第五節 ビジネス・マナー
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読了時間目安:20分
この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
シンと静まり返ったスラム街の路地裏。埃さえ凍りつき、局所に冬が訪れた小道で、フキはクルリと振り返った。
フキが立っていた場所より後ろ、彼とベイリーフのいる場所には一切氷が及んでないのを確認。そこで満足そうに頷くと、彼らの方へ歩み寄ろうとする。
しかしそこで、フキの背中に大きく焦った声が掛けられた。
「アンタ、一体なんなのよ!?こんな奴今まで見たことない!」
フキが凍らせたゴロツキの一団の中でも、先程彼女に食ってかかってきた姉御肌の団員。
勝気そうな表情を崩さないフキは、姉御肌の団員に額を付き合わせて自信ありげに笑う。
「通りすがりの四天王サマだよ。あたしと変わんねえ梅干し程度の脳味噌に、よーく刻み込んどけバカ」
「嘘だろ!?アンタみたいなスラムの掃き溜めが四天王?アタシもバカだけど、そんなすぐバレる嘘はつかないね」
「本当だよ。テメエら全員仲良く涼ませてやってんの誰か忘れたか?」
その言葉に姉御肌の彼女も思わず押し黙る。ポケモンの技一つで、ギャング達を無力化した腕は確かなのだ。それも様々な動きをしている集団を、怪我させないように。
それっきり静かになったので、今度こそフキはオレアの方へ向かった。
「よしベイリーフ、お前今動けるか?」
「ぅ、ふりぃ…」
「動けそうにない、か。悪いがちょっと触るぞっと…傷はねえな。さて、下にいる奴そろそろ出すか」
フキは太刀をその辺の壁に立てかけると、優しい手つきでベイリーフの体の下に手を差し込む。
注意深くゆっくりと持ち上げると、先ほどから若干見えていた人影の全貌が明らかになる。そこで下敷きとなっていたのは、まだ年端も行かない子供だった。
まだ歯の生え替わりも迎えていなさそうな、南部にしては身なりのいい子供。
男の子は怯えた顔を未だフキに向けている。その様子にぼりぼりと首をかいた彼女はリリーの笑顔を思い出しながら、努めて優しそうな笑顔を浮かべる。
そのままチョイチョイとキュウコンを呼べば、フカフカの毛並みに手を突っ込む。そこからフカフカの新雪を取り出すと。手早く雪ヒバニーを作り出した。
「まあなんだ、怖い目にあったんだろ?それなら真夏に雪遊びくらいの楽しいこと、やったってバチは当たらねえよ」
「う、うん……。あ、ありがとう、お姉ちゃん」
子供はぎこちなさが抜けないが、少しづつフキのキュウコンへと近づいていく。そのままよく整った毛並みに触れれば、その子の喉から思わず感嘆の声が漏れた。
自分が子供の相手など向いていないと分かっているフキは、キュウコンに目配せすると子守を任せる。
そしてよろりと体を上げたオレアの前まで行くと、深々と頭を下げた。
「悪い!アタシの早とちりで勘違いしてた!」
「え…?自分の不始末は自分でつけろって」
「誰かのために頑張った奴は別だ。テメエの私利私欲の不始末じゃねえってんなら、そいつが報われねえのは虚しいだろ」
彼女はガシガシと歯噛みしながら頭を髪の毛を掻く。座ったままのオレアに目線を合わせるようにしゃがむと、もうその目から荒々しい光が抜けていた。
「で、何があったんだ?ここまで来たら乗りかかった船だ。最後まで付き合わなきゃ後味が悪い」
「中部の方で子供が攫われてて…みんな暴動で警察がいないから、誰もその時気づいてなかったんです。この子ごと抱えられて連れていかれてましたし…」
「それでお前が追っていったてか?ったく向こう見ずだなお前」
面白そうに笑ったフキはバシバシと強くオレアの背中を叩く。
「まあアタシ好みだぜ、その無鉄砲さ。そんじゃ1番大切なことだが、お前どんなポケモンが奪われたか覚えてるか?」
「いや、見ての通り結構な人数がいたので…見えないほど小さいポケモンとしか…」
「ってことは、もう一度あの小僧に話を聞かなきゃいけない訳か…子供人気とかアタシ一番ねえっつーの」
再びやってきた子供との会話に頭を悩ませるフキ。ぎこちない笑顔をどうにか浮かべると、歯切れ悪い調子で男の子に再び話しかける。
その子はといえば、キュウコンの背中にもふもふと沈み込んでいた。
「なあ坊主、奪われたポケモンっていうのはどいつなんだ?教えてくれなきゃ返しようがねえ」
「えっと、りっちゃんは甘いものが大好きでね、まんまるくて可愛いんだよ」
「あー…その、「りっちゃん」ってどんな名前のポケモンなの教えてくれねえか?」
「だからりっちゃんは、りっちゃんだよ!」
こめかみに引くり、と青筋が刻まれるフキ。それでも苛つきを子供にぶつける訳にもいかないので、その反動からかガシガシと強く頭を掻く。
しかし会話をなんとはなしに聴いていたオレアは、はっと頭を振る。ついで慌てたように周囲を見回すと、棒を拾って地面を掘り始める。
スラスラと淀みない様子で描き切った彼は、二人をちょいちょいと手招き。そこには、外形だけだが、端的にカジッチュの姿が書かれていた。
「あっ!これがりっちゃんだよ!」
「んー…見覚えがあるような無いような…進化前だからそんなに馴染みがねえのか…?」
「それに加えてこおりタイプはドラゴンもくさも効果抜群ですからね。フキさん氷タイプ使いますし、まず出しませんよ」
「あー、氷以外の進化前は特に覚えてねえや」
フキは困ったような顔を浮かべるが、「うし」と一言言葉を呟くと子供の方に向き直った。
キュウコンは勝手知ったるといった動きで持ち主の元へ歩み寄る。
「ねえ、お姉ちゃんは本当にりっちゃんを助けてくれるの?」
「当ったり前だ。四天王舐めんじゃねえぞ?」
そう言って、フキはその子の頭をわしわしと荒っぽく撫でる。そうして背中を向けようとしたフキだったが、そこに高い声が掛けられる。
「お、お姉ちゃん、これ…」
男の子がフキの袖を小さく摘み、彼女におずおずと差し出したのは小さなリンゴ。まだまだお尻が黄色い未熟なそれを、それでも精一杯高く掲げていた。
「りっちゃんの食べない酸っぱいりんごだけど、僕にはこれしか出来ないから…!お願い!」
それは、せめてもの献身。
フキはそのリンゴを手に取ると、シャグリと大きく口を開けてかぶりついた。
果汁が垂れるのもお構いなしに、芯も構わずペロリと一個平らげる。そして子供の方へ向き直ると、口角を釣り上げた。
「ああ約束だ。ま、その分の対価はもう腹の中だ。守る以外の道は無くなったな」
そう言って自分のお腹をポンポンと叩いて笑う。そして今度こそくるりと背中を見せると、先程地面にめり込ませた被害者一号の元へ近づいた。
そのまま男を地面から引っこ抜くと、ペチペチと何度も頬を叩く。やがて男が意識を取りもどし、うっすらと瞳を開けた瞬間。
「おいカタギさんに手ェ出したクソボケ、その膿んだ耳よーくかっぽじって聞きやがれ。いいか、テメエのカシラの所までアタシらを案内しろ。オーケー?」
「はぁ!?お前なに言っへぶっ!?」
ドッ、という大きな鈍い音。ゴロツキが何か口答えをしようとした瞬間、フキは迷わずその男を蹴っ飛ばしていた。
放物線を描きゴムボールのように跳ねた彼は、凍った仲間の足にぶつかり動きを止める。
その場の全員が目を白黒させている中、フキは獰猛な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「アタシはテメエの腐り切った脳みそに話はしてねえ、アンタの体に聞いてんだ。アタシら全員馬鹿ばっかだからよ、こっちの方が分かりやすいだろ?」
そう言って彼女は、グッと拳を握りしめる。
「さあ、もう一回聞いてやる。アタシらをアンタのカシラんところまで案内してくれるか?なに、そのうちの“もう一回”で案内したくなるさ」
ズキズキと全身が痛むゴロツキは、コクコクと何度も頷いた。
「さーて、カジッチュとやらを見つけたらすぐ言ってくれよ。なに、アタシの背中より後ろにいる限りは安全だ」
「うぅ…僕もあの場であの子と一緒に保護でいいじゃないですか」
「バッカお前、そこまで細かいことアタシが覚えてられる訳ねえだろ。あんな小僧連れていく訳にもいかないし、お前に頼むしかねえんだ」
先導を萎びたゴロツキに任せ、並んでオレア・フキと続いていく。迷路のように曲がりくねった街並みはどんどん建物が入り組み始め、昼にもかかわらずどこか暗い影を落としていた。
「それにしても傑作だったな、さっきの電話越しのリリー」
「電話越しなのに、叫び声が僕まで届いてましたよ」
先程の子供と、その場の殿となったキュウコンの保護を求めるために電話をしたフキ。
その際ついでと言わんばかりに『悪い、一発カチコミかましてくるわ』と告げた瞬間の悲鳴は、未だ耳鳴りとともに彼女の頭を苛んでいた。
「あのぅ、本当に案内するだけであっしは見逃してもらえるんですよね…?」
たんこぶを増やしたゴロツキ一号は、少し怯えるように後を振り返ってそう問いかける。太刀を肩に担いだフキは、トントンとそれで肩を叩く。
「ああ、ちゃんと案内してくれれば、な。そっから先は好きにすりゃあ良い」
「フキさん、この人だって強盗の一人なんですよ!」
「何か見返りがなけりゃ人は動かねえ。なにも希望がないんなら、ヤケになってどんな事しでかすか分かんねえんだよ」
彼女はそう言ってクイと顎をやると、再びならず者は自らの砦への案内を始めた。
何度も増築を繰り返し、隙間を無くした建物たちが上に伸びたスラム街。その隙間を縫うように、3人は並んで進んでいく。
そして各々が無言になって歩くこと暫し、少し開けた場所にある5階建てのビルへとたどり着いた。
そこでおもむろにギャングが二人の方を振り向くと、チラリとフキの顔色を伺う。当の彼女は刀の鞘と鍔が離れていかないよう、二つを紐で強く結んでいた。
「ここの5階にボスが居ますぜ。それじゃああっしはこれで…」
手を揉み込んで気持ち姿勢が低くなった彼は、建物の上方にある窓へ視線を向けた。そして仕事は終わったとばかりに、そそくさとその場を後にしようとする。
だがフキはその襟首を捕まえると、明朗な笑顔で自分の口元に男を近づけた。
「ビジネスマナーがなってねえじゃないか、あぁおい?案内が最後まで済んじゃいねえじゃあねえか」
「何言ってるんです!?あっしはきちんと約束を果たしたじゃねえですか!」
「アタシは“カシラまで”って言ったんだぜ?ちゃんと最後まで案内してもらうぞ」
そう言いながら彼女は深く腰を落とすと、男を掴んだ右手を後ろに引く。筋肉を大きく引き絞って奥歯を噛み締めると、そのまま思いっきり投げつけた。
一拍、窓ガラスが割れる甲高い音。
ゴロツキがさっき示した5階の窓を叩き割り、見事に部屋へホールインワン。
「な、なんなんだ!誰だお前は!」
そして割れた窓ガラスから、肥え太った男が身を乗り出して外を見やる。油ぎった肌、場所にそぐわない高価な時計、周囲のお付きのような人間、フキはパッと見てその男がボスだと判断。
大きく声を張り上げると、太刀を真っ直ぐ突きつけた。
「アタシは四天王のフキ!手前勝手ながら強盗稼業の腐った性根、素っ首もろとも天下白日の元に晒して貰う!」
そう叫ぶと、ビルの表玄関を蹴破った。
「往生せいや小娘がぁ!コマタナ『れんぞくぎり』!」
「おんどれひん剥いて最底辺に売り飛ばしたる!『メタルクロー』や」
フキがオレアを小脇に抱えながら、5階への階段を駆け抜けようとするそのとき。ドタドタと走りゆく足音を聞いたヤクザ達が、不埒な侵入者を倒そうと襲いかかってきた。
揃いも揃ってみなコマタナを繰り出すと、二人目掛けて飛びかかってきた。
「ッチ!その場のノリでカチコミかけるんじゃなかったか!?」
「計画性ゼロなんですか!?ちゃんと動いてくださいよ、考えてから!」
「うるせえ安全第一なんぞクソ喰らえだバーカ!こんな時こそ頼むぜウチのエースさんよ!」
フキは和服の袖に手を伸ばすと、素早くモンスターボールを構える。
その直後、鎧袖一触。
白銀の風が通り過ぎた後、コマタナ達は弾き飛ばされ階段下に崩れ落ちた。
「だるるるらぁ!!」
その名はヒヒダルマ。がラル地方で見られる青白い体毛を身に纏い、威風堂々の構えでフキの先陣を切り開いた。
好戦的な表情はよくよく彼女の主に似ており、分厚い氷柱をその手に持っている。彼らは己のポケモンが一瞬で倒されたと気付くのに数秒を要し、そしてようやく慄いた。
「うっしヒヒダルマ、衰えちゃいねえみたいだな」
「どぅるる!」
一人と一匹が拳を合わせて男達へと歩み寄ると、彼らは尻餅をついて後ずさった。
しかしそれも長くは続かず、下からドタドタと足音が聞こえてくる。フキの常人離れした脚力をもって置き去りにしてきた者どもが、異常に気づいて追ってきたのだ。
「頭の顔面はピンと来ねえのに、求心力が思ったよりありやがるなぁ」
彼女は顎に手を当てると少し小首を傾げる。そんな状況に泡を食った様子の担がれたオレアは、フキの服を涙ながらに何度も引っ張った。
「なに呑気な顔してるんですか!このままじゃ挟み撃ちですよ!」
「それもそうだな、うし!正面突破だ!」
たまらず追加で鼻水を飛び出させたオレア。だがフキはそんなことお構いなしに、グンと床を踏み締め加速した。
ジェットコースターもかくやという負荷を彼にかけつつ、階段を7段飛ばしで駆け上り風となる。
そのまま無機質に光る蛍光灯の廊下を駆け抜けると、迷わず奥の豪華な奥を蹴破った。
今までの無機質なコンクリートの廊下とは違い、見せかけでも木の貼られた豪華な部屋。そこには先程のガマゲロゲ面の男と、側に控える居丈高なスキンヘッドの男。
禿頭の男はすでに開かれたモンスターボールを弄んでおり、ニヤリと口角を歪めていた。
「蛮勇は認めるが姉ちゃん、注意散漫だぜ?」
こめかみにワルビアルの刺青を入れた男がそう告げるのと同時。ヒヒダルマが飛び出した。
直後。天井を突き破った銀色の清輝が、真下にいるフキ達に襲いかかる。
その技は「メタルクロー」。鋭く研ぎ澄まされた銀の凶刃が、ヒヒダルマを切り裂いた。
「…随分なご歓待じゃねえか、あぁおい!」
咄嗟に身を屈めたフキが、眉間をひくつかせながらそう述べた先には一匹のポケモン。鋭く佇むのは、とうじんポケモンであるキリキザン。
全身に刃を備えたその体躯を軽やかに翻らせると、ボスを庇うように立ち塞がった。
「全然倒れてないじゃないかレヴォ!どうなってるんだ!」
「ボス、曲がりなりにもほぼ一人でカチコミかけてるんです。ま、相手は相性が悪いようですが」
しかしヒヒダルマはメタルクローを受けながらも壮健に立ち上がり、そしてその主人も不敵に笑う
そのままフキはオレアを地面に置くと、ヒヒダルマに目配せする。
「まあいい…自ら死地に足を運んだその覚悟に敬意を評して、一撃で送ってやる。キリキザン「つじぎり」でトドメをさせ」
キリキザンはその言葉に頷くと、ヒヒダルマの脳天目掛けて刃の腕を振り下ろす。
本来なら、尋常のポケモンなら、そのまま瀕死に追い込まれる一撃。されど、甲高い金属音と共にキリキザンの腕が弾かれた。
フキの太刀が抜かれたのか?いや、違う。彼女はその場から全く、それこそ指一本、瞼ひとつ動かしていなかった。
キリキザンの腕を弾いたのは、冷たく冷気を纏う水色の太刀。ヒヒダルマの手に握られているのは、間違いなく武器であった。
「相性が悪い?その程度で獲れるほど、アタシは甘くはねえんだよ」
ヒヒダルマは肩に担ぎ直した太刀−「つららおとし」で作られた精巧なその切先を、キリキザンに真っ直ぐ向ける。
もはや、この場に言葉は不要。
二匹のポケモンは自ずと視線を合わせると、地面を蹴って衝突。腕に備えられた刃と氷の太刀、両者の武器で鍔迫り合った。
太刀が冷気を引いてキリキザンに切りかかれば、咄嗟に腕を軌跡に差し込みガード。お返しとばかりに鋭い足先でヒヒダルマ目掛けて蹴りかかる。
しかし水色の体躯を物ともせず、部屋の壁を足場に翔んで躱した。
「ああクソっ、こうなるならキュウコンを護衛に置いてくんじゃなかった!」
一見両者互角の戦い。しかし、その実この場はフキにとって不利に働いている。
それは、間合いの差。
キリキザンは己の手足を刃として、自由に振るうことが可能。対して間合いの長い太刀は、室内ではその長さが仇となり自由に振り回せない。
さらにはフキとオレアの位置を常に気にしつつ、二人に当たらないよう振り回さなければいけない。
「キリキザン、懐に飛び込んで『きりさく』だ。奴さん馬力はあるが、大振り馬鹿だぜ」
その言葉に軽く頷いたキリキザンは斜めに体を傾けると、ヒヒダルマの腹下に潜り込む。ヒヒダルマが太刀を引き寄せる直前に飛び込むと、掬い上げるように刃を立てた。
体に走る鋭い痛みに僅かに顔をしかめる。
「ここだ!悪いが少し痩せ我慢してもらうぜヒヒダルマ!」
が、直後に太刀を投げ上げる。
自身に刃が突き立てられるのも構わず強く抱きすくめ、すぐに背を反らしてキリキザンを頭から地面に叩きつける。
図らずもフロント・スープレックスの形で、脳をグラグラと揺らしたキリキザンは一瞬の目眩。
その隙を見逃さないヒヒダルマは、落ちて来る氷柱の太刀を手に取り、キリキザン目掛けて振り下ろした。
たった一手で状況をひっくり返したフキ。その必殺の一太刀がキリキザンに迫り、ドッ、と刃が深く達する音が部屋に響いた。
「姉ちゃん、確かに実力は間違いねえみたいだが、少しまだ視野が狭いな。キリキザンは元来群れで狩りを行うポケモンだ」
スキンヘッドのソテツは少し笑い、フキ達の背後を見やる。
そこには例え小柄ながらも、勇敢にヒヒダルマの背中へ飛び込んできたコマタナがいた。体を震わせ、引け腰になろうとも腕の刃を突き立て続けている。
「レヴォの兄貴ィから離れろってんだよこのアバズレェ!おんどりゃあぁぁぁ!」
そこにいたのは、揃いも揃って派手なシャツを着たスーツの男達。
先程フキ達を追いかけていた構成員達がようやく追いつき、刺青スキンヘッドのレヴォと挟み撃ちの形となった。
彼にとって別に、キリキザン一匹でフキを倒す必要はない。
全員で確実に、たった一人の侵入者をすり潰すように倒せばいいのだ。
「そういうことかよ。短期で決められなかった私の負けってか?」
「蛮勇だったな、姉ちゃん。抵抗しないってんなら、」
「その程度でアタシが下がると思ってんのか。あぁ?」
フキはそれでも強気な表情を崩さない。小声でオレアに「屈んだまま顔あげんなよ」と告げると、グッと足に力を溜める。
「ヒヒダルマ、もう建物に配慮するのはヤメだ!「つららばり」で周囲一帯ぶった斬れ!」
彼女ははそう告げるやいなや宙に高くジャンプ。その瞬間、さっきまで彼女の胴があった場所を薙ぎ払うように、大振りな回転斬り。
コンクリートの壁も木の机も構わず、鋭く両断する氷の剣閃。刃こぼれせずに振り回される凶器を前にして、レヴォはそこに活路を見出した。
「ここだ!「不意打ち」で建物の外に出せ!振り出しに戻すぞ!」
回転斬り−つまりはヒヒダルマがキリキザン達へ背後を向けたその一瞬。一瞬の視線が途切れたその隙を狙って、キリキザンは突撃した。
地面を這うようにかけると、回転の軸となっている足に素早く足払いを仕掛けヒヒダルマの体幹を崩す。
その瞬間、フキ達の背後にいたコマタナ達が息を合わせて、ヒヒダルマに突貫した。
ひっかく、れんぞくぎり、ダメおし、一つ一つは決して強力な技ではない。それでも小さな一撃を積み重ねて、ヒヒダルマを一気呵成に窓際へと押し込める。
ギリギリで踏みとどまったヒヒダルマへ、キリキザンが最後のひと押しと言わんばかりに渾身のメタルクロー。
そして、ガラスが割れる甲高い音。
衝撃に耐えられずフキを巻き込んだヒヒダルマは、そのまま窓の外へと吹き飛んでいった。
フキが立っていた場所より後ろ、彼とベイリーフのいる場所には一切氷が及んでないのを確認。そこで満足そうに頷くと、彼らの方へ歩み寄ろうとする。
しかしそこで、フキの背中に大きく焦った声が掛けられた。
「アンタ、一体なんなのよ!?こんな奴今まで見たことない!」
フキが凍らせたゴロツキの一団の中でも、先程彼女に食ってかかってきた姉御肌の団員。
勝気そうな表情を崩さないフキは、姉御肌の団員に額を付き合わせて自信ありげに笑う。
「通りすがりの四天王サマだよ。あたしと変わんねえ梅干し程度の脳味噌に、よーく刻み込んどけバカ」
「嘘だろ!?アンタみたいなスラムの掃き溜めが四天王?アタシもバカだけど、そんなすぐバレる嘘はつかないね」
「本当だよ。テメエら全員仲良く涼ませてやってんの誰か忘れたか?」
その言葉に姉御肌の彼女も思わず押し黙る。ポケモンの技一つで、ギャング達を無力化した腕は確かなのだ。それも様々な動きをしている集団を、怪我させないように。
それっきり静かになったので、今度こそフキはオレアの方へ向かった。
「よしベイリーフ、お前今動けるか?」
「ぅ、ふりぃ…」
「動けそうにない、か。悪いがちょっと触るぞっと…傷はねえな。さて、下にいる奴そろそろ出すか」
フキは太刀をその辺の壁に立てかけると、優しい手つきでベイリーフの体の下に手を差し込む。
注意深くゆっくりと持ち上げると、先ほどから若干見えていた人影の全貌が明らかになる。そこで下敷きとなっていたのは、まだ年端も行かない子供だった。
まだ歯の生え替わりも迎えていなさそうな、南部にしては身なりのいい子供。
男の子は怯えた顔を未だフキに向けている。その様子にぼりぼりと首をかいた彼女はリリーの笑顔を思い出しながら、努めて優しそうな笑顔を浮かべる。
そのままチョイチョイとキュウコンを呼べば、フカフカの毛並みに手を突っ込む。そこからフカフカの新雪を取り出すと。手早く雪ヒバニーを作り出した。
「まあなんだ、怖い目にあったんだろ?それなら真夏に雪遊びくらいの楽しいこと、やったってバチは当たらねえよ」
「う、うん……。あ、ありがとう、お姉ちゃん」
子供はぎこちなさが抜けないが、少しづつフキのキュウコンへと近づいていく。そのままよく整った毛並みに触れれば、その子の喉から思わず感嘆の声が漏れた。
自分が子供の相手など向いていないと分かっているフキは、キュウコンに目配せすると子守を任せる。
そしてよろりと体を上げたオレアの前まで行くと、深々と頭を下げた。
「悪い!アタシの早とちりで勘違いしてた!」
「え…?自分の不始末は自分でつけろって」
「誰かのために頑張った奴は別だ。テメエの私利私欲の不始末じゃねえってんなら、そいつが報われねえのは虚しいだろ」
彼女はガシガシと歯噛みしながら頭を髪の毛を掻く。座ったままのオレアに目線を合わせるようにしゃがむと、もうその目から荒々しい光が抜けていた。
「で、何があったんだ?ここまで来たら乗りかかった船だ。最後まで付き合わなきゃ後味が悪い」
「中部の方で子供が攫われてて…みんな暴動で警察がいないから、誰もその時気づいてなかったんです。この子ごと抱えられて連れていかれてましたし…」
「それでお前が追っていったてか?ったく向こう見ずだなお前」
面白そうに笑ったフキはバシバシと強くオレアの背中を叩く。
「まあアタシ好みだぜ、その無鉄砲さ。そんじゃ1番大切なことだが、お前どんなポケモンが奪われたか覚えてるか?」
「いや、見ての通り結構な人数がいたので…見えないほど小さいポケモンとしか…」
「ってことは、もう一度あの小僧に話を聞かなきゃいけない訳か…子供人気とかアタシ一番ねえっつーの」
再びやってきた子供との会話に頭を悩ませるフキ。ぎこちない笑顔をどうにか浮かべると、歯切れ悪い調子で男の子に再び話しかける。
その子はといえば、キュウコンの背中にもふもふと沈み込んでいた。
「なあ坊主、奪われたポケモンっていうのはどいつなんだ?教えてくれなきゃ返しようがねえ」
「えっと、りっちゃんは甘いものが大好きでね、まんまるくて可愛いんだよ」
「あー…その、「りっちゃん」ってどんな名前のポケモンなの教えてくれねえか?」
「だからりっちゃんは、りっちゃんだよ!」
こめかみに引くり、と青筋が刻まれるフキ。それでも苛つきを子供にぶつける訳にもいかないので、その反動からかガシガシと強く頭を掻く。
しかし会話をなんとはなしに聴いていたオレアは、はっと頭を振る。ついで慌てたように周囲を見回すと、棒を拾って地面を掘り始める。
スラスラと淀みない様子で描き切った彼は、二人をちょいちょいと手招き。そこには、外形だけだが、端的にカジッチュの姿が書かれていた。
「あっ!これがりっちゃんだよ!」
「んー…見覚えがあるような無いような…進化前だからそんなに馴染みがねえのか…?」
「それに加えてこおりタイプはドラゴンもくさも効果抜群ですからね。フキさん氷タイプ使いますし、まず出しませんよ」
「あー、氷以外の進化前は特に覚えてねえや」
フキは困ったような顔を浮かべるが、「うし」と一言言葉を呟くと子供の方に向き直った。
キュウコンは勝手知ったるといった動きで持ち主の元へ歩み寄る。
「ねえ、お姉ちゃんは本当にりっちゃんを助けてくれるの?」
「当ったり前だ。四天王舐めんじゃねえぞ?」
そう言って、フキはその子の頭をわしわしと荒っぽく撫でる。そうして背中を向けようとしたフキだったが、そこに高い声が掛けられる。
「お、お姉ちゃん、これ…」
男の子がフキの袖を小さく摘み、彼女におずおずと差し出したのは小さなリンゴ。まだまだお尻が黄色い未熟なそれを、それでも精一杯高く掲げていた。
「りっちゃんの食べない酸っぱいりんごだけど、僕にはこれしか出来ないから…!お願い!」
それは、せめてもの献身。
フキはそのリンゴを手に取ると、シャグリと大きく口を開けてかぶりついた。
果汁が垂れるのもお構いなしに、芯も構わずペロリと一個平らげる。そして子供の方へ向き直ると、口角を釣り上げた。
「ああ約束だ。ま、その分の対価はもう腹の中だ。守る以外の道は無くなったな」
そう言って自分のお腹をポンポンと叩いて笑う。そして今度こそくるりと背中を見せると、先程地面にめり込ませた被害者一号の元へ近づいた。
そのまま男を地面から引っこ抜くと、ペチペチと何度も頬を叩く。やがて男が意識を取りもどし、うっすらと瞳を開けた瞬間。
「おいカタギさんに手ェ出したクソボケ、その膿んだ耳よーくかっぽじって聞きやがれ。いいか、テメエのカシラの所までアタシらを案内しろ。オーケー?」
「はぁ!?お前なに言っへぶっ!?」
ドッ、という大きな鈍い音。ゴロツキが何か口答えをしようとした瞬間、フキは迷わずその男を蹴っ飛ばしていた。
放物線を描きゴムボールのように跳ねた彼は、凍った仲間の足にぶつかり動きを止める。
その場の全員が目を白黒させている中、フキは獰猛な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「アタシはテメエの腐り切った脳みそに話はしてねえ、アンタの体に聞いてんだ。アタシら全員馬鹿ばっかだからよ、こっちの方が分かりやすいだろ?」
そう言って彼女は、グッと拳を握りしめる。
「さあ、もう一回聞いてやる。アタシらをアンタのカシラんところまで案内してくれるか?なに、そのうちの“もう一回”で案内したくなるさ」
ズキズキと全身が痛むゴロツキは、コクコクと何度も頷いた。
「さーて、カジッチュとやらを見つけたらすぐ言ってくれよ。なに、アタシの背中より後ろにいる限りは安全だ」
「うぅ…僕もあの場であの子と一緒に保護でいいじゃないですか」
「バッカお前、そこまで細かいことアタシが覚えてられる訳ねえだろ。あんな小僧連れていく訳にもいかないし、お前に頼むしかねえんだ」
先導を萎びたゴロツキに任せ、並んでオレア・フキと続いていく。迷路のように曲がりくねった街並みはどんどん建物が入り組み始め、昼にもかかわらずどこか暗い影を落としていた。
「それにしても傑作だったな、さっきの電話越しのリリー」
「電話越しなのに、叫び声が僕まで届いてましたよ」
先程の子供と、その場の殿となったキュウコンの保護を求めるために電話をしたフキ。
その際ついでと言わんばかりに『悪い、一発カチコミかましてくるわ』と告げた瞬間の悲鳴は、未だ耳鳴りとともに彼女の頭を苛んでいた。
「あのぅ、本当に案内するだけであっしは見逃してもらえるんですよね…?」
たんこぶを増やしたゴロツキ一号は、少し怯えるように後を振り返ってそう問いかける。太刀を肩に担いだフキは、トントンとそれで肩を叩く。
「ああ、ちゃんと案内してくれれば、な。そっから先は好きにすりゃあ良い」
「フキさん、この人だって強盗の一人なんですよ!」
「何か見返りがなけりゃ人は動かねえ。なにも希望がないんなら、ヤケになってどんな事しでかすか分かんねえんだよ」
彼女はそう言ってクイと顎をやると、再びならず者は自らの砦への案内を始めた。
何度も増築を繰り返し、隙間を無くした建物たちが上に伸びたスラム街。その隙間を縫うように、3人は並んで進んでいく。
そして各々が無言になって歩くこと暫し、少し開けた場所にある5階建てのビルへとたどり着いた。
そこでおもむろにギャングが二人の方を振り向くと、チラリとフキの顔色を伺う。当の彼女は刀の鞘と鍔が離れていかないよう、二つを紐で強く結んでいた。
「ここの5階にボスが居ますぜ。それじゃああっしはこれで…」
手を揉み込んで気持ち姿勢が低くなった彼は、建物の上方にある窓へ視線を向けた。そして仕事は終わったとばかりに、そそくさとその場を後にしようとする。
だがフキはその襟首を捕まえると、明朗な笑顔で自分の口元に男を近づけた。
「ビジネスマナーがなってねえじゃないか、あぁおい?案内が最後まで済んじゃいねえじゃあねえか」
「何言ってるんです!?あっしはきちんと約束を果たしたじゃねえですか!」
「アタシは“カシラまで”って言ったんだぜ?ちゃんと最後まで案内してもらうぞ」
そう言いながら彼女は深く腰を落とすと、男を掴んだ右手を後ろに引く。筋肉を大きく引き絞って奥歯を噛み締めると、そのまま思いっきり投げつけた。
一拍、窓ガラスが割れる甲高い音。
ゴロツキがさっき示した5階の窓を叩き割り、見事に部屋へホールインワン。
「な、なんなんだ!誰だお前は!」
そして割れた窓ガラスから、肥え太った男が身を乗り出して外を見やる。油ぎった肌、場所にそぐわない高価な時計、周囲のお付きのような人間、フキはパッと見てその男がボスだと判断。
大きく声を張り上げると、太刀を真っ直ぐ突きつけた。
「アタシは四天王のフキ!手前勝手ながら強盗稼業の腐った性根、素っ首もろとも天下白日の元に晒して貰う!」
そう叫ぶと、ビルの表玄関を蹴破った。
「往生せいや小娘がぁ!コマタナ『れんぞくぎり』!」
「おんどれひん剥いて最底辺に売り飛ばしたる!『メタルクロー』や」
フキがオレアを小脇に抱えながら、5階への階段を駆け抜けようとするそのとき。ドタドタと走りゆく足音を聞いたヤクザ達が、不埒な侵入者を倒そうと襲いかかってきた。
揃いも揃ってみなコマタナを繰り出すと、二人目掛けて飛びかかってきた。
「ッチ!その場のノリでカチコミかけるんじゃなかったか!?」
「計画性ゼロなんですか!?ちゃんと動いてくださいよ、考えてから!」
「うるせえ安全第一なんぞクソ喰らえだバーカ!こんな時こそ頼むぜウチのエースさんよ!」
フキは和服の袖に手を伸ばすと、素早くモンスターボールを構える。
その直後、鎧袖一触。
白銀の風が通り過ぎた後、コマタナ達は弾き飛ばされ階段下に崩れ落ちた。
「だるるるらぁ!!」
その名はヒヒダルマ。がラル地方で見られる青白い体毛を身に纏い、威風堂々の構えでフキの先陣を切り開いた。
好戦的な表情はよくよく彼女の主に似ており、分厚い氷柱をその手に持っている。彼らは己のポケモンが一瞬で倒されたと気付くのに数秒を要し、そしてようやく慄いた。
「うっしヒヒダルマ、衰えちゃいねえみたいだな」
「どぅるる!」
一人と一匹が拳を合わせて男達へと歩み寄ると、彼らは尻餅をついて後ずさった。
しかしそれも長くは続かず、下からドタドタと足音が聞こえてくる。フキの常人離れした脚力をもって置き去りにしてきた者どもが、異常に気づいて追ってきたのだ。
「頭の顔面はピンと来ねえのに、求心力が思ったよりありやがるなぁ」
彼女は顎に手を当てると少し小首を傾げる。そんな状況に泡を食った様子の担がれたオレアは、フキの服を涙ながらに何度も引っ張った。
「なに呑気な顔してるんですか!このままじゃ挟み撃ちですよ!」
「それもそうだな、うし!正面突破だ!」
たまらず追加で鼻水を飛び出させたオレア。だがフキはそんなことお構いなしに、グンと床を踏み締め加速した。
ジェットコースターもかくやという負荷を彼にかけつつ、階段を7段飛ばしで駆け上り風となる。
そのまま無機質に光る蛍光灯の廊下を駆け抜けると、迷わず奥の豪華な奥を蹴破った。
今までの無機質なコンクリートの廊下とは違い、見せかけでも木の貼られた豪華な部屋。そこには先程のガマゲロゲ面の男と、側に控える居丈高なスキンヘッドの男。
禿頭の男はすでに開かれたモンスターボールを弄んでおり、ニヤリと口角を歪めていた。
「蛮勇は認めるが姉ちゃん、注意散漫だぜ?」
こめかみにワルビアルの刺青を入れた男がそう告げるのと同時。ヒヒダルマが飛び出した。
直後。天井を突き破った銀色の清輝が、真下にいるフキ達に襲いかかる。
その技は「メタルクロー」。鋭く研ぎ澄まされた銀の凶刃が、ヒヒダルマを切り裂いた。
「…随分なご歓待じゃねえか、あぁおい!」
咄嗟に身を屈めたフキが、眉間をひくつかせながらそう述べた先には一匹のポケモン。鋭く佇むのは、とうじんポケモンであるキリキザン。
全身に刃を備えたその体躯を軽やかに翻らせると、ボスを庇うように立ち塞がった。
「全然倒れてないじゃないかレヴォ!どうなってるんだ!」
「ボス、曲がりなりにもほぼ一人でカチコミかけてるんです。ま、相手は相性が悪いようですが」
しかしヒヒダルマはメタルクローを受けながらも壮健に立ち上がり、そしてその主人も不敵に笑う
そのままフキはオレアを地面に置くと、ヒヒダルマに目配せする。
「まあいい…自ら死地に足を運んだその覚悟に敬意を評して、一撃で送ってやる。キリキザン「つじぎり」でトドメをさせ」
キリキザンはその言葉に頷くと、ヒヒダルマの脳天目掛けて刃の腕を振り下ろす。
本来なら、尋常のポケモンなら、そのまま瀕死に追い込まれる一撃。されど、甲高い金属音と共にキリキザンの腕が弾かれた。
フキの太刀が抜かれたのか?いや、違う。彼女はその場から全く、それこそ指一本、瞼ひとつ動かしていなかった。
キリキザンの腕を弾いたのは、冷たく冷気を纏う水色の太刀。ヒヒダルマの手に握られているのは、間違いなく武器であった。
「相性が悪い?その程度で獲れるほど、アタシは甘くはねえんだよ」
ヒヒダルマは肩に担ぎ直した太刀−「つららおとし」で作られた精巧なその切先を、キリキザンに真っ直ぐ向ける。
もはや、この場に言葉は不要。
二匹のポケモンは自ずと視線を合わせると、地面を蹴って衝突。腕に備えられた刃と氷の太刀、両者の武器で鍔迫り合った。
太刀が冷気を引いてキリキザンに切りかかれば、咄嗟に腕を軌跡に差し込みガード。お返しとばかりに鋭い足先でヒヒダルマ目掛けて蹴りかかる。
しかし水色の体躯を物ともせず、部屋の壁を足場に翔んで躱した。
「ああクソっ、こうなるならキュウコンを護衛に置いてくんじゃなかった!」
一見両者互角の戦い。しかし、その実この場はフキにとって不利に働いている。
それは、間合いの差。
キリキザンは己の手足を刃として、自由に振るうことが可能。対して間合いの長い太刀は、室内ではその長さが仇となり自由に振り回せない。
さらにはフキとオレアの位置を常に気にしつつ、二人に当たらないよう振り回さなければいけない。
「キリキザン、懐に飛び込んで『きりさく』だ。奴さん馬力はあるが、大振り馬鹿だぜ」
その言葉に軽く頷いたキリキザンは斜めに体を傾けると、ヒヒダルマの腹下に潜り込む。ヒヒダルマが太刀を引き寄せる直前に飛び込むと、掬い上げるように刃を立てた。
体に走る鋭い痛みに僅かに顔をしかめる。
「ここだ!悪いが少し痩せ我慢してもらうぜヒヒダルマ!」
が、直後に太刀を投げ上げる。
自身に刃が突き立てられるのも構わず強く抱きすくめ、すぐに背を反らしてキリキザンを頭から地面に叩きつける。
図らずもフロント・スープレックスの形で、脳をグラグラと揺らしたキリキザンは一瞬の目眩。
その隙を見逃さないヒヒダルマは、落ちて来る氷柱の太刀を手に取り、キリキザン目掛けて振り下ろした。
たった一手で状況をひっくり返したフキ。その必殺の一太刀がキリキザンに迫り、ドッ、と刃が深く達する音が部屋に響いた。
「姉ちゃん、確かに実力は間違いねえみたいだが、少しまだ視野が狭いな。キリキザンは元来群れで狩りを行うポケモンだ」
スキンヘッドのソテツは少し笑い、フキ達の背後を見やる。
そこには例え小柄ながらも、勇敢にヒヒダルマの背中へ飛び込んできたコマタナがいた。体を震わせ、引け腰になろうとも腕の刃を突き立て続けている。
「レヴォの兄貴ィから離れろってんだよこのアバズレェ!おんどりゃあぁぁぁ!」
そこにいたのは、揃いも揃って派手なシャツを着たスーツの男達。
先程フキ達を追いかけていた構成員達がようやく追いつき、刺青スキンヘッドのレヴォと挟み撃ちの形となった。
彼にとって別に、キリキザン一匹でフキを倒す必要はない。
全員で確実に、たった一人の侵入者をすり潰すように倒せばいいのだ。
「そういうことかよ。短期で決められなかった私の負けってか?」
「蛮勇だったな、姉ちゃん。抵抗しないってんなら、」
「その程度でアタシが下がると思ってんのか。あぁ?」
フキはそれでも強気な表情を崩さない。小声でオレアに「屈んだまま顔あげんなよ」と告げると、グッと足に力を溜める。
「ヒヒダルマ、もう建物に配慮するのはヤメだ!「つららばり」で周囲一帯ぶった斬れ!」
彼女ははそう告げるやいなや宙に高くジャンプ。その瞬間、さっきまで彼女の胴があった場所を薙ぎ払うように、大振りな回転斬り。
コンクリートの壁も木の机も構わず、鋭く両断する氷の剣閃。刃こぼれせずに振り回される凶器を前にして、レヴォはそこに活路を見出した。
「ここだ!「不意打ち」で建物の外に出せ!振り出しに戻すぞ!」
回転斬り−つまりはヒヒダルマがキリキザン達へ背後を向けたその一瞬。一瞬の視線が途切れたその隙を狙って、キリキザンは突撃した。
地面を這うようにかけると、回転の軸となっている足に素早く足払いを仕掛けヒヒダルマの体幹を崩す。
その瞬間、フキ達の背後にいたコマタナ達が息を合わせて、ヒヒダルマに突貫した。
ひっかく、れんぞくぎり、ダメおし、一つ一つは決して強力な技ではない。それでも小さな一撃を積み重ねて、ヒヒダルマを一気呵成に窓際へと押し込める。
ギリギリで踏みとどまったヒヒダルマへ、キリキザンが最後のひと押しと言わんばかりに渾身のメタルクロー。
そして、ガラスが割れる甲高い音。
衝撃に耐えられずフキを巻き込んだヒヒダルマは、そのまま窓の外へと吹き飛んでいった。