【第084話】罪人の飼い殺し、哀れみの答え合わせ
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
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ーーーお嬢は目を覚ます。
そこはまた、無限に続く暗闇の中だった。
「………ッ、ここは?」
彼女は周囲を見渡す。
そこには誰もいない。
いつも一緒にいたマネネですらも、その場には居合わせていない。
何故ならブリザポスがあの場面に置いてきたからだ。
「ッ……み、みんな……!」
お嬢はゆっくりと身体を起こす。
彼女は確かに気絶していた。
しかし、それでも。
僅かに聞こえていた音で、それまでに起こっていたことは大まかに把握していた。
……その中には、ブリザポスに刺されたスエットの事もあった。
「う……うわああああああああッ!」
お嬢は溢れくるモノに耐えきれず、叫び声を上げる。
完全に感情の行き場を失っていた。
レイスポスのジャックを庇いきれなかったこと。
スエットを見殺しにしてしまったこと。
……そしてブリザポスのジャックを止められなかったこと。
この惨状に、誰を責めれば良いのか彼女はわからなくなっていたのだ。
お嬢は夢にも思わなかっただろう。
まさかいつも共に居たジャックが、あんな怪物だったなんて。
あそこまで冷徹に、他人を傷つける事ができたなんて。
「嘘よ……嘘よ嘘よッ!だって、ジャックがあんな……!」
目の前で見てきた事実は、彼女は未だに受け入れられなかった。
だが、時間は残酷だ。
取り乱す彼女を待ってはくれない。
目の前には、無情にもジャックの記憶が再生される。
やがて聞こえるまばらな足音が、お嬢の意識を現実へと引き戻す。
目の前に突如現れたのは、ふらつく足取りで歩んでくる17歳の少年。
ワイシャツに黒いベレー帽を被った紫髪の少年……
「じゃ……ジャック?」
そう、『チャンピオンの』ジャックだ。
目は乾き、顔色は蒼白……寧ろ無色ですらある。
彼の表情は、一切の生気を失っていた。
お嬢はジャックの表情と周囲の情景から、この状況を全て理解した。
此処が、サンドを喪った直後のジャックの精神内部である……と。
ジャックは沈んだ様子のまま、一言も発さない。
そして歩き疲れたのか、そのまま力なく倒れ込む。
「…………。」
「……ジャック………。」
彼の喪失感は、想像を絶するものだったろう。
今まで大切な人を亡くしたことがないお嬢にとって……そして大切な存在が居るお嬢にとっては特にそうだ。
ジャックの表情は、全てを諦めていた。
そこにかつての英雄の面影はない。
勝利に貪欲だった彼は既になく、ただ熱量を奪われた屍がそこにあるのみであった。
お嬢は触れることの叶わぬ手を差し伸べる。
彼の頬は酷く冷たかった……ように思われた。
そんな時。
お嬢の背後から、凍てつく冷気と共に重々しい足音が近づいてくる。
間違いない……先程のブリザポスのものだ。
その気配に気づき、お嬢は咄嗟に距離を取る。
何処からともなく現れた彼は、倒れ伏したジャックを覗き込むようにして位置取った。
『何ですかその無様な様子は。主人格たるアナタが、まるで死人の様ではありませんか。』
ブリザポスは嘲笑するような口調で、ジャックに語りかける。
その不愉快な言葉がお嬢の見知った使用人の声で発されるのは、得も言われぬ違和感があった。
「………誰だ。」
『「誰だ」ですって?ご存知のくせに。もうひとりのアナタですよ。』
更に首の角度を下げ、ブリザポスはジャックの耳元で呟く。
冷たく荒い鼻息を近づけられてもなお、彼は微動だにしない。
『私はアナタがSDの力……魂を分割する力を使う際に生じた存在です。本来はこんな具体的な姿はしていないのですが、凄まじい勝利への執念と心の脆さが私をここまで大きくしました。』
そして息を吸い、更に低い声で続けた。
『……アナタがこの1年、無闇にSDを使ってくれたおかげです。』
「…………。」
「ッ………!」
傍観していたお嬢は言葉を呑む。
この眼の前の怪物は……ジャックの罪過の権化たる怪物は、的確にジャックの傷口を抉るように言葉を選んでいる。
自業自得とは言え、それはあまりに無慈悲で冷酷な存在だった。
『いやはや……自分の足で歩くことはなんと気持ちがいいのでしょう。このままアナタの心と身体の主導権を握れたら、それはもう最高に違いありません。』
そう言うとブリザポスは、前脚をジャックの頭部に置く。
ほんの少し力が入れば、そのまま彼の頭部は踏み潰されるだろう。
即ち、ここで彼の人格は事実上消滅し、このブリザポスに全てを乗っ取られる。
「………。」
だが、ジャックは微動だにしない。
それどころか、ブリザポスの方には関心すら寄せていない。
……彼には、自分の命の是非すらどうでもよかったのだ。
『おや、何ですかその顔は。少しくらい命乞いとかしたらどうです?』
「………好きにしろ。早く殺せ。」
ジャックの言葉に抑揚はない。
絶望の果てに居る者の声だ。
否、寧ろここで己が命をブリザポスに処断されることに期待すら抱いていた。
『……何ですかアナタは。己の欲のままサンドを振り回し、今度はその責から逃れようというのですか。』
「……うるさい。」
『トレーナーとしては右に出る者はいない、最強無敗の英雄。しかしその実態は、慈悲も配慮も欠けた碌でなし。代えの効かぬ友よりも、飽き足りた勝利を選んだ人でなし。そして更にはそこから逃げようとすらする臆病者!!』
「黙れッ!」
ジャックは僅かに目線を動かし、怒鳴り声を上げる。
……既に枯れきっていて、あまりにも情けない怒鳴り声を。
彼らのやり取りを見ていたお嬢は、言葉を失う。
言葉なく、ただただ涙を流すしかなかった。
ブリザポスの言葉は、先日の夢で会った『チャンピオンの』ジャックが言っていた言葉そのものだった。
つまり彼は、自身の怪物に言われたことをずっと引きずっていたのだ。
あの時感じたお嬢の哀れみは、間違いではなかった。
彼は確かに、あの罵倒で他でもない自分自身を傷つけていたのだ。
やがてブリザポスは、ジャックの頭に乗せていた脚をゆっくりと地に下ろす。
そして大きなため息を一つ吐き、続けた。
『……全く。惨めったらしいにも程がある。最早アナタを殺すことすら馬鹿馬鹿しいです。』
そう言うとブリザポスは数歩下がり、大きく息を吸い込む。
そしてジャックへ、膨大な冷気を吐きつけた。
彼の周囲は次々に氷が積み上がっていく。
やがてジャックの周囲1mを取り囲むような、巨大な氷の檻が完成したのだ。
『……アナタはそこで飼い殺しです。アナタが少しでも生きることを望んだ時に、その希望ごと刈り取ります。それを以て断罪と致しましょう。』
その言葉の後にブリザポスは白い靄に包まれ、姿が徐々に変わっていく。
四足の体躯は人の形となり、やがてジャックと全く同一の外見にまで変化した。
銀の髪と険しい表情は、まさしくお嬢の見知ったジャックと同じものだったのだ。
「私はこれから『ジャック』として、アナタの代わりに生きましょう。………せいぜいそこで見ているがいい、臆病者め。」
そう言うとブリザポス……否、『ジャック』は被っていたベレー帽を投げ捨てる。
そしてそのまま、闇の彼方へと歩いて消えていったのだ。
「これが……ジャックの………。」
お嬢は涙を拭う。
そうだ、これが彼の……否、『彼ら』の真実にして末路だ。
輝かしい英雄譚の、惨めなエンディングである。
お嬢が立ち上がったその瞬間。
頭上の闇が僅かに剥がれ、虚空へ舞い上がっていった。
世界が崩れ始めたのだ。
場面は切り替わる……否、終りを迎える。
ジャックの精神世界は、これにて終点だ。
拍手もカーテンコールもないまま、この悲劇は閉幕する。
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ーー
ーーーお嬢はいつの間にか眠っていた。
あまりにも冷たい、誰かの肌に触れながら。
目を覚ますと、そこはブリザポスの背中の上であった。
彼はお嬢を乗せて、ゆっくりと歩いている途中だったのだ。
「………じゃ、ジャック……。」
お嬢が僅かに声を発すると、ブリザポスはいつもの声で話しかけてくる。
『おや、お目覚めですか。如何でしたか?あの男の末路は。』
「………。」
お嬢は何も答えなかった。
『酷い男だったでしょう?無責任な男だったでしょう?』
「………。」
またしてもお嬢は何も答えない。
ただ無表情で、ブリザポスを見つめるのみだった。
何も反応を見せないお嬢。
初めは上機嫌なようにすら聞こえたブリザポスの声は、心なしか徐々にトーンを落としていく。
『お嬢様……?』
「………。」
『………。』
やがてふたりの間には、長い沈黙が訪れた。
響くのはブリザポスの足音のみだ。
そしてその静けさに、僅かな光が差し込んでくる。
『……もうすぐこの世界の出口に辿り着きます。お疲れさまでした。』
お嬢は白ける前方に目をやる。
差し込む光は暖かい。
そして長らくこの精神世界の中にいたお嬢にとって、とても懐かしいものであった。
………だが、お嬢はその光に飛び込むことを良しとしなかった。
彼女の中には、未だ突っかかりがあったのだ。
本当にこのブリザポスは、自分のよく知るジャックなのか。
本当にあの優しかった彼の正体が、冷徹な怪物だったのか。
彼女は未だ、納得出来ていなかった。
お嬢は腰を上げ、ブリザポスの背中から飛び降りる。
『なっ……お嬢様!?』
「……ごめんなさい、ジャック。アタシ、まだ行かなきゃいけないところがある。」
『…………は?』
「だって……『まだ見てないもの』があるじゃない。」
そう言うとお嬢は、そのまま元来た暗闇の方まで駆けていってしまった。
まるで何かを確かめに行くように。
『お嬢様、ダメです!お戻り下さい!』
「……大丈夫。アタシならちゃんと帰れるわ。」
お嬢は最後にそう言い残し、遠くへ姿を消した。
『…………。』
ブリザポスの脚なら、お嬢を追いかけることぐらい容易かっただろう。
しかし彼の脚は、一歩たりとも動かなかった。
精神世界の出口にて取り残された彼は呆然と立ち尽くし、ため息を吐く。
自分から離れていく、お嬢を呆然と眺めながら。
『……嫌われましたかね。これは。』
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ーーーーースネムリタウンの礼拝堂にて。
既にお嬢とスエットが精神世界に入り込んでから5時間が経過していた。
否、実際に彼女らが体験した時間は短く見積もってもダイジェストで1ヶ月程なので、それでも短い方なのだが……。
兎も角、既に日が落ちるほど彼女らの戦いは白熱していたのだ。
エンビはその間、背後の席で座ったまま彼女らの帰還を待っていた。
「………。」
意識を失った2人とマネネ、そして床に倒れ伏すジャックを睨む。
エンビはその間立ち上がりもせず、かれこれずっとこうしているのだ。
「いやぁ長いッスねぇ。」
クランガは手持ち無沙汰なのか、後ろの席で小型の機械を弄っている。
しかし相変わらず、悪趣味な笑みは変わらないようだ。
そんなこんなで、ただただ退屈な時間が緊張とともに過ぎていた礼拝堂。
しかしここで、この静寂は破られた。
「……………ッ。」
お嬢の身体がわずかに動く。
そして僅かに数秒後……
「ッ!……こ、ここは!?」
お嬢は完全に目を覚ましたのであった。
彼女の意識は、現実の世界に帰ってきたのである。
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