第8話 “Mind of Crisis”

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「してください!」
「しない!」
「してください!」
「だから、何もしないって!」

 わんわん泣きながら迫ってくるシェイミを前に、ライムは頑として突っぱねた。終いには飛びかかってきて向こうから押し倒そうとしてきた。
 端から見れば、大きなストリンダーが小さなシェイミに襲われているように見えるだろう。ただこのシェイミ、身体は小さくとも押しは強い。怪我させまいと気遣うのも難しくなってきた。

「どうしてこんなことするんだよ!?」
「だ、だって、それがわたしのおしごとなんだもの! えーん!」

 思わず足が当たってしまった。シェイミはころころと床に転がって、この世の終わりみたいに泣きじゃくった。
 ライムは困り果てて、いても立ってもいられず、まずは通路を伺った。外は誰もいない。というか、周りの部屋から艶っぽい声が聞こえてきて、思わず引っ込んでしまった。
 何をやっているかは知らないが、何かやってはいけないことをやっているのだろう。このシェイミがせがんでいることを。

「本当はお前だってやりたくないんだろ? だったらやらなくていいんじゃないか?」
「むりだよ……だって、そうしないと……」

 くすんくすん泣きながら語るシェイミの身の上話は、とんと現実味がないものだった。
 聞けば、彼女は彩り豊かな花畑が延々と広がる世界で、仲間たちと静かに暮らしていたのだという。
 ところが数ヶ月前、空から見たこともない恐ろしく巨大な鉄の怪物が現れて(後にそれが今乗っている戦艦だと分かった)、花畑を焼き払い、自分と大勢の仲間たちが捕まってしまった。仲間は次々と奴隷市で売られ、自分もまたこの娼館に買われて、毎日客の相手を強いられている。

「あ、あいてをしないと、わたし……おこられるから……」

 震えながらへらへらと笑うシェイミが、とても弱々しく見えた。なんて酷い、哀れな話だろう。慰めようとライムが彼女の頭に手を置いたとき、彼女が小刻みに震えていることに気がついた。その温かさ、柔らかさ。そして白い毛並みがうっすらと赤く滲んでいることにも。
 まるで稲妻に頭を打たれたような衝撃だった。同時に、ふつふつと腹の底から何かが煮えたぎってくる。自分と、それから彼女たちを奴隷にした連中に。
 ここはドラマの世界じゃない。紛れもない現実で、ある日突然日常を奪われたシェイミのような子が、地獄の底で苦しんでいる。それを実感したとき、ライムは口元を震わせながら、シェイミの前足を力強く握った。

「逃げよう、一緒に!」

 口にしたライム自身でさえ驚いていた。オレはそんな奴じゃない、マドカと一緒に生きるので精一杯な小さいエモンガだ。ミオの無謀さとイヴの親切心が移っちまったかな。それでも、後悔はしていなかった。
 シェイミは目を丸めていたが、へらりと笑ってライムの手を拒んだ。

「むりだよ、わたしみたもん……まえにここからにげたクスネちゃん、つかまって、みんなにひどいことされて、うごけないのに、あたまをうたれてしんじゃった……あ、あんなふうに、わたし、なりたくない」
「そんな事は、絶対にさせねえ」ライムは逃げる前足を追わなかったが、かわりに真剣な眼差しを向けた。「それにオレには心強い味方がいるんだ。ミオたちなら、絶対にお前を助けてくれる。オレにしてくれたように。だからさ、今だけでいいんだ、少しでいいから勇気を……」

 言いかけたその時、コンコン、と誰かがドアをノックした。二匹揃ってビクリと跳ねて、声を潜めて様子を伺う。ドアの外から聞こえてきた声は、さっきのフローゼルだ。

「おーいブラザー! お楽しみのところ悪いねえ、俺も混ぜてくれないか?」
「ったく、どうしたんだ? せっかく良いところだったのによぉ!」ライムは声を荒げて返した。
「すまねえ、また女を壊しちまった! ははは、俺ってば激しいからさあ! なあ、そのチビで一緒に遊ばせてくれよ。ちょっとぐらい良いだろ?」
「やなこった! 女の扱いを知らないてめえなんかにはもったいねえよ、頑丈な男で楽しめ! 男で!」
「そんな冷たいこと言わないでさあ!」
「お前しつこいぞ……」

 呆れながら、ライムの耳がピクリと動いた。氾濫する濁流のような轟音が遠くから聞こえる。それが徐々に近づいて……いや、大きくなってくる。
 音はどこから?
 顔を上げて、目を見開いた。ドアの外からだ!

「避けろ!」

 ライムが叫び、ベッドから飛び退くと同時に、ドアが粉々に吹き飛んだ。激流をまとったフローゼルの突進攻撃『アクアジェット』だ。シェイミの悲鳴がつんざいて、部屋が水浸しになった。
 溜まった水を踏み荒らして、フローゼルが高らかに笑いながら叫んだ。

「悪いなブラザー! てめえに抹殺命令が下った、恨むんならライアンを恨め!」
「そっちこそ恨めよ」ライムは床に膝をつきながら、シェイミに一瞥を送る。
「……あ?」
「相性ってものを考える頭のない自分をな!」

 力強く言い放つと共に、シェイミが壁に飛びついた。そして……バリバリバリ! 目も眩むような激しい『放電』が、水浸しになった床を伝い、フローゼルを直撃した。
 フローゼルはたまらず悲鳴をあげて仰け反った。ライムは構わず放電を続けた。フローゼルに一瞬たりとも自由を与えないために、それこそ彼が声を出せなくなるまで。
 まだか、まだか、まだか! いよいよ放電も限界に達する寸前、ようやくフローゼルの意識が切れた。放電が止まると同時に、黒焦げのフローゼルが煙をぷかぷか吐いて、崩れ落ちた。

「……も、もうだいじょうぶ?」シェイミは壁に張りついたまま尋ねた。
「平気だよ、奴は倒れた」

 へへへ、とライムは疲れた顔で笑った……瞬間、鋭く抉るような痛みが身体中を駆け巡った。あちこちから残った電流が漏れて、ホログラムの身体がバチバチとショートする。
 大きなストリンダーは霞のように消えて、小さなエモンガが水の上に倒れた。

「え、あなた……えっ!?」

 シェイミが驚きのあまり言葉を失っている間、ライムは身体の芯に走る痛みに悶え苦しんでいた。まただ。遺跡に落ちて放電したときと同じ感覚。身体中がオレの言うことを聞かず、バラバラにちぎれてしまいそうだ。
 かすむ目で自分の小さな手を見ると、手のひらから腕にかけて青い光の亀裂が走っていた。技を使ったからか。けど、あの時よりは痛くない。まだ動ける。
 がくがくと痙攣しがちな身体を起こして、ライムはゆっくりと立ち上がった。

「大勢の足音が聞こえる、こっちに近づいてきてるみたいだ。早くここを離れないと……!」

 一歩を踏み出す前に、ライムはシェイミを見やった。とても怯えた目をしていた。疑念と恐れに満ちている。
 無理ないな。ライムは視線を外して、崩れかかったドアに目を向けた。

「巻き込むつもりはなかったんだ、ごめんな。オレもう行くからさ」
「……で、でも」
「ん?」

 振り返ると、シェイミはまだ恐怖に震えていた。だけど本心を見誤っていた。
 シェイミは怯えながら、おそるおそる一歩を踏み出していた。

「たすけて、くれるって……」

 それは幼い子供が、枯れ果てたはずの勇気を振り絞った瞬間であった。戦っていたのだ。恐怖に負けじと、助けを求めようと叫んでいた。

「もちろん!」と、ライムは強く頷いて。「そうと決まれば、さっさと逃げようぜ! 敵がすぐそこまで来てる!」
「わたし、いいアイデアがあります!」

 シェイミは床に散乱した『オモチャ』を漁った。ほとんどは歪な太くて長い形をしていて、一体どう使うのかライムには考えつかないものばかりだ。
 その中で、キラキラと煌めく砂のようなものが詰まった小瓶をシェイミが咥えるなり、床で思いきり叩き割った。

「何なんだ!?」

 驚くライムの目の前で、まばゆい光がシェイミを包み込んでいく。まるで進化だ。みるみるうちにシェイミの輪郭が形を変える。
 一方、フローゼルの仲間たちが続々と駆けつけてきた。人間は銃器を抱え、ポケモンたちは牙を剥き、ライムたちのいる個室の前に意気揚々と現れた。

「くたばれ、トサカ野郎!」汚い舌をべろりと垂らした男の顔に。
「ちょっとしつれい!」

 新緑色のかわいいおみ足が、めり込むほど踏みつけて。軽やかに蹴飛ばしながら、翼を得た空のシェイミが宙を駆けた。あまりに鮮やかに包囲網を飛び越えて、背後から聞こえてくる罵声はすぐに聞こえなくなった。
 その背中に、ライムは必死にしがみつきながら、興奮で胸が高鳴った。痛みのことなどすっかり忘れて、思わず笑いがこみ上げてくる。

「すげえ! お前すげえよ!」
「まだまだとばすです!」
「ようし、このまま一気に……」

 ……あ。
 ライムは思い出した。もうひとりの仲間のこと。
 慌てて振り返るが、娼館はもはや遙か彼方。高度はぐんと一気に上がり、戦艦の一角に占める摩天楼の黒い夜景をバックにして飛んでいた。

「どうしよう……」

 疾風にあおられながら、ライムは呆然として呟いた。

 *

「俺は何もやってねえ!」壁際まで追い詰められたゴーリキーは、唾を飛ばしながら叫んだ。「ライアンに忠誠を誓ってきた、今まで組織を裏切ったことは一度もないんだ!」

 聞く耳を持つ者は誰もいない。夜の狼ルガルガンは涎の垂れる牙を剥いて、ゴーリキーの首に噛みついた。哀れな悲鳴に釣られて、獣たちが次々と襲いかかった。
 無惨な死体を踏み越えて、飢えた獣たちが次の獲物を探して通路を徘徊していく。既にストリンダーの変身を解いていたイヴは、曲がり角から彼らの様子を伺い、遠のいていくと、思いきって飛び出した。
 目的の扉に辿りつくと、ドアロックを管理するパネルに長い尻尾が触れて、バチバチと電気が迸った。この程度のロックなら簡単に解除できる。パネルが小さな爆発を起こして、ドアが開いた。

「ミオ船長」イヴが呼ぶと。
「遅いじゃない」鎖に繋がれたまま、ミオは笑って答えた。「何をやっていたの?」
「戦艦のシステムにアクセスするのに手間取っていました。タイムマシンに関する情報は制限されていますが、個々の通信記録からおおそよの検討はついています」
「噂話を頼りに、タイムマシンの在処を予測したの?」
「それと人間の古き良き直感を参照しました。自信はあります」

 話しながら、イヴは『サイコキネシス』で鎖を引きちぎっていく。自由になったミオは、むず痒い手首をさすりながら言った。

「ライムはどこ?」
「申し訳ありません、はぐれました。どうやら我々を含め、時の波紋に関わった者たちに抹殺命令が下ったようです。状況の混乱を回避して任務を遂行するために、やむなくシステムへのアクセスを優先しました」
「任務、ねえ」
「……ミオ?」

 首を傾げる彼に、ミオは「なんでもない」と返して、素足のまま通路へ出た。
 見張りはいない。が、遠くで爆音や悲鳴が聞こえてくる。抹殺命令は本当らしい。

「ライムのこと、心配ね」ミオは警戒して通路を進みながら呟いた。「こんな状況にあの子が耐えられるかどうか」
「彼ならきっと大丈夫です。ライムは自分が思っているより芯が強い。彼なら困難を乗り越えられます」
「……きっとあなたの言う通りね」

 イヴより前に出て、ミオは目を細めた。
 やがて、ミオたちは転送室の前に着いた。中には武装した男とキテルグマがいる。ここの転送係だろう。
 はじめにイヴがフラフラと迷い込んだように入ってきて、彼らの敵意を集める。続いてミオが飛び込んで、男の銃を回し蹴りで弾き、さらにもう一回転、首に鋭い蹴りを刺した。イヴはキテルグマの拳『アームハンマー』をバリアで受け止め、きれずにバリアごと殴り倒され、床にめり込んだ。
 振り返ったキテルグマは、次にミオを狙ったが、彼女の方が早かった。落ちたレーザーライフルを抱えて、鋭い青の閃光を放つ。キテルグマのどてっ腹に大きな風穴を開けた。
 転送室を制圧するなり、イヴは制御盤に小さな手を乗せた。

「予測されるタイムマシンの設置場所に座標をセットしました、いつでも転送できます」
「それが正しい自信はどれぐらい?」
「およそ七九パーセント。不安がお有りでしたら、私が先に転送します」
「いえ、同時に行きましょう」

 やはり何かトゲがある気がする。イヴはやや戸惑いながら、「了解」とだけ返した。
 光の粒子に包まれながら、ミオは抱えたライフルを力強く握りしめていた。




17

 誰かがオレの名前を呼んでいる気がする。それが誰なのか、オレにとってどういう存在だったのか、どうしても思い出すことができない。だが、温もりだけは覚えている。その温もりがオレに訴えかけるのだ。朝も昼も夜も、食事をしているときも、相棒と夜を過ごしているときも、眠っているときでさえ。オレにしがみついて離そうとしない。
 オレの居場所は、ここではない。居るべき世界へ帰らぬ限り、平穏が訪れることはないのだ。

「あなたは幸せ者よ、ライアン。帰るべき場所がどこかにある。それを失ってしまった私とは大違い」

 いっそお前と同じように、全て失ってしまえばどんなに楽だろうか。コントロール。
 まるで星空に手を伸ばしている子供のような気分だ。瞬く星を掴みたいのに、決して届かない。満たされることは永遠にないだろう。オレはこの先もずっと、消えた肖像を追い求め続けるのだ。それこそ、命の灯火が消えるその日まで。

 *

 壁や床を這う不気味な緑の光だけが、この閉ざされた空間を照らす。壁の機械は絶えず流動していて、しかし一見して不規則に蠢いている。まるで自分の意思を持っているようだ。光のラインは空間の奥、鎮座するアーチ状の装置まで伸びていた。
 あれだ。ミオはごくりと唾を呑んで確信した。イヴは正しかった。だとすれば、タイムマシンを護衛する戦闘員が大勢待ち構えているはず。
 だが、いくら夜目をきかせようとも、敵の影は見えない。自分の息づかいが聞こえるだけだ。もちろん隣りのイヴは呼吸をしない。
 本当に誰もいないのだろうか。ますます疑心暗鬼に陥っていたところ、アーチの前でたたずむ小さな影を見つけた。黒い背中、大きくて丸っこい耳、そして頭から一本生えた長い巻き毛。ミオは胸を撫で下ろした。

「驚いた、私たちより先に来ていたのね。どうやってここを探し当てたの?」

 ライムは何も答えない。ただ、唸る装置を静かに見上げている。
 感極まっているのだろうか。ミオは肩を落として言った。

「時間がないわ。私たちがここへ侵入したことは、内部センサーですぐにバレる。襲ってくる前に急いでマシンを起動させましょ。いよいよ家に帰る時よ」

 なおもライムは沈黙を返した。
 何かが変だ。ミオは引き金に指を乗せたまま、訝しげに尋ねた。

「ライム? ねえ、どうしたの」
「……ライム。初めて耳にするはずの名が、なぜだかとても懐かしく聞こえるよ。ミオ提督」

 ミオとイヴが、揃ってライムの背中に銃口と敵意を向けた。
 違う。彼のように見えるし、声もまったく同じに聞こえるが、決定的に何かが違う。こいつはライムじゃない!

「そこをどきなさい! さもなくば……」
「さもなくば、オレをどうするつもりだ。提督」

 振り返ったエモンガは、まさしくライムそのものだった。だがその瞳に渦巻く暗い執念を見たとき、ミオは戦慄が走った。
 ミラージュ・システムが化けた幻影!? それともメタモンの変身!? でもたかだか小さいエモンガに化ける意味は!? それとも裏切り者はイヴじゃなくて……はじめからライムが!?
 わずかに動揺で生じた隙を、スナイパーは見逃さなかった。
 ぱす。
 暗闇から放たれた小さな水弾『狙い撃ち』。ミオの緩んだ手から、ライフルがたやすく弾き飛ばされた。

「動くなよ、ミオ提督」インテレオンの、艶めかしく肌に這いすがる声が闇の中から囁いた。「動けばお前の心臓を撃つ」
「まどろっこしいことしないで、さっさと殺せばいいじゃない」
「文明人らしからぬ野蛮な言い草だな」ライムは怪訝そうにミオの顔を伺いながら言った。「実はさっきまでそうするつもりだったんだよ。しかし君は、先ほど説明のつかないことをした。オレをまるで知り合いのように、親しげにこう呼んだな。ライムと」
「私の勘違いだったかも。それともあなたがずっと私たちを騙していたのか」
「その答えはきっと、そちらの幻影が知っている」

 さあ話せ、言ってやれ。ライムに急かされて、イヴはミオに一瞥を送った。

「たった今、彼に対して量子スキャンを実行しました。それによると、信じられない事実をふたつ確認しました。まず彼は、ライムと同じ量子特性を持っています」
「なら私たちは、あの子にまんまと騙されていたってワケね」
「そうとは言えません。それが問題の二つ目の事実です。彼の量子特性は、ライムのそれと比べてやや変化しています。彼は紛れもなくライムです。しかし我々の知っているライムより、半世紀ほど時間が経過しています」

 そんなバカな。
 ミオは愕然とした。聞いた瞬間、最悪で恐るべきシナリオが頭に浮かんでしまった。ライムはウルトラホールに吸い込まれて、この時代にやって来た。それは変えようのない起点だ。では、目の前にいるエモンガは一体何者なのか。
 あるミステリー小説の有名な台詞が、脳裏によぎった。不可能を排除して残ったものは、たとえどんなにありえないことでも、それが真実を示している。

「ライアン、あなた……未来から来たのね……」
「ご明察の通りだ」

 ライムは……ライアンは不敵に笑った。
 瞬間、それを合図として受け取ったかのように、闇からの凶弾がミオを貫いた。

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