第4話(2) “反抗期”

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 シルヴィは困っていた。
 小さなツタージャの男の子は、相棒であるミオの元気が日に日に減っていくのを肌で感じていた。人前では明るい笑顔で振る舞っているものの、ふとした拍子に見せるため息の数は着実に増えている。シルヴィが記憶している限りでは、ベベノムが船のエンジンを壊したときからだったと思う。
 ミオは臨時の乗組員だが、忙しない日々を送っていた。科学部員や機関部員から船の仕組みやウルトラホールにまつわる知識を学び、保安部員からはポケモンバトルの訓練を受け、医療部員からも救護に関する実技のレクチャーを受ける。当然にして、ベベノムも一緒だ。いついかなるときも、彼が勝手にフラフラ飛んでいかないよう、必ず側に置いて見守った。二度と過ちを犯さないためにも。
 一日のスケジュールを終えて、自室に戻ってきたのは午後九時を回った頃。ミオは糸が切れたようにベッドに崩れ落ちた。

「シルヴィ、ベベノムのことお願い……」
「タジャ」

 短く返すと、それっきりミオからの言葉はなかった。シルヴィにはそれがまったく気に食わない。今まで夜はミオといろんなお話をしたりする時間だったのに、徐々に彼女は元気を失い、ボクはクソガキの面倒を見なきゃならなくなる。「ベノベノ!」と呑気に慕ってくるベベノムに多少の苛つきを覚えながら、シルヴィは密かに決意を固めていた。なんとかして、ミオを元気にしなければ。
 涙ぐましいパートナーの努力は、次の日の朝から始まった。
 午前六時、「ギヤー! ギヤー!」とけたたましいドードリオの鳴き声アラームが鳴り渡る。デフォルメされたドードリオの目覚まし時計が突如ひとりでに爆散して、静かになった。しばらく間を置いてからミオのベッドがモゾモゾと蠢く。
 はあ、また今日が来てしまった。ミオは重いまぶたをうっすら開けて、憂鬱そうに天井を見上げる。すん。何やら芳ばしい香りが漂ってくる。胃袋が焼けた肉の匂いを求めている。できたての朝食が、ミオを布団の外へと導いた。
 そして寝ぼけた目をぱちくりさせた。

「これどうしたの?」

 ツタージャ、リザードン、そしてベベノムが、得意な顔してデスクに並べた朝食を示していた。

「たまには良いかなと思って、作ってみたよ」シルヴィがフフンと鼻を鳴らす。
「ベーコンエッグは俺が焼きました」リザードンことワイルドジャンパーも続く。
「ベノ!」

 お前は何もしていないだろ、とシルヴィが睨んだ。ベベノムは首を傾げていた。
 これならミオも喜んでくれるはず。昔みたいに「すごいすごい!」と飛び跳ねて、巻きつく攻撃にも似たハグが来るに違いない。さあ、いつでもおいでよ。シルヴィとワイルドジャンパーは「どうぞ」と言わんばかりに待ち構えていた。
 当のミオは……ふにゃりと微笑んだ。

「ありがとう、みんな。さあ一緒に朝ご飯にしよっか」

 ただのひと言で終わった。
 いつもと違う、こんなのミオじゃない。これは思ったよりも重症だぞ。シルヴィとワイルドジャンパーは互いに青ざめた顔を突き合わせた。

 *

「それで僕に相談ですか?」

 ミオがベベノムを連れて科学部の授業を受けている間に、二匹は揃ってブリッジに押しかけた。
 フェルモス公国との通信を管理しているレノードは、かの国からの膨大な質問状を処理しているところだった。未知世界からの来訪者に彼らは興味津々だ。それ自体は良いことだが、「あなた達は何を食べるの?」とか「人間は毎日砂風呂に浸からないの?」とか、まるで小学生の質問コーナーのような文面ばかり。真面目に答えるのも辟易しつつある時だった。
 ちょうど解決できそうな問題が欲しかったところだ。それにミオが最近落ち込んでいることには気づいていた。レノードは困ったポケモンたちの頼みを快く引き受けることにした。

「そうですね、一度ミオと話をしてみましょう」

 しばらくして、ミオはウルトラホール構造論についての授業を終えた。ベベノムをぬいぐるみのように抱えて、科学部員の男性に丁寧なお辞儀をすると、早速次の授業を受けるために機関部へと向かう。
 科学研究ステーションを出ると、通路でレノードがにこやかに待っていた。

「熱心ですね」
「うん」並んで通路を歩きながら、ミオは冷めたように答えた。「ここで学ぶことはたくさんあるから、とても勉強になるよ。今日はウルトラホールがどうやって世界と世界を繋いでいるか教えてもらったんだ」
「それは……面白そうですね」

 分からないくせに、とミオは小声でポツリと零した。確かにこれはシルヴィたちの手には負えないな。レノードは若干の気まずさを覚えながら、頬を掻いた。

「今は勉強ばかりでつまらないでしょうが、いずれは必要となる知識です。ベベノムを帝国に届ける任務は、おそらく半年以上の時間を要するでしょう。じきにあなたも船の仕事を任されるようになるはずです」
「つまり、雑用ってことでしょ?」
「そういう見方もできますが……船の役に立ちたいと言ったのはあなたですよ?」
「そうだよ、だからこうして次の授業に向かってるんじゃない。急いでるんだから、邪魔しないでくれる?」
「あぁ……」

 足早に抜かれたレノードは、離れていく少女の背中を追うことをやめた。たったの一言、二言で、ミオの反抗心を知ってしまったレノードは……ホロリと泣いていた。いつだって一緒にポケモンGメンのエージェントとして前線を張っていたのに、相棒の反抗期に思わず戸惑ってしまったことは、無理のないことであろう。

 *

「それで大の大人がスゴスゴ引き下がって来よったと!」

 バーラウンジのカウンターテーブルに肩を並べて、ルーナメアはわざと下品に大口を開けて笑った。一方のレノードには何も面白ない話である。とても不愉快な横目を傾けて、手元の赤ワインを一気に飲み干した。

「引き下がったというのは語弊がありますよ。これは単なる戦略的撤退だ、反抗期の到来は想定の範囲外でした。まったく信じられない。あの子はいつも素直で、自信に満ち溢れて、周りにも優しかったのに」
「年頃の娘の自立は男よりも早いぞ、ぷくく」

 ムカつくなあ。レノードはすっかり赤く染まった顔を上げて、フラフラと揺れる手で空っぽのグラスを掲げた。

「おかわり!」
「その辺にしときなよ」ヒゲ面のラクールは、カウンターの向こうからなだめるように言った。「もう何杯飲んだ? いつもの落ち着いて余裕があった君が、これじゃあ見る影もない」
「そんな影はカゲボウズにでもくれてやりましたよ、いいからお前は酒のおかわりを持ってくるんだ! 早く!」

 ラクールは「はいはい」と肩をすくめて、棚に並ぶワインボトルを取った。グラスに注ぎながら、隣りのルーナメアに目配せする。もう帰った方がいいという合図だ。ルーナメアは「もう少し見ていたかったがのう」と茶目っ気のある笑みを返した。

「さて、レノ坊や。そろそろ家路につく時間じゃぞ。最後の一杯を飲んだら帰ろう」
「ふうん、そう呼ばれたのは久しぶりだ。その呼び方をやめたのはいつからだったかな……あぁ思い出した! あれは君が」
「帰るぞ!」

 バリッ。
 その一瞬、ラクールは見逃した。手元のワインボトルを棚に戻そうと視線を外した時のことだ。奇妙な音に振り向けば、顔面に獣の爪痕のような傷を負ったレノードが悲鳴をあげている。暴れる彼を強引に抱えて、ルーナメアはすっかりくたびれた顔を浮かべていた。

「おやすみ!」

 そう残して去っていく彼女らの背中を、ラクールはポカンと口を開けて見送った。
 さて、細身とはいえ大人の男を抱えるのはルーナメアにも至難だった。いい歳してまだおんぶに抱っことは、大層な御身分じゃのう。暴れていたレノードは垂れた足を引きずられながら、しばらくすると、抱えられたままスヤスヤと寝息を立てていた。その寝顔を無碍にはできないのが、わしの弱いところじゃの。
 はあ。彼を背負い直して、ルーナメアはため息を吐いた。

「反抗期の娘、か……」

 *

 その日も同じことを繰り返すはずだった。前に進んでいるのか、後ろに戻っているのかも分からない。まだ地図もなく延々と続くウルトラホールの中で、今の自分は、一体どこにいるのだろうか。
 足元も不確かなまま、ミオはルーナメアに呼び出された。彼女の階級は中佐。外敵から船の安全を守る戦略士官が、あたしに何の用があるのだろう。ドアの前でひとつ深呼吸をして、飛び込む覚悟を決めた。

「失礼します」

 部屋に足を踏み入れるなり、ゾクゾクッと背筋が寒くなった。人ならざる重苦しい圧のようなものを感じる。この中はただの個室なのに、まるで得体の知れない獣の巣に迷い込んでしまったかのようだ。奥にはきれいな女性がいた。仕事の時には後ろに縛っている炎のような赤髪を、今はさらりと流している。着崩した制服。前髪の合間から覗く艶かしい橙の瞳に、すべてを見透かされているような気がした。
 試されている。見られている。自然とミオは背筋をピンと伸ばしていた。

「あ、あの、あたしに何かご用でしょうか」
「まあ座れ」

 ルーナメアは素っ気なくソファを指差して、従うのを待っているようだった。ミオは大人しく腰を下ろす。次の授業を言い訳に逃げることもできたが、幸いにも持ち前の負けん気がそれを許さない。来るなら来い、ミオは膝を掴んで待ち構えた。

「おぬし、この船に乗る前はポケモンGメンの最年少エージェントだったらしいな」
「はい、レノードとコンビを組んでいました」
「それは奇遇じゃのう、其奴とわしは浅からぬ縁があってな」
「……初耳です」
「好んで言いふらす話でもあるまいよ」

 緊張していたミオが、ムッと口を曲げた。

「それで、レノードと仲の良いあなたがどうしてあたしを?」
「お前せっかちじゃのう、もっとわしとレノードの仲について聞きたくはないか? たとえば恥ずかしい馴れ初めとか」
「率直に言ってもいいですか?」
「もちろん」
「あたし次の授業がありますので、世間話ならまた今度にしませんか?」

 トゲのある言葉とは裏腹に、膝が小刻みに震えている。それに気づいた途端、ミオは一層強くギュッと膝を握って、バツが悪そうに顔を背けた。
 なるほどレノードが早々に身を引く訳じゃ、こりゃあ奴には向かん問題じゃのう。ルーナメアは昨日の彼を思い出して、思わずニンマリと口角を上げた。

「実は今、わしは下士官を探しておっての。戦略士官の仕事を補佐する部下が欲しいのじゃ。ところが人手はすべて埋まっておる、わしはひとりで戦略士官の仕事を回さねばならん。そこでよくよく乗組員の勤務表を見ておったら……」
「空きがあるのは、あたしだけ?」
「そういうことじゃ」

 かあっと胸が熱くなってくる。これはチャンスだ。雑用をするための勉強よりも、戦略士官の補佐として貢献する方がずっと良い。それに、ひょっとしたら将来的にはプロメテウスの正式な士官として一緒に冒険できるかも。
 やります!
 そう言おうとした口が開きかけて、言葉が喉から出てこない。怖い。ここで決めてしまうのが。
 あたしはベベノムを見守るという単純な任務で失敗した。もしも責任のある役目を任されて、また失敗してしまったら? 今度こそ取り返しがつかなくなる、そしたら船の中であたしは居場所を失ってしまう。
 言えない。ここで居場所を失うぐらいなら、雑用の方がまだマシだ。誰からも期待されないけれど、それなら失敗しても居場所がなくなることはないんだから。
 へらっと笑って、ミオは顔をあげた。

「せっかくのお話ですが……」
「わしの生まれはアルトマーレと言ってな」

 話を遮られて、ミオはキョトンとしていた。にも関わらず、ルーナメアは身の上を語り始めた。

「美しい水の都と称賛されておったが、わしには退屈な街じゃった。しかし、そこにおれば生涯安泰、なにせ存在するだけで皆がありがたがる。わしが生まれたその瞬間から、アルトマーレが一生の居場所と定められておった」

 あ、やっぱり……ミオは確信を深めた。最初に感じた重いプレッシャーは、人間の物ではない思っていたが、どうやら勘は正しかったようだ。

「息苦しくなかった?」

 ミオが尋ねると、ルーナメアはひと呼吸置いて続けた。

「どうかな、退屈だったのは事実じゃ。子供の頃はダーテングのように鼻を高くしておったが、次第に周りがわし自身を見ていないと気づいた。皆が讃えていたのは『水の都の護神』であって、わしのことではなかったのじゃ」
「それって、つらいですね」
「じゃが楽だった。頑張らなくてもいい、居場所はここにあるのじゃからな」
「でも中佐が今ここにいるってことは……」
「あぁ、街を出た。ある日ひょっこりと街にやってきた小生意気な人間に誘われて、ついぞ断り切れずにポケモンGメンに入ってしもうた。新天地で自分の居場所を作るのは大変な苦労があったが……幸いなことに、上手くいった」
「どうやったんですか?」

 先ほどまで沈んでいた少女はどこへやら。ミオはいつの間にかすっかり前のめりになって聞き入っていた。
 ルーナメアはミオの胸に竜の赤い手を当てて、にいっと笑った。

「まずは補佐官になったら教えてやろう」

 ずっこけた。それはもう盛大に。良いことを言う場面だったのに、まんまと手玉に取られた。確かにこの人レノードの知り合いだよ、そうやって人をからかうのが好きなんだ! なんて性格の悪い!
 分かっている。あたしは中佐の敷いた道に、まんまと引きずり込まれてしまった。挑発されたのに、ここで断れば敵前逃亡になる。つまり彼女はこう言っているのだ。勝ちたければわしを驚かせてみろ、と。そしてその唯一の勝利条件は、彼女の期待を超えてみせることだ。
 ちょうど良いじゃん。ミオは拳を握りながら、あえて挑発に乗ることに決めた。
 このまま引き下がってやるもんか、必ずあたしの居場所を掴んでみせる!
 握手ではなく、ミオはルーナメアの細い腕をギュッと掴んで答えた。

「その話、お受けします!」

 少女の目に宿るギラギラした光を見据えて、ルーナメアは力強く微笑んだ。

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