Box.60 観測外事項(空欄)

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 昼食の時間を過ぎていることに気がついたのは、互いの腹が鳴った瞬間だった。リマルカのポケナビで確認すると午後の二時近くで、尋ねるとリマルカも昼食をとっていなかった。それどころか朝も食べていなかった。

「カウンターで何かもらってこよう」
「メニューは?」
「だいたいカレーはいつでもある気がする。丼ものとかも」
「詳しいな」
「仕事で来ると絶対食堂に連れ込まれるんだ……」

 「細い?」とリマルカが自身の腕を見せた。リクも腕をまくり、横に並べてみた。引きこもっていた時期もあるが、それでもリクの方が筋肉があるし、色も濃い。
 リマルカは地下の街出身だけあって、肌が白く、細いというか、薄い。見ていて心配になるのだろう。レンジャー達はみな、良い人達なのだとリクは思う。それだけに、リクを見る彼らに漂っていた緊張感が気にかかる。
 食堂への道すがら、モクローが案内するまでもなく場所を知っていたリマルカが、リクの疑問について話した。リクの頭上にはモクローがおり、ぐるぐる動く首に合わせ、着いてきたトドグラーも目玉をぐるぐる動かしていた。

「カイトさんもリアンさんも何も言わないけど、君が重要な立ち位置にいる人物だとは、彼らも肌で感じているんだよ。君が寝ているのはカイトさんの部屋だし、モクローの監視がついているし、リーシャンがホムラ君のいる留置所に出入りしているし。下手なことを言わないように緊張しているんだ」
「――リマルカは、あいつを敵だと思うか?」

 名前を出さなかったが、誰のこと言っているのか、リマルカは分かったようだ。リクの目をじっと見て、そこに映る色を確認すると、「いいや」と答える。

「リクは彼をどう見たらいいのか、分からないんだろ」
「敵だ」
「そう、それ。そうだけど、そうじゃない。君の顔は、そうじゃないって言ってる。でも、一度ラベリングした感情を書き直すのは容易じゃない」
「ラベリ……? お前、アイドルキングみたいなこと言うな」

 ラベなんとか、という横文字に思い出す。リマルカはポッポが豆鉄砲を喰らったような顔をして、視線を横に逸らした。

「アイドルは……ちょっと……遠慮したいな……」
「ジム巡るんだろ。観戦しに行ってやるよ」
「君はけっこう似合っていたと思うよ」

 からかい混じりの言葉を思わぬ台詞で切り替えされ、ギッとリクが停止した。この会話は分が悪い。気まずそうに顔を赤らめると、早歩きでリマルカを追い越した。食堂への扉を開くと、反対側から出てきた人物とぶつかった。

「ぎゃっ!」
「ひぇん!」

 聞き覚えのある少女の声に、弁当の容器が宙を舞う。外れた蓋と容器の狭間で散らばっていくおかず類を救出しようと、少女の手が機敏に動く。モクローとトドグラーが目を光らせた。モクローがグレン風ハンバーグに、トドグラーがディグダウィンナーとスパゲティに襲いかかり、それ以外を回収した少女――コダチが「あー!」と叫ぶ。

「ひぇん……ハンバーグがぁ……」
「ウォン!」
「酷いよぉタマちゃんモクちゃん!」
「ウォ!?」
「……」

 伸びてきたコダチの手からモクローが嫌そうに体を退き、トドグラーはほっぺたをむにむにと引っ張られた。コダチの肩をリクがぽんぽんと叩くと、半泣きで振り向いた顔が明るくなった。

「リクちゃん! いつ起きたの!? え、え! 本当にリクちゃん!? 私のこと分かる? 覚えてる? コダチだよ!」

 最初は嬉しそうだったコダチは顔を曇らせ、不安そうに詰め寄ってきた。覚えてるも何も、一昨日まで一緒にいた人物をどうやったら忘れられるというのか。覚えている、と困惑しながら返答すると、涙目で良かった良かったと彼女は繰り返した。

「なに? なんなんだ?」
「リクちゃん、ゲイシャちゃんに久しぶりとか言うし、私のこと全然分かんないし、キプカさん呼び捨てにするし!」
「それよりコダチちゃん、お仕事は良いの? お弁当持ってるってことはまだまだ後処理の書類が山積みなんでしょ?」

 ぐい、とコダチの背中を、食堂から出てきたポケモンが押した。青と黒を基調とした色合いのすらりとしたポケモン、ルカリオ。どこぞの誰かを思わせるような鋭い目で、ぐいぐいとコダチの背中を押す。コダチが肩越しにルカリオを見て、未練の残る足を食堂へ戻そうとする。

「待ってよぉハンバーグ弁当をもう一個買わせ……ご、ごめんなさぁい! リクちゃんリマちゃんごめんねもう行くね! ああああそうだソラ君にはちゃんと言っておくからねリクちゃん! 起きたって会いに行ってあげてねって! それから先輩から聞いたんだけどユキ――分かった! ごめんなさいもう行きます! しょるいかきます!」

 片手に波動を集束させ始めたルカリオに、弁当を抱えるとコダチが近くの窓に足をかけた。窓枠を蹴り、ガササッという音を立てて外の木に飛びつく。ルカリオも後を追う。窓からリクとリマルカがうかがうと、コダチとルカリオはもう遠くの木へ飛び移っていくところだった。

「レンジャーの身体能力って凄いな」
「いや、彼女が飛び抜けて高いんだ。カイトさんのルカリオをつけるくらいだし」
「カイトの?」
「サイカジムのタイプは〝草〟だけど、それとは別にレンジャーとしてのパートナーがね」
「一匹しかいないのにコダチにつけちゃって良いのか?」
「さぁ……それだけカイトさんが、今回の事件を重要視しているか――」

 まだ少し揺れている木々を見つめる。ここは3階だ。まともな神経の人間なら窓から飛び移ろうなんて考えない。リマルカが苦笑した。

「それだけ彼女の逃げ足が速いか、だろうね。ハンバーグ弁当は売り切れたかもしれないけど、カレーライスくらいならあるだろうし、僕らも食べに行こう」





 昼食を終えるとゴルトに連絡をとった。リクが持っていたポケナビ――ヒナタのポケナビはもうないので、リマルカのポケナビを借り受ける。会話の内容が内容なので、二人はリマルカの部屋に戻った。ゴーストポケモン達が警戒しているので、外に声や情報が漏れる心配はない。リマルカの助言でモクローも部屋の外に出すことになったが、これが難儀だった。
 リクの頭上に掴まっているモクローが、引っ張ってもなだめすかしても離れようとしない。リマルカがモクローの体を引っ張ると、鋭いかぎ爪がぐいぐいとリクの頭皮と頭髪に食い込む。とぼけたように見えるが、一応任務をまっとうする気持ちがあるらしい。リマルカに頼まれて説得しようとしているゴーストポケモン達に、尻を向け――右から話しかけると尻を右に、左から話しかけると尻を左に、ならばと四方八方から迫ると尻の高速回転を見せ、やんややんやと拍手をうけた――対話の拒絶(おそらくは。馬鹿にしているのでなければ)の意を示していた。リマルカが額を抑えた。

「でもモクローだって話の内容まで伝えることはできないだろ」
「僕と違ってカイトさんやリアンさんはポケモンの言葉は分からないけど、ポケモンレンジャーにはキャプ――」
「ちょっと待てよ。お前、ポケモンの言葉分かるのか? 幽霊だけじゃなくて?」
「ゴーストポケモンだったらね。他種族のポケモンも彼らを通せば。ただ、霊魂ではなく、物体に近いポケモンは言語という概念自体が異なるから疎通が難しいし――」
「シャン太の言葉分かるか?」
「君は、話を、最後まで、聞くように!」

 ぴしゃりとリマルカが言い放った。

「レンジャーはキャプチャで心を通じ合わせることができるし、そうでなくとも普通のトレーナーより野生のポケモンの気持ちを読み取る場面が多い。このモクローは警戒すべきだ」
「こいつが、ねぇ……」

 尻を見せて遊んでいる姿を見ると、どうにも警戒心が薄れる。それが狙いなのかもしれない。
 それはそれとして、引き剥がす方法はリマルカの頭脳をもってしても浮かばないようだ。どうしよう、となおも頭を悩ませるリマルカに、任せろとリクは言った。トドグラーに声をかける。

「タマ、オレとモクローに向かって〝冷凍ビーム〟だ!」
「ウォ!」

 分かったー! と二つ返事で請け負ったトドグラーの口中に冷気が集束する。一気に気温の下がった部屋に、リマルカが動揺した。

「まさか本気じゃないよね……!?」
「本気も本気だ!」

 モクローは表情の読めない顔で首を45度傾けている。取り囲んでいたゴーストポケモン達が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。リクの言葉と同じく、トドグラーも本気の目で、その口中から容赦のない冷凍ビームを放った。
 モクローがリクの頭を蹴って飛び立ち、蹴られたリクが後ろへ倒れ込むその狭間を、掠めるように冷凍ビームが通過する。モクローが空中で身を震わせ、大量の羽毛を振りまいた。ゴーストポケモン達が抑え込みに動くが、モクローの姿が羽毛の狭間でスッと消える。目眩ましだ、と視界に舞う白い羽毛を見上げ、リクは背中から床に倒れ込んだ。

「っタマ! 気をつけ――ろっ!」
「ウォン!」

 衝撃に目を回しつつ、叫んだ言葉をトドグラーが聞き届ける。バッと壁を蹴り、リクへと覆い被さるように飛んだ。その巨体がリクを完全に覆い隠そうとする隙間に、モクローの影が突っ込むが、手前で止まる。つめかけたゴーストポケモン達の無数の手が、その身を掴んで引き止めていた。

「ごめんね」

 リマルカはしめ縄をモクローの体にぐるぐると巻きつけた。ゴーストポケモンや霊魂相手とは違い、拘束効果は薄いがないよりマシだ。ゲンガーがヘッドロックを決めるようにがっしりとモクローの首を固め、二匹のヤミラミが両手でモクローの脚を抱きしめる。仕上げに「休憩中」の紙を貼り、モクローを部屋の外に安置した。左右をヨマワルやサマヨールが固めている。

「無茶するね」
「今更。……いてて」
「ウォン」

 トドグラーをどかし、リマルカの手を借りてリクが起き上がる。その手にリマルカがポケナビを渡した。

「無茶しないようにね」
「そっちも今更だな」





 開口一番、からかいの言葉をゴルトは吐き出した。

『地下の冒険は楽しかったらしいな?』
「おかげさまで」

 ポケナビ越しだと表情の変化が探れない。だが、条件は向こうも同じだ。声音だけでも余裕を見せることが大事――トゲのある返事をしたリクに、向かいのリマルカが「抑えて」とジェスチャーで注意した。

『今はサイカか。一騒動あったようだが、怪我の具合はどうだ』
「別に。いちいち入院するほどドジじゃないしあんたに心配される筋合いもない。それより、取引の話だ」
『話していいのか?』
「なしにしろとか言うなよ。あんたから持ちかけた取引だ」

 電話口の向こうで、笑い声があがった。ゴルトが本題にすぐに入らなかった理由は分かる。リクが今、どういう状況いるか、その状況を本人がどう理解しているのか。そこの情報が不足しているから、会話から探っているのだ。
 ここはサイカタウン。ゴルトの情報網の外の街――四天王であるリアンのお膝元だ。早く本題に入れと急かすと、ゴルトはゆったりと答えた。

『そうじゃない』

 ニヤリと嗤った気配がした。

『俺は気を遣ってやったんだぜ。小僧Bとの約束だろう――事が済んだら、マシロかホウエンに帰る、というのが』

 リクの目が剣呑に細まった。
 あの夜の試合と約束を、結果を知っているのはコダチとリクとソラの三人。コダチが話すとは思えない。ソラがリマルカに話した可能性はあるが、それをゴルトに話し済みであることを、リマルカが作戦段階で話さなかったのはおかしい。

「オレは、この街に残るし、地方にも残る。まだやることがある」
『堂々と約束破りの宣言をしたなァ』
「約束破りなんかじゃないさ」

 ソラはまだこの街にいる。
 不気味なほどに穏やかな時間が流れるこの街の薄皮の下で、どれほどの時間が残されているのか分からないが、零ではない。

「あんたにそれを教えたのは、ソラだろう。約束の内容は、〝オレが負けたら、帰る〟こと。それも〝サニーゴの件が終わったら〟の条件付きだ」

 ヒュゥ、とゴルトが口笛を吹いた。ソラがゴルトに話す可能性は、すでにリマルカと話し合いずみだが、実際にそれがこの場に持ち出されたことに、リクは拳を強く握りしめた。

『おもしれぇなぁ……驚かねぇのな、お前。それとも、セコンドのフォローか?』
「サニーゴのことは終わってない。オレはサニーゴと〝直接〟会話はしたけど、〝リマルカを通して〟は話してないし、サニーゴはキプカが連れていった。それはあんたも知ってるはずだろ?」
『知ってるとも。特別サービスに教えてやるよ。サニーゴだったらヒナタの元に戻ったぜ』
「は?」

 虚を突かれ、思わず素の声を漏らしてしまった。

『おお、驚いた驚いた』
「お、驚いてない! ちょっと……びっくりしただけだ!」
「リク。それを世間では〝驚いた〟っていうんだよ……」

 ドタンドタンと扉の外が騒がしい。モクローがゴーストポケモン達の拘束を脱しようと動いているようだ。乱闘の気配がする。交渉が長引けば不利だ。リクはひとつ息を大きく吸うと、屁理屈だと分かっている言葉をぶつけた。

「ソラの提示した条件は終えていない。だったら、約束は宙ぶらりんのまんまだ。そうだろう」
『それならこっちの条件はどうする?』

 相手の声音は、楽しそうだ。
 ここから提示する条件は、読みが当たっていればの話。ここまでは想定内のやりとり。握った掌に脂汗が滲む。
 リクはカザアナに行く前に、ゴルトにとっての利はなんだろう、と考えていた。考えてみるこったな、とゴルトは答えた。
 彼の狙いは、リクがリマルカを通してサニーゴの言葉を聞くことではない。

「あんたの本当の狙いは……サニーゴの復活だ。ならあんたは、本来の目的を果たしたことになる」

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