Box.56 古い約束

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「リマルカ君とソラ君がお父さんと喧嘩してリクちゃんがキオクソーシツでホムラ君が行っちゃってリーダーどうしよ――」
『深呼吸!』
「ひゃい!」

 反射的に従う。吸い込みすぎて咽せた。カイトが再度問いかける。

『今何処にいる。それだけ答えろ』

 咳き込みつつ、ぐるりと周囲を見渡した。「ゲホッ……なんか……湖? があります」『棲息ポケモンは』「うーん……ズバット、イシツブテ、ネオラント……湖の中には、ネオラントしかいません」『分かった。その場で待機。朱色の外套集団の人間が逃走を図るようなら確保』切れた。かけ直した。録音されたメッセージが流れる。『カイトだ。後でかけ直してくれ』
 ポケナビを仕舞うと、コダチは体育座りになった。目の前ではゴースト大決戦が行われている真っ最中だ。リマルカのゴーストポケモン達は善戦しているが、徐々に押されている。キプカはゴーストポケモン達の一部をヒナタ達の追跡に回しているため戦力差があるはずだが。ふと、コダチは違和感を覚えた。本当に、キプカはリマルカに負けたからジムリーダーの座を譲ったのだろうか。
 リマルカがソラに耳打ちした。キルリアの前面にマジカルリーフが出現し、一点集中でゴースト達を貫く。戦線に一瞬空いた戦力の真空を突き、リマルカのゴーストポケモン達が一斉攻撃をかける。雪崩を打って攻め込んでいく彼らの後方から、リマルカが放物線を描いて放り投げられた。後方から投げ込んだゲンガーが、良い仕事をしたという顔で掻いてもいない汗を拭っている。リマルカを受け止めようとキプカのゴーストポケモン達が詰めかける。リマルカのゴーストポケモン達が倒れ込むように突進した。全員リマルカに集中していたので、回避も出来ずになぎ倒されていく。
 ただ、キプカだけは邪魔をされなかった。割れるように開いた場所へリマルカが落下する。飛び込んできた重みを抱き留め、したたかに腰を打った父親が呻く。今日は厄日かもしれないと彼は思った。強打する場面が多すぎる。

「僕はこの街が嫌いだ」

 リマルカが言った。キプカが片目を開く。

「だから独りにしないで」
「街が嫌いなら、なぜ出て行かなかった」
「母さんがいるから。……待っていたら貴方もいつか、帰ってくると思っていた」
「俺は帰らん」
「なんで」

 キプカは身を起こした。こちらを見返してくる小さな視線に耐えられず目を逸らす。少年二人が飛び込んでいった地底湖の方向を見つめた。視界の端でソラがコダチに駆け寄っていくのが見える。
 時代は変わる。
 リマルカと同じ歳だった頃、その足下にも及ばないほどキプカは弱かった。今はまだいい。これから先、どんどんリマルカは強くなる予感がした。遠からずこちらを追い越し、その弱さに、失望する日が来るかもしれない。
 小さくとも、若くとも、才能に溢れた子供たち。目の前の困難を畏れながらも立ち向かっていく彼ら。数年前にチャンピオンが交代した時から予感はあった。
 新しい時代が来るのだ。それらに対する嫉妬が、彼の中にはずっとあった。

「……俺は、お前はこの街が好きなのだと思っていた。そうではないなら、さっさと捨ててしまえ」

 なんとか立ち上がり、リマルカも立たせる。
 古い時代が終わろうとしている。
 遙か昔、集落の外からやってきた旅人をマレビトと呼んだ。それは新しいものの象徴であり、新しい血である。それを暗示するように、リクという少年はいつだって事件の中心に関わってきた。巻き込まれるかのように、引き寄せられるかのように。
 リマルカの目が失望したように揺れ、伏せられた。

「じゃあ僕だって、勝手にしてやるさ」





 先行する少年をヒナタとトドグラーは猛スピードで追いかけていた。予想に反してなかなか追いつけない。青い蝶の群体は一匹の大魚のように意志が統一されていた。地底湖の胎内はうねり狂い、水流に弄ばれてしまう。追ってきたゴーストポケモン達も水の流れに呑まれていく。ヒナタも水ポケモン達がこれほどまでに統率された行動を取るところは見たことがなかった。
 細く開いた視界にリュックサックを捉える。それは一瞬で青の嵐の向こう側へと消えてしまった。
 
(とにかく、〝この子〟だけじゃ駄目だ)

 掴まっているトドグラーに気力はあったが、体力が尽きかけている。じりじりと地底湖の表面へ追い返されていた。切れ目に聞こえる鳴き声に深い焦りが滲んでいる。(……チャンスは一回)ヒナタは目を閉じた。
 昔、サイカシティの当時のジムリーダーに言われたことがある。(「やれやれ。肌感覚というか、嗅覚がポケモン並みだね、君は」)ヒナタにポケモンの心は分からないし、言葉も分かるわけがない。ただなんとなく、〝こちらだ〟と囁くような空気の動きが伝わってきて教えてくれる。理屈ではなく〝そこだ〟と理解出来るのだ。(「それこそが才能だよ、ヒナタ君。君はいつか、本当にチャンピオンに勝つかもしれないね……」)
 水の流れ。ネオラント達の流れ。音の違い。感触の違い。彼らは統率のとれた動きをしている。ゆえに、〝乱れ〟というものが目立つ。耐えるトドグラーの背中で、息を潜めてタイミングを図る。軽い流れの渦の中に、重いものが混ざっている。それらはくるくるとさなかを踊っている……。手を伸ばせば遠のき、身を退けば近づく。口腔から気泡がわずかに漏れ、呼吸がわずかに苦しくなった。
 水ポケモンに呼吸の限界はないが、人間にはある。限界の境界線が刻一刻と近づいている事を感じながら、ヒナタは重心を傾けた。トドグラーは、重心の傾きから指示された方向へ泳ぎを傾けた。昏い瞳の少年のいる場所を中心として、包み込むように泳ぐネオラント達の外側へと流れていく。ヒナタはタイミングを見計らい、手を離した。
 きりもみする体に水圧が叩きつけられる。引きちぎれるような激流の中、掴んだ。リュックサックの紐だ。がぼっと口の中から空気が逃げる。吹っ飛んでいく体をトドグラーが回収する。親指を上に向けると直ちに浮上を開始した。

「ふ……!」
「ウォ!」

 水上でリュックサックへ手を突っ込む。リクはサザンドラに預けてあった。そのリクがここにいるならば、必ずいる。掴んだモンスターボールの中で、サザンドラが眠っていた。

「オニキス!」

 バチッとサザンドラが飛び起きた。瀕死のサニーゴに水中戦はもう出来ない。ネオラントの群れを戦闘不能にしない限り近づくことさえままならない。ボールを高く天へ放れば、サザンドラの黒い翼が視界を裂く。たとえ器が違おうと、主を間違えるはずはない。指示をと爛々と目を輝かせた黒竜に、チャンピオンと呼ばれた男は叫んだ。

「〝地ならし〟!」

 黒い弾丸が水面を叩いた。振動でネオラントの群れがいっせいに目を覚ました。右往左往する混乱の中に力を振り絞り、トドグラーが飛び込む。たわむ水中に規則的な水流は存在しない。まっすぐに置き石のある場所へと。剣を振り下ろす少年の後ろ姿がぐんぐんと近づいていく。何度も振り下ろされたギルガルドの刃が欠けていた。置き石を持ち去るつもりかとヒナタは構えていたのだが――振り下ろされたギルガルドに、置き石が真っ二つに割れた。近づく気配に気がついたのか、少年が振り返る。
 ヒナタは顔を強ばらせた。少年は、尋常ではない目の色をしている。
 ごくまれに見るその目を持つ人間のほとんどが、どうなるかをヒナタは知っていた。少年がリクと縁深いならば、その淵から引き戻せる人間は一人しかいない。
 割れた置き石から飛び出した意識がぶつかってくる。一人分の容れ物に正しい人間が入るべく、抗いがたい衝撃にヒナタは体を手放した。(頑張れよ、リク)黒髪の少年とすれ違う瞬間、その背を叩いた。





 リクが動かなくなった。入っていた人物と入れ替わりになった本来の主が、意識不明であったためである。弾かれた方も本来の体に戻り、体の硬直に悲鳴をあげている頃合いであろう。何かが抜け、戻ってきた気配にトドグラーの目から涙が零れた。意識を失ったことで漂い離れそうなリクの体を掴み、浮上の体勢に入る。昏い瞳の少年が見ている。もうほとんど力は残っていないが、トドグラーは彼にも声をかけた。「ウォ」彼女にとってみれば、少年――ホムラは敵ではなく、リクを助ける手助けをしてくれた相手だった。ホムラは怯えるように顔を逸らした。
 自分は誰かに助けられたくないし、助けられるべきでもない。リクを助けたわけでもない。ただ、アカに与えられた責務を果たしただけだ。
 リクの敵だと、名乗ったのだから。
 ホムラは手を振ってトドグラーを追い払った。リーシャンは保護された。バシャーモのことだけ、気がかりだった。自分がいなくなって、バシャーモは困るだろうか。生きていて、くれているだろうか。

 どうしたらいいのかなんて、もう分からない。

 トドグラーはホムラのレインコートをしつこく引っ張った。ホムラの感傷など知ったことはない。頼むから行ってくれないかと、ホムラは先ほどよりも丁寧に意図を伝えるがまるで聞く耳を持たなかった。誰かに似ているなと顔を覆いたくなる。ギルガルドの存在を思い出した。念じればネオラント達が有無を言わさずに押し流してくれるかもしれない。
 だがトドグラーは素早かった。気絶しているリクをぶん回してホムラを殴った。浮力があるので軽く当たったくらいだったが、効果はあった。驚いたホムラの視線が、リクの右腕へ吸い込まれる。白いハンカチ。その意味を忘れた事はない。
 ――まだ、果たしていない約束がある。
 ギルガルドを片手に持って、ホムラはトドグラーを受け入れた。半ば流されているような泳ぎ方で、水面を目指す。
 サザンドラの地ならしとは違う意味で、地底湖は大きく揺れ始めている。瓦解が始まっている、と直感した。兆域は置き石のために作られた空間であり、それが破壊されたとあれば影響を受けるのは必然。崩壊は街全体に及ぶのだろうか。この街自体が古い歴史を下敷きにしているのならば、ともに生まれ、ともに消える。
 歪な形で、約束が果たされようとしていた。

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