名前を呼んではいけないあの人

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 バトルタワーの後は少しシュートシティを散歩して、早めにホテル・ロンド・ロゼに行った。時計塔が一体化したデザインが特徴的な、ガラルを代表する建築物だ。ガラルの標準時刻を決めているというような話も聞く、歴史的な高級ホテル。
 チェックインした部屋は、ガラルに来て間もない頃に泊まったあの部屋だった。改めて見ると豪華だ。ダブルベッドで、マスターひとりなら大文字の形でゆったり眠りにつけることだろう。しかし、マスターは私を抱き枕にするのでそういう場面は多分ない。
 また、来客用の応接スペースも備えられており、十代の少女が泊まるには贅沢すぎるくらいで、しかしガラルチャンプが泊まるには不十分な、そのような部屋だった。本来ガラルチャンプであれば、好きに部屋を予約する程度その特権で十分できるのだが、マスターはあまりそういった贅沢に興味はないらしい。
「あたし、キャンプのほうが性に合ってるのよね」
 しかし、質素なマスターにもささやかなワガママがあり、ホテル・ロンド・ロゼではこの部屋を使用することだった。
「でも、ここは特別でさ。この天井の絵が好きでね?」
 広い部屋の入り口近くに置かれた応接のソファに座ったまま、マスターは天井を見上げた。その隣に座る私もつられて目線を上げる。
 天井一面にガラルの広大な自然が描かれている。そこによく見ると、男の子と女の子、ポケモン――サーナイトが描かれており、それぞれ仲良く手を繋いでいる。風景のほうが大きく描かれているため、ガラル初日には気づかなかった。
「この絵見てからずっとさ。いつかサーナイトと旅したいなって思ってたから、サナたんを迎え入れる日は楽しみだったんだ」
 そして、嬉しそうに私を抱きしめる。なんだか、照れくさい。
「サナたん、メガネもいいけど、スカーフも似合いそう。でもバトルだと、精霊プレートもいいのかな?」
 メガネを突然取られる。思いついたように、ソファの前に置かれたローテーブルに次々アイテムを並べる。
「うーん。どれがいいかなあ」
 と首を傾げる。あーでもない、こーでもない、と悩むマスターの顔は生き生きしていた。
「うー、あ。忘れてたけど、そろそろかな? ダンデさんの言ってた人が来るの。知ってる人って言ってたけど誰だろ……」
 と、同時だった。チャイムが鳴り響いた。
「来た!」
 来た――マスターは机の上のアイテムをバックの中に乱暴に詰め込み、私はいざというときのため、机の上の精霊プレートを咄嗟に掴んだ。
 前チャンプのダンデの紹介だから、信頼できる人物ではあるだろう。しかし、マスターは年端もいかぬ少女だ。それを守るのは私の務めである。
 マスターは無言で私に目配せし、私もそれに頷く。
「はいどうぞ!」
 マスターが扉を開くと、そこに居たのはやや体格の良い四十代の男である。ラフな格好をしており、赤いポロシャツに白のハーフパンツという出で立ちであった。
「ダンデさんに言われて来たよ」
「えっと……どちらさま?」
 ダンデが言っていた“赤”というイメージはクリアできていたが、マスターは全く面識がない様子だった。男はすぐに合点がいった様子で、口調をがらりと変えてみせる。
「初めてじゃないボルよー。何度か会ってるボル!」
「……ボールガイ?」
 おどけた口調とともにオーバーなジェスチャーで語りかける姿を見て、マスターは初めて気がつき、「素顔、初めて見たー!」と騒いでいた。
 私もシュートスタジアムで一度だけ面識があった。しかし、それ以前に私はこの男の顔をどこかで見たような気がしてならなかった。
「そっかそっか! まあ、かけてかけて。サナたん、紅茶をおねがい」
「いや、お構いなく。チャンプ」
 私は危険はないと判断し、持っていた精霊プレートをローテーブルの上に置き、客室に備え付けられた紅茶を淹れ始めた。ミントの香りが鼻をつく。
 インスタントの紅茶はすぐに出来上がった。ローテーブルにそれぞれ並べ、私もマスターの横に座った。
「いやー、ボールガイの中の人に会えるなんてね! 長生きもしてみるもんだね、サナたん!」
「……いや、厳密には、おじさんの雇用形態は非常勤スポットなんだよ」
「非常勤?」
「ここから先の話は、ガラルチャンプだけが知り得る秘密だよ。絶対、周囲には他言しないでね。実は、ボールガイの中身は一人じゃないんだよ。2交代制でシフトを敷き、数名の常勤が交代勤務している。そこにさらに非常勤のおじさんが常勤者の休日確保のため、スポット的に入るようになっているんだよ」
 マスターはしばらく考えていたが、なるほど、と頷いた。
「いつどの時間にシュートスタジアムに挑んでも景品くれるし、ガラル各地のジムをふらっと訪れたときにもいるし、不思議だなあとは思ってたんだよね。そういうことだったのね!」
「そのとおりだよ。ところで……おじさんに用事があるとのことだけど?」
「カントーや色んな場所を見て来たっていうボールガイくん……あ、この呼び方は変なのか。えっと、おじさんに聞きたいことがあって」
「ああ。その話ね。ダンデさんから少し聞いてるよ。そうか――……」
 ボールガイと呼ぶのが今の場面で正しいかわからないが、その男は静かに語り出した。

――――――――――
【補足】ボールガイの勤務体制
 リーグ非公式マスコットキャラクターであるが、複数の街に同時刻に現れるていることや、24時間どのタイミングでシュートスタジアムに居ることから、梨をモチーフにした某マスコットキャラクターとは異なり、単独ではなく複数がらみの凶行と言われている。
 また、有志だけでは賄えないであろう人数、貴重なオシャレボールの無償配布から、その活動の裏には何らかの大きな力が働いていると噂されている。
 しかし、そういったアンダーグラウンドな企業にも国家主体の“働き方改革”は及んでおり、数年前の改正労基法施行により、36協定の時間外勤務の上限設定のほか、年次有給休暇の5日取得も義務づけられ、ボールガイとしても今までのような働き方が違法とされたため、勤務体制を見直し、休暇の確保のために非常勤スタッフを雇用することとなった。
 しかし、今度はその非常勤にも年次有給休暇を認めならなければならなかったり、最低賃金の格上げ、同一労働同一賃金の考えも出て来ており、企業にとっては逆風の時代となっている。
――――――――――

「おじさんみたいな脇役には名前はいらないのだが……、呼ぶとき楽だと思うので名乗っておこう。おじさんはグラというよ。ガラルには来ていないが双子の弟にグリというのが居て、カントー地方の貧しい家に生まれたんだ」
 非常勤ボールガイ改め、グラは自己紹介し、懐かしむように目を伏せた。
「元々貧しい生活だったが、両親が事故で亡くなり、遺された幼い我々には身寄りもなく、物乞いをしながら、タマムシシティという大都会で、今日を生き抜かなければならない、という飢えと死と隣り合わせの生活をしていたんだよ……」
 語るグラの目には当時を思い出し、涙が浮かんでいた。語るだけ、聴くだけなら一瞬の話だ。しかし、当時の彼らには長く、厳しい苦悩の日々があったはずだ。
「そんなとき、ある組織が声をかけてきた。今日生きるか死ぬかの双子に断る余裕はなく、その後はロケット団のしたっぱとして生きていくことになった……」

 ――ロケット団。
 カントー地方を中心に、ジョウトにまでその勢力を広げ、その野望を阻止され壊滅した今となっても、世界各地にその残党は散らばっている。
 伝説と化した悪の組織だ。
「……おじさんたちの任務は“宇宙”に関すること。特に太古の昔に世界各地に降り注ぎ、燃え尽き、核となる部分だけが結晶化したものがあり、それには特別な価値があると、ロケット団の科学研究部は考え……おじさんたち双子にその回収を任せた。おじさんは弟と別れ、世界にばらけ、回収任務は長年に渡り……目的のブツも一定数集めることができたので、カントーに戻ったんだよ。でもね。今思うと組織はある少年の活躍により壊滅するシナリオがこのときには進んでいたのだと思うね……」
 ところで、と、グラは小さな小箱を取り出し、テーブルの上に置いた。何か重みのあるものが入っているのだろう。コトン、と金属が箱の中で動く音がする。
「カントーに戻った後も、ブツの回収のためには手段は選ばなかった。それこそ、現地のトレーナーを利用したりもしながら、同時に強い団員を集める意味も兼ねて、カントー地方では、とある場所で5人がかりで通りかかるトレーナーにポケモンバトルを挑み、勝ち抜いた者には、当時ロケット団のしたっぱだったおじさんが勝負を挑んだりしたこともある」
 小箱をカラカラと揺らし、グラは懐かしむように言う。
「あるとき、赤いキャップの似合う彼と会った。後にカントーチャンピオンになるとはその時は思いも寄らなかったが……彼は強かった。ロケット団のしたっぱだったおじさんは彼に打ちのめされ、同時に彼とポケモンの絆や、活き活きした彼とポケモンを見ると……このままではいけない、と思ったんだよ」
 グラはそのままロケット団を脱走し、ブツは持ち逃げする形で逃亡し、第二の人生を歩むことを決意した。
「罪をつぐないたい。自分にできることは何だろうかと考え、その時、おじさんが持っていたコレを世界の人たちに還元することと思ったんだ」
 そして、これは君に、とマスターに差し出す。
「いやー、いつもボールとかもらう度に、癒着してるだの何だの言われるから、いただくのはちょっとなー?」
 と言いつつ、マスターはちゃっかり受け取っている。このあたりまだまだ子どもだなあと思う。そして、箱のフタを開ける……そこには、黄金色に輝く球体があった。
「どうだい、欲しかっただろう? 待ちかねたかい? おじさんの“きんのたま”だよ。ちゃんと2つあるよ。なにせ、おじさんの“きんのたま”だからね」
 グラが言葉を発した瞬間、過去の光景が目まぐるしく脳裏をよぎる。そうだ。この顔、この感覚は間違いなかった。

 ――あの男、きんのたまおじさんだった。

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【補足】ぐりとぐら
 『ぐりとぐら』という、ガラルの子どもたちに人気の絵本のシリーズがある。双子の野ナッシー、「ぐり」と「ぐら」を主人公とする物語である。シリーズ累計発行部数は2630万部。シリーズ1作目の『ぐりとぐら』は472万部発行されている。
 一見、普通の話なのだが、挿絵の要所に不自然に描き込まれている黄金色の球体があり、また、セリフの中に時々、不自然に「きんのたまだからね」というものがあり、何らかの隠された命題があるのではとファンの間で言われている。
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