第52話 嘘だと言って欲しかった

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 嘘だと言って欲しかった。
 でもそれは叶わなかった。
 残酷な真実を前に、逃げ惑うことしかできない事実。 どんなに、苦しいことだろう。 もどかしいんだろう。
 ......でも、知ってしまった。 その苦しみを。
 
 こんな心の痛み、知りたくなかった。




















 「まじ、かよ」

 暫しの沈黙を破ったのはレオンだった。 驚きを超えて、最早笑みすらも顔に浮かんできていた。 もっとも、それが畏怖を込めたものだというのは確かな話だけど。
 当事者ははあと溜息を1つ。

 「......ねぇラケナ。 普通不利になったら〜とか聞きます? ヒヤヒヤしたんですけども」
 「ぬふふ。 ちょっと意地悪してみただけじゃよ。 お主が見事に演技してるからのう、邪魔したくなっちゃって」
 「はあ、本当に......貴方はたまに敵味方の判別が付かなくなる」
 
 けろけろ笑うラケナと、横でそれに呆れるケイジュの姿。 あり得ないように見える光景だけれども、やはりそれは現実のものだった。 その現実は、6匹の受ける衝撃を強めるのにはあまりに十分だった。
 
 「......どうりで、心が読めなかったわけだわ」
 
 キラリが声の方を振り向いてみると、イリータがとても悔しそうに眉間にしわを寄せていた。 彼女の言葉の真意を考えてみると、ケイジュとイリータの初対面の時に彼女が発した、あの意味深な言葉が元なのだろうと分かる。
 
 
  『......まあ強いて言うなら、中々掴みどころがない感触......とでも言おうかしら』
 
 
 ......よく考えれば、イリータがそう感じた理由も納得できる。 あの3匹を束ねる者としての思考を簡単に読まれてしまっては、それは困るだろう。 意図的にうまく隠していたのかもしれない。 紳士的で、優しくて、誰からでも信頼を得られるようなポケモンに、自ら仕立て上げていたのかもしれない。多分、村にいた頃から。 だって、余所者という立場でも、彼はユキハミのような多くのポケモン達に信用されていたから。
 
 (......にしても......嘘でしょ)
 
 やはり、あまりに受け入れる難易度が高すぎる。 希望を見出そうと努力しようとした矢先のことだったから。 ラケナのことだけでもショックなのに、どうして悲しいことは次々と積み重なって、どうしようもないくらいに膨れ上がっていくのだろうか。
 励ましを求めてしまうキラリはユズの方を向くが、彼女の顔もまた真っ青だった。 力の反動とこのショックが同時に来ているのか、立っているのも辛そうに見える。 たまらず、心配の声が出てしまう。
 
 「......ユズ? 平気?」
 「......なんとか。 でも、どうして」
 
 キラリは、ケイジュと特別何か関わりがあるわけでもなかった。 寧ろ、関わりが深いのはユズの方だ。 キラリは安易に励ましを求めた自分を恥じるのと同時に、ユズの気持ちに同情する。 それはそうだ。 さっきまで肩を並べて戦っていた相手だったから。 味方であるはずだった、相手だったから。
 
 「探してる相手がいるって......言ってたのに......」
 
 探している相手。 これはキラリは初耳だった。 でも、ユズの顔を見れば、彼がこの言葉をどんな様子で放ったのかは簡単にわかった。 その相手に会うために、懸命に努力しようとする声色だったのだろう。 それなのに。
 
 「嘘だって、言ってよ」
 
 紳士的な行動は偽りで、優しげな言葉の中身は虚無で。
 ......透明なグラスのようにも思えた彼へのイメージは、暗いスプレーのような不信感で塗りつぶされていった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......はは」
 
 どこかから、この状況にそぐわない笑い声が響く。
 
 「あっははははははははっ!!!」
  
 そこからの大笑い。 その方向を見てみると、笑っていたのはジュリだった。 普段、こちらの前では笑ってる姿を全然見なかったというのに。
 だからといって、喜ぶわけがないのだ。 こんな辛そうな笑いを聞きたかった訳じゃないのだから。

 「......ふざけるな。 なんだその顔。 嬉しいか? 俺達を騙し通せてそんなに嬉しいか」
 
 罵るように彼は言う。 彼の顔は嗤っていた。 どこか、底知れぬ狂気があった。

 「ずっと、ずっと嘲笑ってたんだろう。 そうだよなぁ、一度村を壊されたというのに、そういう類の奴をまた招き入れたんだもんなぁ」
 
 苦しさと怒りと悲しみがごっちゃになっている。 そうだ、関係性は最悪であっても1番側にいた時間が長かったのは彼だ。
 それに、彼はケイジュが村のポケモンに対して基本的に紳士的な態度で接していたことも知っている。 だから村のポケモン達は、今となれば彼を信用している者が殆どなのだ。 長老でさえも、だ。 そこから醸される胡散臭さも彼がケイジュを嫌っていた理由の1つではあるけれども。
 でも、その行動が、偽りの優しさが。 彼が村を拠点にして、自らの目的のための準備を行うというものであったという事実が、より苛立ちを強めていく。 これでは、操り人形となんら変わらないのではないのか?
 増幅された怒りが、彼の理性を蝕んだ。
 
 「......せめて貴様を、力づくでも追い出していればよかった」
 
 もはや結果論に過ぎない後悔の言葉。 それを口にした途端、彼の身体がゆらりと揺れる。 そして、[ブレイブバード]でケイジュのところに突っ込もうとする。 地面を力任せに蹴ったので、砂塵が大きく飛び散った。
 
 「なっ......おいよせっ!!」
 「この裏切り者があぁぁぁっ!!」
 
 レオンの制止も届かず。 飛びながら[リーフブレード]の構えを取り、ケイジュの方向へとまっしぐらに向かっていく。
 だが、その視界の狭さが仇になる。 ケイジュが右腕を後ろに隠して、指に力を溜めるのには気づけなかった。
 
 「相性有利だからといって、油断してはいませんか」
 
 ケイジュは1歩も引かなかった。 攻撃が、あまりに直線的なのだ。 当たる直前に、ひらりと横に飛び退いた。 ジュリは渾身の攻撃を躱され、憎悪のこもった顔でケイジュを見上げる。
 
 「貴様......!」
 「......他愛もない。 力があっても、感情に身を任せて自滅するのが貴方だ」
 
 そしてそのまま、力を溜めていた右手から放たれる[れいとうビーム]。右の羽に直撃し、無慈悲にも凍りつく。
 
 「がっ......!!」
 
 進化前は氷が大の苦手なのが彼の種族だ。 ゴーストタイプを宿すようになったとしても、飛行の面影を残す羽にはやはりかなりのダメージがあった。 痛みと凍えで、座り込んでしまう。
 
 「......嘲笑うというのは誇張ですよ。 悪者ならそっちの方が正しいのでしょうけど、あそこでの生活に充実感を抱く私もいた。 そういえば。 実は、貴方をこちら側に引き込めるかもしれないと思った時もあったんですよ? お墓参りの時とかね。
 だが、残念。 貴方の恨みと私の恨みは、方向性が完全に違うようだ」
 
 そう言いながら凍った右の方の翼を踏みつけ、上から見下すように睨み付けた。 ジュリから痛そうな声が漏れる。 血が出ている訳ではないけれど、とても見ていて嫌な光景だった。 そして、悲しくもこれが、「もう今までの彼はどこにもいない」という証明になってしまった。
 これまでもジュリに対して多少辛辣だったのは事実だが、それともまた違った。 あの時もまだ、反応を面白がっているようなお茶目さはあったのだ。
 でも違う。 目が、どこまでも凍りついている。 こちらを完膚なきまでに叩き潰すと言いたげな、冷たく、鋭く、憎悪を抱いた目だった。
 
 「......裏切りだとか、そんなどうでもいいことに拘ってる暇はないんですよ。 私は貴方達の味方ではない。 この時をずっと待ち続けていた。
 すぐ側にいたんですよ......探している『人』は」
 
 彼は残りの5匹の方へと振り向く。 その凍てついた視線に恐怖を感じたのは、言わずもがなだろう。
 
 「人って......くっ、イリータ!」
 「ええ!!」
 
 人ということは、狙いはやはりユズになる。 彼をユズに近づけてはいけない。 それにいち早く気づいたイリータとオロルはすぐにケイジュのところに駆け出す。 それとは真逆に、ケイジュはゆっくりな足取りでユズのいるところへと歩いていた。
  
 「察しが良くて何よりですよ。 ......ですが、邪魔です」

 そう言って、[なみのり]を使った直後広範囲攻撃の[ワイドブレイカー]で薙ぎ払う。 2匹は上に飛び上がって避けたし、攻撃してくるのは当然と思っていた。しかし、やはり計算外のことは起きる。
 
 「うあっ!?」
 「っ!?」
 「くっそ、こっちにもかよ!」
 
 ユズとキラリとレオンのところに、余波が及んでしまったのだ。 波乗りは全体攻撃だからあり得ることだけれども、少し流されたことによって5匹の距離が大きく離れてしまう。 これではユズを、守ろうにも守れなくなる。
 いっそこれしかないと、キラリはユズに声を飛ばした。
 
 「ユズ、少し逃げてっ!」
 「キラリ!? でも......」
 「ユズが倒されちゃったらおしまいだもん! 大丈夫、私達もすぐ追......」
 「貴方も何か勘違いしている」
 
 キラリがその声が自分に向けられたものだというのに気づいたのは、[みずのはどう]で飛ばされた後のことだった。 立ちあがろうとするが、波動の混乱効果で足元がおぼつかない。
 
 「キラリっ......!」
 「さあ、やっと向き合えた」

 おぞましい気配すらも感じてしまうケイジュの声。 気づいたら、彼はユズの目の前に立っていた。
 
 「......よくよく考えれば、貴方しかいないですよね」

 ユズは射竦められ動くことも出来ない。 何をされるのか。 嫌なことだとはわかっていても、足は動いてくれなかった。 身体が震え上がる程の恐怖に、ただ怯えることしかできない。
 
 『させないっ!!』
 
 レオンとイリータとオロルが、足掻きとしてケイジュを背後から攻める。 だがそんなことは知っていたと言いたげに、右手を軽く後ろに振った。
 
 「[うずしお]」
 
 3匹を一気に水の中に閉じ込める。 水タイプのレオンが率先して水を破ろうとするが、そううまくいくわけがなかった。 水の壁は一切隙が無く、静かにダメージを与え続ける。
 その隙に、ケイジュがユズに語りかけていた。
 
 「......私のこと、分かりますか。 私の事は、インテレオンとしてでしか見えてませんか」
 「何のことです......!?」
 
 声は震えているが、出来るだけ気丈に振る舞って見せた。 生きるために自らを獰猛な獣にでも見せようとしているような健気さに、ケイジュは少し笑ってしまう。
 
 「そうか、これだけではやはり分からないと......記憶喪失でもしましたか。 まあ、あの時私の手を離しましたからね......流れに抗ったならば、それ相応の衝撃は受けるでしょう」
 
 ......何を言っているのかがよく理解できなかった。 そんな中、ケイジュの黒い手が、ユズの体をぐっと掴んだ。その手は、驚くべき程冷たかった。 まだ冬という訳ではないのに、触れるだけで凍りつきそうな感触が、ユズは嫌で嫌で堪らなかった。

 「......離して」
 「......私はずっと貴方を探していた。 この春からずっと。 あの後で村の外に出ることは難しかったが、それでも会えた。 やはり、縁の力とは凄まじきものです」
 「いいから離して!」
 
 感情任せに、ユズは頭の葉っぱを使って手を振り解く。
 ケイジュはそれに悲しげな表情を抱くが、ユズは特に意に介さなかった。 今の彼は、不倶戴天の敵でしかないから。 ......でも、それでも、ケイジュは引かない。

 「......忘れているのなら、思い出させますよ。 これが終われば全て終わるんだ。 貴方が苦しむこともなくなる。
 私達の手で、終わらせればいい」












 
 
 




 
 



 「貴方の持つ、魔狼の力で」












 
 





 「......え」

 溢れでる、キラリのか弱い声。

 ユズが......魔狼? どうして、何故。
 
 そんな思考が、キラリの中で暴れ回る。 無論、他の4匹も同様だった。 朝のあの考察が、全部、全部ひっくり返った。
 やっとのことで渦潮の拘束が解かれ、3匹もまともに口を開けるようになる。 呼吸を整える時間は口に出す内容を整理するのにはうってつけではあるけれども。
 嘘だろうという思いしか、出てこない。
 
 「けほっ......ユズが、魔狼って......」

 オロルの震える声。 半分困惑、そして半分が恐れによって声は震えていた。 でも、眼前に写るのはイメージしていた野蛮な姿とは似ても似つかない。 かわいらしい葉っぱを持った、小さな小さなチコリータに過ぎないのだ。
 
 「......奴が......」
 「何よ、それ......訳が分からない」
 「......なんで1番嫌なことになんだよ」
 
 各々が自分の困惑を吐き出していた。 それは決して大きな声でという訳ではない。 というより、そんな声出せるはずがなかった。
 そして、1番困惑が大きいのは、やはりユズ自身だった。
 
 「......そんな、の」
 
 嘘だ、と言いたかった。 でも、口に出すことが出来なかった。 彼女の中にこれまで蓄積された疑問が解決されていき、それらが彼女の言葉を堰き止めた。
 
 何故自分には謎の力があるのか、それはその名の通り魔狼の力があるから。
 
 何故虹色聖山に惹かれた、それは魔狼の力を持つ者の本能があったから。
 
 何故虹色聖山に行った時に大雨が降った、それは魔狼の力を持つ者が近付いたから。
 
 何故鍾乳洞で無意識に力を発動させたのか、それは激情によって魔狼の力に呑まれかけたから。
 
 
 
 全部、とは言えない。 分からないことは夢の件も含め多すぎる。 でも、説明がつくものはとても多い。 元々いい力だとは思えなかったのもあり、どうしても彼女の中では合点がいってしまう。
 でも、抗わなければならなかった。 ここで屈してしまえば、彼の思う壺だから。
 
 「やめて。 証拠もないのにそんなこと言わないで」
 「物的証拠ですか......ふむ、確かにそれは無いですね。 お手上げだ」
 
 お手上げには聞こえない口ぶり。 案の定、彼からは新たな言葉が紡がれていった。 最悪の事態を呼びそうな言葉が。
 
 「......では、貴方の記憶を呼び覚ましてみると言うのは如何でしょう?」
 「えっ......」
 「......驚かれるかもしれませんが、私も元は人間です。 貴方とは違い、記憶は持ったままこの世界に移ることが出来た。
 お分かりですか? 私なら、貴方に人間としての記憶を思い出させることができる」
 
 ユズに、そしてキラリに悪寒が走る。 ケイジュが人間だというのはそれは驚くべきことだけれど、でも......ここで、無理矢理記憶を呼び覚ますのは、どうしても、危ない気がしてならない。
 
 「ケイジュさんやめて!! 記憶は......」
 「黙ってくださいキラリさん。 貴方には関係ない」
 
 キラリが必死で叫ぶが、ピシャリと断られる。 関係ないとそう強く言われてしまうと、キラリは何も言えなくなってしまう。 当然、他のポケモンが言ったところで同じだろう。 記憶のことだけ口止めさせられる奇跡のアイテムなんか、当然現れない。
 邪魔者は、もう誰もいないのと同じなのだ。
 
 「貴方は本来何も特筆すべき点の無い普通の人間だった。 けれども、貴方が魔狼をその身に宿してしまってから......貴方の運命は悪い方に転んでいくことになる」
 「......やめて」
 「貴方はただ1人の親からもその事実を隠し通した。 それでも貴方は強かに生きていた。 何故なら、貴方には大事な人がいたからです。 命を賭してでも守りたいと願った人が」
 「......ちょっと待ってください!」
 
 ユズの頭には、いつのまにか痛みが訪れていた。 これ以上は聞きたくなかった。 吐き気で立っていられなくなるから。
 
 「どうしてですか? 記憶喪失というのなら、それを呼び覚ますべきでは?」
 「嫌、なんです。 どうしても。 お願いだから」
 「......そうですか」
 
 ケイジュは少し項垂れる。 分かってくれたのかとユズは息を吐いた。 が。
 
 「ねぇ、ユズさん」
 「......?」
 「貴方は世界に生きる生き物が優しいものだと思いますか? 人間とポケモン、両方で」
 「......みんなとは言えない。 お尋ね者とかもいるから。 でも、優しいポケモン達だって、沢山いる! きっと、人間も同じだと思う」
 「そうですか......」
 「そうですよ! .......だから、この世界を消すとかそんなの絶対に間違ってる! 分かってくれた?」
 「でも、貴方は」
 
 ケイジュは1つ息を吸って、続ける。 ありったけの憎悪を込めた目で。
 

 「貴方は、誰かの未来を簡単にこそぎ取るような屑も知っている筈だ......!」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......!?」
 
 その時、ユズの頭痛が更に強まる。 脳裏には、今まで見たことの無かった光景が浮かびだす。 誰かが、下衆な笑い声をあげている。 こちらの苦しみも知らず、笑って、笑って、笑って......。
 
 「があっ!」
 
 よろりと、ユズの体がよろける。 心が苦しい。 この光景を皮切りに、今までの夢の光景も蘇ってくる。 苦しい。 痛い。 気持ち悪い。
 
 「ごめんなさい。 どうしても利用するような真似になってしまう。 でも、この世界を壊し切れば終わるんです。 貴方の苦悩だって」
 「やめ......て......」
 
 
 言葉は、魔法のようなものだ。
 1つの言葉が、誰かを励ましたり、悲しませたりすることもある。
 ......誰かの心を殺すことも、やろうとすれば容易く出来るのだ。

 
 「......そうですよ、全部全部、こんな世界があったからだ。 最初から何もなければ、貴方はこんなに苦しむこともなかった!!」
 「やめて!」

 
 その、畳み掛けるような言葉が。
 

 「こんな世界があったから貴方はそれに苦しめられたし......そんな下衆とも出逢うことになったし......貴方の大事な人だって!!」
 「お願いやめっ......!!」

 
 全てを壊す呪文となって。
 全てを潰す魔法となって。
 
 
 
 「......ユイさんだって、あんな、酷い死に方をしたんだ」
 
 
 
 魔力は無力への罪悪感の剣へと変化して。
 絶望に塗れた手へと変化して。
 
 ユズの心を、鋭く突き刺した。

 
 
 
 
 
 そして、突き刺さった剣は。
 どこまでも深い傷口を作り出し。
 どこまでも絶望の血を流させて。
 
 彼女の心の奥底で、ぷつんという音を鳴らした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「......あ」
 
 そのケイジュの言葉を聞いた途端に、ユズの反論がついに止まってしまう。 何かの糸が切れたみたいに、突っ立っている。 絶対危ない。 これは簡単にわかることだった。
 
 「......ユズ!」
 
 混乱による足の震えも収まったこともあり、キラリはユズの元へと飛び込む。 ぎゅうとユズを抱きしめていた。 出来ることといえば、もうこれぐらいしかなかった。
 ......ケイジュが止めに入らなかった理由は、考えに入れていなかったけれど。
 
 「わ......たし......は......」
 「ユズ、大丈夫だよ。 私はここにいるよ。 大丈夫だよ。
 ......味方だって、約束したでしょ?」
 
 ユズの声と目は虚ろになってしまっていて、キラリはどんな言葉をかけるべきなのか分からなくなってしまっていた。 助けたいのにどうしていいのか分からないというのが1番辛い。 過去の約束を引き出して、ユズをどうにか正気に戻そうとする。
 でも。
 
 「やめて......」
 「え?」
 「ちかよらないで......わたしは......わたしには......」
 
 ......どんな状況かはわからない。 でも1つだけ言えることがあるとするなら。キラリの耳に届く言葉は、今までのユズのものではなかったということだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 モウ、ワタシハナニカヲカンガエルシカクモナイ。
 
 ミライナンカイラナイ。
 
 ジカンハモドラナイシ、モドレナイ。
 
 ......モウ、イッソノコト、ラクニナッテシマイタイーー。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「ぐあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
 
 その時だった。 ユズの体から、何かどす黒いものが溢れ出す。 並々ならない事態の中、キラリはユズの事をぎゅうと抱きしめ続ける。
 
 「落ち着いてユズ! 大丈夫だから! 話とかは聞くから! 落ち着いて、戻ってきて!!」

 落ち着いてという言葉しか出てこない。 それだけ動転していたのだ。 何を言えばいいのか、全くわからなかった。
 
 肩で、ユズの荒い息を感じる。 そして、その息遣いはまさに御伽噺に出てくるような狼のものだった。 獲物をひたすらに狩るかのようであり、まるで、ユズの心を、食い荒らしているような。 そんな風にも思えた。
 
 唐突に浮かんでくるのは初依頼の時のこと。 ユズが初めて力を発露させた日だった。 キラリは、こんな事を自分が言っていたと思い出す。
 
 『上手く言えないんだけど、なんというか......ユズが、遠くに行っちゃいそうな気がして。 ......考えすぎかもだよね』
 
 あの時は、笑って流していた。 でも、この言葉が現実になる時が来るなんて。 思いたくなかった。 信じたくなかった。
 こんな現実、見たくはなかった。
 
 「嫌だ......やめて......」
 
 ユズを抱く力を、一層強める。 危険だとしても、身が裂かれるとしても、自分が犠牲になったとしても。 元の彼女に戻ってきて欲しかった。 奈落の方に、足を向けて欲しくなかったのだ。
 ユズの木漏れ日みたいな顔を思い浮かべてしまって、涙が溢れて止まらなかった。
 
 嫌だ嫌だ嫌だ、絶対に嫌だ。
 
 ......本当に遠くに行っちゃわないで。
 

 「お願いだから、お願いだから......消えちゃったらだめぇ!!」
 
 
 
 
 
 
 しかし。キラリの命全てを捧げるかのような声も、届かない。 ざわりと、嫌な肌触りを感じた。
 
 「キラリ、一旦ユズから離れろっ!!」
 
 レオンが[サイコキネシス]で、無理矢理キラリを引き寄せる。 ぐんと引き剥がされる感覚の後。 ユズからかすかに涙の匂いがした。
 
 「ユッ......」
 
 その刹那。 ユズは衝撃波を放つ。
 
 
 『ぐあっ!?』
 
 全員が、風でその場から吹き飛ばされた。 何本かの木が、根本から折れる。 少し離れていてもこの威力だ。 側で受けていたら、どうなっていたかわからない。
 
 「あいつ......」
 
 レオンも傷だらけになってしまうが、なんとか起き上がる。 しかし目の前にあるのは、絶望しかなかった。 突然の寝返り、近しい存在の驚愕の正体。 この状況をどうするべきかは、すぐに思い浮かぶようなものではなかった。
 
 「グルルルル......」
 
 ユズとは思えない、低い声だ。 ......魔狼は、ポケモンの身体を乗っ取って、周りを見境なく破壊する。 伝えられたばかりの知識が今日目の前に現れるなんて夢にも思わなかった。 当然、思いたくもなかったわけだ。
 ......でも、だからといって全員がすぐ諦めるわけではない。 現に、キラリはフラつきながらも立ち上がっていた。 オレンの実にかぶりついて、自分を奮い立たせる。

 「大丈夫......ユズ、すぐに戻して......」
 「無駄ですよ」
 
 だが、そこにケイジュが[ふいうち]を仕掛けてくる。 キラリはなんとか躱すが、彼へのどうしようもない怒りが募ってきていた。
 ユズを壊したのは、紛れもない彼だから。
 
 「こういう訳です。 貴方には酷かもしれませんが、どうか諦めてくれませんか? それが彼女の幸福に繋がる」
 「嘘だ......こんなの幸せな訳無い!」
 
 キラリは必死で反論する。
 
 「ユズはずっと怖がってたんだよ。 自分の記憶を取り戻すのも、力を使っちゃうのも。 夢見て辛そうな日もあったし、嫌な声聞こえて倒れちゃうこともあったんだ。 でも......少しずつ、分かっていけたらいいって言い合ってたんだ。
 それなのに! あなたが全部掘り出した! ユズは嫌だって言ってたのに、あんなにやめてって言ってたのに!! あなたが、あなたがユズを壊した!!」
 
 棒立ちしていると、身体が怒りで焼き尽くされそうな気持ちになってしまった。 だから、[スイープビンタ]で、彼に思いの丈をぶつけようとする。
 
 「ユズを元に戻してっ!!!」
 
 ユズをこんなにした元凶はケイジュだ。 だったら、ケイジュを打ち負かせばなんとかなるという可能性を信じて、キラリは彼の懐に飛び込む。 声と共に動きも荒ぶったためか、ケイジュはそこまで脅威に感じることなく指を構えた。 実力で言うならば、彼女が1番恐るるに足りない存在だから。
 
 「[ねらいうち]」
 「......くっ!!」
 
 キラリの腕を狙った水の射撃が炸裂する。 攻撃はピンポイントに小さい腕を狙ってくるが、威力はそれと裏腹に強いものだった。 腕が痺れるくらいに。 軽い身体のせいもあり、勢いで後ろに跳ね飛ばされた。 必死で起きあがろうとするが、今度は倒れた硬い木の幹に打ち付けられた痛みがそれを邪魔する。
 
 「うっ......が.......」
 「......彼女の記憶を呼び覚ましたのは事実です。 だが、その記憶の中で、彼女を壊す原因を作ったのは私ではないとは言っておきましょう。
 そして。 ユズは、いや......ノバラは、元々こちら側です。 勘違いなさらないよう」
 「......ノバラって......ユズの......!」
 「無駄話は終わりです。 貴方を復活させようという話に賛成した私は馬鹿だったかもですね。
 さて、ここで消えてくださいませんか」
 
 ケイジュの手に氷の力が帯びる。 そこに現れたのは先が鋭利な氷の棒だった。 それが首の辺りに、少し触れる。 そんな中でも、恐怖のせいか、困惑のせいか。 座る体勢にはなれても、何故か立ち上がれない。

 「貴方達は薙刀なんてもの、知らないでしょう?
 ......さようなら、不運なポケモンよ」

 それが、動けないキラリの首に向かって振り下ろされそうになる。

 
 
 

 「どりゃあっ!!」

 ......しかし。 イリータとオロルが、それぞれの技でなんとか彼を押し出した。
 キラリはそれでやっと我に返る。

 「イリータ、オロル......!」
 「......ボサってしてるんじゃないわよ!! ここで死んだら助けるも何もないじゃない!」

 イリータの怒号に彼女は身を震わせるが、確かにその通りだった。 やっとのことで、首のあたりにひやりとくる感触を覚えた。 ......そして、そうだ、さっきのは死が突然側に迫ってきたから動けなかったのかと1匹で納得する。

 「ああ......鬱陶しい。 ラケナ、フィニ、ヨヒラ! 全員で彼らをまずは潰す!」
 「おやおや、魔狼が登場しても傍観はだめなんかのう」
 「黙れラケナ......我らの望みのために、なんとしてでも勝つ」
 「......ああ、やってやろーじゃん」

 魔狼の入手という役割を一応終え、傍観にまわってしまった3匹衆ももう一度戦闘に加わってきてしまう。
 元々は7体3だったというのに、あれよあれよという間に5対5になってしまう。 この最悪な状況下を抜け出すには、もう1つしかなかった。
 レオンがワープの種を食べて、キラリのところまで一気に移動してくる。

 「おじさっ......!」
 「このままじゃラチが開かない、退くぞ一旦! 作戦立てる!」
 「だめだ嫌だ! だってユズが!!」
 「分かってる、でもこれじゃあ取り返す前に全員死ぬぞ!!」
 「......!」

 全員死ぬ。 そのあまりに重い言葉に、キラリは反論が出来なかった。
もっとも、反論していても構わず退くつもりだったのだろう。 レオンはキラリの返事を待たず、不思議玉を構えた。
 
 「策ならある、もう効くのに賭けるしかねぇよ! 敵縛り玉っ!!」
 
 1つ衝撃波が走る。 その瞬間、敵側の5匹はもれなく全員硬直してしまった。
 ここはダンジョン内。 だから、不思議玉はどんな時もちゃんとその効果を表してくれる。 例えケイジュであっても、魔狼に呑まれたユズであっても、ポケモンの姿形をとっていることに変わりはない。どんな存在だろうが、不思議のダンジョンの摂理には抗えない。 それが彼の予想だったが、一応的中したようだ。
 
 「光の玉だ!」
 
 閃光弾の役割を果たすべく、投げられたもう1つの不思議玉が光を放つ。 今が逃げるチャンスなのだろう。

 「ああ、どこでもいいけど......北の方だ、とにかく走れ!」

 その声に従い、4匹は足を森の奥へと向ける。 キラリは何度か足を止めかけたが、その度に自分の名を呼ぶ声がして、そちらにもう行かざるをえなかった。
   
 
 
 
 
 
 
 
 5匹の姿が見えなくなってからも、隠れ場所を見つけるまで彼女らは走り続けた。
 ある者は当惑を。
 ある者は疑問を。
 ある者は憎悪を。
 ある者は危機感を。
 そして、またある者は悲しみという、重い泥のような感情を背負いながら。

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