22.運命の女神の報復

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ハイドの発した言葉に、動揺するよりも。ヘリコプターにて移動し、彼らの持つプライベートジェットに同乗した、キースは激しく後悔していた。
「最悪だ、本当に……」
 恩師の紫鳳を、間接的に巻き込むばかりか、彼らに認知させてしまった。代表者である男は、自分を狙う素振りは見せない。寧ろ利用したいから、わざわざ遠く離れたシンオウまで、追ってきたのだろう。師の強さは、重々知ってはいるが。
 しかし、今までカロスやガラルに数年単位で潜伏していたにも関わらず、今回は遠方。しかも、これまでに訪れた事もなく、足跡を残していないシンオウ地方だ。
「どうして、僕の場所が直ぐに判った」
 前の席に座る、背の高い冷血な男。強面な黒ずくめや、警備を任されてるだろう、ドラピオンらポケモン達。彼らに囲まれても、キースは身動ぎしない。物言わぬ長兄に、凄んでいた。
「……実に、おめでたい男だ。お前の傍に居たのは俺の妹であり、アイツが信用出来ないからこそ、お前はギルガルドを連れて離反した。違うか?」
 半ば覚悟していたつもりだった。しかし、彼の語る事実は、この男の知らないはずの事項は、一言一句正しい。ハイドは、その先は語るまでもないかと言いたげで。
「もっと言えば、何故……俺達程の謂わば上流階級の人間が。お前の様な人間に、子息の誘拐を許すと思う? いくら不肖と言えど、育てた娘を社会から抹殺する程のリスクを、わざわざ課すと言うのだ」
 青年は、絶句していた。彼が怪盗にならざるを得なかったのは、父親の死を知ったからであった。その死に関与するのは、間違いなくマギアナを巡る闘争であり。もし、もしその情報や、妹の存在を彼が仄めかしたのだとしたら。
「な、最初から……本当に、自分が全てを仕組んだって、言うのか」
 彼の、ハイドの思うように。全ては、動いていたということになる。
「そうだ」
「全部、全部! お前が手配したっていうのか」
「そうだが」
「そんな、僕の意思すらも……」
「いい加減にしろ。何度同じことを聞く気だ」
 もはや、怒りをぶつける気にも、ならない。
 考えれば考える程、ハイドの言い分には理屈が通っている。ガラルでの警備が、あそこまで生ぬるいのも。わざわざ、何百年と隠してきた『禁書』を公開したのも。今まで、たった二人で“怪盗”なんてやって来れたのも。全ては、彼らのお膳立てのお陰であり。娘を抹殺する親も、父親から捨てられた少女も。まるで、存在しなかったのだ。自分の誘拐による出会いすら紛い物で、彼女はそれを知りながら自分の傍に居た。
 全ては、彼が言った通り。妹を使い、自分の動向を報告させていたのだ。彼女は、疑いようもなく、自分の監視役だった。その事実に。見たくなかった真実に。キースは顔も上げられない。荒らげる声すら存在しなかった。
 自分の意思なんてものは、そこには初めから存在しなかったのだ。キースは、彼らの用意した舞台でひたすら踊っていた、道化師であったのだから。
「今までのは、嘘だったって云うのか」
 彼女が見せてくれた覚悟や、哀しみに涙。そしてあの時の笑顔すらも。全て、全てが。自分を利用する為の演技だったのだろうか。
 キースは、心悲しくも気がついてしまった。思い出せば思い出すほどに。自分の気が許せるのは、彼女ただ一人で。楽しかった記憶には、ほとんど彼女が隣に居た。裏切り者でも、偽の関係でも。もはや切っても切り離せぬ、半身に近い存在だったのだ、と。
「……その程度で意気消沈されては、困るのだがな」
 ハイドが、声を投げ掛けた先は。数週間前まではいた、懐かしのカロス地方。そして、彼ら死の商人“バイモ・コーポレーション”の本社ビル。
「降りろ。お前には、知る権利がある」
 もはや慟哭すら、許されない。憎しみに喘ぐ暇もなく、何も考えられない頭で、虚しさを引き摺りながら巨大なオフィスへと歩いていく。
 イベルタルの証、赤と黒の旗。カロスの死の象徴は、はたはたと青年を嘲笑うかのように。風に揺らめいていた。





 前を往く男は、威風堂々としていた。時折首を回し、意味ありげな深いため息。ビル内の研究施設に案内され、苦渋を拳に込めた。しかし、悟られぬように、目線は下に。真っ白な廊下を歩くばかり。
 ここまで、僕を生かして利用する理由は、万に一つ。マギアナの場所を暴き、『禁書』と『福音書』をかっ攫うつもりなのだ。それだけは、避けなくてはいけない。本当ならば、そうだ。彼らの誘いに乗ること自体が、死地への誘いに過ぎない。
 だが、僕の本音を言うならば。もう、どうでもよかった。自分の生き死にも、本来の目的も。僕は何もかも失ってしまったのだから。怪盗なんて……名乗る気にもなれない。何故なら、彼女が居てこその“怪盗レイス”だったから。
 どうしてなのだろう。僕はこれほどの仕打ちに逢う程の業を、犯していたというのか。そんなの、割に合わないなんて、話ではないじゃないか。
 ハイドは、足を止める。巨大なガラスケースに繋がれた、紫色の細胞。データを取る研究員に、パラメータを表す電子機器。
「ここが、俺たち兄妹の生まれた場所だ」
 唖然とする。この男は何を言っているのか。どう見ても、ここはポケモンに実験を課す施設。常人が見れば、悍ましい光景。だが、全くといって男は顔色を変えない。
「我々の祖先の片方は、メタモンだった。とはいえ、もう2000年以上は前の話だがな。“人間の上を行く人間”として、我々は産まれてきた。お前達のよく知る、武器商人・イーストンの一族の正体だ」
「は、はあ?」
 文字通り頭が痛い。目の前の男も、妹のイーラも。人外の血を引くというのか。否定したい一方で、しかし。言われてみて、思い出してしまう。
 彼女はモノズに噛まれて怪我をしても、動じなかった。つい先日までお嬢様だった癖に、トレーナーとしての才覚に優れていた。家事や僕の渡した仕事を覚えるのが、異常なほどに早かった。
 こちらの疑問や困惑など、捨ておいて。冷淡な抑揚のまま、目の前の男は続ける。
「しかし……俺たちの世代は、更にまた特殊でな。近年、“戦争法”が成立したことにより、従来の武器商人は、一気に犯罪者扱いになった。これまで、“感情を抱かない一族”であったが、どうにも商売相手として、人間の感情を理解する必要が出てきた。ということでな」
「いや、まさか、まさかとは思うが」
 目を遣る先には、先ほどの紫色の細胞。隣には、赤いツノらしき断片。見慣れていたポケモンの一部に、見えた気がした。こんな、嫌な予感を。悪寒を。どうか的中させないでくれと、別に信心深くない僕ですら、懇願していた。
 手で培養液の入ったガラスを、男は軽く叩くと。
「十中八九、察しているらしいな。そう、俺や妹は……“CoE細胞”と呼ばれる、ラルトス族の一部を養殖され生まれた。要は、身体の数パーセントはポケモン、ということになる」
 嗚呼、だから、聞きたくなかったんだ。
 彼女は父親に捨てられたんじゃない。元から存在しなかったのだ。この男とは歳が離れている割に、顔が似ているのも。感情を滅多に出さない割に、こちらの機微には敏感なのも。
 全て、綺麗に説明が付くじゃないか。
 僕よりずっとポケモンに近くて、気持ちが察せるのも。サーナイトが、彼女に特別親しみを感じていたのすら。
 心では泣きたいばかりなのに、僕の頭は依然として冷静で。次々と、今までに感じた違和感を当て嵌めていく。そんな自分に、更に嫌気が差した。
「アイツは、便宜上妹だが。実際には、妹ですらない。だからこそ、同じ素材から出来ているはずのイーラに、お前が庇護欲を向けていたのは、ひたすらに不思議だった」
「そんな大したものじゃない……」
 僕が彼女に向けていた感情は、褒められたものではない。彼女よりも感情に冷淡なこの男には、伝わらないだろうが。
 僕はただ、誰よりも臆病で、卑しかったから。
 こんなにも不幸な彼女なら、自分からは離れないだろう。自分を大事にしてくれるだろう。そんな浅はかな、自己救済の意識だった。自分よりも遥かに弱い誰かを助けて、僕自身も助かりたかった。僕を認めてくれる誰かに、このまま生きていていいという、そんな勲章を欲しがった。
 言ってしまえば、傲慢な優しさだったのだから。
「アイツは、俺達兄妹の中で最も人間に近く、そして近すぎるあまりに、失敗作であった。どうにも、余計な感情すらも受け取ってしまう質でな。俺や、もう一人よりも、格段に人間ではあった」
 不肖の娘、という扱い自体は。おそらく聞くに間違っていなかった。だからこそ僕は彼女に、可哀想なんて感情を抱いていたから。
 彼女の言葉が、感情が。本当に全部演技だったとしたら、ギルガルドは彼女について行くなんてことに……ならなかっただろうから。
「……それで、お前はこれからどうする。キース・アンドールフィ。妹はまだ帰ってないが、直に“エス”が連れ帰るだろう」
 エスと呼ばれた人物は、察するに彼ら血族の仲間か、或いは。彼女の語らなかった別の兄弟。
 彼は静かに自分を見ている。ボールホルダーに手を掛けているということは、反抗の意志を見せれば戦闘になるだろう。
「こんな事を一方的に聞かせて、はいわかりましたと、怪盗コンビをやるとでも?」
 僕の心は、もうツギハギですらない。まとまった意思など存在せず、未だにここに立っているのが、不思議なくらいだ。
 だが、それでも。この男が自分の人生を狂わせたのも。父親の死に関わっているのも。それだけは、間違いないのだ。やはりハイドとは、戦う他ないのだから。
『ははっ、ウケる。君が挑発されてるなんて。多くの人間は、この研究施設で吐き気を催すけれどね』
 突然聞こえた声に驚くと、今まで巨大な電柱だと思っていたモノが、動き出していた。見るからに異質な見た目に、あのレミントンが連れていた奴を思い出す。しかし、人語を操れるとは、『幻』や『伝説』に類するポケモンである可能性が高い。
「あくまでも、抵抗するのか」
「従順に、なる訳がないだろう」
 男は、「そうか」と短く会話を切ると。隣に蠢く黒い電柱に目を向ける。アイツの嘲笑うような声は、ハイドにも聞こえているようだ。
『だってさ。今にも泣きそうなのに、ボクらを睨むことは止めない。くだらないプライドが邪魔して、選択を誤った。く、ふふっ、人間らしさって奴だね。アレ、見せてあげれば?』
「……そうだな。純粋な戦闘よりも、効果があるかもしれん」
 一人と一体が話す、“アレ”。もう何もかもを壊され、踏みにじられた。そんな僕に失うものなんて、なかった。ならば、この場ですることは一つ。
 湧き上がるのは、純然な怒り。慟哭を鎮めるほどの憎しみに、その身を賭していた。
「では、残念だが。手は組めないと見ていいか」
「ふざけるなよ……僕も父も、助手だったあの子も! お前らの願望を叶える道具ではない」
 自然と、声が意識として出現していた。あの子を庇っていることにも、後から気づいた。全ては、この男から始まり。そして、この男への復讐が最後になる。手に持つのは、やはりギルガルドのボール。わざわざ僕の側についた彼は、マギアナの為に命を懸けるだろう。ならば僕も、その戦意に応えるのみ。
 くつくつと。笑う声が聞こえてくる。あの馬鹿でかいポケモンからだった。不愉快であり、人間味しか感じない。そんな笑い声。
「俺は、確かに人間の感情には疎い。妹のように、痛みやら感傷に敏感ではない。だがな」
 あの男が持つモンスターボール。在り来りな、赤と白のデザインだ。なのに。何故か、心はざわめいて仕方ない。

「どうすれば、人間の心は壊せるのか。それだけはよく知っている」

 それだけを男は、静かに告げた。
 相手がポケモンを出したら、こちらも出さねばなるまい。それは言うまでもない、トレーナーとしての基本。なのに、僕はずっと構えていたギルガルドのボールすら。その場に解放出来なかった。

「……なんで、君が……?」

 青くしなやかな身体に、長い舌のマフラー。僕を見る目は厳しく、変わりない『みずしゅりけん』の構え。初めてのポケモン、そしてかつて共にリーグを夢見た相棒が。間違いなく、僕の目の前には居た。
「恐怖とは、必ず過去からやって来る。自分自身を裁かねばいけない時、人間は最も脆くなるというものだな……指示は出さない。好きにしろ」
 ハイドの一言に頷く間もなく、そのポケモンは。ゲッコウガは、襲いかかる。まだ手持ちすら解放していない僕へと、飛びかかって来たのだった。

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