第55話 狼の目覚め

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

※今回、ショックの強い描写が含まれています。 苦手な方はご注意を。




 さて、誘拐された後の日々について語ると、正直地獄だったといってよかった。
 別に何かされたわけではないけれど、まず部屋から出られないというのが第一にあった。 そして、私達を攫った奴らの会話が微かに部屋に届いてくるのが更に恐怖を誘った。 明日こそ、もしくは1時間後こそ、何か苦しい目に遭うのではないかと。 息が詰まる心地の中、私の精神はその恐怖によってすり減っていった。
 ユイの支えもあったお陰もあり、逃げるチャンスにだけはずっと目を凝らし続けていた。 ただ出口は時折開かれるドアしかないし、そのドアの向こうには人が5人くらいいるというのも分かってきた。 相手も用意周到であるみたいで、正直逃げるのはきついという感想しか持てなかった。 でも、いずれはこれを掻い潜って逃げないといけない。
 ......お母さんは心配しているのだろうか。 あの家は、私がいなくなれば完全に1人になってしまうのに。 それに、私の場合時期的に考えて、丁度クリスマスと誕生日が被ってくる頃だった。 共に祝う者、もしくは祝う対象が忽然といなくなった状況で、あの人は何を思うんだろうか。
 
 「......くしっ」
 
 本格的な寒さからは免れていたけれど、やはり寒いものは寒かった。 毛布をかけても、時々それによるくしゃみがどうしても出てくる。

 「大丈夫?」
 「......うん、ちょっと寒いだけ」

 いつもならくしゃみ1回で大袈裟なとなるところだけど、今はそうともいかない。

 「うーん、くっつき合って寝るとかすれば万事解決なんだけど、時間感覚薄れるからなぁ......実感無いけど今昼だし」

 ユイが見たのは壁にある時計の方だ。 針は大体3時くらいを指しているから、確かに今は昼なのだろう。 ......ここだけに12時間とかの誤差がないのなら。
窓がないわけだから外の太陽の動きも見られない。 この辛うじてあった時計が無かったとしたら、多分時間の感覚は完全に狂っていた。
 
 「......帰りたいなぁ」
 
 どこからともなく出てきた声は、そのまま虚空に消えていった。
 
 
 
 
 
 
 
 そんなある日の夜のことだった。 いつも通り眠りに落ちていた私達だったけど、私は微妙な尿意に襲われぱちりと目覚めてしまった。 ユイを起こさないようにそろりそろりと用を足しに行き、さあ、やっと寝られる......と寝転がった時のことだ。
 
 「......する」
 
 部屋の外から声がした。 私は自然とそちらに耳を傾ける。 終いには、私はドアに耳を当ててこっそり盗み聞きをしていた。 時計は2時を示していたから、相手はもうこちらが眠っていると思っているだろう。 その予想が正しければ、昼よりも「私達に聞かれたくない内容」は話しやすいはずだから、こちらに有利な情報も手に入るだろうと思ったのだ。
 
 「もうすぐ1ヶ月くらい経つけど......どうすんだ? あいつらうんともすんとも言いやしない」
 「なあ、本当に情報合ってるんだろうな?」
 
 ......情報とは何なのか? 私は顔をしかめる。
 
 「合ってるのか、だ? 愚問だな。もっとも、正規ルートで得た情報じゃねぇのは確かだがな」
 「ボスにしては変なことするよな......迷信のためにか弱い乙女を誘拐だぜ? そもそも迷信が本当かも分からないのに」
 「じゃあお前は他の悪の組織見てみろよ。 どんだけ伝説ポケモンに盲信してるんだよっつー話よ。 最近だと、アローラにはウルトラビーストとかいう異世界のポケモンを信じる奴もいるんだぜ? しかも正義面してる財団のボスがだ。
 別にオレは正攻法で攻めたに過ぎねぇよ」
 
 ......まさか。
 嫌な想像が頭をよぎる。 私達に絡む伝説の情報というと、あれしかない。
 
 「まあそれもそうだな......どうします、ボス? そろそろ力づくで吐かせますか」
 「待て、か弱い少女を痛めつけるのはあれだよなぁ......そうだな」
 
 煙草でも吸っていたのか、蝋燭を消すように息を吐く音が、微かに響いた。
 
 「こうしてやろう。 『自分から教えてくれたら』、力づくっつーのは無しだ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......!!」
 
 私は慌ててドアの前から離れた。 例えるなら、静電気が走った時の反射行動のようなものだった。 このまま聞いていてはいけない気がした。
 迂闊だった。 悪寒が止まらない。 別にドアに穴があるわけでもないから、互いの存在を認知できるはずはないと思っていた。 でも、はっきりと感じてしまった。 今、ボスと呼ばれた男の目がこちらを見ていた。 音でもしていたのか、気配のせいかはわからないけれど。 盗み聞きしているのに気づかれたのは恐らく事実だった。
 
 「......嘘」
 
 ふらふらと布団に戻り、頭まで潜る。 さっきの不気味な声の持ち主が入ってくるんじゃないかと思うと怖くて堪らなかったし、もう1つ、話の内容についても震えが止まらなかった。
 
 (絶対、あれは魔狼の話だ)
 
 それなら、伝説だとかなんやらという話にも合点がいく。 私は両手を胸の前に当てた。 動悸の激しさを感じてしまう。 あいつらがどんな経緯で知ったのかについては、正直どうでもよかった。 魔狼についての話を知るのがあの一家だけとは限らない。 私はとにかく、この事件に魔狼が絡んでいるというのがただただ恐ろしかった。 自分の内側が蝕まれるのについては元々怖がっていたけれど、外側から誘拐というものも呼び寄せるなんて想像していなかったのもあって。
 泣きそうになりながら震えると同時に、私は布団から顔を出す。 目線の先ではユイがすぅと寝息を立てている。 その姿を見て、私には1つの考えが浮かんだ。
 
 (......そうだ、元々ユイは関係無いんだ)
 
 魔狼の件は、本当は私1人で背負うものだったのだ。 ユイは善意で付いてきてくれただけ。
 
 (だったら、彼女が攫われる筋合いもないんだ。 一緒に逃げるのは出来なくなるけど、ユイが警察でもなんでも呼んでくれるのなら、私にもチャンスがある)
 
 逃亡への道筋を淡々と作り上げた。 私が本当のことを言って、ユイを先に逃してもらう。 そしてそこから助けを貰って、私も逃げる。 正直、これが1番現実的だと思った。 少なくともユイは傷つけられることもない。 悪の組織を話題に出していたのを考えると、きっと奴らもその類なんだ。 だから、利用される可能性はあれど、こちらが殺されるなんてこともないのだ。
 
 (朝になったら、相談してみよう)
 
 そう決意し、私は身体の震えを抑え眠りについた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「んー......ノバラ、おはよ」
 「おはよう」
 「あれ、早起きだね......」
 「まあ、ね」

 ......眠りについたなんて言ったけれど、正直全然眠れなかった。 動悸を抑えるのにどれだけ苦悶したことだろう。 それほどまでに、昨日のあの数分間が与えた衝撃は大きかった。
 
 「あのね、ユイ、ちょっと話が」
 「ん?」
 
 私は勇気を振り絞った。 ユイなら、きっと受け入れてくれる。
 
 「提案なんだけど」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私は必死で話した。 昨日起きたこと、考えたこと全てを。 まずは、ユイがちゃんと逃げられるように。 その後を追って、私も逃げられるようにするために。
 これが最適解だと思ってた。 きっと、これでいいんだって。 でも。
 
 「......なにそれ」
 
 それが、話を聞いた彼女の第一声だった。
 
 
 
 
 「言葉のとお......」
 「嫌だぜっったい嫌だ! 一緒に逃げようって言ったじゃん!」
 「だから、最終的には」
 「分かるよ、それは分かるよ! でもノバラの方のリスクが高過ぎる! 何が起こるか分からないのに、そんなの笑顔でうんいいよとか言えるわけないじゃん!」
 
 ユイが声を張り上げ叫ぶ。 私は正直どうしてだとしか思えなかった。 最終的に生きて帰れる方を取るべきだろう? 2人で「一緒に」逃げるというのは、チャンスを狭める足枷にしかならないのに。 その疑念に引き摺られたせいか、私も怒鳴りつけてしまう。
 
 「......でもこれ以外に手なんて見つからないよ! 1ヵ月もここにいたのに何もないんだ! このまま待ち続けたところで、痛い目に遭わされるだけなんだよ。 魔狼の事吐けって!!
 平気だよ、大丈夫だから......」
 
 気づいたら、涙が溢れていた。 それと共に、本音もほろりと出てきた。分かってる。 祠を開けたのは確かに2人だ。 でも、ユイの方だけ考えれば、彼女はちょっと悪戯をしただけに過ぎないんだ。
 それなのになんで、巻き添えで彼女も攫われることになるんだ。 ......理不尽だ。
 
 「なんでここまで、ユイが巻き込まれなきゃいけないの......」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「喧嘩かい? 嬢ちゃんら」
 
 その刹那、体に悪寒が走った。 ドアが開かれ、数人がこちらに近寄ってくる。 そのうちの1人についてはカバンも持っていたから、より不気味だった。
 
 「......な、何を......」
 「正直そろそろなりふり構ってられなくてな。 洗いざらい吐いてもらおうと。
 単刀直入に言うか。 魔狼っていうの知って」
 「嫌よ!!」
 
 私の言葉に反論した時と同じ勢いでユイが拒否する。 そう目の前で言われた男は、少しにやついてから「そうですか」とだけ言った。 その顔には、悪意がべったりと張り付いていた。
 そんな顔のまま、カバンから「凶器」を床にばら撒いた。 何本かの鋭利なナイフと、何丁かの銃。
 
 「ひっ」
 
 思わず、ユイの声が漏れてしまう。 先程の勢いは一気に消え失せ、顔が青くなる。 勿論、私の方も。
 男はそんな顔にご満悦なのか、少し嬉しそうにこう続けた。
 
 「分かるか? 殺そうと思えばオレらはあんたらを簡単に殺せるわけだ。......顔を見るにあんただろ、昨日盗み聞きしてたのは。
 もうトレーナーになる歳も過ぎてるだろ。 どうするのが懸命な判断か、分かるよな?」
 
 その言葉にぞくりと震える。 死という概念が一気に自分の背中を舐めてきた気がした。 力づくってこういうことなのか。 どれだけ切り刻んでも、傷つけても、吐かせるつもりなのか。
 
 「......っ」
 
 鉛のように身体は重かった。 強張って、身体は元の柔軟さを失って。
 そんな極限状況の中だ。 私はもう、自分の考えを信じるしかなかった。 言えば、誰も傷つかないんだ。
 
 「ノバラっ、だ......」
 
 ユイの制止も、耳から耳へ素通りする。 私は手を強く握りしめた。 手の平に爪の痕が出来そうなくらいに。
 
 「ほう、言う気になったか?」
 
 はいとも言う気はない。 私は次の言葉を放つために息を溜めた。
 ......多分、この時だろう。 私の未来が一方向に定められたのは。
 
 「......私だ。 私が魔狼の力を持ってる。 ユイは......彼女は私の友達ってだけで、何も関係は無い!」
 「......ほう」
 
 ユイからの言葉にならない苦悶が背中越しに伝わってくる。 でももう遅い。 言ってしまったからには戻れない。 こいつらの良識に、私は命を賭けるしかなかった。
 
 「だから、だから......彼女だけは逃してあげて!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「なるほどなぁ......よく言ってくれたもんだ、偉い偉い」
 
 褒められたところで何も感じなかった。 あるのは、無限に湧き続ける憎悪だけ。 私はその場に立ち続ける。
 
 「関係あるのはお前だけか......じゃあ、こいつは捕らえておいたところでオレらに得は?」
 「......何もない。 分かるでしょう? 捕らえておくのは、私だけでいいんだよ」
 「ノバラ!!」
 「ユイ、ごめん......ちょっと黙ってて。 大丈夫だよ。 絶対......」
 
 そう言って私は奴らの返答を待った。 それに勘づいたのか、相手は姑息に笑う。
 
 「オレらに無益ならこれ以上置いとくわけにはいかないし、確かに逃すのも手だよなぁ」
 
 私は心で何度も頷いた。 お願い、どうか、逃すって言って。 もういっそ死んだっていいから、彼女は助けてあげて。
 
 「でも、こうも思うんだよ」
 
 唐突な逆接に、私は汗を垂らす。 恐れを抱きながら見上げた相手の顔は、最早人間とは思えなかった。
 ......そうなんだよ。 私はやっと、自分の記憶から、ジュリさんがキラリを化け物と呼んだ時の心情を理解できたんだ。
 一瞬で、何の躊躇もなく、自分の大切なものを根こそぎ壊されることへの恐怖。
 その果てしない恐怖など知らず、その相手はこちらを値踏みして舌なめずりをするのだ。 その舌を、渇望の唾液で濡らすのだ。
 こちらの、極上の絶望を喰らうために。
 
 「もし逃げられて誰か呼ばれでもしたら、もっと困るんだよなぁ。
 さあ、最適解はなんだと思う?」
 「......え」
 
 まさか。 いや、でも。 眼前の景色がぐわんぐわん揺れ始めた。 最悪の可能性が脳裏を過った時。
 
 「がはっ!?」
 
 もう1人が、ユイの首を掴んで壁に強く押し付けていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「やめろっ!!」
 
 飛びかかろうとしたが、攫われた時と同じだ。 また違う奴に羽交い締めにされる。
 
 「離して! ......っ、痛めつけるのは無しだって言ったくせに!」
 「それは吐かせる時の話だよ」
 
 こちらを馬鹿にするような言葉に更に怒りが燃え上がった。 抜け出そうと悶えるが、そいつにとって私の力はエネコ同然のようで、ちっとも反応を示さない。 それは、ユイの方も同様だった。
 
 「あんたの考えたことは分かる。 崇高なこったなぁ。 真実を明かして友達を助ける、涙が出ちまう」
 
 床の上のナイフを拾い上げ、悪魔がほくそ笑む。
 
 「でも、そこがガキなんだよな。 警察とかでも呼ばれたら困るんだ。 既に指名手配されてんだから、めんどいことしかねぇ。 ......だったら、消しちまった方が得なんだよ。
 詰めが甘かったな。 2人で魔狼の力背負ってますとでも言った方がまだ賢かったぜ? 生きてはいられるんだからなぁ」
 「......っ、ふざけるな!!」
 
 目には涙も浮かんできていた。 いくら動いてもどうにもならない無力感と疲労が、私の力を奪い取っていく。
 
 「さあ、ユイちゃんっつったよなぁ。 どう死にたい? 1突きでやるか、それとも切るか。 おっと、銃もあるな。 こいつに首を絞められる手も」
 「......!!」
 
 ユイの目に涙が浮かぶ。 そんなこと言われたところで、声が出せないのだ。 悔しそうに、彼女もまた悶え続ける。
 
 「やめろ...... 誰か......誰か.......!!」
 「ははは、残念だよなぁ、敵しかいないのに」
 
 ユイの代わりかのように叫ぶが、それは確かに何の意味もなさなかった。
 
 (何も......出来ない......)
 
 項垂れた。 どれだけもがいてもどうにもならない。 逃れようのないだろう光景ばかりが頭をよぎっていた。 その時だった。
 
 (......魔狼......)
 
 身体の中の唸り声が再発してきた。 いつもは怖かったこの声も、今は救いの声に聞こえた。 これにもう助けを求めるしかなかった。
 
 (お願い......助けて......世界も壊せるんでしょ......)
 
 私は歯を食いしばる。
 
 (だったら......)
 
 懇願だった。 どこまでも拙い思いからの懇願だった。 今までずっと拒絶していた事が全て無駄になると、ヒオさん達の思いが無駄になると分かっていても。
 
 (こいつらだって、壊せるんでしょ......)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 それに呼応するように、喉から何かが迫り上がる。 今はもう、それを止める気もない。 寧ろ歓迎していた。 早く見てみたかった。 この力でユイを助けた後の世界を。
 力のままに。
 本能のままに。
 
 (大丈夫......今なら、やれる......)
 
 自由に。
 優雅に。
 残酷に。
 そう、そうやって自らの手で。
 
 (......潰してしまえ)
 
 
 全ては、私の思うがままに。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 身体を締める力が急に緩くなった。 いや、自分の力が強くなっただけだけれど。 私はそのまま、自分を縛る腕を振り解いた。 そして。
 
 「なっ、おま」
 「......邪魔」
 
 そう言って床にあるナイフを拾い、腕を大きく振った。 自分の手にどす黒いものが見えたのと同時に、赤いものも見えた。
 
 「うあっ!?」
 
 相手の腕に、切り裂いた跡が現れる。 ナイフを見ると、それに呼応するような赤みがあった。 これで、相手の腕を傷つけたのだろう。 でも、驚くべき程何の感情も湧かない。
 
 「な......こいつ......」
 
 それを皮切りに、周りの人間も騒ぎ出す。 これはまずいと思ったのか、自分達が求めていた力が敵に回る恐ろしさを感じたのか。 何人かがナイフを拾って襲ってくる。
 でも、簡単な事だ。 腕を攻撃しておけば、刃物は握れない。 ついでに足も攻撃すればまともに動くのも暫くはきついだろう。
 銃を拾おうとしても無駄だった。 その合間にでも背中を軽くやれば時間を稼げるし、その間に足でも腕でもダメージは与えられるから。
 一応殺しはしない。 殺せば一瞬で終わってしまうから。 苦悶に震えてしまえばいいんだ、外道は。
 
 「ノ、ノバラ......」
 
 いつの間にか首から手は離されていたようで、その部分を押さえながらユイが私の名前を呼んだ。 その顔はどこか恐怖に染まっているようだったけれど、その意味が分からず私は微笑むだけだった。
 すぐに終わらせるから、待っていてと。 どんな微笑み方かは、正直自分にも分からなかったけど。
 
 「お前っ......!本性見せやがったな!」
 
 さっきの悪魔が銃を握った。 でもそれは用を為さなかった。 ......すぐに腕を切っておけば、まともには撃てない。
 
 「ぐあっ......お前......ははっ、悪魔かよ。 正体隠しといてそれはねぇぜ」
 「黙りなさい」
 
 ああ、こいつは性悪だ。 他の奴らは一発で黙ったのに。
 腕にまた一撃。 床にまた落ちていく血が、穢れて見えて仕方なかった。相手の呻き声? 同情なんか湧きやしない。
 
 「......あなたみたいなのがいるから」
 
 そう吐き捨てて、蹴り飛ばした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......あはは」
 
 そこにいる全員がまともに動けなくなった。 大体いいだろうというところで、私はナイフを床に投げ捨てた。 自分に飛んだ返り血には気づいてなかった。 ただただ爽快で、乾いた笑いが漏れてしまった。
 
 「なんだ、最初から怯えることもなかったんだ。 ......使えるじゃん、これ」
 
 魔狼の力。 ずっと怯えていた力。 でも、その必要も無かったんだ。 守るために力を転用出来るなら、これ程有利なことはない。
 
 「ユイ、帰ろう。 あんな奴らに構ってる暇ないよ」
 「......ノバラ」
 
 私の心は晴れ晴れしていた。 奴らへのざまあみろという言葉を心の奥底から放つような顔をして、ユイの手を握る。
 
 「大丈夫。 約束したでしょ? 一緒に帰るって。
守ってみせるよ。 追ってきたって、私が潰せばいいんだ」

 ユイの顔は、困惑に満ちていた。 理由は多分私だろう。 でも、別に悩むことでもないと思った。 いいじゃないか。 お互いにまた笑顔になって帰れるなら。
 ユイも、きっと笑顔で──。

 
 
 
 
 「来ないで」

そこに、毅然とした声がした。 声の持ち主は、勿論ユイしかいないだろう。
 
 「......ユイ?」
 
 私が首を傾げるのとは裏腹に。
 彼女は床にあるナイフを拾って。
 ......その刃先を、私の方に向けた。


 「......私に、近寄らないで」

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 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

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