6.インビジブル・サイン

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 時間は前回から少し経過する。半年あまりキースと過ごしたイーラは、やるべき家事を少しずつ覚えていった。カロスから高飛びする間に、彼のポケモンの世話もするようになり、信用されたりまだ距離を置かれたりしていた。あのモノズは、段々と彼女の言う事を聞くようになってきた。
 そんなある日。帰ったキースの手には、見慣れぬ大きな荷物があった。

「君に、今日から専用のポケモンを与えようと思う」
 そう似合わぬ真面目な声で怪盗は、白とピンクの不思議な球体──ポケモンのタマゴを、温かいタオルに包んだまま助手に渡したのである。
「これを、私が?」
「そうだ。僕でいうフーディンのような、犯行と逃走のサポート要員は必要だろう。モノズだけじゃ、この先やっていけないしな」
 孵化装置などではない、むき出しの生命の原初。イーラの手にも、中から鼓動が伝わってくる。生きている。今に手を滑らせれば、落命するに違いない。何とも責任重大な役目だ。
「おそらく、そいつは君を気に入るだろう。人間に友好的な種族だから」
 彼女は、モノズに加えて新たな仲間を迎え入れるミッションを預かったのだ。


「何が孵るのでしょうね」
「んぎゅう」
 イーラとモノズは顔を合わせてみた。そっとつつくと、ゆらゆらと揺れて跳ね返った。自立しようという意思があるようだ。まだタマゴなのに。彼女は不思議そうに観察して、温度管理を忘れなかった。
「あの、このまま温めればよいのですか?」
 珍しく眼鏡を掛けた彼に尋ねてみた。膝に寝転がるゾロアークが、「重い」と言われて蹴られても、退かずに怪盗の方が根負けしたのだ。彼は重たい膝にて経済新聞を広げている。
 ふと見た、新聞の一面。父親の名前を見てしまい、彼女はぎこちなく目を逸らした。
「いや。タマゴは、不思議と元気なトレーナーと歩き回らないと孵らない。ウルガモスやブーバーがいれば、もっと早いんだけどな」
「ということは、毎日一緒ですか?」
「そういうことになる」
 腕の中のタマゴは、答えるようにふるふると揺れた。意外と孵化が近いのかもしれない。イーラは慎重に持ち直す。モノズも、タマゴが心配なのか着いてきた。やはり、足を家具にぶつけながらだったが。
「本当に“おや”なんですね。私たちって」
「……そうだな」
 イーラは深々と噛み締めるかのようだったが、彼はその言葉を苦く肯定した。何か果てしない後悔を思い出し、胸を痛めるかのように。普段ならまず見せない、怪盗ではなく人間キースとしての一部。そんな姿が、イーラにも印象的であった。


 イーラとタマゴは、言われた通りに毎日を肌身離さず過ごした。掃除の際には、温かいタオルで敷き詰めた容器にいれて見守った。炊事の時でも、傍の籠にいれて待つ。
 怪盗の手持ち、ゾロアークやロトムが何か触ろうとすると淑やかに跳ね除けた。フーディンは静観し、ドンカラスはそもそも彼女を煙たがっていたので近寄らない。
 彼女とモノズだけが、側で見ていたのである。そして──地道な努力は、実を結ぶことになる。

「あ、ヒビが」
 イーラがモノズを手招きするうちに、タマゴのヒビはさらに深く断裂していく。彼女が両手を添えてやると、安心したかのようにタマゴは小さく破裂した。
 頭に殻を載せた、小さな白いポケモン。右も左も分からずに、濡れたまま彼女に抱き上げられた。
「このポケモン、ラルトスですね」
 赤いツノを触ってやると、恥ずかしそうだが喜んでいる。持ってきたタオルで拭いてやり、小さなラルトスをイーラは抱いていた。
 近寄ってきたモノズにも見せてやる。若干距離を取りつつも、喜ばしい様子だ。
「ラルトス。良いだろう、進化するとエルレイドに──ってあれ、メスか……そうか」
 割れたタマゴを見た、怪盗は目論見が外れたかのようだった。やや吐息を吐いてから、頷いている。見ただけで雌雄が判別できるのは、やっぱり私よりずっと先輩なのだと、彼女はそう考えてもいた。
「ラルトスってサーナイトにもなりますよね?」
「ああ。そして自力で『テレポート』を習得できる。器用で優秀なポケモンだが、感情に対して繊細な一面を持つ。僕にはあまり向かない種族だ」
 イーラの手の中にいる、ラルトスに挨拶代わりか微笑みかけて頭を撫でてやる怪盗。彼女の時と同じように、はにかんだ喜びを示していた。
「エスパータイプは、頭のいい種族だ。君の育て方次第では人間以上にいい相方になる。ま、くれぐれもその無愛想さはトレースさせるなよ」
「ミスターとシンクロさせて、恥をかかすよりマシですから大丈夫です」
 それくらい口を叩けるならば、大丈夫だろう。そんな意味を込めた手を、彼はイーラの肩に置いた。その日から、末っ子ラルトスとの日々が始まったのだ。





 ラルトスは控えめな性格の女の子であった。イーラにはたんと甘えて、抱っこや頭を撫でてもらうのが大好きだった。キースもたまに世話をみてやると、彼よりずっとトレーナーの彼女の方が好きなのだろう。ふわりと浮き上がって、イーラの元に戻ってしまう。
 イーラはそんなラルトスに優しく接した。彼女が健気に働く最中、邪魔をしても咎めなかった。親から自分に与えて貰えなかった愛情を、せめてもの思いで与え誤魔化すようでもある。二人で身を寄せ合う、そういう姿を見ると、不思議とキースは身をつまされた思いをしてしまうのだった。
 二ヶ月も経つと、ラルトスはしっかりとした意志を持って生活するようになる。イーラには時間がある時のみ甘えて、目の見えないモノズに、障害物の場所を教えてやる気遣いを持っていた。彼女もまた、人間の女性に近い感性の持ち主だった。時々、怪盗がイーラの腰を添えると、顔を紅くした。その後、大概また彼女の方から男は抓られて、安堵するのだ。
「ラルトスは、恥ずかしがり屋さんなのですね」
「……るぅ」
 普通のトレーナーとの主従関係と違ったのは、思えばこの辺りだった。彼女には、このラルトスが日に日に少しずつ、思慕を越えて想っているなんて、思いもしなかったろう。
 傍から見ていた、怪盗は静かに思った。このラルトスも、彼女も。何となく似ているなと。そして、少し危ない感情の行き交いも感じて、辟易したため息が洩れる。


 キースと出会ってから、一年目の冬が訪れた。イーラは変わらない日常を過ごしていた。炊事をキルリアが脇で手伝い、腰掛けて彼の取れたボタンを直す足元にはモノズがいた。靴下に顔を埋め、寒さに身をよじる。
 思えば、これが日常になったのは、信じられないくらいに幸福であったと、彼女は噛み締めてもいた。実家に居ればどうなっていただろうかと、良くない想像も膨らむ。
「冬なんて、早いですね」
「きるる!」
 くるくる、バレリーナのように回るキルリア。彼女が目を向けると、ちょっとだけ頬を赤らめた。
「寒いんですか?」
「る、るぅ……」
 「違うんです」と、そう言いたげな控えめな瞳。イーラが疑問の目で観たが、その後に足元のモノズに催促され、籠のナナのみを食わせている。
 ほっと安心したような、残念極まりないような。複雑な気持ちをキルリアは抱えていた。
 二人の微妙な距離感を、遠巻きに男は見ていた。遠因は自分にもある気がしたのもあり、眉を引き攣らせながらも、これには目を瞑るしかない。
「……早く進化出来るといいな」
 何かを誤魔化すかのように、怪盗はモノズに言ってやった。


 サーナイトになったのは、その冬が終わりを告げる頃であった。イーラとほぼ同じ背丈になり、彼女をサポート出来る量も格段に増えた。
 『テレポート』による、緊急事態からの回避も何度も練習した。初めは、見た事もないミアレの郊外に飛ばされたり、海の上に転移してしまっていた。ずぶ濡れになったイーラを、怪盗とゾロアークはけたけた笑ったものだから、『マジカルシャイン』による制裁が余儀なくされるのだった。立派に人型になったことで、助手見習いのイーラと一緒に街を出歩く事も多くなった。
 元々、成長が遅いモノズは、その様子に少し焦ったらしい。しばらく彼女の言う事を無視するようになる。
「モノズ、ご飯食べましょう?」
「ぎぎぎぎ……」
 こうして、歯を擦り合わせたかのように不快な鳴き声を出しては、イーラを困らせた。きのみをぶら下げると、少しだけ大人しくなる。
 「よくある事だ」怪盗の手持ち、ゾロアークやフーディンらは、そんな余裕で見ては時々話しかけているようであった。サーナイトは彼女にべったりだったのも卒業し、手のかかる先輩・モノズの心配をしていた。


「今日って何の日か分かるか」
「さあ? 皆目見当も」
 春に差し掛かり、葉桜が舞う季節。唐突に尋ねた怪盗は、そんな彼女に少々むかっ腹を立てて言う。
「出会って一年が経った」
 彼は顎にて彼女の二つのボールを指す。モノズとサーナイト。二つのモンスターボール。イーラも思わず手に取って、思い出に耽った。
「わざわざ覚えているなんて、ロマンチストなのですね」
「確かにな。どうでも良かったはずなのに」
 彼自身が疑問を唱えたかのようだった。爽やかに笑うと、彼女の肩に手を伸ばす。不快ではなかった。むしろ安心した──そんな様子を、表情を変えぬままにしていた。
「君って、誕生日いつなの」
「知りません。製造日なら──」
「おいおいおい。そんな俗悪な話はよせ!」
 本人以上に、焦って止める質問主。滑稽な様である。何となくだが、彼らの間にはいくつかの触れてはいけないものがあった。何方が言い出すでもなく、互いに深入りを躊躇う話題を避けていた。この不可侵条約故に、イーラはまだキースのことをほとんど知らないのだった。
 それでも、彼女は良かった。人間キースではなく、“怪盗”としての彼を慕えばいい。そう考えていたからだ。
「じゃあ僕が決めよう。君は──7月が似合う。7月20日のキングラー座。どうだろうか」
「あ、ありがとうございます。しかし何故7月なのですか」
 至極勝手であったが、彼女は礼をした。相変わらず、感情に乏しく何を考えているのか分からない女だとキースは思った。
「7月って、夏だろう。雨が終わって晴れやかな日差しがある季節だ。その方が、僕らに出会った君らしいじゃあないか」
「また……どうしようもなくポエマーですね」
 少しばかりの沈黙には、彼女なりの照れがあった。
「あと水着姿を合法的に見れ」
「サーナイト? このたらし男の脳を『サイコキネシス』で矯正しましょう」
「おい助けろ、ゾロアーク! おい!」
 嫌がるゾロアークの垂れ毛を掴み、喚き散らす男。そして苦笑いするサーナイト。彼女は意識していなかった。こうして、何の躊躇いもなしに言いたいことを言える相手。それらを見守る仲間達。
 それが、自分の心に凍てつく闇を溶かしつつあるとは。そして、いつか対峙せねばなるまい、罪の記憶への──更なる枷となっていることを。

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