ラーネス③

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読了時間目安:8分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

登場人物

エンブオー・クライド・フレアジス……夢工房の所長。ヴェスパオール市警の元刑事。
ルカリオ・リン・シェイ……夢工房唯一の従業員。謎多き男。
ミミロップ・アイリーン・ブルーアント……ルカリオ・リンと懇意の女性。引退した大物ギャング、ホルード・“マクシム”マクシミリアンの愛娘。

エレザード・フィリパ・マルクス……今回の依頼者にして、夢工房の入った赤レンガビルの所有者。夫の死をきっかけに、四か月前に失踪した一匹息子のエレザード・ビリー・マルクスとの再会を希求する。
ジラーチ……千年に一度目覚めて、願いを叶えるという伝説の存在。少年時代のクライドが出会ったとき、既にその力は失われていたようだ。

エンブオー・デルフォード・フレアジス……クライドの父親。ディニア国防省陸軍の教官。階級は大尉。
エンブオー・ロクセリエナ・フレアジス……クライドの母親。旧姓はラグランジェで貴族の娘。
ポカブ・フィーネ・フレアジス……クライドの年離れた妹。
チャオブー・ラーネス・フレアジス……クライドの弟。フレアジス家の腫物。
 学校には通っていない、と彼は言った。あまりにも程度が低くて、わざわざ顔を出す価値もない授業ばかりだ。金と時間の無駄だ。あそこには馬鹿しかいない。下級種族ってやつはみんなそうだ。濡れた石ころとチョコレートの区別もつかないんだ。勢いの強いニードル・シャワーの音に混じって、そんな汚泥のような言葉がとめどなく大理石の扉の隙間から流されてきた。

「それはそうと、お前、いくつだ?」。ルカリオはレモンスカッシュの口を左手につまんで、くるくると底を回して言った。中身は入っていない。 「そろそろこの家に四匹目のエンブオーが誕生してもおかしくないと思うが」
「どういう意味だよ、それ」。いくぶんか腹立たしそうな声が返ってきた。
「そのままの意味だ。この国の準一級種は普通、十八歳にもなると立派な大人になる。早いやつでも十五かそこらだ。だが、そういう奴らは生まれた時から闘いに明け暮れたような奴さ。週三のバトルクラブで小突き合っていれば、周りより半年早く一皮むけるが、引きこもっていると三十になっても大人にはなれない。お前、どうするつもりなんだ。永遠の十七歳でいるつもりか?あの汚い部屋でピーターパンにでもなるつもりなのか?」
「あんたには関係ないだろ。何だよ、ピーターパンって」。シャワーの栓がきりっと閉じられた。 「それよりもクイーンのことを聞かせてくれよ。教えてくれるって約束だったろ」
「約束だと?」。ルカリオは語勢を強めた。 「生意気な言葉を使うんじゃない。俺がいつ約束を取り付けたっていうんだ?お前が話して欲しいって一方的に頼んでいるだけだぜ」
「ああ、そうか――そういうタイプなんだな、あんたも」。ラーネスは言った。 「大人って奴はみんなそうだ。言葉の罠を仕掛けてくる。そんな汚いやり口をしておいて、出し抜いてやったと後ろめたくもならないんだ。いつだって正々堂々じゃないんだよ」
「なら、お前は正々堂々と生きているのか?学校にも行かずに?」
「話を逸らすな!」
「逸らしているのはそっちの方だ」
「話にもならねえ」。ラーネスの声がごわごわと鳴り始めた。歯ブラシがデンタルペーストで泡立っていた。 「馬鹿ばっかりだ。どこもかしこも」

 ラーネスが歯を磨く間、会話は一切なかった。彼の定義する馬鹿とは、自分の理解が及ばない相手のことだった。そして、その範囲は必然的に広かった。その中にはルカリオだけではなく、自分の家族のことも含まれていたことだろう。
 スカッシュを飲み干すと。ルカリオは厨房で瓶をごみ箱に捨てた。そしてそのままゲストルームに引き返し、冷蔵庫からサイコソーダを二本引っ張り出して、またエントランスの廊下をバスルームまで戻るところだった。玄関がノックされたのはそのときだった。長く二回、そのあとに短く一回。

「出ていいか?」。ルカリオは少し張り上げて言った。
「それくらい分かるだろ」。ラーネスはごぼごぼと口を泡立てて言った。

 ルカリオは呆れたように肩をすくめると、ソーダを玄関棚の上に置いた。玄関を開けたが、誰もいなかった。ただ一通の白い封筒だけがポーチの脇に落ちていた。宛名もなにも入ってはいない。太陽に透かしてみると、中に写真が二枚だけ入っているのが見えた。封を開ける前に周囲に意識を集中させたが、何の気配も感じられなかった。引っ張り出してみたとき、そのどちらもがルカリオの目を釘付けにした。

 最初に出てきたのはラーネス達の写真だった。まさに昨日の深夜に隠し撮られていたものだった。画質は荒いモノクロで、日陰で目を凝らさなければよく見えなかった。生い茂る体育館の裏で地面が掘り起こされ、黒鉄の太い排水管が取り外されている。そこに長い導線付きのバクガメスの甲羅と固形爆薬が詰められていた。“パルコ”と呼ばれたコジョンドもそこにいて、ラーネスを急かしているように見えた。大きく開いた口からは、さっさと火をつけろと写真越しに聞こえてくるようだ。

 とりわけ二枚目がルカリオの注意を引いた。それは大家の息子の正面写真だった。エレザード・ビリー・マルクスはその中で晴れがましい笑顔を作っていた。身体はひょろ長く、頭は大きめ、神経質っぽい目つきをして、神経質っぽい角眼鏡を掛けていた。やたらと神経質に見えるのは、左目の方が右目よりもほんのわずかに大きいせいだ。休日は外に出ることなく、友達も少なく、模型を作ることだけで一日をゆうに終えられそうな雰囲気をしていて、事実その通りの男だった。顔だけを見れば大家にそっくりそのままで、最後に会ったときよりも随分と若々しく見えた。襟巻の左下には、ハイスクールの電気科学科の四年生バッジが留めてある。元は卒業直前のアルバム用に撮影された写真のようだ。

 ビリーの顔を裏返すと、そこで初めて番号を見つけることが出来た。電話番号のようなものが滑らかに走り書きされていた――“99-A15、レベル指定:24、本日十一〇〇厳守”――ルカリオはもう一度だけ空気中の波導を注意深く読み取った。だが、どういうわけか何の収穫もなかった。念のために匂いも嗅ぎ分け、ポーチから時計回りに外構を一周したが、結果は同じだった。写真を封筒に戻し、物音を立てないように家の中へと引き返した。

「誰からだった?」。風呂から上がったラーネスが玄関前に立っていた。全身からもうもうと湯気が吹きあがっている。生乾きで、ブラッシングはしていない。それとも、このピーターパンはそういう習慣を持たなかったのかもしれない。右手には既に開栓されたサイコソーダが握られていた。

「兄貴と俺にだ。昨日、事務所を引き払ったばかりでな。配達員がご丁寧にも追いかけてきてくれたのさ。それより昼飯の準備を手伝ってくれないか。ボスカイオーラだそうだが、お前も食うよな?」
「俺は今から用事があるんだよ」。ラーネスは言った。 「あんたほど暇じゃないんでね、キャプテン・フック」
「少なくとも泊めてくれる友達はいるのか。そいつを友達と呼べるかは別として」

 渾身の嫌味も受け流されて、太ったピーターパンはすこぶる嫌な顔をした。鼻を中心に顔全体がぐっと半分にまで縮小した。しわくちゃで腐った饅頭みたいな表情だ、とルカリオは思った。 「デブで孤独なピーターパン。いつまでも母親にウェンディをさせるわけにはいかないだろう。いくら大人の国を壊したところで、ネバーランドは作れやしないんだ」
「そういうあんたは不気味で、意地悪で、救いようのないフック船長だ。でも、あんたに会えて感謝しているよ。下には下がいると分かっただけでも」
「自分が平均よりも下だという自覚はあったらしいな」
「うるせえよ、カスが」

 応酬を押し返し切る根性もなく、ラーネスはそう吐き捨てて自分の部屋に戻っていった。悪臭立ち込める、二十五平米のネバーランドに。

 頭上を駆ける地鳴りを聞きながら、ルカリオはラーネスの印象を心の中で採点した。百点満点中、五点だった。少なくとも、彼の兄よりは前向きなウィットに富んでいる。五点分はそれだ。その五点がルカリオは気に入った。残りの九十五点は兄が持っていた。

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