3-8 静かなる襲撃

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主要登場キャラ
リアル(ピカチュウ)
ヨゾラ(ツタージャ)
デリート(イーブイ)
etc.
 その一瞬、咄嗟に体が動いたのは奇跡だった。

 本来の戦法として、不意を突かれて攻撃を受けた時は防御系の技を使うか、同じように攻撃を打ち返して相殺させることが多い。もちろん回避してもよいのだが、予備動作もなしで接敵した瞬間に放てるような攻撃の威力や、遠距離からの攻撃の威力や速度を勘案すると、緊急回避をするより迎え撃ったほうが後に有利になる。

 そもそもポケモンが放てる遠距離攻撃のレンジには限度があるし、遠ければ遠いほど威力が減衰するのは自明の理である。至近距離で「はかいこうせん」等を撃たれれば回避するほかないが、遠距離ならば時間の猶予はあるし、余裕を持って対処できるというわけだ。

 それなのに、リアルは咄嗟に隣のヨゾラを突き飛ばして地に伏せようとした。まさに本能のままに動いた。どこからか分からない、しかし明確な害意にリアルは完全な回避行動を選んだのだ。

 そしてそれは、事実として最適解であった。

「痛っ!!」

 横から強く押されてバランスを崩し、地面に倒れて悲鳴を上げるヨゾラ。そしてドミノ倒しのようにデリートも巻き込まれて体勢を崩す。その次の瞬間だった。

 
 ──それは、音をも置き去りにする速度で。 


 リアルとヨゾラの隙間のわずかな空間を、何かが猛烈なスピードで突き抜けて行った。

 森にとどろく破裂音。それが聞こえた時にはもう、リアルの顔スレスレを”攻撃”が通過していた。

「ッ……!!」

 勢い良く転がるリアル。敢えて大幅に回転することで衝撃を逃がし、直ぐに立ち上がって攻撃の方向を睨む。

 今のは何だ。確かに今のは攻撃される気配があった。それにギリギリで気がつくことが出来た。しかし……しかし今のは──!

「何も……見えなかったよ!?」

 デリートもすぐに立ち上がり、体勢を整える。地面に転がったヨゾラの手を引いて起き上がらせ、攻撃の飛んできた方向に構えた。その顔は驚き、そして恐怖に染まっている。

 そう、「攻撃」のはずだった。遠距離からの攻撃。ビームか、エネルギー弾か。しかしリアルたちはそれを認識できなかった。透明な攻撃……いや、ただ単純に速すぎたのだ。

「……目に見えない程……速いってのか……!?」

「ど、どうするの……リアル! 今のよく分かんないけど……まだ……!」

 音の方向の茂みを睨んでも、敵の姿は見えない。確かに奇跡的に一度目は躱した。だがリアルの頭の中では危険信号が発せられている。まだ攻撃は終わっていない!

「逃げる。……逃げるしかない……けど……っ」

 じりじりと後ずさる。敵の気配がする。こちらを見られている感覚が消えない。背を向けた瞬間、さっきのような攻撃が体を貫くのではないかという予感。もし当たってしまったら。当たってしまっていたら──
 しとしとと降り出した雨の音だけが森に響いていた。敵の音は聞こえない。

 足が震えていた。今までこんなことは無かったのに。あのメルトと相対した時ですら、体が震えるなんてことは……!

 逃げ出さなくてはいけない。でも身体が動かない。それはヨゾラとデリートも同じだった。敵の方向をしっかりと睨んだまま、固まったように動けない。何も見えない、何も分からないのに本能的な恐怖だけが身体の自由を奪っていた。

「は、早く……後ろに行かないと……!」

「うぅ……リアルぅ……!!」

 必死に下がろうとするデリートの叫び、か細く震えたヨゾラの助けを求める声に、リアルは何も出来ずただ歯を食いしばり──

 それは唐突に起きた。

 突然、攻撃の方向で何かが動く音が聞こえた。慌ただしく擦れる葉の音。そして誰かの遠い話し声がした。

 同時に感じる、微かな空気の隙間。僅かな気配の緩み。視線が、切れた。

「っ……今だっ!!」

 何故だかは分からない。だが今、極限まで研ぎ澄まされた感覚は、敵の意識の逸れを確かに感じ取った。逃げるなら今しかない!
 リアルの叫ぶような号令で、弾かれたように二匹も踵を返して走り出す。ただやみくもに距離を取るために。

「やばい……やばいよ……やばいよ……!」

「何!? 何なの!?」

「今はとりあえず少しでも遠くに逃げろっ!!」

 動けないほどの緊張が解けて、走りながら堰を切ったように感情が溢れ出す。混乱。何が起きているのか全く分からない。このダンジョンに入ってから一度も敵に出会わなかったのは、この強烈な殺意を恐れたからだろう。では一体誰なのだろう? 答えの出ない疑問が、焦りで逸る頭の中を渦巻く。……だが今は逃げるのが最優先だ。考えている暇はない。

 今、追いかけてくる気配はない、が足を止めるわけにはいかないのだ。

 相変わらずダンジョンの敵には遭遇せず、弱々しく降る雨の中を、ただひたすらに木々を掻き分けて駆け抜けた。そして無我夢中で走ること数分。

「はぁ……だいぶ……! ……距離は取れたかなぁっ!」

 息も切れ切れ、ヨゾラがフラフラの足を動かしながら振り返った時だった。

「!? 今度は何だよっ!!」

 静寂の山に響く巨大な衝撃。腹から突き上げてくるような地響き。そして遠くの方で巨大な閃光が走った。
 それはまさに嵐の中で鮮烈に輝く落雷のように、光の柱が森の中から天へと伸びて、弾けた。

「まさかポケモンの技なの!? 訳わかんない!!」

 その衝撃的な光景に悲鳴を上げるデリート。その疑問は三匹とも同じだ。今のはさっきの攻撃の主と同じなのか? それに、あんなに巨大な攻撃が存在するのか……?

 だがそれを考えるにしても今は安全を確保しなくてはならない。

「でも多分相当遠くだ! 何でか分からないけど追ってきてはないし……一回休憩にしよう!」

 数分、だが脅威から逃げる為の全力疾走で、リアルたちはかなり疲労が溜まり、足ももつれて転びそうな程だった。

 ダンジョンの道の先に大きな茂みを見つけ、同時に転がり込む。なるべく身を隠せるように。

 体を引っ掻く葉に小さな悲鳴を漏らしながら、三匹は茂みの陰にピタリと止まり、息を潜める。物音を立てず、気づかれないようにゆっくりと静かに呼吸を整える。心臓の鼓動がいやに大きく響いた。すぐ隣のデリートの顔は、攻撃の方向をキッと睨みながら、そして祈るような表情で。

 聞こえるのはやはり雨が葉を打つ音だけ。……追っ手は、ない。

 誰かが追いかけてくる気配はなかった。ギリギリまで、追撃を警戒して──そして、大きく息を吐いた。

「はぁ……とりあえず一安心……だよね」

 そのデリートの言葉でヨゾラも倒れ込むように寝転んだ。

「もうダメ……もう走れないよ……」

「警戒はすべきだけど……っ」

 荒い息で言葉も続かない。リアルも腰を地に着けて天を仰ぎ、大きく口を開けて息を吸い込む。少なくとも今はもう危険な空気は感じられない。顔面に温い雨を浴びながら、リアルはしばし目を瞑った。

 デリートが疲れ切った顔でバッグを開き、何かを取り出して二匹に手渡す。事前に持ち込んでおいたオレンのみだった。傷を負った時に回復を促すアイテムだが、疲労回復にも役立つだろう。軽い頷きでデリートに感謝を示し、オレンのみにかぶりつく。さっぱりした甘さと仄かな酸味が、疲れによく効く気がした。

 ひとまず息を整え、疲れという目の前の問題が落ち着くと、次に考えるべきことが浮かんでくる。それを口にしたのはデリートだった。

「さっきの攻撃は……一体……」

「リアル、見えた?」

「いや、何も……」

「私も」

 短い言葉で共通認識を確認する。
 つまりリアルたち三匹の誰もが、攻撃を"視認していない"。

「目に見えない程の速い攻撃なんてあったのか……」
 
 少なくともリアルは今までそんな技を聞いたことは無い。もちろん知識不足の可能性も大いにあるが。
 だが妙に引っかかる。確かに速い攻撃。だがそれにしたって"何も見えない"というのは──

「もしかしたら、小さすぎるってことは無い?」

「!……そっか……確かに」

 思い返せば、その気配はあまりに小さすぎた。
 確かにどんな大きさのものでも、とんでもない速さで通過すれば見ることは出来ない……理論上はそうだろう。
 だが攻撃は耳のスレスレを飛んで行ったのだ。ビームのような光もなく、例えばエナジーボールのようなものが飛んできたとしても……あまりに気配は小さかった。音、と言い替えてもいいかもしれない。あくまでも直感的なものに過ぎないが……。

「小さくて……速い……タネマシンガンとか?」

 ヨゾラの言葉に首を捻るリアルとデリート。

「うーん……近いような……遠いような……?」

「タネマシンガンにしては殺意増し増しだったよな」

「増し増しって」

 リアルの言い回しに思わずクスリと笑うデリート。未知の攻撃による緊急事態で緊張していた空気が弛緩する。ただ無意識に恐怖をごまかしているだけかもしれないが──

「ちょっと待ってリアル!」

 と、突然険しい顔でヨゾラがリアルを指さした。その声には真剣味が帯びていて、

「な、なんだよ」

「耳! その耳!」

 ヨゾラのその必死な指摘に、デリートもその指さす方向を見て──ハッと小さな悲鳴をあげ、口を手で押さえた。

「何が…………いてっ」

 戸惑いつつも言われるがままにリアルは手を右耳に伸ばして、触れた。途端に走る小さな痛み。恐る恐るその触れた手を見ると、血が付いていた。

「わぁ……掠ったんだな、多分。まぁそんなに大きなケガじゃ──」

「大ケガだよ!! ど、どうしようデリート!!」

「待って! 多分タオルがあったはず……! 早く血を止めないと!!」

 目の前で慌ただしく動き出すチームメンバーに、リアルは呆気に取られて動けない。大ケガ? いや確かに、直撃していたら大ケガは免れなかったかもしれないが。たかだか切り傷程度でしかないのに……。

「ちょっと待てよ、ほんの少し血が出ただけだろ」

「何言ってんのさリアル!」

 いつになく真剣な顔でこちらを見るヨゾラ。はて、今まで彼がこんなにシリアスな表情をしたことはあっただろうか。
 そしてその口調は何故かリアルだけが分かっていない、と怒っているようで。その理由はすぐに告げられた。

「ポケモンの技じゃ、血は出ないんだよ!」

「………………へ?」

 血が……出ない?
 どういうことだ。いや、血なんて怪我したら出るだろうに。
 そんな疑問が思いっきり顔に出ていただろうか、デリートがバッグから白い布を取り出しながら説明する。

「あのね……ポケモンの技とか、ダンジョンの道具によるダメージじゃ、深い傷は出来ないの」

「傷が出来ない?」

「もちろん、全く体に影響が無い訳じゃないよ? 受けたダメージはちゃんと体内に蓄積されるし、それで死んじゃうこともある」

 それはそうだろう。技を受けたら痛いし、あまりに強ければ死んでしまうし……。
 デリートは正確な手つきで布を細く折り、持ち上げてリアルを呼ぶ。言われるがままに頭をデリートのほうへ傾けると、優しく、しかしきつく耳に布を巻いていく。

「でもね……外傷はほとんど無いはずなの。特に切り傷とか擦り傷は」

「だってほら、僕のはっぱカッターじゃリアルの指は切り落とせないでしょ?」

 ヨゾラの例えにリアルは顔をしかめる。……さすがに物騒過ぎだ。
 とはいえ言いたいことは分かる。「きりさく」じゃ体は切り裂かれないし、「つのでつく」で体に穴が空くことも無いだろう。どれも感覚的なものだが……。

「エネルギーによって出来ている"技"では、基本的に直接身体に外傷は加えられない。ついでに、ダンジョンで拾える針とか枝とかもエネルギーによって構成されてるから同じことなの」

「でもさ、激しい攻撃受けたらボロボロになったぜ?」

 思い出すのは見晴らし山での探検だ。ピジョンと死力を尽くして戦った時、辛くも勝利できたものの、もはやまともに歩けないくらいに傷を負ってしまった。そう、正しく傷だった。

「それはもちろん、ちょっとは傷にはなるよ。でもそれは技の威力というよりは……衝撃そのもの? みたいな……とにかく、血が出るほどの傷なんてないの。……はい、できた」

 そう言ってデリートが耳から手を離した。手で触れてみると、止血の為に布がしっかりと結ばれていた。

「……ありがとう」

「どういたしまして。……ふふ、何だかお揃いみたいね」

 そう言って彼女は自らの赤いリボンに触れた。自分の姿は見えないが、確かにお揃いに見えなくもないだろう。

「……俺の場合は白いけどな」

「じゃあ血で真っ赤に染ったら同じかな?」

「えぇ……」

 照れ隠しのセリフにまた物騒な返答がデリートから返ってきて、リアルはまた顔をしかめた。

「詳しいことは授業で習うはず……って前も言ったっけ」

「つまり、僕らにとっては血は大ケガの印で、そうそう見るもんじゃないの! ……ってリアルはさ」 

 ヨゾラが突然まじまじとこちらを見つめてきて面食らう。今度は何だ、さっきから心臓に悪い……。

「リアルって時々他の国から来たような感じがするけどさ。……もしかして血が日常的だったの? ……それってどんな場所だったのかな……」

「それ……は……」

 予想外の方向からの質問。だがそれはリアルの最も弱い部分を簡単に突いて、そして何も言えなかった。
 自分の過去について、覚えていることは何も無い。だから抱く感傷もほとんど無いし、概念としての故郷を思い浮かべる程度だ。
 目が覚めた時、身体には深い傷はどこにもなかった。せいぜいが葉っぱで擦った擦り傷程度だ。少なくとも日常的に血を流していたわけではないと思う。
 でも事実、血に対する抵抗はあまりない。少なくとも、「この地域」での常識とはズレが起きている。
 並大抵の技では流れるはずのない血。それ故に血は緊急事態を意味する。だが自分にとってはそうではなかった。なら、かつて自分がいた場所は果たしてどんな過酷な地だったのか──

「ま、分からないよね……それをこれから確かめに行くんだし!」

 と、思考がヨゾラの自己解決な回答によって寸断される。それはむしろ僥倖だった。……今何か、考えたくない疑問がすぐそこまで浮かびかけていたような気がした。──酷く怖い疑問が。

「さ、そろそろ行こっか! 今は怖い気配はないけど……いつ敵が来るか分からないしね」

 そう言って立ち上がったのはデリートだ。確かにもう休憩は充分だろう。あまり気は休まらなかったけど。気がつくと雨もやんでいた。空はまだ曇っているが……。
 思考を置き去りにするように、リアルは立ち上がった。今の目標はこの山を抜けること。そして灰色の森に行くことだ。
 だから謎の攻撃のことも、逃げる途中に見た雷のような閃光に何故か親近感があったことも、心に残ったもやもやさえも考えないことにした。

                                *


 静寂の山を踏破、否、通過したころにはもう昼過ぎになっていた。朝四時にギルドを出たのに、ダンジョンに潜っていると時間が過ぎるのはあっという間だ。
 道中は後方からの追撃を警戒しながら進んだが、追っ手が来る気配もなく、そして他の敵ポケモンと遭遇することもなかった。遠征の始めには、長い旅路に手強い敵を想定していたのに、ここまでスムーズだとやはり拍子抜けする。
 とはいえ単純に行路はそこそこに長く、順調に行ってもこんなに時間はかかった訳だが。それに、さっきの襲撃だけで既に順調とは言えないかもしれない。

「やっと抜けたな……」

「色々不気味だったね」

 そう評したヨゾラの言葉は、リアルとデリートの気持ちも代弁していた。とにかく不気味。敵が居ないだけでもこんなに不気味になるものか。

「もはや不気味の山だな」

「……」

 スルーされた。いや、ネタのつもりでもなかったんだけど。

「ね、灰色の森はどのくらいで奥まで行けるんだろ。すんなり行けるかな」

「場所はここからちょっと歩いた先。森自体は小さいみたいだけど……難易度はB。私たちには難しそう。それに……」

「セレビィ、だもんな」
 
 灰色の森の奥深くにいるのは幻のポケモン、セレビィ。もし本当にいるとするなら、そのダンジョンが簡単であるはずもない。ただ、諦める訳にもいかないのだ。何としても会って、自分の過去を確かめる。セレビィは今自分の持つ唯一の手がかりなのだから。
 
「大丈夫、心配ないよ!」

 長旅でもまだやる気に満ちあふれているヨゾラ。彼の言葉に頷き、リアルは歩き出した。
 そして一行は、ついに灰色の森に足を踏み入れる──

                                *


 灰色の森は、濃い霧の立ち込める森だ。
 周囲の天候は関係なく常に周辺は白く煙り、上空から見ても霧の灰色に覆われて全貌は確認できない。事前に調べたところによると、ダンジョン内では少し先の道ですら見えなくなることもあるそうだ。
 実際リアル達が森に入ると、その霧の濃さはあまりに大きな障壁だった。

「はぐれないように……しっかり着いてこいよ!」

「分かってる!」

「着いてくよ!」

 リアルを先頭に、霧の中を進んでいく。辺りはやはり木々に囲まれているはずなのだが、霧のせいでよく分からない。方向感覚も簡単に狂ってしまう。
 そんな中でもいちばん怖いのは離れ離れになってしまうことだ。バラバラになった時の弱さは身に染みて分かっている。

 灰色の森もまた、不気味な静けさに満ちていた。だが、静寂の山とは違い、"気配がある"。何かが待ち受けている感覚。何だか後をつけられているような気もするし、すぐ目の前に誰かが立っているような気もしてくる。
 幸いにして、ここまで回復アイテム等の消費はほとんど抑えられている。戦う準備は万端だが──

(この霧じゃあまともに戦えそうにないな)

 真っ直ぐ進むのすら大変なのに、果たして思い通り戦えるものだろうか。リーダーとしての責任……はまだよく分からないけど、セレビィに会いに行く目的があるのは自分だ。せめて最低限の役割は果たさなくては。
 それに、森に入ってから何かまた別の不安がはいよってくる。何かが怖い? 確かに敵は怖い。だがそれ以上に進むにつれて何かに怯えている自分がいる。
 それは、セレビィに会うこと? いや、もっと根本的なこと──

「大丈夫だよ、リアル。後ろは任せて」

 突然後ろから伸びてきたツタ。それは優しく顔を触り、振り向くとヨゾラがこちらを見て頷いた。心を読まれた……いや、後ろからでもわかるほどあまりに不安そうに見えたのだろうか。

「……ありがとう、ヨゾラ」

 ──本当は、一番怖がりなのに。さっきの攻撃だってヨゾラが一番脅えていて、今も不安なはずなのに。それでも仲間を勇気づけるのは忘れないのだ。

「後ろは守るからねー」

 最後尾からはデリートの声。その姿は微かにしか見えないが。
 自分がここにいるのは自分の過去を追うため。だが自分だけではない。共に戦う仲間がいる。
 なら、今やるべきことは迷うことではない。責任をもって先導し、そして与えられた役割──先鋒として敵と戦う。
 不安は尽きず、それが何であるかもわからないが……それに呑まれるわけにはいかないのだ。

 だから── 

 その瞬間、霧が突然その濃度を増した。どこからかやってくるその灰色は、瞬く間にリアル達を包み込む。それは三匹を分断し、お互いの姿が見えなくなる。

「うわっ!? なんにも見えないよ!」

 視界が奪われ、ヨゾラの声だけが聞こえる。方向感覚もその声だけが頼りだ。
 冷ややかな空気。霧自体の温度だろうか。得体の知れない不安が足元から昇ってくるようだった。

「こんなに突然……意図的……?」

 遠くで何か呟くデリートの声が聞こえた。かなり離れたような気もするが、霧で音も遮られているのかもしれない。チームがバラバラになるのは最も避けたいことだった。むしろ今回はそれを対策しての探検だ。チームの分断が何を生むかは身に染みて分かっている。ともかく、早く合流するのが良いだろう。

「今俺がそっち行く! 待ってろ!」

 声の方向に当たりをつけ、リアルが歩こうとした瞬間。
 その濃霧の切れ間。ゆらりと音もなく影が現れる。リアルの三倍もある高さ。そのポケモンは腕を振りかざし、鋭利な爪をリアルの死角から背中へと振り下ろした。その間僅か数秒。まるで待ち伏せていたかのようにリアルの背後に現れた敵は、霧も相まってリアルの視界から完全に外れていた。
 そして命を刈り取らんとする狙い澄ました一撃は、真っ直ぐリアルへと向かい──

 
 火花が散った。

 
 高々と響き渡るは鋼と鋼の激突する音。不意を突かんと繰り出されたドラゴンクローは、一瞬のうちに反応したリアルのアイアンテールによって阻まれた。
 気配だけで敵襲を感知し、振り向きざまに強烈な一撃を放ったリアル。そして霧の向こうから現れたガバイトを認めて不敵に笑った。
 自分にできることはこの身体能力を生かすことだけ。──だから、無理にでも前を向くのだ。

「俺はこの森の主に用がある。だから……押し通らせてもらう──ッ!」

突如出迎えた巨大な敵に、リアルは果敢に飛び掛かった。

                      
          *


 整理しよう。
 自分は技が出せない。それは、体内で巡るエネルギーをうまく放出できないからだ。これは単純に経験が足りず、無理に技を出そうとすればエネルギーが暴発し、意図しないところから電撃があふれて身体に多大な負荷がかかる。
 それを実感したのは以前の見晴らし山だった。必要に駆られて無理矢理に放とうとしたでんきショック。結果的に敵に大きなダメージを与えることはできたが、自分もまたダメージを負い、直後にはかみなりパンチが出せなくなるほどの反動があった。
 あのエネルギーの使い方は良くない。暴発する電流が身を蝕んでいくのを本能的に感じたし、いずれ身を滅ぼすとシュンも言っていた。しかし、悪いことだけでもなかったのだ。

「”でんきショック”」

 そう呟くように唱えた瞬間、リアルの周りに小さな稲妻が走る。
 だが足りない。敵に攻撃するには、威力も、射程も足りない。その閃光は身構える敵に届くことなく消えていった。まるで首をかしげるようにこちらを見つめるガバイト。
 だがそれでいい。かすかに笑うリアル。
 わずかに生まれた閃光。その輝きは霧の中を反射していくように辺りを照らし出した。威力のないそれは、霧で分断された仲間にとってはこれ以上ない道しるべになる──!

「っ! リアル!」

「そっち!」

 仲間たちが近寄ってくる気配を背中で感じる。作戦成功だ。だがそれだけではない。リアルはもう一つ手ごたえを感じていた。

(負荷が……全くない!)

 負荷がないのは出力の量が小さいから。だがそれには見晴らし山での経験が生きていた。
 あの時、無我夢中で力を振り絞ってエネルギーを放ったことで、リアルは自らの「限界のライン」を知ることができた。つまり一度暴発してしまうラインを感覚的に知ったことで、”それ以下”の火力のエネルギーで運用できるようになったのだ。もちろんより大きくエネルギーを使えるようになったわけではなく、その威力はダメージを与えるには程遠い。だが負荷なく、自由に技を使える。これだけでも大きな進歩なのだ。

 距離を取ったまま様子を窺うガバイト。リアルはもうすぐそこに仲間が来ているのを確認してから、低い姿勢で飛び出した。四足歩行で駆け抜ける。突如視界からリアルが消えることで、ガバイトに一瞬の戸惑いが生まれた。それを逃さない。
 低い姿勢で勢いをつけたまま、リアルは地に這うような体勢からアイアンテールを繰り出す。ガバイトの顎を狙ったアッパースイング。アクロバティックな一撃は完全に敵の不意を突き──空を切る。が、ぎりぎりの回避によってガバイトの体が後ろに大きく傾いだ。焦りの表情が見える。
 今だとばかりにリアルは懐に飛び込んだ。技を出した直後、即座に隙なく動き出せるのは高い身体能力が故である。
 決め技には早い、しかしこの流れなら押し切れる。そう考え、どてっ腹目掛けて体当たりをかまそうとするリアル。しかし直前、後ろに倒れかけたガバイトの右手が微かに光りだすのが見えた。エネルギーがそこに収束しているという証拠。技が来る、そして先ほどのドラゴンクローが脳内をよぎった。

(問題ない、躱せる!)

 視界の端で振り下ろされる手の軌道を捉える。苦し紛れの攻撃など、見えているなら十分に対処可能だ。リアルは半身でその攻撃をいともたやすく回避した。そのはずだった。

「なあっ!?」

 ドラゴンクローは完璧に避けた。しかし直後襲来したのは、予想外の方向から予想外のスピードでの二撃目。注意していなかった左手だ。たまらず横っ飛びに転がり、すんでのところで攻撃から逃れた。当然追撃は叶わず、ガバイトはその間に距離を取って体勢を立て直している。

(何だ、今のは)

 左手を警戒していなかったのは慢心によるものではない。あの体勢で辛うじて撃ち出された右手の攻撃。それが敵の精一杯。そこから左手で追撃できるとは考えられなかったし、してもスピードは格段に落ちるはずなのだ。地に足をつけない状態での技が、どれだけ威力が削がれるか。
 それなのに、二撃目はスムーズに飛んできた。まるで初撃とセット、連続技のように──

「──ダブルチョップか!」

 疑問が氷解して、リアルは立ち上がって額の汗をぬぐった。霧による水滴かも知れないが……。
 勘違いしていた。まさかドラゴンクローではなく別の技だったとは。似た技を二つも所持していないと勝手に思い込んでいたのか……いや、単純にドラゴンクローがもう一度来ると自然に思ってしまったのだ。
 十分に距離を取って様子を窺っているガバイト。既に先ほどの焦りと隙はなく、その姿にはむしろ気迫すら感じられる。これが……ダンジョンの敵だって? かなり手ごわい。

「リアル! っ! 敵だね!」
 
「入って早々……静寂の山とは大違いね!」

 霧をかき分けるようにして飛び込んできたのはヨゾラとデリート。先程のでんきショックを頼りに駆けつけてくれたようだ。そして目の前の敵を視認、臨戦態勢に入る。

「結構手ごわい、気をつけろ! 雑魚レベルじゃない!」

「確かに強そ……」

「やることは変わらない。いつも通りいくぞ」

 さあ、仕切り直しだ。ヨゾラとアイコンタクトを交わし、同時に前に出る。
 リアルが体当たりやアイアンテールを駆使し、それにヨゾラがつるのムチで加勢することで絶え間なく敵を攻撃し続ける。そして後方からデリートが飛び道具やスピードスターなどで援護する。自然と生まれた、チームのこのフォーメーションはガバイトに対しても有効だった。
 
 リアルのアイアンテールはガバイトの体力を削り、時に体勢を崩させる。反撃に転じようとした瞬間、ヨゾラがその手を弾く。そして初めて見る動き、ガバイトが大きく胸をそらして口を開けたその瞬間、

「左右に避けて!」

 俯瞰できるデリートからの的確な指示が飛ぶ。それを聞いて即座に攻撃を中断。二匹が左右に飛び退った瞬間、さっきまでいた場所に「りゅうのいぶき」が猛烈な火力で吹きすさぶ。食らったら大ダメージは避けられない、しかし息の合った連携によってガバイトの攻撃はことごとく防がれていた。
 敵の顔には疲労が見られ、動きも鈍くなってきているのをリアルもヨゾラも直に感じる。
 ──そろそろ頃合いか。

「”スピードスター”!!」

 一定のリズムで繰り広げられていた戦いに、突如新たな攻撃が飛来する。
 それは威力の控えめな特殊攻撃。しかしその真の強みは必中である。

 リアルとヨゾラの両サイドの外側を大きくカーブしながら飛来した星々は、リアルたちの猛攻によって注意が引き付けられたガバイトの視界の外側を通って──顔面に直撃した。
 不意を突いたスピードスターが煌めきを放ちながら炸裂する。今度こそ完全な隙を突いた。大きく後ろに倒れる敵には、反撃の予兆はない。どうやら輝きによって視界をも奪われているようだ。今なら!
 
 リアルは右手を強く握りながら飛び出した。込められる技の力。そして同時に右手に収束するエネルギーの流れ。それは次第に単なる無色のエネルギーから、でんきのエネルギーへと変換されていく。迸る電閃。

 だがその総量はあまりにも小さい。
 自身が把握している「暴発しないギリギリのライン」までしかエネルギーを集めていないからだ。これ以上は制御が効かなくなり、多少威力が上がっても自分へと反動が返ってくる。しかし敵を倒すには威力が足らず──
 だがリアルは一匹ではない。

「デリートッ!!」

「っ……まかせて! ”てだすけ”!」

 飛び出したリアルの叫びに呼応して、デリートの援護が体に満ちる。技を一瞬だけ強化する彼女の得意技。それは、リアルの右手に込められた威力そのものを増幅させる!

 でんきは足りない。だが問題は無い!

 リアルは小さく跳ね、その狙いをガバイトの大きな腹に定めた。今度は外さない。
 そして目の前に敵が迫ったその瞬間、右手の力が臨界点を突破する。ジャストタイミングだった。


「──"かみなりパンチ"」


 その小さなリーチを補うように。全体重をその拳に乗せて、最大限の回転力を加えて叩き込んだ。着弾と同時に爆ぜる電撃。眩い輝きは灰色の森を切り裂き、轟音はくぐもった世界を越えて響き渡る。
 確かな手応えが、そこにはあった。

「────ッ!」
  
 爆心地から飛び退いたリアルは、綺麗に着地。ゆっくりと振り返ると、そこには倒れたガバイトと、ほっとした表情のチームメンバーが居た。
 無事、倒せたらしい。
 そして恐る恐る勝利の右手を開き、握って、開く。身体に残るのは少しの疲労だけ。大きな負荷は、無い。

「良かったぁぁぁ……」

 大きなため息。安心によるものだ。
 実際はほとんど何も変わっていない。暴発しないように小さいエネルギーを使う、という制限を自身に付けただけだ。進歩ではなく、むしろ退歩だろう。仕方がない、そうでなければ将来的にも自分の体を傷つけてしまう。
 だがその小さなエネルギーでも出来ることはあると証明できた。いずれは満足に技を使えるようにならなくてはいけない、でも「その暴発しないライン」を引き上げるためにも、できる限りのエネルギーを使って戦う必要があった。
 まずは第一歩、というところか。

「やったね、リアル!」

 ヨゾラの嬉しそうな声に手を振り、横たわるガバイトを飛び越えてチームメイトの所へ戻る。二匹とも元気そうで、目立ったケガはない。そしていつの間にか濃い霧も無くなっていた。……元の濃さに戻った、という意味ではあるが。

「なかなか強かったな」

「こんなのちょっとしたボスレベルだよ……もしかして、同じくらいの強さの敵がいっぱいいるってこと!?」

 デリートの指摘はもっともだ。今回はかなりスムーズに戦えたが、連戦によって疲労がたまれば勝ち切る自信はない。それこそおだやかな森での通常の敵ならばほとんどが一撃で倒せる。その分たくさん湧いてくるのが厄介なのだが……なんにせよ、この強さが灰色の森での戦いのスタンダードならば今後の戦いは次第に厳しいものになるだろう。

「この霧も厄介だし……さっきのダンジョンよりは難しくなりそうだな」

「そりゃさっきは敵が全く出てこなかったもの」

「そっかぁ。これが今日初めての戦闘だったんだね。朝からだったのに、昼過ぎまでバトルなしなんて思わなかったよ」
 
 そう言うヨゾラに小さく頷くリアル。
 そういえばヨゾラは静寂の山では「敵が出てきてほしい」なんて言っていたなあ……。
 思えば静寂の山も灰色の森も難易度B。敵には今まで出会わなかったのだから、その難しさを味わうのはこれからだということだろう。だがまあ今は。

「とりあえず喜んどこうぜ。セレビィだってきっとすぐだろ」

「そうだね、まずは初勝利! ……かな? これって初ってわざわざ言うものなのかな……?」

「しまらないねー」

 頭にはてなマークを浮かべるヨゾラ。それを見てデリートが思わずクスクス笑った。と、突然彼女が何かを思い出したように手を叩く。

「そうだよ、さっきのリアル!」

「え、なに?」

「ガバイトの隙を見て飛び出したはいいけど、びっくりしたよー! 援護するのはいいけどさあ」

 何だ何だ。あのフィニッシュのタイミングは我ながら完璧だったと思うし、咄嗟の援護要請にもデリートは細かい説明なしで応じてくれた。特に問題はなかったと思うが……。

「だってほら、リアルったら手に電気を溜めてるんだもん、かみなりパンチでしょ?」

「えー? それがどうしたんだって」

 と、相変わらず要領を得ないリアルに対し、ヨゾラがあっと小さな声を上げて頭を抱えた。彼は何かに気づいたらしい。そしてデリートはついにその意味を口にする。

「ガバイト、ドラゴンじめんタイプだよ? でんき技効かないじゃん」

「…………あ」

 …………完全に忘れてた。

「え……まさかリアル、知らなかったの……?」

「いやいやいやいや、じ、じめんタイプに対してでんきが効果ないのは知ってたよ? ただガバイトのタイプを忘れてて……」

「どっちにしろダメじゃん!! なんか倒せたからよかったけど、もしかしたらピンチになってたかもしれないんだよ!!」

「うう」

 デリートの言う通りだ。自分としては完璧な流れで決め切ったと思っていたが、詰めが甘かったということ……あれ、そうするとまさか最後のかみなりパンチは、やっぱりただのパンチで倒したってこと!? 思い出すのはシュンの「殴り倒してるだけ」という言葉。

「なんも変わってないじゃんかあああああ!!」

 がっくりと膝をつき項垂れるリアル。その隣ではヨゾラがきまり悪そうにデリートから目を逸らしていた。

「なに、ヨゾラ……まさかヨゾラも気づいてなかったの?」

「ギクッ」

「……また自分でギクッて言ってる……はあ……」

 額に手を当て、やれやれとため息をつくデリート。だがしばらくして仕方がない、という苦笑に変わり、

「はいはい、次から気を付けてね? 切り替えよ!」

「デリートぉ……」

 優しい表情を見せた彼女に、リアルたちの表情も明るくなる。が。

「またグミを食べさせられたくなかったらしっかりして」

「……ふぁい」

 しっかりクギを刺されてしまった。ヨゾラは何かを思い出したようでブルっと身震いした。トラウマなんだろうなあ……かわいそうに。

「じゃ、早く進もうよ! セレビィに会いに行くんでしょ?」
 
 デリートが手を叩き、リアルも土を払って立ち上がる。
 確かにずっとここに留まるわけにもいかない。あたりを見渡せば相変わらず霧で視界が悪い。いつこの霧がまた濃くなるか分かったもんじゃないし。
 反省はする、でも良い点もあった。やることも見えたのだから、次に活かすとしよう。


 三匹はまた灰色の世界を歩きだした。目指すは時を旅する幻のセレビィ。確実に近づいてはいる。だからどんなに不安があっても彼らの足取りはしっかりしていた。
 だが彼らは気が付いていなかった。彼らの後ろを、気づかれぬようにひっそりと追いかける影があったことに。
 
お久しぶりです、テストも終わったので再開です。今回は文字数多め。
次回、ついに──!!

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