第七十七話 初恋

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 その想いに彼女が気が付いたのはいつだったか。出会ったときの印象は正直あまりよくなかった。無愛想で、どことなく暗くて何も話してくれない。これからも、ずっとそうなのかもしれないと覚悟していた。それでも、日を重ねるにつれて話してくれる。そして、笑ってくれるようになる。
 最初は単なる友達だと思っていた。仲良くなれたことが純粋に嬉しく、ずっと一緒にいたいと思えた。それが、単なる友情でないと気が付いたのはいつからか。
 気付きたくなかった。気がつかなければ、ずっと胸にしまいこんでおきたかった。こんな想い、間違っていると言ってしまいたかった。気が付いてしまったらこれまでの関係は壊れてしまうのだから。
 それでも、気が付いてしまった。どうしようもないくらいに、この想いを自覚してしまった。もう、後戻りはできない。








「──どう、しよう」

 想いを語り、シオンは胸に手を当てる。どくどくと心臓がまだ波を打ってうるさい。顔も熱くなっている。目の前にいるわけではない。聞かれているわけでもないのに顔をあげられない。まさか、こんな想いを持つとは思っていなかったのだから。

「……」

 フィーナは何も言わない。ただ、黙ってそこに立っていた。微妙な沈黙が流れ続ける。それなのに、星空は嫌になるくらいに綺麗だった。かたり、と音がした。そこにいたのはきょとんとした表情のシレン。

「あれ、シオンにフィーナ。何をやっているの?」

「……えっと、ちょっとね」

 曖昧な言葉でシオンはごまかす。自覚してなお、この想いは胸で渦巻くだけ。

「……明日、早いよ。早く寝たほうがいい」

「う、うん。おやすみ、フィーナにシレン」

 笑顔だけ辛うじて返すと、シオンはバルコニーを一足先に去る。残されたポケモンは二匹。相変わらずバルコニーの柵に両腕を放り出したフィーナ。そしていつもはニコニコしているのに、珍しく硬い表情をしているシレン。

「聞いていたの」

「……聞くつもりは、なかったよ」

 フィーナの低い声に、シレンはお茶を濁したようなニュアンスで返す。その表情にいつものような飄々とした雰囲気はない。いや、むしろどこか怒っているようでもあった。フィーナの表情には影が差し、シレンもいつになくピリピリとしていた。
 やがてバルコニーにいた二匹は数回言葉を交わし、先にシレンが飛び出す。残されたフィーナは、疲れた表情で空を見上げる。ぽつぽつと小雨が降り始める。それが、フィーナのほおを冷たく濡らした。










 どくどくと心臓を鳴らしながら、シオンはギルドを静かに駆け抜ける。走ってなお、感情はどこかに抜けていくどころか一層強く暴れる。今は一秒一秒が怖い。部屋に戻り、相方の顔を見ることが何よりも怖い。それでも、部屋に戻らなければ。そう思って、プクリンの部屋の前を通り──珍しく、部屋の中からぼそぼそと声が漏れているのが聞こえる。一瞬、プクリンの寝言かと思ったがどうも違う。誰かと喋っているかのような。
 シオンは部屋の中をこっそりと覗き込む。プクリンが穏やかな表情でペラップの羽をマッサージしていた。しかし、加減が少し強すぎたのかペラップは顔を何度もしかめる。

「ペラップ、お疲れみたいだね」

「大したことは……っ!」

 押された場所が痛むのか、ペラップは涙目で応える。相当日頃の疲れが溜まっているのだろう。よく見れば、目元の隈もいつもより酷い。きっと、しばらく眠れていないのだろう。

「最近は休んでいる?」

「ご、ご心配なく。ちゃんと休憩は挟めていますっ!」

 びくんとペラップの体が跳ねる。きっと、プクリンが押したツボがかなり痛かったからだろう。

「嘘でしょ? 朝から晩までずっと資料とにらめっこしているの知っているよ」

 プクリンは相変わらずマッサージをしながら優しい声で言う。ペラップはぎゅっと目を瞑って、羽で汗を拭った。

「……ワタシには休んでいる暇なんてありませんから。“磯の洞窟”も、“幻の大地”についても調べないとなりませんから」

 もっと自分がヨノワールと深く話せていたら、とペラップは苦しい気持ちになる。ああいうふうにブレイブを糾弾したり、疑ったりすることはなかっただろう。自分はただ盲目的にヨノワールに付いていくだけだったのだ。プクリンのギルドのNO.2とあろうものがなんたる面汚しか。ブレイブがギルドに帰還したあの日、プクリンが自分をフォローしてくれなければギルドは二分されていたかもしれない。一時の感情に我を忘れて、危うく何もかも台無しにするところだったのだ。だから。

「あの子達に報いるため、今は休んでいる暇なんてありませんよ。親方様、ありがとうございます」

 いつものソプラノのような声は鳴りを潜め、今は疲れ切った声だ。ギルドメンバーの前では普段、そんな声を出さない。そんなペラップの羽を優しくプクリンが撫でた。

「ブレイブは賢くて善良な探検隊だよ。君のことも、もう怒ってはいないよ」

「わかりすぎるくらいに、わかっていますよ」

 ペラップは深くため息をつく。だから苦しいのだ。だから辛いのだ。いっそのこと、責めてもらいたいくらいだった。あのとき、平静を装って話を聞かなければいけない立場だったのに。

「誰だって、間違えるときは間違える。それがポケモンだよ」

「……親方様も間違えるんですか?」

「当たり前だよ。ボクも、そして神様もきっと間違えるんじゃないかなあ」

「そんなことは」

「神であるディアルガすら闇に飲まれて世界を滅ぼすのに加担しようとしているんだよ。誰だって、みんな間違うさ」

 爽やかな声でプクリンは言うと、とんとんとペラップの背中を叩いた。

「今晩はもう遅い。ゆっくり休んで」

「……はい。お休みなさい、親方様」

 ペラップは素直に頷き、扉に手をかけた。シオンは慌てて近くの物陰に隠れる。ペラップはそれに気がつかず、また手に取った羊皮紙を眺めていた。きっと、寝るギリギリのところまで考え続けるのだろう。
 胸にもやもやとした感情が浮かんでいた。先程までの高揚はどこかに消え、今は羞耻で溢れかえっている。ペラップもプクリンも世界の滅亡と戦っている。対して、自分はどうか。一時の色恋に囚われそうになっている。

(黙っておこう)

 今は、今ばかりはこの思いに向き合っている余裕はないのだ。世界の滅亡はこうしている間にも刻一刻と近づいている。自分が色恋沙汰に入れ込んでいる暇なんてないのだ。使命を果たして世界が平和になったら、そのときにゆっくりと考えればいい。





 ──そんな時は絶対に訪れないことを、シオンは知らなかった。








 コータスは軽い足取りで温泉へと戻る。この歳になって、まさか“幻の大地”について知ることができるとは。思うように動かない足がもどかしいくらいだ。元探検隊の端くれとして、挑戦できるものならばしてみたいという気持ちがあった。

「若いとはいいのう。“幻の大地”に挑戦できるのだから」

 歌うようにコータスは言いながらステップを踏む。悔しさはあるが、仕方ないという気持ちがもっと強かった。今の自分にはまともなダンジョンに入るほどの余力は残っていない老ポケモンなのだから。現に軽やかに踏んでいたステップもだんだんと遅くなっている。
 そこで、はてとコータスは首を捻る。なぜか足が一歩も動かない。流石に歩けないほど耄碌はしていないのに。そして、振り返り目を見開いた。

「だ、誰じゃ!?」

「ケッ、待ちな。俺たちに“幻の大地”について知っていることを教えてもらおうか、爺さん」

 コータスの尻尾を踏みつけていたポケモン──スカタンクは下卑な声で言う。

「随分と楽しそうな事を言っていたじゃないか」

「俺たちにも一枚噛ませてくれよ」

 取り巻きであるドガースとズバットが面白そうに言う。だんだんとコータスの顔が青ざめていった。
まさか、追い剥ぎに襲われるとは。

「ま、待ってくれ! ワシは何も……」

「知らないってか? ケッ、ネタは割れているんだぜ爺さん」

 スカタンクはせせら笑って、ぐいと体を引き寄せようとした。そして、毒ガスで意識を失わせようとほおを膨らませる。
 そのときだ。カツーンという音と共に、鈍い痛みがスカタンクの背中に走った。そして、びゅっと空を切る音と共に何かが飛んできてズバットとドガースの顔面にぶつかる。

「──月が美しい夜に誘拐とは感心しませんね」

 どこからか、少し面白そうな声が飛んでくる。スカタンクは痛みに目をしかめながらもあちこちを見渡し、そして高い木に座るキモリを見る。エルドはちゃらちゃらと手元にある鉄のトゲを弄んでいた。

「ひ、卑怯者! 降りてこい!」

「非力な市民を襲う輩に、卑怯者と言われるとは思っていませんでしたよ」

 エルドは苦笑しながらも、トゲを手で弾く。トゲは的確にズバットとドガースに命中して、ぎゃっと声を挙げて崩れ落ちていく。

「いつぞやの行商か。ドロンの種を売っていたな、確か」

「ええ。その節はご贔屓いただきありがとうございました」

 スカタンクの冷たい視線にエルドは余裕綽々といった表情で受け流す。しかし、内心では冷や汗をかいていた。他の二匹はともかく、スカタンクはある程度実力があるポケモンだ。鉄のトゲだけで倒すことなどできないだろう。

「なかなか役に立つものを売ってくれた礼だ。ここで有り金置いたら見逃してやる」

「……魅力的な提案ですが、残念ながらこの身一つ以外支払えるものはないですよ」

「そうか。なら消え失せろ」

 言うが早いか、スカタンクは火炎放射をエルドがいる木に放つ。間一髪、エルドは木を蹴って隣の木へと器用に乗り移る。そして、誰かいないか周囲を見渡して──夜の時間帯、ここには誰も通らないことを思い出した。スカタンクたちが襲撃の場所として選んでいるから当たり前だろう。エルドは汗を拭きつつこっそりと運のなさを嘆いた。不運の方がたまに追いかけてくる気がする。

「もう一ついい案がありますよ。僕もコータス長老も逃がしてくれるというのはどうでしょう?」

「ククッ、論外だ」

 スカタンクは口元を歪めると、再び火炎放射を放つ。エルドはまたも隣の木に乗り移るが、少し体のバランスを失ったせいかガツンと頭をぶつけて落ちかけ、危うく腕一本で枝を掴む。生い茂った葉がエルドの姿を隠してくれているのか、スカタンクはあたりを見渡している。一回この場を抜け出そうと、エルドはそろそろと木から降りて──。

「そこか」

 どしん、と首に走る衝撃に背中が地面に叩きつけられる痛み。うまくスカタンクに体当たりを決められたのだろう。スカタンクの獰猛な笑みが視界いっぱいに入る。

「悪いな。ここでくたばってもらおう」

 ぎゅっとスカタンクは首を締めて凶暴な笑みを見せる。エルドは逆らうように蹴りの一発を放って見せたが、それは何の効果も示さない。ならばとエルドは精一杯皮肉げな笑みを浮かべて見せた。

「見下げた探検隊ですね。“幻の大地”に行く条件をなりふり構わず聞き出そうとするなんて」

「あの程度の弱虫に“幻の大地”なんて似合わないさ。黙って俺に行かせればいいんだよ」

 スカタンクは淡々とした声で続ける。しかし、なぜか苦しみは感じない。妙に冷めた感情が胸を占めていた。

「雑魚のくせに探検隊気取りですか。情けないのでやめた方がいいですよ」

「……もう一度言ってみろ」

「探検隊のくせにギルドに近づかない。せいぜい依頼を他者からぶん取るだけ、その程度の探検隊って言っているんですよ」

「ククッ、あの程度の奴に近づいたら格が落ちるからな」

「それ、嘘でしょ」

 スカタンクの哄笑をエルドは嘲ってみせる。なに、とスカタンクの手が一瞬緩んだ。エルドは困惑で少し揺れた瞳を見つめる。

「探検隊としてやっていく自信がなかったからギルドに近付かなかった。強い探検隊と争うのが怖かったから、初心者探検隊に噛み付いた。そして負けたから、“幻の大地”を目指す彼らの邪魔をしようとしている」

 首を掴んだスカタンクの手は緩んでいる。エルドは丁寧にそれを取り外すと、ぱんぱんと体の汚れをはたいた。

「嫉妬したんでしょ? 自分より若く才気に満ち溢れた探検隊達に」

 煽り立てるようにエルドが言った。その瞬間、スカタンクの体が一瞬大きく膨らんだように見えた。エルドの口調にキレたのか、それとも図星を突かれたからか。どちらかわからないが、火炎放射がゼロ距離のエルドに向かって放とうとして──。

「──不用意が過ぎますよ」

 第三者の声がしたかと思えば、次の瞬間にスカタンクの体はくの字に曲がって吹き飛ばされる。エルドは現れたポケモンが差し出した手を取って立ち上がる。

「助かりました」

「いえ。それよりもあなたらしくないですね。こんなふうに危ないことに首を突っ込むなんて」

 右手にまだ波動を纏わせたリオル──アランは無表情で首を傾げる。エルドは苦笑いを口元に浮かべたが、何も言わなかった。

「……よくも、よくも!」

 激昂したスカタンクがアランに突っ込んでくる。体格の差を活かして一気に押しつぶそうとしたのだろう。しかし、それはアランの実力を見誤っていたとしか言えない。切り裂くを完全に見切り、最低限の移動でかわすと波動が篭った掌底をただ一発スカタンクの腹に叩きつける。スカタンクはぐっと低い声をあげるとその場に倒れこんだ。

「チーム・ドクローズのリーダーですか。確かトラブルメーカーで、他の探検隊からも評判が悪いと聞きました」

「ふざ、けんな! あんな下等な探検隊に、俺の何がわかる!」

 憤怒で顔を毒々しいまでの赤で染め上げてスカタンクは怒鳴る。そして、痛みで思うように動かないだろう体を精一杯引きずって凄まじい表情でアランを睨む。

「てめえらにはわからないだろうな。才能がない探検隊が、どれだけバカにされるか。この歪な探検隊組織の中で、底辺で這いつくばるポケモンの気持ちがよ」

「理解できませんね。ろくな努力もせずに探検隊として挫折し、あまつさえ犯罪に手を出すポケモンの気持ちなんて、想像したくもありませんよ」

 冷たい刃のような言葉で、アランがスカタンクの抗弁を切り捨てる。そして、アランはまだぶるぶると震えているコータスの甲を優しく撫でた。エルドは最後、口の端から唾を飛ばしながら何か意味のわからないことをわめいているスカタンクに一瞥をくれる。起き上がったドガースもズバットも、ただ困惑した表情でスカタンクを見ていた。

「……アランさん、行きましょう。ギルドに帰って明日の準備をしましょう」

「捕まえなくていいんですか」

「捕まえる価値すらありませんよ」

 エルドはため息をつきながら答えた。あれだけの屈辱を受けてまともに立ち上がれるポケモンならば、あんな風にはならなかっただろう。悪党としても悲しいまでに凡愚だ。
 スカタンクは気が触れたように叫び続ける。返せ、戦え、聞け──そんな言葉をだ。それは、怒りと憎しみ、そしてほんの僅かな悲しみが込められた叫びだ。エルドにはアランの綺麗な言葉よりも、スカタンクの痛みに満ちた言葉の方が理解できてしまったのだ。下で這いつくばるしかないポケモンの、その屈辱の咆哮が。
 しかし、それでもエルドはそれを理解しようと思うくらいにポケモンができていない。ただ、黙ってギルドへの道を歩み始めた。ほんの僅かな憐れみと、オレンの実だけそこに置いて。

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