第58話:はるかぜの樹の下で――その3

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 セナははるかぜ広場をスタスタと抜け、どんどんポケモンが少ない場所を目指しているようだ。海に面した小さな針葉樹林を抜けると、砂浜にたどり着く。とても見晴らしが良く、だからこそ、話を盗み聞きしようと思えばすぐにばれてしまう。おまけに、適度なさざ波の音が声を聞き取りにくくしてくれる。内緒話にはうってつけの場所だった。
 セナがピタリと立ち止まって砂浜に腰を下ろすと、ホノオも隣にあぐらをかいて座った。

「なあ、セナ。さっきはその、助かったよ。余計なことを言っちまって、悪いな」
「いや。むしろありがとう。お前が言ってくれるまで、オイラ考えもしなかった。人間の頃の記憶がないから、その実感がないんだろうけどさ。“マスター”とやらからガイアを守ったら、オイラたち人間は、地球に帰ることになるんだよな」
「うーん……。“ポケモン”にハッキリそう言われた訳じゃないから、まだ分からないけど。たぶんね」

 声は互いにだけ届けばいい。こんな話を、間違ってもヴァイスやシアンに聞かれてはならない。セナとホノオはひそやかな声で、冒険の終わりの、その先の未来を語る。

「どう? ホノオ。地球に帰りたい?」
「……どうだろう。親が離婚したとはいえ、母さんの家じゃ色々と気を遣うし。だからと言って、ポケモンの世界の居心地がそこまで良い訳じゃないし」
「そうなの?」
「……まあね。お前は凄いよ。数日前まではオレたちを殺そうとしてた連中に囲まれているんだぜ? よくもまあ、そんなに毎朝のんきに眠っていられるな」
「うぅ、ごめんなさい……」
「冗談だよ。冗談だけどさ……」

 冒険の終わりの、その先の未来。その頃には自分たちは人間に戻り、地球で暮らすことになるのではないか。その可能性を独りで抱えきれずに秘密の共有をしたセナとホノオだが――話題を深堀りするほどに、恐怖と錯覚しそうな寂しさに襲われる。不安定な未来を直視して向き合えるほど、自分たちの心は強くなかったようだ。どちらからともなく悟ると、歯切れ悪く話題を打ち切った。

「ところで、ちょっと相談なんだけどさ……」
「ポプリとのこと?」
「う、うん。いつまでも一緒には居られないのに、想いを伝えて良いのかなぁって。いずれ離れることになるのなら、ハッキリそう伝えてから、その上で気持ちを伝えた方が……何というか、誠実、じゃない?」
「それはまあ、確かに。じゃあ、言えるの? ――オイラはいつか地球に帰ります。でもそれはヴァイスとシアンには言えないので、秘密にしてください。好きです――って」
「なんじゃ、そのとっ散らかった告白は……。まぁ、要点はそうなんだけどさ……。い、言えないな……」
「そうだよな。オレでも、言えない」

 ポプリに正直な好意を伝えてめでたしめでたし。そう単純に捉えていたホノオも、自らの失言をきっかけに、複雑な現実を理解してしまった。

「そうなると、お前がとれる行動は2つ。“今後のこと”を隠してポプリに告白するか、ポプリへの気持ちを隠し通して地球まで持っていくか」
「そう、だよな……」
「どっちがいいか、こればかりは自分で考えろ。オレに答えを教える必要もなし」
「うん……そうだよな……」
「まあ、どう転んでも応援してるぞ。恋愛マスターのホノオ“ちゃん”が、ね」
「なんだよ、ホノオ“ちゃん”って。お前に似合わず可愛い響きだな」
「……へへ。そうでしょ?」

 ホノオちゃん。セナにそう呼ばれなくなったことを、ホノオは薄々気が付いていた。ホウオウがセナの蘇りかけた記憶を封印したその時から、ホノオとセナの間にあったはずの、過去という繋がりは再び途絶えたのだ。そう確信すると、同じくらいの大きさの寂しさと安堵が、ホノオの心にのしかかった。
 これ以上セナと2人で過ごしていると、嫌でも“冒険の終わりの、その先の未来”を直視してしまう。それに耐えきれなくなったホノオは、スッと立ち上がるとお尻の毛に絡んだ砂をパッパッと払い落とした。

「さーて。オレはヴァイスとシアンのところに戻るぞ。モモンのケーキ、残してきたからな」
「絶対、シアンのお腹の中にあると思うぞ、それ……」

 ひらひらと手を振りながら、ホノオはセナに背を向けて広場へと戻っていった。ひとり砂浜に取り残されると、やけに波の音が大きく感じた。

 ポプリに、やがて別れる事実を伏せながら、自分の好意を伝えるか。それとも、好意を伏せたまま静かにガイアを去るか。
 どちらが良いのだろうと、セナは考える。それぞれの可能性のその先を、想像力を駆使して求めてみる。

 もし、ポプリに好意を伝えたら。自分も、ポプリも、互いの認識をきっぱりとすり合わせることができる。今自分が抱えている、ポプリが一方的に好意を寄せてくれている居心地の悪さのようなものは、さっぱりと洗い流すことができるのだろう。ただ、互いをさらに好きになってしまう程に、訪れる別れは悲しくなってしまうのかもしれない。その覚悟を、事前の心の準備を、ポプリにしてもらうことができないのは、良心が痛む。
 もし、ポプリに好意を伝えなかったら。ポプリが自分のことを好いてくれていることを知りながら、自分の好意を伏せ続けることになってしまう。ポプリが勇気を出して好意をぶつけてくれたのに、その思いに応えぬままこの世界を去ることになってしまう。そうして自分は地球に帰ってしまい、ポプリの好意は二度と、報われることはないのだろう。

 どちらの方が残酷か。どちらの方が悲しいことか。
 ――セナくんがあたしをどう思っていてもいいんだ。ただ、あたしの気持ちを知ってほしかっただけなの。
 告白の後にポプリが付け加えた言葉を思い出す。自分の立場で考えてみると判断に迷うが、ポプリの立場に立ってみると、自ずと答えが導かれた。

 ポプリの勇敢で綺麗で尊い“好き”という気持ちは、既に一度、オイラに勇気がないせいで踏みにじられているのだ。自分が“好き”という感情を正確に理解できている自信はないが、それに限りなく近しい感情を抱いていることは、紛れもない事実なのだ。それならば。ポプリから手渡された“好き”に、しっかり応えなければならない。例え、共に過ごす時間が永遠でないとしても。

 ぼーっとしながら、時に流されながら、セナはポプリのことをただただ考えていた。
 どんな怒りも鎮めてしまいそうな可愛らしい笑顔。素直で真っ直ぐなルビー色の瞳。きゅんと高くて愛嬌あふれる声。心を揺り動かす意外ないたずら心。近づくと分かるほのかな香りと、柔らかい背中。彼女にもらったリンドのペンダント。時々見せる、隠しきれない悲しみ。彼女の言葉をひとつひとつたどる。
 それだけで、海は柔らかな黄色い光に照らされていた。昼が終わり、夕方と呼ばれる切ない時間が迫っていた。セナはハッと我に返る。ポプリへの好きを、今日もまた形にせずに消費するところだった。今日こそは。今まで何度も伝えそびれたけれども。

 覚悟を決めると、鼓動が早まってゆく。そろそろ救助隊グリーンも、依頼を済ませて帰ってくるだろう。セナは聖なる森へと駆け出し、緊張による胸の高鳴りを上書きして誤魔化そうとした。あの緑色の屋根の家の前で、ポプリを待とう。そして、今日こそは――。

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