Box.37 Negotiate ―交渉―

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

「どうやって?」

 しばしの沈黙の後、ゴルトは言った。先走る感情を見透かすような問いに言葉を詰まらせる。ゆったりと構えたまま、ゴルトは鷹揚に顎に手を当てた。

「ホムラの名をどこで知った。お前、まだ面識はないはずだろ」
「捕虜の部屋に、テレポートの時……」
「あァそうか。お前だけ急にいなくなって、ポケセンに運ばれてたんだったな。あの時か」

 なるほどなるほど、と合点する。ホムラに会ったことを話したのは、このときが初めてだった。ソラにだって話してはいない。(「心配したよ。どうやってここに?」)(「……分からない。気がついたら、いた」)それ以上は追求されなかった。

「それで? 初対面の相手をぶっ殺そうとは、どうにも穏やかじゃあねぇな」

 ようやっと、すっ飛ばした殺人の可否まで話が戻った。その口元はニヤついていて、殺意を初めて告白した相手と言うより、自分も相手が気に食わなかったのだ、一枚噛ませろ、と囁く共犯者のようであった。非難されるいわれはないだろう? と。しかしポケモン達の強い視線は、正しく発言の異質さを感じさせてきた。タマザラシの、エイパムの、リーシャンの、ムシャーナの視線を感じる。見えない何かの視線さえ感じる気がした。相変わらず反応のないサザンドラの視線だけがないことに安心すら覚えた。滑り出した言葉を止めて欲しかったのかどうかは分からない。「あいつがヒナタの敵で、オレの敵だっていうなら――」踏みしめる言葉に、心臓が絞られる。

「ホムラを殺してやる。許すもんか……あいつらを! こんなことした奴を!!」

 じわじわと昂ぶる気持ちに目尻が熱くなった。浅い呼吸のさなかで、サザンドラの足下へと視線が吸い込まれる。アレは敵対すべき存在だ。記憶の水底からさかんに沸き上がる気泡を見やれば、頭がおかしくなってしまう。感情の違和感を認めれば、どうにかなってしまう。あの時ホムラは、わざと殴られたのだとリクは分かっていた。憐憫をかけられなければ、拳一つ届かない事実が悔しくて堪らない。――結局、彼を止められはしなかったのだから。目はゴルトを必死に見据えていた。他のものを見ないようにしていた。ぽつりと呟く。「敵、ねェ……」

「あいつがどういう奴か教えてやろうか」
「知りたくもない。興味もない」

 顔を背けた。強ばった顔は全ての言葉を拒否していた。

「アカに従う前はマグマ団にいたって言ってもか?」

 バッと弾かれたように戻った目が、ゴルトを凝視する。目尻から滴が振り落とされた。眼前の男の口元に、にやー、と意地悪な笑みが広がっていく。「大事な親友があの後どうなったのか、アチャモがどうなったのか、知りたくないか?」

 血の気が引いた。(――そうだ)嫌がる足先をゴルトへ差し向け、挑むように、怯えた瞳でリクは睨みつけた。破裂しそうなほど心臓が脈打っている。
 彼は言った。

「が、今はまだ駄目だ。話してやらん」

 リクがずっこけた。
 「な、ば、……っ!」文句がわーわーと口元で地団駄を踏んでいる。両手を振り回し、はくはくと口を動かすリクに、心底楽しそうにゴルトがガハハと笑った。

「ホッとしたか?」
「して……っない! あんたは! なんなんだっ!」
「そらぁお前、世の中は等価交換。価値ある情報は対価を要求するモンよ。その方がありがたみが沸くだろ?」

 肩で息をする。額を拭うと、肌が濡れていた。すっ飛んだ緊張感にところどころ、ポケモン達もほっと息を吐きだしたように感じる。ふわっとリーシャンが飛んできた。訴えるようなその目にハッとする。――この問題は、自分だけの問題ではない。仮にリクがウミなんて、ホムラなんてどうでもいいと言ったところで、リーシャンにとってそうはいかない。(……どうして気がつかなかったんだろう)リーシャンの気持ちをちゃんと考えたことがなかった、と目を伏せた。
 リーシャンは海辺でリクを呼び戻したときも、ミナモシティにいたときも、カジノで待っていたときも、ずっとそこで癒やしの鈴を鳴らし続けた。リクがいっぱいいっぱいであればあるほど、彼女は独りで立たねばならなかった。それでもどうして傍にいてくれるのか。――本当の理由など、分かるはずもないけれど。
 過去のツケを払うというのなら、理由など分からなくたって、彼女の生の先を紡がなくてはならない。自分はポケモントレーナーで、今は彼女のパートナーなのだから。

「ごめん」

 リーシャンを腕に迎え入れ、ぎゅっとその身を抱きしめた。「……ごめん」「リ」リーシャンが首を振った。
 タマザラシがころころと転がってきて、足下にぶつかった。「たま!」羨ましそうに見上げてくる顔に笑い、しゃがみ込んで頭を撫でてやった。心地よさそうに目を細める。エイパムがのんびりと歩いてきた。つんつんとリクの腰元を指す。モンスターボールが収まっている。ボールを預けたことを忘れるな、と言いたいようだった。リクはその目を見返し、ポケモン達を改めて眺めた。リーシャン、タマザラシ、エイパム、ツキネのムシャーナ、サザンドラ。
 みな一様に強く生きているように見えて、悩みなどないように見えて、かすかな不安が揺らめいている。それぞれができる事を重ねて、ここにいる。それぞれの信じるパートナーを助けようと、必死に生きているのだ。サザンドラはその過程で立ち止まり、海底へと身を沈めようとしている。
 何かの視線を感じる。同調するように、暗闇のさなかで赤毛の男が肩を叩いた。

(「ま、今すぐ死ぬわけじゃない。まだ時間はあるさ」)

 息をすって、吐く。怯えも恐怖もまだあったけれど――歩く暗闇の道は、独りではない。リーシャンやサザンドラが引き戻してくれたように、タマザラシやエイパムが共に戦ってくれたように、次は自分が手を引く番だ。

「……等価交換なら、条件を教えてください」





 紫煙が立ち上る。
 ベッド上のツキネは目覚める気配もなく、ムシャーナは相変わらずそばに寄り添っている。窓外はひんやりと暗く静まり返っており、室内灯が窓に反射していた。ぼんやりと煙草をくゆらせながら、ボルトは椅子に座っていた。部屋で煙草を吸うなとうるさい声もしない。少しばかり疲れたな、と思った。

「ツキネ様の居室は全面禁煙ですよ」

 姿勢を変えず「かてぇこと言うなよ」と返す。変わらぬ無表情に4・5匹のアンノーンを浮遊させた部下が、蒸しタオルに新品のシーツ、各種掃除道具を満載したワゴンを押してきた。

「災害現場の指揮に小僧の監視、ツキネの世話にと忙しいな、お前」
「恐れ入ります。用事がお済みでしたら、ご退室を」

 お前さァ、とゴルトは煙を吐き出した。

「昔っから、嘘が上手いな」
「――お気づきでしたか」
「まぁな」

 ゴルトは顔を向けた。部下は淡々とツキネの世話を始める。丁寧に、壊れ物を扱うかのようなアンノーンの念力がツキネを持ち上げ、伸びた手がシーツを引っぺがした。シーツの下のほこりやゴミを慣れた手つきで掃きとっていく。

「トモシビの家を出てから貴方に拾われたことは、感謝しております」

 部下は顔色を変えなかった。ゴルトは念力で差し出された灰皿に、灰を落とす。まるで分かっていたかのようなタイミングでの急襲は、内通者の存在を匂わせる。ツキネに近くて信頼されており、ある程度の情報を持ち、トモシビに縁があり、そして内通を悟らせないだけの人物となると、一人しか思い浮かばなかった。

「血には逆らえないって?」
「はい。歴史を身に刻む、アンノーン達がいる限り」

 浮遊するアンノーン達は彼女の手足であり、意思を伝える存在であり、彼女を縛る存在でもある。アンノーン達は正しい歴史を伝える。意味を解するものがいる限り、その傍を離れない。部下はシーツを掛け終わると、そっとツキネをベッドに戻した。

「おおよそ予想はつくが……他に理由があるだろ、お前」
「ツキネ様に対する不満は、今回の事件で更に膨れあがった。貴方の予定より退任を早めざるを得ないはずです」

 部下はベッドに戻したツキネの顔を優しく拭うと、櫛を取り出した。丁寧に梳いていく。

「常人の数倍も短い人生を、このような場所で終えるべき方ではありません。――貴方にだって、押し込める権利はない」

 ゴルトは目を細めた。
 
「無理強いした訳じゃねぇけど?」
「承知しております。ツキネ様が義理堅いことも」

 無表情の鉄面皮は変わらず、口調のペースにも変わりはない。ツキネのジムリーダー就任は、ゴルトの推薦だった。淡々と告げる薄皮の下、母性にも近い愛情と痛烈な批判の気配を嗅ぎ取り、ゴルトは笑った。

「ヒナタが死にゃあ、流石に堪えるだろうな」
「あの男は死にませんよ」

 髪を梳き終わった部下の視線が、ツキネのペンダントに止まる。アクセサリーどころか服にすら頓着しない男の、その首元に収まっているものをゴルトも思い起こした。ツキネの髪の束をくるくるとまとめ、掛け布団を引き上げる。ゴルトに向き直ると深く頭を垂れた。

「処罰は覚悟しております」

 言葉に迷いはない。最初からそのつもりでアカに利用されたのだろうと思った。そして結果が分かっていて、アカも彼女を利用したのだ。

「俺が決めることじゃねぇ。言っただろう、〝支配者を変えるつもりはない〟と」
「いいえ、貴方が裁くべきです。私は貴方の部下でした。貴方に拾われました。貴方に、この街でのルールを教えられたのです」

 じっと、ゴルトは深く垂れた頭を見下ろした。

「ツキネに嫌われたくないからって、俺に縋るんじゃねぇよ」

 ぴく、と肩が揺れた。

「嘘をつくなら墓までつけ。懺悔したいなら本人にしろ。どっちにしたってお前のエゴだ」
「……貴方のエゴは、どうなるのですか」
「そうさ、エゴだ。――それがこの街、俺の愛するゴートだ」

 ゴルトは煙草の火を灰皿でもみ消した。立ち上がると、部下の頭へ大きな掌をのせる。ツキネも部下も、最初に見つけたときはもっと小さかった。ぐしゃぐしゃと頭を乱すようにかき回すと、「あと任せたわ」と言った。扉から出て行く。
 はい、と背後で小さく聞こえた。

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