第44話 声
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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください
気づいた時には夜になっていた。
2匹は少し暗い面持ちで街を歩いていた。 街の喧騒の中だと、それはあまり目立たないけれど。
鍾乳洞を脱出した後のことだ。
エルレイドを役所へと運び、その後に再びサーナイトにも会った。 当然ながら、彼女も再び絶句していた。 リアはどうにかして母親を説得しようとする構えを見せたが、流石に自分の娘を傷付けたとなるとサーナイトも先程のようなことは言えない。 静かに「分かった」、「無事でよかった」。 そう言うだけだった。
依頼ではなかったわけだが、サーナイトはお礼として少しばかりのお金をくれた。 こんなものじゃ足りないけれどという言葉を添えて。 リアも、こちらにお礼としていくらかオレンの実を持ってきてくれた。
「えっ、これって......」
「家庭菜園で、軽く育ててるの。 店にあるのよりも小さいけれど......」
「いやいいよ、それに依頼じゃないからお金も貰う必要無いのに......」
「厚意はちゃーんと受け取っておくものよ。 それぐらいに感謝してる証だと思って頂戴......あと、耳貸して」
リアの言葉に従い、2匹は彼女の方に目を向けた。 リアはひょいと2匹に駆け寄った。
「......何があったかは知らないけど、あなた達的にはただ事でないことが起きたんでしょう? これでも食べて、英気を養って欲しいの」
リアの言葉で、2匹は思い出す。 そうだ、あの時、確かにリアも側にいたのだ。 部外者であるから何がなんだか分からず、眺めることしか出来なかったのだろう。 このオレンは、その謝罪とも取れるし、どうか元気にやってくれという彼女の優しさとも取れるだろう。
キラリは受け取って、「ありがとう」と笑う。 ユズもそれに倣い一礼した。 そして2匹は彼女の家を後にすることとなった。 これが、今日偶然起きた事件の顛末である。
街を歩いている中、ふうと、ユズは息を吐く。 秋の夜ともなると、やはり少し凍えてしまう。 ひゅうと風が吹くたびに、彼女は寄るべもなくスカーフの温かさに頼る他なかった。 そんな中、考えはぐるぐると彼女の頭の中を巡る。
別に、悪い力なわけではない。 これまで誰かを守らなければならないような状況以外では力を行使してないのだから。 知らないのが、1番怖いのだ。 何が起こるか分からないから。 ......手掛かりも、未だ明らかになってないのに。
言いようのない恐怖は、どうしようもなくユズを押し潰す。 だから、気を紛らわすためにオレンを手に取り1つ食べてみた。 ......しかし、リアには申し訳ないが、酸っぱさしか感じられなかった。
......あの少女の夢を見るのではないかとユズは警戒していたが、結果的にそれは夢に現れることはなく朝日は昇った。
「......よし」
キラリは鏡を見てぽつりと呟いた。 目を閉じて、意識を集中させて。 そして目を開いた時には、その顔から昨日の暗さは吹き飛んでいた。
「ユズ、依頼行こうか!」
「......うん」
ユズも出来るだけいつも通りに答える。 だが、何かが違った。 自分の顔が引きつっているのを感じる。 いつもは、こんな感じではないのに。 少し恨めしく思ってしまった。 簡単に立ち直れない自分を。 不安を長く引きずる自分を。 だが、悩んでいても仕方がないのだ。 歯を喰いしばって思考の波を堰き止める他なかった。
街を歩いていると、何かがいつもと少し違うことに2匹は気づいた。 街のポケモン達がわいのわいのしながら、街中を飾り付けている。 モーメントだったり、どんぐりや紅葉、さらには大きいホオズキのランタンのようなものまで。
「......どうしたのかな、オニユリタウン」
「うーん......そっか、もうすぐ秋の収穫祭だ! もうこんな季節なんだなぁ」
「収穫祭?」
いまいちピンとこないユズに、キラリが捕捉する。
「うん。 秋の豊かな実りを祝うお祭りなの。 ここは都会だけど、ちょっと郊外に出ると農場とかも結構あるから、それが由来。 この街だと1番大きな規模のお祭りなんだー!」
「お祭り、かぁ......どんなのなんだろ」
「そっか、ユズ収穫祭参加経験無いんだよね......でもとにかく楽しいんだよ! 時間がすぐ過ぎてっちゃう。 こんなに本格的にってことは、もう明日にはやるのかなぁ?」
意気揚々と祭りの楽しさを語るキラリを見れば、確かに嘘はないだろう。 それに、周りもそれを物語っているように見える。 街のポケモンの顔が、どこかいつもより生き生きとしていたから。
(......楽しい、か......)
ユズは思わずその足を止める。
......彼女はどこか置いてけぼりにされているような気持ちになった。 何故だろうか。 昨日からどこかがおかしい。 あの時はあの時と割り切ってまた進めばいい、逆に気にすれば気にするほど崩れていく。 そう「脳」は分かっているのだ。
......けれど。 何故か「心の奥底」は、それを分かってくれない。 自分自身の中で燻り続ける何かは、自然に笑うことを許そうとしてくれない。 楽しみだと言うことすらも......いや、思うことすらも許してくれないのかもしれない。
もう今は理解不能になってしまった、もうひとりの自分の声が。
ユズが思考のままにその「自分の声」とやらに気を向けた時だった。
「......うっ」
ズキッ。 急に頭に衝撃が走る。 殴られた? いや、そんなことはない。 だが、ただただ頭が痛い。 キラリの背中が遠くなっていく。
(.....そ......か......)
......この、声......夢の......
(さ......から、こ......れば......んだ)
......? いや、違う......!
(......ぶ.....の......んて......ど......いい......そん......り......を、ま......)
一回り、夢のものよりも低い声。 途絶えながらも、どこか重さをはらんだ声。 その重みはユズの頭に頭痛として現れてくる。 重く、また重く。
「......えっ、ユっ......!?」
先導して歩いていたキラリも、ようやく異変に気がついた。 ふらつくユズに駆け寄るが、キラリの声は届いていない。
......夢の、人間じゃ、ない......誰、だ......
ユズは息も絶え絶えな状態で、心の中で呟いた。 もしかしたら外に漏れ出ていたかもしれないが、そんなことを気にする余裕など無かった。
(ごめん.....なさ......い......)
......誰。
(......は......あ......に......なに、も......なか......)
謝罪の言葉だ。 夢にも前、出てきたことはあった。 でも今回は言っている対象が違う。 ノイズも混じって、本当に耳障りという言葉が相応しい。 それくらいに、この声に対するユズの不快感は強い。
......何を言っている?
そう思っても、声がクリアになるわけがない。 それはそのまま不愉快な声を脳内に撒き散らす。
(......ねぇ......)
......うる......さい......
(どう......て、こ......こと......に......)
......そんなの、しる、わけ......
(......は......)
......誰......黙って、よ......
(.....ん......の、......めに......)
それはユズの頭の中を何度も何度も乱反射して響き続けた。
......ユズの、「1匹のチコリータ」としての心が、潰されていくような危機感が、さらに強まっていく。
うるさい。 頭が痛い。 誰なんだ。 そんな思いがぐるぐると頭を回る。
気づけば、ユズは叫んでいた。
(.....は.....ったの......)
......誰だっ!!
それから、声はふっと消えた。 気づけば、ユズは自分が真っ暗なところにいることに気づいた。 聞こえないとはわかっていても、塞ぎ込むような体勢をとってしまう。 聞きたくない。 あんな声は聞きたくない。 そんな思いのままに。
そんな中、聞き覚えのある声が響いた。 目をぎゅっと結ぶが、その必要は無いことにすぐ気づけた。 優しい女神のような声が、静かに語りかける。
(......大丈夫)
......なにが?
(私はずっとあなたの味方)
......みか......た......?
(だから、絶対に......一緒に......ら、に......)
声は、段々と掠れていく。 そして遂には聞こえなくなる。 だが、それは十分な程にユズに理性を呼び戻した。 ......今までは聞くのが辛かったあの夢の声は、今回は嫌な感じをこちらに与えることはなかった。 寧ろ助けられた。
冷静になれば、思考を現実に引き戻せる。
......そうだ、現実に、今いる味方といえば......
ユズの中に過ぎるのは、1匹のポケモンだった。
元気過ぎて、少しお茶目で、だけど真面目で優しい......
小さな、小さな温かい太陽。
そんな「彼女」のかつての言葉が、静かに蘇っていく。
(綺麗事かもしれない。 でもユズが辛い時は、私が手を握ってあげたい。 もし、ユズが恐れてる事が起きたって......私は、ユズの側にいるから。
大丈夫。 私はずっとユズの味方だから)
......キラリ。
その時。 闇夜に閉じ込められたユズの意識はふっと途切れた。 現実に帰ろうとするように。
「......ズ、ユズっ!」
「う、うーん......」
ゆっくりと目を開ける。 その眼前には、今にも泣き出しそうなキラリの姿と、目を覚まして若干ほっとしたように見える医者のハピナスがいた。
「わ......たし......」
「......分かるユズちゃん? あなた、街の真ん中で倒れちゃったのよ。 それでキラリちゃんが診療所に連れてきて......1日ぐらいぐったり寝てたかしら。 何はともあれ一安心ね......」
「1日も......」
ハピナスが優しく説明する。 目覚めたてではあるものの、ちゃんと概要は理解出来た。 ......あんなことで1日もぶっ倒れていたと思うと、自分が憎らしく思えるけれども。
だけど、今は、それよりも。
「キラリ」
ユズはキラリを呼ぶ。
「えっ、どうしたユズ? もしかして何かーー」
その時、ユズがキラリを強く抱き締めた。 どちらかというと、ひしっとしがみついているようにも見える。 その体は震えていた。 涙は出ない代わりに、しがみつく力は強かった。
「......ユズ?」
「......ごめん。 その、嫌な夢見て......怖くて、それで......」
それ以上の言葉は、出なかった。 だが、キラリも察してくれたようで、優しく前足を握った。 ......ポケモンの気持ちを太陽のように照らすのは難しいと前言っていたけれど、今回キラリが察せた理由は大体分かる。
側にいた時間が、圧倒的に長いから。
「......うん、大丈夫。 大丈夫。 何度だって、手、握るよ」
優しい声が、ユズの鼓膜を静かに揺らす。 そして少しの間、ユズはその温かさに身を委ねることにした。
少し経った後。 ユズは今の自分の現状をキラリに伝えることにした。
「......笑えない?」
「うん。 というか、感情がどこかぎこちない」
「ええっ......なんでだろう」
キラリは頭を悩ませる。 考えを頭から捻り出そうといきむが、そううまくいかずぶはあと息を吐いた。
「感情の表現が、少し希薄になってるのね」
片付けをしているハピナスが、ふとそう答える。 急な答えに驚く2匹に対して、ハピナスは慌てて謝った。
「あっと......ごめんなさいね、盗み聞きみたいになっちゃって」
「いやそれはいいんだけど、表現が希薄に、って......」
「......言葉通りよ。 嬉しさや悲しさだったりがうまく表れてこない、それだけのことよ。 そういうタイプのポケモンというのはあなただけじゃない。 沢山いるわ。 ......まあ、急にそうなったということに関しては疑問もあるけど......そう悲観する内容ではない。 それに」
ハピナスがユズを撫でる。
「あなたの優しさが、変わるわけじゃないと思うわ。ね?」
「......そう、ですか......」
ユズは力無く答える。 自分がまず「優しい」のかどうかも実感できないのに、そんなことを言われてもうまく納得が出来なかった。
その時、外から声が聞こえるのにユズは気付いた。 いつもより賑やかな笑い声。
「ん、これって......」
「収穫祭よ。 今日目覚められてよかったじゃない。 まだ始まったばかりだから、時間もちゃんとあるわ。 一応顔色は悪くないから、気分転換にでも行きなさい」
「......そうだね! 行こユズ......」
「私はいいかな」
「なんでぇ!?」
まさか拒絶されるとは思っていなかったのだろう。 驚くキラリに対して、ユズは苦笑いで言う。
「......こんな顔で、ポケモン達の前出られない気がして......。 少し休んで、心落ち着けたらよくなるんじゃないかって」
「いや、多分悪くなるだけだよ......? 考えすぎはダメったらダメ。
お祭りは魔法の夜だよ? その魔法活用しないでどうするのさ?」
「魔法......?」
「そうそう! じゃあクイズねー、ユズ、お祭りはなんのためにあるか知ってる?」
「えっ、それは収穫を祝うために......」
「そっちじゃなくて!」
本来の意味でないことにユズは疑問を抱くが、キラリは笑顔でこちらに「答え」を向けてくる。
魔法使いのようにも見える、ちょっぴり強気な笑みで。
「お祭りはね......みんなが笑うための魔法なんだよ!」
ふっと、背負っていた何かが消える気がした。 重苦しかった心から、少し荷が取り払われる。 そう、嬉しかったのだ。 心の底から。 表情には、やっぱり出てこないけれど。
「ユズー? どした?」
「あっいや......キラリ」
「ん?」
「ありがとう、ね」
「ふっふーん、何の話かなー?」
そんなことを言っても、満更ではないのは顔からバレバレだ。 そういったところも彼女らしくて、ユズの顔にぎこちない小さな微笑みが浮かぶ。 ......なんだ、少しは笑えるじゃないかと、ユズは自分を褒めた。
「そんなことより、行こうか! 夜は花火も上がるよー!」
「花火......?」
「うん! 絶対綺麗だから、行こう!」
キラリはユズに肩を組むように腕を乗せ、そのまま一緒に走り出した。 未だユズの顔の引きつりは残るが、それでも少し柔らいだ方かもしれない。 「ユズ」としての単純な「楽しい」という気持ちが、少し表面に表れてきた証なのだろう。
......折角の機会だ。 この魔法を利用してみるのも、悪くないかもしれない。
外に出てみると、声は直に耳に届いてきた。
祭りのために用意された大きなホオズキのランタンが明かりを灯し始め、家達は美しい暖色に染められる。 まるで、街全体が大きな大きな宝石箱のようになった......そんな感覚だった。
雲一つない、快晴の夜空の下。 ポケモン達の騒めきと共に、夜の宴が始まる。
2匹は少し暗い面持ちで街を歩いていた。 街の喧騒の中だと、それはあまり目立たないけれど。
鍾乳洞を脱出した後のことだ。
エルレイドを役所へと運び、その後に再びサーナイトにも会った。 当然ながら、彼女も再び絶句していた。 リアはどうにかして母親を説得しようとする構えを見せたが、流石に自分の娘を傷付けたとなるとサーナイトも先程のようなことは言えない。 静かに「分かった」、「無事でよかった」。 そう言うだけだった。
依頼ではなかったわけだが、サーナイトはお礼として少しばかりのお金をくれた。 こんなものじゃ足りないけれどという言葉を添えて。 リアも、こちらにお礼としていくらかオレンの実を持ってきてくれた。
「えっ、これって......」
「家庭菜園で、軽く育ててるの。 店にあるのよりも小さいけれど......」
「いやいいよ、それに依頼じゃないからお金も貰う必要無いのに......」
「厚意はちゃーんと受け取っておくものよ。 それぐらいに感謝してる証だと思って頂戴......あと、耳貸して」
リアの言葉に従い、2匹は彼女の方に目を向けた。 リアはひょいと2匹に駆け寄った。
「......何があったかは知らないけど、あなた達的にはただ事でないことが起きたんでしょう? これでも食べて、英気を養って欲しいの」
リアの言葉で、2匹は思い出す。 そうだ、あの時、確かにリアも側にいたのだ。 部外者であるから何がなんだか分からず、眺めることしか出来なかったのだろう。 このオレンは、その謝罪とも取れるし、どうか元気にやってくれという彼女の優しさとも取れるだろう。
キラリは受け取って、「ありがとう」と笑う。 ユズもそれに倣い一礼した。 そして2匹は彼女の家を後にすることとなった。 これが、今日偶然起きた事件の顛末である。
街を歩いている中、ふうと、ユズは息を吐く。 秋の夜ともなると、やはり少し凍えてしまう。 ひゅうと風が吹くたびに、彼女は寄るべもなくスカーフの温かさに頼る他なかった。 そんな中、考えはぐるぐると彼女の頭の中を巡る。
別に、悪い力なわけではない。 これまで誰かを守らなければならないような状況以外では力を行使してないのだから。 知らないのが、1番怖いのだ。 何が起こるか分からないから。 ......手掛かりも、未だ明らかになってないのに。
言いようのない恐怖は、どうしようもなくユズを押し潰す。 だから、気を紛らわすためにオレンを手に取り1つ食べてみた。 ......しかし、リアには申し訳ないが、酸っぱさしか感じられなかった。
......あの少女の夢を見るのではないかとユズは警戒していたが、結果的にそれは夢に現れることはなく朝日は昇った。
「......よし」
キラリは鏡を見てぽつりと呟いた。 目を閉じて、意識を集中させて。 そして目を開いた時には、その顔から昨日の暗さは吹き飛んでいた。
「ユズ、依頼行こうか!」
「......うん」
ユズも出来るだけいつも通りに答える。 だが、何かが違った。 自分の顔が引きつっているのを感じる。 いつもは、こんな感じではないのに。 少し恨めしく思ってしまった。 簡単に立ち直れない自分を。 不安を長く引きずる自分を。 だが、悩んでいても仕方がないのだ。 歯を喰いしばって思考の波を堰き止める他なかった。
街を歩いていると、何かがいつもと少し違うことに2匹は気づいた。 街のポケモン達がわいのわいのしながら、街中を飾り付けている。 モーメントだったり、どんぐりや紅葉、さらには大きいホオズキのランタンのようなものまで。
「......どうしたのかな、オニユリタウン」
「うーん......そっか、もうすぐ秋の収穫祭だ! もうこんな季節なんだなぁ」
「収穫祭?」
いまいちピンとこないユズに、キラリが捕捉する。
「うん。 秋の豊かな実りを祝うお祭りなの。 ここは都会だけど、ちょっと郊外に出ると農場とかも結構あるから、それが由来。 この街だと1番大きな規模のお祭りなんだー!」
「お祭り、かぁ......どんなのなんだろ」
「そっか、ユズ収穫祭参加経験無いんだよね......でもとにかく楽しいんだよ! 時間がすぐ過ぎてっちゃう。 こんなに本格的にってことは、もう明日にはやるのかなぁ?」
意気揚々と祭りの楽しさを語るキラリを見れば、確かに嘘はないだろう。 それに、周りもそれを物語っているように見える。 街のポケモンの顔が、どこかいつもより生き生きとしていたから。
(......楽しい、か......)
ユズは思わずその足を止める。
......彼女はどこか置いてけぼりにされているような気持ちになった。 何故だろうか。 昨日からどこかがおかしい。 あの時はあの時と割り切ってまた進めばいい、逆に気にすれば気にするほど崩れていく。 そう「脳」は分かっているのだ。
......けれど。 何故か「心の奥底」は、それを分かってくれない。 自分自身の中で燻り続ける何かは、自然に笑うことを許そうとしてくれない。 楽しみだと言うことすらも......いや、思うことすらも許してくれないのかもしれない。
もう今は理解不能になってしまった、もうひとりの自分の声が。
ユズが思考のままにその「自分の声」とやらに気を向けた時だった。
「......うっ」
ズキッ。 急に頭に衝撃が走る。 殴られた? いや、そんなことはない。 だが、ただただ頭が痛い。 キラリの背中が遠くなっていく。
(.....そ......か......)
......この、声......夢の......
(さ......から、こ......れば......んだ)
......? いや、違う......!
(......ぶ.....の......んて......ど......いい......そん......り......を、ま......)
一回り、夢のものよりも低い声。 途絶えながらも、どこか重さをはらんだ声。 その重みはユズの頭に頭痛として現れてくる。 重く、また重く。
「......えっ、ユっ......!?」
先導して歩いていたキラリも、ようやく異変に気がついた。 ふらつくユズに駆け寄るが、キラリの声は届いていない。
......夢の、人間じゃ、ない......誰、だ......
ユズは息も絶え絶えな状態で、心の中で呟いた。 もしかしたら外に漏れ出ていたかもしれないが、そんなことを気にする余裕など無かった。
(ごめん.....なさ......い......)
......誰。
(......は......あ......に......なに、も......なか......)
謝罪の言葉だ。 夢にも前、出てきたことはあった。 でも今回は言っている対象が違う。 ノイズも混じって、本当に耳障りという言葉が相応しい。 それくらいに、この声に対するユズの不快感は強い。
......何を言っている?
そう思っても、声がクリアになるわけがない。 それはそのまま不愉快な声を脳内に撒き散らす。
(......ねぇ......)
......うる......さい......
(どう......て、こ......こと......に......)
......そんなの、しる、わけ......
(......は......)
......誰......黙って、よ......
(.....ん......の、......めに......)
それはユズの頭の中を何度も何度も乱反射して響き続けた。
......ユズの、「1匹のチコリータ」としての心が、潰されていくような危機感が、さらに強まっていく。
うるさい。 頭が痛い。 誰なんだ。 そんな思いがぐるぐると頭を回る。
気づけば、ユズは叫んでいた。
(.....は.....ったの......)
......誰だっ!!
それから、声はふっと消えた。 気づけば、ユズは自分が真っ暗なところにいることに気づいた。 聞こえないとはわかっていても、塞ぎ込むような体勢をとってしまう。 聞きたくない。 あんな声は聞きたくない。 そんな思いのままに。
そんな中、聞き覚えのある声が響いた。 目をぎゅっと結ぶが、その必要は無いことにすぐ気づけた。 優しい女神のような声が、静かに語りかける。
(......大丈夫)
......なにが?
(私はずっとあなたの味方)
......みか......た......?
(だから、絶対に......一緒に......ら、に......)
声は、段々と掠れていく。 そして遂には聞こえなくなる。 だが、それは十分な程にユズに理性を呼び戻した。 ......今までは聞くのが辛かったあの夢の声は、今回は嫌な感じをこちらに与えることはなかった。 寧ろ助けられた。
冷静になれば、思考を現実に引き戻せる。
......そうだ、現実に、今いる味方といえば......
ユズの中に過ぎるのは、1匹のポケモンだった。
元気過ぎて、少しお茶目で、だけど真面目で優しい......
小さな、小さな温かい太陽。
そんな「彼女」のかつての言葉が、静かに蘇っていく。
(綺麗事かもしれない。 でもユズが辛い時は、私が手を握ってあげたい。 もし、ユズが恐れてる事が起きたって......私は、ユズの側にいるから。
大丈夫。 私はずっとユズの味方だから)
......キラリ。
その時。 闇夜に閉じ込められたユズの意識はふっと途切れた。 現実に帰ろうとするように。
「......ズ、ユズっ!」
「う、うーん......」
ゆっくりと目を開ける。 その眼前には、今にも泣き出しそうなキラリの姿と、目を覚まして若干ほっとしたように見える医者のハピナスがいた。
「わ......たし......」
「......分かるユズちゃん? あなた、街の真ん中で倒れちゃったのよ。 それでキラリちゃんが診療所に連れてきて......1日ぐらいぐったり寝てたかしら。 何はともあれ一安心ね......」
「1日も......」
ハピナスが優しく説明する。 目覚めたてではあるものの、ちゃんと概要は理解出来た。 ......あんなことで1日もぶっ倒れていたと思うと、自分が憎らしく思えるけれども。
だけど、今は、それよりも。
「キラリ」
ユズはキラリを呼ぶ。
「えっ、どうしたユズ? もしかして何かーー」
その時、ユズがキラリを強く抱き締めた。 どちらかというと、ひしっとしがみついているようにも見える。 その体は震えていた。 涙は出ない代わりに、しがみつく力は強かった。
「......ユズ?」
「......ごめん。 その、嫌な夢見て......怖くて、それで......」
それ以上の言葉は、出なかった。 だが、キラリも察してくれたようで、優しく前足を握った。 ......ポケモンの気持ちを太陽のように照らすのは難しいと前言っていたけれど、今回キラリが察せた理由は大体分かる。
側にいた時間が、圧倒的に長いから。
「......うん、大丈夫。 大丈夫。 何度だって、手、握るよ」
優しい声が、ユズの鼓膜を静かに揺らす。 そして少しの間、ユズはその温かさに身を委ねることにした。
少し経った後。 ユズは今の自分の現状をキラリに伝えることにした。
「......笑えない?」
「うん。 というか、感情がどこかぎこちない」
「ええっ......なんでだろう」
キラリは頭を悩ませる。 考えを頭から捻り出そうといきむが、そううまくいかずぶはあと息を吐いた。
「感情の表現が、少し希薄になってるのね」
片付けをしているハピナスが、ふとそう答える。 急な答えに驚く2匹に対して、ハピナスは慌てて謝った。
「あっと......ごめんなさいね、盗み聞きみたいになっちゃって」
「いやそれはいいんだけど、表現が希薄に、って......」
「......言葉通りよ。 嬉しさや悲しさだったりがうまく表れてこない、それだけのことよ。 そういうタイプのポケモンというのはあなただけじゃない。 沢山いるわ。 ......まあ、急にそうなったということに関しては疑問もあるけど......そう悲観する内容ではない。 それに」
ハピナスがユズを撫でる。
「あなたの優しさが、変わるわけじゃないと思うわ。ね?」
「......そう、ですか......」
ユズは力無く答える。 自分がまず「優しい」のかどうかも実感できないのに、そんなことを言われてもうまく納得が出来なかった。
その時、外から声が聞こえるのにユズは気付いた。 いつもより賑やかな笑い声。
「ん、これって......」
「収穫祭よ。 今日目覚められてよかったじゃない。 まだ始まったばかりだから、時間もちゃんとあるわ。 一応顔色は悪くないから、気分転換にでも行きなさい」
「......そうだね! 行こユズ......」
「私はいいかな」
「なんでぇ!?」
まさか拒絶されるとは思っていなかったのだろう。 驚くキラリに対して、ユズは苦笑いで言う。
「......こんな顔で、ポケモン達の前出られない気がして......。 少し休んで、心落ち着けたらよくなるんじゃないかって」
「いや、多分悪くなるだけだよ......? 考えすぎはダメったらダメ。
お祭りは魔法の夜だよ? その魔法活用しないでどうするのさ?」
「魔法......?」
「そうそう! じゃあクイズねー、ユズ、お祭りはなんのためにあるか知ってる?」
「えっ、それは収穫を祝うために......」
「そっちじゃなくて!」
本来の意味でないことにユズは疑問を抱くが、キラリは笑顔でこちらに「答え」を向けてくる。
魔法使いのようにも見える、ちょっぴり強気な笑みで。
「お祭りはね......みんなが笑うための魔法なんだよ!」
ふっと、背負っていた何かが消える気がした。 重苦しかった心から、少し荷が取り払われる。 そう、嬉しかったのだ。 心の底から。 表情には、やっぱり出てこないけれど。
「ユズー? どした?」
「あっいや......キラリ」
「ん?」
「ありがとう、ね」
「ふっふーん、何の話かなー?」
そんなことを言っても、満更ではないのは顔からバレバレだ。 そういったところも彼女らしくて、ユズの顔にぎこちない小さな微笑みが浮かぶ。 ......なんだ、少しは笑えるじゃないかと、ユズは自分を褒めた。
「そんなことより、行こうか! 夜は花火も上がるよー!」
「花火......?」
「うん! 絶対綺麗だから、行こう!」
キラリはユズに肩を組むように腕を乗せ、そのまま一緒に走り出した。 未だユズの顔の引きつりは残るが、それでも少し柔らいだ方かもしれない。 「ユズ」としての単純な「楽しい」という気持ちが、少し表面に表れてきた証なのだろう。
......折角の機会だ。 この魔法を利用してみるのも、悪くないかもしれない。
外に出てみると、声は直に耳に届いてきた。
祭りのために用意された大きなホオズキのランタンが明かりを灯し始め、家達は美しい暖色に染められる。 まるで、街全体が大きな大きな宝石箱のようになった......そんな感覚だった。
雲一つない、快晴の夜空の下。 ポケモン達の騒めきと共に、夜の宴が始まる。