弔電

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読了時間目安:7分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

登場人物

エンブオー・クライド・フレアジス……夢工房の所長。ヴェスパオール市警の元刑事。
ルカリオ・リン・シェイ……夢工房唯一の従業員。謎多き男。
ミミロップ・アイリーン・ブルーアント……ルカリオ・リンと懇意の女性。引退した大物ギャング、ホルード・“マクシム”マクシミリアンの愛娘。

エレザード・フィリパ・マルクス……今回の依頼者にして、夢工房の入った赤レンガビルの所有者。夫の死をきっかけに、四か月前に失踪した息子のエレザード・ビリー・マルクスとの再会を希求する。
 店を出たその足で、ルカリオはセントラルグレイブのコールセンターに向かった。アーケードの暗闇は毛穴という毛穴をほじくるように寒かった。その冷たい闇は今、南口からの甲高いホイッスルに切り裂かれている。渋滞した馬車を先導する整理員の掛け声と共に。
 もう雪は止んでいた。しかしそれでもまだヴェスパオールはてんてこ舞いしていた。昼間こそ気象監視庁のポワルン達が【にほんばれ】で降雪を食いとめていたが、夜にもなればどうしようもなかった。
 空の高いところで北風が砂塵を巻き上げ、吹き荒んでいた。したがって空道はがらがらに空いていた。飛んでいたのは紺色のポストマンキャップを被ったピジョンとか、覆面警ら隊のヨルノズクくらいのものだ。そんな彼らでさえ百メートルも飛ぶと、地面に降りては身体を小刻みに震わせて暖めるという有様だった。出来ることならば、有翼者達は熱々波々に張ったバスタブか、もしくは三重に巻いた電気毛布の中から出たくないのだ。重力に縛り付けられた種族だって同じことだ。

 アーケードの南口を出てすぐのアグノム・ブルバールも例によって混沌としていた。雪があろうとなかろうと、都会の道路には秩序など存在しないのだ。二車線の道路。分離帯に並び立つ背高いシーヤの樹。ランタン型の橙色街灯。由緒正しい白煉瓦のタウンハウス。蛇のようにうねり連なる酒場のネオンサイン。それらをまとめて三十センチの雪が覆うと、元から混沌とした大通りが今では雪に埋もれた抽象絵画の様相を呈していた。
 ルカリオは通りを右折して三ブロック直進した。足元で荒らされた新雪は黒褐色のコンクリートをモザイク模様に変えていた。そこには色とりどりの毛やら得体の知れないごみくずやらも散らかっていたので、どちらかと言えばジャンク・アートと言い表すべきだったかもしれない。住民のほとんどは裸足で、靴を履く文化もよっぽどなく、それでいてトロピウスやらハスブレロといった南国族ばかりであり、翼がない者はみな店の軒下を飛び渡るしかなかった。ルカリオもその一匹だった。ただし、彼の場合は見知らぬ誰かの毛だの粘液だの、酔っ払いの吐しゃ物だのが足の裏にひっつくのを嫌ってのことだ。歩道と車道の間には“融雪注意”と手書きされたカードがビークイン模様のコーンバーにぶら下がり、一対のパイロンに支えられている。その注意書きは反対側にも置かれ、道路の続く限りに延びて際限が見えなかった。

「融雪隊、通ります!通りますから道を開けて下さい!」

 疲れと苛立ちを隠そうともしない声だった。ほとんど怒鳴っていた。紺色の帯広な首輪をはめたブースター達が、車道の中央から八方に炎を吐いていた。先頭の中年太りが複雑な形のホルダーに入ったホイッスルを弾くように吹き終わると、同じ口で十メートルもの熱線で白く埋もれた道を拓いた。大海原を真っ二つに割ってみせる聖者のように。結構な熱量だったので、ルカリオは融雪隊の足並みに揃えて暖をとった。だが十秒もすると、あまりの遅さに痺れを切らしてさっさと先に行ってしまった。

 * * *

 年中無休のカフェにはいつでも誰かがいるものだ。二十五度の室温とコーヒーの需要が減ることは決してない。人が地球上からいなくなり、空の調子が多少狂ったとしても。セントラルグレイブにあるコールセンターは〈パッチールズ〉という全国チェーンのカフェの奥に併設されていた。カフェは一階にあり、テラス席はなく、二階と三階はこじんまりしたアパートだった。漆喰がところどころ剥げてみすぼらしい。入口の前にある赤杉の短い階段の手すりには観葉植物の鉢が下がっていたはずだが、今ではどこかに姿を消していた。雪が踏み散らされ、板上にまともに残っていない階段を見れば、繁閑のほどは店に入るまでもなく判別した。ルカリオは左側の手すりにつかまり、一段ずつそろそろと昇っていった。
 赤杉の両開きを潜った。文字通り鼻の前でグランブル・マウンテンが砕け散った。香りは顔の遥か後方に漂い、やがて脳の中の安寧となった。店内は申し分なく暖かく、至って静かだった。店内のレコードからは、メテノ&リトル・スリー・バーズの“清き雪に倒れて”が客の話を引き立たせている。客もまた清く正しかった。馬鹿笑いもなく、食器を必要以上に鳴らす音もない。耳をすませばマスター・パッチールが豆を手で挽く音がカウンターの奥から聞こえるほどだ。あとは立ち読み出来る本棚があれば申し分ない。だが、いまだにその手の工夫を凝らしたカフェはヴェスパオールにもない。
 店内の左手奥、四足用の水洗トイレがある廊下の突き当たりにコールセンターはあった。コイルが一匹だけ狭い個室にいて、彼(あるいは彼女かもしれない)に通信先と連絡方法、おおよその通話時間を伝えてようやく電話が使える。普段は電話を使うために長蛇の列が出来るものだが、ルカリオが来たときは運よく誰もいなかった。

「ラーファン州、マシェードヒルに伝言を残したい。十五秒でいい」
「五十リラニナリマス。少々オ待チクダサイ」

 コイルの声は妙に高かった。よく分からないが女かもしれないと思った。彼女は磁石のような腕をぐるぐると回転させて、机に置いた電話機に何かの信号音を送らせていた。
 待つ間、ルカリオは部屋を見回した。冗談抜きに狭い部屋だった。合板のオフィス机と椅子一個ずつ置けるスペースしかなく、尻尾の付け根が扉にひっつきそうだった。部屋の光源は机の右奥に置いたソクノの鉢植えだけだ。ほんのりと黄色く、頼りなく、しなびた光だ。壁と床は無垢杉の定尺張りで、天井は暗すぎてよく見えない。壁には小さなメモがところ狭ましとセロファンで止められ、連絡先と電話番号がこれまた小さく書かれていた。これでは虫眼鏡でも持ってこないと読めない。あるいは本当に虫しか読めないのかもしれない。

「オ待タセシマシタ」とコイルは言った。 「受話器ヲオ取リクダサイ」

 その黒光りする電話機は、机の中心にでんとして置いてあった。電話機には外線も、ボタンやレバーの類も見当たらない。送話器と受話器はそれぞれ分離していた。使用者はラッパのような見た目をした送話器を前に、コード付きの受話器を手に取って話すのである。ルカリオは受話器を取った。取った時に機械がちりんと鳴いた。

「俺だ、ビリー。リンだ。親父さんが亡くなった。近いうちに電話で話したい。これを聞いたら、なるべく早く折り返してくれ。56-A94だ。それじゃ」

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