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読了時間目安:6分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 刑期が終わり、刑務所から叩き出された時、ミタビは身も心もすっかりくたびれていた。目からは生気が失われ、なけなしの気力だけで立っているようなものだった。
 しかし、ミタビは私との約束を忘れてはいなかった。脚に力を込めて地面を蹴り、今まで使わないようにしてきた超能力を目いっぱいに使って空を飛んだ。できる限り人の目に触れぬようになどという気を回す余裕はなかった。目を丸くする刑務官の顔を見て、ざまあみろと心中で吐き捨てた。
 随分となまっていた体が、徐々に目覚めていくような感覚を覚えた。体の奥底から力が沸き上がり、全身に巡っていく。吹き付ける風の中でも、寒いとは感じなかった。暖房さえもまともに効かない独房の中で寒さに慣れてしまったのか、それとも寒さに対して鈍くなってしまったのか、ミタビに聞いても分かりそうもなかった。睡眠もまともに取れず眠たい日々が続いたにもかかわらず、ミタビの目は爛々としていた。もはや約束を果たすこと以外が頭にないようで、少し心配になった。私の目的を果たしたら、そのまま死んでしまいやしないかと。
 ミタビと私の脳裏には、ある映像が焼き付いていた。青い空、雪をかぶった高い山、そして眼下に広がる広いジャングル。人の手がほとんど入っていない自然の風景だ。その場所を、すいすいと飛び回っているビジョンだった。木々の間をすり抜け、時には川の澄んだ水の中に潜って泳ぎ、空高く昇ってくるりと宙返りをする。それがニノマエの、ミュウの見た映像だと感覚で分かった。私がミタビの中で生きているように、私の記憶の中にもまたニノマエが生きている。体の大部分を失ってもなお、遺伝子に刻まれた記憶はどこまでも受け継がれていくのかもしれない。
 その場所がどこにあるのかは、私の心臓が教えてくれた。元はニノマエの細胞から作られた身だからだろうか、心臓に僅かな引力を感じるのだ。ミタビもそれを感じるようで、惹かれる方向へひたすら飛び続けた。ずっと飛び続けるわけにもいかず、時々地上に降りては食べるものを探して食べ、安全な場所を探して眠った。
 ミタビは人の作ったものを採るのは泥棒だといって、人の手のかかっていないきのみばかりを選んで採った。刑務所での食事が少なかったせいか、ミタビはほとんど食べようとしなかった。あまりにも少なかったので、いくらかは私がむりやり口に押し込んで、噛んで飲ませた。食べておかなければ、いつエネルギーが切れて飛べなくなるか分かったもんじゃない。
 寝床探しは食料探し以上に大変だった。陸続きの場所では適当な洞穴や木の洞などを探すのだが、大抵は野生のポケモンが住み着いていた。私が話をつけて休ませてもらうこともあったが、住処を追われると勘違いしたポケモンに襲われることもあった。民家に頼んで泊めてもらうこともあり、そのときはミタビが交渉に当たった。金目の物は持ち合わせていなかったので、泊めてもらった家の手伝いをすることで一宿(運が良ければ一、二飯)の礼とした。見ず知らずのミタビを快く泊めてくれる家はあったが、やはり素性が知れないのと、刑に服していたこともあって断られることも少なくなかった。海の上ではどこかに降りるわけにもいかないので、数日休まずに動き続けることもあった。せめてもの策として、私が体を動かす間にミタビは休み、ミタビが体を動かす間に私が休むという交代制をとった。精神を休めることはできても体の疲れは溜まる一方で、島や陸地を見つけたときにはぐったりと横たわり、しばらく動けないこともあった。飛んで海を渡るスバメやキャモメたちのすごさを感じるとともに、改めて人間の脆さを痛感した。以前の私の体ならば、ほとんど休まずとも目的地に辿り着いていたことだろう。しかし今はミタビの体。いかに不便であろうと、この体によって生かされているのだから文句を言っても仕方がない。

 かくして、我々は目的の場所に辿り着いた。刑務所を出てからどれほど時間がかかったのかはもう分からない。それでも我々の中にあるビジョンとその場所が一致することが分かった瞬間、全身にこれ以上ない程の喜びが駆け抜けた。とうとうやってきたのだ。私のルーツに出会うべく、私の記憶に残るこの場所へやってきたのだ。達成感とは裏腹に、全身の力が抜けていった。ニノマエを探すにしても、一度休んでからでなければならないようだった。それでもいいと思えたのは、思い焦がれた場所にいる安心感か、生存本能がここで休んでおかねば命が危ないと叫んでいるのか。どちらにせよ、私の心には随分と余裕ができているように思えた。ミタビと服役を始めた頃の、触れれば爆発してしまいそうな危うさは、長い時を経て風化したようだった。
「シタナガ、呼んでるよ」
 ミタビが顔を上げて言った。
「ああ」
と私は応えた。応えるので精いっぱいだった。
 我々の視線の先で空間がぶれて、生き物が一匹現れた。
 青い瞳、長い尻尾、全身を包む桃色の毛。
 こうして対面するのは初めてだというのに、これが初めだてとはとても思えなかった。
 私はこのポケモンの細胞から生み出されたのだ。いうなればこのポケモンは私の「おや」なのだ。霞み行く意識の中で伸ばした手に、小さな手がそっと触れた。
「ミュウ?」
「やっと会えた。私のルーツに」
 私は呟いて、目を閉じた。ミタビはもう応えなかった。
 口角が自然に吊り上がる感覚を最後に、私は意識を手放した。

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