第六節 ソーイング・ハー・ウェイ

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読了時間目安:17分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ちゃぷ、ちゃぷと水の跳ねる音が部屋に木霊する高級な浴室。
 昔姉さんに実家の話をしたら、その一月後には作られていた浴室――バスルームではなく、アタシの実家のようなジョウトの木を使った「風呂」に、アタシと姉さんの二人で浸かっていた。
 もちろんアタシは迷わず逃げ出そうとしたが当たり前のように捕らえられ、せめてもの抵抗でハハコモリとユキハミもその場に居合わせてもらっている。

「だーっ、やっぱ運動の後は風呂だぜ風呂。シャワーだって悪くはねえが、そればっかりじゃどうにも味気がなさすぎるってもんだ。なぁユキハミ?」
「はみぃー……」

 お風呂で溺れないようハハコモリの手によってタオルに巻かれている、おくるみユキハミが蕩けた声を上げた。
 ハハコモリに抱かれお尻だけちょっとお湯に浸かっているくらいだが、まあ本人が幸せそうだから良いのだろう。

「フキちゃんお風呂大好きね。でも分かるわ、わたしもフキちゃんに言われてフエンタウンの温泉に入ってからもう病みつきだもん」
「そのままの勢いで屋敷にデカい浴室作るから末恐ろしいぜ全く。姉さんが何人か入っても大丈夫そうだし」
「どうせ入るならみんなで入った方が良いじゃない? 次はリリーちゃんも一緒にどうかしら」
「湯治まではいかないだろうが、たまの息抜きには良いかもな」
「それに、髪の洗い方が雑な子の頭も洗ってあげられるもの」

 その言葉に思わず言葉を詰まらせると、鼻の下あたりまでお湯に浸かって返答を拒否。
 ここに来てからというもの、姉さんに頭を丁寧にケアされ、オマケでお風呂上がりのオイルマッサージまで至れり尽くせりなのだ。今頭の上でお団子に結ばれている髪だって、姉さん手ずからの物である。
 普段から面倒くさがってセルフケアから逃げ続けてきたアタシには耳の痛い話だ。

「それにしてもキュウコンの技どうするかなぁ……『アイアンテール』が使いたくないんじゃ、近づかれたときの対処に困るし」

 それに今日新しく発見されたキュウコンの問題だって片付いていない。そもそも、そんな嫌がる技を長いこと使わせていたとあっては、どう詫びれば良いかも分からない。

「そんな難しい顔してたらお風呂でリフレッシュできないわよ? ほら、笑って笑って」

 そんなアタシを見かねたのか、姉さんはアタシを後ろからギュッと抱きこむ。そのまま唇の端に両の人差し指を当てると、グイと持ち上げた。

「姉さんは気楽だなぁ。いつもにこにこ笑ってるし」
「お風呂は体も休まるけど、心だって綺麗にするものよ。今くらい、表情を柔らかくしてもいいんじゃない?」

 そう言う姉さんに顔だけ向けると、目があった途端ふわりと笑う姉さんの姿。

「Nothing lasts Forever 、わたしの家に古くから伝わる家訓よ。変わらないものは無いって古い言葉で言うみたい」
「あー、諸行無常みたいなもんか? いきなりどうしたんだ?」
「キュウコンちゃんの関係のことよ。確かに今まではキュウコンちゃんがあんまり好きじゃない戦法だったけど、フキちゃん達はまだまだ変われるわ。きっと、良い方向にね」

 普段なら一笑に伏すような、その場凌ぎの慰め。
 でもなんだか姉さんが言うと説得感があり、こう言う風に心に響くように話せるのがホンモノの貴族なんだろうな、と思ってしまう。

「ふふ、もしかして疑ってる?」
「いや、まあなんか、ありがとうな」
「どういたしまして。フキちゃんはわたしの可愛い妹のようなものなんだから、好きなだけ頼ってくれていいし、好きなだけ助けてあげるからね」

 ムニムニとアタシのほっぺたを揉み込む姉さんは、ふかふかの体を押し付けながらそう耳元で囁いてくる。
 昔からの付き合いで、同性のアタシですら頭がグラグラと揺れるような甘い声が、頭の中に響き渡った。
 ドロドロと姉さんに体を預けてしまい、何も考えたくなくなっていくような感覚。まずい、と頭でわかっていても、心の壁が溶けていくような夢見心地。
 思わず堕ちて行きたくなり、これもう姉さんの家で一生厄介になるんで良いんじゃないかな、と思い始めてきた頃。

「はみーっ!」
「はっ……! 危ねえ、助かったぜなユキハミ」
「はみみっ!」

 鼻の頭をはみっ、と噛みつかれ、特に痛くもないが冷やっこい感触にハッと正気に戻る。ハハコモリがユキハミをアタシの顔の前まで突き出し、やり切った顔のユキハミは心なしドヤ顔だ。

「アタシ、ダメにならずに帰れるのかなぁ……」

 アタシの気苦労だって、とろとろとお湯に溶けていく。やはり、風呂は良いものだ。


◆◇◆◇◆◇◆


 その後お風呂を上がったアタシ達は、屋敷のメイド集団に拉致されあれよあれよと言う間に髪を乾かし、よく分からんオイルを塗りたくって、高そうな寝間着に着替えさせられた。
 そのまま当たり前のように姉さんに手を握られると、気づいたら彼女の部屋まで引っ張られる。
 これまた特注であろう、姉さんが大の字になっても十分なサイズのベッドに寝かされ、抱き枕代わりにされている、というのがアタシの現状だった。
 なんだったら、姉さんの頬擦りというおまけ付き。

「すぅ……すぅ……」
「はみ……はみゃ……」
「ははぁ……」

 姉さんもポケモン達も寝静まるが、アタシが床に就く時間には早すぎる時間帯。どうにもすぐには寝付けずに、毎日ずっと目だけつぶっているのみだった。
 オレアは今頃どうしているだろうか。流石に姉さんの屋敷に泊まることはできないため、余っている使用人宿舎の一室を貸してもらっているが、上手くやっていると良いのだけれど。
 なんて柄にもないことを考えるが、退屈しのぎにもなりはしない。

「……なぁキュウコン、起きてるか?」

 小声でそう呟くと、返答代わりにふぁさり、と尻尾が擦れる微かな音が聞こえてくる。
 音の出どころに目を向ければ、キュウコンは座ったままアタシを一瞥した。

「ずっと尻尾を大事にしてるのに、気づいてやれなくてすまなかった、キュウコン」
「……くぅ」

 気付くのが遅いぞ、と目で訴えかけるキュウコンに、思わず乾いた笑いが漏れる。どうにもリリーや姉さんと一緒にいると、小さかった頃のアタシが顔を覗かせるようだ。

「悪かったな、アタシ――んむっ」
「こんっ」

 ついでアタシが言葉を続けようとした所で、ヒタヒタと足音を殺してそばにやってきたキュウコンの、プニプニの肉球で口を塞がれる。

「もしかして、慰めてくれてるのか?」
「くぉん!」

 ぎゅむ、と押し付けられる肉球の力が強くなった。どうやらそうでは無いらしい。

「あぁ、軽々に頭を下げるなってか?」
「くぉう」
「正解か。はは……手厳しいな、うちのお姫様は。気位が高くて敵わねえ」

 そう笑えば、キュウコンも満足げに尻尾を揺らす。どうやら彼女の主になるには、相当大変みたいだ。
 なかなか身だしなみにも厳しい彼女をどう活躍させるかも考えなければいけないし、アタシだってコンテストの練習どころか、まだまだ姿勢の矯正の段階だ。

「っても、考えてたってしょうがねえ。なあ、ちょっとユキハミの面倒見ててくれねえか?」
「くー……くぅん?」
「こいつはまだまだガキだ。アタシがいないと夜泣き……いや、夜ハミが酷くてな。まあ、前の持ち主が迎えに来なかったんじゃあ気持ちもわかるが」

 多分まだまだ生まれて間もないのだろう。アタシが知ってるユキハミよりも一回り小さいサイズのコイツは、どうにもまだまだ親に甘えたい盛りはずだ。
 キュウコンの方をチラリと見れば、やれやれと呆れた表情。そうは言われてもアタシは悩んだら体を動かす質なので許して欲しい。
 彼女はフンと小さく鼻を鳴らすとユキハミを咥え、自身の体で包み込むように丸く座り込んだ。

「面倒かけるな。あとでまたブラッシングするからよ」
「……こんっ!」

 キュウコンが嬉しそうに声をあげるのを聞き遂げると、姉さんを起こさないよう、そろりそろりと布団を抜ける。
 そのまま近くにある羽織りを軽く引っ掛けると、抜き足差し足忍者のように。
 フカフカの絨毯のおかげで足音一つ立てることなく部屋を後にした。
 扉をわずかに開けて体を隙間に滑り込ませると、ドアのすぐ横に控えている警備の人から声をかけられる。

「フキ様、もうお眠りになられたと聞きましたが、どうかされましたか?」
「ああ、なんだか目が冴えちまってな。少し庭で体を動かそうと思ってるんだが構わねえか? あとアタシの預けてる太刀も少しの間だけ返して貰えると助かるんだが……」
「大丈夫だと思いますが……一応、庭の者に連絡しておきますね。刀もそちらに届けるよう言っておきますよ」
「おう、すまねえな」

 軽く礼を言うと、夜だというのに煌びやかに光る廊下を少し早足で進んでいく。シャンデリアやよく分からない絵画に囲まれていると、どうにも気後れしてしまうというものだ。
 そうして家の裏手側から庭に出ると、市街に建てられたカントリーハウスの広い庭に出る。
 街灯もなく月の光と遠くの街灯のみが光源となっており、ずっと姉さんがべっとりだったアタシには心地いい。

「フキ様っ、刀をお届けに参りました……!」
「夜遅くに悪かったな、迷惑かけちまって」
「ふぅ……いえ、私は夜勤ですのでお気遣いなく」

 サクサク、と芝を少しフラつきながら歩いてきたメイドは、刀を渡すと荒げた息を整えながらそう答えた。
 確かに太刀は結構重かったし悪いことしたな、と思った頃にはもうメイドは一礼してその場を後にする。

「にしても真面目に振るのは久方ぶりだな……リーグじゃだだっ広いところも無かったし」

 いつも通り、鞘と刀の鍔を糸で固定した抜けない刀。右手で持った時に腕へと帰ってくるズシンとした懐かしい重みだった。
 軽く何度か上下に振れば、真面目に扱うのは久しいと言うのにピタリ、と振り下ろした所で刀が止まる。

「体に染み付いたもんはそう簡単に忘れねえか。ま、今は都合がいいや」

 一度深く息を吐くと、刀を突き込むように上段の構え。
 そこからは、もう体が覚えていた。
 太刀を前に突き出し、振り下ろしてからの斬り上げ。そこから太刀を横に振って、体のバランスを取るように足を地面に打ち付けた。
 刀が風を切り体が温まってきた所で、徐々に体の動きを大きく激しく。腰を大きく捻りながら薙ぎ払い、独楽のように回りながら一回転。
 だんだん心臓の鼓動が大きくなり、芝を踏む音と荒い息遣いだけが世界を満たす。
 こうして刀を振るっている間だけは、動きの激しさに反して心は凛と鎮まるのだ。頬が上気して朱に染まり、額を汗がなぞり落ちていく。
 幼い頃から慣れ親しんだ動きを何度も何度も繰り返し、風の鳴き声に耳を澄ます。
 果たしてどのくらいの時間が経っただろうか。ペタリと額に髪が張り付き始めたので、一度呼吸を整えるべく太刀の刃と峰をひっくり返して納刀の動作。
 腰元に刀を納めてしばらく静止し、立ち上がった所でぱちぱちぱち、と拍手の音が庭に鳴り響いた。

「すごいじゃない! フキちゃん、とっても綺麗だったわ」
「ふ、ふ、ふ、フキさん! 上着はちゃんと羽織ってください!」

 音の出どころを見やれば、そこにはいつ気づいたのか薄着の姉さんと、彼女に捕獲されているラフな格好のオレアがそこに居た。
 姉さんはどこか少し興奮したように、オレアはなぜか顔を赤くしたままアタシとも姉さんとも目を合わせようとしない。

「フキちゃん前、見えちゃいそうになってるわよ。お胸が見えちゃってこんなに真っ赤なのよ」
「いや、どっちかと言うと姉さんの方じゃねえかな。アタシよりガサツじゃねし、綺麗だし」
「どっちもですよ! どうして二人とも薄着で男の間に出てきてるんですか!」

 男オレア、魂からのヘタレた叫びだった。
 よく分からないが申し訳なくなってきたので、しずしずと服の前の方を直す。

「ったく覗き見なんて趣味が悪いじゃねえか二人とも。言ってくれりゃあすぐ気づけたのに」
「ふふ。とっても集中してたから、なかなか声かけられなかったのよ。ね、オレアくん?」
「正直あんなに真剣そうなフキさんの顔、初めて見ましたよ。この前の南部ですら見たこと無いくらいに」

 馬鹿正直に褒められたらなんだか調子が狂う。姉さんは真正面からこう言うことを言ってくるから慣れている。が、オレアにまでこうも言われるとなんだか小っ恥ずかしい。

「おかげでフキちゃんの服が思い付きそうだわ! さっきのフキちゃんだって綺麗だったわよね」
「え、ええ。汗がキラキラって光りながら刀を振ってるの、漫画のワンシーンみたいでした」

 みるみる顔を赤くしながらそう呟いたオレアだが、アタシは思わずオレアに詰め寄った。
 そうか、そういう方法があったのか、と電流が走ったようにキュウコンの戦い方が脳裏に閃く。

「それだ、それだよオレア! お前いいこと言うじゃねえか!いやー助かったぜマジでナイスじゃねえか!」

 感極まって思わずオレアの肩に手を回して何度も叩く。
 たまたま偶然とは言え、光明が見えたのはいいことだ。こればっかりは彼に感謝である。

「……きゅう」
「あら、フキちゃんにくっつかれたら顔真っ赤にして気絶しちゃったわね。可愛い子じゃない」
「マジかよ……」

 別に直接肌が触れ合ったわけでも無いのに、なんとも初心なやつである。


◆◇◆◇◆◇◆


 ――同刻、国際警察ウラヌシティ支部。

「シナノくん、科捜研の代わりをしてもらってる上にこんな時間まで居るなんて、体大丈夫なの……?」
「僕は大丈夫ですよ。この時間まで勉強することだって昔はありましたし」

 さながら大学の実験室のような分析機械が居並ぶ科学捜査研究所、略して科捜研。
 夜も遅く様々な部屋の電気がもう落とされている中、この場に残されているのはシナノとカイドウの二人だけだった。

「そうとは言えね、君はまだまだ一四歳の子供じゃないか。少しくらいサボってもいいじゃないか」
「なら大丈夫ですよ。僕が今見てるのは仕事じゃありませんから」

 その言葉に、カイドウは少女にしか見えない少年のパソコン画面を覗き込む。するとそこにはこの施設で扱う解析ソフトではなく、多数の動画ファイルが開かれていた。
 それは様々な視点ではあれどすべて同一の人物――この地方の四天王、フキの戦っている姿が映っている。

「ね、この僕が残業をするような効率の悪い仕事をすると思いますか?」
「ごめんね、てっきり仕事を抱えきれなくなってるものだと……」
「ふん、僕をカイドウさんと一緒にしないでください! 最新のソフトウェアだってきちんと扱えるんですからね!」
「そうだよね、ごめんね苦労をかけちゃって……」

 頬を膨らませてそう主張するシナノに、苦笑いを浮かべるカイドウは思わず謝罪を口にする。
 それに少し不満げな表情を見せるシナノだが、その想いを言葉にする前に肩書きの上司が先に声を上げた。

「やっぱりコンテストの予習、なのかい?」
「ええ……悔しいですが。あのフキとかいう四天王、バトルの腕や練度だけは僕より上です。ガサツで粗暴で美しさのかけらもない、コンテストとは真逆の戦い方ですけどね。僕の方が美しいですけど、万が一という場合もあります」

 シナノは半ば憎々しげにパソコンの画面を見つめながらも、同時にどこか羨ましそうな顔をしている。
 それに気づいたかどうかは分からないが、カイドウは少し決心したような表情になると、恐る恐る自身の部下に話かけた。

「し、シナノくん? コンテストの予習もいいけど、気分転換にご飯でも食べに行かないかい?ずっと座りっぱなしだし、休憩にもいいんじゃないかな?」
「結構です。僕と貴方じゃ精々碌でもないキャッチに舐められるのがオチですから。それより外に行くなら、ついでにコンビニで何か買ってきてください」
「……はい」

 カイドウはスーツの胸ポッケットに潜ませた『初めての部下との付き合い方』という題の本をグイとポケットの奥に押し込み、少ししょんぼりした顔でその場を後にする。
 その目尻に、キラリと光るものが溜まっていた。



「ね、ねえ。い、いまの言葉、聞こえたよね。あのフキが、コンテストに『参加する』って、いう、ことだよねぇ」
「おーう、そう言う事になるねえ。ま、情報筋は間違ってなかったことだ。はぁ……おじさんも今回はお仕事しなきゃいけないのか。面倒くさいねぇ」
「ぼぼぼ僕、ちゃんと、できるか、なぁ?」
「なぁに、なるようにしかなりませんって。俺らはやる事やりゃあいいんですよ」

 そんな国際警察の二人を、眺めている人物がいるとも知らずに。

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