episode9.嫌なところから、逃げていく(終)

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読了時間目安:19分

この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 バサッと黒々とした布を被せたかの如く辺りは漆黒に染まっていた。砂浜に貝殻の破片が転がっているのに気付かず、面積の広い私の手に食い込んだ。痛がる程でもない微妙な痛みを鬱陶しがりつつ砂浜を抜ける。砂浜に残った自分の足跡は暗くて見えない。
 擦れ違う人々の「あの仔どうしたんだ?」というレーザーの如き視線を掻い潜り屋上へ。
 予定より大幅に帰宅が遅れた。自分の生い立ちを延々と語り始めたのは想定外だった。お返しとばかりに私もだいぶ遡って身の上話をした。いくら何でも油を売り過ぎた。
さて今頃ユカはいかがしているだろう。我々の立ち話が阿呆ほど長引いたのだから、彼らの買い物も馬鹿ほど長引いていて欲しい。だが屋上に着いてまず目に入ったのは、辺りをキョロキョロしているユカの姿だった。私は、彼女の心臓を少し削ってしまった。
「一体今までどこへ行っていたの?」
 静かな口調で言われるだけで怒られることなどは無かったが、明らか不安な心持ちだったのを顕にしていて、余計に胸が傷んだ。やはり夕焼けの下で海に号泣しに行くという真似はすべきで無かった。結局涙は一滴も出ず、喉に手を突っ込んで涙をひっぱり出す、という意味不明な喜劇行為をやらかした。
 一拍置いてユカはしゃがんでボールを目の前に出す。私は命に従い額を開閉スイッチにコツンとぶつけた。忽ち私の体は形を無くし、赤い光に包まれボールの中へ吸い込まれる。食物連鎖の概念を崩壊させた罪深い機械。その中で私は、結局の所この安心を捨てることは何時までも出来ないと悟った。
 モンスターボールは外の音も聞こえる仕様だ。今鼓膜を震わせているのはセイゴの焦り声。
 私はトレーナーの元へ無事帰った。だがあのポケモンは屋上から人気が無くなる時間になっても帰らない。そろそろ永遠に姿を見せないことを悟る頃合い。ボールの中から下唇を噛んでいるセイゴの様子を見てしまった。長年せっせと養殖していた魚が逃げ出した。ショックはそれなりに大きい筈だ。
 ユカは私の方をチラチラ見てきた。私は彼女と目を合わせまいと努めた。たぶん「サメハダーみたいにオシャマリも逃げ出すつもりだったの?」という疑いをかけられている。
(確かに私は一瞬だけ魔が差したよ。気の迷いが起きたのは事実。でも、本心から逃げ出したいとは断じて思っていなかったんだ)
 そう自己弁護したい気持ちだった。だが無理がある自己弁護であることは自覚していた。
 それでも私は彼女の心臓を削りたくなかった。


 その日の晩に少々センシティブな時間が流れた。野宿用のテントを張り終え、ユカは私達をボールに戻して、かばんの中に入れた。かばんのチャックを閉め終えた後、少しの間を置いて、チャックを数センチだけ開けた。何かを入れ忘れた訳では無いようだ。
 外の様子は全然見えないが音だけは聞こえた。遠くでヤミカラスが鳴き声を上げている。冷たそうな風の音がひゅうひゅう唸っている。そして間近から大きい溜息がした。
 溜息は普通バレないように小さくするものだけれど、彼女の溜息は明らか、ワザと周りに聞こえさせるようなボリュームだった。
「セイゴとは、縁を切るべきなんだろうか」
 独り言の筈だった。だが、私達に向かって問い掛けている風にしか思えない口振りだった。
 駆け出しトレーナーじゃないし、ユカがボールの重大な仕様を知らない訳がない。ポケモン達には外の話が筒抜けになっている。絶対それを分かって独り言を言っている。
 しかし、彼女はあたかもポケモン達に傍聴されている事実を知らない体を装っている。
 普通に考えたら何故こんな遠回りをするのかと、疑問に思う。ただ、彼女の心境を読み取れば、周りくどい行動の意味も一応分かる。
「詳しくは知らないけど、セイゴはポケモンに見限られる何かを、やらかしたみたいだ」
「手持ちポケモンに逃げられるって、相当だよね。相当酷いことをやっていたのかもね」
「私も、セイゴを見限るべきなんだろうか」
「ポケモンに逃げられるような人と一緒にいるのはトレーナーとして正しくない筈だよね」
「彼と一緒にいるということは、彼のやり方を承認しているということになってしまう」
「私まで、トレーナー失格になっちゃうよね」
「でも、速攻で縁を切る勇気がどうしても出ない」
 トレーナーとして、せめて表面上だけは立派でありたい。真面目精神が溢れ出ていた。
 ユカの様子が見えないから、どれ程深刻に葛藤しているか分からなかった。膝を抱えているか突っ伏して眠たそうにしているか。
 自分は特にどっちでも良いと言えば良かった。縁を切っても切らなくても、ユカに対する視線の温度が変わることはないだろう。
 ただ、別にいきなり縁を切らなくても良い気がする。ちょっとずつ、ちょっとずつ、指を一本ずつ折るように縁を切る方が安全だ。合う頻度を徐々に減らしたり、待ち合わせの時間に少しだけ遅れたり、会話を途切れさせて気まずい時間を作ったり、電話の切り方を少しずつ乱暴にしたり、細かくやっていけば、自動的に縁は切れると思う。私ですらこれだけ思い付くのだからもっと手はある。後は他の友達にセイゴの事を伝えて味方を増やしておけば万全体制だと思う。 
 そもそも無理をして立派なトレーナー様を志す必要も無い気がする。やりたくて旅をやっている訳では無いのだから。志を高くする必要は一ミリも無くて、適当にアローラをぶらり一周すれば良い。カプ・コケコの銅像を見つけたら手でも合わせておき、鳥ポケモンの糞が付いていたらティッシュで拭いておけば絶対に罰は当たらないだろう。
ユカは以前お母さんに「旅は順調に進んでいる」と虚偽報告をして仕送りを貰っていた。それを知ったときは「おいおいおい」と思った。でも今は、そんなに悪くないと思う。アローラをぶらり一周するなら嘘も必要だ。
 私は私で、志の高いポケモンになろうとは一ミリも思っていない。食べられる不安が無くなれば良い。最初からそれは変わっていない。そのためだけに私はユカに捕まった。
私もユカも志は限りなく低いがそれで良い。
 
 
 次の日ポケセンで回復を終えた後、相も変わらずあいつが不服そうな表情でのそのその来た。私は気が付かれぬよう下も向かずあくまで呼吸の延長のような感じで溜息をした。そうだこれが正しい溜息の付き方だ。
「おい昨日の例の話聞いたか」
「聞きましたよ。サメハダーが逃げ出すなんてびっくりしました」
「サメハダーのトレーナー酷いよな」
「酷いですね」
「なんか俺もトレーナーから逃げ出したくなってきたな。そういう流れなんじゃないのか」
 ルガルガンは人間批判のプロフェッショナルだが、彼が逃げ出すことは絶対にない。むしろ「逃げる逃げる」言うようなタイプは、いつまでもその場所に縋り付くものだ。普段何も言わずにこやかにしている者の方が、気がついたときにいなくなっている。なんだかそんな法則かある気がしていた。
 彼は文句を誰かに言わないと調子が出ないのだろう。性癖みたいなもの、と言うのは少し失礼かもしれない。ストレスや鬱憤を発散する手段は色々ありそこから批判を選ばざるを得ないのだ。仕方のないことだと思う。
 私だって他人のことは言えない。彼がオドリドリの悪口を言ったら心がぴょんぴょん跳ねた。悪口は言いたいし聞きたいものなのだ。悪口の対象者に聞こえなければ問題ない。対象者の前ではご機嫌に振る舞っていれば良い。
 幸い、ポケモンの会話は人間に理解できない。悪口を言おうとも本人には届かないのだ。ただ、人間の会話は逆にポケモンに筒抜けなのは、いかんせんフェアではない気がする。
「にしてもなんでユカはセイゴと縁切るか悩んでいるんだ。あんな奴とは即縁切るべきだ」
「本当そうですよね」
「お前もやっぱりそう思うよな?」
「酷いことをしていたトレーナーと一緒にいるなんて信じられないです」
「全くだ」
「ポケモンの気持ちを何も分かっていなさそう」
「うん」
「このポケモンフーズっていう食べ物、うんこに似ていません?」
「はあ?」
「色とか形とか?」 
「確かに似ているけど」
「人間って、ポケモンが出したうんこをポケモンに食べさせているんじゃないかって、たまに思うんです。バレることないように加工したり、臭みを消すためにしこたまハーブを入れたりして商品化しているんじゃないって。お金をかけないようにするために」
「だとしたら人間全員殺して回るわ。身勝手にも程がある」
「本当トレーナーって身勝手な人多いですよね」
「そうだよ。セイゴとユカが今後会っているのを知ったら、俺は今度こそ出ていくからな」
 

 ルガルガンに対するお客様対応を完了させヘロヘロ状態なのにも関わらず、私のHPを赤ゲージまで下げてくる存在がやってきた。
 オドリドリは初めて対面したときと同じく背中をソワっと撫でてきた。二回目だから分かるが明らかに驚かせようとする触り方。
 こういう時はビクッとすることなく平常心を装い、私はあなたを怖がっていないという態度を示す、それが正しいと思っていたが、「わあああ!」と大げさなまでに声を上げ、ばったり倒れてみせるのが真の正解だ。そういう風にお客様を喜ばせるのが良い。
「え、あ、ごめんこんなに驚くとは思わなかった。やっぱり私のこと怖いと思ってる?」
 やはりと言うべきかそのように尋ねてくる。
「いや別に、怖くないですよ」
「本当に? 遠慮しないで本当のこと言っても良いんだよ。私怒らないから」
 彼女は未だにこの間私がダブルバトルについて聞かなかったことをちょいちょい恨んでいる節があった。彼女のことは鬱陶しいとは思っていても、怖いとは欠片も思わない。彼女は口で言うほど強くないし、私を捕食してくる存在の方がよっぽど怖いから。
「そうだそうだ。今日はオシャマリに聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
「ポケモンバトルって、楽しいって思ってる?」
「え?」
「なんかオシャマリって、ボールの中から戦っている様子見る限り、いつも楽しそうにやっている感じがあんまりしないんだけど」
「……」
 そう言えばあまり考えたことがなかった。
「淡々とやっているというか。作業でやっているというか」
(こういう場合は「楽しいです!」って元気よく言うのが、『ポケモン』なのかな)
 私は食べられる不安から逃れるために捕まったので、バトルがしたい訳ではないのは言うまでもない。別にバトルは楽しくはなかった。彼女の言う通り作業でやっている。
「楽しいですよ! ボールの中で『私の出番まだかなー』って、いっつも思っています」
「そう、それなら良かった! 私心配してたんだよ。今後からもうちょっと楽しそうにやってよ」
「分かりました。今度からダメージ受けてもニヤけていますね」
「いやそういうことじゃないからね」
「冗談ですよ。ちゃんと楽しそうに戦いますから」

 
 ポケセンには数多くのポケモンがいる。各々が自身の日常の上をまるで平均台を渡るかのようにバランスを取りつつ歩いている。ニコニコしながらトレーナーの話を聞いていたり、別のトレーナーのポケモンと吠え合っていて注意されていたり、疲れているのか寝息を立ててすやすや眠っていたり。
 彼らは一見虹のように純粋で、別のお面を一枚も持ち歩いていないのではと思うが、心中では各々不安や悩みを燻ぶらせているのだろう。それでも表面上は楽しそうに振る舞い、自分にも周りにも嘘を吐き過ごしている。何時しかそういう邪な目で人間の世界に生きるポケモンを眺めるようになった。私は決して鬱屈としている訳ではなくノーマルな精神状態でそのように感じている。
 ポケモンと人間の友情なんてクソくらえ。
 時折、そんなことを叫びたくなる瞬間があった。「そんなことポケモンは言わない」と思うなら、私がここに解釈違いを用意しよう。
 私は野生から人間の世界へお引越しした。それでも一切の不安無い生活を送るのはできなかった。ごはんを食べるときも常に何らかの不安が過り美味しく食べられなかった。
 ありとあらゆる不安を消滅させるには、サメハダーのように圧倒的な力を得る他ない。でも、そこまでする情熱も才能も私には無い。体に幾多の傷を作らなくてはいけないのだ。
 それでも、僅かでも、不安を軽減させるために、私はこの世界に上手く溶け込み、そのことに、一切の罪悪感を抱かないようにしたい。
 居たくてここに居る訳じゃない、本当は楽しくない、あなたの考えは間違いだ、あらゆる本音をひた隠しにして笑って生きていく。嘘で塗り固める、と言うといかんせん印象が悪い、でも有り体に言えばそういうことだ。オシャマリらしく道化を演じ続ける。
 人間の世界で生きていくとはそういうこと。
(それは違うだろって、言われるかもしれない。けれど、そんな風に言ってくる人も、結局はそうやって生きているんじゃないの?)
 サメハダーは野性で生きることを決めたが、私はこっちの世界で生きることを決めた。決めた以上適応した生き方をしていたい。


「ねえオシャマリ、ちょっと試したいことがあるから協力してくれない? すぐ終わるから」
 ボールから出た矢先にこう言われキョトンとした。
 この街は海風がとても心地良い。生暖かい風が肌の上を軽快に駆け抜ける。平和な日常を表すかのように寄せては返す波音が一定リズムで耳に届く。空は雲一つない青空。アローラの元気一杯な太陽がギラギラと眩しい。
「Z技を試したいけど付き合ってくれるかな?」
 右手に嵌めたリング上の物体を見せてきた。それは太陽光が反射し輝きを放っていた。
 Z技、そう言えばそんなものもあったなあと思い出した。私の日常にはZ技はちっとも顔を出さなかったため、存在を忘れていた。ポケモンの秘めた力を開放し高威力の技を繰り出す、それがZ技だ。ポケモンと人間が深い絆で結ばれていて始めて発動するもの。
 ユカはセイゴと買い物に行ったあの日に、Zリングをプレゼントされたようだ。その前の大会の賞金の一部で買ってもらったのだろうか。今まで腕に装着すらしなかったのは、使うべきではないと思っていたからか。セイゴと別れてだいぶ日が経ち、もう時効だから使ってみようと考えたのだろうか。
「一般販売されて、私みたいな普通のトレーナーでもZリングが使える時代になった。使えるかは、やってみないと分からないけど」
 ユカは不安な表情をどうにか隠そうとしていた。対して私も真実を顔に出すことなく「やってみようよ!」と元気よく賛成するかのような、溌剌とした表情を創作した。
 

 近くの浜辺へ移動した。海水浴場でもないでもない場所のため人はほとんど見かけない。ナマコブシが遠くで打ち上げられているぐらいで野生ポケモンもいないようだった。
「これくらい広い場所なら大丈夫だよね。砂もまさか歩道まで飛ぶことはないだろうし」
 どれだけの規模の技が出るのか分からないから通行人がいないことを念入り確認する。
 ユカはZリングの装着方法が正しいことを、説明書を読みながら確かめている。「こっちが上向きだよね」と呟き何回か付け直す。
 本当にZ技が出せると思っているのだろうか。
 Z技を出すにはZリングの他に水Zが必要で、それもユカは持っていた。島巡りで唯一試練を突破して手に入れられたものらしい。
「よし、じゃあやってみますか! Z技は普通の技を強化する技だから、オシャマリはいつも通り、水鉄砲を出す感覚で出してね」
 バトルを開始するときぐらいユカから離れる。ユカはZ技を出すために必要不可欠な踊りを踊った。恥ずかしいのか踊っている間私と目を合わせずZリングの方だけ見る。
 ユカが踊り終わった瞬間、私の体に得体の知れないパワー源が注入されたような感覚がした。これはZ技を出せる前兆なのだろうか。
「オシャマリ、スーパーアクアトルネード!」
 そう叫ぶときは私と目を合わせ前方に指先を向けた。緊張しているのか指は震えている。
 私は前を向き水鉄砲を発射した。いつもなら直線上に水が進むが、今回は竜巻状にまるで竜のごとく登っていった。砂を巻き込みながら水の竜巻は次第に巨大化する。ゴクリとつばを飲んだ。いけるのかもしれない。こんな凄い技を間近で見るのは初体験だ。
 ところが。竜巻は数秒ぐるぐるした後、あえなく消滅してしまった。消滅した竜巻の水が太陽の光に反射してギラギラと輝きを放つ。その輝きに見惚れてしまい、私は水が降ってきても逃げられず思いっきり水を被った。水の重さがしっかりと感じられた。
 どうやらZ技は、失敗に終わってしまったようだ。
 刺激を与えると殴りかかることもあるナマコブシは、その場から全然動いていなかった。私達の行動は何も揺るがすことは無かったのだ。
 冷静に考えればこうなると分かることだ。それでも途中ちょっとだけ期待してしまった。
 私とユカではZ技を出すことは、まず不可能だ。しかもセイゴから貰ったZリングでは。どれ程の不純物がこの場に溢れているか。アローラの大地から力を貰える筈がない。
 ユカははあはあ荒く息を吐きながら、いかにも疲労しているかのような様子を見せている。
 私も合わせて嘘の疲労を顕にした。顔に付いた水をまるで汗をぬぐうかのように拭き取る。本当は全然疲れていないし汗は一滴もかいていなかった。惜しかった感じを出したいがために、二人してこんな仕草をする。
「あー、やっぱり無理だったかー」
 自嘲するかのようにユカはけらけら笑った。私も呼応して鳴き声をあげた。ちっぽけな一人と一匹の声が誰もいない海岸に響き渡る。
 どれ程の不純物が溢れていようと、私達は確実に、このアローラの地で存在を示していた。
「やっぱり難しいねZ技。一筋縄ではいかないか。でも、いつかちゃんと完成させようね、オシャマリ!」
 ユカはしゃがみ込んで、目線の高さを私と合わせた。私を優しく撫でながらにかっと笑った。Z技が成功することが今後も無いのは分かっているのだろう。そう思いながら私は、トレーナーの膝に額を押し当て、ビショビショ状態で、健気めいた作り笑いを浮かべている。

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