#4 蜂蜜-8-

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください


 静かな朝だった。
 まじない師を名乗る二人組がこの村を訪れた翌日。私は赤い服を身に纏い、まじない師のうちの一人に会いに、集会所へ向かった。
 集会所へたどり着くより先に、彼女の後ろ姿が見えた。確か、名前はジャグル・タルト。
 朝の散歩でもしているのか、景色を眺めながらゆっくりと歩みを進めている。
「おはよう。まじない師さん」
 私は後ろから声をかけた。
「おはようございます」
 彼女は私の存在に驚いたのか、肩を震わせた。返す挨拶の声も、どことなくぎこちない。恐らくこの集落の謎に、早くも気付き始めているのだろう。さすがまじない師、勘がいい。秘密を暴いたのは、もう一人の方かもしれないが。
「あなた、昨日来たまじない師さんでしょう。いかがかしら、この村は」
 私はにっこりと微笑んで、尋ねる。
「ええ。のどかで、とてもいいところですね」
「この村の特産品、召し上がった?」
「蜂蜜ですね。はい、とても美味しかったです」
 嘘だということはすぐに分かった。あの蜜を舌に乗せて、正気を保っていられるはずがないからだ。
「そう。それは良かった。初めて食べたときは、私も感動しちゃった。あんなにおいしいものがこの世にあるなんて、ってね。あなたも気に入ってくれたのなら嬉しいわ」
 私は話を合わせる。
「ええ。またいただきたいです」
「もちろん、いくらでも。この村にいる限りは、好きなだけ食べていいわよ。なくなったら言ってね。おかわりを用意するから」
 この村の人間は、よそから来た人間を招いた際にはきっとこういう反応をするであろう言葉を並べる。あの蜂蜜を食べたのであれば、すでに同じ穴の狢だ。共犯者だ。村人達は積極的に村の中へ取り込もうとする。そして食べた者も、喜んでそれに応じる。このまじない師もそうなってくれれば、こちらにとっては都合が良いのだけれど。きっと彼女は、誘いには乗らないだろう。
「あ、そうだ。あの蜂蜜がこの村に行き渡った経緯、もしご存じでしたら教えていただけませんか」
 ジャグルは思いついたように言った。
 探りを入れるにしては、あまりに素直すぎるな、と思った。見た目通り、彼女はまだまだ若い。経験不足だな、と苦笑する。果たして彼女に情報を与えてもいいものかと少し考える。こちらから内情を話せば、会話の流れで私も彼女のことを聞くことが出来るだろう。
「いいわよ。それなら、ちょっと歩きながら話さない? 見せたい場所もあるし」
 私は答え、提案する。見せたい場所など本当はない。歩きながら話す方が、自然だと思ったからだ。
 遅かれ早かれ、彼女らは真実にたどり着く。ミツハニー共の採取場を案内してやってもいいかもしれない。
「分かりました。よろしくお願いします」
 彼女は嬉しそうな顔をしている。ここは彼女にとって敵地のようなものなのに、呑気なものだ。私がもし、あなたを騙そうとする人間だったらどうするつもりなのだろう。甘い女だ。内心呆れてしまう。
 そんな感情を表には出来るだけ出さないように、彼女にこの村のことを話す。
「あの蜂蜜はね、木こりのマティアスさんが見つけたのよ。この先の方に家があるんだけどね。彼が仕事をしている時、偶然にね。急においしそうな匂いがして、木のうろを覗いてみたらしいのよ。そしたら蜂の巣があったんだって。蜂の姿は無かったそうで、甘い匂いに我慢出来なくなって、ついつい手をだしちゃったみたい」
 食べるようにそそのかしたのは私である、ということを棚に上げて、可能な限り他人事のように語る。
「そしたら中から大量の蜜が出てきて、食べてみたら美味しかったんだって。それからと言うもの、この森の奥の方ではそんな不思議な蜂の巣があちこちで見つかるようになった。それ以来、私たちは喜んで蜂蜜ばっかり食べてるのよ。男の仕事は農作業から蜂蜜採取に変わったわ」
 あの蜂蜜は、この村の生活を一変させた。あっという間に、皆狂ったように蜂蜜のみを求めるようになった。
 つくづく、人食いの力とは恐ろしいものだと思わせてくれる。
「みんな、蜂蜜を取りに行っちゃってるんですか」
 ジャグルは驚いたように相づちを打つ。
「そうね。正直、あれがあれば他には何もいらないもの。あれに比べれば、他の何を食べても味がしないも同然だわ。おいしくないなら、べつに食べなくてもいいんじゃない? たぶん、他のみんなも同じことを考えてると思うわ」
「養蜂はおこなってはいないんですか。自分で蜂を育てて、蜜を取る」
「何度か試したことはあったみたいんだけどね。でも、出来なかった。今のところは、彼らの巣を探して蜂蜜を取るしかないのよね。残念だけど」
 私は残念がるふりをする。
「でも安心して。蜂の巣は山の奥でいくらでも見つかるそうだから。ちょっと探せばすぐに見つかるわ」
「山の奥ですか。どのあたりにあるか、ご存じなのですか」
「さては自分で取りに行ってみようってクチ? 湖の方よ。わき道を抜けて、歩いていった先。ちょっと探せばすぐに見つかるわ。でも気を付けてね。最近は蜂に刺される子も多いみたいだし。あなたもまだ若いから、もう一人のまじない師さんと行った方がいいわね」
 うんうん、と頷いてみた。これは本心ではない。本当は、もう一人のまじない師に出てきて来られては困るのだ。この女はこちらの助言にバカ正直に従ってしまいそうなので、そろそろ私の目的も果たさせてもらうことにしよう。
「あ、そうだ。今度はあなたのこと、教えてくれないかしら」
 私は尋ねる。出来る限り、このまじない師たちの情報が欲しい。
「おれのこと、ですか?」
「そう。あなたの名前は」
「ジャグル・タルトです」
「ジャグル。かわいい名前ね」
 私はにっこり微笑んだ。彼女は居心地が悪そうに照れている。既にこちらを信用しきっているのだろうな、と思った。質問さえ間違えなければ、怪しまれることはないだろう。
「ジャグルは、どんなまじないが使えるの」
 まずは当たり障りのないことから聞いてみる。知りたいのは、彼女のまじない師としての実力……戦闘力だ。
「例えば、虫除けの煙を焚いたりだとか。あれ、おれのまじないなんです。ちゃんと働いてくれたらいいんですけど」
「すごいじゃない」
 日常使いのまじないだった。一般的な術師なら、誰でも使える。確か昨晩より、煙が上がっていたが、あれはこの子のまじないだったのか。恐らく効力は十日ほど持つだろう。なるほど、全くの無能という訳ではなさそうだ。
「他にも馬を走らせるときの体力の消耗を抑えたりとか。まあ、色々あります」
 ジャグルは頭をかいた。
「頑張っているのね」
 私は彼女を褒めた。素直に、まじない師としての努力を怠らない性格のようだ。彼女の元々の性質か、それとももう一人のまじない師の教えの功績か。
「そんなことないです。うちの師匠の方がよっぽど凄いですから」
 彼女の口から、ついにあの男……ディドル・タルトの話が出る。今まで彼女の退屈な話に付き合ってきたのは、この時のためだと言っても過言ではない。
「あなたのお師匠さんって言うと……あの男の人?」
「はい。正直、出来ないことなんてないんじゃないかってくらい、凄い人です」
「へえ……それは凄いね」
 私はあの男がいるであろう、集会所の方向を見つめた。何を聞くべきか。まず彼の名前を聞こうとしたが、耳に入れたとしても冷静でいられる自信がない。あくまでジャグルの前では、ただの親切な村人を演じなくてはならない。私の正体を晒すのは最悪だ。
 もう少し、周辺の情報から攻めるべきだと判断した。まず、何を聞くべきか。身近で見ているこの女でさえ、あの男の弱点は見抜けないのだ。色々考えたが、拠点の場所を聞くのが最も良いと結論づけた。この二人組がこの村に来た時点で、ある程度は絞り込めてはいるのだが、もっと具体的に聞くことができれば手っ取り早いと思った。ジャグルに見抜けないことは、私が見抜けばいい。
「そういえば、二人はどこに住んでいるの? 遠かったんじゃないかしら」
 何気なく聞いたつもりだった。

 ジャグルが答えようとした瞬間、彼女の動きがぴたりと止まった。

 今にも声を発するような体制のままで、ジャグルは固まってしまった。
 何が起こっているのか分からず、私は彼女から遠ざかる。自分の身にも、何かしらの攻撃を仕掛けられる可能性があったからだ。
 数秒様子を伺ってみたものの、状況は変わらない。朝の空気は変わらず、風は静かに囁いている。彼女の時間だけが、止められてしまったようだ。ふう、と私は息を吐く。とりあえず、私の方へ危害を加える様子はないようだ。
 ならば、こういうのはどうだろう。
 私は懐に忍ばせていた小刀を取り出し、ジャグルの背中に向けて振り下ろした。
 だが刃は彼女の胴を貫くことなく、根本から折れ飛んだ。貫くどころか、服に切り傷一つ付けることができなかった。
 なるほど。私は折れた刃を拾い、人形のようになった彼女の姿を見つめる。
「ふふふ、そういうこと」
 私は笑う。ディドル・タルト、なんて狡猾な男なのだろう。
 あの男は、自らの弟子に対してまじないを施していたのだ。ジャグルが私に対して、ドドの情報を告げようとしたときに、彼女の動き……または時間を止めるまじないを。恐らく、私に自分の情報を渡さないために。
 昔から、何でもできる男だった。その中でも何かを止めるまじないは、彼の十八番だった。こんなことをするのは、あの男らしいとすら思えた。
 村一つを巻き込んで、ようやく彼らを誘い出すことに成功した。私のまじないを使えば、この村を蜂蜜に狂わせることは造作もないことだった。村の住人として溶け込み、立場の無いマティアスをそそのかし、自然な形で蜂蜜の存在に気付かせる。後は勝手にミツハニーとビークインの餌となっていく。蜂が人を殺し始めたところで、彼らは外の人間に助けを求めようとする。渉外役を私が請け負えば、より対応してもらえる可能性が高まるように仕向けられる。担当するまじない師がディドル・タルトであれば万々歳だった。同じようなことをいくつかの場所で行い、そのどれかに彼らが来れば接触を図ることができる。居場所を掴めなかった私が彼に近付くために取れる方法は、これしかなかった。
 ドドを始末する為には、取り巻くものを一つずつ消していくのが効果的だと思っていた。彼に気付かれないようにジャグルを始末し、彼が使役する人食いを始末し、最後に彼の命を奪う。それが最も確実だと考えたが、存外私の存在は警戒されているようだ。昨晩は彼らの会話を盗み聞いてやろうと近付いたが、即座に防音のまじないをかけられてしまった。今後は、少しやり方を改めなくてはならない。
「残念だけど、今回はここまでね」
 私はひとりごちた。
 ジャグルにかけられた時間停止のまじないは、きっと私が立ち去るまで解けることはないのだろう。今、ドドとやり合うのも得策ではない。術力の差でこちらが負けるのは明白である。ここは引き上げるしかなさそうだ。
 心配はいらない。私が蒔いた種は、他にもある。それらは世界のあちこちで、芽吹くのを待っているのだから。
 ディドル・タルト。
 いや、ディドル・ガレット。
 一族を見殺しにし、あまつさえ我々の秘術を奪った裏切り者。
 私はあなたを許さない。
 言霊使い最後の生き残りである、このベルラ・ガレットが、必ずお前を殺してやる。


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