第5話(6) “新たなフロンティア”

しおりが挟まっています。続きから読む場合はクリックしてください
 
ログインするとお気に入り登録や積読登録ができます
読了時間目安:15分
 暗い暗い海の底で、ギラティナは彷徨い続ける。
 反転世界でディアルガと戦ったあの日、ギラティナはふたつに別れた。時間を巻き戻されて、反転世界に閉じ込められたギラティナと、消された未来のギラティナに。
 音もなく、光もない。匂いもなければ、風を切る感覚さえない。呼びかけても誰もいない。虚しい無の空間が果てしなく続いている。最も大事にしていたアルセウスとの繋がりも、感じることができない。ギラティナは全てから切り離された。
 死ぬこともなく、生きることもなく、ただ存在する日々。それが十年続く頃には、ギラティナは虚無の海を漂うだけの抜け殻に成り果てた。
 そして、永遠のような百年が経つ。
 ぼうっと淡い光が見えた。
 それは常夜の空をすうっと横切って、ギラティナの目に光を灯した。あれは希望だと悟った。とにかく無我夢中で、ギラティナは光へとすがった。触手のような翼を、その光へとめいっぱい伸ばして……掴んだ。
 ……気がつけば、いつのまにか眠っていたようだ。蛇のように長い胴を起こして、キョロキョロと周りを見ると、そこは懐かしい穏やかな反転世界だった。天地を覆い尽くす海。浮遊する大陸。すべてが捻れて、すべてが調和した空間。しかし、すぐに別物だと分かった。ここには匂いがない。
『気に入ってくれるといいんスけど』
 振り返ると、人間の映像が浮かんでいた。現実世界を見通すバブルにも似ている。ギラティナは「クルルル」と高く喉を鳴らして、鼻先を近づけた。
『幻の世界から出してあげられなくてごめんなさい。でも、二度とあなたをひとりにはしないっスよ。ここはウルトラホールを旅する航界船、皆あなたの友達になりたいと思ってる』
「クルル」
『そう、友達。もちろんあたいもね』
 こんな刻がくるなんて思ってもみなかった。永遠の孤独こそが、兄弟に牙を剥いた自分に科せられた罰なのだと信じていた。それは違った。この人間が暗黒の牢獄から連れ出してくれたのだ。
「キシャアアン! キシャア!」
 歓喜に震えて、ギラティナは甲高く鳴いた。

 *

 虚数世界から生還した乗組員たちを待っていたのは、あのドクターによる健康診断だった。身体に悪影響が残っていないか確かめるためのものだが、今のところ問題は見つかっていない。あくまで身体の話であるが。
 ごったがえす医療室のベッドに座って、ミュウツーはうんざりした顔でスキャンビームを浴びていた。

「いつまで続くんだ」
「終わるまでいつまでも続くだろうね」

 バークはしたり顔で返した。船長からは特にミュウツーを念入りに調べろと言われている。普段はしないような検査も、今回は堂々とできる。ついでに遺伝子操作の研究でもしてみるか、バイオテクノロジーの技術は闇市場で高く売れる。
 そんな悪意を察してか、ミュウツーはジロリと睨んだ。

「早く終わらせろ、もう結果は見えただろうが。問題なしだ」
「いいえ」ビクティニが前を通り過ぎる際、ツンとした態度で言った。「ドクター、徹底的に検査してやってください。なんなら古い技法も参考にして。たとえば直腸検査とか」

 すすーっと飛んでいく小さな背中を、バークとミュウツーは揃って目を丸めて見つめた。あまりにも恐ろしいことをさらりと言うものだから。

「……お前なにか彼女を怒らせるようなことをしたのか?」バークがひそひそ声で尋ねると。
「少し」ミュウツーはばつが悪そうに顔をしかめた。「だが必要なことだった、船を救ったんだぞ。その過程で確かに危険は冒したが、危ないのは俺であって、ビクティニではなかった」
「あぁお前、あぁ、なんてこった」

 神よ、アルセウスよ。バークはわざとらしく、信心深く天を仰いだ。

「もしも俺なら彼女とはしばらく別居するね、寝てる間に何されるか分かったもんじゃない」
「おおげさな」ミュウツーは呆れがちに言った。「どうせすぐに機嫌を直すだろう。今までもそうだった」
「俺だってそう思っていたさ、かみさんに逃げられる前はな。文字通りにたった一夜ですべてを奪われた。朝起きたらどうなっていたと思う?」
「聞きたくないな」
「言いたくないね。だが、それぐらい恐ろしいことが起きたってことさ。悪いことは言わねえ、さっさと謝って終わらせろ」

 ガシャーン!
 遠くから悲鳴とガラスの割れる音が響いてきた。バークは盛大なため息を吐くと、恐ろしい剣幕で、しかしどこか嬉々としながら、騒ぎを起こしたパートナーのチョロネコに怒鳴り込んだ。
 そのパワーハラスメントじみたやりとりが、いつしか様式美のように思えてきた。ミュウツーは思わず笑みをこぼしながら、先ほどバークが言っていたことを振り返る。
 ビクティニは騒ぎを眺めながら、目は笑っていなかった。これはどうやら、ドクターの言う通りにした方が良さそうだ……。

 *

「皆の生還を祝って!」
「乾杯!」

 バーラウンジに景気のいいグラスの音が響き渡った。中央のテーブルから跳び上がって乾杯の音頭を執ったのはエルニアだ。エルフーンらしいふわふわした所作と、お祭りじみた底抜けの明るさに引き寄せられて、自然と人が集まってくる。
 もちろんレノードとミオも例外ではない。特にミオはギラティナを救った立役者のひとりだ、あちこちから引っ張りだこになって話をせがまれた。どうしてギラティナだと分かったのか。シラモ副長や他の上級士官を前に、よく物怖じしなかったね。質問や称賛の攻めに遭って、ようやく解放された頃には、ヘトヘトになってカウンターテーブルに突っ伏した。

「ご苦労様です」

 レノードが隣りに座ってきて、持っていたオレンジュースのグラスを差し出した。ミオはそれを一気に飲み干して、興奮気味にグラスを置いた。

「ほんっと、大変な一日だった。まだ自分でも信じられない……あたしまだ生きてる、ギラティナも助けた、みんなで力を合わせてさ、あの暗い闇の世界から逃げてきたんだよ!」
「……それで?」
「こんな冒険、今までやったことない! なんかこう、ポケモンリーグを勝ち抜いたときとはまた別の……なんて言っていいのか分からないんだけど」

 うまく表現できずに悶々とする彼女に、レノードはさりげなく助け船を出した。

「つまり楽しい?」
「うん、すっごく楽しい!!」ミオは満面の笑顔で答えたが、すぐに表情を曇らせた。「でもそれだけに残念だなぁ、この旅が終わったら、あたしはポケモンGメンに戻っちゃうんだ……Gメンの仕事が嫌って訳じゃないよ、でも……」

 ふむ、とレノードは自分のあごをさすった。ときどき本人でさえ忘れがちだが、ミオはまだ幼く、冒険心が一番盛んなお年頃だ。しかも彼女は地球の外にも、違う世界があることを知ってしまったのだ。
 しゅんとして肩を落とすミオの頭に、ぽんぽんと手を乗せた。

「僕がまだミオと同じ年の頃は、今のあなたみたいに将来を選ぶ自由はありませんでした。父によって、既に決められていましたからね。だが嫌じゃなかった、実際に自分でもその方面での才能があったと自負していましたから」
「あたしの将来も、レノードが決めてくれるの……?」
「まさか。この話の教訓はね、自分が自分らしく生きられる道を見つける方法に、唯一絶対の答えはないということです」

 まだよく分からないな、と首を傾げるミオに、レノードはふわりと微笑んだ。

「あなたを養子に引き入れたとき、ポケモンGメンの道に進ませたのは僕だ。その方が面倒を見やすかったからね。今度はあなたが、自分で探してみる番かもしれません」
「あたしが、自分で……」
「くしくもあなたは、乗組員に選ばれるだけでも最も難関と謳われる航界船に乗っている。しかもあなたに師事しているのは誰だと思います?」
「ルーナメア中佐だ!」ミオはハッと息を呑んで答えた。「もしも中佐の推薦があれば……」
「正式な艦隊士官として採用されるチャンスは、大いにあると言えるでしょう」

 これで少しは安心できただろうか。グラスを傾けようとした瞬間、ガバッとミオが抱きついてきた。彼女なりの精一杯の感謝の現れだろう。それは嬉しいのだが、グラスは床に落ちて割れ、絨毯が白ワインを飲んでしまった。
 抱きついたまま、ミオはおそるおそる顔をあげた。

「……ごめん」
「許しますよ、もちろん。今回はね」

 ふと、カウンターの向こうにいるラクールと目が合い、レノードは互いに苦笑いを浮かべた。

 *

 バーラウンジでパーティーの真っ最中だけあって、ブリッジはがらんとしていた。そんな中でスノウライトは、ひとり熱心に船のコンピュータを使って何やら打ち込んでいる。
 そこへルーナメアがエレベーターから降りてきた。パーティーに出られない可哀想な下級士官をからかいにきたつもりだったが、拍子抜けだ。しかも自分が来たことにすら気づいていない集中っぷりである。
 肩越しに顔を出して、モニターを覗いてみて、ようやくスノウライトが驚いた。

「うお、なんだ!?」
「こっちのセリフじゃぞ」ルーナメアは複雑怪奇な数式がずらりと並んだモニターを見上げたまま、訝しげに眉をしかめた。「おぬしパーティーにも出ずに、一体何をしておるんじゃ?」
「なにって……見て分かるだろ? 虚数世界に関する論文のメモだよ、今のうちに覚えていることをすべて書き出しておきたくてな」
「わしにはサッパリ分からんが……おぬしがそんなに熱い科学者とは知らなんだわ」

 それまで驚いてもなおスムーズに動いていたスノウライトの手が、聞き捨てならぬと止まった。

「……熱い? 私が?」
「そうじゃろ。普段はいかにも私、非効率的な泥臭い作業には興味ありませんって口振りのおぬしが、こうして裏では並々ならぬ努力を重ねておるのじゃからな」
「他人のためにやってる訳じゃねえ」
「利己も突き詰めれば利他となろう。おぬしがその『収集欲』のままに構築した理論は、必ずや誰かの役に立つ。つまりわしらは、おぬしには感謝せねばならんということじゃ」
「どういう理屈でそうなるんだか」
「船を救ったじゃろう? しかも、懸命にな」

 スノウライトはユキメノコ、冷たい氷と死者の皮をまとったポケモンだ。ゆえに顔が紅潮するというのは理屈に合わない。ルーナメアは去り際に耳元で「ありがとうの」と囁き、驚いて振り向いたスノウライトにいたずらっぽく笑って見せた。
 ったく、調子が狂うぜ。戦略ステーションに向かう彼女の後ろ姿を見つめて、スノウライトも口角をほんの少しだけ上げた。向こうには悟られないように。

 *

 流星のように流れていくワープホール。明かりの消えた船長室から、ウォーレンは超空間の神秘を一望する。
 報告に訪れたシラモは、不可思議に思って眉を上げた。
「外に何か?」
「いいや、ただ見ているだけだ」ウォーレンはフッと鼻を鳴らして返した。「君たちメガロポリス人は、ただ景色を眺めたりしないのか?」
「瞑想する時には、外を眺める者もいます」
 らしい返事だ。ウォーレンは緩んだ顔で振り向いた。
「報告とは?」
「ギラティナの生い立ちに関する報告です。量子パターンの特徴が地球のそれと一致したことから、地球出身には間違いありません。しかし、地球の歴史データベースを参照したところ、ギラティナが複数観測された事実は確認できませんでした。これはおそらく……」
「報告書を提出してくれればいい、文書でな。後で読んでおく」
 シラモは訝しげに眉を寄せる。
「何かご不満でもありましたか?」
「ない、今は別のことを考えているだけだ」
「他に問題が?」
「そういう訳ではない」
 君もこっちに来て外を見てみないか、と誘ってみる。出会ってすぐの頃であれば、シラモは必ず断っていただろう。しかし彼女もこの三ヶ月で大きく変わった。いや、お互いにだろうか。
 窓の前に並んで、ふたりは流れるウルトラホールを見つめた。
「いざ振り返ってみると、この三ヶ月間は驚異の物語だった。異なる文明と出会い、未知の現象に遭遇し、今回は船が座礁して危うく沈むところだ。簡単な旅路ではないと予想していたが、ここまでとはな」
「……恐ろしいですか?」
「こんなことを言ったら以前の自分に笑われるが、あぁ、恐ろしいと思った」
 船長として、責任の重さを痛感する。既に開拓され尽くしたポケモントレーナーの冒険や、宇宙コロニーの巡回とはまるで違う。指針のない暗闇の中を、当て所もなく進んでいるようだ。
「それを人は成長と呼ぶのです」
 本当に?
 視線を傾けると、彼女は毅然とした顔で見返してきた。それはまさに、頼りがいのある副長の顔だ。
 さて、とウォーレンは踵を返した。
「保護したギラティナの様子は? 照明システムをダメにした甲斐はあったか?」
「先ほどボックスサーバーの中で目覚めました。スキャンしましたが、健康状態には問題ありません。様子から見て、どうやらブライス少佐に懐いているようです」
「それは何よりだ。今すぐ故郷の地球に送ってやりたいところだが……」
「我々には任務がありますから」
「そうだな」
 この旅もいよいよゴールが近づいている。テメレイア帝国の領域には数日のうちに到達するだろう。おそらく今までとは比べ物にならないほど過酷な試練が待ち受けているに違いない。
 今の自分たちに唯一できることは、来たるべき嵐に備えることだ。シラモと視線を交わして、それを互いに確認した。
「では、必要な報告も済みましたので、これで失礼します」シラモが軽く敬礼する。
「今日はよくやってくれた。ゆっくり休んでくれ」
 労いの言葉を素直に受け入れて、シラモは部屋を後にした。

 *

 これは、人類未踏のウルトラホールに向けて航界を続ける勇敢な船の物語。
 未知の世界への冒険で、誰もが新しい発見をする。異なる文化、異なる生命、誰も見たことのない現象に出会い、あらゆる関わりにおいて、私たちは自らを振り返る。そして気づくのだ。発見はすべてここにある。自分の中に。
 プロメテウスが切り拓く新たなフロンティアは、ここから始まる。
 たとえこの先にどんなに残酷な試練が待ち受けていたとしても、彼らは決して歩みを止めることはないだろう。新たな発見を夢見る限り……。


 To be continued...

読了報告

 この作品を読了した記録ができるとともに、作者に読了したことを匿名で伝えます。

 ログインすると読了報告できます。

感想フォーム

 ログインすると感想を書くことができます。

感想

感想の読み込みに失敗しました。

 この作品は感想が書かれていません。