第50話 君が君でなくなる前に
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
ダンジョンの奥深く。 紅葉した森林の中に一瞬、強い風が吹いた。
秋を迎えて、最後の盛りとばかりに赤に染まった木々の葉っぱは、それに乗って何枚か吹き飛ばされそうになる。 耐えられなくなって枝から葉が離れるのと同時に、ざあと轟音が鳴る。 葉っぱ同士が触れ合って、盛大なオーケストラとなる。
その音とともに、風とともに。 戦場に向かって、颯爽と走り出すポケモンがいた。
「......[スイープビンタ]っ!!」
ケイジュとジュリの相手をするのに気を取られていたラケナに対して、背後から唐突に攻撃が襲いかかった。
柔らかいはずの尻尾が、鞭のようにしなってラケナの体にぶつかる。
「ぬおっ!?」
突然の衝撃に、彼は間抜けな声を上げる。 その向かいにいる2匹は、その攻撃をした者の正体を当然のことながら目の当たりにしていた。 力強く振るわれる灰色の尻尾を見て、心なしかジュリの顔に少しの安堵が浮かぶ。
「......あーあ、油断しちったかのう」
ラケナもすぐに察したようで、後ろを振り向く。 そこには攻撃の構えをとっているキラリがいた。 今までに誰も見たことのないような、厳しい顔で立っていた。 ちゃんと、足を地に踏みしめて。
困惑に満ちていた先程までとは、どこか大きく変わっている。
「おじいちゃん、覚悟してよ」
キラリは、ラケナを強い眼光で睨みつけて言った。 そしてそのまま、[トリプルアクセル]を繰り出す。 オロルが技を放つ時の雪の匂いを思い起こしながら、氷を纏った尻尾を、合計3回ラケナにぶつけた。 初めて故に、精度はあまり高くなかったけれど。
氷はとても冷たいものだ。 冷ややかで、冷静なイメージが付き纏う。 けれど、今の彼女の攻撃にその想像はあまりにも似つかわしくなかった。 氷は、あくまでラケナに大ダメージを与えるための手段に過ぎない。 込められている感情は、決して冷ややかさなどではない。
まるで、地に眠る火山のマグマのように、熱く、煮えたぎった感情。
「......私、今すっっっごい怒ってるから」
その言葉に、ラケナの白髪が若干昂った。 そして、ほほほと不敵に笑う。
「若者は、やはり面白いのう。 別にワシじゃないじゃろ。 怒ってるのは」
「そうだよ。 私は私に対して怒ってるの」
はっきりとキラリは返した。 ぐっと、強くその手を握りしめて。
だが、顔はそのまま眉間に皺を寄せているわけではなく。 ラケナに対して、少し悲しげに微笑みかけていた。
「......悲しいけどさ、おじいちゃんの言う通りだよ。 確かに私はちっぽけだ。 みんながいてくれないと、なんにも出来やしないよ。 だからやっぱり自分がとことん嫌になる。 今回だって、助けられたから。
受け止めるしか、ないの。 無力なのは、図星でしかないから。 それでも!」
跳ね上がり、またラケナへと技を出す。 今度は十八番の[スピードスター]で。
「おじいちゃん、だから今は時間が欲しいの。 もっかい、ちゃんと目指すものと向き合いたいの。 ずうっと嘆いてばかりじゃいられないんだよ」
無数の星があたりを漂う。 少し漂った後に、それは光線となって真っ直ぐにラケナの元へと向かっていった。 [スピードスター]は絶対に当たる技だ。 [スイープビンタ]などを通してでは曖昧にしか伝わらなかった意思も、これに乗せてならしっかりと伝えられる。
少しずつ、向き合っていかないといけないのだ。 即決することができるような問題でないことはとっくに分かっている。 即決するとなると、貫くか諦めるかの2択しか取れない。 でも、それをするわけにはいかない。そのまま貫くにはあまりに脆い夢だと分かったけれども、どこかで全てを諦めきれない部分もあるのだ。 じっくり考えないといけない。 自分の力で。 皆の知恵も借りて。 暗い深海に潜む、真の宝物を見つけないといけない。
だから、だから。
「そして......今あなたに勝たなきゃ、そんな時間なんてどこにも無いの!!」
連続で飛んでくる星が、キラキラとした輝きを増していく。 そのためか、どこかいつもより技に勢いがあった。 ラケナは一瞬顔を歪めたが、間髪入れず音波を放つ。[ハイパーボイス]だ。 まるで、キラリの願いを掻き消そうとしているようだった。
「ぐっ......どりゃあっ!!」
キラリは音波による衝撃波に吹き飛ばされるが、そんなことでまた壊れるわけにもいかなかった。 離されたなら、また近づくのみだ。 近くにあった木にうまく両足で着地して、勢いをつけダンと幹を蹴った。 そしてまた技を仕掛ける。 今度は、尻尾に鋼を纏って......
「おじいちゃん......いい加減頭冷やして!!」
その尻尾を、[アイアンテール]を、勢いよくラケナの頭上へと振り下ろす。
だが、予想もしない事態がキラリを襲う。
「......!?」
刹那、キラリの鼻に焦げるような匂いが届いたのだ。何かがおかしいとすぐに飛び退くが......。
その瞬間、ズドンという轟音が響き、目の前がホワイトアウトした。
「えっ......!?」
キラリは咄嗟に目を閉じてしまう。 でも、目を開けていようと辺りの明暗というのはよくわかるものだ。 暗闇の中の白味が消えたのでそろりと目を開けて見てみると、自分が着地しそうだった位置の地面が黒く焦げている。 少し経って、やっと雷が落ちたのだと理解した。 間一髪。 鼻が気付いてくれなければ、完全にあれにやられていた。
驚愕の表情を浮かべるキラリだったが、それはラケナも同様だった。 違うところを挙げるとすれば、彼の目がより生気を持って輝き出したぐらい。
「ほっほう、怒っているといっても、感情任せではなさげじゃのう。
......完全に望みがないわけでもなさそうじゃ」
「......」
キラリは黙ったまま構え続ける。 実際に雷は受けていないのに、身体中がひりひりとしていた。 こんなスリルが好きなポケモンも勿論いるだろうが、多分彼女はそういうポケモンとは気が合いそうにはなかった。 再び足が震えるのを、必死に押し隠す。 そして、これからまた攻撃が来るのか......?と警戒していた。
ユズの方をちらりと見てみる。
「ユズ、一旦守って立て直す!」
「はい!」
「ええいこいつ、ちょこまかと!!」
あのユズの素早い動きからして、力を発動させているのだろうか。 いや、そうに違いないと確信できた。 何度も隣で見てきた光景だ。 ......心配だけれど、レオンもいるからきっと大丈夫だとなんとか気持ちを落ち着けた。 前のように暴走しているわけでもないのが、彼女の心の更なる安心材料になった。
イリータとオロルも、なんとか持ち堪えている。 ヨヒラがメタモンだったという事実に怯まず立ち向かう姿は、頼もしさを覚えるには十分だった。 あの2匹もきっと大丈夫。
......寧ろ、こちらが長期戦になった方が遥かにまずいのは簡単に予想できる。 だから、キラリはこの戦いにまず集中しなければならなかった。 相手の1匹を確実に倒すために。 ラケナに勝つために。 とうに覚悟は決めていた。 深呼吸をして、足を落ち着かせる。
だが、そこからのラケナの言葉は拍子抜けするようなものだった。
「......ちょびっと時間が気になるのう。 えーっと、そうじゃ、キラリちゃん、今は何時かの?」
「......は、はぁ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。 気持ちを集中させていたのに、彼はその集中の紐を思い切り緩めてくる。
罠か何かじゃないかという警戒心は隠せないが、怒っていようと何だろうとキラリはキラリだ。 どこまでも正直な女の子だ。 馬鹿正直に、現在時刻を考える。
「太陽の傾きからして......2時とかそんぐらい」
「もう2時か、1日は早いのお......いつまで時間稼ぎすればいいのか」
「時間稼ぎって何さ......? やっぱりユズ関連? ユズがいると邪魔だから? 消えて欲しいから?」
核心を突かれて、ラケナの目が丸くなる。 そして、少し辺りを見回したその後に、少しくすりと笑って続けた。
「......くくっ。 いやぁ、笑いが収まらんのう......。
状況が、あまりにシュールでの」
「......?」
「なあに、こっちの話じゃよー」
そう言いながら、ラケナは思い切り[10まんボルト]を放ってくる。
地を這うようにして流れてきたので、キラリは高く飛び上がってかわした。 そこからまた、今度は[じゃれつく]の体勢を取る。
「......ほんっと、油断も隙もないなぁ!!」
それは嫌味なのか、気まぐれな彼への呆れなのか。 もしかしたら両方かもしれなかった。 1対2から再び1対3へ。 戦況は、少しずつ変わろうとしていた。
ユズと戦っているフィニは言わずもがな、ヨヒラとラケナも、戦いながらも少しずつユズの方に目を向け始める。 力を発露したユズの姿を、ちらりちらりと見る。
そんな3匹の頭の中には、黒幕による朝の無線の内容が過っていた。
ーーまずはじっくりと観察しなければならない。
こちらがどれだけ予想してもそれはただの憶測でしかないからだ。
なんとしてでもその力とやらを発動させるように。
そして、時間を稼ぐようにーー。
シンプルな指示ではあるものの、時間を稼ぐというのがいつまでなのか合図もない以上、戦い続けるしかない。 正直言ってしまうと、3匹にはよく分からないのだ。 自分達の予想が当たっているのかどうか。 理解出来るのは、自分達を束ねてくれる者だけ。 ユズ達の攻撃だけではなく、その者の理解がいつになるかも分からないからこその焦りも、3匹を襲ってきているのだ。
だが、ヨヒラとフィニに関しては忠実にそれを遂行しようとしていた。 来るまでは耐える。 その1つの言葉を胸に、気張っていた。
そして。 ラケナは、どこまでも例外という言葉が似合うようで。
(まだかのう、まだかのう)
戦いの最中だというのに、どうしても彼の腹は煮えくり立って仕方がなかったのだ。 攻撃を受けてそれを弾くたびに、痛みが蓄積されるたびに、その苛々はどこまでも高まっていく。 髭に隠れて見えづらいけれど、その口元は歪んでいた。 歯を食いしばって、静かに震えていた。
そんな心情も知らずに飛び込んでくる小さな少女相手には、どこか健気さを覚えてしまう。 彼の怒りの対象は全くもって彼女ではないから、寧ろ癒しのようにも思えるのだ。
......彼女だけではない。 時間稼ぎのための不毛な戦いのために全力を尽くすポケモン達が、言ってしまうと哀れでならなかった。 だから、こうやって焦らされるのが心底苦しいのだ。
(もう頃合いじゃないかの)
この戦いを止めたかった。 どうせ意味などないのに。 どちらがいくら優勢であろうと今は関係ないのに。 というか、こちらが先に全員倒れたらどう責任を取ってくれる。
ラケナの苛立ちは、その足取りにも現れ始める。
遅い、遅い、遅すぎる。
すぐ側にいるくせに。 見ているくせに。
考え過ぎにもほどがある。
さっさと結論を出せ。 ......馬鹿者が。
「......おじいちゃん?」
その異変にいち早く気づいたのは、キラリだった。 でも、声をかけても彼は変わることなくこちらに向かってきたから、気づいたからと言って何か出来るわけでもなかった。
「はぁっ、はぁっ」
......思えば、今まで力を発露した時は全部短期決戦だった。 戦いが長引いていくほど、ユズの息切れは強くなっていった。 なかなかフィニの方もしぶといというのもある。 だが、ここで全力を出したら後がきつくなると思い、一応加減はしていたのだ。 結果的にさっさと片付けるなんてことは出来なくなり、彼女の体力はかなりきつい状況下に置かれてしまったけれど。
(大丈夫......キラリは起きた......私は目の前のことに、集中すればいい......!)
悲鳴を上げる体を、なんとか奮い立たせる。 キラリが戦線に復帰したという事実がユズの心を落ち着かせていた。 彼女ならもう大丈夫。 ケイジュやジュリだっている。 だからこちらはただフィニを倒せばいいのだ。
しかし、目の前のポケモンを体力が切れる前に、即ち迅速に倒すことに集中するとなると、当然リミッターも外れてくるものだ。 特に、心は。
「......ユズ、突っ込みすぎるなよ!」
「あっ、はい!」
レオンが注意してくれるけれども、その返事にはどこか中身がなかった。 咄嗟に返したというだけの、虚ろとも言える返事。
(......レオンさん、ごめんなさい。 でも正直、私はどうなったっていいんだ)
彼はちゃんとユズの身をを案じてくれる。 キラリもそうだ。 他のポケモン達だって、みんなそうだ。
でも、彼女が世界の命運に関わるなら、無理なんてせざるを得ないんだ。
1匹のチコリータが倒れること、世界の全員がやられることを天秤にかけたら、それは果たしてどちらに傾くだろう。 どちらの方が重要度が高いだろう。
無論、後者の方である。
(私が、私がやらなきゃ......!)
......どんな言葉をかけられようと、どのように諭されても。 根底にあるものを変えるのは、中々難しい。 ユズの場合は、自分の身の危険も厭わない心だ。
だからこそユズは今、使命感に呑まれそうになっていた。
......待って。
その時だった。 ユズの背後から、何か声が響く。
振り向いてみる。 でも、誰もいない。 あるとすれば、地面でゆらゆらと踊る落ち葉だけだ。 落ち葉が喋るなど、あり得ない。
「よそ見すんなよ!」
「っ!?」
目線を思い切り逸らしていたので、フィニの攻撃に危うく当たりそうになる。 なんとか避けるが、ユズの意識は再び背後の方へと向いた。
これは......夢にいた、あの人間の声だ。
ーー振り返って。 後ろを見て。 目の前のことだけに囚われないで。
不快さはなかった。 声は「ただ」そこにあった。
でも気を引くには十分だった。 だって、その声は。
お願い。 どうかお願い。
......あなたがあなたでなくなる前に。
ユズを止めたいかのように、懇願するように、どこかから語りかけてくるようだったから。
「ユズ!」
そのレオンの切羽詰まった言葉に、ユズはまた正気を取り戻す。 そこからは、耳を澄ましても声はもう聞こえなかった。
「......いい加減にくたばれよっ!!」
フィニの息も徐々にだが上がってきている。 長期戦にはなったけれど、今までの攻防は無駄ではなかった。 さっきの声がなければ、多分一気に畳み掛けていた。
(......私が、私でなくなる前に)
だが、その言葉によって、ユズのスピードは若干緩んでいた。 何故かって? 心当たりが1つあったからだ。
ユズ自身も、確かに鍾乳洞の件では自分が自分でないように思えていた。 気づいたらエルレイドは倒れていたし、身体もふらふらだった。 多分、そのことを指しているといってもいいかもしれなかった。
でも、何故今この警告が入るのか。 夢の声は、ユズの変化などお見通しなのだろうか。 まあ、本能が生み出した空耳かもしれない......という可能性は捨てきれないけれど。
(......よく、分からないけれど......でも、慎重に行けって話だよね)
流石にこの言葉に逆らってはいけない気がしていた。 逆らえばきっと良くないことが起こる。 だから、ユズはより意識的に力をセーブした。 更に戦いが続く中で、こちらの息の音と、フィニの息の音。 両方が重い疲労をはらんできていた。
......そして、それは他の全員も例外ではなかった。
つまりだ。
あと少しで決着はつくということを、彼らの息遣いはかすかに暗示しているのだ。
「踏ん張るわよオロル!!」
「ああ、負けないっ!!」
イリータも、オロルも。
「あと少し......!」
「一気に行くぞっ!」
「うんっ!!」
ケイジュも、ジュリも、キラリも。
「ユズいけるか!? 早めにやるぞ!!」
「はぁっ......はい! なんとか......!!」
ユズも、レオンも。
それぞれの想いを胸に、それぞれの相手へとぶつかっていく。
「......舐めるな!」
「俺はまだ終わってねぇよ......!」
そして、ヨヒラやフィニも、各々力を溜め始めていた。
ここで倒されるなんてことは、身体中のどの細胞に聞いたところで絶対に許されない。そこまでの覚悟の下で。
ーー短期決戦だ。 この一撃で、きっと、決着がつく!!
「......やめじゃやめじゃ!!」
そのラケナの声によって、ぴたりと攻撃の手が止まった。 ラケナの方に向かって行った3匹も、びくりと身体を震わせて止まってしまう。 それくらいに強い声だった。
全員がラケナの方を見やる。 ラケナは、一方向......そう、キラリ達がいる方を凝視し、呆れた顔をしていた。 余程苛立っているのか、随分と髭が逆立っている。
「......のう、そろそろもういいじゃろ? 待たせすぎじゃよ。
......「お主」が来る前にワシらがやられたらどうするんじゃ」
その刹那。 全員に悪寒が走った。 まるで吹雪を放たれたかのような、背筋が凍りつきそうな感覚。 きっと、黒幕に向けた言葉だ。 そうに違いない。 木々にでも潜んでいたのかとイリータとオロルは周りを見渡すけれども、果たして何もなかった。
「傷つけないように配慮したのだからな......全く、自分には関係の無い顔をして聞いておって」
傷つけないように? 一体誰に言っているんだろうか。 予想がつかず、皆困惑するばかり。
そんなことには構わず、ラケナはその「黒幕」を呼び寄せる。
「何度も言うけど、もういいじゃろう。 どうせ力試しとかのつもりだったんじゃろ? 趣味悪いのう。
もう既に時は来た。 そうじゃろ?」
力試し? どういうことだ? 誰に言っている? 確実に、目線はキラリ達の方へと向いている。 でも何故? 後ろにでも、何か......?
困惑に震えていた時だった。
すっと、キラリの近くで、何かが動く音がした。
全員が、その場から動けなくなった。
全員が、その場で息を、言葉を忘れた。
全員の心が、水の中へと閉ざされる心地になった。
水中では、息ができない。 酸素が行き渡らない。 だから正常な思考などはあっけなく奪われる。 そして目の前の光景は、いつもと違うスピードで、いつもと違う色合いで、自分の眼球に映ってくる。 身体は動かなかった。 まるで極寒の水の中で漂うことしかできない氷のようになってしまって、どこまでも役立たずだった。 引き止める手段などなかった。 動けたとしても、もう戻れないことなんて分かりきっているけれど。
混乱の中、全員が発する思考は、ただ1つだった。 ......そこにいた、「6匹」が発する思考は。
おかしいじゃないか。 だってずっと近くにいたのに。
どうしてだ。 あんなに優しい顔をしていたのに。
どうして。 どうして。
なんで、あなたが「そっち」に行くの。
......ケイジュさん。
秋を迎えて、最後の盛りとばかりに赤に染まった木々の葉っぱは、それに乗って何枚か吹き飛ばされそうになる。 耐えられなくなって枝から葉が離れるのと同時に、ざあと轟音が鳴る。 葉っぱ同士が触れ合って、盛大なオーケストラとなる。
その音とともに、風とともに。 戦場に向かって、颯爽と走り出すポケモンがいた。
「......[スイープビンタ]っ!!」
ケイジュとジュリの相手をするのに気を取られていたラケナに対して、背後から唐突に攻撃が襲いかかった。
柔らかいはずの尻尾が、鞭のようにしなってラケナの体にぶつかる。
「ぬおっ!?」
突然の衝撃に、彼は間抜けな声を上げる。 その向かいにいる2匹は、その攻撃をした者の正体を当然のことながら目の当たりにしていた。 力強く振るわれる灰色の尻尾を見て、心なしかジュリの顔に少しの安堵が浮かぶ。
「......あーあ、油断しちったかのう」
ラケナもすぐに察したようで、後ろを振り向く。 そこには攻撃の構えをとっているキラリがいた。 今までに誰も見たことのないような、厳しい顔で立っていた。 ちゃんと、足を地に踏みしめて。
困惑に満ちていた先程までとは、どこか大きく変わっている。
「おじいちゃん、覚悟してよ」
キラリは、ラケナを強い眼光で睨みつけて言った。 そしてそのまま、[トリプルアクセル]を繰り出す。 オロルが技を放つ時の雪の匂いを思い起こしながら、氷を纏った尻尾を、合計3回ラケナにぶつけた。 初めて故に、精度はあまり高くなかったけれど。
氷はとても冷たいものだ。 冷ややかで、冷静なイメージが付き纏う。 けれど、今の彼女の攻撃にその想像はあまりにも似つかわしくなかった。 氷は、あくまでラケナに大ダメージを与えるための手段に過ぎない。 込められている感情は、決して冷ややかさなどではない。
まるで、地に眠る火山のマグマのように、熱く、煮えたぎった感情。
「......私、今すっっっごい怒ってるから」
その言葉に、ラケナの白髪が若干昂った。 そして、ほほほと不敵に笑う。
「若者は、やはり面白いのう。 別にワシじゃないじゃろ。 怒ってるのは」
「そうだよ。 私は私に対して怒ってるの」
はっきりとキラリは返した。 ぐっと、強くその手を握りしめて。
だが、顔はそのまま眉間に皺を寄せているわけではなく。 ラケナに対して、少し悲しげに微笑みかけていた。
「......悲しいけどさ、おじいちゃんの言う通りだよ。 確かに私はちっぽけだ。 みんながいてくれないと、なんにも出来やしないよ。 だからやっぱり自分がとことん嫌になる。 今回だって、助けられたから。
受け止めるしか、ないの。 無力なのは、図星でしかないから。 それでも!」
跳ね上がり、またラケナへと技を出す。 今度は十八番の[スピードスター]で。
「おじいちゃん、だから今は時間が欲しいの。 もっかい、ちゃんと目指すものと向き合いたいの。 ずうっと嘆いてばかりじゃいられないんだよ」
無数の星があたりを漂う。 少し漂った後に、それは光線となって真っ直ぐにラケナの元へと向かっていった。 [スピードスター]は絶対に当たる技だ。 [スイープビンタ]などを通してでは曖昧にしか伝わらなかった意思も、これに乗せてならしっかりと伝えられる。
少しずつ、向き合っていかないといけないのだ。 即決することができるような問題でないことはとっくに分かっている。 即決するとなると、貫くか諦めるかの2択しか取れない。 でも、それをするわけにはいかない。そのまま貫くにはあまりに脆い夢だと分かったけれども、どこかで全てを諦めきれない部分もあるのだ。 じっくり考えないといけない。 自分の力で。 皆の知恵も借りて。 暗い深海に潜む、真の宝物を見つけないといけない。
だから、だから。
「そして......今あなたに勝たなきゃ、そんな時間なんてどこにも無いの!!」
連続で飛んでくる星が、キラキラとした輝きを増していく。 そのためか、どこかいつもより技に勢いがあった。 ラケナは一瞬顔を歪めたが、間髪入れず音波を放つ。[ハイパーボイス]だ。 まるで、キラリの願いを掻き消そうとしているようだった。
「ぐっ......どりゃあっ!!」
キラリは音波による衝撃波に吹き飛ばされるが、そんなことでまた壊れるわけにもいかなかった。 離されたなら、また近づくのみだ。 近くにあった木にうまく両足で着地して、勢いをつけダンと幹を蹴った。 そしてまた技を仕掛ける。 今度は、尻尾に鋼を纏って......
「おじいちゃん......いい加減頭冷やして!!」
その尻尾を、[アイアンテール]を、勢いよくラケナの頭上へと振り下ろす。
だが、予想もしない事態がキラリを襲う。
「......!?」
刹那、キラリの鼻に焦げるような匂いが届いたのだ。何かがおかしいとすぐに飛び退くが......。
その瞬間、ズドンという轟音が響き、目の前がホワイトアウトした。
「えっ......!?」
キラリは咄嗟に目を閉じてしまう。 でも、目を開けていようと辺りの明暗というのはよくわかるものだ。 暗闇の中の白味が消えたのでそろりと目を開けて見てみると、自分が着地しそうだった位置の地面が黒く焦げている。 少し経って、やっと雷が落ちたのだと理解した。 間一髪。 鼻が気付いてくれなければ、完全にあれにやられていた。
驚愕の表情を浮かべるキラリだったが、それはラケナも同様だった。 違うところを挙げるとすれば、彼の目がより生気を持って輝き出したぐらい。
「ほっほう、怒っているといっても、感情任せではなさげじゃのう。
......完全に望みがないわけでもなさそうじゃ」
「......」
キラリは黙ったまま構え続ける。 実際に雷は受けていないのに、身体中がひりひりとしていた。 こんなスリルが好きなポケモンも勿論いるだろうが、多分彼女はそういうポケモンとは気が合いそうにはなかった。 再び足が震えるのを、必死に押し隠す。 そして、これからまた攻撃が来るのか......?と警戒していた。
ユズの方をちらりと見てみる。
「ユズ、一旦守って立て直す!」
「はい!」
「ええいこいつ、ちょこまかと!!」
あのユズの素早い動きからして、力を発動させているのだろうか。 いや、そうに違いないと確信できた。 何度も隣で見てきた光景だ。 ......心配だけれど、レオンもいるからきっと大丈夫だとなんとか気持ちを落ち着けた。 前のように暴走しているわけでもないのが、彼女の心の更なる安心材料になった。
イリータとオロルも、なんとか持ち堪えている。 ヨヒラがメタモンだったという事実に怯まず立ち向かう姿は、頼もしさを覚えるには十分だった。 あの2匹もきっと大丈夫。
......寧ろ、こちらが長期戦になった方が遥かにまずいのは簡単に予想できる。 だから、キラリはこの戦いにまず集中しなければならなかった。 相手の1匹を確実に倒すために。 ラケナに勝つために。 とうに覚悟は決めていた。 深呼吸をして、足を落ち着かせる。
だが、そこからのラケナの言葉は拍子抜けするようなものだった。
「......ちょびっと時間が気になるのう。 えーっと、そうじゃ、キラリちゃん、今は何時かの?」
「......は、はぁ?」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。 気持ちを集中させていたのに、彼はその集中の紐を思い切り緩めてくる。
罠か何かじゃないかという警戒心は隠せないが、怒っていようと何だろうとキラリはキラリだ。 どこまでも正直な女の子だ。 馬鹿正直に、現在時刻を考える。
「太陽の傾きからして......2時とかそんぐらい」
「もう2時か、1日は早いのお......いつまで時間稼ぎすればいいのか」
「時間稼ぎって何さ......? やっぱりユズ関連? ユズがいると邪魔だから? 消えて欲しいから?」
核心を突かれて、ラケナの目が丸くなる。 そして、少し辺りを見回したその後に、少しくすりと笑って続けた。
「......くくっ。 いやぁ、笑いが収まらんのう......。
状況が、あまりにシュールでの」
「......?」
「なあに、こっちの話じゃよー」
そう言いながら、ラケナは思い切り[10まんボルト]を放ってくる。
地を這うようにして流れてきたので、キラリは高く飛び上がってかわした。 そこからまた、今度は[じゃれつく]の体勢を取る。
「......ほんっと、油断も隙もないなぁ!!」
それは嫌味なのか、気まぐれな彼への呆れなのか。 もしかしたら両方かもしれなかった。 1対2から再び1対3へ。 戦況は、少しずつ変わろうとしていた。
ユズと戦っているフィニは言わずもがな、ヨヒラとラケナも、戦いながらも少しずつユズの方に目を向け始める。 力を発露したユズの姿を、ちらりちらりと見る。
そんな3匹の頭の中には、黒幕による朝の無線の内容が過っていた。
ーーまずはじっくりと観察しなければならない。
こちらがどれだけ予想してもそれはただの憶測でしかないからだ。
なんとしてでもその力とやらを発動させるように。
そして、時間を稼ぐようにーー。
シンプルな指示ではあるものの、時間を稼ぐというのがいつまでなのか合図もない以上、戦い続けるしかない。 正直言ってしまうと、3匹にはよく分からないのだ。 自分達の予想が当たっているのかどうか。 理解出来るのは、自分達を束ねてくれる者だけ。 ユズ達の攻撃だけではなく、その者の理解がいつになるかも分からないからこその焦りも、3匹を襲ってきているのだ。
だが、ヨヒラとフィニに関しては忠実にそれを遂行しようとしていた。 来るまでは耐える。 その1つの言葉を胸に、気張っていた。
そして。 ラケナは、どこまでも例外という言葉が似合うようで。
(まだかのう、まだかのう)
戦いの最中だというのに、どうしても彼の腹は煮えくり立って仕方がなかったのだ。 攻撃を受けてそれを弾くたびに、痛みが蓄積されるたびに、その苛々はどこまでも高まっていく。 髭に隠れて見えづらいけれど、その口元は歪んでいた。 歯を食いしばって、静かに震えていた。
そんな心情も知らずに飛び込んでくる小さな少女相手には、どこか健気さを覚えてしまう。 彼の怒りの対象は全くもって彼女ではないから、寧ろ癒しのようにも思えるのだ。
......彼女だけではない。 時間稼ぎのための不毛な戦いのために全力を尽くすポケモン達が、言ってしまうと哀れでならなかった。 だから、こうやって焦らされるのが心底苦しいのだ。
(もう頃合いじゃないかの)
この戦いを止めたかった。 どうせ意味などないのに。 どちらがいくら優勢であろうと今は関係ないのに。 というか、こちらが先に全員倒れたらどう責任を取ってくれる。
ラケナの苛立ちは、その足取りにも現れ始める。
遅い、遅い、遅すぎる。
すぐ側にいるくせに。 見ているくせに。
考え過ぎにもほどがある。
さっさと結論を出せ。 ......馬鹿者が。
「......おじいちゃん?」
その異変にいち早く気づいたのは、キラリだった。 でも、声をかけても彼は変わることなくこちらに向かってきたから、気づいたからと言って何か出来るわけでもなかった。
「はぁっ、はぁっ」
......思えば、今まで力を発露した時は全部短期決戦だった。 戦いが長引いていくほど、ユズの息切れは強くなっていった。 なかなかフィニの方もしぶといというのもある。 だが、ここで全力を出したら後がきつくなると思い、一応加減はしていたのだ。 結果的にさっさと片付けるなんてことは出来なくなり、彼女の体力はかなりきつい状況下に置かれてしまったけれど。
(大丈夫......キラリは起きた......私は目の前のことに、集中すればいい......!)
悲鳴を上げる体を、なんとか奮い立たせる。 キラリが戦線に復帰したという事実がユズの心を落ち着かせていた。 彼女ならもう大丈夫。 ケイジュやジュリだっている。 だからこちらはただフィニを倒せばいいのだ。
しかし、目の前のポケモンを体力が切れる前に、即ち迅速に倒すことに集中するとなると、当然リミッターも外れてくるものだ。 特に、心は。
「......ユズ、突っ込みすぎるなよ!」
「あっ、はい!」
レオンが注意してくれるけれども、その返事にはどこか中身がなかった。 咄嗟に返したというだけの、虚ろとも言える返事。
(......レオンさん、ごめんなさい。 でも正直、私はどうなったっていいんだ)
彼はちゃんとユズの身をを案じてくれる。 キラリもそうだ。 他のポケモン達だって、みんなそうだ。
でも、彼女が世界の命運に関わるなら、無理なんてせざるを得ないんだ。
1匹のチコリータが倒れること、世界の全員がやられることを天秤にかけたら、それは果たしてどちらに傾くだろう。 どちらの方が重要度が高いだろう。
無論、後者の方である。
(私が、私がやらなきゃ......!)
......どんな言葉をかけられようと、どのように諭されても。 根底にあるものを変えるのは、中々難しい。 ユズの場合は、自分の身の危険も厭わない心だ。
だからこそユズは今、使命感に呑まれそうになっていた。
......待って。
その時だった。 ユズの背後から、何か声が響く。
振り向いてみる。 でも、誰もいない。 あるとすれば、地面でゆらゆらと踊る落ち葉だけだ。 落ち葉が喋るなど、あり得ない。
「よそ見すんなよ!」
「っ!?」
目線を思い切り逸らしていたので、フィニの攻撃に危うく当たりそうになる。 なんとか避けるが、ユズの意識は再び背後の方へと向いた。
これは......夢にいた、あの人間の声だ。
ーー振り返って。 後ろを見て。 目の前のことだけに囚われないで。
不快さはなかった。 声は「ただ」そこにあった。
でも気を引くには十分だった。 だって、その声は。
お願い。 どうかお願い。
......あなたがあなたでなくなる前に。
ユズを止めたいかのように、懇願するように、どこかから語りかけてくるようだったから。
「ユズ!」
そのレオンの切羽詰まった言葉に、ユズはまた正気を取り戻す。 そこからは、耳を澄ましても声はもう聞こえなかった。
「......いい加減にくたばれよっ!!」
フィニの息も徐々にだが上がってきている。 長期戦にはなったけれど、今までの攻防は無駄ではなかった。 さっきの声がなければ、多分一気に畳み掛けていた。
(......私が、私でなくなる前に)
だが、その言葉によって、ユズのスピードは若干緩んでいた。 何故かって? 心当たりが1つあったからだ。
ユズ自身も、確かに鍾乳洞の件では自分が自分でないように思えていた。 気づいたらエルレイドは倒れていたし、身体もふらふらだった。 多分、そのことを指しているといってもいいかもしれなかった。
でも、何故今この警告が入るのか。 夢の声は、ユズの変化などお見通しなのだろうか。 まあ、本能が生み出した空耳かもしれない......という可能性は捨てきれないけれど。
(......よく、分からないけれど......でも、慎重に行けって話だよね)
流石にこの言葉に逆らってはいけない気がしていた。 逆らえばきっと良くないことが起こる。 だから、ユズはより意識的に力をセーブした。 更に戦いが続く中で、こちらの息の音と、フィニの息の音。 両方が重い疲労をはらんできていた。
......そして、それは他の全員も例外ではなかった。
つまりだ。
あと少しで決着はつくということを、彼らの息遣いはかすかに暗示しているのだ。
「踏ん張るわよオロル!!」
「ああ、負けないっ!!」
イリータも、オロルも。
「あと少し......!」
「一気に行くぞっ!」
「うんっ!!」
ケイジュも、ジュリも、キラリも。
「ユズいけるか!? 早めにやるぞ!!」
「はぁっ......はい! なんとか......!!」
ユズも、レオンも。
それぞれの想いを胸に、それぞれの相手へとぶつかっていく。
「......舐めるな!」
「俺はまだ終わってねぇよ......!」
そして、ヨヒラやフィニも、各々力を溜め始めていた。
ここで倒されるなんてことは、身体中のどの細胞に聞いたところで絶対に許されない。そこまでの覚悟の下で。
ーー短期決戦だ。 この一撃で、きっと、決着がつく!!
「......やめじゃやめじゃ!!」
そのラケナの声によって、ぴたりと攻撃の手が止まった。 ラケナの方に向かって行った3匹も、びくりと身体を震わせて止まってしまう。 それくらいに強い声だった。
全員がラケナの方を見やる。 ラケナは、一方向......そう、キラリ達がいる方を凝視し、呆れた顔をしていた。 余程苛立っているのか、随分と髭が逆立っている。
「......のう、そろそろもういいじゃろ? 待たせすぎじゃよ。
......「お主」が来る前にワシらがやられたらどうするんじゃ」
その刹那。 全員に悪寒が走った。 まるで吹雪を放たれたかのような、背筋が凍りつきそうな感覚。 きっと、黒幕に向けた言葉だ。 そうに違いない。 木々にでも潜んでいたのかとイリータとオロルは周りを見渡すけれども、果たして何もなかった。
「傷つけないように配慮したのだからな......全く、自分には関係の無い顔をして聞いておって」
傷つけないように? 一体誰に言っているんだろうか。 予想がつかず、皆困惑するばかり。
そんなことには構わず、ラケナはその「黒幕」を呼び寄せる。
「何度も言うけど、もういいじゃろう。 どうせ力試しとかのつもりだったんじゃろ? 趣味悪いのう。
もう既に時は来た。 そうじゃろ?」
力試し? どういうことだ? 誰に言っている? 確実に、目線はキラリ達の方へと向いている。 でも何故? 後ろにでも、何か......?
困惑に震えていた時だった。
すっと、キラリの近くで、何かが動く音がした。
全員が、その場から動けなくなった。
全員が、その場で息を、言葉を忘れた。
全員の心が、水の中へと閉ざされる心地になった。
水中では、息ができない。 酸素が行き渡らない。 だから正常な思考などはあっけなく奪われる。 そして目の前の光景は、いつもと違うスピードで、いつもと違う色合いで、自分の眼球に映ってくる。 身体は動かなかった。 まるで極寒の水の中で漂うことしかできない氷のようになってしまって、どこまでも役立たずだった。 引き止める手段などなかった。 動けたとしても、もう戻れないことなんて分かりきっているけれど。
混乱の中、全員が発する思考は、ただ1つだった。 ......そこにいた、「6匹」が発する思考は。
おかしいじゃないか。 だってずっと近くにいたのに。
どうしてだ。 あんなに優しい顔をしていたのに。
どうして。 どうして。
なんで、あなたが「そっち」に行くの。
......ケイジュさん。