【マサラ編.四】

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 マサラで一番立派な建物。大きな敷地。小さな民家がちらほら建つ田舎町の景観を損なわぬ様に配慮したのか、なるべく目立たぬように、町の端にひっそりと佇んでいる。瀬良が辿りついた場所は、間違いなくオーキド博士の研究所だった。
 レッドならばさっと中に入って行くのだろうか。どういう振る舞いをすれば良いのか分からなかったが、付いているのならば一応インターホンを鳴らすのが礼儀だろう。一呼吸置いてから、瀬良は門横の塀についたボタンを押す。
 ゲームではこんなものはなかったはずだ。こうやって実際に来てから分かる通り、ゲームと全て一緒ではないのかもしれない。
 塀の外から研究所とその周りを眺める限り、オーキド博士はここを研究所兼住居にもしているらしい。研究棟の横には、おそらく住宅であろう建物もある。

「はい、どちら様ですか?」

 しばらく待った末、スピーカーから聞こえた声は、おそらく助手のものだろう。

「あの、レッドです」
 
 自分をレッドと呼ぶ事に慣れない。世にも妙な違和感を押さえつけつつも、出来るだけ自然に瀬良は答える。

「やあ、レッド君。研究所へどうぞ」

 ロックが解ける音が鳴った。すんなり受け入れられた事に安堵し、灰色の門に手を掛けた。
キイ、という音と共に開く門は、レッドを敷地内へ迎え入れる。研究所は、思っているよりもずっと広い。いくつかの建物と、緑の多い広場が大きく広がっていた。
 大きなポケモンがいるならば、ある程度の敷地の広さも必要だ。ポケモン博士として名の通った人物ならこれくらいの準備はあるだろうと瀬良は納得する。
 あちこち寄り道する訳にもいかず、けれども少しでも情報を得ようと辺りを見回しながら研究所へ向かった。

「今日はどうしたんです?」

 研究所前で瀬良を迎えたのは、黒髪短髪、眼鏡の助手と思しき男だった。

「ちょっとオーキド博士にお願いがあって来たんです」
「そっか。ちょっと待っててね」

 そうだよな、と瀬良は思う。この世界でポケモンを研究する学問を何と呼ぶか分からなかったが、ポケモン研究の権威。世界でも恐らく有名な学者と会おうというのに、アポ無しもないだろう。レッドとオーキドの関係性を分かっていないだけに、迂闊な行動だったかもしれない。
 しばらく待っていたレッドの元に、助手の男が戻って来る。

「どうぞ。今丁度空いているみたいだから」
「どうも」

 研究所の中は、天井の高い吹き抜けで、とても広い印象を受けた。木梯子が掛かった二階部分や、螺旋階段の先の上階には蔵書が並んでいる。 
 案内された先には、様々な機械や工具に囲まれたオーキドがそこにいた。
 この世界で見る、初めての知った顔だった。一方的に知っているだけだったが、不思議な安心感が瀬良を覆う。

「大変じゃなお前も。チャンピオンを降りたというだけであの騒ぎ。おちおち町も歩けんだろう。とりあえず、そこ座りなさい」

 四つの椅子が入った四角い木製のテーブルの上には、書類がいくつも並んでいた。ちらと見るだけでも難しそうな事がつらつらと書かれている雰囲気がある。瀬良はオーキド博士に「ありがとうございます」とだけ返し、席へついた。

「チャンピオンだけが全てじゃない。その座に留まり続けていないと良しとしない奴等の考えは、わしには分からんな」
「しょうがないですよ。ワタルさん達が築き上げて来たものは、それだけ大きいって事です」
「おや、随分まともな事を言うようになったのう。前は強いトレーナーと戦うのが生きがいと言っておったから、文句がある奴はかかってこいくらい言うもんだと思ったぞ」
「はは、それも面白そうです」

 回復装置だろうか。モンスターボールを嵌め込む窪みが着いた台と、それを覆うガラスカバー。太いコードが何本も伸び、オーキド博士はそれを調整している様だった。
 瀬良はちらちらと研究所を見回す。ここに来る原因となったものであろう、あの円柱型の機械はないものかと探した。

「どうした?」
「いや、何でもないです」
 
 あまり不自然な行動は慎んだ方が良いのかもしれない。反省しつつ、どう切り返そうか考えていると、助手が冷たい飲み物を運んで来てテーブルに並べた。

「マシンの調整は僕がやるんで、言って下さいよ。あんまり無理しないで下さい」
「分かった分かった、次は頼むから。下がって良いぞ」

 話題を変えられた事に瀬良は心を撫でおろす。
 助手の男の言う通り、ゲームのイメージよりも歳を重ねている印象だ。刻み込まれた皺には、老人ならではの渋さと貫禄があった。

「それで、今日は何のようじゃ? まさか図鑑が完成したのか?」

 ポケモン図鑑。瀬良はその存在を忘れていた。レッドとグリーンは、オーキドからカントーにいるポケモンの図鑑登録を頼まれていたのだった。
 だとすればレッドが持っているのは当たり前だ。先程リュックを確認した時には無かった気がした。ポケットに差し込まれている訳でもない。
 持っていないと分かれば、どこで無くしたのかという話になるだろう。それだけは避けなければいけない。 

「あ、いえ、そうではないんですが」
「分かっておるよ」
「え?」
「それで用とはなんじゃ?」

 嫌味だったらしい。オーキドとレッドの関係性が少しだけ分かって来た。思っているよりもずっと、博士はレッドの事を理解している。

「あの、研究所の広場を借して下さい。ポケモン達の技の調整を行いたくて」
「なんだそんな事か。好きに使いなさい。ただ、広場にいるポケモン達と戦うのはなしじゃ。お前のポケモン達は、力が過ぎる。ここで大人しく暮らしている奴らにとっては、強烈な外敵に思えてしまうやもしれん」
「分かりました。ありがとうございます」

 レッドは、きちんと博士に敬語を使っていたらしい。レッドの喋り方に、違和感を覚えるような素振りはない。
 先程町ですれ違った女性は、きっと小さい頃からレッドを知っていた。昔から喋る間柄だったので家族のようにフランクだったのかもしれない。
 ある程度の距離感のある人間相手に、きちんと敬語を使えるように教育してあるレッドの母親は、もしかしたら教育ママなのだろうか。
 少なくとも、これから外で喋る時には敬語が基本で良さそうだった。

「すいません、それじゃあお借りします」
「僕が案内したところで頼むよ」

 助手の男が瀬良を案内するらしい。立ち上がって後ろについて行こうと歩き出すと、

「おい、レッド」
「はい?」

 オーキド博士から呼び止められる。

「チャンピオンを続けるか、降りるか、それはお前の選択だ。責任など気にするな。降りてバトルをやめるならまだしも、続けて挑戦者の相手をするというのだったら、何も問題はない」
「ありがとう、ございます」

 世の中的には、レッドの行動はあまりよく思われていない様だ。
 ゲームをやった感覚としては、チャンピオンまで駆け上がった若き少年の物語でしかない。だが、この世界では時間は連なっていて、観客がいて、その人達はカントーに生きている。感情がある。
 ワタルや四天王だって、それぞれ想いがあってあの地位にいたのだろう。それを突然強烈な強さで打ち破った少年が、チャンピオンを無碍にするように見える行動を取ったとあれば、非難は避けられない。
 やむを得ない状況ではある。ワタル達が築いたものがそれだけ大きかったということは、先ほどオーキド博士に言った通りで、瀬良は本当にそうなんだろうと考えていた。
 だが、非難は甘んじて受けるとしても、レッドはレッドのしたい選択をする権利がある。彼がチャンピオンから降りた真意というのは瀬良には分からなかったが、それは尊重したいなと思う。

「後悔はしていませんよ。この選択に」

 だから、代わりに言った。
 今は瀬良がレッドなのだから、これは自分の役割だ。
 この世界にやって来た理由も、意味も分からない。けれども、こうなっている間は、出来る限りレッドという人間を尊重したい。
 それくらいは、やるべきだろう。

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