1.クアラと長老

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***

早朝、淡いもやがたなびく森の中を、小さな鳥ポケモンが一心に飛び続けていた。伝令係のスバメ、クアラだ。
彼女の目指す方角からは、ごく短い間隔ごとに、ズシン…ズシン…とかすかな地響きのような音が伝わってくる。
だがその音の源は遠く、耳をよく澄ましていないと、風の音に紛れて聞き漏らしてしまいそうなほど小さかった。

(まったく、この時期の気候と言ったら…)
クアラは心の中でぼやいた。
森の空気はべたついていて、羽ばたくたびにぬるく重い風が全身にまとわりついてくる。これから日が高く昇れば、うだるような暑さも追加されることだろう。
爽やかだった季節は過ぎ去り、もうじき本格的な夏を迎えようとしていた。

三百六十度、どこを見回しても緑、緑、緑――。
良く言えば見慣れた、悪く言えば面白みのない景色に飽き飽きしてきた頃、クアラは、先ほどまでかすかだった地響きの音が、やや明瞭になり始めていることに気づいた。
(――やっと追いついた!)
自然と翼に力がこもり、クアラはさらに加速した。目標には確実に近づいている。
――それからどれほどの間飛び続けただろう。やがてクアラは、何本もの木々が重なる先、乳白色のもやが漂うそのさらに向こうに、四つ足で歩く大きなポケモンの姿をちらりと認めた。今までずっと聞こえていた地響きは、他でもないあのポケモンの足音だったのだ。
そして、あれこそがまさに、彼女が探していたポケモンだった。
クアラはぽつんと見える小さな点に向けて大声で呼びかけた。
「長老さま~!!」

***

はるか後方で誰かの声がした気がして、フシギバナのユグドは歩みを止めた。
地を揺るがすような足音が止み、たちまち周囲に静寂が下りる。
ユグドは目だけでちらっと後ろを確認した。視界には淡い朝もやが漂うばかりだ。
今度は体ごと振り返ってみる。だが、うんと目を凝らしてみるも、やはり声の主らしい影は確認できない。やはり気のせいか、と、再び前を向いて歩き出した。
高齢の彼は、視力も聴力も悪い。本来であれば、とうに"お迎え"が来ていてもおかしくはない年齢だ。しかし、彼は大自然の流れに反し、通常のフシギバナよりもずっと長い時を生きていたのだった。

コダマの森に生まれ落ちた草ポケモンには長寿が約束されるという。それは、この森に住むセレビィの加護によるものだと言われていた。
事実、この森に住む草ポケモンは、ユグドの知る限りでも長生きの者が多い。
フシギバナの彼も例外ではなく、彼がこの森に生を受けてから、少なくとも数百年ほどの時が経っていた。ファヴールを統べる長老に任命されたのも、彼が今、森に生きているポケモンの中でも、かなり長生きの部類に入るからということが一つの理由だった。

「……さま…!…ろうさま!」
「――うん?」
「長老さま!!」
耳元で突然上げられた大声に、ユグドはまぶたを跳ね上げて、おお、と間の抜けた声を発した。
見ると、不機嫌を顔に張り付けた小さなスバメが、翼をせわしなく羽ばたかせている。
「――なんだクアラか。年寄りをあまり驚かさないでもらえるかね?心臓に悪いのでな」
「何度お呼びしても止まってくださらないからです!それとも、このくちばしでつっついてさしあげた方が良かったでしょうか?」
吐き捨てるように言い放たれ、ユグドは喉を鳴らして笑った。歯に衣着せぬ物言いをするこの伝令係のことが、彼は嫌いではなかった。

クアラはユグドの前に降り立つと、顔つきをきりっと引き締めた。
「早速これまでのご報告をさせて頂きます。昨夜から今朝にかけては特に異状はありませんでした。隊員の皆さんからも事件や事故などのトラブルは聞いていません。ここのところは森に住むポケモンたちも落ち着いているようで、結構なことですね」
よどみなく続けられる報告に、ユグドは静かに耳を傾けた。
――長老である彼は、毎日早朝と夕方に、こうしてクアラと情報のやり取りをする。
クアラから警備隊の活動状況や森での事件・事故の知らせを聞いて、必要となれば適宜指示を出す。
警備隊という組織はそうして機能していた。

「――さて、こちらからの報告は以上ですが、長老さまから何か伝達事項やご質問はございますか?」
「そうだな、今日は二つほど。どちらも例の新入り二匹のことだ。入隊してもうひと月になるが、元気にやってるかね?」
まさかシンシアたちのことを訊かれるとは予想していなかったらしく、クアラは心底意外そうな顔をした。
「シンシアさんとルトラさん…ですか?毎日真面目に働いてますよ。あの初日の一件以降は特に目立ったトラブルもないようです。私としても口出しせずに済んで助かってはいますが...。それが何か?」
ユグドは満足げに頷いた。
「それならば結構。そろそろ一度面会したいと思っていたところだ。ついでに頼みたいこともあるしな」
「は?面会…!?」
クアラの目がいよいよ、落っこちそうなほど見開かれた。

ユグドはまだ、シンシアたちと顔を合わせたことがない。唯一の接触らしい接触といえば、二匹が入隊を志願した時に手紙でやり取りしたことだけだ。
シンシアたちに限らず、隊員と長老とが直接顔を合わせる機会はあまりない。
ひとつは、距離の問題だ。長老が住むのは森の北側で、駐屯地があるのは森の南側である。クアラのように小回りの利く小型の鳥ポケモンであれば、往復にもさほど時間はかからないが、陸上で活動するポケモンにとっては、片道だけでもかなりの負担となる。
もうひとつは、ユグドの老体が理由だ。彼は朝夕の散歩以外では出歩くことも少なく、一日の内では、活動的な時間よりもじっと考え事に耽っている時間の方が多かった。

そうして隊員と一定の距離を保ってきた長老が、いきなり新入りと面会したいなどと――加えて頼み事をしたいなどと――言い出したのだから、クアラが驚くのも当然のことだった。
「ここで話せば長くなる。悪いが、これから儂の家まで来てくれんか」
未だ釈然としない様子で突っ立っているクアラにそう言って、ユグドはのっしのっしと歩き出した。

***

ユグドの家は、そこから少し離れた川の近くにあった。
数本の木を柱に据えた木製の家には、ところどころに風を通すための隙間が開けられていて、この時期でも涼しかった。
こうした住み良い家を建てられるのも、長老であればこそだ。

この森では原則として、大量の草木を切り払ったり、人工的な建造物を建てたりすることは禁じられている。それは森と、森の自然を育むとされる森の神への配慮によるものだ。
しかし、警備隊の駐屯地のように、森のために必要とされた場合は別である。
そして、この家もまた、遠い昔にセレビィの許しを得て建てられた物なのだった。
すなわち、長老という存在はそれほど必要とされているのだ。

クアラが川のせせらぎにぼんやり耳を傾けていると、ユグドが家から姿を現した。
彼の体から伸ばされた 蔓には、小さな紙が握られている。
「やあ、待たせてすまんな」
ユグドはくるくると巻かれたそれを、クアラに差し出した。
「これは...手紙、ですか?」
「その通り。ちと読んでみてくれるかな」
クアラは手紙を受け取ると、足で器用に開いて読み始めた。

書かれていたのは簡単な依頼だった。
この森で採れる薬草を分けてほしい、というものだ。
こうした依頼が外部から来るのは珍しいことではない。コダマの森の植生は独特で、特殊な効能を持つ薬草も多く自生しているからだ。
「……なるほど。シンシアさんたちに頼みたいことというのは、この依頼者の案内ですね」
「そういうことだ。察しが早くて助かる」
貴重な薬草が生えているのは大抵が森の奥地で、外部の者が足を踏み入れることは叶わない場所だ。
そのため、長老は外部から薬草の注文を受けると、まずは草ポケモンたちに手分けして採集させる。そしてそれを受け取り、間違いがないか確認をした上で、依頼者を森まで呼び出して直々に手渡すことにしていた。
もちろん、依頼者をわざわざ呼びつけずとも、郵便屋に頼んで運んでもらった方がずっと手軽に渡すことができるだろう。だが、ユグドは意図的にこんな面倒な方法を取っていた。
手続きが面倒であればあるほど、依頼する方も躊躇する。そこには、なるべくこの森に外部からの注目を集めさせたくないという思いがあった。

クアラは手紙を睨みながらしばらく考え込んでいたが、やがて首を振った。
「事情は分かりましたが、あの二匹にここまで来られるとはとても思えません」
そもそもこういう仕事は、長老と面識があり、なおかつどんなトラブルにも対応し得る熟練隊員に任されるものだ。いくら面会ついでとはいえ、新入りに任せるには大いに不安があった。
「だろうな。そこで君の出番というわけだ」
「は?……あの、まさかとは思いますが、私に依頼者とシンシアさんたちを皆まとめてここまで案内させるおつもりですか?」
ユグドが満面の笑みで頷いた。
「君は本当に察しがいいな」
――厄介なことになった。思わず顔に出そうになるのを、クアラはぐっと堪えた。
近頃あの新入りコンビからようやく手が離れてきて、ほっとしていたところだったのに、また面倒を見なければならないとは。
しかし、森で働いている以上長老の命令は絶対だ。不平不満は許されても、逆らうことは許されない。
なるべく平静を装いつつ、しかし最低限の抗議の形として、クアラは苦々しい声をひねり出した。
「…尽力しましょう」
「ほっほっ、頼んだぞ。二匹も案外君のことを恋しがってるかもしれんしな」
「お言葉ですが、それはありえませんね」
きっぱりと断言すると、クアラは翼を広げて飛び立ちかけた。
が、ふと何かを思い出したように固まった。再びユグドを見上げる。
「――そういえば。ここのところ随分暑くなってきましたよね。そろそろ"あの時期"も近いと思うのですが」
その言外に意味するところを、ユグドはすぐさま察した。
「今年は問題ないと保証する。警備隊の活動についても縮小する必要なし、だ」
「――かしこまりました」
風を切るような微かな羽音と共に、クアラは南の空へと飛んでいった。

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