#4.時の妖精とにんじん

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「うわああぁぁぁぁーーっ!!」

 うろを飛び出したところ、すぐにあると思った地に足が付かなかった。
 それだけで混乱状態なのに、ついでとばかり身を襲う風圧。
 落ちていると彼は自覚をして思わず目を瞑った。

「…………?」

 そんな時だった。
 突如、自身を襲っていた風圧が掻き消えた。

「はあ」

 次いで聞こえたのは重い嘆息で。
 彼はおそるおそる目を開いて、そしてその目を見張った。

「う、浮いてる……??」

 驚いたように目を瞬かせる彼。
 そんな彼は輪郭をなぞるように仄かな光を帯び、中空へと留まっていた。
 手足を動かしてみても痛みはない。
 何が自分の身に起きているのだろう、と彼が首を傾げた時。
 ふわり、と空気の流れを感じて。
 誘われるようにして彼が視線を向ければ。

「これは、きみが……?」

 呆れた風情のセレビィがいて。
 その蒼の瞳は淡い光を放ち、“サイコキネシス”が発動していた。



   *   *   *



 なぜだ。と、夜に包まれた森でセレビィは頭を抱えていた。
 なぜ、自分は彼と共に薬草探しをしているのか、と。
 いや、だって。と、返しの言葉が胸中に落ちた。
 気が付けば沼にはまる。気が付けば落ちている。気が付けば――。
 要するにだ。放ってはおけなかったのだ。
 だって――ね。
 誰かがほいっと枝を放り投げると、ぱちぱちと火が爆ぜた。

「ねえ、きみ。そんなに離れてないで、もう少し近くに来たら?」

 火の扱いには慣れているからと、薪のお世話係を自称するヒトカゲがセレビィへ呼びかけた。

「ここでいい」

「えーでも、明かりそこまで届く?」

「――月明かりで十分だ」

 ちらと薪へ視線を投じてから、セレビィは空を仰いで答える。
 自身が草タイプを持っているからか、火に対しては本能的な恐怖がある。
 周囲はすっかり夜闇に包まれ、空に浮かぶ月に瞬く星々。
 静かに光を落とす月は、波立った気持ちを落ち着かせる。
 薪のお世話のため、時折枝を放り投げては面倒をみるヒトカゲが、セレビィの背後で不満そうに息を吐く。

「こっちの方が明るいのに」

 少し拗ねた響きも持ったその声にセレビィは小さく笑った。
 先程まで、なぜだ、と考えていたが、彼の態度に毒気を抜かれるというか。
 不思議なものだが、何だか段々と、どうでもいいような心境になってしまう。
 そうだ。と、セレビィは思い返す。
 始めから彼に対して、警戒する気持ちがなかった気がするな、と。
 だって、こんなに自分の前で表情をころころと変える存在は初めてだったから。
 自分を前にする者達の殆どは、欲に満ちていたり、畏れる者ばかりで。
 時を渡り、未来を手に入れたいもの。
 または時を遡り、過去をやり直したいもの。
 または、この身にあまる程の溢れ出る生命力を手にしたいもの。
 はたまた、この身に宿る力を畏怖するもの。
 など。欲に満ちた者か畏怖を抱く者で、彼のように純粋な形で見てくる者は初めてだったから。
 それが何だか新鮮で、心地よくて。
 誰かと一緒にいて、楽しいと思えるのはあの願い星以外には初めてだった。

「あ、そうだ」

 と。ヒトカゲの声で思考の海から戻ってきた。

「ねえ、きみ」

 自身を呼ぶ声に、セレビィは今度は身体事振り返った。
 何だ、と蒼の瞳が応える。

「きみの名前を教えてよ」

 セレビィの身体がふるりと小さく震えた。
 そんな様子に気付かずに、ヒトカゲは瑠璃の瞳を揺らしながら続ける。

「ぼく、まだきみの名前を訊いてなかったなあって思い出して。あ、ぼくの名前はにんじん。トレーナーさんからもらった大切な音なんだ。にんじんって可愛い音してるよね。ぼく、とっても気に入ってるの」

 ふふん、とちょっと自慢げだった。
 彼の気持ちに呼応するように、尾の焔がぶわりと膨むと。

「うわっ」

 それに驚いた彼が慌てて鎮めようと焔へ、落ち着いてよ、と説得する様子を眺めながら。
 セレビィは、どっどっ、と騒ぐ何かを感じていた。
 名。それは、個を示す音。個を縛る音。世で一番短い、呪。
 どくん。鼓動が跳ねた。見開かれた蒼は何を見る――。

「――てばっ! ねえってばっ!」

 身体を揺すられて我に返る。
 はっとしたように、蒼の瞳がヒトカゲの瑠璃の瞳を見つけた。

「大丈夫?」

 心配げに揺れる瑠璃の瞳にセレビィが映り込む。

「……あ、ああ」

 何とか声だけを絞り出したセレビィに。
 ほっとヒトカゲは胸を撫で下ろした。

「よかったあー……。ぼく、変なこと訊いちゃったかなと思ったよ」

「いや、その、すまなかった」

「いいよ。きみが何ともないなら、それでいいよ」

 気にしないでとふわりと笑む彼を見たら。
 その言葉はセレビィの喉をするりと滑っていた。
 駄目だ。そう叫ぶ自分がいた。
 けれども、止めることはもう出来なかった。

「――名は、ない」

 滑り出てしまった言葉。
 かちり。何かが狂う音が遠くでした気がした。

「へ?」

 間の抜けた声が彼からもれて。
 それに促されるように、続く言葉は止まらない――。

「お前のいう名というものはない」

 ぱちぱちと火が爆ぜる。

「……ない? 名前が?」

 ヒトカゲが首を傾げた。
 ない、とはどういうことなのだろうか。

「それは、トレーナーさんにもらった名前がないって意味?」

 それならば、そうだろうとも。彼は頷く。
 自分の前にいる存在は、ヒトの世で暮らしているわけではないのだから。

「私達はセレビィだ。それ以外の何者でもない」

「……その、セレビィていうのは初めて聞いたけど、でもそれは、種族名だよね……?」

「――セレビィはセレビィだ。種族名でもあり、お前のいう名でもある」

「???」

 セレビィの言っている意味が、ヒトカゲはますます掴めなくなった。
 困惑げに揺れる瑠璃と、角度が増す首の傾げ具合に。
 セレビィはうーむと唸る。どう言葉にすれば伝わりやすいのか。
 やめろ。今からでも遅くない。
 そう、声がした気がしたけれども。何も聞こえない。何も聴こえない。

「例えば、木――」

 セレビィがついと木を見上げた。
 釣られるようにヒトカゲもそれを見上げて。

「そう、だ。私達は木みたいなものだ」

「木?」

「木が持つ、葉の一枚一枚に名はないだろう。そんな葉が集まり、木となる――それが私達、セレビィだ」

 りいん、と澄んだ音が響く。
 ヒトカゲがはっとした頃には、セレビィの蒼の瞳が、確かな意思を孕んで彼を見つめていた。
 知って欲しい。セレビィはそう思った。
 なぜだが、彼には知って欲しいと思ってしまった。
 そして、見つけて欲しかった。
 と。そこまで思って、はたと気付く。
 見つけて欲しいとは、何をだろうか。
 セレビィは小さく首を傾げた。

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