食べたがぁ?》
《えっ、ボクちゃんはまだなのだ。サヤカお姉ちゃん、おこずかいピンチだからって買ってくれないのだ》
《だったら食べた方がいいだぁよ。やめられない止まらないべ、マジで》
《さすがグルメなギン。食べ物の情報チェックするの早いな》

 グラウンドの一角では、男子ポケモンのグループが食べ物のことについて話している。ギンがポケモン達の中ではかなりグルメだとか、サヤカのお小遣い事情が明らかになっていたりとか、今までマドカが知らなかったことが赤裸々に話されていた。
 一方、少し離れたところでは、ソルダムとビーナスがガールズトークを繰り広げていた。作曲係のユタカのパートナーにあたるメタモン・チェリーも一緒に話に混じっている。

《昨日のテレビに、ナツメさんのフーディンが出てましたよね!》
《あのスリム体型憧れるよね。私、ぽっちゃりしてるから》
《でも、イエッサンの平均体型ってそんぐらいでしょぉ?》
《そうだけど……最近お肉ついてきちゃった気がするの。アケビが「体力つけて」って、ご飯の量増やしてるのもあって……》

 いやいやいやいや、ポケモンフーズにハヤりってあるの? ポケモンの女の子達の間では、フーディン体型が人間でいうモデル体型なの? だいたい、チェリーちゃんってあんなおネェみたいな口調なの? そもそもポケモン達の会話って、もっとこう、メルヘンなものを想像してたけど、人間のそれとあんまり変わらないんじゃあ__ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコんでいいのか分からない。
 これがポケモン社会なんだ。この僅か数分間で、マドカは見てはいけないものを見た気分になった。

《マドっち、どしたの? マドっちが練習中に疲れた顔するなんて、珍しいね》
《ううん、違うの。心の中のツッコミに疲れちゃっただけなの……》

 かくして、ポケモン達もいち部員として練習に取り組まなければいけない。
 今日のポケモン係は、偶然にもマドカ(ライム)に割り振られていた。初日にライムと一緒に練習できるのは、マドカとしても心強い。2年生2人がパン、と手をたたいたところで、ポケモン達は彼女らに向き直る。

「はいみんな、今日はまずはアクションの練習をします。アクションがニガテな子達が多いから、ちょっとでも上手くなれるようにしようね」

 アクションの練習は、人間でいう体育の授業と少しだけ似ている。高いところから飛び降りて受け身を取る練習をしたり、キレイなフォームを保ったまま技を繰り出したり。時にはポケモンバトルの時間まで設けられることもある。
 今日は各々の得意分野を生かしながら、お題に沿って動きを取る、といった練習メニューを組んでいる。マドカはエチュードの進化系かな、と解釈した。
 普段はおどおどしているミノリだが、部活スイッチが入れば他のメンバーと同じように、真摯に練習に取り組む。

「そうそう、ソルダムちゃん上手。サイコパワーを増幅させることで、足の遅さをカバーしてるんですね。チェリーちゃんも、相手の動きをマネしながら自分のものにできています。でも、もう少しオリジナリティがあってもいいかも」

 ミノリのすごいところは、ビーナス以外のポケモン達の得意分野もしっかり把握しているところだ。いいところはしっかりと褒め、改善の余地があるところを明確にする。それでいて、言葉選びもキツすぎず甘すぎない。
 パートナーポケモン達の間でも、ミノリの指示は的確と評判だ。ミノリがポケモン係の日は、アタリの日と言われているくらい。

(やっぱミノリちゃんすごいなぁ。ポケモン達のいいところも悪いところもよく見てる)

 マドカはそんなミノリに、密かに憧れのような感情を抱いていた。自分がポケモン係に当たった時、ここまでポケモンのためになるような練習を組める自信はない。ライムも「オレの出る幕ねぇな」と心の底から感心していた。
 __って、ぼんやりしている場合じゃない。今はマドカが、自分の代わりにポケモンとして練習に参加するのだ。しっかり気にかけなければ。
 ライムは周りの目を気にしながら、こっそりマドカに耳打ちする。

「……マドカ、あんな感じで上手くできそうか?」
《任せてよ! ライムのモトがバトル上手だし、運動神経もいいし、なんとかなるよね!》

 あ、やっぱり不安だわ。ライムは一瞬にして顔を凍り付かせた。

「それじゃあ、次はライムくんと私のビーナス。せっかくなので、空中戦をやってみましょう」

 ちょうどいいタイミングで、マドカの番が回って来た。空中戦はライムの得意中の得意分野。大丈夫、きっとなんとかなる__ポジティブにポジティブを重ねて、マドカはビーナスと対峙する。
 それにしても、ポケモン演劇部の中でもマドンナ的存在のビーナスと空中戦ができるなんて、夢にも思っていなかった。でも、だからこそ。本気で向かい合いたい。マドカはその一心で、空へと羽ばたこうとその場でジャンプする。

(これであたしも、ライムのように空へ羽ばたいて__)

 ところが、身体はライムでも中身はマドカの状態の今。そう上手くはいかないようで。

「えっ?」
《ら、ライムさん……?》

 ずしゃぁああああああ、と音を立て、マドカの身体は地面へとダイブする。ライムがポカンと口を開ける前に、ミノリとビーナスが目を丸くしていた。他のポケモン達も、「いつものライムじゃない」とどよめいている。
 ハタから見たマドカは、ずいぶん派手に滑り込んだようで、ビーナスは「大丈夫ですか」と駆け寄ってくれた。

(モトがいいとは言ったけど、滑空のカンがないから!)

 確かにライムの運動神経はポケモン演劇部の中でも高い部類に入る。だからといって、マドカがそれを上手く自分のモノにできるかとなれば、それはまた別の話となる。
 これじゃあ練習にならない。ライムはこういう時、どうすればいいのか必死に思い出す。小さいときは、自分もなかなか飛行ができない時期があった。どういう練習法を試してたっけな。
 ふと、ライムの目にあるものが飛び込んでくる。グラウンドに置きっぱなしにされている朝礼台だ。そうだ__ライムはとっさに、1つの方法を思いついた。上手くいく保障はないが、応急処置的にやってみるしかない。

「そうだ、ライム! あの朝礼台からジャンプしてみよう! 飛び降りながら飛べば、滑空のカン思い出すかもしれない!」
「エ、エモッ!」

 本当なら木の上とかから飛び降りるやり方もあるが、今のマドカにはリスキーだろう。朝礼台ぐらいの高さなら、まだハードルが低いかもしれない。ライムはマドカを朝礼台の上に立たせると、ジャンプするよう促した。
 マドカも「今度こそ」とやる気に満ち溢れている。この燃え滾る闘志は、マドカらしいというか__芝居のこととなるとガチになるマドカだが、それはポケモンになっても変わらなかった。どんな姿だろうが、自分のやるべきことをする。できないことをできるようにする。それが、今マドカにできることだと思っていた。

(今度こそ、ライムのように、エモンガらしく華麗に滑空を__!)



★ ★ ★



「エモッ」
「ごめんなさい、染みた? もう消毒は終わったから、じっとしててね」

 マドカのおでこに消毒液が染み渡った綿が押さえつけられる。結構強く染みたのか、自然と涙が出そうになった。
 結局、盛大に朝礼台から落ちたマドカは、保健室でミノリにケガの手当てをしてもらっていた。特に腕とおでこを擦りむいてしまったため、それぞれに絆創膏が貼られる__のだが、おでこの絆創膏ってどうもカッコがつかない。でも、傷口に汚れやバイキンが入るよりはずっとマシか。マドカは仕方なく、ガマンすることにした。

「勝手に保健室の道具使っちゃっていいの?」
「大丈夫です。私、保健委員なので……」

 ライムと目を合わせないように、自信なさげにミノリは答える。

《ごめんなさい、ごめんなさいライムくん! 私、気が利かずにライムくんを受け止めることもできなかったし、みがわりになる暇もなかった! 次こそライムくんの気が軽くなるように、たとえ木の下朝礼台の下でも……》
《い、いいよ。今のはオレの不注意だったんだもん》
《ソルダムが責任を感じる必要はないのですよ。しかし、せっかく退院できたのにまたケガをするなんて、ライムさんもツイてないですね》

 やれやれ、とビーナスが肩をすくめる。ソルダムはソルダムで、一度暴走モードからブレーキをかけてもらったにも関わらず、また「私のサイコパワーで……」とか「今度は力持ちのリンくんにも協力してもらって……」などと自分の世界に入り込んでしまっていた。

「ごめん、副部長。ライムの手当てしてもらっちゃって」
「ううん、気にしないで下さい。ポケモンの手当てなら、よくやってたから慣れてたので……。でも、ライムくんが飛べないなんて珍しいですね」
「あー……。たぶん、2日間も休んでたから、身体が鈍ってたんだと思う。あたしも似たような感じだし」 

 頬を指先でかく仕草をしながら、ライムは上手くごまかした。
 それにしても、ミノリは応急処置の手際がとてもいい。ポケモンのライムから見ても、ジョーイさん顔負けのレベルに達しているのではと錯覚するほどだ。いくら保健委員といえども、中学生がこんなに手慣れているものなのだろうか。

(ポケモンって、楽じゃないんだなぁ……。ちょっと楽観的になりすぎてたかも)

 一方、手当を受け終えたマドカはがっくりとうなだれていた。
 正直、ネガティブになりやすいライムのために、明るく振る舞うように努めていた反動もある。だが、マドカはポケモンとしての生活を甘く見ていたのかもしれない。
 よく考えたら、人間以上にハードなアクションをこなさなくてはいけないし、家族や友達と会話もできない。野生のポケモンに襲われたりでもしたら、バトルするのは自分自身なのだ。
 おまけにライムは不幸体質だ。今のケガも、不幸体質が発動したものと考えることができる。こんな生活に、自分は耐えられるのだろうか__ずしんと重りのようなものが、マドカの上に圧し掛かったようだ。

「私は練習に戻るけど、マドカさんとライムくんもゆっくりでいいので来てくださいね」

 ミノリはそれだけ言い残すと、ビーナスとソルダムを連れて保健室から出て行った。
 取り残されたマドカとライムだが、何となく空気が重い。ライムは特に何が変わったというワケではないが、どちらかというとマドカの方だった。

《ねぇ、ライム》

 いつになく低いテンションで、マドカがライムに尋ねる。

《飛べないエモンガって、エモンガ的にはどうなの?》
「なんだよ急に」
《今のあたしって、ポケモン的にどんなポジションなんだろうなぁって》

 分かりやすいな。マドカがものすごく落ち込んでいるのは、ライムにもよく分かる。
 正直、エモンガとして滑空ができないのは致命的だ。だが、何をやっても上手くいかないのも、慣れない身体にもどかしさを感じるのも自分だって一緒。だからこそ、落ち込む気持ちはよく分かるし、できないことがあることに落ち込む姿は、入れ替わる前の自分そのものだ。

「そう気にすんなよ。滑空って、その日の風向きとかも関係してくる時あるから。今日なんて、全然風吹いてないだろ?」
《それはそうだけど……》
「オレだって、スプーンの使い方すら分かんなかったんだから」

 ライムの励ましに、マドカは「あ、そうか」と納得する。「そうかってなんだよ」と、ライムはケラケラと笑い返した。ここ数年で、あまり笑わないライムが久々に笑うところを見たものだから、マドカもつられるように笑顔を取り戻した。
 そうだ。大変な今だからこそ、少しでも笑っていた方がいいよね__暗い心を解かしてもらったマドカは、自分のモットーを思い出していた。



★ ★ ★



 コウジは授業の準備をとうに終え、溜息をついては頭を抱えていた。机の上には自分のスマホが置かれており、画面とにらめっこしている。溜息を吐き、スマホを触り、頭をわしゃわしゃと掻きむしり、またスマホを置く。業間休みの度に、ずっとその繰り返しだ。仲のいいクラスメイトとの世間話も、今はする気になれない。

「はぁ……」
「ピカ?」
「ごめん、スダチ。ちょっと考え事しててさ」

 スダチはパートナーとして、悩んでいる様子のコウジのことが心配だった。もちろん、ポケモンである自分はコウジのそばにいてやることしかできない。何か自分にも手伝えることがあればいいのだが。
 ただ、スダチが何をするにしてもしないにしても、コウジの悩みはかなり根が深いものだった。そのことを、スダチも分かっているつもりではいるのだが。

(なんて伝えればいいんだろうな)

 コウジの悩みはただひとつ。ポケモン演劇部の処遇だ。
 生徒の代表として先生達からの決定事項を伝えるという役割も担うコウジ。生徒達の意思を尊重したいのはやまやまだが、これも生徒会長としてのつとめ。生徒会長としての自分と、一個人としての自分の間で、板挟みになっていた。
 こんな状況が、ズルズルと長引いて続いている。どっちに転んでも、誰も納得しないのは目に見えている。自分で引き延ばしたことと分かっていても、そのことがコウジにとっては心苦しかった。 

(ポケモン演劇部。俺だってあいつらに恩があるし応援したい。でも……仕方ないのかな)

 続けてコウジは、机の奥底に眠らせていた1枚の紙を取り出す。この紙切れひとつで、誰かの中学生活が大きく変わってしまうなんて、考えたくない。

「コウジくん」

 このタイミングで、一番聞きたくない声が降ってきたものだから、コウジは驚いて紙を机の中に隠す。顔を上げると、栗色の長い髪を垂らした少女がこちらを見下ろしていた。

「どうしたんだよ、イブキ」
「なんかおっかない顔してたから。3年間の腐れ縁の目はごまかせないのだ~!」

 ほがらかでおちゃらけているイブキは、性別の壁を考えさせなくていい友人だ。妹が世話になっていることもあり、コウジにとっても縁が深い人物である。
 俺、そんなに顔に出てたかな。コウジは意識的に、自分の頬に手を当てる仕草をする。なるほど、口角がダランと下がっているのがよく分かった。

「大丈夫、何でもないよ。もうすぐ学園祭も近いし、忙しくてバテてたんだと思う」
「きっとそうだよ! でも身体も大事にするんだよ? コウジくんの脚本、みんな楽しみにしてるんだから!」

 みんな楽しみ。イブキに言われた言葉を頭の中で繰り返し、コウジはさらにしんどくなる。真っ先に頭に浮かぶのは、たったひとりの妹とそのパートナー。部活をするためにこの学園に入ったのに。せっかくパートナー同士で念願のお芝居ができて、嬉しそうにしていたのに。
 その楽しみを、これから自分が壊そうとする。そんなことしたくない、分かってはいる。でも。

(俺は、“いい生徒会長”だから)



「だはぁ、つっかれた……」

 6限目にあたる、理科の授業終了のチャイムと息をそろえるように、ライムはぐったりと机に突っ伏していた。今日の単元は中学2年生の山場ともいえる、人間の身体の構造。覚えることが多すぎて、頭をたくさん使ったのだろう。
 すかさず隣の席のアキヨが、「糖分補給だよぉ」と飴玉をひとつおすそ分けしてくれる。甘いものに目がないライムは、コンマ10秒で飴玉を頬張った。みかん味は、ライムが一番好きな味__アキヨは味のチョイスを、よく分かっているな。ライムの嬉しさは3割増しだ。

「ライムちゃん、人間の授業はどうだった?」
「言ってることは分かるんだけど、文字書くのがほんっと疲れる。よく人間って、ずっとペン握ってられるよな」
《すごいよね。ぼくも同じことやれって言われたら、絶対できないよ》

 ぶらぶらと脱力したライムの手首には、シャープペンの握りすぎで黒くなった跡が残っていた。病院で文字を書く練習はしたものの、まだまだ慣れるのには時間がかかりそうだ。
 普段からライムは授業中、居眠りばかりのマドカの代わりに教科書を読むことだけはしていた。そのため、頭では先生が話していることも理解ができるのだが、やはり実際に自分が授業を受けるとなると、また感覚が違ってくる。

《そうだよ、人間の授業はすっごく大変なんだよ?》
「お前ほとんど寝てたじゃねーか!」

 うんうん、とうなずくマドカに、ライムはすかさずツッコミを入れる。マドカが何を言っているか分からなくとも、ライムと言葉を交わしているさまは見ていて新鮮で、面白い。アキヨとオウリンは、「やっぱりこのコンビは面白いね」というアイコンタクトを送りながら、笑い合っていた。

《ライムはどの文字書くのが一番大変?》
「ダントツで漢字だな。すげー複雑なんだもん」
《そうは言うけど、一応母国の言葉ではあるんだよ》
「まぁ分かってはいるけどさ」

 マドカとライムにとって、本当の母国は父と母がそれぞれ生まれたシンオウ地方やジョウト地方にあたる。ライムが生まれてすぐにタチワキに引っ越してきたから、こっちが母国のようなものなのだが。
 そんなたわいもないやり取りをしていると、1人の男性が入り込んでくる。アキヨ&オウリン以外の人の前ということで、凸凹コンビはスッとお互いを演じる役者モードに切り替える。

「ずいぶん今日は賑やかだな、マドカ。病み上がりでテンション上がってるのか?」

 マドカとライムの代わりに、アキヨが彼の名前を呼ぶ。

「ケイジュ先生!」
「どうした? ライムにまたどつかれたりでもしてたのか?」
「あ、まぁ、そうだけどそうじゃないっていうか……」

 曖昧な答え方をするライムだが、ケイジュは特に顔をしかめたり深く追求したりせず、「ふぅん」と微笑するのみ。この年頃の子どもは、自分自身でも分からないことを言ったりするものだ。若い教師ではあるが、あるいはだからこそ、ケイジュは生徒との距離の取り方をよく分かっている。

「これ、今日の宿題のプリントな。ホームルーム前にみんなに配っといてくれよな」

 クラスの人数分用意された紙の束には、先ほど授業で学んだ人体のイメージ図が描かれていた。人体模型は見慣れているとはいえ、こういうのはあんまり得意じゃないんだよな__ライムはちょっとだけ、「うっ」と気分が悪くなる。

「じゃ、また部活で」

 気さくにそう言い残すケイジュの背中は、凸凹コンビと幼なじみコンビによって見送られた。
 どこの中学でもよくあるのだが、たいていクラスでは教科ごとに係が割り振られる。提出物の回収や連絡事項を伝えるのが、主な仕事になっているものだ。マドカは中学2年になってすぐ、このうちの理科係に割り振られていた。本当は体育とか音楽とか、宿題や提出物がない技能教科を希望していたが、ジャンケンに負けたのだ。

「ケイジュ先生って、他の先生達とは何か雰囲気違うよな」
《話しやすい?》
「まぁそんなところかな。顧問ってのもあるかもしれないけど」

 今年の理科教師はポケモン演劇部の顧問でもあるケイジュだったから、ちょっとラッキーだった。若い先生か、定年間際のベテラン先生ぐらいが、マドカ達からすれば“ゆるい”部類に入るのだ。



★ ★ ★



「アキヨちゃん、シアフェスの衣装できた?」
「うん。あのハンガーラックにいくつかかかってるよぉ」
「道具類や舞台も、もう少しスパンコールやラメを入れて煌びやかな感じを出したいんだ。参考にさせてもらってもいいかな」
「もちろん大歓迎だよぉ」

 あるところでは、アキヨとアケビが衣装と大道具のバランスについて相談をしている。

「サヤカ、ブロッサム、今暇か? もしよかったら、この曲ちょっと聞いてくれ」 
「がってんしょうち!」

 あるところでは、ユタカが妹のサヤカにデモ音源を聞いてもらっている。ブロッサムとチェリーも交代で、ヘッドホンを頭にはめながらユタカの作った曲に耳をすませていた。
 こんな調子で、放課後のポケモン演劇部はシアフェスに向けて、忙しなく動いている。人数不足で大きな大会に出られないポケモン演劇部にとっては、この演劇祭が夏の大きな目標になっている。ただ、凸凹コンビにとっては今年は状況が大きく違うわけで。

《シアフェスまでに元に戻れるかなぁ》
「厳しいんじゃねーかな。今のペースだと」
《じゃあ、シアフェスではあたしがライムの役で出て、ライムがあたしの代わりになるってこと!?》
「そうなるな……あっ」

 自分で口にして、ライムは息を呑む。
 そうじゃん。今までポケモンとして芝居をしてきたけど、人間の役者として舞台に上がらなきゃいけないんじゃんか! 新しい動きを覚えるのはもちろんのこと、セリフも暗記しなきゃいけない。
 思ったよりも、今の状況って超ハードモードなのかもしれない。目先にビッグイベントを控えていることで、ライムはますます不安を募らせる。
 ガラッ、と勢いよく部室の引き戸が開かれる音がした。振り向けば、家でも学校でも見慣れた姿__マドカにちょっとだけ似ている男子生徒の顔が、そこにあった。

「コウジ……?」
《もしかして、脚本ができたとか!?》
《でも一緒にいる人達、生徒会の腕章つけてるよ》
「文芸部としてじゃなくて、生徒会として来てるんだねぇ」

 コウジだけではない。彼のバックには取り巻きのように3人の生徒がいた。1人は巻き毛が艶やかさを出している3年生の女子。もう1人は眼鏡とおさげ姿がキリッとした印象を強めている2年生の女子。そしてもう1人は、ワイシャツの胸元を開いた、筋肉質の男子だ。彼らもまた生徒会のメンバーであることは、左腕にかけられた腕章が示していた。

(コウジのヤツ、なんかいつもと雰囲気違う?)

 いつも飄々として余裕の笑みさえ浮かべている、ライムにとってもお兄さん的存在のコウジ。今日はその余裕は鳴りを潜めて、ぴんと口を真っすぐ結んで目もぱりっと開いている。キリッと真面目に見える__と言えば聞こえはいいかもしれないが、ライムはコウジの姿に違和感を覚えていた。
 なんだか、しんどそう。整った顔も、ずんずんこちらに近づいていく身体も、強張っているように見える。
 ようやく、コウジはぴたりと足を止めると、チャックされたかのように閉じていた口を開いた。その声は、ゆるっとした家の中での声とはちょっと違う、全校集会とかでよく聞くような張りのある声だ。

「ポケモン演劇部関係者に告ぐ」

 そこまで言って、コウジは一旦言葉を区切る。一度口をつぐめば、本題に切り込む勢いは必然的に落ちていく。正直、コウジはこの後言葉を続けようか迷っていた。ここで生徒会長として何か言えば、様々なものが大きく変わってしまうかもしれない。
 でも、言わなきゃいけない。俺は生徒会長。生徒達にとっていい知らせも、都合が悪い決断も、粛々と伝えなければいけない。
 意を決するように、コウジはポケモン演劇部員達に向き直る。そして、ワイシャツの胸ポケットから、ちょっと汗が染み込んだ1枚の紙を取り出し、広げていく。部員達に突き出された紙はあまりにも予想外で、そして、このうえなく残酷な知らせだった。

「ポケモン演劇部の廃部が決定したことを、ここに告知する」

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