Box.39 まよなかの ないしょの おはなし

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください


 エイパムは勝負の後、疲れたから戻る、とボールを指したので早々に戻した。足早にその場を去ろうとしたリクをソラが呼び止めた。「約束だからな、忘れるなよ」冷静に返事をするつもりだった。現実には、分かってる、と怒鳴り返すような返事をしてしまった。
 ベッドで目を閉じてから、何度も時間を確認した。まだカザアナについてすらいないのに、刻々と過ぎる時間は残り少ない砂時計のように感じられた。死にかけた回数と同じくらい、この地方で眠れなかった夜の数を思い返す。(「ただ、疲れてるなら寝た方が絶対良いだろ」)簡単に言ってくれる。どうにもならない現実も、眠れない夜も、望まなくともやってくる。
 一足飛びに強くなったような気がしていた。ソラがジムバッジを多く持つ、実力あるトレーナーであることを知っていたはずなのに。急に遠く、恐ろしい壁のように感じられた。負けた。帰るのだとあれほどの口調で言っている以上、それは彼にとって決定事項なのだ。
 ――暗闇のさなか、足音が近づいてくる。そっとドアノブが回った。目を閉じたままでいると、かすかな気配が止まった。部屋をぐるりと見渡しているようだ。ベッドに近づいてくる。手が伸ばされる。その腕を掴むと忍んできた気配が飛び上がった。「ひゃあング!?」悲鳴が飛び出た口を抑えた。「――静かに!」相手が驚いた様子でコクコクと頷いた。ゆっくりと手を離す。暗闇に慣れた目に、途方に暮れた顔が映る。やっぱりか、とリクはため息をついた。

「リリリリリリクちゃん……あは、あはは……起きてたんだぁ~……」
「何してんの」
「へ、部屋間違えちゃったかなぁって……えへへへへへへ」

「リ?」騒ぎにリーシャンも寝ぼけ眼で目を覚ました。「もう少し寝てていいよ」「リー……」すや、と再び眠りについたリーシャンを布団に埋める。ギロリとリクはコダチを見やった。

「どうしてオニキスを狙うんだよ」
「えっ!?」

 目玉が飛び出んばかりに見開かれ、ぱっくりとコダチは口を開いた。「リクちゃん知ってたの?」この期に及んでバレてないと思っていたらしい。大変おめでたいが凄まじいポジティブ具合でもある。脱力感を覚えつつも、「知ってたよ」と返した。

「ソラも知ってるんだろ。オレにも教えろ」
「えっとぉ……」

 右往左往する視線と共に、すぅ~っと音もなくコダチは身体を離しかけた。フェードアウトを狙う顔面をリクの両手がガッと掴んだ。「ひぁうぃごー!?」据わった目で睨む。「教えろ」ぐぎぎ、とコダチは必死に視線を合わせまいとしている。鼻がくっつきそうなほど近いと言うのに、白目の血管が見えるほど目を逸らしている。口はむんとへの字を描いており、頑として割ろうとしない。

「……もういい」
「へぁっ!?」

 手を離した。コダチは瞬時に距離をとると、赤くなったほっぺたを擦った。どうせこれ以上問答しても彼女は口を割らないだろう。ソラには話せても、自分には絶対に話さない。彼は、強くて、賢くて、正しい。最初からそばにいたからとても気がつかなかったが、本来あちら側の人間だ。手が届かない選択肢を選べる人種。決して間違えない少年。
 正々堂々、道を歩いている人間。

「……泣いてるの?」
「え?」

 不思議そうな、困ったような顔で、コダチがこちらを見つめていた。泣いてない、何を言ってるんだ、と言って手の甲で拭うと、ぼろぼろと涙が零れた。情けない、と思った。これくらいで泣いてどうする、と自身を叱咤するほど、悔しさが胸をついた。
 必死に目の前の事を一つずつ切り抜けてきた。まだ届かない。だからもう終わりなのだと、この舞台を降りろと、お前の役目はないのだと言われた気がした。力がないことが悔しい。もっと経験があれば、もっと才能があれば、もっと知恵が、勇気が、実力があれば――届いたものが、沢山あったのかもしれない。

「リクちゃん、泣かないでよぉ」

 ぐりゅ、とコダチがもらい泣きしそうに顔を歪めた。「だったら教えろ」「だめです……」駄目だった。

「そもそもリクちゃんはどうしてサザンドラ持ってるの?」
「教えない」

 ええーと不満げにコダチは口を尖らせた。当たり前だ。世の中等価交換なのだから。真っ赤になった目をごしごしと袖で擦り、リクは鼻を鳴らした。「コダチの理由を教えてくれるなら、話してもいい」どうせ無駄だと思いつつ、投げやりに言い放った。コダチはうんうんと腕を組み考えると、こちらに近づき、ベッドの端に手を置いた。「あのねあのね……本当は、ほんっとーは……内緒なんだけど……」

「うちのカイトリーダーが、取ってこいって」
「は」

 コダチが口を割った。
 ――カイトというのは、サイカタウンのジムリーダーであり、レンジャーを統括する人物らしい。彼が〝サザンドラを連れてこい〟と命じたのが、不穏な動きの理由だった。「理由は?」「分かんない」即答だった。リクはサザンドラを連れている事情を話した。チャンピオンのヒナタに助けてもらったのだが、サザンドラを返せないまま行方不明になってしまっていると。それで持っているのだと告げると、コダチは「あー! 分かったぁ!」と手を打った。

「ヒナタさんが心配だったんだねぇ。そっかそっか。なーんだそう言えば良いのに」

 勝手に得心している。「何が?」「だってカイトリーダーってヒナタさんと仲良しだもん」「そうなの?」初耳だった。カイトについて尋ねると、彼女は話し始めた。こちらは特に口止めされていなかったようだが、カイトは今後、そちらの箝口令も出しておくべきだろうという滑らかさだった。
 身長179㎝。体重70~75㎏。血液型はA型。誕生日は7月31日午前5時ジャスト。出身地はカザアナタウン。好きな食べ物はサイカ特産モーモーミルクチーズ。嫌いな食べ物はキノコ酒。山積みの仕事から逃げてきたヒナタに月に1回は勝負を挑まれ怒鳴るのが恒例行事。寝るときは仮眠でもアイマスクをする習慣がある。レンジャー駆け出し時代に追っていた事件にヒナタが首を突っ込み、嫌々ながらも事件解決まで関わられたのが腐れ縁の始まりである。
 という話をしたコダチに、リクはドン引きしていた。持っている情報量がおかしい。「なんでそんなに詳しいんだよ……」コダチはハッとした顔で手をパタパタさせた。「ちっ違うよ!? 同じチームの先輩が毎日カイトリーダーのこと話すから覚えただけだよ!?」じゃあその先輩がおかしい。「カイトリーダーのお嫁さんになるのが夢なんだって。恋っていいよね~」前言撤回。コダチもおかしい。

「じゃあカイトは、オレがオニキスを持ってるのが気に食わないんだな」

 気持ちは分かる。ヒナタだって本当ならツキネやカイトに預けたかっただろう。ずんと沈んだ気持ちになった。

「リクちゃんも持ちたくて持ってる訳じゃないんでしょ? だったらね~渡してよぉ~」
「絶対嫌だ」
「むー。なんでぇ?」
「……まだ、渡せない」
「なんで?」
「なんでって……」

 くりくりとした両眼が問いを繰り返す。サニーゴのことがあるから。サザンドラのことは自分に責任があるから。どうもしっくりこない。それらを押しのけ――望みを込めて、願いを込めて、祈りを込めて、リクは言った。

「大切な仲間なんだ」

 カイトにとっても、ツキネにとっても、そうだと分かっている。想いの強さも付き合いの長さもきっと違う。それでも嫌だった。関係ない。理由なんてどうでもいい。ヒナタ以外には絶対に渡したくないという頑なな感情が、胸の真ん中に鎮座して動きそうもなかった。

「そっかぁ……じゃあ駄目だね」

 スッとコダチが身を退いた。ふあぁ、と大きなあくびをして目尻を擦る。てっきりまだ、「なんで?」攻撃が続くと思っていただけに、リクは拍子抜けしてしまった。
 
「良いのか?」
「えっなにが?」
「だって、オレより、その……カイトの方が、絶対オニキスを持ってた方が良くて……」
「なんで?」

 しまった、とリクは口を抑えた。「なんで?」攻撃を蒸し返してしまった。ごにょごにょと続ける。「……カイトの方がオニキスのこともヒナタのこともよく知ってて、だから、絶対オニキスもカイトの方が良くて……」「そうなの? それなら渡し」「嫌だ!!」即答したリクに、コダチは目をぐるぐるさせた。「なんでぇえええええ……?」

「リクちゃんサザンドラを渡したいの? 渡したくないの?」
「渡したくない」
「でもカイトリーダーに渡した方が良いってさっき言ってたじゃん」
「う゛」

 目が泳ぐ。コダチは腰に手を当て、ほっぺたを膨らませた。「もー。そーゆーのユージューフダンっていうんだよ!」それから、むーと考え、リクのベッドの端に腰を下ろした。

「あのねリクちゃん。リクちゃんはリーダーのこととか色々言うけど、ポケモンがいいって言うなら、それでいいんだと思うよ」
「ポケモンが?」
「だってヒナタさんのサザンドラって、リクちゃんの言うことぜんぜん聞かないでしょ。リクちゃんのバッジ足りないから」
「……うん」

 高レベルのポケモンは基本的に言うことを聞かない。〝どうして信頼出来ない、実力不足のトレーナーのいうことを聞かねばならないというのか〟と、身勝手に振る舞うのが普通だ。

「嫌なら勝手に出てってるよ。それでも一緒にいてくれるんだから、それでいいんだと思う」

 一緒に。
 サザンドラも、タマザラシも、リーシャンも、エイパムも。バッジを一つも持っていなくても、何もなくても、一緒にいてくれる。
 ぽろっとリクの目から涙が零れた。ぐずぐずとまた泣き出してしまったリクに、コダチは「……なんで泣くの?」とまたもらい泣きしそうになっていた。
 それで良いなら、良いんだと思った。

「強くなるよ」

 ぽつりとリクは言った。

「誰にも負けないくらい。心も、身体も、技術だって、絶対にもう泣かないくらい強くなる」

 約束する、と枕元のモンスターボールと、リーシャンと、リュックの中のサザンドラやサニーゴに呟いた。

「じゃあまずソラ君に勝たないといけないね!」

 コダチが笑った。一気にそびえ立つ現実が迫ってきた。ソラに勝たなければまずこの地方にいられない。引き戻された現実にがくっとなりつつも、両目を擦って頬を叩いた。

「そういえばコダチにも負けたままだったな」
「そういえばそうだね」

 バトルアイドル大会での敗北はまだ記憶に残っている。モンスターボールを見やる。布団に押し込んだリーシャンは、大人しく寝息を立てていた。タマザラシもすぴょすぴょと眠っている。が、片目を開けていたエイパムと目が合った。ボールを手に取り、問いかける。

「お前も本当はソラに負けて、悔しかったんだろ」

 ぷいとエイパムは顔を逸らしたが、バトル直後の態度を見ていれば分かる。元気がなかったし、とても納得しているようには見えなかった。「特訓しよう」ぴく、と大きな耳が動く。リクはあくびをしているコダチの手をとった。

「ふぇ?」
「再戦してくれ。今からフィールドに行こう」
「……えっ」

 コダチの顔が引き攣る。ボン! とエイパムがボールから飛び出し、部屋の扉まで駆け寄った。不機嫌そうにこちらを睥睨する。早くしろ、と顔に書いてあった。
 コダチの目が泳ぐ。

「あのぅリクちゃん……もう夜明けが近いんだけど……」
「ソラに勝つには時間がない。修行だ! 特訓だ! バトルだ!」
「えええええええええええええ」

 リクは握り拳を作って力説し、ずるずるとコダチを扉まで引きずった。

(「ま、今すぐ死ぬわけじゃない。まだ時間はあるさ」)
「今すぐ帰らなきゃいけない訳じゃない。まだ時間はあるんだ」

 俯いてた顔は前を向き、落ち込んでいた瞳には光が戻ってきている。仕方ないなぁ、とコダチが頬を掻いた。

「ソラのポケモンなんだけど、確かキルリア、クロバット、ムクホークといて、で、ひとまずキルリアの対策を練ろうと思うんだけどコダチは確かバトルアイドル大会でソラとバトルしたはずだしその時の技とバトルの展開を参考に」
「ちょっとまってリクちゃん目が怖い目が怖い目が怖い眠いよおおおお……」
「今から寝てもどうせすぐ起きることになるだろ。それであとソラ自身の目的なんだけど」
「ひぇん」

 空はまだ暗くとも、そのうちに白んでくる。目を向ければまたひとつ、見えないものが見えてくる。
 向けることを止めたものは、まだしばらく見えないまま。

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