第7話 “狼の巣窟”

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「やめろ! こんなことをしても無駄だぞ、ライアン・シンジケートはお前たちを全員殺すぞ! おい、聞いてんのか!」

 ストリンダーの兄は縛られたまま転送用のワープパネルに乗せられても、なお騒がしく喚いていた。弟の方は観念したのか、それとも脳天気なのか、瓜二つに化けたライムたちを「すごいなあ、そっくりだ」と感心した。
 やがてライムが見守る中、イヴは制御盤への命令入力を終えて、ストリンダーたちの転送を実行した。

「てめえら、覚えてやがれ! この借りはいつか必ず返すからな!」

 消えゆく兄の怒鳴り声だけが虚しく響いて、二匹の転送が終わった。
 エスパーポケモンの専売特許だったテレポートが、未来じゃこんな簡単にできるんだな。ライムはほぅほぅと頷いた。

「どこへ送ったんだ?」
「生存可能な無人のウルトラスペースです。ちょうど船の針路上にあったので、彼らをそこに下ろしました」
「放っておいて大丈夫なのか? また悪さするかも」
「地球連合に向けた誘導ビーコンをワープホールの付近に設置しています。じきに連合の船が気づいて、彼らを逮捕するでしょう」
「そっか」

 悪いことはできないな。ライムは二匹の消えた後のワープパネルを一瞥してから、コックピットに戻っていった。
 数分のうちに、ノーザンライツは目的の座標に到着した。初めてその巨躯と対面したとき、まるでダイマックスしたホエルオーに押し潰されそうで、見ているだけで胸が苦しくなってきた。
 巨大戦艦の誘導灯に案内されて、ノーザンライツは発着場にゆっくりと腰を下ろす。ライムは「すっげえでかいホエルオーの胃袋に入っちまったみたいだな」と呟いたが、雰囲気はこちらがずっと悪い。薄暗い照明の下、床に並んだ赤の誘導灯が不気味に映える。あちこちに何か黒っぽいものが染みついているが、それが何なのかは深く考えないようにした。
 ライムが外を気にしている間に、イヴは密かに制御盤を操っていた。モニター画面には滝のように情報が流れていくが、その最後には『暗号化メッセージ、送信完了』の文字で締めくくられた。
 小型艇のハッチが開くと、いよいよライムとイヴは敵地に一歩を踏み出す。つい先日、こうやって船の外に出たときは大変ワクワクしたものだが、今は背筋が寒くてたまらない。それはきっと、周りから刺さる不気味な視線のせいだろう。まるで陽も届かないほど深い森の奥で、血に飢えた獣たちに囲まれているみたいだ。
 ライムは声を落として尋ねた。

「まさか、オレたちを取って食うつもりかな」
「それならとっくに我々は八つ裂きにされています。おそらく待っているのでしょう」
「待つって、何を?」

 ほどなくして、獣たちがまばらに散っていった。その奥からスラリとした長身のインテレオンが歩いてくる。艶めかしく尻尾を揺らして、ライムは思わず目を奪われた。が、そんな気持ちはすぐに冷めた。インテレオンの目を見た瞬間、ライムの『役』が崩れて、一歩後ずさってしまった。月のない真夜中よりも更に深く、ストライクの鎌よりも研ぎ澄まされた殺意に、生まれて初めて触れたとき、否応なく思い知らされる。
 絶対に触れてはならない世界の闇が、もう目の前まで迫っていることに。

「さて」穏やかに流れる川のせせらぎのように、澄んだ声が囁く。「貨物の到着が遅れた理由について、お前たちの釈明を述べなさい」

 ぞわ。
 ストリンダーのホログラムで全身を覆い隠していて助かった。でなければ、ライムの毛が一斉に逆立った瞬間、この場で殺されていただろう。
 怖くていい。ただ集中して役になりきれ、オレ。すべてはマドカのために。

「……それがよぉ」ライムはへらへら笑いながら答えた。「俺たちはきちんと手順に従って、あんたらのために貨物を運んでいたんだ。それを地球連合の女が突然襲ってきて、貨物を盗んだ挙げ句、俺たちの船を壊しやがった。とんだ不届き者もいたもんだよなぁ、ライアン・シンジケートに逆らう輩がまだいやがるなんて」
「その女とやらに拘束されたのか」
「あぁ」
「どうやって女の船を奪った?」
「運が良かったのさ。ウルトラホールを航行中、『ラミエル界域』の放電帯を通過したときに、バリバリ! 稲妻が走って、船のシステムがダウンした! その一瞬の隙を突いて、女を黒焦げにしてやった。ありゃあ気持ち良かったねえ」ここまで話してもインテレオンは眉ひとつ動かさないので、ライムは拗ねた顔をして付け足した。「疑うのなら、船の航行記録を見てみろ。俺の言ったことが本当だと分かる」
「もちろん、徹底的に調べさせてもらう。その上で……」インテレオンの細くて長い指が、ライムの顎をくいっと持ち上げる。「もしもお前の主張と僅かにでも食い違いがあれば、兄弟揃って死んでもらう。もちろん、正直者のお前には何ひとつ心配するようなことはないだろうが」
「褒めるなよ、照れちまうだろ」

 警告の後、インテレオンは部下たちを引き連れてノーザンライツに踏み込んだ。船内は手当たり次第に荒らされ、価値ある物資は根こそぎ奪われた。貨物は次々と運び出され、その中には『時の波紋』が封じられたコンテナも含まれていた。
 その様子を外から眺めながら、ライムは目を細く尖らせる。あれの行き着く先に、目的のタイムマシンがある。運んでいく連中の後をつければ、きっと……はやるライムの肩を、イヴが止めた。「まだその時ではありません」と小さく言われて、ライムは黙って頷いた。
 やがて、ひどくしわがれた唸り声とともに、ミオが外に連れ出されてきた。インテレオンに髪を掴まれ、手足を縛られたまま引きずられていく。その痛々しい様に、目を背けたくなる。だが周りを無法者たちの目に囲まれていては、そうもいかない。ライムは鼻を鳴らして「ざまあみろ」とそれっぽく呟いた。内心では、彼女の無事を祈りながら。

「ミオの奴、殺されたりしないよな?」ライムがぽつりと尋ねると。
「こうした状況において、ミオ船長は百戦錬磨です。それよりもあなたはまず自分のことを気にした方がよろしいかと」
「え?」

 横からイヴに小突かれて、振り返ってみれば獣たちが唸り、牙を剥いて、よだれを垂らしながらジリジリと迫っていた。
 まずい、こんなに早く戦いになるなんて。ライムは冷や汗を垂らしながら、拳を握りしめた。や、やってやるさ。オレはでっかいリザードンだって倒したんだぞ!
 間合いがどんどん狭まって、先制攻撃を仕掛けるなら今だ! と思った瞬間、「ブラザー!」と陽気な声をあげて、群れからフローゼルが飛び出してきた。

「遅かったじゃねえか!」右目をアイパッチで覆う隻眼のフローゼルは、ライムと肩を組んで豪快に笑った。「今までどこをほっつき歩いていやがったんだ? 俺と飲むのが嫌になって逃げ出したのかと思ったぜ」
「この俺が逃げるだって?」ライムは大口を開けて笑い返した。「まさか! この仕事は酒がなきゃやってられねえってのに」
「それに女もだろ? 一昨日開かれた奴隷市場でバーのオーナーが上玉を買い漁ったらしくてな、今ならかわい子ちゃんが選び放題だ。さあ兄弟! 俺たちも良い子をゲットしに行こうぜ!」
「お、おうよ!」

 肩を組んだままフローゼルに連れられて、ライムの笑みは引きつっていた。

 *

 夜の街は、テレビの中でしか見たことがなかった。マドカと一緒に学校に通っている身が、怪しげな繁華街を知るはずがない。それがいざ目の前にずらりと並んでいると、途端に現実味を失ってしまった。
 まるで夢の中にでも迷い込んでしまったようだ。大勢が行き交う通路はプロムナード(遊歩道)と呼ばれ、青や桃色、紫、色とりどりのネオンに彩られている。あちこちから良い香りが漂い、雌のポケモンたちが艶のある声で誘っていた。
 だんだんと顔が熱くなって、意識もふわふわしてきた。きっと淫靡な空気にあてられてしまったのだと、頭では分かっていても抵抗できない。メロメロにかけられたポケモンが、どうしてトレーナーの指示に従わなくなるのか、これでよく分かった。
 フローゼルが何やらガハハと笑いながら語っていたが、話のほとんどが耳を素通りした。しばらく歩いて、彼が急に曲がった。ライムもぐいっと引っ張られ、店の暖簾をくぐると、そこはいかがわしさ満点の空間が広がっていた。
 ずらりと並んだモニターには、可愛い雌ポケモンの写真が所狭しと映っている。ぽけーっと見惚れていると、フローゼルが訝しげな顔をして覗き込んできた。

「おい、大丈夫か?」
「……何が?」
「いつもなら真っ先に女の子を選ぶじゃねえか。弟に先を譲るなんてらしくねえ」
「弟?」

 見れば、イヴは早々とお相手を選び、奥の部屋へと向かっていた。こちらには目もくれず、ひと言もかけなかったのには腹が立ったが、すぐに考えを改めた。ここは敵地。しっかりしなきゃいけないのはオレなんだ。
 ライムは悪そうに笑って答えた。

「ああ、女を抱くのが久しぶりでな。どの子で楽しもうか迷っていたところだ」
「前回からたった一週間だろ? お前も好き者だねぇ」

 ははは。乾いた笑みを浮かべながら、ライムは漠然とモニターを眺めた。女性を選ぶなんて失礼なこと、やりたいと思ったこともなければ、もちろん機会もなかった。さあどうしよう。
 って、オレは何を迷ってんだ? 選んだからといって、何かしなきゃいけないワケじゃないだろ! そう、ただしばらく話すだけの相手を選べばいいんだ。何もしない。何もしない。それなら静かで大人しそうな奴がいいな。

「……じゃあ俺は、あのシェイミちゃんで」
「シェイミちゃんん?」

 フローゼルが「はあ?」と顔を歪めるので、ライムはギョッとした。

「な、なんだよ」
「お前……幼女趣味も持ってたのか?」
「今日はそんな気分なのさ! 俺のでっかいアレで小さい雌をひいひい啼かせてやる!」

 ふうん、とフローゼルは顎に手を添えて唸った。
 疑われてるかな、そうだよな。ライムが冷や汗を垂らしながら、やはり相手を変えようかと迷っていると。

「ストレス発散もほどほどにな、ブラザー! 壊したらオーナーが怒るぜ」

 良いように解釈してしてくれたようだ。
 ライムは「おうよ!」と返しながら、ホッと胸を撫で下ろした。

 *

 最大の問題は、個室に案内された後に待ち受けていた。
 暗めの照明の下、大きなベッドの上に乗って、ライムは固まっていた。シェイミが後から入ってきて、「よ、よろしくおねがいします、ごしゅじんさま」と幼くも震えた声で言い、ライムの前に跪いた。
 その圧倒的な存在感。目の前のか弱いポケモンを好きにして良いという異常な状況。自分とシェイミの他には誰も見ていない。ということは、ここで彼女に何をしても、後から誰にも知られることはないし、咎められることもない。無条件で差し出された欲望のはけ口を前に、ライムの思考は完全にフリーズした。

「……あの、ごしゅじんさま」ずっとライムが黙っているので、シェイミはおそるおそる顔を上げて言った。「きょうはなにをなさいますか? わたし、なんでもします」
「や……」
「や?」
「や、や……やるワケねえだろ!!」

 それは齢十二歳の少年が、自分への戒めとして放った、心からの叫びであった。




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 ライアンには心臓がないと謳われていた。それは彼の無慈悲で非道、かつ残虐な行為の数々を見事に言い表している。
 ならば、オレはなぜ音楽に魅了されるのか。音響システムが流す、ゴチルゼルの壮大なオペラに身を震わせながら、彼は顔を上げて涙を呑んだ。ふと、以前これと同じ問いについて、オレに答えを告げた哲学家がいた。「それは、あなたにも他の生き物と等しく、心があるからです」と。それが哲学家の遺した最期の言葉となった。
 違うのだ、愚かな哲学家。オレにそのようなものはない。心など、とうの昔に捨て去った。今のオレを衝き動かすのは、もっと別の……。

「よく戻った、コントロール」

 暗がりの向こうから、振り返らぬままライアンは言った。
 インテレオンは膝をついて頭を下げた。

「ボス、問題発生です。何者かが『ブラックシティ』の亜空間アンテナに不正アクセスして、暗号化された通信を送っています」
「送り先は?」
「ウルトラホールのバックグラウンド放射に偽装されているため、解析には最低でも二日かかります」
「おおかたの予想はつく。地球連合か、テメレイア帝国の諜報部だ。オレが『時の波紋』を手に入れたことを報せたのだろう。奴らが艦隊を差し向けてくるのも時間の問題だな」
「ただちにスパイの捜索にあたります」
「やめておけ、証拠なんぞ探しても無駄だ」

 証拠を探して真実を立証するなど、それは司法の戦い方だ。闇に墜ちた者の戦いはもっと直感的でいい。
 たとえば、そう。『時の波紋』がこの戦艦に運ばれてきたとき、その場に居合わせた者を皆殺しにする、その程度で十分だ。

「波紋の貨物を運んできた者。その貨物に触れた者。監視映像を見ている警備の者。船の発着を管理する者。船と通信できる立場の者。過去四時間の間で、これらの業務に従事した者を全員抹殺しろ。それから……」

 死のタクトを振るう指揮者が、ついに光の壇上へと上がってきた。

「時の波紋を奪った女に会わせろ。少し話をしたい」

 暗がりから堂々と現れた小さな主に、インテレオンは深く頭を下げて平伏した。

 *

 ミオはパチッと目を覚ました。辺りは真っ暗で何も見えないが、冷たい壁や床を伝ってうっすらと聞こえる轟音で、ここが船の中だと分かる。寝起きに伸びができたら最高だが、手足を重苦しい鎖で繋がれているから、あいにく贅沢はできそうにない。だが数時間でも眠れたおかげで、傷ついた身体もだいぶよくなってきた。
 これなら動ける。ニヤリとほくそ笑んだところに、遠くから可愛らしい足音が聞こえてきた。ぽち、ぽち、少しずつ近づいてくる。それは固く閉ざされた扉の前で止まった。

「どれだけ故郷から遠く離れようとも、過去からは逃れられない」扉越しに男の声が告げた。「そう思わないか?」
「どうかしら」ミオは挑発的に笑って返した。「私は過去から逃げたことがないの」
「時の波紋に手を出しておいて、そんなはずはない。お前にも、地球連合を敵に回してでも変えたい何かがあったはずだ。そうとも、オレはお前のことを調べさせてもらったぞ、ミオ提督。時間戦争でお前が何を失ったのかも含めて」

 ピクリと眉が動いた。

「……あなた、ライアンね。わざわざ話に来たのには、何か理由があるんでしょ?」
「なぜそう思う」
「普通のならず者だったら、知りたいことはさっさと拷問して聞き出す。でもあなたは違う。ただの血生臭い拷問は、正しい情報を聞き出すという目的において、非効率的な手段だと知っている。それに尋問の目的がまだ分からないの。私の正体、手段、動機、すべてを知ってなお、何かを聞き出そうとしている。そうすべき動機があるとすれば、思いつくのはひとりしかいないわ」
「……なるほど」ひとつ間を置いて、ライアンは続けた。「ではお前に質問しても無駄だな、どうせ虚実を織り交ぜてオレを混乱させようとするだろう。ならばお前に質問させるしかない。さあ、どうぞ」

 厄介だな。ミオは顔をしかめて、血の混じった唾を吐き捨てた。
 奴は私が何を知りたがっているかを気にしている。下手に聞けば、真の狙いと作戦を悟られかねない。かといって、このチャンスを逃がす手はない。ライアンの思考を探れば、タイムマシンの在処や警備体制を読み解くヒントになるかもしれない。鎖はじきに外せる。その時、ひとつでも多くの情報を持っておきたい。

「じゃあ聞くけど」ミオはあえて大儀そうに尋ねた。「あなたの目的は何? タイムマシンで何をしようとしているの? 過去を改変しても、思った通りの結果が得られるとは限らない。それは歴史が証明している事実でしょ?」
「面白い。お前は時の波紋を求めながら、それを運命だと本心では受け入れている。だがオレの考えはお前と違う。あらゆる運命は乗り越えられると信じている。まさにオレは、その生きた証とも言える」
「なぜ? あなたに一体何があったの?」
「その質問に答える義務はない。さっきの質問でオレの知りたいことが分かった。お前は自分のために時の波紋を使おうとしていない、別の誰かのために動いている。そこで新たな疑問が生まれる。お前が自らの目的を捨ててまで救おうとしている、その誰かとは一体何者なのか」

 は?
 ミオは思わず顔を上げた。待って。こいつはどうして私が目的を変えたことを知っているの?

「これはまさに、運命だな。オレにはちょうどその心当たりがひとつだけあった。ありがとう、ミオ提督。これですべての準備が整った」
「待ちなさい!」

 叫んでも、もはやライアンを留める術はなく、可愛い足音が遠ざかっていくのを聞き届ける他はなかった。戻ってきた静けさは、湧き上がってくる猜疑心をさらに煽った。
 まずい。潜り込んだライムたちの存在に勘づかれた? でもどうして。私の心変わりを知っていたのは、ライムと……イヴしかいない。
 イヴが裏切った? そんなはずはない。彼とは長年の付き合いだ、彼のプログラムは絶対に私を傷つけたりしない。でも……それを書き換えられていたとしたら。
 そんなことが一体いつできたのかは分からないが、イヴが操られている可能性は高い。だとすると。

「ライムが危ない……!」

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