悪因悪果②

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読了時間目安:8分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

登場人物

エンブオー・クライド・フレアジス……夢工房の所長。ヴェスパオール市警の元刑事。
ルカリオ・リン・シェイ……夢工房唯一の従業員。謎多き男。
ミミロップ・アイリーン・ブルーアント……ルカリオ・リンと懇意の女性。引退した大物ギャング、ホルード・“マクシム”マクシミリアンの愛娘。

エレザード・フィリパ・マルクス……今回の依頼者にして、夢工房の入った赤レンガビルの所有者。夫の死をきっかけに、四か月前に失踪した一匹息子のエレザード・ビリー・マルクスとの再会を希求する。
ジラーチ……千年に一度目覚めて、願いを叶えるという伝説の存在。少年時代のクライドが出会ったとき、既にその力は失われていたようだ。

エンブオー・デルフォード・フレアジス……クライドの父親。ディニア国防省陸軍の教官。階級は大尉。
エンブオー・ロクセリエナ・フレアジス……クライドの母親。旧姓はラグランジェで貴族の娘。
ポカブ・フィーネ・フレアジス……クライドの年離れた妹。
チャオブー・ラーネス・フレアジス……クライドの弟。フレアジス家の腫物。
「まだいやがったのか、このうすのろ!とっとと帰れ、ロウアーあがりのごみ拾いが!お前の取り分は一平方ヤードだってねえんだよ!」
 その怒号は、二百メートルほど離れた海岸の松通りからでも良く聞こえた。今や地上げも七割がた完了し、屈強な荷物運びの象たちもどこへやらという船舶倉庫を通り過ぎて、やっと見慣れた古巣の近くまで来たとき、エンブオーはその光景で強烈な既視感に襲われた。
「僕達はもう売買契約を結んでるんだ!出しゃばっているのはそっちの方だろう!」
「嘘をつくな!お前みたいな金欠のカスにこのビルを買い取れるわけがねえ!」
「みんな!ここの婆さんがくたばったのは、こいつが有ること無いこと吹き込んだからかもな!」
「許せねえな、それは!おい、俺達で仇を討ってやろうぜ!」
 会話はそこでぴたりと止んだ。そしてまもなく、殴打や足蹴りの鈍い音が辺りに響き始めた。だが、それもすぐに鳴り止んだ。エンブオーはその荒くれ者――ズルズキンと三匹のズルッグ――と袋叩きの渦中にいたオオクサガメとの間にも臆することなく割って入っていた。
「許せないって、何が許せないんだ?」、エンブオーは言った。 「契約を取れなかった自分たちののろさ加減にか?」
「クライド?」、そのクサガメはほとんど叫んでいた。 「どうしてここが?」
「おやおや、お知り合いとはね」。ズルズキンは一歩下がると、足についた苔を振り払って、斜に構えた細目をエンブオーの方に投げかけてきた。 「気をつけなよ、あんた。そいつ、とんでもないペテン師だぜ。あんたがここに来るのを今日の朝からずっと待ってたんだ。なのに、たった今そんな素振りさえ見せなかった」。そして近くに誰も通りかかっていないことを軽く気にした後、更に続けた。 「善意から忠告しておいてやるがな、お兄さん――こいつにだけは土地を渡さない方がいいぜ。もしもあんたが、こいつのことを友達かそれ以上の何かだと思っているなら猶更だな」
「何の話かさっぱり分からない」、エンブオーはにべにもなく返した。 「俺はここの土地の所有者でも何でもないんだ。所有者だったこともない。もう他に言うことがないなら、ここいらでお引き取り願おう。無抵抗の相手を平然とタコにする輩の言葉なぞ、こっちは“耳かす”ほどにも聞き入れる理由がない」
「ああ、そうかい、そうかい」。ズルズキンは自分の足元につばを吐いた。酸性のつばがコンクリートを硬貨大に溶かし、そこから不快な白煙を燻らせた。 「“忠告はした”と何度でも言わせてもらうぜ、エンブオー・クライド・フレアジス。下手な正義感はこの街じゃ命取りになるんだからな」

 そう言ってズルズキン一同はセントラルグレイブのオフィス街に引き返していった。その姿が銀白色の鉄筋の森に隠れるまで、エンブオーの目はその背中を捉え続けた――見知った状況でかつて出会い、見知った顔のクサガメから声を掛けられるまでは。
「ありがとう、クライド」、そのクサガメは純真そうで、なおかつ控えめな声で言った。 「昔を思い出してしまったよ。あの時も――」
「――あの時も俺が助けに入った」、エンブオーは言った。 「だが、もしかしたら今回はその必要もなかったかもしれない。その分厚い甲羅では、たとえ俺でさえ五分間ずっと蹴り続けても、傷ひとつ付かなさそうだしな」、そして帽子を取ると、懐かしさに溢れた笑みを浮かべて言った。 「元気にしていたか、ドダイトス・ローレル・エフィジー。お前が街から消えたとマクシムから聞いたときは、まさかはく製にでもされたんじゃないかと」
「どうかな、そうなる日はきっと遠くないかもしれない」とその男ははにかみ顔を返すと、それをすぐ自分の影に落とした。 「さっきの奴ら、バルジーナ不動産の手下さ。僕のところみたいな零細企業は、文字通り食い物にされつつあるんだ」
 ドダイトスには、もはや貧相ないじめられっ子の面影などどこにも感じられなかった。頑強な甲羅は青々と苔むして、仮にエンブオーがそこに転がっても寝返りを打てるほど広々としていた。それはまさに歩く丘だった。甲羅から生えた一本の巨木は、十二月すぎの寒風にも負けず、じかに降り注ぐ日差しを懸命に取り込んで、名もない甘いきのみの頬をますます赤く色づかせている。ここに住みたがるピカチュウの家族が後を絶たないのも頷けるものだ。ただし、そのこわもてな準一級種の額から、嘴の左側にかけて袈裟懸けに入った十センチほどの白い古傷に対して毎朝のように挨拶することを気にしなければの話である。
「今から少し話せるかな?」、ドダイトスはどこか優雅な声で言った。 「のっぴきならなくてね。世間話に花を咲かせるのはその後からでも」
「言いたいことは分かるぞ」、エンブオーはもぬけの殻になった事務所を見上げて言った。一階にある大家の部屋も見遣った。 「ここのところ、俺の周りでは面倒が続いていてな。なんだかもう昼間から飲まないとやってられそうもないんだ。いいとも、ローレル。一杯ならずとも、二杯でも三杯でも引っかけに行こう。最初はパブで土産話を、次のバーで気乗りしない仕事の話でもしようじゃないか。出来ることなら一軒目でぶっ潰れて、二軒目のあとで何もかも覚えてなかったら最高なんだが」
 そう聞いたドダイトスは耳を澄ませても聞こえないほど小さな声で、すまないと口にした。 「エレザード・フィリパはまだ生きているんだ、クライド。解体作業員の【じしん】に揉まれておきながら、あのご老体は辛うじてこの世に踏みとどまっている。僕は今日、彼女からこの土地と建物を売ってもらうはずだったんだよ」
「高い前金と保証金まで払ってな」とエンブオーはつぶやきに毒を滲ませた。 「俺はなるべく公平なやつでいたいんだ、ローレル。俺は婆さんの頼みを一度断った、それも身勝手な理由でね。だから、やっぱり気が変わった、当座の金が要るから引き受けたいなんて、おいそれと口にしたくない……融通が利かない、つまらない気位に囚われた頑迷なやつだと思ってくれていい」
「確かに、君が彼女に手を貸したくないのは分かる」。ローレルは言った。 「そうさ、彼女は子供を虐待しておいて、その自覚さえもない親だった。でも彼だってもう大人だし、もはや彼女は深刻な脅威にはならない。それに、僕は彼らの復縁を君に頼んでもいない。この仕事を平穏無事に、あのハゲタカどもにバラバラにされる前に終わらせたいだけなんだ。君にはまた大きな借りを作ることになる。それでも――」
「もういい、ローレル!泣き落としさせたかったわけじゃない。ただ、昔を思い出していらいらしていたんだ。あの婆さんの言動には神経を削られっぱなしだった、生活権侵害で訴えてもよかった程にはな。俺が下手に出過ぎたのが良くなかった、もっと早くここを出ていけば良かったんだ」、エンブオーは熱のこもったため息を吐き捨てると、肩をすくめて言った。 「気持ちの整理が必要だったんだ。悪かったよ、ローレル。ざっくばらんでいい、道すがら話を聞かせてくれ。頼み事の内容はもう分かってるからな」
ドダイトス・ローレル・エフィジー……小さな不動産屋を営んでいるエンブオーの旧友。

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