第5話 心の痛み

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読了時間目安:39分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 その日はそのまま日が暮れるまで遊び、アカラもアギト達もへとへとになっても笑い合っていた。
 アギト達の言っていた通り、多少町から離れているとはいえこんな目立つ岸壁で遊んでいても鳥達の監視にバレることはなく、シルバが本当に警戒していた相手が現れることは結局あり得なかった。
 暮れる夕日を背にしてアギト達と手を振って別れた後、早々にシルバの腕の中で眠ってしまったアカラを突き刺さる視線の中を抜けて泊まっていた宿まで戻り、そのままアカラをベッドに下ろす。
 その後は既に戻っていたチャミとお互いの今日の収穫を報告し合うことになり、まずはチャミから報告した。
 竜の軍勢の目的は石板でほぼ間違いない事、そして現状獣の島への侵攻は止み、それが原因で鳥の島への攻撃は一層激しい物になるだろうという事。
 ありがたい情報ではあるものの、両手放しで喜ぶわけにもいかないのが現状であり、同時にアギト達の存在がどうしてもシルバには気がかりになった。



 第五話 心の痛み



 次にシルバからの報告をチャミに伝えてゆく。
 まずは協力者としてツチカが明日、目的地までの道案内を買って出た事を伝え、同時に今後も旅に同行するメンバーとなった事を伝えると流石にチャミも驚きを隠せない様子だった。

「ちょっとちょっと何を考えてるのよ! アカラちゃんだけでも今日散々な目に遭ったんでしょ? それなのにこれから先、言いたくはないけれどお荷物を増やすなんて何を考えてるの!?」
「荷物ではない。ツチカはアカラと年が近いし、いい話相手にもなれる。俺では出来ない役だ」
「はぁ~……私の苦労も考えてよ……」
「ツチカは大人しく聡明な子だ。知識欲に溢れ、世界を元々旅したいと考えていた子供ならばそれなりに君の手助けにもなってくれるだろう」
「そういう話じゃなくて! 私の本業はジャーナリスト! ツアーガイドじゃないの! あんまり勝手にそういうことを決められても私のアシスタントとして誤魔化しきれなくなるのよ!」
「それについてだが一つ方法がある。一旦ツチカを俺の髪束の中に避難させて、移動し終わったら出したらいい」
「……そんなことできるの?」
「できる。今もアカラとツチカの荷物が入っている。この通り」

 呆れるチャミにシルバはそう言いながら髪束の中からするりとリュックサックを二つ取り出してチャミの前に並べる。
 チャミが唖然としたままその荷物をツルで手に取ってみたが、重量は重たくはないもののそれなりにあり、これを二つもいれていたのであれば少しは髪の状態が変わりそうなものだが外見では全くもって差が無く、今目の前で見せられた光景のはずなのにあまりにも現実味が無い。
 暫く何処か遠くの世界を見つめていたが、我を取り戻したチャミは咳払いをしてツチカの件に関してはどうしようもなさそうであればシルバの案で行くことに決めた。
 一先ずはそれでツチカの件は不問とすることにし、そのまま話を続けてゆく。
 次に話したのはこの島の防衛状況に致命的な穴があることを、念のためアギトの名前を出さずに説明してゆく。
 明日にでもできればそのことをこの島を治めていると聞いたファイヤーのホムラ、サンダーのイカヅチ、フリーザーのフブキ全員、若しくは誰か一人だけでも伝え、現状の愚かな防衛態勢や傲慢極まりない考え方を改めてもらおうと伝える。

「それについてはあまり賛成できないわ。それこそ今三鳥の人達は天狗になってるし、よりにもよって獣の島からやって来た人達に指摘されれば余計に反発されるだけよ。最悪いちゃもんを吹っ掛けられるかもね」
「ならどうする? 岸壁下から容易に敵が上がってくるのは分かっていて、鳥ポケモン達にそれを伝える気のある島民は居ない。このままでは最悪壊滅することとなる。俺にとってはどうでもいい事でもアカラやツチカには大問題だ」
「せめて伝えようとするなら交戦しだした時、援護をしてからそのことを伝えた方がいいと思うわ。そうでもしなければスパイ疑惑をかけられておしまいよ」
「なら交戦後にしよう。聞き流されると困る内容だからな」

 否定するチャミに情報の重要性を伝えるが、チャミの言う通り伝えたところで理解を示してくれる鳥ポケモンは現状少ないだろう。
 そこで戦闘後、その情報のお重要度が高まった時に島民に伝えることにし、それまでは口外しない方がいいだろうという結論に至った。
 最後にアカラやツチカ以外に今後もシルバと行動を共にしてくれる協力者が現れた事を告げると、チャミはまた渋い顔をしてみせる。
 アギト達であることは伏せたまま、所謂自警団のようなものとして説明し、行動を共にするかもしれないとだけ伝えるとチャミも納得してくれたようだ。
 シルバからの報告を聞いてチャミは明日"世界樹"の頂である"陽光還る頂"へまず向かい、そこで案内者であるツチカに付き従う従者ということで同行する形にしようと話す。
 そういった意味で言えばツチカはまだ子供であるため不安な所だが、既に鳥ポケモンであるというだけで差別されている現状、子供だろうが当然のように奴隷のように扱っているのだそうだ。
 嫌な島の雰囲気が初めてシルバ達に味方した形にはなるが、現状をよく思っていないツチカには少しばかり酷な仕事となるだろう。
 頂上でシルバが石板を手に入れたらすぐに"世界樹"を降りるが、もしその際竜の軍から島民への攻撃が行われているようであればその援護を行い、交戦後にシルバがアギト達に教えてもらった情報を伝え、きちんと互いを尊重し合っていた頃に戻ってもらうことを目標とする。
 とはいえ最後の目的はもし攻撃が行われなければ恐らく鳥ポケモン達は誰も聞く耳を持たないため、状況次第となる。
 チャミは今回も単独行動を行うのかと思われたが、既にこの島での目的はほぼ達成できていたため明日はシルバ達に同行し、シルバ達の旅を記して冒険譚風に仕上げた情報にし、今後少しでもシルバ達が旅を続けやすいようにするとのことだった。
 そうして明日の予定の確認も済んだため、二人もその日はもう休み、明日に備えることにした。


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 翌日、アカラ達は早めに宿を後にし、表通りの市場で食料の買い足しを行ってからツチカの家へと向かう。
 この日も結局刺さるような視線は拭えなかったため、試験も兼ねてアカラはシルバの髪束の中へと避難することにしたため、視線に苦しめられることはなかったがもしもこの不思議な髪束の中で場所を忘れられたらどうしようかと違う意味でひやひやしていた。
 チャミも髪束の構造が不思議で仕方がなかったようだが、あまり道草を食っている時間も無いためうずうずしつつもそのままツチカの家に辿り着く。

「シルバさんおはようございます。あれ? アカラさんは? それにそちらの方は」
「おはようツチカ! それとこっちのキレーな人はチャミさんだよ! ジャーナリストで僕達の協力者!」
「あらお世辞でも嬉しいわ。ご紹介に預かったチャミよ。色々と大変かもしれないけれどよろしくね、ツチカちゃん」

 チャミの声が聞こえたからか、シルバの髪束の中から元気にアカラがダグトリオのように飛び出した。
 奇麗な人とアカラに紹介されて、満更でもない感じでツルを器用にプラプラと揺らしながらチャミはツチカに挨拶し、にっこりとほほ笑む。
 アカラが髪束から登場したことでツチカは入った事に対する驚きと多少の羨望を抱きつつも、初対面であるチャミに礼儀正しく挨拶を返した。
 ツチカの母がお茶を淹れてくれたため、小休憩を挟みつつツチカにも改めて今日の予定を話し、念のためツチカの母親にも了承を得ることにしたが、変わらずツチカの母親は快諾してくれた。
 全員がお茶を飲み干すとまた移動するための準備を始め、一度入った事で既に慣れたのか水にでも飛び込むような勢いでアカラがシルバの髪束へとダイブし、カサッという音と共に髪束の中へと消えてゆく。

「ねえやっぱり私も気になるわ。一体その髪どうなってるの?」
「ただの髪束だ。ゾロアークの特徴なのだろう?」
「それは分かるけれど……。ねえ私もちょっと尻尾を入れてみていい?」
「構わん」

 好奇心が勝ったのかチャミがシルバに許可を得て尻尾を髪束の中に真横から入れてゆく。
 カサカサという乾いた物が擦れる軽快な音と共に尻尾がずんずんと髪束の中に消えてゆき、何故だか一メートル近くも髪束の中に入っても先端が逆側から出てこない。
 少々恐怖を覚えつつもそのままカサカサと進めてゆくと、少ししてから何故か尻尾の先が髪留めの傍から下方向に向かって出てきた。

「なんで!?」
「さあ」
「ねえ……シルバ、今更だけど、僕生きて出られるよね?」
「入ったんだから出られるだろう」
「飛び込んだからどれ位潜ったのか分からないんだけど大丈夫?」
「……多分」
「今の間は何!?」

 結局アカラが不安で若干パニックになったため、家を出る前に一旦髪束から救出し、流石に反省したのかシュンとしたままのアカラを髪束の中へと収納し、今度こそ"世界樹"を目指して家を出た。
 町を行く際はツチカにはシルバの肩に留まってもらい、あくまでツチカの移動用の道具のように振る舞うことにし、チャミはかなり腰の低い態度でツチカにインタビューを行うジャーナリストの体で移動してゆく。
 そうすると不思議な事に、一度はシルバ達の方へと視線が向くが、肩にツチカが止まっていることを見るとその視線はあっという間に和らいでいく。
 鳥ポケモンという存在がこの島でどれほど大きい力になっているのかをシルバ自身も体感しつつ、尚更このままでいいはずがないとも考えながら、町を通り抜けてゆく。
 世界樹へと続く街道は流石に整備が行き届いており、ところどころに建つ高い展望台からは鳥ポケモン達が監視の目を光らせている。
 道が開け世界樹までの道が真っ直ぐに向かうようになり、改めて上を見るとその巨大すぎる存在にただ感心するしかできなくなる。
 サイズ感がどうしても掴めず、近付いているはずなのだが世界樹の幅がそれほど変わっていないようにしか見えない。
 首が痛くなるほどそれを見上げながら歩く事数時間、ようやく世界樹の麓まで辿り着いた。

「当然ですが"陽光還る頂"は世界樹の頂上にあります。ホムラ様達のようなお強い鳥ポケモンならばひとっ飛びで頂上まで辿り着けるのでしょうけれど、私や普通の鳥ポケモン達、そして空を飛べないポケモンは世界樹に絡みついたあの蔦を登っていきます」
「あれが蔓なのか、樹が大きければ蔓もサイズ感がおかしくなるのか」

 ツチカの指差した先にはカビゴンが寝転がってもまだ余裕で通れる幅の街道よりもさらに太い蔓が螺旋階段のように世界樹に絡みついており、それらの周りには木の上であることを忘れるほど当然のように物見櫓や松明が建てられており、樹というよりは一つの巨大な塔のようになっている。

「嘘でしょー……これを登るの? とてもじゃないけれど、私の体力じゃ無理よ」
「なら髪束に入ればいい。多分問題なく運べるだろ」
「遠慮したいところだけれどその不思議空間に入らないと多分私の体力が持たないのよねぇ……。分かったわ、私も入らせてもらうことにするわ」

 チャミが頂上までの高さを見て狼狽すると、シルバが自分の髪を指差してそう提案した。
 既に一度不思議な体験をしているためできれば避けたかったが、それを避ければ何時間も掛けてこの樹を自力で登る羽目になるため一つ小さなため息を吐いてから髪束の中へと消えていった。
 シルバよりも長い身体がその空間の何処に収まっているのか不思議で仕方なかったが、流石にサイズアップしたシルバの髪束を見る限り限界はあることも見て取れる。

「ツチカはどうする? この高さなら俺が全力疾走で登っても何時間かかるか分からんから全力で走るつもりだが、髪束に潜っておかなくてもいいか?」
「そうさせていただきたいところですが、その前に検問で先に私の存在を示しておいた方がいいでしょう。それに髪束の中を確認でもされたら面倒な事になりそうですし、検問から大分離れるまでは普通に上りましょう」

 シルバの提案に対してツチカがツルが地面に届いている所を羽で指して示す。
 蔓の麓にはエアームドやピジョットのような大型で屈強な鳥ポケモンが睨みを利かせており、普通のポケモンならば暴れようものならあっという間に袋叩き似合うだろう。
 世界樹へと続くその検問にはシルバ達以外にも何名かポケモンがおり、短くはあるものの検問の列を作っている。
 ツチカと共にその検問の様子を覗いていたが、どうやら世界樹へ上る正当な理由と鳥ポケモンであることが必須条件となっているようだ。

「ツチカどうする? 流石に噂になっているような石板を回収に来たなんて言うわけにもいかない。それにあの感じだと俺に発言権があるようには見えない」
「その点はご心配なく。以前世界樹には御祈願で一度参らせてもらっているので、その時と同じ理由で大丈夫なはずです」
「御祈願?」

 シルバはツチカに耳打ちすると、ツチカからは意外な返事が返ってきた。
 なんでも世界樹はその荘厳さからか途中の太い枝の上にも幾つも社が建っており、様々な神を祀っているらしい。
 社毎に祀っている伝説のポケモンが違い、それぞれのポケモンに祈願することでその願いを叶えてもらうための神聖な場所でもあるそうだ。
 そのため以前ツチカは父親の無事を祈願しに行ったが、残念ながらその願いは叶う事はなかった。

「止まれ! 貴様等は何の用でこの世界樹へ来た?」
「ツチカと申します。母の容態が優れないため、御祈願をしに参りました。このポケモンが私の止まり木役です」
「ほう……母の為に祈願とは殊勝な心掛けだな。いいだろう。通れ」
「ありがとうございます。さあ、進んでください」

 ツチカやシルバよりも大きなポケモン達が舐め回すようにシルバ達を睨み付ける中、ツチカは怯むことなく堂々と答える。
 勿論ツチカは恐れていないわけではなく、必死に耐えているだけであるため、シルバの肩を掴む足は小刻みに震えていた。
 検問に立っていた兵士はツチカを見た後、シルバを睨み付けたが特に何も言わずにシルバ達を通してくれた。
 というのもシルバの瞳には感情が無く、鞭打ちされたポケモン達と見分けがつきにくい表情だったため、ここではシルバの感情の無さが役に立ったようだ。
 表情一つ変えず一言も発さずにシルバは真っ直ぐに進んでゆき、太すぎる蔓の上をツチカに負担をかけない速度で普通に上ってゆく。
 太い樹の幹を多少早歩きで一回りするだけでも数十分は余裕で掛かるが、二回りもする頃には既に地上からは大分離れており、監視の目はそれほど厳しくなくなっていたため、シルバはツチカに話しかけた。

「ツチカ。そろそろ大丈夫だろう。ここからは俺の速度で登ってゆく」
「分かりました。でも無理はなさらないでくださいね」
「分かっている」

 ツチカが髪の中に潜り込み、念のために軽く髪束を揺らしても誰も落ちてこない事を確認するとシルバは体を捻じり、腕や足をしっかりと伸ばしてから疾風のように山のような蔓の坂道を駆け登り始める。
 シルバの全力疾走でも一周に十数分は掛かるものの、その速度は明らかに先程までとは段違いに早くなっていた。

「みんな大丈夫か?」
「一応大丈夫! すっごい早いってのだけは何となく分かるぐらい!」

 念のためシルバは髪束の中にいる皆に声を掛けたが、少々驚きを含んでいるものの元気そのものなアカラの声が聞こえたため、そのままの速度を維持してどんどん登ってゆく。
 シルバの速度で登り始めてからおおよそ一時間経った頃、既に周囲の木よりも高く見えるのは世界樹から伸びた枝とは思えない太さの枝だけとなり、頭の上に広がっていた距離感の掴めない頂上付近の葉の塊は流石にかなり近づいていた。
 この調子で登ってゆけばあと一時間もしない頃には着くだろうと考え、シルバは一度その途中で走るのを止めた。

「みんな、折角だ。頂上に着く前にこの景色も見ておきたいだろう。顔だけ出してみな」

 シルバの声に呼ばれるようにアカラ達の顔がダグトリオのように髪束から生えてくる。
 高さもあり、吹き抜ける風がごうごうと音を立てる中、涼しい顔をして立つシルバとは裏腹にアカラは単純に感動を前面に出したキラキラとした瞳でその光景を見つめ、ツチカは少しだけ興奮した様子で今にも飛び出しそうになりながらそこ光景に感嘆の息を漏らし、チャミはひたすらのその高さに恐れおののいていた。

「待って待って待って! 高い! 落ちたらどうするのよ!?」
「落ちやしないさ。落ちたら流石に俺でもどうしようもないが」
「そういうこと言わないで! せめて助けてやるって言って!」
「善処する」
「凄い……。シルバ! ここでどれ位登ってきたところなの?」
「多分おおよそ中腹ぐらいだ。あと半分登る」
「この倍の高さになるの!? 絶対嫌~~っ!!」
「嫌なら顔を引っ込めるか、ここから自分で下っていくかだな」
「私も……いつかこんな場所まで飛べるのかな……」
「飛べるさ。そのための羽だ」

 早々に首を引っ込めてシルバの髪束の中で震えるチャミを余所目に、チャミよりも遥かに小さなアカラとツチカはその光景に様々な想いを馳せているようだ。
 少しの間その光景を二人に眺めさせた後、再び顔を引っ込めさせて残りの距離をまた疾風の如き速さで駆け上っていった。
 頂上付近に近づくと流石に蔓の幅も狭くなり、世界樹から伸びる枝の数も増えてきたため思うように走れず、当初の予定よりも多少時間が取られる形となる。
 しかし残りを登り始めてから二時間弱で遂にその世界樹の頂へと辿り着き、雲と同じ高さに広がる枝の上にシルバの顔が現れ、ゆっくりと上まで登りきった。
 周囲の光景は眼前に広がる靄のかかったような雲と世界樹の葉の足場が続く場所と、空の青さと遮る物の無い太陽の姿だけが広がっており、そこがどれほど高いのかを教えてくれる。

「ここが頂上か。お前達も見るといい」

 シルバの声を聞いて髪束の中から三人の顔が飛び出したが、その顔はすぐに髪束の中へと埋まってゆく。
 足元は薄靄がかかって分かりにくくなっているので高さに慄いたわけではなく、単純にその気温の低さに身が思わず縮こまったのだ。
 シルバの吐く息すらも白くなるほどそこは寒く、本来ならば酸素も薄くなっているせいで呼吸すらままならないだろうが、世界樹の葉が放出する酸素のお陰か呼吸には何の問題も無かった。

「ここがホムラ様達が見ていた景色なんですね……荘厳ですね」
「シルバはこんなに寒いところ平気なの?」
「走り続けてたから体が温まってる。寒さは感じるが耐えられないほどではない。それよりも出すのは顔だけにしろよ。足元は何処が抜けるか分からないからな」
「ヤバイ……顔だけ凍えて動けなくなりそう……。石板を見つけたらまた呼んで。多分そうしないと私眠っちゃいそう……」

 シルバの髪束からアカラが出てこようとしていたため、すぐにアカラの動きを手で制止してシルバは伝えた。
 今シルバが立っている場所も葉の上ではなく、丈夫な事を何度か踏んで確認した枝の上であるため、一歩間違えば突き抜けて落ちていくことになるだろう。
 それを伝えるとアカラも素直に顔だけを出してその普通では見ることのできない不思議な光景を目に焼き付ける。

「そういえば何でそのホムラさん達だったっけ? その人達も石板を見たんでしょ? どうやって木に登ったの?」
「忘れたのか? 彼等はそもそも鳥ポケモンだ」
「あ、そっか。歩く場所を探す必要がないんだ」

 アカラの素朴な疑問に対して、シルバは答えを言いながら進んでもいい場所を慎重に探って枝葉の上を進んでゆく。
 薄靄がかかっているせいで足元の視界は非常に悪く、歩くのは困難を極めたが一歩ずつ確認しては歩いていき、何かが落ちていないかを慎重に探る。
 そうしていく内、遂に太陽の光を何かが反射しているのが見えた。

「これか。チャミ、見つけたぞ」
「ホント? 石板ってどんな物なの……ってそれ透けてるじゃない!? どうやって持ってるの?」

 シルバはその光を反射していた石板を手にしたが、チャミが驚いた通りその石板は透けており、向こう側の景色を映している。
 輪郭すらなく、その石板はまるで地面に射した光が形作ったかのように揺らいでいるようにすら見えるため、ホムラが掴むことができないと言っていたのにも納得ができる。
 しかし何故かシルバはその実体の無い欠片を普通に持ち上げており、色んな方向から手を動かしてまじまじと観察していた。

「そういえばそうだな。普通に手にしたが何故手に取れたんだ」
「石板に触れたんだよね? シルバ、何か新しい記憶は蘇った?」
「そういえばそれも無いな。恐らくこの石板を手にしてここに待っている奴に会わなければならないんだろう」
「嘘でしょ!? それが本当なら日が暮れるまでここで待ちぼうけになるわよ!?」
「あ、そっか。陽が落ちる時に此処に戻ってきているように見えてたんだっけ?」
「陽が落ちるとその欠片が見えなくなるともホムラ様が語っていたはずですので、本当に待つしかなさそうですね」
「えー……あと何時間待つのー?」
「仕方がないだろう。相手は太陽だ。融通など利かん」

 各々が思う所を口々に呟き、チャミがまた深いため息をついて髪束の中へと引っ込もうとした時、シルバはおもむろにその石板を太陽にかざしてみた。
 すると石板が太陽の光を受けて光り輝き、次第にその輪郭を確かにしてゆく。
 あっという間に石板は実体の無い光の塊から一度シルバが見た事のある石板とほぼ同じ形状へと姿を変えていた。

「意外だな。まさか光に当てるだけでいいのか」
「石板になったの? あれ? てことは記憶は?」
「まだだ。つまり結局は待ちぼうけだ」
『いいえ。その必要はありませんよ』

 石板の姿がしっかりとした実体を持ったが、それでも記憶がよみがえってこない事をシルバはアカラに伝えたつもりだったが、聞いたこともない荘厳で柔らかな声がシルバの言葉に答えた。
 手にした石板を太陽からずらしてそちらを見ていると、太陽の輪郭が燃え上がって剥がれてゆき、大きく両翼を広げてゆく。
 その炎はそのまま羽ばたいてシルバの方へと向かってゆき、世界樹の上に降り立った。

「懐かしいわねシルバ。あなたは私の事を知らないでしょうけれど」

 降り立ったその炎は今もなお燃え続けているが周囲の温度は一切変わらず、降り立った場所も一切燃えていない。
 太陽のように眩しいはずのその姿はアカラ達でも直視することができるほど柔らかな光と暖かさを与えてくれる。
 その姿はまさに太陽そのものだった。

「あんたも俺の事を知っているのか」
「知っています。忘れようとしても忘れることは出来ません。貴方への感謝も貴方の苦しみも……」
「俺は苦しんでなどいない」
「そうでしょうね。これはあくまで私の知る記憶。あなたの知り得ない記憶。だとしても私達は貴方にその枷を交わしたことを忘れた事などありません。今はただ受け取りなさい。貴方の一部を……」

 暖かな太陽はそう語ると僅かに輝きを増しながら、シルバの持つ石板を僅かに光り輝かせる。
 そうした次の瞬間、シルバの視界が白に塗り潰されてゆくような感覚に包まれてゆく。



――巨大な影の一つが歩み出て自分を包み込むように優しく撫でる。
 包み込まれているはずなのにその感触も熱も感じられず、しかし触れられていると理解できる。

「君に訪れる苦しみを我々は理解することができない。君にしか分からず、君では計り知れない苦しみだ」
「ならば耐えてみせましょう。それが貴方方への信心であり、私の愛する者達への寵愛となります」

 大きな憂いを含む声が何処かからかそれとも自分の中へ直接なのか、一つ一つの音まで染み入るように響き渡る。
 自分の胸に手を当てて片膝を着き、瞼を閉じて信愛を行動と言葉で示す。
 自分の言葉を最後に静寂が訪れ、目の前に立つ者が白一色の空間でも確かに存在していると分かる光を一つ作り、自分の中へと溶け込ませる。

「調和と平定は今この瞬間より訪れた。願わくばこの世界に終焉の訪れぬことを望むばかりだが……それは……」



 最後の言葉はうまく聞き取れず、巨大な影が何かを伝えようとしたところで途切れた。
 二つ目の記憶を取り戻したことでシルバは一つの事実に事に気が付く。
 最後にシルバに語り掛けたのは、獣の島で出会った光と大きさこそ違うもののよく似た姿をしていた。
 四本の剣のような脚が地面に突き立ち、後光のような装飾が腰元から伸びた荘厳という言葉を形にしたような姿だったことをシルバは思い出す。
 そして今回シルバを包み込んだような感覚を与えた者は、今目の前にいる揺らぐ炎が姿を成したような大きな鳥の姿だった。

「あれはつまりお前達か。俺の事を知っているのなら教えてくれ。俺は一体何者で、お前達は一体何者なんだ」
「それを私の口から答えることは出来ません。全ては導かれるままに流れてゆき、貴方が辿り着くべき場所でその全てが分かる……。私から貴方へ伝えられることはそれだけ……。行きなさいシルバよ。世界のうねりは大きくなっています。それを乗り越え、無事に"鍵"を集めなさい……」

 シルバの質問にその炎は明確には答えなかった。
 そしてその言葉を最後に炎は両翼を大きく広げたかと思うと眩しい程に煌めきながら羽ばたき、空高くへと舞い上がってゆく。
 舞い上がった炎が太陽とその輪郭を重ねると炎の輪郭は羽ばたくのを止め、まるで始めからそうであったかのようにただ燦燦と煌めく太陽へと姿を戻した。

「凄い……あれがシルバが会ってたシルバの知り合いなんだ……。なんだか想像してたレベルと全然違うや……」
「あの御姿、恐らく文献にも名前が記されていないこの島の護り神、ホウオウ様ですね。シルバさんに付いて来てよかった……」
「シルバ……あなた一体何者なの? 何故神話にしか記されていないようなポケモンと知り合いなの!?」
「俺も分からない。寧ろ教えて欲しいぐらいだが、あいつらは教えられないとしか答えない。結局、自分が何者なのか知るにはこの旅を終える必要があるようだ」

 少しの間アカラとツチカの二人は目の前で繰り広げられた出来事にただただ感動し、感嘆の息を漏らしていた。
 そしてツチカが言った通りシルバが今まで出会っていたポケモンは神話にしか記されていない、誰も出会った事のない伝説のポケモンと思われるポケモン達である。
 チャミが驚くのも当然であり、そして同時にシルバの問いにその伝説のポケモン達は決して答えてはくれない以上、シルバにも知る由はない。
 太陽へと帰った炎を見送った後、シルバは手元に残った実体を持つ石板の破片を見つめ、分からない事を考えても仕方がないと考えたのかすぐに髪束の中へと仕舞い込んできた道を戻り始める。

「嫌な予感がして来てみれば……。獣風情がこの神聖なる場所に何の用で踏み込んだ!」

 しかし、その行く手を阻むようにもう一人の炎の鳥が行く手を阻むように羽ばたき、シルバを鋭く睨み付けている。
 シルバを睨み付けるのはホムラ。以前にこの頂上まで確認しに来ていた本人である。
 ホムラは明らかにシルバの姿を見た時点で軽蔑した態度をとって憤慨しており、今にも襲い掛かりそうな剣幕だ。

「ホウオウから石板を受け取るためだ。俺は石板を集め、この世界の終焉を防がなければならないらしいからな」
「石板……? 貴様……! やはり貴様が奴等を呼び寄せたのか!!」

 シルバの言葉を聞き、ホムラは更に激昂して火の粉を舞わせるほど燃え盛る炎の翼の温度を上げ、激しく羽ばたいた。
 そしてシルバが次に口を開くよりも先にホムラは炎を激しく燃え上がらせながらシルバの方へ攻撃を仕掛けた。
 豪炎の塊のようになったホムラが突進してきたが、シルバはそれを高く飛んで躱し、しっかりと同じ場所へと着地する。

「話を聞く気すらなさそうだな。お前ら全員引っ込んでろ」
「シ、シルバ! 絶対に変なことしちゃダメだよ!? 相手はこの島を治めてる人なんだから!」
「分かってる。一先ず冷静になってもらうだけだ」

 シルバの言葉を聞いてツチカとチャミはすぐに引っ込み、アカラは念のためにシルバに確認してから髪束の中へと引っ込む。
 シルバ一人であれば先程の攻撃も避けるまでもなく受け止めることもできただろう。
 だが足場が非常に不安定な上、奇襲ということもあって今激しく動けばアカラ達が振り落とされる危険性があったため、あまり大きく動かずに攻撃を回避する方法を取らざるを得なかった。
 全員がしっかりと戻ったことを確認すると戦闘態勢を取り直し、通過したホムラの方へと向き直す。
 ホムラの方も外したことに気付いているのか火球のように炎を纏ったまま反転し、またしてもシルバの方へ飛び込んできた。

「お前が何のことを言っているか俺には分からんが、答える気があるのなら教えてほしいものだ」

 突っ込んでくるホムラを再び大きく飛んで躱しながらシルバはホムラへ言葉を投げかける。
 シルバがいた足元の霧を吹き飛ばし、炎でまだ青い葉を焦がしながら突っ切ったホムラはまた反転しようとしていたが、その前に一度動きを止めてシルバを鋭く睨み付ける。

「とぼけるつもりか? 貴様のせいで今村は竜の軍の奴等に奇襲されているというのに!」
「何? それが本当なら今すぐ俺を連れて下へ降りろ」
「ふざけるな! 誰が貴様のような下等な存在を……!」
「一つ言葉を付け加えるならば、お前のその傲慢さがその奇襲を許したことになる。俺とここで油を売っている暇があるならいくらでも相手をしてやるが、それどころの話ではない筈だろう」
「貴様らなんぞに頼らずとも!」
「頼らなかったとしても利用することは出来たはずだ。地上の警備を疎かにし、空にのみ注意を払ったお前達の傲慢さが今回の結果の答えだ。二度は聞かん。答えろ、俺を連れて降りるのか、この島がお前達の傲慢さで滅びるのをここで油を売りながら待つのか。どちらだ」
「……っ! 貴様、後で必ず後悔させる!」
「勝手にさせればいい。生憎俺は後悔というものが理解できないがな」

 理不尽極まりない怒りを顕にするホムラに対して、シルバは淡々と事実のみを語ってゆく。
 その中でシルバとしても予想していなかった竜の軍の襲撃、想像したくはないがアギトが村への攻撃を開始したかもしれないという情報を聞いて、シルバの胸に鋭い痛みが走る。
 それは確かに今まで感じた事のないものだったからか、シルバの口調は変わらないもののその言葉の話す速度は明らかに早くなっていた。
 ホムラも眉間にしわを寄せてシルバの手厳しい正論を聞いていたが、確かに今シルバと無駄な戦いを行ったとしてもただ戦力を一人分こちらに割いているだけとなるため、苛立ちを見せつけた後にシルバ達の前に背中を向けて降りた。


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 時は遡りシルバ達がまだ世界樹を登っていた頃、町の外れの草むらでシルバ達の帰りを待っていたアギトの一団は念のためバレないようにずっと息を潜めていた。
 当初の目的では石板を入手する方法が判明した時点で島民から強奪、それが難しいようであれば人質を取って石板との交換条件にして入手する手筈だったが、既にアギト達の目的は石板を持って戻ってきたシルバ達を追うという体で共に逃亡、以降はシルバの旅を補助するための諜報や船が出ていない場合背中に乗せて島間を飛行して移動するという作戦に変わっていたため、島民に見つからない事だけを警戒している状態となる。
 元々アギトの一団は島の中でも群を抜いた臆病な者達の集まりでもあるため、聞き耳を立てるのも息を潜めて待つのも図体の割には案外得意なため、みな主人を待つ犬のように静かに、しかしワクワクを隠せない様子で待ち続けていた。

「何処にいるのかと思えばこんな茂みの中とは……。良かったですね、島の警備が甘くて」

 そんな隠れ伏すアギト達の背中から声が聞こえた。
 その声にアギト達は心当たりがあり、そして心当たりがあったからこそ彼等は今だけはそのポケモンに会いたくなかった。
 恐る恐るアギトが振り返ると、そこには余裕をたっぷりと含んだ様子のフライゴンが澄ました顔で立っている。
 フライゴンは同じ種の中で見てもかなり小柄であり、シルバよりも僅かに身長が低いぐらいだが、その目はシルバとは比にならないほど冷たく一切笑っていない。
 だがアギトに掛けた声はとても優しく、何処か好感すら持てるほどでとても恐ろしい存在には見えないが、それでも彼はアギトの事を知っており、そしてアギトは彼の姿を見た瞬間から呼吸が乱れるほどに恐れていた。

「ベ、ベイン……さん」
「良かったですね。漸く皆さんのお仕事の時間ですよ。アギト隊長」

 ベインと呼ばれたフライゴンは後ろ手に組み、とてもにこやかな笑顔でアギトにそう告げた。
 名前を呼んだだけでアギトは体の震えが収まらななくなり、冷や汗が首を伝って落ちてゆく。
 しかしそれはアギトだけではなく、周囲に居たアギトの仲間、否アギトの部下達も同様にその笑顔を見た時点で震えが止まらなくなっていた。
 だがその内の二人がアギトとベインの間に立ち塞がり、震える身体を必死に抑えながら腕を構える。

「アギトさん、僕達が時間を稼ぎます! だから今の内に……っ!?」
「どの口が仰っているのか分かりませんが、誰がどうやって僕を止めると?」

 アギトとベインの間に居たオノンドとガバイトが何かをアギトへの言葉を言い切る前に自分の喉元を押さえながらその場に倒れ伏す。
 いつの間に振り抜いたのかすら分からないほどの攻撃により二人の喉はぱっくりと切り裂かれており、吹き出す血を必死に押さえようとしながらただビクンビクンと震え、そして血の海を作って動かなくなってしまう。
 ベインの尻尾の先に僅かに付いた血を拭き取りながらベインは既に答えることの出来なくなった遺体に冷たい視線を向けながら呟き、そしてその目のままアギトの瞳を見つめる。

「貴方がたが先日何をされていたのかは僕がしっかりと把握しております。本来ならば昨夜の時点でお伺いさせていただくつもりでしたが、ヒドウ様の寛大な御心で本日きちんと仕事を果たしていただければ、皆さんの行いは不問と致してくれるとのことでした。つまり……僕が何を言いたいかはお分かりですね?」
「い……嫌だ……! 僕は……僕達はもう、ただの『アギト』なんだ! もう、誰も殺したくないんだ!」
「断っても構いませんが……。そうですね……アカラちゃんと言いましたかね? 貴方ととても仲良くなっていたあのザングース。あの子も貴方のような薄情なご友人を持たれてさぞ悲しむでしょうねぇ……?」

 今にも泣きだしそうなほどにアギトは怯え、ベインから少しでも遠ざかろうとするが、アカラの名前を聞いてその場から動くことができなくなる。
 涙を流しながら必死の怒りをベインに伝えるが、ベインは決して笑顔を絶やさない。

「……! ひ、卑怯だ! 殺すなら僕を殺せばいい!」
「誰も殺すだなんて一言も言っていませんよ。ただ、可愛らしいお耳を短くしてもっと可愛らしくしてあげたり、なんなら手足を短くしてあげて二度と一人では生きられないようにしてあげてもいいというだけですよ……貴方の返答次第でね? それに……貴方は、『アギト』はどうでもいいですが、貴方が"僕達"と呼ぶ存在は殺すには惜しい。なので貴方だけはヒドウ様のご意思もありますし、殺すわけにはいかないのですよ」
「嫌だ……誰か……。誰か……!」
「誰も助けてはくれませんよ。貴方がそうしてきたように。嬲り殺しにするのがお好きだと仰っていたではないですか。ですのでこれはお渡ししておきます。きっかり一時間後にこの島から悲鳴が聞こえ始めたのならば、それが貴方がたの返事として受け取りましょう。お忘れなく、竜の島暗殺部隊"竜の尾"に所属するのは僕だけであり、誰一人として僕の追撃から逃れた者は居ないということを……では、存分に殺戮をお楽しみください。アギト隊長」

 ベインは小さな錠剤の入った瓶をアギトに渡して最後に微笑み、まるで初めからそこには誰も居なかったかのように、音すら立てずにベインは消え去った。
 受け取った瓶を右の首で咥えようとするが、体が震えすぎてその小瓶を地面に落としてしまうほどアギトは体が恐怖で支配される。
 アギトが渡された小瓶の正体はブースト薬と呼ばれる錠剤。
 竜の島でヒドウの名の元生み出された破壊衝動を増幅させる危険極まりない薬品である。
 この薬品こそがアギト達が奇襲部隊である所以であり、そしてこの薬との相性が最も良かったのがアギトだった。
 しかし薬はあくまで破壊衝動を増幅させるものであって、その間の記憶を消すような代物ではない。
 破壊衝動のままに何もかもを蹂躙し尽くし破壊した後、薬の効果が切れた時、多くの者が精神を破壊され自責の念から自害する。
 だがアギトは違った。
 増幅した破壊衝動すらアギトは拒絶し、自分自身を嫌悪し、そして彼の中に別の人格が形成されてしまう。
 自らを『タイラント』と呼ぶ人格は薬を飲んだ時だけアギトに成り代わって破壊の限りを尽くし、その記憶すら乖離させてアギトとの共存を行っていたが、薬を使い続けた副作用か最近はアギトとタイラントの記憶が混ざるようになり始めていた。
 アギトの言う"僕達"はタイラントと自分の事であり、そして破壊を望みながらもアギトと記憶や考え方を共有するようになってしまったタイラントすらも自身に嫌悪感を持ち始めていた。
 だからこそ逃げ出したかったがそれももはや叶わない。

「隊長……。きっと……きっとシルバさんなら僕達の事を止めてくれます。信じましょう」

 涙で地面を濡らしながら声を殺して泣くアギトに、隊員の一人が声を掛ける。
 一人だけではない。
 誰もがシルバを信じ、アギトと全てを共にする覚悟を決めた表情でアギトを見つめていた。

『ごめんね……アカラちゃん。ごめんね……シルバさん。僕も、僕達も、みんなも……君達と旅をしたかった……』

 心の中でアカラとシルバに告げ、涙を拭いてからアギトは錠剤の入った瓶を手に取り、一錠ずつ皆に手渡していった。

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