第5話(6) “新たなフロンティア”
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暗い暗い海の底で、ギラティナは彷徨い続ける。
反転世界でディアルガと戦ったあの日、ギラティナはふたつに別れた。時間を巻き戻されて、反転世界に閉じ込められたギラティナと、消された未来のギラティナに。
音もなく、光もない。匂いもなければ、風を切る感覚さえない。呼びかけても誰もいない。虚しい無の空間が果てしなく続いている。最も大事にしていたアルセウスとの繋がりも、感じることができない。ギラティナは全てから切り離された。
死ぬこともなく、生きることもなく、ただ存在する日々。それが十年続く頃には、ギラティナは虚無の海を漂うだけの抜け殻に成り果てた。
そして、永遠のような百年が経つ。
ぼうっと淡い光が見えた。
それは常夜の空をすうっと横切って、ギラティナの目に光を灯した。あれは希望だと悟った。とにかく無我夢中で、ギラティナは光へとすがった。触手のような翼を、その光へとめいっぱい伸ばして……掴んだ。
……気がつけば、いつのまにか眠っていたようだ。蛇のように長い胴を起こして、キョロキョロと周りを見ると、そこは懐かしい穏やかな反転世界だった。天地を覆い尽くす海。浮遊する大陸。すべてが捻れて、すべてが調和した空間。しかし、すぐに別物だと分かった。ここには匂いがない。
『気に入ってくれるといいんスけど』
振り返ると、人間の映像が浮かんでいた。現実世界を見通すバブルにも似ている。ギラティナは「クルルル」と高く喉を鳴らして、鼻先を近づけた。
『幻の世界から出してあげられなくてごめんなさい。でも、二度とあなたをひとりにはしないっスよ。ここはウルトラホールを旅する航界船、皆あなたの友達になりたいと思ってる』
「クルル」
『そう、友達。もちろんあたいもね』
こんな刻がくるなんて思ってもみなかった。永遠の孤独こそが、兄弟に牙を剥いた自分に科せられた罰なのだと信じていた。それは違った。この人間が暗黒の牢獄から連れ出してくれたのだ。
「キシャアアン! キシャア!」
歓喜に震えて、ギラティナは甲高く鳴いた。
*
流星のように流れていくワープホール。明かりの消えた船長室から、ウォーレンは超空間の神秘を一望する。
報告に訪れたシラモは、不可思議に思って眉を上げた。
「外に何か?」
「いいや、ただ見ているだけだ」ウォーレンはフッと鼻を鳴らして返した。「君たちメガロポリス人は、ただ景色を眺めたりしないのか?」
「瞑想する時には、外を眺める者もいます」
らしい返事だ。ウォーレンは緩んだ顔で振り向いた。
「報告とは?」
「ギラティナの生い立ちに関する報告です。量子パターンの特徴が地球のそれと一致したことから、地球出身には間違いありません。しかし、地球の歴史データベースを参照したところ、ギラティナが複数観測された事実は確認できませんでした。これはおそらく……」
「報告書を提出してくれればいい、文書でな。後で読んでおく」
シラモは訝しげに眉を寄せる。
「何かご不満でもありましたか?」
「ない、今は別のことを考えているだけだ」
「他に問題が?」
「そういう訳ではない」
君もこっちに来て外を見てみないか、と誘ってみる。出会ってすぐの頃であれば、シラモは必ず断っていただろう。しかし彼女もこの三ヶ月で大きく変わった。いや、お互いにだろうか。
窓の前に並んで、ふたりは流れるウルトラホールを見つめた。
「いざ振り返ってみると、この三ヶ月間は驚異の物語だった。異なる文明と出会い、未知の現象に遭遇し、今回は船が座礁して危うく沈むところだ。簡単な旅路ではないと予想していたが、ここまでとはな」
「……恐ろしいですか?」
「こんなことを言ったら以前の自分に笑われるが、あぁ、恐ろしいと思った」
船長として、責任の重さを痛感する。既に開拓され尽くしたポケモントレーナーの冒険や、宇宙コロニーの巡回とはまるで違う。指針のない暗闇の中を、当て所もなく進んでいるようだ。
「それを人は成長と呼ぶのです」
本当に?
視線を傾けると、彼女は毅然とした顔で見返してきた。それはまさに、頼りがいのある副長の顔だ。
さて、とウォーレンは踵を返した。
「保護したギラティナの様子は? 照明システムをダメにした甲斐はあったか?」
「先ほどボックスサーバーの中で目覚めました。スキャンしましたが、健康状態には問題ありません。様子から見て、どうやらブライス少佐に懐いているようです」
「それは何よりだ。今すぐ故郷の地球に送ってやりたいところだが……」
「我々には任務がありますから」
「そうだな」
この旅もいよいよゴールが近づいている。テメレイア帝国の領域には数日のうちに到達するだろう。おそらく今までとは比べ物にならないほど過酷な試練が待ち受けているに違いない。
今の自分たちに唯一できることは、来たるべき嵐に備えることだ。シラモと視線を交わして、それを互いに確認した。
「では、必要な報告も済みましたので、これで失礼します」シラモが軽く敬礼する。
「今日はよくやってくれた。ゆっくり休んでくれ」
労いの言葉を素直に受け入れて、シラモは部屋を後にした。
*
これは、人類未踏のウルトラホールに向けて航界を続ける勇敢な船の物語。
未知の世界への冒険で、誰もが新しい発見をする。異なる文化、異なる生命、誰も見たことのない現象に出会い、あらゆる関わりにおいて、私たちは自らを振り返る。そして気づくのだ。発見はすべてここにある。自分の中に。
プロメテウスが切り拓く新たなフロンティアは、ここから始まる。
たとえこの先にどんなに残酷な試練が待ち受けていたとしても、彼らは決して歩みを止めることはないだろう。新たな発見を夢見る限り……。
To be continued...
反転世界でディアルガと戦ったあの日、ギラティナはふたつに別れた。時間を巻き戻されて、反転世界に閉じ込められたギラティナと、消された未来のギラティナに。
音もなく、光もない。匂いもなければ、風を切る感覚さえない。呼びかけても誰もいない。虚しい無の空間が果てしなく続いている。最も大事にしていたアルセウスとの繋がりも、感じることができない。ギラティナは全てから切り離された。
死ぬこともなく、生きることもなく、ただ存在する日々。それが十年続く頃には、ギラティナは虚無の海を漂うだけの抜け殻に成り果てた。
そして、永遠のような百年が経つ。
ぼうっと淡い光が見えた。
それは常夜の空をすうっと横切って、ギラティナの目に光を灯した。あれは希望だと悟った。とにかく無我夢中で、ギラティナは光へとすがった。触手のような翼を、その光へとめいっぱい伸ばして……掴んだ。
……気がつけば、いつのまにか眠っていたようだ。蛇のように長い胴を起こして、キョロキョロと周りを見ると、そこは懐かしい穏やかな反転世界だった。天地を覆い尽くす海。浮遊する大陸。すべてが捻れて、すべてが調和した空間。しかし、すぐに別物だと分かった。ここには匂いがない。
『気に入ってくれるといいんスけど』
振り返ると、人間の映像が浮かんでいた。現実世界を見通すバブルにも似ている。ギラティナは「クルルル」と高く喉を鳴らして、鼻先を近づけた。
『幻の世界から出してあげられなくてごめんなさい。でも、二度とあなたをひとりにはしないっスよ。ここはウルトラホールを旅する航界船、皆あなたの友達になりたいと思ってる』
「クルル」
『そう、友達。もちろんあたいもね』
こんな刻がくるなんて思ってもみなかった。永遠の孤独こそが、兄弟に牙を剥いた自分に科せられた罰なのだと信じていた。それは違った。この人間が暗黒の牢獄から連れ出してくれたのだ。
「キシャアアン! キシャア!」
歓喜に震えて、ギラティナは甲高く鳴いた。
*
流星のように流れていくワープホール。明かりの消えた船長室から、ウォーレンは超空間の神秘を一望する。
報告に訪れたシラモは、不可思議に思って眉を上げた。
「外に何か?」
「いいや、ただ見ているだけだ」ウォーレンはフッと鼻を鳴らして返した。「君たちメガロポリス人は、ただ景色を眺めたりしないのか?」
「瞑想する時には、外を眺める者もいます」
らしい返事だ。ウォーレンは緩んだ顔で振り向いた。
「報告とは?」
「ギラティナの生い立ちに関する報告です。量子パターンの特徴が地球のそれと一致したことから、地球出身には間違いありません。しかし、地球の歴史データベースを参照したところ、ギラティナが複数観測された事実は確認できませんでした。これはおそらく……」
「報告書を提出してくれればいい、文書でな。後で読んでおく」
シラモは訝しげに眉を寄せる。
「何かご不満でもありましたか?」
「ない、今は別のことを考えているだけだ」
「他に問題が?」
「そういう訳ではない」
君もこっちに来て外を見てみないか、と誘ってみる。出会ってすぐの頃であれば、シラモは必ず断っていただろう。しかし彼女もこの三ヶ月で大きく変わった。いや、お互いにだろうか。
窓の前に並んで、ふたりは流れるウルトラホールを見つめた。
「いざ振り返ってみると、この三ヶ月間は驚異の物語だった。異なる文明と出会い、未知の現象に遭遇し、今回は船が座礁して危うく沈むところだ。簡単な旅路ではないと予想していたが、ここまでとはな」
「……恐ろしいですか?」
「こんなことを言ったら以前の自分に笑われるが、あぁ、恐ろしいと思った」
船長として、責任の重さを痛感する。既に開拓され尽くしたポケモントレーナーの冒険や、宇宙コロニーの巡回とはまるで違う。指針のない暗闇の中を、当て所もなく進んでいるようだ。
「それを人は成長と呼ぶのです」
本当に?
視線を傾けると、彼女は毅然とした顔で見返してきた。それはまさに、頼りがいのある副長の顔だ。
さて、とウォーレンは踵を返した。
「保護したギラティナの様子は? 照明システムをダメにした甲斐はあったか?」
「先ほどボックスサーバーの中で目覚めました。スキャンしましたが、健康状態には問題ありません。様子から見て、どうやらブライス少佐に懐いているようです」
「それは何よりだ。今すぐ故郷の地球に送ってやりたいところだが……」
「我々には任務がありますから」
「そうだな」
この旅もいよいよゴールが近づいている。テメレイア帝国の領域には数日のうちに到達するだろう。おそらく今までとは比べ物にならないほど過酷な試練が待ち受けているに違いない。
今の自分たちに唯一できることは、来たるべき嵐に備えることだ。シラモと視線を交わして、それを互いに確認した。
「では、必要な報告も済みましたので、これで失礼します」シラモが軽く敬礼する。
「今日はよくやってくれた。ゆっくり休んでくれ」
労いの言葉を素直に受け入れて、シラモは部屋を後にした。
*
これは、人類未踏のウルトラホールに向けて航界を続ける勇敢な船の物語。
未知の世界への冒険で、誰もが新しい発見をする。異なる文化、異なる生命、誰も見たことのない現象に出会い、あらゆる関わりにおいて、私たちは自らを振り返る。そして気づくのだ。発見はすべてここにある。自分の中に。
プロメテウスが切り拓く新たなフロンティアは、ここから始まる。
たとえこの先にどんなに残酷な試練が待ち受けていたとしても、彼らは決して歩みを止めることはないだろう。新たな発見を夢見る限り……。
To be continued...
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