第八十五話 ライト=エレイシア

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:20分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ──遥か遥か昔。もう数えきれぬほど昔の話である。

 業火が焼き尽くし、血の雨が降り注ぎ、累々と死体が重なる世界。そこに、そのポケモンはただ一匹そこに立つ。そのポケモン以外に立つポケモンはいない。そんな状況で、立っているそのポケモンは冷めた目で周囲を見渡している。
 そのポケモンに生者は必要ない。自分すら必要ではない。ただ求めたのは──。

「……」

 そのポケモンはがくりと膝を折る。いくら彼が強かろうと、選ばれようと、その命に限りはある。数えきれぬほどの祈りを捧げた。数えきれぬほどの供物も捧げた。善にも悪にも手を染め、英雄とも悪魔とも称えられ、忌み嫌われた。だが、そのポケモンにとっては全て些事である。
 全てはその願いのため。全てはその妄執のため。他の全てを消し去り、嘲笑い、なおそれは足りない。だからこそ。
 ぞる、とそのポケモンは手を倒れこんでいるイーブイに指を這わせる。すでにそのイーブイは立つ意志もなく、今にも死にそうではある。だが、地獄としか言いようのないこの状況で辛うじて息をしていた。そのポケモンはイーブイの尻尾を見て、ギザギザ模様であることを確認して軽く頷く。身籠れる性別であること。それが何よりも重要であった。

「いつか、誰か継いでくれるだろう。この意志と悲願を」

 そのポケモンは呟き、イーブイの腹にぞぶと指を突っ込む。そのイーブイは電流が流されたかのように激しく痙攣して、やがて崩れ落ちた。
 それが、全ての始まり。そして、全ての終わりでもありる。






「ほら、起ーきて」

「……ッ!」

 げしっと蹴られるような感触でライは目を覚ます。反射的にばっと後ろに退き、蹴った相手を睨みつけて。

「自分自身を睨んで虚しくならない?」

 全く同じ顔をしたピカチュウが呆れたようにこっちを見てくる。ライは目を数度擦り、ぼやける視界を正常に戻してから改めて目の前のピカチュウを睨んだ。

「エスか」

「ライト=エレイシアでもあるけどね」

 素早くエスはライの発言を訂正する。だが、ライはエスを無視してつかつかと歩み寄った。

「話がある」

「穏やかざる態度だね」

「生憎、慈しみ慈しまれる関係じゃないからな」

 エスの軽口をライは即座に切り捨てる。エスはふうんと肩をすくめると、口元ににやっと意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「ああ。君が見た悪夢は、彼女との記憶の混濁だよ。正確に言えば“彼女以前”か」

 ライの頭に浮かんだ疑問は、言葉に出す前にエスが答える。エスは顔をしかめるライにむかって、とんと地面を蹴って近づいた。

「“時の咆哮”の余波じゃないかな? 時という法則を狂わすあの息吹なら、過去の幻影を見せることも可能かもしれない。何せ、あの息吹には“時”というエネルギー、つまり歴史そのものが力になっている。今のような不安定な状況では、あのイーブイと混線して、彼女の祖先が見えたのかもしれない」

「今は、そのことはどうでもいい」

 ライは大きな声でエスの声を遮断した。ふと浮かんだ疑念や思いを無理に押しとどめる。エスはあらそう、と言わんばかりに肩をすくめた。

「もったいないねえ。君が集めたディアルガのデータから導き出せる一つの結論なのに」

「俺が集めた?」

「うん。ライト=エレイシア……つまり、記憶なき君が集めた情報さ。“星の調査団”として、ディアルガに対抗するための情報だね」

 エスはまたも楽しそうな口調で言うと、ちっちと指を振った。ライはそれを呆然とした表情で見る。

「どうして、それを」

「さっきも言ったはずだよ。僕はエスでもあり、君自身でもある。ライト=エレイシアの“記憶”を保有しているだけ、僕は君よりも君らしいかもしれないね」

「……俺はライト=エレイシアじゃない」

「さて、君が聞きたがっているディアルガの倒し方なんだけどさ」

 エスはライの反論を無視してぴんと指を立てる。ライは無視されたことに苛立ち、何か言おうと前に出るが、エスに軽く押し戻された。

「──勝てない。命があることに感謝して、一目散に逃げた方がマシだ」

「論外だな」

 ライはエスの声にかぶさるような早さでそれを拒絶する。エスはやれやれとばかりに指を振った。

「やめたほうがいい。せっかくシオン=ハーヴィが作り出した盾のおかげで命を拾ったんだ。……普通は時の咆哮に立ち向かって命を永らえる盾なんて作れないんだけどね。まあ、あの化物イーブイと一緒なら逃げ切れる可能性の方が……」

 言い終わる前に、エスの腹に蹴りが突き刺さる。だが、エスはまるで効いていなさそうにやれやれと肩をすくめると、さっと後ろに跳んだ。

「場所は君の頭の中、相手は同一人物。殴り合いをしても意味がないことくらいわからないかな?」

「次、シオンを化物と言ったら問答無用で消す」

 抑揚のない声でライが言う。エスは一瞬顔をしかめて地面を蹴ったが、降参とばかりに両手を挙げた。

「オーケー。あー、彼女は強い。うん、とっても強い」

 エスはやる気のない声でそう言う。もう一発叩いてやろうか。そんな思いがライの胸を去来したが、ひとまずは無視してエスの方を睨んだ。

「だけど、それはあくまでポケモンの限界さ。神に勝てるとはとても思えないね。君たちは端的に言って失敗したんだよ」

「まだ、失敗してなんかいない」

「最低限、ジュプトルとセレビィは必要だっただろうね。ディアルガが操る時に唯一対抗できるセレビィ、そして切り込み隊長として高いレベルを誇るジュプトル。この二匹と一緒で、神と渡り合える刹那があるシオン=ハーヴィ、そして君。そこまでやって、まあ相打ちの可能性があるくらいだね」

「別に、戦闘不能にしようというわけじゃない。一瞬動きを止められたら……」

「未来世界で、“星の調査団”による第一次ディアルガ討伐戦があった」

 ライの声を打ち消すように、エスが声を張った。討伐戦、と聞きなれない言葉にライは黙り込む。ジュプトルからもセレビィからも聞いたことのない話だ。

「そのとき、ヨノワールをはじめとしたディアルガの手下は別行動を取っていた。一方、星の調査団は全盛期を迎えていて士気も高い。だからこそ、ディアルガと戦って時空間に干渉する敵を排除してから過去の世界に渡る──。セレビィの時空干渉がディアルガに邪魔されていたのは君も覚えているだろう?」

「ああ」

 ライは未来世界から時渡りをしようとしたことを思い出して顔をしかめる。時を操る精霊でありながら、その上位存在であるディアルガにはあっさりと破られてしまった。確かに未来世界にディアルガがいては、こっちの世界に来るのも容易ではないだろう。前のようにディアルガから隠れながら時渡りをするのは現実的ではないだろう。

「君とジュプトルはどちらかといえば慎重派だった。でも、星の調査団が大きくなりすぎて段々と制御が効かなくなっていたんだ。それで、強行派に押し通されてずるずると開戦さ」

 ここでエスは皮肉っぽく口を歪めて笑った。刹那、頭に焼きつくような痛みが走ってライはその場にしゃがみこむ。精神の世界であるはずなのに、どうしてかその痛みは生々しく鋭い。食いしばった歯の隙間からくぐもった声が出る。視界は明滅を繰り返したかと思えば、眩い光を放った。思わずライは目を閉じる。やがて、頭の痛みは段々と和らいでいき、目を閉じていても入り込んできた光もましになっていく。ライはゆっくりと右目を開け──その光景に驚く。
 そこは、“時限の塔”だ。しかし、自分たちが挑んだ“時限の塔”よりもはるかに荒廃しており、崩れていないのが不思議なくらいには地面に穴が空いていた。そして、そこの中心に立つは暗黒に呑まれたディアルガ。向かい合うは、未来世界にはほとんどいないはずの、目のくすんでいないポケモンたち。

「記憶だよ」

 見えないどこかからエスの声がした。次の瞬間、先頭に立っているマグマラシが大きく吠えて炎を吐いた。それを開戦の合図にするかのように、次々とディアルガに向けて技が放たれる。視界が火や水、雷に木の葉、そして超能力に光線、息吹までもが容赦なくディアルガに叩きつけられる。その攻撃は終わることがない。ディアルガが何かをするまでもなく、ただただ叩きつけられる。普通のポケモンならば塵も残らない攻撃であろう。
 だが、その状況でディアルガは天に向けて高く吼えた。空を引き裂くように甲高く鋭い咆哮、それが記憶とわかっていながらも鳥肌が自然と立ってしまう。だって、次の瞬間に何が起こるかを理解できてしまったのだから。
 ディアルガが放つ本気の“時の咆哮”は、そこにポケモンが存在していた痕跡すら残すことはなかった。残ったポケモンの表情は苦悶に、絶望に、そして能面へと変わる。強烈な絶望を知ったとき、もはや表情は浮かばなくなるのだ。
 誰かが逃げろと吠えた。それが、ジュプトルの声であると気がつくまでに数秒はかかった。それほどに切迫して裏返った声。しかしその叫びも虚しく、次なる技のストーンエッジでラッタがズタズタに引き裂かれるのを見た。
 凶暴にして峻烈、理不尽にて圧倒的な暴力がその場を破壊し尽くしていく。ディアルガはただ、目の前の邪魔者を叩き潰していく。立ち向かうものもいた。しかし、それも無意味であった。神を前にして、ただのポケモンがいかに抗えようか。

「星の調査団、およそ百。そのほとんどが死亡した。未来世界にいるポケモンは栄養状態が良くなくて、高いパフォーマンスは維持できないとは言え、これだけの差があるね」

「でも、これだけの攻撃を受けたら、ディアルガだって」

「ああ、そうさ。無事ではすまないだろうね」

 エスは声を上げて笑う。その刹那、視界がねじ曲がった。そこに映った光景を見て、ライは息を呑む。先ほどまで生きていたポケモンは、ディアルガの一撃で葬りさられていた。あれだけ旺盛だった士気も、もはや残っていない。

「生き残ったポケモンが辛うじて逃げるだけの時間、それはようやく稼げたようだ。ああ、ジュプトル
が殿を務めたポケモンで唯一逃げ切ったみたいだね」

 映像が歪み、戦いつつ逃げるジュプトルの映像が映し出される。ジュプトルが放ったであろう渾身のハードプラントは、ディアルガの足に巻きつくもすぐに振りほどかれる。逃げ道を作ろうとしたカメックスは甲羅ごと叩き割られ、ぐちゃぐちゃになって地面に叩きつけられる……。
 思わずライは口元を抑えた。吐き気がするほどの一方的な虐殺である。いや、一撃で殺された方がましだったかもしれない。中途半端に片腕だけ飛んだポケモンや、助かりようのない重傷を負ったポケモンは、もう助からないと知りながらも哀れっぽく命乞いをしたり、逃げるポケモンに怨嗟の声を吐く。悪夢のような光景で、ただ一匹、ディアルガだけは何事もないかのように他のポケモンを一方的に蹂躙していく。

「君に記憶を返さない理由はわかった?」

 エスの声にはいつものような嘲る調子がない。ただ、憐れんでいるかのような色が付いている。ライは何も言えない。目の前の光景から目を逸らしたかった。だけど、それはできなかった。

「無駄なのさ。滅びはいずれ来るし、君はそれから逃れることはできない」

 エスは覚えている。ライト=エレイシアの奥底にある深い絶望を。それが、原点にして全て。ライト=エレイシアを体現する感情である。
 すでに、見ている場面はディアルガとの戦いではなかった。そこから辛くも逃げ帰ったポケモンが、ヨノワールに蹂躙されている姿である。万全の状態ですら戦うのをよしとしないヨノワールに、なすすべもなくやられている。
 映像がまた乱れた。どこかの洞窟で、生き残ったポケモンが言い争っている。その姿にライは見覚えがあった。一匹は未来世界で戦ったムウマージだ。だが、記憶にあるよりもずっと美しく、表情も柔和である。それでも、目の前にいる誰かに向けて激しい怒りを発散している。

「ニンゲン」

「そう、君だ」

 ぴしゃりとエスが言い放った。映像に映っている自分は、ムウマージと言い争っている。互いにヒートアップしているのを、ジュプトルとセレビィが押しとどめているが、やがてムウマージは洞窟の外へと出る……。

「どうして、君が“正義の味方”になろうとしていたかわかる?」

 何も言わなくなったライにエスは声をかけた。だが、ライはエスの方に一瞥もくれようとしない。凍りついたように絶望の場面を見続ける。
 映像の中の自分が、ぎゅっと両手を握る。ぼさぼさで伸び放題になった黒髪のニンゲン。だが、ライはそれが自分だとすぐにわかる。いつか、水面で見た自分の瞳とそっくりだ。

「それは、君が“正義の味方”じゃないからさ。自分をそうあると思わない限り、あんな暗黒の世界で正気を保っていられなかったからだ。絶望と無力、陰謀と裏切りが跋扈するあの世界ではね」

 エスは知っている。ライト=エレイシアというニンゲンの本性を。何者かの手によってこの世界に召喚された彼は、この世界で戦うには勇気も力も何も足りなかった。残酷な未来世界で、彼はただ一人のニンゲンである。戦う手段もなければ、誰よりも頭が回るわけでもないし、他に秀でた才能があったわけではない。なのに、その中には滾るような情熱を飼いならしているという、まさに矛盾そのものであった。
 ゆえに、彼はライト=エレイシアであることを捨てた。正しくあることのみを志向し、悪辣なものは滅ぼすという意識を持ち、それ以外の全てを切り捨てる。だが、それは無理な話なのだ。“正義の味方”を志す全ての者は、“正義の味方”になれないという宿命を背負っている。“正義の味方”は、生まれながらにして英雄なのだ。“正義の味方”になりたいものは、例えどれだけ近づけたとしても紛い物にしかなれない。
 エスは心の中で痛烈に嘲った。その嘲りは自分に向けたものでもある。自分が無意識として追いやられ、歪められたせいかもしれないなと嘲りながら思う。だが、自分とは彼であり、彼とは自分なのだ。いくら歪めようが隠そうが、決してなくなることはない。映像はとうに切れている。だが、ライはまだずっとその場所を見ていた。

「さあ、いい加減諦めた?」

 エスはライの肩に手を乗せる。反応はないだろう。そう思ったが、乗せた手はピクリと動いた。

「外……」

「外?」

「外に、出せよ」

 掠れた声だ。エスは軽く頷いた。逃げるために、外に出ようとしているのだろう。エスが手を振ると、ぼわっと扉が浮かぶ。ライはそこに向かって歩き出そうとして。

「よっと」

 ライは振り返ると、流れるような足の捌きでエスを転ばせるてその場に押し倒した。不意を突かれたことに驚いたエスは、抜け出そうともがくが、両腕はしっかりとライに掴まれていた。

「な、何をするんだ!」

「お前は使えるんだろ? ライト=エレイシアの“詠唱”を、全て」

「だったらどうする」

「寄越せ」

「どうして」

「ディアルガに勝つためだ」

 押し倒すライの目をエスは覗き込んだ。正気だ。決して狂気などではない。

「無駄、だよ。僕が力を貸したところで、君は勝てない。勝てっこない」

 呪詛を吐くように次々と言葉が出てくる。どれだけ自分とは愚かなのか。意識がつながっていることさえ認めたくないくらいに愚かだ。

「自惚れないでくれないかな。君はどこにでもいる凡庸なポケモンだ。そりゃあ、多少は長所があるかもしれないが、ディアルガに勝つなんて不可能さ」

 右手をほどき、そのままライの体を突き飛ばそうとする。だが、ライの体はぴくとも動かない。

「……知っているさ。俺は英雄じゃない。正義の味方ですらない」

 知っている。正しさのために迷わないことができるほど、自分が強くないことを。故に、自分は諦めたのだ。正義の味方になることを。

「よくわかっているじゃないか。なら、さっさと……」

「シオンが諦めていない。ゆえに、折れるわけにはいかない」

 エスが言い終わる前に、ライが静かな声で遮った。英雄である彼女が折れているわけがない。きっと、目覚めてディアルガと向かい合っているのだろう。
 故に立つ。倒れて、倒れて、倒れて、なお立ち上がる。その覚悟など、とうにできているのだ。絶望があろうと、免れられない消滅があろうと、そのどちらもどうでもいい。英雄じゃないなんてとうに知っていた。だけど、誓ってしまったのだ。「生きてほしい」という呪いであり、祝福の言葉を背負うことを。

「だから、ここで沈んで行けよ。ライト=エレイシア」

 エスの瞳を覗きこんで、静かな声で宣言する。過去の残滓に絶縁状を突きつける。ライト=エレイシアならば諦めていたかもしれない。だけど、今の自分はそれを選ばない。選べない。ゆえに、拳を握ってエスの方へ突きつける。エスはそれを見て一瞬瞳が揺れ──そして、クスクスと笑い始めた。

「実に傑作だ! 紛れもない“君”である“僕”のことを否定するのか?」

 あー、おかしとエスは目尻の涙を拭い、ふわりと浮き上がった。そして、今度はエスの方からライに近づいた。

「こういう時は、受け入れるというのが王道じゃないの?」

「受け入れないさ。自分の弱さにも過去にも興味はない。ただ欲しいのはお前の力だ」

「……記憶をなくした拍子に常識も失ったみたいだね」

「生憎、枷になるものは過去においてきた」

「諦めないのかい? 例え、僕が力を貸したとしても君は勝てない。ディアルガは絶対的な神だ。一瞬の隙も作れないだろうね」

「お前は無理だな、俺はできる」

 一欠片の嫌味も混えずに、ライは言い放った。生真面目な、そして決然とした目からは迷いの破片すら見出せない。

「だから、力をよこせ。ライト=エレイシア」

 ライは真っ直ぐにエス……いや、ライト=エレイシアを見つめた。過去の亡霊、無意識という名前の自分の弱さを。
 エスはうな垂れ、そしてライの手をおもむろに掴んだ。そして、小さな声でつぶやく。

「転送」

 流れてきたもの。それはこの夢の空間で、たしかに暖かいものだ。それが静かにライの心臓を満たしていく。次々に何かが流れ込んでくる。まるで血のようなものだとライは思った。どことなく異質なのに、それはどうしても体に適合してしまう。
 やがて、それは唐突に終わった。エスは軽く手を振ると、ライに彼方を指差した。

「出口はあっちだよ」

「ああ」

「……今の君は嫌いじゃないよ。ようやく、“僕”が欲しかったものを手に入れたんだから」

 何とも形容のしがたい笑みを浮かべ、エスはライに言い放った。ライはそれを無視して歩き始め……そして、二、三歩歩いて立ち止まった。

「ひとつ言い忘れていた」

 ライはくると振り返ると、しっかりとエスの目を睨んだ。

「俺はお前のことが大っ嫌いだ」

 それだけ言い残すと、返事すら聞こうとせずに、ライはまた歩き始める。それからもう一度たりとも振り返ることなく、消えていく。
 残された夢の空間に、エスはただ一匹立つ。夢の空間は少しづつほころび始める。それでも、エスはその場所から動かない。

「ああ」

 空を仰いだ。ずっとずっとどこまでも広がる夢の空間。からっぽで冷たく、そしてどことなくよそよそしい。これが全てだった。ライト=エレイシアという分不相応なニンゲンの心象風景だ。

「ああ、知っているともさ。もう一人の僕」

 ねじ曲がる空間、消え去る夢の世界。そこで、エスは寂しげな笑みを浮かべる。寂寥の大地、それこそがライト=エレイシアにふさわしい。

「それでもね、“君”はどうしようもなく“僕”なのさ」

 誰もいない場所で、エスはただ語り続ける。

「──君はいつか、その高潔な精神でシオン=ハーヴィを泣かせることになるよ」

 どれだけ否定しようと、否定することはできない。どうしようもなく、ライはライト=エレイシアでしかないのだから。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想

感想の読み込みに失敗しました。

 この作品は感想が書かれていません。