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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「よう」
「は?」
 一瞬の内に、彼は肉眼では捉えられない程に離れた距離に居た一体の眼前に出現する。
 自身の影から現れた彼を見て唖然とする巨躯の怪獣バンギラス。それが動き出す前に、思い切り殴りつけ、更にそこから念波を叩き込んで動きを阻害。
 先の鮫竜よりも更に強固な外皮をもつそれを流石に一打で仕留めきれない。が、放射状に鎧めいた外皮に罅が入る程度には痛打を食らわせ、その巨体が数歩後退したたらを踏む。
「この!?」
 そしてバンギラスが復帰するその合間に。彼は再び影の中へととぷんと沈んだ。思った通りにタフ過ぎる。苦戦はしないが仕留めきるのに時間はかかる。その合間に遥か後方に陣取る人間達が逃走する。だから彼は金縛りによって砂嵐の使用を妨害するに留めて弟分に後は任せる。
「――?!」
 そして次の瞬間には、また別の敵の影から出現し殴りつけ、止めに砂をその巨体から吐き出していた相手の生命力を吸いきって殺害。そして直様にまた影へと潜る。
 そしてまた、ゴーストダイブ(奇襲)からのギガドレイン(追撃)によって再度砂嵐を展開しようとしていた二体目のカバルドンを屠った彼は、未だ進撃を止めずに影から影へと驀進する。
 そして。
 彼は最奥に位置取っていた人間達の眼前へと出現した。
 不意を突いても良かったが、喧嘩を売ってきた身の程知らずの馬鹿(人間)共の顔を見てもみたかったので、手近な影から飛び出した彼は宙に浮かんで自身を見上げるそれらを吟味する。
 四輪で駆動する【車】と云うらしい金属と樹脂の塊にはめ込まれた硝子越しに、目と口を丸く広げた二匹の人間の雄をしげしげと眺める彼。
 それらがどんな格好をしていて、どんな顔をしているのか等は彼にとってはどうでもいい。どうでもいいが、『カズヤ』とは比べ物にならないほどに生気に満ち満ちていて瞳には覇気が溢れているな。とそう思った。
 そんなどうでもいい事を彼が考えている合間に、車内の人間の片方が何やら叫ぶ。
 言下に、宙を浮かぶ彼を中心に円を描く様に人間の下僕と化した異形達が陣形を展開する。
「『ピカチュウ』、ボルテッカー! 『ミミッキュ』、シャドークロー!」
 そしてその内の二つの影が一つは紫電を纏いて、もう一つは影色の獣爪を作り出して襲いかかってくる。
 ユキメノコの自身を顧みない冷気の放出は至近での極寒程ではないがここまでも影響を及ぼしており、地面は凍りついている。それを電気鼠は踏み割って跳び上がった。もう片方の姿を似せた異形は凍りついた樹木を足場に彼へと跳躍し肉薄する。
 尋常ならざる勢いで突撃してくるピカチュウ。その反対方向からは、相方の電気鼠に姿を似せた何かが周囲の影を分厚く鋭い爪へと変えたものを構えてふわりと来襲。
 それを。
 先ず、眼が潰れるのではと思える電光を纏って突撃してくる電気鼠をそれ以上の紫電を纏った拳で迎撃。鈍い打音と共に肉が潰れ骨が砕ける音が辺りに響く。真っ向から打ち据えられたピカチュウは、一瞬前の軌跡を逆再生でもする様に真っ逆さまに墜落する。
 視線は地面へと激突したそちらへ向けたまま、逆の手に生やしたシャドークローが同じく影色の獣爪で彼を引き裂こうと迫るミミッキュの躰を貫いた。衝撃でその人形めいた首が飛ぶ。
 それで終わりではない。彼は大きな口を三日月の様に大きく歪めながら拳を振るった方の腕を天に挙げ、そして地面のピカチュウへ向けて振り下ろす。そうして放たれた落雷めいた電撃は、既に瀕死のそれへと直撃。断末魔すら許さずにオゾン臭と肉の焦げた臭い、それと所々炭化した肉塊のみを残してその他一切生命と呼ばれるものを欠片も残さず消し飛ばす。
「――――――――ッ!!」
 その蹂躙の直後。躰を鋭く長い爪に貫かれている、頭部も千切れ飛んだ筈のもう一体が言葉にならない絶叫を上げながら下半身から鋭い影の爪を生やした触手を勢いよく伸ばしてくる。
「嗚呼。手応えが薄いと思ったら。そっちが本体か」
 超至近での決死の反撃を。彼は鼻で笑いながら、シャドークロー越しに電撃を流し込んで沈黙させた。
 展開した爪を解いて、動かなくなったミミッキュを地面へと落とすと同時に、彼はその他六体が円陣を敷いたその中心へとふわりと舞い戻る。
「それで? お前らは何もしないのか? ……嗚呼、後ろの人間の指示が無いと動けないのか」
 「良いぜ。お前達の御主人様が何か言うのを待っててやるよ」なんてケラケラと笑いながら、くるりと回転し六体の赤い角を生やした球体状の躰に盾でも構えた様な姿の異形達総てに視線を回して彼は言う。

「だが流れ弾に気をつけろ? ――妹分の癇癪がまだ収まってねぇらしい」

 「地面に根を張っているんじゃなけりゃちゃんと避けろよ?」と彼が言い終わる前に、遥か彼方から乱射されたらしい極低温の光線の一つが、空気を凍てつかせて細氷を散らしながら飛んできた。
「げ?! 『ヘイチョー』後ろだ避け――」
 予想外の所からの冷凍ビームは、六体の内で最も角の大きな個体の背後から飛んでくる。それを見た人間が驚愕と共に叫ぶ。
「嗚呼、何か言ったな?」
 宣言どおりにそれの御主人様が指示を出すのを待ってやった彼は、『ヘイチョー』と呼ばれた個体を念動力でその場に固定した。
 結果。触れたものを凍てつかせる光はその円かな躰に直撃し、凍結。そしてそれを彼はサイコキネシスで握り潰した。グシャリと凍った果実でも潰す様に簡単に凍った丸い躰が凍った肉塊に変貌する。
 ざわめく配下の五体達。陣形も保てず狼狽していると。
「落ち着け『タイレーツ』!」
「そうだ落ち着け? ――直ぐに同じところに送ってやるから」
 その様子を見て車の中から叫ぶ人間。その言葉を真似てニタリと笑った彼は、両腕を広げ、開いた掌を軽く握った。
 その動作に同期する様に、五体の異形達は周囲に展開された強力な念動力によってグチャリと握り潰された。
「――ッ」
「ッひぃ」
 『タイレーツ』と呼ばれた異形達の赤い飛沫が、人間達の乗る車に嵌められた硝子にビチャリと付着する。一瞬で辺りには鉄錆(てつさび)と生き物の焼けた臭いが充満する。
 薄紙でも突き破るかのように容易く下僕を屠られた人間達は、顔を引き攣らせながらもどうにか動き出す。唸りを上げて動き出す車。
 それと。
「『ドラパルト』! ドラゴンアロー! そいつをどうにかしろッ!!」
 車を操作していない方の人間が金切り声で絶叫する。
 直後に。
「イヤッホォォオオオウ!」
「キャッハァァァァアア!」
「あ?」
 形振り構わず今更の逃走を図る人間達を目で追っていた彼へ向かい、場違いな位に陽気な叫びを置き去りにしながら超高速で何かが迫る。
 凍りついた樹々の合間を縦に横に縫う様な複雑怪奇な軌道を描いて、そして速度は一切落とさずに瞬く間に肉薄してくる二つのそれは、小型の竜種――ドラメシヤ。別種であるガブリアスとは比べ物にならない程に非力な異形(ドラゴン)だが、しかし空を音を超えた速度で縦横無尽に飛び回り迫る飛翔体と化したこれは、驚異である。
 人間達から視線を切り、ち、と舌を打つ彼。ふわりと宙へと浮かび瞬時に生み出した数多の影球で全方位へと迎撃を図る。
 彼を中心に数百数千に及ぶシャドーボールによる弾幕が放たれる中。
「ハッハァア! フゥウウウウウウッ!」
「キャハハハハハハハハハハハハハハ!」
 二体の小霊竜は狂った様な笑いを置き去りにしながらその間隙を突破して影霊たる彼に突撃。大型の弩砲の放つ矢の如く、彼の躰を貫かんと小さな竜種が肉薄してくる。
 だが。一つ一つが致命傷を与えられる威力のシャドーボールが空間を埋め尽くす程の斉射を避けきる事は出来る筈がなく、片方のドラメシヤの腹に直撃。ぼ、と外も中身も弾け飛んで二つに小さな躰が分割させられる。
「ハハハハッ! 愉しかったぜじゃあな『ママ』! 『きょうだい』!!」
 苦悶の声も表情も無く、笑いながらそう言い残して怒涛の如く押し寄せる影の砲弾に飲み込まれて塵一つ残さず消え去った。
 残るもう一体は。
「キャハハハッハハハハハハッ! 最ッ高!!」
 『きょうだい』の死も正気も狂笑も何もかもを置き去りにして、驀地(ましくら)に彼へと突き刺さるという矢としての役目のみを全うする為に更に加速した小さな竜は、致死の弾幕を遂に突き破った。
 無論無事であるはずはなく、頭の半分は消し飛んで、両の前脚も千切れて飛んだ満身創痍。しかし微塵も速度は鈍ること無く矢と化した竜(ドラゴンアロー)が飛んでくる。
 瞬きよりも速く。眼前に迫る一矢。
「最高に気持ちが(わり)い」
 それを彼は。
 左右から展開した強力な念動力で叩き潰した。
 「ピギャ」という声というよりは音に近いものを残して二体目のドラメシヤが絶命する。
 襤褸(ぼろ)の様になった小霊竜の死骸には目もくれず、再び彼は車に乗って逃げていった人間達の方向へと視線を向ける。その内の片方の男が指示を出した『ドラパルト』と、今屠った『ドラメシヤ』が別の個体だとは外来の異形をあまり見たことのない上に人間達が呼ぶ種族名など知らない彼には知る由もなかった。
 だから。宙に浮かぶ彼の足下の空間が歪んだ事にも気が付かない。
「『がが』!! 下だ!!」
 遠く離れている筈なのによく通る、忌々しい異形の雌(バシャーモ)の声。常とは違う切羽詰まったような声色のそれに、思考を回すよりも早く彼の躰が反応する。
「あら?」
 奇襲を察知された事に驚きながら、宙に浮遊する彼の真下の空間からずるりと現れる異形。先のドラメシヤは勿論、ガブリアスよりも巨躯の竜種、霊竜ドラパルト。
「まあいいか」
 気が付かれた事を気にする事もなく、爬虫類めいた躰から生えた長く太い尾をくねらせながら異様な不気味さを纏った霊竜が真下から突撃してくる。
「――――ッ」
 彼は気がついた。反応した。だが距離が近すぎて、そのゴーストダイブの速度が速すぎた。
 ドラパルトの特徴的な鋭利な翼めいた頭の突起の先端が彼の躰にめり込んで、そのまま躰を切り裂いて飛び去って――
「待てや。何処行くんだ手前(てめ)ぇ」
 ――行こうとするのを尾を掴んで阻止する。浅くない傷から血飛沫のように闇色の霧が噴き出すのもそのままに、ぐん、と力づくで巨躯の竜種を引き寄せる彼。
「そりゃあ、あたしの愛らしくて可愛らしい、か弱くて愚かな『トレーナー』の元にだよ。あんたが他のを全部()っちまって、あの子にはあたししか居なくなったからね。とても良い顔をしていると思うんだ。だから放してくれるかい? 道を踏み外して、襲った相手の力量も見誤って足をすくわれた愛しい愛しい滑稽な莫迦の泣いている顔を早く見たいから。それに、致命傷じゃなくとも深手だよそれ。あんたも自分の『トレーナー』に手当してもらうといい」
 彼のギョロリとした眼で睨まれても、じっとりとした目つきで笑いながらそうドラパルトは返してくる。
「趣味が悪いな」
 己とは別の方向に壊れている目の前の雌の言葉に、思わず彼が零すと、
「おや、あんたは趣味が良いのかい?」
「お前よりはな」
 ふぅん? とねっとりとした雰囲気で睨め付ける様に彼を見やるドラパルトに心底苛ついたので、彼は掴んでいた尾をそのままに大量の影球を自身の周りに展開した。
「まあいいや。死ね」
「それは嫌だね」
 間髪入れずにその全てを射出する彼と、ニヤリと笑って掴まれた尾をくねらせて拘束を解き脱兎の如く逃走を図るドラパルト。
「残念だが勝てそうにないから、あんたみたいのを連れている趣味の良い人間の顔を拝んでおさらばさせてもらうかね!」
 そう言い残して、『カズヤ』の居る方向へとシャドーボールの直撃を避けつつ凄まじい速度で飛んでいく。
「ああそうかい。その隣には『化物』が居るからよろしく伝えてくれ」
 影色の砲弾の掃射を止めた彼は、伝える相手が消えた言葉を独りごちてそれを見送る。
 己に弓を引き、言動も苛つかせる相手だったがそれを追うよりも逃げた人間達を追いかけたい。そう思っている事に彼自身、困惑する。一体何をその人間達に求めているのか。何であってほしいのか。或いは何であってほしくないのか。わからない。わからないが、今はこれを優先する事にする。そう決めた。
 よって、彼は再び辺りの影に力を注ぎ込んで己の眼として、追跡を開始する。
 そしてそれは呆気ない程に簡単に見つかった。唸りを上げて四輪を駆動させて転がるように山道を走るそれを確認し、そちらに飛ぼうとした彼の黒い眼差しに思わぬ者が映る。
「あ?」
「『がが』、無事だな」
 それは忌々しい鳥人バシャーモの『ちゃちゃ』。そこそこ離れた地点を彼へと向ける駆けている姿を見つけた数秒後には、その強靭な脚で彼我の距離を走破して眼前に現れた。
 見てわかる程に深い傷を負っている彼を一瞥してそう言ってきた怨敵の三本爪の手には、上下が紅白に分かれた球体――モンスターボールが握られており、肩からは何かが包まれているらしい布を背負っている。
 そして、上半分が透けている球体の中には見覚えがある竜が収められていた。
「ああん? そいつどうした? 『カズヤ』の顔拝みに飛んでった筈なんだが」
 そう。収められていたのは先程逃げていったドラパルトである。早すぎる再会に理解が追いつかず彼は問う。
「ん? 何の用が? まあいい。『カズヤ』の指示でな、生き残りが居たら治療してもらうからと回収を頼まれたので此方に向かっていたら、此奴が飛んできて攻撃してきたから迎撃した。『ゆき』と『よの』が倒した奴らも回収済みだ。お前が相手をしたカバルドンは既に事切れていたが、こっちで生き残りは居るか?」
「あーそうかい。……ああ? 何でお前が俺が殺した雑魚の居場所把握してんだ?」
「『カズヤ』が双眼鏡で見つけてたぞ。そういうのを見つけるのは大得意だ彼は。こいつのゴーストダイブに気がついたのも『カズヤ』だぞ。伝えたのは私だが。そして避けられなかったのはお前だが」
 何処か誇らしげに胸を張ってなにやら言ってくる、忌々しい化物の話を聞き流しつつも、
「あの小せえ声を山ん中で聞き取ったと。……まあいい。何だっけ生き残りだっけか? 居るのかね?」
 思わず言葉が漏れる。やはり『カズヤ』も目の前のバシャーモも意味がわからない。とうんざりした彼は話を戻し、死臭を放つ周囲の死骸に鬼火を点けた。
 充満する死臭に生き物の焼ける臭いが更に増す。
「ぅぁ」
 そんな虐殺の後の地獄の様な光景の中で紫色の炎に炙られた小さな異形が、小さく呻いた。
「ほう。雑魚のわりにしぶといな。おい『クソ鳥』居たぞ」
「あれか」
 頭部が千切れ飛び躰を貫かれて電撃を流し込まれたにも関わらず、それでも辛うじて生きていたそれを見つけ感心する彼と、特に何も思わないのか無感動な声で返し、背負った布の中から霊竜の入った物とは違う球を取り出して投げつける『ちゃちゃ』。
 不気味な炎に焼かれるほぼ死体と言っても変わりない『ミミッキュ』と呼ばれていた異形が、閃光と共にその中へと収められる。抵抗する力も残っていないようで一揺れもすること無く、カチとモンスターボールのロックが掛かる音が、その他の死骸が燃えて爆ぜる音に混じって空虚に響いた。
「うん。……ああ。『カズヤ』からだ。使え」
 『ミミッキュ』の収められた球を回収した『ちゃちゃ』がそう言ってまた背負った布の中に手を入れて取り出した物を彼へと放ってくる。
 受け取った白と桃色の容器に液体の入った人工物を彼がしげしげと眺めていると。
「【すごい傷薬】と云う。穴の開いている部分を傷口に向けて、その突起を引け」
 既に踵を返して歩き始めているバシャーモが彼の方を見ることも無く補足してくる。
「ふぅん? つーか、大事な大事な『カズヤ』を置いてきて良いのか? 『坊』と『お嬢』がこの隙にあいつを殺してるかもしれないぜ」
 傷薬の容器をくるくると弄びながら、彼女には見えないだろうがニヤリと笑って彼がそう言うと、
「『ゆき』は最後のガブリアスを倒して止めを刺そうとした寸前で力尽きて昏睡した。『よの』は【氷漬けにして粉砕したいから持ってきた】と瀕死のバンギラスを引き摺って戻ってきたから、先に『カズヤ』と一緒にポケモンセンターに向かっている。『カズヤ』に何かあると『ゆき』が死ぬと言ったから寧ろ彼を守って一緒に走ってるよ」
 振り返る事も足も止める事もなく、そう返してきたので彼は顔を(しか)めて、ち、と舌を打つ。
「私は、飛び散った荷物を回収してから『カズヤ』達を追うが、お前はどうせこいつらのトレーナーを追うんだろう? あまり遅くなるなよ」
 「ボール優先でかき集めたから、それ以外はほぼ手つかずでな」なんて続ける『ちゃちゃ』に、彼は噴霧式の傷薬を自身に掛けながら「俺の行動に一々指図すんじゃねえ」と吐き捨てて、手近な影へ、とぷんと沈み始める。
「……殺すのか」
 半ば以上が影の中へと沈んだ彼に、そんな言葉が飛んでくる。それには嫌悪も非難も憤怒も感じられなかったが、しかし真剣な色をしたものであった。
 だから。彼も正直に返す。
「わからん」
 ムカつくから追いかけて追い詰めて追い込んで殺す。その為に逃げた人間達を追う筈なのに、どうもそうでもないような気もする。牙を剥いた事に対する殺意も、逃げ出した弱者を蹂躙する悪意も満ち満ちてはち切れんばかりに己の内には詰まっている。だが、自分が何故、逃走を図った人間達を追おうとしているのか彼にはわからなくなっていた。呼吸する様に殺してきたのに、何故呼吸する(殺す)のか疑問に思ってしまったように。だから、彼にしては珍しく、素直に答えた。
「そうか」
 彼がそう返して影にとぷんと完全に沈む直前。忌々しい強さのバシャーモの雌がそう言ったのを彼は聞いた。
 彼女が何を思ったのかは彼には知る由もないし、何を思おうとどうでもいいのに、何故か耳奥に残響した。

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