第57話 選択の時

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ......運命は、どこまで牙を向いてくるのだろうか。
 幼かった願いが、次々と潰されていく。 沢山の大事なものが、崩れそうになっていく。
 そんな中で何度も何度も助けられた。 素敵な温かい言葉を、沢山貰ってきた。

 そして、その度に痛感するのだ。
 

 自分の弱さも勿論だけど、自分を支える仲間がどれだけ心強いのかを。
どれだけ自分が、彼らに寄りかかりたいと思っているのかを。










 「ぜえ......ぜえ......ここまで来れば......どうとでもなるだろ......」
 
 5匹は息を切らしながら、一時的に身を隠せる洞穴に辿り着く。
 ソヨカゼの森は面積的には広いダンジョンだから、奥地にも広いスペースはある。
こんな洞穴も、各地に点在しているのだ。
 
 「追っては、こないよね......」
 「ひとまずな。 多分、縛り玉は効いてる。 いやあ良かった......半分賭けだったんだよ」
 
 レオンはホッと一息つくが、流石に周りもそれに同調出来るような状況ではなかった。 いざ落ち着いてみると、今の危機的な状況がどうしても脳裏を支配してしまうから。 ユズの事も。
 
 「......一旦、整理しませんか。 まずは」
 
 オロルの提案に、イリータとレオンが頷く。
 
 「だな。 正直さっきはパニック状態でしかねぇし......。 奴らも暫くは動けないから、整理するなら今だよな。
 えっと、当初の目的が3匹衆討伐だろ?」
 「ええ。 そしてそこで......ケイジュさんが3匹衆側、しかも黒幕だった事が分かって......」
 「立て続けに、ユズが魔狼の依り代だったと。
 いやあ、そんなの考えに含めらんねぇよ......してやられた」
 
 レオンが溜息を吐く。 多分、この溜息は全員の感情も乗せているだろう。 レオンの推理が的を射ているように感じていたから、更に。 もっとも、これに関して1番悔しさを抑えられないのは彼だが。
 
 「どうしますか、これから。 泣き寝入りって訳にもいかないでしょ?」
 
 オロルが話題をこれからの事に転換させる。 正直、悔やんでも仕方ないのだ。 考えるしか、手はない。
 
 「考えるべきは1つだろ。 ユズを、どうするかって話」
 「えっ」
 
 今までお地蔵のように黙っていたキラリが、レオンの物騒な言葉に反応して彼を見やる。 やはり、いい予感などしない。 キラリも勘が絶望的に悪いわけではないから、何を選択肢として挙げるかは言わなくても分かりきっていた。
 
 「3匹衆とケイジュに関しては捕まえる他無いわけだが......ユズの場合分かんねぇんだよ。
 あいつの本質を考えないとどうにもならない」
 
 本質。 彼の言うその言葉は、2つの事柄をはっきりと示していた。 味方か敵か。 とてもシンプルで、分かりやすい図式。
 でも、それを選びとるのも単純な思考で出来るとは限らない。 味方として取り戻すか、それとも敵として潰すか。 そう、これはユズにとって、キラリにとって、全員にとって......言ってしまえば世界にとって、取り返しのつかない1度切りの選択なのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......そんなの、考えるまでもない」
 
 そこで、ジュリが口を開いた。 その顔はどこか憔悴しているようにも見える。 そして、言葉に棘があった。 初めて出会った時と同じような。
 そして、奇しくも彼の言葉は、その出会った時の事へと遡る。
 
 「ずっと謎だと思っていたんだ。 何故貴様らが来た時にあんな豪雨が降ったのか。 ......魔狼が、村に連れ込まれたからだ。 そしてのうのうと山にまで入って、情報まで明け渡してしまった!」
 
 怒りを内包させた口ぶり。 頭の葉っぱのフードに隠れて目はうまく見えないけれど、それが更にキラリの中の恐れを助長させた。 確かに、虹色聖山に関するユズの行動も魔狼の本能的なものに引き摺られたものだとも思える訳だから、彼の言葉は確かに事実に近いものだと思える。 でも、正直そんなことより、彼女にとってはそこから導き出される結論が何より怖かった。
 キラリにとって都合の良い言葉は、きっと出ない。
 
 「結論などとうに出ている。 消すべきだ。 何が何でも。 奴は敵だ。 この世界を脅かす敵だ。 何を慈悲をかけることがある」
 「なっ......待ってよジュリさん!」
 
 ああ、やはりそうだ。 彼はこういう時に情けは絶対にかけない。 止めなければと、キラリは前に出た。 ジュリはキラリが内容を言う前に、半ば呆れた顔でこう言う。
 
 「......どうせ、そんな事はないと庇うのだろう、貴様は。 馬鹿正直に優しいものだな、何の証拠も無い癖に!」
 
 圧のある言葉に、キラリは一瞬びくりとなる。 だが、押し負けてはいけない。 ここで下がってしまえば、一生後悔する。 なんとか説得できないかと、突破口を探りながら反論するしかなかった。
 
 「それは、そうだけど......でもさ!」
 「そんな私情に耳を傾ける暇なんか無いんだ! 見ただろう、奴は最早ポケモンではない! この世界を脅かす災厄だろう!?」
 「災厄......ユズはそんな事ない、違う!」
 「違うものか! もしかしたら、奴も全部演技だったかもしれないじゃないか! 優しい振りをして居場所を得て、そして最終的には裏切って!」
 「違うったら違う!」
 「......しぶとい......そうだ、だったら奴は貴様のことだって!!」
 「っ! 1回黙っ......」
 「ストップだ!!」
 
 間に入ってきたレオンの制止で、互いの熱が一旦冷める。
 ジュリは怒りの収まらないままレオンを見やり、キラリは少し萎んだような様子になる。 彼女から頭に昇っていた血がすうと引いていく。 不安定な心境からの怒りというのは、何も無ければそのまま暴発する。 レオンの言葉でやっとまともな正気を取り戻したようなものだ。
 
 「今激昂して何になる? あいつらの野望を潰せるのか? 無理だろ? お互い一旦落ち着け。 顔、酷いぞ」
 
 今は鏡は無い。 だが、2匹はそれぞれ自分の頬に触れる。 キラリは今までにないほど自分の頬が強張っているのを感じた。 酷い顔というのは自分では見られないけれど、きっとこういうことなんだろう。
 
 「......あとこれ」
 
 レオンは鞄を物色し、ジュリの方に何かをぽんと投げる。 反射的に彼は「左の」羽で受け取るが、それはナナシの実だった。 食べれば瞬く間に氷を溶かしてくれる木の実。
 
 「右の羽の氷。 まだ全部取れてないだろ? ......痩せ我慢しても痛いだけだからな」
 
 さっきの攻撃で凍りついた右の羽を全員が見やる。 走っていく中で前よりは溶けていたが、氷が残っている部分はかなり多かった。 そしてキラリはやっとのことで、彼も精神的にはまったくもって平常な状態とは駆け離れていることに気づいた。 ケイジュの事もそうだし、冷たさに弱い体に引っ付いた氷は、残る心の余裕すらも奪っていく。 まあ要するに、互いに何の根拠も無く感情的になっていただけなのだ。 心がパンクしそうな状態のままで。 ......そんなものが、まともな判断基準になるわけがない。 彼女は心の中で反省した。
 



 少し間を開けて、レオンが口を開く。

 「お前ら2匹の意見は大体分かった。俺はキラリの意見に全面賛成したい。
 ......なんだけどな、正直きつい。 ジュリ側の意見を俺は捨てきれない」
 「えっ!?」
 
 キラリは一瞬怯む。 彼にまで、その可能性を提示されるのか? その事実が与える衝撃はとても大きかった。 彼女は困惑しながら反論する。
 
 「な、なんで、ユズは演技なんか......」
 「それはそう。 正直演技は無理がある。 演技なら、あんな大仰な叫びは上げない。 ケイジュみたいに向こうにスタスタ行けば良いんだよ。
 問題は、記憶を失くす前のユズだ。 人間としてのユズの全体像だ。 それによって、選択は変えていかないといけない」
 
 どういうことだと、キラリは首を傾げる。 そこに彼の補足説明が加わっていく。
 
 「まず、記憶喪失前のユズが、俺達の知るユズだとしよう。 それなら絶対助けるべきだ。 完全にあいつらに利用されてるのは目に見えて分かるから。
 だが、違ったらどうする? あいつがこの世界の破壊に心から協力しようとしていたなら、話は変わってくる。 あの叫びがポケモンとしての思想と人間としての思想のギャップからっていうのも、充分あり得る。 そうなったら終わりなんだよ。 記憶を取り戻した訳だから、多分助けたところで意味は無い。 ......寧ろありがたいだろうな、世界破壊の面では」
 「......」
 「先天的に悪いポケモンなんかいない。でも、悪い奴っていうのは皆後天的にそうなるんだ。 誰かを傷つけるのを厭わない奴も。 ひいては世界を壊そうとする奴も。 ......そして、それに魅入られて壊れる奴も。 多分、ユズはそのパターン」
 
 世界を壊そうとする奴。 この場合はケイジュだろうか。 ......ユズは、ケイジュに魅入られたと、捉えればいいのだろうか。
 
 「だが、正直完全には分からない。 だからこそ、俺としてはキラリの方には立ちたい。 助けてやりたい......でも、ユズの人間時代を唯一知る男の言葉も嘘とは思えない」
 「......」

 キラリの脳裏に蘇るのは、ケイジュの言葉。 人間としてのユズを......確か、ノバラと呼んでいただろうか。 ノバラという人間としての彼女を知る彼の言葉が、はっきりと脳裏に浮かび上がる。
 
 
 (この世界を壊し切れば終わるんです。 貴方の苦悩だって)
 (これが、彼女の幸福に繋がる)
 (ユズは、いや......ノバラは、元々こちら側です。 勘違いなさらないよう)
 
 
 この言葉が紛れもない事実であったならば。 そうで、あったならば。
 キラリにとっての最悪の可能性が現実味を増していく。
 
 「考えたくはないさ、こんなの。 でも、助けてもユズがこのまま破壊衝動とか何やらに囚われて色々壊してったら......あまりにも惨いだろ。
 そして俺が1番怖いのは、もしかしたら役所側で何かしてくるかもしれないって事だ。 あいつらが、そして世界がユズを災厄と見れば、どっちにしろあいつは終わりだ。 死ぬより酷い目に遭う可能性も捨てきれない。 ......逃げ道は、多分もう無い。
 ユズを生かして拷問に近い苦痛を味わわせるのは、お前の思いとは違うだろ? でも、助けたならば色々なリスクは付き纏う」
 
 そして、少し彼は口籠る。 とても苦しげな顔だった。 眉間にしわを寄せて、歯を食いしばって。 考えたくないという言葉は事実なようだが、彼の中の理性は思考をどうしても強制してくる。
 今までの日々が、戻らないなら。 ユズを待つ道が、どちらも地獄なのなら。 どちらの地獄が、自分達と彼女の両者にとって適当なのかを、考えなければならなかった。 単純な思いで決めるわけにはいかなかった。 いや、出来なかった。 何故かって?
 彼は、大人だから。 善悪の分別をつけて、とにかく善の方へと進もうとする大人だから。
 
 「......覚悟を、決めないといけないかもしれない」
 
 彼の言葉が、重々しく響いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......っ」
 
 キラリは言葉が出なくなる。 もう涙すら湧いてこない。 自分の意見と比べてレオンの言葉に説得力があり過ぎて、反論が出来ない。 でも、いつものようにうんと頷けない。
 こんな時、ユズがいたなら。
 
 (......ユズ、どうすればいい......? あなたはどうしたい......?)
 
 でも、今自分の隣に彼女はいないのだ。 彼女は敵の手中にある。 支えてくれるポケモンがいない。 ......ひとりぼっちのまま自分の意見を貫こうとするのは、想像以上に辛かった。 だって今まで、重要な転機で彼女が孤独になることはなかったから。 黒曜の岩場の依頼の後の件も、ついさっき心が折れた時も、ずっと、ずっと。
 今までのものは全部、答えに納得できた。 彼らの知性的で優しい言葉に頷いて今まで歩いてきた。 だけど今、初めて意見がずれた。 それも、1番頼れる大人の意見と。絶対に答えがずれてはいけない議題で。
 孤立無縁。 その言葉が1番お似合いだ。 暗い絶望感がのしかかる。 悩んでいる場合ではないのに。 こうしている間でも、ユズの心は食われていく。
 
 「......私は......」
 
 諦めるか、諦めないか。 その2択が迫られる。 でも、彼女は動けなかった。 頭の中がぐるぐると回って、ちゃんと機能していなかった。

 レオンの言葉は、ユズのためでもあるのだろう。 世界によってユズが壊されないために。
 ジュリの言葉は、単純に世界のためだろう。 彼の大事なものをこれ以上失いたくないからだろう。
 
 どちらも大切な思い。 どちらも納得は出来る思い。 ユズと世界を天秤にかけた時に、もしかしたら1番いい選択肢になりうるのかもしれない。
 
 (......ユズ)
 
 彼女がこれ以上苦しまないために。 「かつて自分が描いた夢を体現するポケモン」ならば、どうするのだろう。
 心を照らしてあげる。 でも世界の災厄を宿してしまったのはどうしようもない事実だから。 世界のポケモンの心に影を落とす、事実だから。 だから、それを最期にして、彼女を葬る。
 もう戻れない。 時は戻らない。 それならば、彼女が苦しみ続けるよりは、「彼らの言葉通り」そうした方が幸せ?
 その方が彼女が救われるのなら、いっそ──。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ......でも、これでいいのか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ふと、記憶が蘇る。
 
 (......美味しい!)
 (私も来れてよかった。 キラリと一緒に、来れてよかった。 ありがとう)
 
 楽しかった記憶も。
 
 (......分からなくても、ゆっくり答え見つけてこ? 私も、頑張るから)
 
 辛い時に、励まされた記憶も。
 
 (迷惑とか......そんな事ひとっかけらも思ってない! むしろキラリは......私の、1番の憧れなんだぁぁああ!)
 
 勇気を貰った記憶も。
 全部捨てて戦えというのか? 世界の未来のために? 世界によって、ユズを死ぬより辛い目に合わせないために? 選ばなければ、いけないのか? どちらか、1つを?
 
 (キラリ)
 
 また蘇る記憶。 春の日光のベールが窓を通り抜けて、2匹を照らしたあの記憶。 まだイリータ達とも出会えておらず、ユズに関してはレオンの事も知らない。 そんな、小さな初々しい関係だった頃。
 初めて2匹で大笑いした、あの言葉。
 
 (あの、言いづらいけど......願い、2つになってるよ)
 
 ......友達に、なって欲しい。 スカーフを、つけて欲しい。 どっちも、大切な願いだった。 1つだけと言っておいて、どこまでも欲張りだったけれど。 だけど。
 
 (ユズは、笑ってくれた......)
 
 嬉しかった。 心から。 欲張りだとしても受け入れてくれる優しさが、今でも胸に沁みるのだ。 本当に、本当に。 なんて優しい子なんだろう。 なんて暖かい子なんだろう。 弱さと強さを内包して草原でゆらゆら揺れる花のように、彼女は眩しかった。
 ......嫌だ、失いたくない。 一緒にいたい。
 だけど、誰にもユズを苦しめてほしくない。 ユズの未来も、世間の理解も、世界の平和も、全部全部勝ち取りたい。 この手で。
 それに、1つ果たせていない約束もある。 虹色水晶のアクセをまだ渡せていない。
 ......こんな事で、自分の意思が虚弱なだけで、彼女との約束を反故にするわけにもいかない。
 それに、本当にユズは救われるのか? 救われないとは断言出来ないけれど、絶対とも言えないはずだろう?
 
 
 「私は」
 

 そうだ。 やっぱり。
 やっぱり、諦めたくはないわけで。
 足掻く理由ばかりが、欲張りにもどんどん浮かぶわけで。
 

 「ぜっっっったいに、嫌だっ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 全員がキラリを向く。 彼女は痕ができるのではないかというくらい拳を強く握りしめた。
 多分、彼女はレオンのように説得力のある事を言えるわけではない。
 でも、理屈で言いくるめてはいけないものがある気がしたのだ。 根拠も何も無いから、どうにもならないかもしれないけど。 でも、ただただ嫌だった。

 「おじさんの言葉も、ジュリさんの言葉も分かるよ。 分かっちゃうよ。 そうだよねとはなっちゃうよ。
 ......でも、やっぱ嫌だ。 納得なんかしたくない」
 
 しどろもどろだ。 でも構うものか。 声を上げる事に意味がある。
 
 「あのね。 あの時ね。 ユズから涙の匂いがしたの。 気のせいかもしれないけど、そんな匂いがしたの。
 泣いてるんだよ、きっと。 だから行かなきゃいけないの。 倒すんじゃなくて、助けなきゃいけないの」
 
 自分にしか分からない匂い。 それは、言葉では伝わらない。 でも、あれは確かに幻臭ではない。
 
 「......キラリ」
 「おじさん。 おじさんの言葉はいつだって私達を導いてくれたよね。 今回だって、おじさんがいなかったら駄目だったよ。 あのままなぶり殺しだったよ。
 ......ねぇ、でも今回だけは反対しちゃ駄目かな?」
 
 レオンが面食らった表情になる。 そこから険しい顔で、ぽつぽつと問いを出した。 だが、それはキラリにとって大した問題にならない。
 
 「たとえ、俺の言ったことが当たりでも?」
 「うん」
 「その結果、世界にお前とユズが敵だという認識が生まれても?」
 「......ユズを守るよ。 そして説得するよ。 綺麗事だって言われても、何度だって。 というか、敵になるわけじゃないよ。 私は、ユズも世界も、どっちも大事だよ」
 
 毅然として抗う。 そうだ、諦めるな。 絶対に気圧されるな。 今は、今だけは寄りかかるな。
 
 「私は一緒にいたいんだ! 何があっても私は寄り添っていたいんだ! ずっとずっと、ずっと......!」
 
 手を握りしめる。 我儘な感情はどこまでも深くなる。
 
 「欲張りじゃ駄目なの? 小さ過ぎる可能性を信じちゃいけないの? どうしても世界とユズを天秤にかけなきゃいけないの!?
 そんな天秤、あるのなら私が壊す!」
 
 考えること。 全体にとっていい方になるよう理性的に考えること。 それは本当に大事なことだ。 感情的で欲張りな決断は時に、思いもよらない危機を生む。 現にずっとそうだった。 紫紺の森での事も。 黒曜の岩場での事も。
 そう、キラリはどこまでも感情で動くポケモンだ。 でももうそれは否定しない。 感情的に考えるからこそのいいところも、きっとどこかにある。
 
 偽善? 独りよがり? 口だけならどうとでも言える?
 ......そんな言葉、さっきあの生意気な竜から散々喰らった!!
 
 「......私は、ユズと探検がしたい!」
 
 願いを叫ぶ。
 
 「ユズのご飯も食べたいし、一緒にお買い物とか行きたいし、年も越したい! いつなのか私も知らないけど、誕生日だって祝ってあげたい!!」
 
 ぐちゃぐちゃだ。 何の理論もありゃしない。 後ろ立ても無い。 でも、でも。 それでも叫ぶ。
 
 「私は彼女を信じたい。 決めつけとかいけないって知ってるけど、それでも信じたい! ユズは行き場をなくして泣いてるんだって......死ぬ程辛いんだって!」
 
 自分が信じたいものはとにかく信じろ。 かつての己の言葉の意味をここで見失うな。 未来を諦めるな。
 感情を届けろ。 根拠はその後についてくる。誰かを心から想う感情に、悪いものなど無いのだから。
 
 「......とにかく!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そう、全ての記憶が。 ユズに関する全ての記憶が、力強く背中を押してくれる。 血が沸き立つ感覚を覚える。 全ての細胞が震え出すような感覚も生まれる。 心臓も跳ね上がりそうだった。 というか、口から吐き出しそうだった。 でも、退く選択肢は無かった。
 ユズだけじゃなくて、ユズ以外にも、大事なものは勿論ある。 全部全部、捨てる事なんか出来やしない。 だから叫ぶのだ。 荒れ狂う心臓を、悲しみを、不安を制して。 欲張りな願いを。
 そうだ、願わなければ。
 願わなければ、どんな強い力を持っていようと、堅い理論があったとしても......自分の意思なんか、簡単に殺される。 意思無いところに道は無い。
 レオン達の言葉は正しい。 確かに、リスクは少ない。
でも、だからといってこのまま彼らとは違う自分の意思を封殺しろというのか? 自分が諦める事で? 全体の意思に身を委ねて?
 そう思うと、あの命を薙ぐ氷の槍が脳裏に浮かんだ。 そうなったら同じじゃないか。 あの時も、生きるのを半分放棄したようなものだったから。
 同じようになるわけにはいかない。 勿論、答えは否だ。
 諦めてたまるか。
 
 ......自分から、殺されてなんかたまるか!!
 
 
 
 「私は......なにがなんでも、ユズと生きたいっ!!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ──暫しの静寂。
 キラリは1歩たりとも動かなかった。 多分、自分の意見に全面的に乗るポケモンはいないだろうと思っていたから。 ......少しでも躊躇するような動きを見せてはいけなかった。 ここで震えれば、潰される。 そんな気がしていた。
 でも、気を張り詰めていた彼女は気づいていなかった。 ......イリータとオロルは、まだこの件に対して口を開いていなかったことに。
 イリータは溜息を吐いて、突如悪態を吐く。
 
 「......感情論ね」
 
 イリータの言葉に、キラリは頷く。 予想していた反論だ。 でも、あくまで動じない。
 だが、彼女は思わぬ言葉を紡いできた。
 
 「ねぇ、キラリ。 そこに確固たる証拠が有ればいいのね?」
 「え?」
 「ユズが信じられるという証拠。 そこにあなたの強い願いが乗れば、論破出来るわけでしょ? ......まあ、今回は論破というより説得だけど。
 ......任せなさい」
 
 自分の目の前へと躍り出たイリータの言葉がとても力強くて、キラリは目を見開いた。 それに続くオロルが、苦笑して言う。
 
 「はは、君も頑張るよなぁ......。こんな状況だけどさ、キラリがレオンさんに思い切り反論するの、初めて見た」
 
 そう言って、2匹はレオンとジュリの方を見やる。 彼らの背中はとても大きいものに感じられ、キラリの目には涙が滲んだ。
 
 「レオンさん、ジュリさん。 ......ユズは、そんな大それたポケモンじゃないわ」
 
 はっきりとした結論だった。 2匹が静聴に徹するのを見てか、彼女は続けた。
 
 「ずっと前。 合同依頼の時の夜、私は彼女と話したわ。 その時、私がケイジュさんに感じたあの違和感は無かった。 心が読めない不愉快な感覚は無かった。 彼女に悪意が無いのはこれで明白。 あれが自然体で、本来のユズの姿。
 ......ねぇ、闇に魅入られたというのが人間時代での悪意が心に染み付いている事を意味するのなら、記憶を失おうとシミは表れるものじゃない? 私はエスパータイプよ。 悪意には敏感な自信はある。 ユズは、普通のポケモンだった。 ケイジュさんも悪意はうまく読み取れなかったけれど、あれは演技でいいのでしょう? そして、ユズの場合は演技じゃないってもう分かりきっているのでしょう?」
 
 イリータが畳み掛けていく。 ユズ自身は危惧するような存在では無い根拠を並べていく。 理路整然としている訳ではないのかもしれない。 彼女の主観からの根拠である事には変わりないから。 でも、どんな意見だろうがこちらの思いを支えてくれるというのが伝わる。
 そこにオロルも追随してくる。 イリータが作りあげた流れを、より強固なものにすべく。
 
 「ねぇ。 脅威はユズじゃなくて、魔狼なんじゃないですか? 魔狼がいなければ、こんな話題を持ち出す意味はないでしょう? すぐに彼女を助けるでしょう? 魔狼を除けば、ユズ自身に恐ろしい力があるわけじゃないんだから。
 追い出し方は分からない。 でも、探す価値はありますよ。 ユズを潰さなくても、魔狼だけ消し去る方法をね。 世界の知恵を結集させればなんとかなるかもですよ? 結集させるのは簡単です。 みんなやっぱ死にたくないだろうし」

 悪戯っぽく笑う彼の姿には、どこか余裕も見えた。
 強い感情と、理論。 どちらか1つだけでは何かが欠ける。 でも、両方合わされば、どんな欲張りな願いも、そんな風に思えなくなってくるものだ。 いけるという希望を、呼び起こしてくれるものだ。
 優し過ぎる2匹の後ろで、キラリは半ば泣きそうになる。

 「イリータ......オロル......」
 「何やってるのよ。 貴方がくよくよしてどうするの。 ライバルとして恥ずかしいわ」
 「僕らは君の船に乗っかっただけだよ。 僕も本気でどうしたらいいか分からなかったけど......あんな強く言われたら、信じてみたくなるじゃん。 やっぱ。 凄いなぁ、君。
 さて......レオンさん、ジュリさん、何か反論は? 聞きますよ、全部」
 
 はて? オロルが反論を求めるのは、キラリには少し意外だった。 でも、確かにこんなに言っておいて、彼らのこれに対する意見も聞かないようでは不公平だ。 ......いいのだ。 何を聞かれても、毅然と返すだけなんだから。
 
 「.....ハハ」
 
 その時。 レオンが突拍子もなく笑った。 悔しそうでもあり、嬉しそうでもある。 そして、子供を見守るいつもの優しい目つきが、彼に戻ってくる。
 肩をすくめてこう続けた。 笑い混じりの声で。
 
 「やれやれ......完敗だよ、流石にここまで嫌だって言われたら良心は痛いさ。 だよな。 外部からの攻撃も、守ればいいんだもんな」
 「それじゃあ......!」
 「俺も乗るよ。 お前らの作った船にさ。
 ......あんたは、どうしたい?」
 
 レオンの目はジュリの方に向く。 彼は変わらず険しい表情のままだった。 レオンよりも、彼の方が説得が難しいだろう。 キラリは身構える。
 
 「......おい、チラーミィ」
 「だからキラリだってば......何?」
 「貴様、自分の言葉が的外れな可能性がある事は理解してるな?」
 「うん」
 「それでもなんだな?」
 「それでもだよ。 今までのユズの姿には、嘘偽りなんかないから」
 「そうか」

 一呼吸置いて、彼は続ける......かと思いきや、突然キラリに技を使ってきた。 [リーフブレード]をキラリに当たる直前で寸止めする。 流石に葉の刃を突然向けられてしまうと、キラリの全身の毛は震え上がる。 でも、なんとか横に逃げることなく立ち続けていた。
 それを見て、今度こそ彼は言葉を続ける。
 
 「......本気なのは、分かった。 条件付きだ。 助けた結果、もし俺の先程の言葉が真実だったなら、俺は奴を射る。 無論、それを止めようとするだろう貴様もだ」
 「いいよ。 それでも守るし」
 
 キラリは強気に返す。 正直言って、これも愚問だ。
 
 「ならばいいだろう」
 
 彼は手を引いた。 そしてキラリはほっと息をつく。 緊張からの解放なのか、それとも全員が受け入れてくれた嬉しさなのか。 もっとも、真の安心が訪れるのはもっと先になるけれど。
 
 「それじゃあ......うん。 作戦でも立てるか?」
 
 レオンの一声に全員が頷く。 キラリは今一度頬を2、3回叩いて、自らを奮い立たせた。 灰色の頬が少し赤くなる。 でも、こんなのどうってことない。 ユズの方がもっと痛いのだ。 苦しいのだ。 自分を奮い立たせるには必要な痛みだ。
 
 (......待っててね)
 
 どこかに潜むだろうユズの意識に向けて、キラリは語りかけた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 場面は戻って5匹が拘束されている森の奥地。 流石に時間が経てば少し緊張感が薄れるようで、フィニとラケナがぎゃあぎゃあ騒ぐ。 ヨヒラとケイジュはそれを静観していた。 ユズに関しては、相変わらずの苦しみ様。
 
 「あーもう口論ばっかりは飽きたんじゃー!! というかお主は動けないの辛くないのかのー!? ストレス溜まるわー!!」
 「うるっせえじじい! ケイジュさんが待つっつったんだから待つしかねぇだろ!」
 「そうじゃけどのう!!」
 「静かに」
 
 そんな中だった。 耳をひくつかせてヨヒラが口を開く。 フィニはけっと笑って言い返す。
 
 「ん? なんだ? こっちはこのクソジジィを分からせなきゃなんだよ一旦......」
 「いいから黙れ!」
 
 鬼気迫る怒号。
 そしてその直後、何か小さいものが飛んできたと思ったが......「それ」は目の前で破裂し、大きく火花を散らす。 全員の眼前が、明るい橙色に染まる。 そして、大爆発を起こした。 轟音と共に、衝撃波で木々が揺れる音がした。
 
 「けほっ......この感じ、爆裂の種じゃの」
 「はっ......? がはっ、じゃあ」
 「来た......!」
 
 長距離からの奇襲としては、威力の高い爆発を起こすこの種はとても有効だ。 黒いススを被り、拘束から解放された5匹。 フィニとヨヒラはついに来たかと戦慄する。 ラケナは爆発を喰らっておきながら余裕そうに笑う。 そしてケイジュは、恐れるわけでもなく、嗤った。 彼らの執念を。
 
 「なるほどやはり......貴方達は、こう来なくては、ですね。
 姑息な手使わずに出てきてくださいな。 私達は逃げも隠れもしない」
 
 その言葉の後に、キラリ達が茂みから姿を現す。 キラリの目から彼女らの意図を汲み取ったのか、ラケナはまたニヤリと笑みを浮かべる。
 何も予想出来ていないケイジュは、5匹にとって愚問と呼べる質問をぶつける。
 
 「流石の執念だ。 この世界のポケモン達はやはり意地汚いですね......私を、3匹を、そして『彼女』も倒す気でしょう?」
 
 半ば「お前らに出来るわけがない」という自信も見える顔だった。 言葉がねばつくような悪意に満ちている。ここまで邪悪な顔に変貌してくれると、いっそ清々しい。 彼のあれこれは、今は別に頭の中に無い。 そんな事より、今は。 今自分達がすべきことは。
 
 「違う。 あなた達じゃない。
 私達は、大事なポケモンを取り戻しに来ただけ」
 
 キラリがはっきりとそれを否定する。これが、答えだった。 彼女らの導き出した、答えだった。 ユズの過去を何も知らないながらにして、愚直に考えたポケモン達の。
 
 全員の顔に絶望は無かった。 行くしかないのだ。 立ち向かうしかないのだ。 時間は限られている。
 
 空は曇り空。 雨か晴れ、どちらに傾くか。 それは誰も知らない。 神様だって分からない。 ......結末は、自分達で作る。
 大事なポケモンと過ごす健やかな未来のためなら、どんなに意地汚くても足掻く以外に選択肢があるか?
 ──さあ、反撃開始だ。
 キラリは前に手を出す。

 「ケイジュさん......ユズを、返してもらいます!」

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