第二章【新月霊剣】9

しおりを挟みました
しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
読了時間目安:7分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 血飛沫が舞い周囲の緑を赤く染める。しかしその地面に首が落ちる事はなかった。少女が手にした美しい剣は鮮血に彩られながら、少年兵の太くない首に刺さったまま止まっていた。そこで止めた張本人である彼女はその様を驚愕に満ちた顔で見つめて固まっている。
 クライは自身の首から赤い液体がどくどく流れるのを感じていた。一瞬感じた刃の冷たさもすぐに熱に変わって、今はただただ熱い血潮がとめどなく失われていた。とてつもない痛みを伴うはずのその状況で、彼は泣くのを耐えるように笑っていた。痛みを忘れる程の衝撃を受けていたのだ。目の前の、ずっとずっと思い焦がれていた彼女を前に、クライの思いは溢れ出す。

 ああ、セリア。セリアお嬢様だ。生きていたんだ。良かった。会いたかった。ずっとずっと。ずっと貴方を忘れられずにいたんだ。すっかり見た目が変わってしまわれたけど、その美しさは相変わらずで見間違えるはずがないのに。どうしてすぐに気づかなかったんだ。俺は大馬鹿者だ。ああ、セリア。こんな形で再び巡り会えるなんて────なんて神様は残酷なのだろうか。

「……セ、リ……ア…………」
 伝えたい事が、話したい事が有り余る程あるにも関わらず、クライの声は上手く出てこない。彼の状態はもはや声を発する事さえ難しかった。いつ意識を失ってもおかしくなかった。
 対する異なるはずの名を呼ばれた少女は青ざめた顔で震え始める。自身の剣すら取り落とし、全身の力が抜けて立っていられなくなった。彼女はクライの目の前に両膝をついて崩れ落ちた。その澄んだ赤紫色の瞳は真っ直ぐクライに向けられており、そこから透明な涙が零れる。嗚咽のような荒い呼吸の中に途切れ途切れ言葉が聞こえた。
「そ、ん……な……わ、わた、し……わ……た、し……」
 目の前の少年が呟いた名をきっかけに、彼女の頭の中では目まぐるしく記憶が渦巻いていた。盗賊の船での惨劇、自身の誕生日での悲劇、それ以前の平和で幸せな日々、優しかった本当の両親、そしていつも彼女と一緒にいてくれた、影のような少年の存在。

 とうとうクレアと呼ばれていた少女────セリアは全てを思い出した。

 恐ろしい現実にセリアは泣き叫ぶ事もできなかった。自分のした事、してきた事に理解が追いつかない。私は、私は。こんな事をする為にあの力を手にしたはずじゃない。救いたかった存在をこの手で消し去ろうとした事実が恐ろしくて仕方がなかった。そしてそれはもうすぐ成されようとしている。眼前で首から血を流し呆然と座り込んでいる少年に、もはや意識があるのか怪しかった。しかしそんな事はお構いなしにセリアは彼の胸にしがみつき、止まることを知らない涙と共に懺悔する。
「ク、ラ、イ……クラ、イ……ご、め、なさ……ごめっ、なさい……ごめんなさいっ……!」
 私、そんなつもりじゃなかったの。皆を救いたかった。幸せだったあの頃を取り戻したかった。だからあの剣を手に取ったの。なのに、どうして、どうして──募る思いは言葉にならない。セリアはひたすら謝りながら頬を濡らした。
 そんな彼女をクライの虚ろな瞳はしっかり捕らえていた。痛覚も麻痺する程に朦朧とした意識で、彼は自分のせいでセリアが泣いているとだけ理解した。安心させなければ、そんな思いで彼は必死に言葉を紡ぐ。できる限り優しく微笑みながら。
「セ、リ、ア……」
「っ! クライ!」
「泣か……な、い、で……お、れ……」
 大丈夫、続けようとした言葉は音にならず吐息となって消えてしまう。もはやクライには発声する力も残されていなかった。微笑んだまま重くなる瞼に、クライは意識を手放しそうになる。それをセリアの嗚咽混じりの声がなんとか引き留めた。
「クライ! クライ! 私、本当にっ、ごめっ、なさい! ごめんなさいごめんなさい! だから、お願い、置いて、いかないでっ……また、私をっ、独りに、しないで……!」
「…………」
 彼女の声もクライにはもう遠くにしか聞こえない。しかし、そんな彼の耳は沢山の足音が駆けつけるのを聞き逃さなかった。ぼんやりした頭でそれがミネズミの声を聞きつけた援軍だろうと推測したクライはある決心をする。
 死の間際、彼の思考は極端になっていた。最期に大事な人の為にすべき事、してやれる事、したい事、それが頭の中で無秩序に回っていた。そんな中でクライは最後の自分の行動を決めた。もしかすると彼の選択は間違いだったかもしれない。しかしそれを熟慮する余裕も時間も彼にはなかった。
 クライは感覚を失った左手を慎重にセリアの頬に添えた。どれほど涙に濡れていても彼女はとても美しかった。その様にクライはふっと満足気に笑みを浮かべ口を開く。

 ────────愛しています。

 その想いは言葉にはならず、透明な吐息のまま唇をすり抜けてしまう。セリアはそれを必死に聞き取ろうとクライの口元に顔を寄せた。そんな彼女があまりに愛おしく、クライはほとんど考える間もなく、近づいた彼女の小さな唇に心の想うままに口付けた。突然の接吻にセリアは驚くも、優しいそれに次第に身を任せる。
 ずっとこうして二人でいられたら──クライの願いとは裏腹に不穏なざわめきが近づく。ああ、やはり、俺がやらなければ。彼は最後の力を振り絞って右手の得物を握り直す。そしてセリアを抱き締めるように、背中にそれをそっと突き立てた。その位置は丁度──彼女の心臓だった。
 クライは彼女を一人残してはいけないと思った。彼女は自分を殺した罪に苦しむだろうから。そしてこれから来るであろう援軍に捕まって、酷い仕打ちを自分への罰として受け入れるだろうから。そんな事はあってはならない。自分がセリアを守らなければ──例えどんな手段であっても。彼女をこれ以上絶望させない。これ以上辛い目に遭わせない。

 こんな悪夢、俺がこの手で終わらせよう。

 彼は自分が手にする剣の、真っ直ぐ伸びる禍々しい闇を纏う姿を思い描く。その刹那────【新月霊剣】は音もなく、二人の心臓を繋ぐように刺し貫いた。

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想