Boックス.49 キみと歩むみチ

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読了時間目安:12分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 顔を覆う。知ってるはずなのに、重なる感情はふわふわとして、穴抜けだ。(知っている。オレは知ってるだろ。このリーシャンが誰か。向こうだって知り合いに似ている気がしたって……知り合い……? もっと、そうじゃなくて)違和感の正体を掴みきれないまま、口を開いていた。「ごめん……なんか、ちょっ、とまって……オレも、会ったことがある気がする、から」(これはオレの言葉か? 本当にオレの言葉か?)口をつく言葉の違和感が拭えない。誰かの感覚が覆い被さるように乗っている。(これは夢だ。誰かの。誰の?)「ウミの事は絶対忘れないんだけど……」

 ウミ?

 口を押さえた。閃くように意識の中に降ってきた朱色の外套が振り返ってその中の顔が、酷く、生々しく、鮮明に、昏い瞳の少年の顔をずっと見ていたのだと、流れ込んでくる。【オレが守らないと、もっと強くならないと、そうなればもっとウミは笑ってくれるしリクにも会えて、きっとなんとかなる】でも、強くなってもなんとかならなかったら、どうしたら良いのだろう。
 海が好きなのね、と鈴の鳴るような声が言った。(海なんて好きじゃない。冷たくて苦しくて、怖くて、ただ、ハンカチを……オレはとうとう返せなかった)水底に落下する。澄んだ青が熱さを伴わない炎に変わり、水面のように映し出す。黒髪の少年がこっちを見た。ドン、と衝撃が胸にきて、悲鳴のような声で叫んだ。「やめっ――離れろ!」ぐらり、と足下から崩壊するような、絶望感が胸を衝く。自分自身にそっくりの少年が恐怖の眼差しを向けている。それが酷く恐ろしく、悲しかった。頬を濡らす感触に、少年の眼差しが戸惑ったように揺れる。それでも彼は背中を向けて走り去ってしまった。「まって……待って!」遠のいていく背中を追いかけると、朱色の外套に変わった。それは知っている背中だ。必死に生きてきた少年の腕を掴んだ。
 瞬間、腕が燃え上がり、絶叫が鼓膜を裂いた。
【傷つけてしまった。ずっと守ってきたのにオレがしっかりしてないからウミが――】振り返った昏い瞳の少年の顔は(知っている顔だ。忘れまいとしてきた顔だ)、苦痛に歪んで、そこに自分の顔が重なる。同じように拒絶と恐怖の眼差しが身を貫くと、引き裂かれそうな痛みを感じた。【ごめんなさい。ごめんなさい。そんなつもりじゃなかった】

 ――これは、夢で、現実だ。

 強烈に流れ込んでくる感情と記憶が夢を見せているのだと、そしてそれが、〝誰のものであるか〟をリクは確信して、その名を叫んだ。
 
「シャモ!」

 リクの手が、バシャーモの腕を掴んでいた。
 急速に世界が色を失い、真っ暗な世界に取り残される。バシャーモが、ぶるぶると青い顔で涙を零していた。

「やっぱり、シャモだったのか」

 最後に見たのは、アチャモだった時の姿だ。足下にちょこちょこついてきていたが、今はリクが見上げないといけないくらい背が高い。掴んでいる腕も強くて逞しくて、その感触にくしゃっとリクは、泣きそうに顔を歪めた。(オレにもっと勇気があって、ちゃんと旅に出て、マグマ団に立ち向かってたら。旅を諦めなかったら、バシャーモとも……〝あいつ〟とも、ずっと早く再会出来てたのかもしれない。……オレは、突き飛ばしてしまった。シャモはすぐに分かってくれたのに)見上げたバシャーモは、真っ青な顔でぎゅっと目を瞑っている。リクは、口を開いた。

「シャモ、オレを殴れ」
「シャモッ!?」

 ぱちっと目が開いた。青い瞳が困惑に染まり、ゆっくりと頭が疑問符で傾いていく。「殴れ」もう一度言った。バシャーモが首を勢いよく横に振る。「良いから!」「シャ、シャモー!」鬼気迫る顔で要求するも、バシャーモも断固として譲らない。

「オレとの約束を忘れたのか? ――殴れ!」
「シャ……シャモッ!」

 ひゅっと風切り音がして、身を固くする暇もなく、バシャーモがぶん殴った。軽く数メートル吹っ飛ぶ。バシャーモが慌てて追いかけるとリクはすぐに起き上がった。「……外じゃないから、あんま痛くないな……くそ……」イメージとしては、当時のアチャモに蹴られたくらいの衝撃しかない。恐る恐るリクを伺うバシャーモに、「外出たら改めて頼む」と告げる。おろおろしながらバシャーモが首を横に振った。

「シャモシャモシャモシャモ!」
「いいんだよ。オレが間違えたら、怒るって約束しただろ」
「シャモ?」
「オレはお前を間違えた。それは怒っていいんだ」

 リクは立ち上がった。確かに今はアチャモと似ても似つかないが、行動も性格も、キラキラしたその目も、根本的なところは変わっていない。いや、仮にそれさえも変わっていたとしても、絶対に分からない姿になっていたとしても、シャモだと気がつかないと駄目だと思った。
 それは、トレーナーとしての矜恃だ。

「オレはお前のトレーナーだ。トレーナーが自分のポケモンが分からなくてどうするんだ。もっとも、シャモがまだ、オレをそう思ってくれるなら、だけど……」

 声が小さくなっていく。胸が詰まる想いで、リクはバシャーモの返答を待った。わっとバシャーモがまた泣き出した。でも、首を小さく横に振った。(それは、そうだよ、な)リクは肩を落とした。(オレは間違えたんだ。バシャーモといる資格があるかどうかなんて、わかりきってた事だ)

「でもお前はあいつと、……」

 一呼吸置いて、その名前を口にする。
 もう、認めないといけないだろう。

「ウミ、と一緒にいて、後悔しないか」

 言った瞬間、記憶が鮮やかに染まっていく。目深に被ったフードの奥が鮮明に思い出される。昏い瞳の少年の顔には、よく気がつかなかったものだと思うくらい、ウミの面影があった。声は記憶の彼そのものであった。静かな夜に降る雨音のような声――上がってしまえば、もう思い出せない。けれどまた雨降る夜には、きっと耳を傾ける。
 シャモがコクンと頷いた。(泣くな。絶対に泣くな)ぐっと顔に力を込めないと、泣いてしまいそうだった。(シャモが選んだことだ。それに、もう泣かないって決めただろう)

「シャモッ!」

 バシャーモがリクを抱きしめた。リクはびっくりして、でもバシャーモがわんわんと泣きながら抱きしめ続けるので、その背中に手を回した。それで、すとんと胸に落ちるものがあった。バシャーモは決してリクを嫌いになった訳ではないし、見捨てたわけではない。トレーナーとして見限ったのでもない。
 ウミのそばにいたいと思ったから、そばにいるのだ。
(そうか――……)ぐっと腕に力を込めて、リクはバシャーモの背中をさすった。「……ありが、とう。待っていてくれて、ありがとう。待たせてごめんな。寂しかったよな」「シャモシャモシャモシャモ!」ぎゅーっと、最初は遠慮がちだったのに、今はもう力加減も忘れてリクを抱きしめている。どうせこれは夢の中だ。気が済むまで力一杯抱きしめたらいい。

(ウミに、……ホムラに、オレはちゃんと向き合わないといけない)

 バシャーモを連れている理由。マグマ団との事件の後どうなったのか。何故ラチナ地方を襲う一団にいるのか。色々なことが複雑に絡み合っている予感がした。リーシャン、バシャーモ、そして自分の為にも知らなくてはならないことが沢山ある。バシャーモはウミを選んだ。ウミが敵対するならば、自分がこの地方に残るのならば、いずれ相対することになる。
(シャン太は、どうするだろうか)
 ふっと、影のような不安が差した。バシャーモはウミを守るために進化した。リーシャンは出会ったときから変わらない。リクが時計の針を進めることを拒んだのと同じように、そのままだ。ウミのことを知ったらどう思うだろう。傷つくかもしれない。泣いてしまうかもしれない。(シャン太だってバシャーモと同じくらい、ウミを待っていた)隠し通すことは出来ないだろうし、それは嫌だった。(話さなくちゃ。あいつが、会ってしまう前に)
 やがてバシャーモが落ち着き、リクは言った。
 
「シャモ、ところでお前、どうやってここに来たんだ?」

 バシャーモはぐしぐしと顔を腕で拭った。

「シャモ……シャモッ! シャモシャモ!」

 自身の腕から小さく炎を出し、次にリクの右腕を指した。
 
「腕?」
「シャモシャモ!」

 ウミに対するバシャーモのイメージでは、掴んだ腕が燃え上がっていた。まさか、と問いかける。

「ウミの腕が燃えてたのは、現実に起きたことなのか?」

 バシャーモが半泣きで頷き、リクはサッと顔色を悪くした。ウミは今、朱色の外套集団の仲間だ。怪我を負ったとしても治療される保証はないし、彼自身も身を隠している可能性が高い。対処が遅れれば死んでしまうかもしれない。
 しかし、助けて良いのだろうか?
 朱色の外套集団のやったことは、ウミの火傷とは比べものにならない。彼の立場を考えれば、死んでしまった方が喜ぶ人間の方が多いだろう。マグマ団とアクア団が捕まって、自然保護団体に変わったと聞いたとき、リクは納得が出来なかった。彼らのやったことは、団体が解散すれば許されることなのだろうか。
 失われたものは決して還らない。

 ウミを、ホムラを許すことが、果たして自分に出来るのだろうか?

 ずぶ、と押される感触にリクとバシャーモはハッとした。ずぶぶ、と空間が内蔵のように蠢き、変質していく。ぞぶぞぶと何かが加算される。押し込まれる感触が強まった瞬間、息が止まりそうになる。瞬きをすると、自分とバシャーモの体に、しめ縄がかかっている事に気がつく。
 
「なに――」
「シャモッ?」

 あ、と声なき悲鳴が上がった。
 空間全てが叫ぶのに自分の悲鳴が唱和する。炎が逆巻き燃え上がる。バシャーモの全身から赤い炎が噴き上がり、青く色を変えていく。高温の青い炎がしめ縄を焼き尽くした。遠くの方から舌打ちが聞こえた。
 隙間風のような声が、囁く。

「糞餓鬼が」

 バチンと弾き出される衝撃に、リクは目を閉じた。





 ――暗闇の中、目を覚ました。

「シャモ!」

 リクは飛び起きた。匂いが、気配が、音が、遠のいていたあらゆる〝現実〟が一気に五感に押し寄せる。全身を針で刺したような痛みが駆け巡り、高く響く悲鳴が木霊する。痛い苦しい体がバキバキと悲鳴をあげる。急に鮮明になった世界にキャパオーバーを起こすリクは地面に転がり苦しんでいた。「ア゛ウウォ!」トドグラーがリクにのしかかった。「痛い痛い痛い痛い痛い!」「ウォ?」「乗るな!」渋々とトドグラーが降りた。
 ずっと目を閉じていたせいか、暗中でもうっすら周囲の状況が覗える。ポケモンが三匹。一匹は、先ほどのしかかってきたトドグラーだ。誰の、と首を傾げかけたが、「ウォォ!」という元気な鳴き方にぴんとくる。

「えーっと……たま、タマザラシ?」
「アウォ!」
「なんで進化……?」
「ウォ?」

 あの場所から戻ったはいいが、今ひとつ状況についていけない。唸るリクの頬を長い尻尾が引っ張った。「いででえででででで!」当然だがほっぺたはそんなに伸びない。しかも痛い。「ひゃにはなせ!」払いのけ、赤くなったほっぺたを擦った。
 
「なんだよ! いきなりなにすんだよゲイシャ!」

 エイパムはゾンビを見るような目をしていた。勢いよく首を横に振り、もう一度尻尾で引っ張ろうとしてくる。「うわやめ……いっででででで!」暗がりの中、手探りでエイパムのほっぺたを探り当て思いっきり引っ張り返す。

「ひゃめろってひってんやろてめー!」
「きぃいいいいいいいいいいいいいい!」

 その様にうずうずしていたトドグラーがリクとエイパムにまとめてのしかかった。「ウォアオオ!」悲鳴。もみくちゃになるリク達からちょっと離れた場所で、凍りついたままのギルガルドが転がっていた。エイパムが盾部分を掴んで引きずり持ってきたのである。のけ者……のけ者……と氷の奥から聞こえるようであった。

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