Box.32 Trust―信頼―

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読了時間目安:13分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 惑い、惑わせ、迷う。言葉を信頼すれば揺らぎ、疑えばまた揺らぐ。
 エイパムはリクの言葉に揺らいだ。元の手を取るか。この小さな手を取るか。リクの腕の中からエイパムは降りた。力を込めてひらりとカジノテーブルに着地し、よろめく。リクが手を伸ばしたが、その手をとらなかった。自身の尻尾で立った。老婦人が言った。「ゲームを続けましょう」リクは伏せた自身のカードを裏返した。5。カードは手札に戻り、レイズをする。もはや数を数えることなどしない。老婦人が最後の1枚を伏せた。

「4」

 笑顔だった。
 彼女の最後の一枚の手札だ。ここでリクがダウトを宣言しなければ、敗北が確定する。エイパムの尻尾が目の前で揺れている。リクは喉を鳴らした――口を、開く。

「ダウト」

 柔い風がリクの前髪を持ち上げた瞬間、尻尾に突き飛ばされた。刹那に十数個の光球がエイパムを取り囲む。「危ない!」エイパムが尻尾を振るう。衝突し、光が断続的に弾け飛んだ――相殺仕切れなかったサイコショックに、床やテーブルへと抉るような衝撃音が降った。小猿の蹴り飛ぶ音がして、テーブルが一際大きく揺れる。チップが宙に舞い、カードが僅かに浮き上がった。テーブルの端へと手をかけ、リクは一気に身を引き上げ確認もせずに叫んだ。

「やっちまえ!」

 瞬間、応えるように小猿の拳がゴチミルの横っ面をぶん殴った。初めてゴチミルが悲鳴をあげた。

「ピーウィイイイ!」
「ききっ!」

 ゴチミルがテーブルから落下する。床につく直前、ピタリと浮かび止まった。わなわなと自身の頬を触り、瞳孔が開く。ぶわっと不可視の圧力が噴きだした。エイパムはテーブルを滑るようにリクの元へと戻り、握り拳の尻尾を構えた。数え切れない黒のチップが床やテーブルへと散らばった。

「ごっちゃん」
「……!」

 老婦人が微笑んだ。圧力が消え、ゴチミルが青い顔でテーブル上へと浮かび上がる。老婦人はパチパチと拍手をした。

「〝ダブルアタック〟でごっちゃんを張り倒すなんて……ふふ、凄いわねぇ」

 そう言って、老婦人は自身が最後に伏せたカードをめくった。
 表になったカードは、5だった。

「あら……あらあら。これは――」

 最初に少しだけ驚いたように瞠目し、エイパムを見た。エイパムが握り拳の尻尾を開いた。カードを一枚持っていた。「あ、あれ、オレのカード?」エイパムに突き飛ばされた際、手札も手放してしまっていた。差し出されたカードを受け取り、リクも目を見開いた。騒動直前の数字は、5。差し出されたカードは、4。「お前、まさか――」エイパムは「何か問題でも?」という顔だ。

「あはははははははははは!!」

 破裂するような笑い声にリクとエイパムが揃って老婦人を見た。おかしくて仕方がないとばかりに、彼女は腹を抱えて笑っていた。目尻に涙を溜めて、甲高い笑い声を上げる。
 
「ふふ、ははははは!! まさか、どさくさに紛れてちゃっかり、ねぇ……ふふはっ! 凄い度胸ねぇ、ゲイシャ!!」

 くっくっく、となんとか笑いを抑えながら、〝すりかえ〟された5のカードを手に取った。ゲーム再開の合図。ハッとしてリクは顔を引き締め、自身の最後の一枚をテーブルに叩きつけた。それを見て、老婦人はまた噴きだした。額に手を当て、伏せた顔の下で忍び笑いを漏らす。
 ぱたりとカードをテーブルに伏せる。置くべき場所ではなく、自分の手元で。

「ダウトはやめておくわ。――貴方たちの、勝ちよ」





 黒のチップが散乱するカジノテーブルで、静かに老婦人はゴチミルを戻した。

「ご苦労様、ごっちゃっん。リクちゃんにゲイシャ、とても楽しかったわ」
「……ゲイシャは、渡さないからな」

 老婦人がきょとんとする。エイパムはリクのそばで、複雑な顔で老婦人を見ていた。彼女は手のひらを口元に当て、今度は上品にころころと嗤った。

「まだ心配なのねぇ、リクちゃん。ゲイシャが私のところに来るんじゃないかって」
「違う。アンタがまだ、ゲイシャに未練があったって、オレは絶対許さない」
「……ふふ」

 老婦人は腰を折り、黒のチップを1枚拾い上げた。

「リクちゃん、約束覚えている?」
「なんの話――」
「リクちゃんが嘘をつかなかったら、黒のチップを1枚あげるって賭け。したでしょう?」

 ギクッとする。何度もダウトで、嘘のカードを暴かれた。確かにしたよ、とリクが吐き捨てる。彼女はにっこりと笑った。

「後悔してる?」
「……あぁ」
「ふふふ、だから言ったでしょう? ……生きていると、後悔ばかりが募る、って」

 老婦人が囁く。

「また遊びましょうね。リクちゃん、ゲイシャ」

 彼女は黒のチップを一枚だけ仕舞うと、友人に別れを告げるような笑顔で、踵を返した。





 その背が見えなくなるまで見送って、人集りに隠れてしまうのを見届けた。そして、息をついた。勝負が終わると観客がやんややんやと拍手を送り、口々に勝手な感想を言い、リクを小突き、次は俺だと相手を迫った。「やらない」とリクはきっぱり言った。エイパムも煩わしそうに尻尾をひらひらさせる。肩を竦め、客が散っていく。

「いつ声をかけられた」

 リクにソラ、ポケモン達だけ残ると、不意にソラが言った。リーシャンは勝負が終わり、瞳を閉じて寝息を立てている。緊張の連続に技の応酬、本当は疲れ切っていたのだろう。リクはそっと撫でると、「別にいつだっていいだろ」と返した。ソラが苦い顔をする。

「今回は危なかった、本当に。勝てたのは運が良かっただけだ」
「……でも、勝った」

 リクは苛ついた目でソラを見やった。エイパムがいなければ危なかった事は分かっているが、ようやく終わった直後にお説教は勘弁して欲しかった。

「お前こそ、変な奴と勝負してたけど大丈夫だったのか?」

 ソラが眉根を寄せたので、ぬいぐるみ抱いてた奴だよ、と補足する。思い当たったソラが言う。

「問題ないよ。それに変な奴じゃない。あれはミミッキュを連れてたんだ」
「ミミッキュ?」
「ボロ布を被る性質があるポケモンだ。相変わらず厄介な特性だよ、まったく……」

 ソラは深くため息をついた。知り合いだったのか、とリクが続けて質問する前に、ソラは「この話はもういい。次は先に相談してくれ」と話を打ち切った。
 ディーラーのアンノーンが念力で散らばった黒のチップをかき集めている。凄まじい数の黒のチップは、さながら黒い海のようだ。粛々と箱に詰められていく。エイパムはそれを眺めていた。その背中に、ソラは大きな独り言を呟いた。

「あの人は一度も、〝戻ってきて欲しい〟とは言わなかったよ」

 分かってると言わんばかりに、エイパムの尻尾がへたりと落ちた。





 直通エレベーターを降りると、扉が開くと同時に駆けだした。ツキネへの挑戦権と言う名の面会権を握りしめ、(「少々お待ちください今は少し混み合って――」「知ってるけど急いでるんだ!!」)時間が経てば値段はまたつり上がる。引き留めるスタッフを押しのけ、ムシャーナは駆ける一同について行き、けたけたと笑う。面会権を印籠のように掲げ凄まじい剣幕で伝えると道が次々開いていく。最上階の最奥の部屋。一番最初にリクが引っ張り込まれた因縁の部屋への扉を少年達は押し開いた。

 ――磯の香りがする。

 部屋中に蔓延する海の香りはリクにとって慣れ親しんだものだったが、あまりに強烈に鼻についた。(……生臭い)どろりと粘膜の内側を撫でるような重たい臭いが充満した場所は、香りそのものが視界を覆っているようだ。巨大なベッドは相変わらず玉座のように鎮座していて、傍にはサザンドラがいて、タマザラシがいて、ボルトがいて、飛び込んできた闖入者を振り返った。

「取り込み中だ」

 珍しいことに、ニヤニヤ笑いを浮かべていなかった。「こちらだって急ぎだ取り込み中だ」と言いかけたが、いっそうに海の香りが深海に近づくものだから、口を閉ざした。ベッド上のツキネは沈黙を保っていて、傍に転がっている真っ白なポケモンに手を当てていた。全身から、仄かな光が徐々に抜けていく――魂が抜けていくように。
 ゴォ、とサザンドラが鳴いた。ツキネが顔を上げた。呆けたような顔で、音もなく滴が、頬を流れて、一言だけ告げた。
 
「死んだ」

 ――部屋の隅に張りついたアンノーンが、耳をそばだてていた。





 随分とあっけなく、逝くものだなとツキネは思った。
 この街では、人もポケモンも、命が軽い。人間が死んでいくのはしばしば目にしたが、ポケモンが死んでいくのは、いつも、彼女にとって苦痛を伴った。良いトレーナーの傍にいるポケモンは天寿を全うするものだと、子供のように信じていたわけではない。だが、太陽のようなあの男と共にいたサニーゴはきっとそうなるのだと、ずっと思っていた。

 読み取った記憶の断片は、

(紙一重の攻防の決め手は彼我の差ではなく思いもよらない横やりで、驚いたような顔と動揺と嘴がサニーゴの胸を貫いた)

 嫌になるくらいのリアルさを持っていて、

(胸を抉る嘴の麓から、耳障りなバルジーナの哄笑が響く)

 呼吸さえ出来なくなるほどの焦燥が込み上げて、

(俺様の勝ちだ! 何も知らない男が濃霧の先で歓呼をあげる。赤毛の男が手を伸ばして届かない手が白の中に埋もれ消えた)

 想像する必要さえない最悪の未来を脳裏に確定させていって、

(呼吸が出来ない。ヒナタを、彼を――直後に炎が身を灼いた)

 憐れな少年の記憶の声が甦る。切れ切れの記憶から、全く同じ声が、全く同じ優しさを持って囁いた。

(「さようなら、コーラル」)

 浮かび上がっては沈む。
 暗い寝室で、いつものように適当に入ってきて、いつものようにあっけらかんと、太陽のようにヒナタが笑って言った。

(「俺がいない時は、頼んだぜ」)

 ――勝手な事ばかりだ。





 視界が捻れた。
 それを観測したのは、スカイハイを中心とした半径数キロ以内のポケモン。最初は目眩かと考える。煩わしそうに顔をひっかくポケモンがいた。次第に捻れは大きく膨らみ、たわみ、こみ上げる嘔吐感に、人間さえも気がつき、その場に吐瀉するものも現れた。コラッタ達が警戒音を発し合い、コイルが戦慄き落下していき、ヤブクロンの群れが示し合わせたように毒ガスを吐き出す。
 ぬらぬらと、ゴートに充満したフェロモンに集った下僕達が狂喜する――月が落ちるときが来た。

「来たね」

 スカイハイ傍のホテル。窓を、白髪の青年が開け放つ。〝Y〟の字のアンノーンが室内で浮遊する。エンニュートは身を夜風に晒すと、水が滴るようにビルの壁を伝い降りていった。青年が腕を伸ばす。赤い鳥が降り立った。溶岩のように深い赤、腹側は降り積もる火山灰の色――「ヤヤ、飛べるかい」〝ヤヤ〟と呼ばれたファイアローが甲高く鳴いた。
 飛び立つ。空間の捻れの震源地たるスカイハイは、既に原型を止めていない。曲線を描いていたビルの上部は、放棄地で繁茂する木々のようだ。ネオンサイトの宿り木達は各々が肥大し/枯れ果て/奇形へと変化し/認識の異なる次元を行ったり来たりしている。

「これは凄い」

 青年が独りごちた。脈動するスカイハイがぶるりと大きな身震いをする。ファイアローがスカイハイへと接近した。下界の人びとにポケモンに、蠢く雑踏集団の中でも愛しいエンニュートはすぐ見つかった――黒い群れが、スカイハイに押し寄せる。
 ほうほうの体で逃げだそうとしていた人間やポケモンが、次々と餌食になっていく。エンニュートとヤトウモリの大群がスカイハイへと大挙していく。既に内部に幾らかのヤトウモリが入り込んでいる。事件に次ぐ事件、サイコメトリが続けばいかに無敵のお姫様といえども、手が回らなくなる時が必ず来る。
 スカイハイがぐっと膨らみ、ポンプのように収縮した。ぎゅるりと雑巾を絞るように細く捻れ上がり、窓という窓から黒い物体を噴き出す。口腔に入り込んだ虫でも追い出すような動きだ。バラバラと落下していく小さな黒い影達は、すぐに宵闇に隠れて見えなくなった。客を追い出したのだ、とピンとくる。彼女の理性と、狂気の狭間で揺れる精神を垣間見た気がした。
 ファイアローが高く鳴いた。翼の合間から炎が顔を出す。ゴートの黒い空にヤヤコマが赤い斑点を落としていく。集っていく。「ヤヤ、いっぱい友達がいるね」ファイアローが得意げに鳴いた。小さな炎達は熱量を増し、密度を増し、無数の雄叫びが革命軍の兵士のように木霊する。
 ヤヤコマが、ヒノヤコマが、一匹の大きな赤い鳥のようにスカイハイ最上部へと急襲した。

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