Ct.6 輝く貴女へ【終】

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 週の終わりのカフェラウンジ。ジャズアレンジが耳を抜けていく。温かい珈琲を横に、ノートパソコンを叩いて今日の報告を打ち終える。
「しかし、不思議ねぇ」
 私の白手袋の手には、光を吸い尽くしたかのような、果てしない深黒の石。先日預かった、正体不明の鉱石だ。
 それは昨日の午前にあった、少し珍しい出来事。
 依頼者から鑑定依頼された、詳細不明の鉱物。依頼者は男性で、アローラのラナキラマウンテンの中腹で見つけたとの話を伺った。どんなに唸って観察しようが、ルビィちゃんに見せようが、類似する物が思い至らず。一旦、預かって調査を承ることに。不思議な色合いに、私は気に掛かっていた。
 向かいに座る、プクリンのルビィちゃんは、せっかくの宝石なのに、何だか警戒しているような。何か、あるのかしら。綺麗なものが好きで、勿論宝石にも目がないはずなのに。
 と、そこに携帯のバイブが鳴る。着信名は……。
「え、ベテルミュラー先生?」
 急いで畏まる私。先日の伯爵といい、何だか最近ボスラッシュだわ。
「お疲れ様です」
「ご健勝かしら、グロッシュラー。貴女宛に緊急性の高い連絡が来ているわ」
 聞き慣れた、耳触りの良いアルトの声。合理的でサバサバとした、クリスタ・ベテルミュラーその人の声だ。それよりも、所属する商社グループの長である、彼女を通して私に連絡とは。一体何の重要事項かと思い、気が気でなかった。
 彼女に、仕事に関するメールを送ったのも、もう一週間以上も前のことだな、とふと思い出した。
「研究機関への提供依頼ですか?」
「半分正解。“エーテル財団”の支部長を名乗る方が、貴女に詳細不明の鉱石を、提供して欲しいそうよ」
 “エーテル財団”。その言葉に引っ掛かりを覚える。彼らは、いくつかの地方に支部や人工島を持つ、環境保護財団……のはず。ポケモンの保護や環境調査をする団体が、何故私の預かる鉱石に?
 とはいえ、上からの命令なので、突っぱねたり無視は出来ないのは明白。
「分かりました。ちなみに、なんですが」
「何か?」
 冷淡なアルトが、追随する。
「“口封じ”だった場合の、先生の見解はどうなのでしょうか」
 どうにも、さっきからこの可能性が渦巻いて仕方ない。幾ら何でも、情報が渡るのが早すぎる。私が、財団の概要を薄らとしか知らないのもあるけど。
「……貴女の正義感にお任せするわ」
 やや間を開けて、深い吐息。電話越しに煙草の燻煙が烟りそうだ。
「我々は社会の一部だが、奴隷でもない。“商人の自由は国の豊かさの証”よ」
 教官らしい言葉を最後に、彼女は通話を終了させた。宝石商は、何かに属していても一人一人が独立した存在だ。その時が来たら、彼女に倣い、私なりの決断をしよう。
「……自由過ぎるのも考えものだけど」
 例えばカジノでバトルをして、他の宝石商を蹴散らす、とかね。なんて軽く支度をし、先生から伝えてもらった、財団支部へ出向くことに。
 ルビィちゃんは、まだあの黒い鉱石を睨んでいた。鋭利なのに、周りの光が全く反射しない断面が、とにかく不思議でそれ以上に不気味だった。





 タクシーで辿り着いた、ビルの一角。無菌室にも見える、真っ白なオフィス。何人か、ヌイコグマやロコンを連れた財団職員の姿も見える。汚れとか大丈夫なのかしらと、関係のない心配をしていた。
 扉にノックが鳴る。現れたのは、ソラマメのようなカラーサングラスをした、奇抜な金髪の男性。確かに、一般の職員とは何かが違う。
「お初にお目にかかります、しがない宝石商のお嬢さん。わたしは、エーテル財団“支部長”のザオボーでございます」
 やたらと、肩書きを強調した自己紹介。不審に思いながらも、そそくさと名刺を交換する。
「……は? 」
 思わず出た困惑を引っ込めるには遅かった。というのも、もらった名刺の肩書きには、何処にも“支部長”なんて文字はないのだ。ただのヒラ社員。写真と氏名は、一致している。
「……あの、本当の“支部長”の方を呼んで頂いても?」
「なぁーーーにを仰る!? わたし以外にエーテル財団の支部長は有り得ないでしょう!? それもこれも、グラジオ様とあのお子さまが、余計なことを為さるからいけないのです! 代表は、今に有能な私を再び昇進為さるはずですよ! ですから、わたしは“支部長”なのです!!」
 何やら喚き始めたが、要は“元支部長”で降格処分されたということだろう。まあ、話し合いと取引だけなら構わないかと、話を流して座ってもらった。
「時間が惜しいので、要件だけお願いします。どのような理由で、そちらに提供が必要なのでしょう?」
 男は小さく咳込み、顔からはみ出すほどのサングラスの縁を動かした。
「お答えする必要はないかと。あなた方は、エーテル財団に“提供さえ”すれば良いのです。お礼はそれなりに貰えますよ。ささ、このザオボーに例のブツを!」
「お話になってませんが」
 これは、嫌な予感が当たったと見て良いのだろうか。何も詳細が分からない。伝える気もない。パワハラの体制の企業にありがちな、呆れた秘匿主義だ。私がキツめの眼力を浴びせると、額の広い金髪は小さい悲鳴を上げた。しかし、譲る気はないよう。
「キャリアウーマンなのに目付きの怖い方ですね!? 一応ですがね、それは貴女が持っていてもなんの価値もないどころか、危険すら及びますよ!」
 この男や、全体像の分からないエーテル財団を、悪く疑いたくはなる。正直、猜疑心に溢れていて仕方ないが、ルビィちゃんの反応から見て、ちょっと持っていたくないのも事実だ。あまり話が長引いても、好ましくないし。
 何となく、ぎこちない消化不良感を覚えつつも、そのザオボー氏におずおずと、ケースに入った鉱石を提示する。
「……失礼しました。こちらです。一年ほど前、ラナキラマウンテンの中腹で発見されたようです」
 分かりやすく丁寧になるザオボー。時折、細い腰をくねらせていた。あまり素直に喜べないが、もし先生に迷惑が掛かるなら、やはり断らない方が良い。
「えー、グロッシュラー様。先ほどは失礼しましたね。確かに受け取りましたよ! 後日、改めて財団から謝礼を払わせて頂きますのでね。くれぐれも、我々との取引は公言・開示等しないよう」
 しつこいくらいに、念押しされて渋いが頷く。そら豆男が、わざとらしい丁寧さで開けた扉の先には、二人の人物がいた。
「ちょ……なんでアンタがここに?」
 一人は柔和な雰囲気の、ピンクのニットを着た眼鏡の女性財団職員。そして。
「おやおや、昨日の今日ですねグロッシュラー君?」
 細まったオリーブの瞳。撫でた銀髪は今日も古風な美しさだった。フェリシアーノ・ネヴィル・クロシド。しばらく会いたくなかった、厄介者リストの堂々たる一位。ビッパ上司にダブルスコアを付けての貫禄の首位だ。
「これはこれはフェリシアーノ卿! このザオボー、偉大な貴方様にお会い出来て、いたく幸せでございます!」
 ザオボーは、あれよあれよと銀髪の老紳士ににじり寄る。なんという腰の低さ。いや、太鼓持ちの構えか。苦笑いする同僚が傍に居ようとも、権力者に媚びへつらうその潔さは、なかなかのものだが。
 しかし、この男と財団に何の関わりがあるのだろう。もう、とうに宝石商は引退したはず。提供依頼とは考えづらい。
「ザオボー、君……このお嬢さんにはどういった要件だね?」
 隣の女性職員にはきっちりと断りを入れて、華麗なスルー。やはり元宝石ディーラーの鼻が利くらしい。臭いものを嗅ぎ分けたようだ。
「まあ、そのですね……宝石の提供を! 少々!」
 濁しに濁しまくった説明。ミルクと砂糖を奮発した、グランブル・マウンテンのよう。手をまごねく姿を横でしらと見ることにした。
「そうですか。それは、やはり最近報告にあったUB:BLACK関連でしょうかね」
 聞き慣れない単語に、片眉を上げた。そら豆男の顔色が怪しくなる。それにどうにも、伯爵の方が私よりも状況に詳しいのが、微妙に納得いかない。こちらを一瞥する、オリーブの瞳。
「……どうやら、この見るからに気の強そうなお嬢さんは納得してないそうですよ。ビッケさん、私から説明をしても? 彼女は、UBを見た事がありますのでね」
 まさかの助け舟。泥舟かと警戒してしまう。瞬きしていると、“ビッケ”と呼ばれた、おっとりしてそうな暗い紫髪の女性が頷く。
「はい! 念の為、同席させて頂きますが……リストにあった提供者の方ですよね。財団の研究に御協力頂き、ありがとうございます!」
 何とも、誠実な挨拶と対応だ。驚いて肩の力が抜ける。隣のそら豆男が何か言っていたが、聞くのをやめた。
 色々と釈然とはしないが、とりあえず謎が解けるようなので、彼らについて行くことに。再び、真っ白な会議室に入って行った。





 向かいには、穏やかだが油断ならない銀髪。と、表情豊かな金髪の男。私が、ここに呼ばれた経緯を軽く説明した。
「……で、貴方と財団の関係は何?」
「そこからですか。私は先代の代表、現代表ルザミーネ君のお父様からの付き合いでしてね。今は、残った財を研究費用に投資している身ですよ」
 隣のそら豆が、私のタメ口に横槍を入れようとしていたが、無視した伯爵が続ける。
 エーテル財団って研究機関でもあったのね。しかも、投資を募るほどの大きなプロジェクト。
「その研究にあの鉱石が、と見て良いのかしら。保護活動とは結び付かないけれど」
「概ねはそうですね。エーテル財団は、創設者の屈折光学研究の功績と資金をベースに、今も活動してますから。今のルザミーネ君に変わってから、件のUBの研究に没頭するようになりましてね」
 思っていたよりも、ずっと複雑で全体図が判らない研究内容だ。“エーテル”の名は古代の物理学から拝借した、先代の研究から来ていたのか。何故だか、伯爵の隣の金髪がニヤニヤしている。
「で、ですね。その君が持つ黒い鉱石は、“ネクロズマ”と呼ばれる、別世界に棲むポケモンの一部なのです。UB:BLACKは、国際警察が用いたコードネームですね」
 聞き慣れない名だが、腑に落ちる説明だ。ルビィちゃんがいやに警戒していた時点で、生物の一部である予感はしていたからだろう。
「つまり、ネクロズマは“ウルトラビースト”と呼ばれる、“別世界から来た、暫定のポケモン”なのですよ。驚きましたかね?」
 何やら、スケールの大きい話になってきたのを感じた。頭がクラクラする。ウルトラビーストと別世界。夢物語やフィクションのような言葉たち。いやSFだろうか。しかし、おそらく虚構ではない。先日、“フェローチェ”という名の、異質なポケモンを目の当たりにしたばかりだからだ。
「ウルトラビースト……UBは、他にも居ましてね。君と戦ったフェローチェも、その一体なのです。現在は、何人かの実力者が彼らを従えるのみですよ」
「なるほどね。通りで」
 異質な強さと威圧に納得する。ついでに、伯爵好みの美しさにも。私に向かって僅かに笑うと、話を続けていく。
「ネクロズマは、つい一年ほど前に、ポニ島の日輪の祭壇で観測されたとのこと。それから、現在は何処へ生息するかは、一切不明なんでしょう?」
 振り返る伯爵。そこには真剣な顔で頷く、ビッケこと、真の財団支部長。彼女は、ゆっくりと口を開く。
「UB:BLACKは、光を求めてこの世界にやってきました。身体のパーツが、頂いた破片のように、分離可能の特性を持っていまして……持ち続けると、グロッシュラーさんや手持ちのポケモン達に、危害が及ぶ可能性があるんです」
「フン、だから言ったでしょう! 危険なんですよ! き・け・ん!!」
 彼女の説明に、一つ一つ頷いていく。鉱石なのに全くと言っていいほど、光沢がなかったのも納得だ。“元支部長”は、嘘はついていないが、最初からこれくらい説明してくれれば良かったのに。
 ともかく、一悶着あったような気はするが、危険な宝石モドキを手放せて安心していた。
「ありがとうございます、ビッケさん。このことは、上にも内密で?」
「そうですね。国際警察さんから、市民の混乱を避ける為に、情報規制の依頼をされてまして。ご理解と御協力をお願いしています」
 丁寧に頭を下げる彼女に、つられて陳謝をする。同じ対応を求めた、枝豆サングラスは最後まで騒々しかった。
 目立つ職員らと別れ、エレベーターの個室内。気まずい二人きりだ。ゆったりと髪を撫でる、隣の銀髪を見る。
「そうそう、改めて例の件はどうです? グロッシュラー君」
「……どうしても私に押し付ける気?」
 打って変わって、悪しき笑み。目尻にいっぱいの皺が寄る。
「ええ! 勿論! 彼も、君となら楽しく過ごせるでしょう。いまいち表情は読めませんがね。ベテルミュラーから聞いていたより、私は君を気に入りましたからね」
 ふと、口から出たのは、尊敬する師の名前。知り合いなのは知っていたが、私を紹介したのが先生だったなんて。一体、どんな意図があったのかしらと、若いのに眉間に皺が寄るのを感じる。
「彼女、君に言いたいことがあるとか」
 気になる一言を浴びせると、丁度、到着のベルが鳴る。尋ねようとした私の疑問を置き去りに、しゃんと歩いて行ってしまう。
「学問は、やがて全てに通ずるのですよ。美しく在り続けたいならば、学びなさい。例え、ポケモンバトルやギャンブルの知識であってもね」
 去り際に見せた、老舗宝石商人らしい説教文句。結局あの男は、私よりもずっと上手だった。今にして思えば、この前のカジノも、彼の筋書き通りだったのでは、とすら。
 悔しくなるが、覆す手段を今は持っていない。宝石と同じく、年月が産んだ美しさと強さ。
「……絶対長生きするわ、あの爺」
 恨み節を零した長い吐息からは、とにかく疲労が漏れ出ていた。二十代らしからぬ、と自嘲してオフィスを後にする。





 夜景を窓に取り込む、オフィスビル。その一室、最も高級そうな、ロココ調のドアをノックした。
「お入りなさい」
 アルトの声。扉越しでもよく響いた。
「お忙しいところ、失礼します」
 中央のデスクには、ローズピンクの髪を銀のバレッタで、高い位置でまとめた女性。名はクリスタ・ベテルミュラー。女性宝石商の第一人者で、今は後進の育成と自身の宝飾ブランドの経営に勤しむ。五十を越えているが、まだまだ現役だ。
 室内は、緩やかな燻煙の残り香。彼女の愛用するセブンスターだろう。
 隣には、彼女の良きパートナー、ブリムオンのプリムローズが微笑んでいた。
「来てくれて嬉しいわ。まずは、先程の件はお疲れ様グロッシュラー」
 軽い礼をした。言葉は優しくとも、彼女の表情は一変もしない。しかし、声色が上向いていた。
「……私の要件を手短に話しましょう。疲れているでしょう? 貴女に宝石を買い取ってもらいたくてね」
「私に、ですか?」
 黙って頷く、切れ長の瞳。指示をするでもなく、プリムローズが私に席を促し、茶の準備をしてくれていた。流石の手際の良さを感じる。
 彼女は、私以上に合理的だ。無駄なことはしない。何か意味があるはず。私ってば、また試されてる?
 いつも以上に、胸元のブラウスを弄り、髪の結び目を確かめた。緊張してしまう。まさか、お世話になってる恩師から依頼されるだなんて。
「では、希望する品を見せて頂けますか?」
 やや硬くなる笑みを余所に、彼女は小さな箱を私に手渡す。宝石商同士の取引なので、細かい鑑定は不必要になるだろう。したとしても、おそらく彼女の下で習った私なのだから、ほとんど近似値だ。
 マットな黒のジュエリーケース。中には、紅い宝石の付いたピアスのペア。ルビーだ。
「百年以上生きたヤミラミから採取されたそうよ。こちらが、私の鑑定書ね」
「あ、あるんですね……!」
 恥を上塗りする前に、ルーペを取り出す前に、気づいて良かった。ホッとひと息。そちらを参照し、状態を確認していく。傷の小さなレトロ・ルビー。透明度は、これまでより群を抜いて高く、インクルージョン(内部微生物)も見えない。天然でここまで美しいのは、ヤミラミの身体から生成されるものだけだ。
 特に価値の高い、深く透明な赤を持つものは、ピジョン・ブラッドの二つ名を持つ。こちらも、希少な深紅のピジョン・ブラッドだ。果たして、下っ端である私の持ち金で買えるのだろうか。
「ありがとうございます。品質保証は鑑定書の通りで宜しいかと」
 ケチを付けるのが怖いのではなく。単純に、彼女の出していた査定が完璧に近かった。引退しても、その眼は衰えていない。
「そう。希望金額だけど、これで」
 彼女が提示した金額を、思わず二度見する。そこに書き込まれていたのは、私の予想よりも遥かに低い額。これでは、かいふくのくすりが二つか三つ買えるくらいだろう。横には、既に直筆のサイン。これでは、プレゼントだ。
 どうして、これほど破格の値段を提示したのだろう。
「あの、先生……これは一体?」
 宝石から顔を上げて、恐る恐る彼女を見る。静謐な瞳に、私の髪の、強い赤色が入る。
 美しい深紅を晒したままに、そっと私に差し出す。その瞳には、似つかわしくない微笑み。
「上物のルビーよ。それを堅物の上司からだなんて、嫌かしら? 男からは諦めなさい」
「うっ……! いや、他の石でなくルビーなのは、何か意味があるんでしょう?」
 私の推察を聞くと、満足そうに指先を立たせた。鋭い彼女に、ストレートに男を諦めろと言われたのは、地味に効く。効果は抜群だ。
「貴女のここ一週間の仕事、いくつか私が割り振ったのよ。実はフユサゴ博士にも根回ししてね。彼、前に依頼しようとしてて、なら他の子じゃなく、貴女に頼むように。貴女から出向くとは流石ね? それに、中にはハードなのもあったでしょう」
 ハードなやつは、間違いなくあの商人生命を駆けたデスマッチだろうと、苦笑いする。あの裏表のない博士も、私に隠れて、先生の企みのような何かに加担していただなんて。
 色々と驚くが、一週間を懸命に思い出そうとする。それよりも、自分が書いたメールの送信履歴を見た方が早いと気づいた。
「それは、私のメールを読んで下さってのことですね?」
 目線で頷く、淑やかなベテランディーラー。
 彼女に一週間以上前に送った、悩みを綴ったメール。忙中なのは承知で、てっきり埋もれたり忘れ去られたのかと。そういえば、仕事に没頭するうちに、悩む時間が勿体なくなってしまったのだ。
「私なりの、メッセージを込めたつもり。完成するかは貴女次第だった。でも、どうやら要らなかったようね。忘れて頂戴」
 頭に疑問符が浮かぶ。普段通りの仕事の依頼に加え、休日でのやり取りや先日のギャンブルバトルに何の意味が? 先生は昔から、たまに意地悪だ。
 困ってメール文書を漁る私。すると、隣で微笑を咲かせていたプリムローズが、何かを伝えたがっている。頭から伸びた触手は、一週間のうちに私が取り扱ったり、鑑定した宝石の一部を指し示していく。
 ゴールド、ラピスラズリ、インカローズ、トルマリン、タンザナイトにエメラルド。そして読み上げた先には、焔よりも煌煌と輝くルビー。
 まさか、とそれぞれのイニシャルを繋げていく。出来た単語は『Glitter』。
「ふ……」
 静寂。プリムローズが、実に愉快そうに私を見ている。そういう顔にもなるわ。そう、そうだったの。怒涛のこの一週間とキャリアを噛み締める。頑張ってきた、ルビィちゃん達みんなの顔も。込み上げた感情が、ついに緊張の堰を切った。
「ふふっ、あは、あはははは!! 何よ先生ってば! ふふっ……!」
 彼女らしからぬ厚意。洒落てるけど、キザな男みたいだ。可笑しさと、そして認められたんだ、としみじみとした歓喜が訪れていた。
 かつてない優しさを湛えた彼女の瞳には、間違いなく、ルビーよりも輝いた目をした、私が映っていたのである。




──Fin──

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