第七節 義理と人情
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ジリリリリ、とけたたましい火災報知器の音が部屋に鳴り響く。ついで部屋の天井各所から、堰を切ったようにスプリンクラーからの放水が始まった。
ちょうど汗やら血やらで身体中がベトベトだったので好都合。フキは軽く顔を洗い流しながら、炎で吹き飛ばされたレヴォの元へと向かう。
「やってくれたな姉ちゃん…てっきり特性は『ごりむちゅう』だと思っていたぜ…」
「はっ、燃えるハートの氷四天王とはアタシのことよ」
−『ごりむちゅう』。一回の戦闘で一つの技しか使えない代わりに、その技の威力を底上げするヒヒダルマの特性。
確かにフキはヒヒダルマが倒れるまで「つららばり」しか使っていなかった。加えて氷タイプの技の威力が減弱する鋼タイプへの攻撃で、なお有効なダメージを与えている。
「つららばり」の多様な応用だって、その特性の欠点を消すものだとレヴォは思っていた。
「つーかお前みたいなやつが四天王か?カタギなんかより、よっぽどこっちでバカやってた方が似合うんじゃねえか?」
「そりゃどーも。ま、それじゃあ次にアタシが何をするか分かってるよな?」
レヴォを見下ろしながら肩に担いだ刀を鞘ごと手に持つと、ドンと鞘尻を地面に叩きつける。
「フ、フキさん…!もう勝敗はついてるじゃないですか!僕らの目的だってこの人たちに頼めば…」
「ダメだ」
オレアの言葉を最後まで聞く前に、ピシャリとにべもなく切って捨てる。
スタジアムならば、戦えるポケモンがいなくなった時点で勝負は終わり。だがここには生憎ながら審判もリリーもいない。
ならば決着は、どちらかが倒れるまで決まりはしないのだ。
それはフキもレヴォも承知の上。互いに軽々と勝負から降りられるとは思わずに、勝負の舞台に立っている。
「なに、お前にはそこまで用はねえ。大人しくしてりゃ半年くらい病院と仲良くするくらいですむからよ」
しかしレヴォは吹き飛ばされた身体に鞭打って、膝を震わせながらもどうにか立ち上がり、フキの眼を睨み返す。
「はいそうですかで寝てられるかよ。うちの頭を連れてく気なんだろ?そうは問屋が下さねえぜ」
「へえ、あのガマガエル面にか?」
「俺らの世界じゃ例えどんなクズでも親は親。その鉄の掟を破っちまえば俺だけじゃねえ、俺を『兄貴』と慕ってついてくる奴らだって生きていく道が無くなっちまう」
彼は拳を握り締め、おぼつかない足取りながらもフキへ向かって進んでいく。それは、大きく腕を振りかぶっての見えすいたテレフォンパンチ。
フキはそれを軽く片手で受け止めるが、レヴォはなけなしの力を振り絞って力を加え続けた。
「だからよ、ここから先は通させねえ。テメエの身ひとつ怖いくらいじゃ止まれねえんだよ!俺みたいな馬鹿は!」
「ハッ!アタシ好みな馬鹿じゃねえかアンタ。あんなアホの下にいるのがもったいねえな」
「なんとでも言え。お前みたいに良いとこで生まれたわけじゃねえんだ!」
レヴォが叫んだその瞬間、背後から鈍く煌めく金属光。そこに居たのは、先ほどまでコマタナ達に指示を飛ばしていた構成員の一人。
彼はその手に柄のついたナイフを腰だめに構えると、迷わず彼女の元へと突進してきた。
「兄貴に汚ねえ手で触ろうとしてんじゃねぇこのアバズレがぁあああ!」
直後、ドッ、と深く刃物が突き立てられる鈍い音。
少ししてポタ、ポタと水が滴り落ちる音が部屋へ響き、、彼女が纏った和服を赤色に染め上げる。
頭(こうべ)を深く垂らしたままのフキは、そのまま動く気配がない。
「フキさんっ!?」
鉄臭くなった部屋で顔を青ざめさせたオレアは、喉から絞り出すような高い悲鳴をあげる。
その言葉に応じるように、フキはギロリと首から上だけを回して凶刃を握った相手を睨み付けた。
「おいお前、ここで死んでくか?」
彼女は低くそう呟くと、オレアの拳を受け止めた手とは逆、深々とナイフが掌を貫通した方の手を大きく開く。
一瞬太刀を強く握るが止め、そのまま血が流れ出すのも構わずに、フキを刺した下手人の腕を掴んで捻りあげた。力を加え続けて痛みに身を捩った瞬間、彼の腹部に膝を叩き込む。
その瞬間、一匹のコマタナがフキの首筋めがけて飛びかかった。
「甘いんだっつーの。主人想いだが、十把一絡げの奴らがアタシを獲れるかっつーの」
しかしその小さな体躯は、ダルマモードの終わったヒヒダルマによって簡単に捉えられてしまう。
「お前よぉ、刃物で血ぃ出しちまったら、もう引くに引けなっちまうじゃねえか。なぁ?」
そう言いながら彼女はクタリと意識を飛ばした構成員を、レヴォの弱った体めがけて投げ捨てた。
その衝撃でついぞレヴォの瞳も上を向き、白目を晒す。
そこでようやく思い出したように掌をしげしげと眺め、ナイフを抜くと地面に投げ捨てた。
血がドッとあふれるのも構わずに、奥で伸びているガマガエル面の男のところまで歩いて行くと、そのまま勢いよくその男を蹴り飛ばす。
そのまま壁際まで吹き飛んだ脂で光る男の顔を踏みつけ、にっこりと笑顔を口角を釣り上げた。
「よう組長サン。アンタが根こそぎ奪っていったポケモンの居場所、教えてくんねえか」
「なっ!なんで刺されてそんなにピンピンしてるんだっ!」
「あぁ?手のひらから向こう側見えるくらいでガタガタぬかすかよ。てめえんとこの若い衆がよくもやってくれたなあぁ、あぁおい?」
フキはそのまま足にかける力を強くし、おまけでグリグリと靴底で擦るような動きも追加した。
背後ではヒヒダルマもおもむろに『つららばり』で作った太刀を持って、威圧するように地面を叩いている。
「な、舐めんじゃねえぞ小娘…!お前みたいなガキの脅しに屈するわフガッ!?」
「ガタガタ御託しか吐けねえんならこの舌、別にいらねえなぁ」
風穴の空いた手で相手の下顎を掴んで無理やり引き下げると、口内に素早く太刀を鞘ごと突っ込んだ。
一瞬、ボキりという手応えとともに白い物がいくつか吹き飛んでいったが、この場でそれを指摘する人は誰も居ない。
「アタシの手も、ポケモン根こそぎコソ泥かましてんのも、全部てめえでケツ拭いてもらわねえとこちとら引くに引けねえんだよ。答えは『はい』か『わん』で聞いてやる」
フキは一度、口内から刀の鞘を引き抜くと、素早く振るって血と唾液を払い飛ばした。
その傍若無人な彼女の態度に、ガマガエル面はわなわなと肩を震わせた。見下ろされている状況で、彼は血管を浮き上がらせながら懐に素早く手を伸ばす。
彼が取り出すのはリボルバー銃。人の命を容易に奪える武器の銃口を構え、撃鉄を起こした。
そして興奮状態ゆえに迷わず引き金を引こうとしたところで、彼はそれ以上指が動かない事に気付く。
拳銃を持つ指ごと、彼の手がまるまる凍っていたのだ。遅れて男の近くまでヒヒダルマが詰め、冷気で固められる射程圏内に入っていた事に気付く。
「さて、アタシは『はい』か『わん』しか求めてねえんだが…聞き分けのねえ駄犬にはしっかり躾が必要だよなぁ?」
フキは頭領の凍った腕を蹴り砕いて、拳銃を窓から外に放り出す。そして太刀が鞘から抜けないように結んでおいた縛り紐を解くと、太刀の柄に手を掛けた。
「さて、まずはろくな言葉を喋らねえその舌、要らねえみてえだな」
「わかった!わかった!ポケモンたちは南区の別倉庫だ!そこにみんな集めてある!」
「そうかい。じゃああとはサツんとこまで眠っとけ」
そう言ってフキは、気兼ねなくガマガエル面の顎に足を叩き込んだ。
「フ、フキさん大丈夫なんですか?その掌…」
「もう血も止まってるし、別にあの程度じゃ死にやしねえよ。傷だってほっときゃ塞がるし」
そう言って刺された方の手をプラプラと振ってみせる。まだ手を細かく動かすには少し違和感を感じるが、拳を握るには十分だ。
いざとなったら長い鉄パイプとそこに縛りつけたカエル面の男を担いでいるので、それを振り回せば大丈夫だろう。
それよりも、和服の血をどうやって落とすかの方が問題だ。こんな状態を見られたらキャイキャイと小言をどれだけ言われるかわかった物ではない。
「えーっと南の6番倉庫は…あ、そろそろ着きますよ。それにしてもここら辺の地図ってグチャグチャで読みにくいですね」
「違法増築に改築祭りだからな。ここじゃ『じしん』・『じならし』は禁忌だぜ」
「確かに、建物崩れ落ちそうですもんね」
そう言いながらオレアは、雑多に縦積みされた街並みを見回した。
適当な木の板が街の上層部の橋渡しに使われていたり、盗電なんかがそこかしこで罷(まか)り通っている。
それでも強く生き抜く人の生活の声が、窓から灯りと共に漏れる街。
確かに治安も悪く、お世辞にも良いところとは言えない。それでもオレアにとっては、レヴォの姿を見て、少し認識が変わったのかもしれない。
「あ、見えてきましたよ!あの大きい倉庫みたいです…けど、見張りの人はもちろん居ますよね。どうやって見つからないように…」
「残念ながらもうバレてるぜ」
アタシがこれみよがしに頭領を鉄パイプにくくりつけているからか、それとも先に電話が入ったのか。
しかしそんなことを考える暇もなく、もう目の前には二匹のコマタナが迫っていた。
「ま、殴る時間は十分すぎるほどあるし、別にいいか」
『ダルァ!』
しかし自発的にボールの外へと、風を巻きながら素早く拳を繰り出す。
前方、射程に入ったコマタナの頭に鉄拳を叩き込むと、遅れてやってきたもう一体を巻き込んで吹き飛ばした。
そのまま二匹が塊となって、倉庫の扉にぶつかり破壊する。
「よし。開いたな」
「これを開いたって言っていいなら、この世から鍵屋さんは無くなりそうですね」
「うるせえよ。通れるからいいじゃねえか」
フキはそっぽを向いて頬をぽりぽりと掻くが、やがてすぐに早足で倉庫の中へと歩みを進めた。
そのまま倉庫の周りをチラリと見回すと、大きく息を吸い込んで声を張り上げる。
「テメエらのボスはアタシがのした!自分の命が惜しいってんなら、とっととレヴォの元にでも逃げ帰れ!」
そう言いながら肩に担いだ頭領を掲げると、倉庫からドタドタと蜘蛛の子を散らすように人が倉庫から逃げていく。
オレアがチラリと後ろを見たら、先程扉にぶつかったコマタナを抱えたチンピラが、そそくさとその場を後にしていた。
「おーい、オレア!ちょっとこっち来て見てみろよ!」
彼を呼べばすぐに小走りで側まで駆け寄って、すぐに倉庫奥の光景を目にすることになる。
そこにはコンテナに詰められた大量のモンスターボール群。ざっと見ただけでも100や200じゃきかなそうな数に、軽く目を見開いてしまう。
「ったく、どんだけ溜め込んでんだか。これ全部運ぶのはアタシらだけじゃ無理だな」
「一体何人のポケモンが盗まれたんでしょうか…こんな量…」
「ま、少なくともアタシらが持って帰れる量じゃねえな…リリーに電話するか」
そこらに並べられているドラム缶に腰を下ろすと、携帯電話を取り出すのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「よし。あと小一時間もしたら来るみたいだぜ、リーグの奴ら。車で来るみたいだしそれに相乗りで帰るって感じだな」
「それなら晩御飯はなんとか食べられそうですね…今になってドッとお腹空いてきましたよ…」
「ならそこら辺で休んどけ。ヒヒダルマもここに置いていくから、そうそうの事が無い限りは安全だ」
そういうと腰を上げ、座っていたドラム缶をバシバシと叩く。肝心の相棒はというと、やれやれと言わんばかりに目を閉じていた。
そのまま大太刀を肩に担ぐと、やおらに最初倉庫に入ってきた大扉へと足を向ける。
「フキさん?」
「なに、少しばかり外見てくるだけだ。なんかありゃすぐ戻ってくるって。あとアタシの携帯も渡しとくか…ここの緊急連絡先に電話すりゃリーグ委員長まで直通だ」
そういって携帯を投げるとカツカツ足音を響かせて、その場を後にする。
ややあってオレアの息遣いも聞こえなくなってきた頃、倉庫の外壁に寄り添うように身を潜めていたのは、禿頭に刺青の男−レヴォだった。
「おいおい、アタシの首でもこっそり取りに来たのか?レヴォさんよ」
「はっ、事務所に殴り込んで五体満足で帰っていくバケモノの殺し方はあいにく知らないんでな」
「そいつはお褒めに預かり光栄だね」
二人でしばらく間合いを詰めずに睨み合う。アタシは刀の柄に手をかけ、レヴォは服の内ポケットに手を入れたまま。
だがそれもしばらくすると、どちらからともなく武器を下す。
「で、始末しに来ないってんなら、なんの用なんだ?」
「いや、礼を言いにきただけだ」
そう言うレヴォの体や顔には包帯やガーゼが多く当てられ、今や満身創痍。その状態で行われる“礼”は、あいにく一つくらいしか心当たりがない。
だが眉を顰めた表情で、彼は降参と言わんばかりに緩く両の手を上にあげる。
「お礼参りでもねえよ。本当に礼を言いに来たんだ」
レヴォはそう言うと、フキの手のひらに空いた傷を見る。
「あん時うちは二、三人は殺られる、そんな気迫を感じたんだ。だが太刀をアンタが納めてくれたから、大事にはならずに済んだ」
「…ふん、切るまでもねえと思っただけだよ」
ぶっきらぼうにそう告っても、それでもレヴォは軽く頭を下げてきた。
「もしそんなこと考えてなくてもだ。アンタが大々的にウチの頭をぶん殴ってくれたから、外面もなんとか立つ」
「わざわざ律儀にそれ言いに来たのか?さてはバカだなお前。それもアタシ好みの」
「さぁな。知らねえならず者のために、わざわざ分かりやすい悪役買って出るほどのバカじゃねえさ」
そう言い合って、ねんごろに二人はニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「だがよ、お前がそこまでまともな判断できんなら、どうしてあんなに大々的にポケモン強盗なんてしたんだ?アンタならもっと上手くやれるだろ」
だが、冷静な判断を行えるレヴォの姿を見て、昼間に浮かんだ疑問はますます膨らんでいった。
ポケモンの盗難・強盗は普通の盗みと比べても罪が重く、捜査の手だって激しくなる。それなのにあんなに大々的にやるのは、あまりに無謀。
そんなことをできるのは伝え聞いたロケット団みたいな、足切りが簡単な大規模組織じゃないと厳しいだろう。
「それは…いや、アンタには恩があるか」
レヴォは少し躊躇った様子を見せるが、軽く頭を左右に振って迷いを払ったようだ。
「身内の恥を晒すようなんだが、最近の頭はいつもよりも、なんというか強硬だったんだ。確かにテメエの利益しか考えてないようなクズだが、受け継いだ小さい組回す程度の器量はある」
「なんだ?ヤクでもキメすぎたか?」
「いや、ウチじゃあ粉もんは扱ってねえ。へんにトリップしてるところも見たことないし、頭イカれたわけじゃあ無さそうなんだぜ」
「ポケモンの洗脳…も、そこまで高度なものは聞いたことないな。ッチ、問題が思ったより根深いってことが分かっただけでも儲けもんか」
思ったよりの面倒ごとの予感に、ズキズキと頭の奥が痛くなる。だがまあ、なんとか空手で戻ることだけは無さそうで少しホッとする。
「うし、聞きたいことも聞けたし、あとはさっさとここからずらかりな。アタシももうリーグの奴ら呼んじまったし。そいつらの前じゃアタシは四天王だ」
「最初聞いた時は嘘だと思っていたが、どうやらマジに四天王みたいだなアンタ。組がまとまったら、アンタのことは部下にもよく聞かせておく。今日は本当に、恩に着たな」
「そんじゃそれ無駄にしないようしっかり逃げるこったな」
そのまま背中を向けると、振り返らずにひらひらと手を振ってみせる。返事こそ伝わってこないが、代わりに地面を踏みしめる音が聞こえた。
「それにしても見えすいたポケモン強盗の裏か…何が狙いなんだ…?」
その言葉に、夕暮れの風だけがぴゅうと応えてくれた。
ちょうど汗やら血やらで身体中がベトベトだったので好都合。フキは軽く顔を洗い流しながら、炎で吹き飛ばされたレヴォの元へと向かう。
「やってくれたな姉ちゃん…てっきり特性は『ごりむちゅう』だと思っていたぜ…」
「はっ、燃えるハートの氷四天王とはアタシのことよ」
−『ごりむちゅう』。一回の戦闘で一つの技しか使えない代わりに、その技の威力を底上げするヒヒダルマの特性。
確かにフキはヒヒダルマが倒れるまで「つららばり」しか使っていなかった。加えて氷タイプの技の威力が減弱する鋼タイプへの攻撃で、なお有効なダメージを与えている。
「つららばり」の多様な応用だって、その特性の欠点を消すものだとレヴォは思っていた。
「つーかお前みたいなやつが四天王か?カタギなんかより、よっぽどこっちでバカやってた方が似合うんじゃねえか?」
「そりゃどーも。ま、それじゃあ次にアタシが何をするか分かってるよな?」
レヴォを見下ろしながら肩に担いだ刀を鞘ごと手に持つと、ドンと鞘尻を地面に叩きつける。
「フ、フキさん…!もう勝敗はついてるじゃないですか!僕らの目的だってこの人たちに頼めば…」
「ダメだ」
オレアの言葉を最後まで聞く前に、ピシャリとにべもなく切って捨てる。
スタジアムならば、戦えるポケモンがいなくなった時点で勝負は終わり。だがここには生憎ながら審判もリリーもいない。
ならば決着は、どちらかが倒れるまで決まりはしないのだ。
それはフキもレヴォも承知の上。互いに軽々と勝負から降りられるとは思わずに、勝負の舞台に立っている。
「なに、お前にはそこまで用はねえ。大人しくしてりゃ半年くらい病院と仲良くするくらいですむからよ」
しかしレヴォは吹き飛ばされた身体に鞭打って、膝を震わせながらもどうにか立ち上がり、フキの眼を睨み返す。
「はいそうですかで寝てられるかよ。うちの頭を連れてく気なんだろ?そうは問屋が下さねえぜ」
「へえ、あのガマガエル面にか?」
「俺らの世界じゃ例えどんなクズでも親は親。その鉄の掟を破っちまえば俺だけじゃねえ、俺を『兄貴』と慕ってついてくる奴らだって生きていく道が無くなっちまう」
彼は拳を握り締め、おぼつかない足取りながらもフキへ向かって進んでいく。それは、大きく腕を振りかぶっての見えすいたテレフォンパンチ。
フキはそれを軽く片手で受け止めるが、レヴォはなけなしの力を振り絞って力を加え続けた。
「だからよ、ここから先は通させねえ。テメエの身ひとつ怖いくらいじゃ止まれねえんだよ!俺みたいな馬鹿は!」
「ハッ!アタシ好みな馬鹿じゃねえかアンタ。あんなアホの下にいるのがもったいねえな」
「なんとでも言え。お前みたいに良いとこで生まれたわけじゃねえんだ!」
レヴォが叫んだその瞬間、背後から鈍く煌めく金属光。そこに居たのは、先ほどまでコマタナ達に指示を飛ばしていた構成員の一人。
彼はその手に柄のついたナイフを腰だめに構えると、迷わず彼女の元へと突進してきた。
「兄貴に汚ねえ手で触ろうとしてんじゃねぇこのアバズレがぁあああ!」
直後、ドッ、と深く刃物が突き立てられる鈍い音。
少ししてポタ、ポタと水が滴り落ちる音が部屋へ響き、、彼女が纏った和服を赤色に染め上げる。
頭(こうべ)を深く垂らしたままのフキは、そのまま動く気配がない。
「フキさんっ!?」
鉄臭くなった部屋で顔を青ざめさせたオレアは、喉から絞り出すような高い悲鳴をあげる。
その言葉に応じるように、フキはギロリと首から上だけを回して凶刃を握った相手を睨み付けた。
「おいお前、ここで死んでくか?」
彼女は低くそう呟くと、オレアの拳を受け止めた手とは逆、深々とナイフが掌を貫通した方の手を大きく開く。
一瞬太刀を強く握るが止め、そのまま血が流れ出すのも構わずに、フキを刺した下手人の腕を掴んで捻りあげた。力を加え続けて痛みに身を捩った瞬間、彼の腹部に膝を叩き込む。
その瞬間、一匹のコマタナがフキの首筋めがけて飛びかかった。
「甘いんだっつーの。主人想いだが、十把一絡げの奴らがアタシを獲れるかっつーの」
しかしその小さな体躯は、ダルマモードの終わったヒヒダルマによって簡単に捉えられてしまう。
「お前よぉ、刃物で血ぃ出しちまったら、もう引くに引けなっちまうじゃねえか。なぁ?」
そう言いながら彼女はクタリと意識を飛ばした構成員を、レヴォの弱った体めがけて投げ捨てた。
その衝撃でついぞレヴォの瞳も上を向き、白目を晒す。
そこでようやく思い出したように掌をしげしげと眺め、ナイフを抜くと地面に投げ捨てた。
血がドッとあふれるのも構わずに、奥で伸びているガマガエル面の男のところまで歩いて行くと、そのまま勢いよくその男を蹴り飛ばす。
そのまま壁際まで吹き飛んだ脂で光る男の顔を踏みつけ、にっこりと笑顔を口角を釣り上げた。
「よう組長サン。アンタが根こそぎ奪っていったポケモンの居場所、教えてくんねえか」
「なっ!なんで刺されてそんなにピンピンしてるんだっ!」
「あぁ?手のひらから向こう側見えるくらいでガタガタぬかすかよ。てめえんとこの若い衆がよくもやってくれたなあぁ、あぁおい?」
フキはそのまま足にかける力を強くし、おまけでグリグリと靴底で擦るような動きも追加した。
背後ではヒヒダルマもおもむろに『つららばり』で作った太刀を持って、威圧するように地面を叩いている。
「な、舐めんじゃねえぞ小娘…!お前みたいなガキの脅しに屈するわフガッ!?」
「ガタガタ御託しか吐けねえんならこの舌、別にいらねえなぁ」
風穴の空いた手で相手の下顎を掴んで無理やり引き下げると、口内に素早く太刀を鞘ごと突っ込んだ。
一瞬、ボキりという手応えとともに白い物がいくつか吹き飛んでいったが、この場でそれを指摘する人は誰も居ない。
「アタシの手も、ポケモン根こそぎコソ泥かましてんのも、全部てめえでケツ拭いてもらわねえとこちとら引くに引けねえんだよ。答えは『はい』か『わん』で聞いてやる」
フキは一度、口内から刀の鞘を引き抜くと、素早く振るって血と唾液を払い飛ばした。
その傍若無人な彼女の態度に、ガマガエル面はわなわなと肩を震わせた。見下ろされている状況で、彼は血管を浮き上がらせながら懐に素早く手を伸ばす。
彼が取り出すのはリボルバー銃。人の命を容易に奪える武器の銃口を構え、撃鉄を起こした。
そして興奮状態ゆえに迷わず引き金を引こうとしたところで、彼はそれ以上指が動かない事に気付く。
拳銃を持つ指ごと、彼の手がまるまる凍っていたのだ。遅れて男の近くまでヒヒダルマが詰め、冷気で固められる射程圏内に入っていた事に気付く。
「さて、アタシは『はい』か『わん』しか求めてねえんだが…聞き分けのねえ駄犬にはしっかり躾が必要だよなぁ?」
フキは頭領の凍った腕を蹴り砕いて、拳銃を窓から外に放り出す。そして太刀が鞘から抜けないように結んでおいた縛り紐を解くと、太刀の柄に手を掛けた。
「さて、まずはろくな言葉を喋らねえその舌、要らねえみてえだな」
「わかった!わかった!ポケモンたちは南区の別倉庫だ!そこにみんな集めてある!」
「そうかい。じゃああとはサツんとこまで眠っとけ」
そう言ってフキは、気兼ねなくガマガエル面の顎に足を叩き込んだ。
「フ、フキさん大丈夫なんですか?その掌…」
「もう血も止まってるし、別にあの程度じゃ死にやしねえよ。傷だってほっときゃ塞がるし」
そう言って刺された方の手をプラプラと振ってみせる。まだ手を細かく動かすには少し違和感を感じるが、拳を握るには十分だ。
いざとなったら長い鉄パイプとそこに縛りつけたカエル面の男を担いでいるので、それを振り回せば大丈夫だろう。
それよりも、和服の血をどうやって落とすかの方が問題だ。こんな状態を見られたらキャイキャイと小言をどれだけ言われるかわかった物ではない。
「えーっと南の6番倉庫は…あ、そろそろ着きますよ。それにしてもここら辺の地図ってグチャグチャで読みにくいですね」
「違法増築に改築祭りだからな。ここじゃ『じしん』・『じならし』は禁忌だぜ」
「確かに、建物崩れ落ちそうですもんね」
そう言いながらオレアは、雑多に縦積みされた街並みを見回した。
適当な木の板が街の上層部の橋渡しに使われていたり、盗電なんかがそこかしこで罷(まか)り通っている。
それでも強く生き抜く人の生活の声が、窓から灯りと共に漏れる街。
確かに治安も悪く、お世辞にも良いところとは言えない。それでもオレアにとっては、レヴォの姿を見て、少し認識が変わったのかもしれない。
「あ、見えてきましたよ!あの大きい倉庫みたいです…けど、見張りの人はもちろん居ますよね。どうやって見つからないように…」
「残念ながらもうバレてるぜ」
アタシがこれみよがしに頭領を鉄パイプにくくりつけているからか、それとも先に電話が入ったのか。
しかしそんなことを考える暇もなく、もう目の前には二匹のコマタナが迫っていた。
「ま、殴る時間は十分すぎるほどあるし、別にいいか」
『ダルァ!』
しかし自発的にボールの外へと、風を巻きながら素早く拳を繰り出す。
前方、射程に入ったコマタナの頭に鉄拳を叩き込むと、遅れてやってきたもう一体を巻き込んで吹き飛ばした。
そのまま二匹が塊となって、倉庫の扉にぶつかり破壊する。
「よし。開いたな」
「これを開いたって言っていいなら、この世から鍵屋さんは無くなりそうですね」
「うるせえよ。通れるからいいじゃねえか」
フキはそっぽを向いて頬をぽりぽりと掻くが、やがてすぐに早足で倉庫の中へと歩みを進めた。
そのまま倉庫の周りをチラリと見回すと、大きく息を吸い込んで声を張り上げる。
「テメエらのボスはアタシがのした!自分の命が惜しいってんなら、とっととレヴォの元にでも逃げ帰れ!」
そう言いながら肩に担いだ頭領を掲げると、倉庫からドタドタと蜘蛛の子を散らすように人が倉庫から逃げていく。
オレアがチラリと後ろを見たら、先程扉にぶつかったコマタナを抱えたチンピラが、そそくさとその場を後にしていた。
「おーい、オレア!ちょっとこっち来て見てみろよ!」
彼を呼べばすぐに小走りで側まで駆け寄って、すぐに倉庫奥の光景を目にすることになる。
そこにはコンテナに詰められた大量のモンスターボール群。ざっと見ただけでも100や200じゃきかなそうな数に、軽く目を見開いてしまう。
「ったく、どんだけ溜め込んでんだか。これ全部運ぶのはアタシらだけじゃ無理だな」
「一体何人のポケモンが盗まれたんでしょうか…こんな量…」
「ま、少なくともアタシらが持って帰れる量じゃねえな…リリーに電話するか」
そこらに並べられているドラム缶に腰を下ろすと、携帯電話を取り出すのだった。
◆◇◆◇◆◇◆
「よし。あと小一時間もしたら来るみたいだぜ、リーグの奴ら。車で来るみたいだしそれに相乗りで帰るって感じだな」
「それなら晩御飯はなんとか食べられそうですね…今になってドッとお腹空いてきましたよ…」
「ならそこら辺で休んどけ。ヒヒダルマもここに置いていくから、そうそうの事が無い限りは安全だ」
そういうと腰を上げ、座っていたドラム缶をバシバシと叩く。肝心の相棒はというと、やれやれと言わんばかりに目を閉じていた。
そのまま大太刀を肩に担ぐと、やおらに最初倉庫に入ってきた大扉へと足を向ける。
「フキさん?」
「なに、少しばかり外見てくるだけだ。なんかありゃすぐ戻ってくるって。あとアタシの携帯も渡しとくか…ここの緊急連絡先に電話すりゃリーグ委員長まで直通だ」
そういって携帯を投げるとカツカツ足音を響かせて、その場を後にする。
ややあってオレアの息遣いも聞こえなくなってきた頃、倉庫の外壁に寄り添うように身を潜めていたのは、禿頭に刺青の男−レヴォだった。
「おいおい、アタシの首でもこっそり取りに来たのか?レヴォさんよ」
「はっ、事務所に殴り込んで五体満足で帰っていくバケモノの殺し方はあいにく知らないんでな」
「そいつはお褒めに預かり光栄だね」
二人でしばらく間合いを詰めずに睨み合う。アタシは刀の柄に手をかけ、レヴォは服の内ポケットに手を入れたまま。
だがそれもしばらくすると、どちらからともなく武器を下す。
「で、始末しに来ないってんなら、なんの用なんだ?」
「いや、礼を言いにきただけだ」
そう言うレヴォの体や顔には包帯やガーゼが多く当てられ、今や満身創痍。その状態で行われる“礼”は、あいにく一つくらいしか心当たりがない。
だが眉を顰めた表情で、彼は降参と言わんばかりに緩く両の手を上にあげる。
「お礼参りでもねえよ。本当に礼を言いに来たんだ」
レヴォはそう言うと、フキの手のひらに空いた傷を見る。
「あん時うちは二、三人は殺られる、そんな気迫を感じたんだ。だが太刀をアンタが納めてくれたから、大事にはならずに済んだ」
「…ふん、切るまでもねえと思っただけだよ」
ぶっきらぼうにそう告っても、それでもレヴォは軽く頭を下げてきた。
「もしそんなこと考えてなくてもだ。アンタが大々的にウチの頭をぶん殴ってくれたから、外面もなんとか立つ」
「わざわざ律儀にそれ言いに来たのか?さてはバカだなお前。それもアタシ好みの」
「さぁな。知らねえならず者のために、わざわざ分かりやすい悪役買って出るほどのバカじゃねえさ」
そう言い合って、ねんごろに二人はニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「だがよ、お前がそこまでまともな判断できんなら、どうしてあんなに大々的にポケモン強盗なんてしたんだ?アンタならもっと上手くやれるだろ」
だが、冷静な判断を行えるレヴォの姿を見て、昼間に浮かんだ疑問はますます膨らんでいった。
ポケモンの盗難・強盗は普通の盗みと比べても罪が重く、捜査の手だって激しくなる。それなのにあんなに大々的にやるのは、あまりに無謀。
そんなことをできるのは伝え聞いたロケット団みたいな、足切りが簡単な大規模組織じゃないと厳しいだろう。
「それは…いや、アンタには恩があるか」
レヴォは少し躊躇った様子を見せるが、軽く頭を左右に振って迷いを払ったようだ。
「身内の恥を晒すようなんだが、最近の頭はいつもよりも、なんというか強硬だったんだ。確かにテメエの利益しか考えてないようなクズだが、受け継いだ小さい組回す程度の器量はある」
「なんだ?ヤクでもキメすぎたか?」
「いや、ウチじゃあ粉もんは扱ってねえ。へんにトリップしてるところも見たことないし、頭イカれたわけじゃあ無さそうなんだぜ」
「ポケモンの洗脳…も、そこまで高度なものは聞いたことないな。ッチ、問題が思ったより根深いってことが分かっただけでも儲けもんか」
思ったよりの面倒ごとの予感に、ズキズキと頭の奥が痛くなる。だがまあ、なんとか空手で戻ることだけは無さそうで少しホッとする。
「うし、聞きたいことも聞けたし、あとはさっさとここからずらかりな。アタシももうリーグの奴ら呼んじまったし。そいつらの前じゃアタシは四天王だ」
「最初聞いた時は嘘だと思っていたが、どうやらマジに四天王みたいだなアンタ。組がまとまったら、アンタのことは部下にもよく聞かせておく。今日は本当に、恩に着たな」
「そんじゃそれ無駄にしないようしっかり逃げるこったな」
そのまま背中を向けると、振り返らずにひらひらと手を振ってみせる。返事こそ伝わってこないが、代わりに地面を踏みしめる音が聞こえた。
「それにしても見えすいたポケモン強盗の裏か…何が狙いなんだ…?」
その言葉に、夕暮れの風だけがぴゅうと応えてくれた。
再び、毎週更新頑張ります。