4.エンジュ大にて

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〇月

今月は非常に疲れているため、手帳を開くのは今日だけであろう。故に日付も必要あるまい。例の如く国際警察というのは秘匿性が高い組織で、取り調べの詳細については語ることができず、従って沈黙するしかない。ニュースを見るべし、その他は推して知るべし、である。ともかく知る人ぞ知る、カントーとジョウトの狭間にある支部での一週間の取り調べを終えて、今朝エンジュに着いた。なぜこんなに長いのか?大人の事情が絡んでくるため、お答えできかねる。

煙草の香りを漂わせた男たちに囲まれながら、黒いリムジンで研究室に昼近くについて、早速午後一コマ授業をした。我ながら変な人間だと思う。このような騒動が起きながらも、車内では様々な考えが脳裏をよぎって、全てがまったく気にならなかったのだから。しかも、学生からの質問にも眉一つ動かさない。なぜなら、儂は取り調べ中に突然恐るべき感覚に襲われ、それ以外の何物も気にならなくなっていたからである。

長年の経験により、講義に関係のある質問のみを拾いながら自動的に授業は進む。気が付けば研究室に戻ってうとうとしているときもある。考えたいことを徹底的に追い詰め、それ以外のことはほとんど記憶にない。いや、あることにはあるのだが、意識に上ってくることはほとんどない。夜中に目が覚めたと思ったらいつの間にか夕方になっており、それまでの間に大学に出かけて土地神伝承の講義をしていたということもある。それで問題ないとも思う。実際それでも考えるべき問題については考えられるのだし、そうでなくとも、今更どう生きればよいのかなど知りえないのだから。

——思い返せばホウエンは暖かかった。連日気温は二十度を上回るが、かといって居心地の悪い暑さになることはなく、澄んだ空気に陽の光がきらきらと舞い、生気に満ち溢れている。何事もない日は、その陽気に誘われるように公園に入り込み、地面いっぱいに詰め込まれた草花に囲まれた、ベンチに陣取って読書に専念する。国際警察の一人である男に肩を叩かれたのは、そんな時である。

それなりに快適だが、資料がなくては研究もできないと、施設滞在中は専らホウエンポケモンリーグの生中継をテレビで観戦した(衛星放送というやつらしい!)。カゲツ氏と名も知らぬトレーナーが戦っている。現状をじっくり観察すると、どうやらカゲツ氏のサメハダー優勢である。

ホウエンリーグといえば、と数年前に銀髪のイケメンが当時のチャンピオンを下した直後のホウエン地方内の熱狂振りを思い出した。少し前にマサラタウン出身の少年がロケット団を壊滅させ、あざやかにカントーチャンピオンの座を掴み取った時も、イッシュのカラクサタウンでゲーチスがどす黒い野望をひた隠しながら「ポケモンを解放してこそ 人間とポケモンは対等になれるのです!!」と絶叫した時も、群衆の大喝采はこの通りだったのだろうなあと思う。

観戦にも飽きたので、ぼちぼち脳を切り替えて考える。資料無しに記憶―感情―意志/ユクシー―エムリット―アグノム、の関係を完成させてしまうことは危険なので、一度神話から離れて時間と空間について実践的に考えてみることにしているが、そうすればする程シンオウ神話の製作者は天才だということが分かる。日々刻刻、自然と戯れ概念と格闘して生きている。考えれば考える程、天才だなあと感嘆しながらも、それでもやはり解明されるべき点は山ほどあるなあと驚嘆する。正確に言い直せば、解明されるべき点を明らかにしたという功績の中に天才的な体系性と力強さがあるのだ。まず世界をモデル化し(ここに目を見張るような天才性がある)、そのモデルの中で精密極まる体験と言語を駆使して、問題を彫り出し続けるのである。

時空を語る糸口は、実は空間の方にのみ存在するのではないかと思う。儂はテレポートを使用して勤務先に通っているので実感はなかったが、この部屋へ来るときに突然、この部屋から見た外の空間と、この部屋を見ていた空間が同じものであることに気付く、といったことがあった。景色がかなり違うのだからそれも当然のことではあるが、しかしそれならば、どうやって全く違う景色について、実は同じ場所を見ているものだと気づけるのか。

外からの景色と部屋からの景色は明確に違うのだからそれは別のものと言ってもいいはずであるし、そちらの認識の方が自然であり、健全で、余計な手間が加わっていないはずである。そうならないのは、それらを同じと見るあるルール、避けられない見方の適用によって、だと儂は考えている。丁度赤いサングラスを掛ければ赤いものが見えなくなるように、我々は"それらを同じと見るサングラス"を生まれながらにして掛けている。

つまり、同じであることに気付くというよりは、ある見方の適用によって同じだということにする、と言うべきなのだ。そもそも「空間」というものを、われわれはそのようにして作り出したに違いない。世界のモデル化とは「はじまりのはなし」にある通りに語ることによって、初めからそう語られるような認識に世界を限定してしまうことであり、しかもあっという間にその世界観を理解する私たちだけの話になってしまうことだ。

この神話が私たちの備える概念をもとに語られるのではないとすると、それが世界の根源的あり方なのかは、何がどのように誕生したのかは判然としない。儂はこれまで何度もやってみたが、ついに儂が捉えた世界の枠組みを超えてこの話を理解することはなかった。儂が持つ枠組み無しに、神話の内容を理解することはないのだろうか。

「人間以外の、刻々と変化する空を飛び回るペリッパーや、回遊するラプラスは、そういう空間の存在を知らないだろう。実際には彼ら彼女らもそういう客観的空間の内部にいるのに」。我々はそういったことをつい考えてしまいがちになるが、この客観的空間という構成物も我々だけが作り出した特殊な夢の一部と見たほうがよい。別の規則をあてはめれば別の世界が作れただろう、それどころか現に、彼ら彼女らは別の規則を適用し、別の世界を生きているだろう、と想像することが、ポケモンと触れ合うことの肝であることは、読者諸賢にはわかっていただけるだろう。

話が混線しているという自覚はあるが、こっちは国際警察のお世話になっており、気が動転していたのである。後で訂正版が出るかもしれない。こっちはちょっとプレミアがついたりするだろうか……気を取り直して、総括するとこれは、はじまりのはなしとはすなわち人間のはじまりのはなしに他ならない、という主張である。

少し分量が足りない。ここで打ち止めにせずにあえて探求を進めると、儂が面白く思うのはここから先の話で、このように構成された空間理解をさらに深めることで時間は初めて見えるようになる、というところである。それらを同じと見るあるルールを適用しなくてよいはずのものに適用し、行き来できる線ではないものをあえて線に見立てることによって時間は初めて表せるようになる。年表も時計も、空間というサングラスをもとにして、それのみでは世界に現れないはずの時間を表しているのである。ゆえにシンオウ神話において、パルキアは空間を安定させるに留まるが、ディアルガは"時間という概念"をまさに"生み出す"のではないか。

だが、ここまで解しても、この話は我々の見方を語っているだけであって、これは生物一般の見方ではなく、存在一般の見方でさえない。さしあたり我々は我々のものの見方しか手に入れておらず、いかにしてもその内から抜け出すことはできない。その限り、はじまりのはなしは我々のはじまりのはなしである、という解釈を覆すことは難しいだろう。後で資料を読みながらもう一度まとめるが、中々よい思索の種を蒔けたように思う。後で読み返すときに、未来の自分からキングラーのように口角泡を飛ばして批判されたとしても、である。

ふっとテレビに目を向けると、丁度サメハダーのたきのぼりが危なげなく決まるところであった。チャレンジャーの見た夢は、ここである種の終わりを迎えたということである。観客は、テレビを通して観る限り、そこまで盛り上がっていなかった。これだけ考えて、そんなに時間は経っていなかったのだなあと思い、無性に悲しくなった。

——まあ、そんなことがあったわけである。想起を終えるといつの間にか学生達はいなくなっており、儂はがらんと空いた階段教室に一人立ち尽くしていた。学生が居たあの景色も、儂が今見ている景色も同じ空間なのだ、という確信を一層強くする。少し酒を煽って、呻きながら家まで戻った。暗いエンジュにぼんやりと灯の光が並んでおり、それが忘れられなかった。

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