第3話(4) “嵐の彼方へ”

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読了時間目安:23分
<UISプロメテウス>
ウォーレン……UISプロメテウスの船長
コール……ウォーレンのパートナーで、アローラの白いキュウコン
シラモ……メガロポリスから派遣された副長
ミオ……不思議な力を持つ少女
レノード……気さくな通信士官
スノウライト……ユキメノコの科学士官
ミュウツー……保安主任、かつてクローンの失敗作と言われていた
ビクティニ……心優しい筆頭看護師
バーク……意地悪でケチな医療主任
ラクール……気前のいい料理長
エルニア……エルフーンにして、新米のパイロット
ルーナメア……したたかな戦略士官だが、ある秘密を抱えている
 最新式の慣性制御システムがなければ、船が急停止した瞬間、壁に叩きつけられてタマゴのように潰れていただろう。それでも完璧には抑えきれず、船中で乗組員たちが宙に投げ出されてしまう。ブリッジの上級士官たちも、この災難を乗り切ろうと、必死になって目の前の制御盤にしがみついた。
 初めてのトラブルはブリッジを大混乱に陥れる。さっきまで逃げたベベノムを追い回すだけの平和な騒動だったのに、何がどうしてこうなったのか、未だに誰ひとりとして事態を把握できずにいた。ウォーレンとシラモが戻ってくると、まるで救世主にすがるように、矢継ぎ早に報告が飛び交い始める。

「第八デッキ、セクション六から九までの船体が損傷! 内部センサーは局所集中的なポラリトン・エネルギーの放出を検知していますが、ポラリトンの干渉で発生原因を特定できません!」と、ルーナメア。
「メインリアクターがダウン、全デッキでパワー供給が停止!」と、スノウライト。
「非常用バッテリーに接続しました、リフレクター出力は六十七パーセントに低下。なおも低下を続けています」と、レノード。
「ワープライド推進システムが起動不能、ジェットスラスターも動きません!」と、エルニアが今にも泣き出しそうな声で締めた。
 ウォーレンのもとへ次々に飛び込んでくる悲観的な報せは、迫りくる最悪の結末を予感させた。「ブリッジより機関室、応答しろ!」
『こちら機関室!』ブライスは掠れた声で叫んだ。『さっきの爆発でエネルギー中継ジャンクションが崩壊しました、おかげで船中の供給ネットワークが滅茶苦茶っス! 一体何が起こったんですか!?』
「詳細は後だ、今すぐ船を動かせ! ここはまだラミエル界域の真っ只中だぞ!」
『非常用バッテリーをリフレクターに回すので精一杯っス! ワープライドは諦めてください!』
「船長」レノードが念を押して言った。「リフレクターの出力低下が止まりません。このままでは一時間以内にリフレクターが停止します」

 スクリーンの外に迸る雷光が、激しく船に叩きつける。嫌な予感が当たっていた。この船は放電現象が渦巻く嵐の真ん中で、エンストを起こしてしまったのだ。原因を追及している時間はない。とにかく、ウォーレンは船を動かすことを最優先に考えていた。

「誰か、なにか提案はないか?」
 シラモは相変わらず冷静に答えた。「最後に確認した限りでは、このラミエル界域付近にメガロポリス船が航行しいるのを検知しました。救難信号を発信すれば、彼らはただちに駆けつけてくれます。快く避難を受け入れてくれることでしょう」
「この船を、捨てろというのか!」それを提案と呼ぶには憚られる、ウォーレンにはとても受け入れようのない話だったが。
「乗組員の生命維持が最優先です」

 そう切り返されては文句のつけようがない。たった三日間で新型の航界船を壊してしまった船長として歴史に名を残してしまう恥ずかしさ、情けなさよりも、乗組員の命が第一だ。しばらく思い悩んだ末に、ウォーレンは絞り出したような声で命じた。

「レノード、救難信号を送れ」

 頷いて返事をすると、レノードは躊躇なく制御盤を操った。

「賢明なご判断です」シラモのひと言が嫌味のように聞こえてくる。
「まだ諦めた訳じゃないぞ。メガロポリス船が到着する前に、この界域から抜け出す方法を考えろ。これは命令だ」
「お言葉を返すようですが、それは不可能です」

 しめた、とウォーレンは心で拳を握る。ウルトラホールへと旅立つ前からずっと、メガロポリス人に言いたくて仕方がないことがあった。

「決めるのはお前じゃない」返事を待たずして、ウォーレンは離れていった。

 *

 船のあちこちで避難準備が進んでいる最中だというのに、料理長ラクールは大皿を片手に乗せて、ひとりブリッジを目指していた。すれ違う乗組員が彼を止めようと声をかけても「お構いなく」と気さくに返されてしまう。結局彼は、ブリッジまで悠々と辿り着いた。
 エレベーターから下りてきた彼を咎める者はいない。上級士官たちは制御盤のモニターをぐるりと囲んで、ああでもない、こうでもないと、嵐の界域から脱出する策を練るのに大忙しだ。あるいは、シラモだけが輪の外で平然と孤立していた。

「古い手は使えないだろうか? 『光の壁』を覚えている乗組員をかき集めて、船の修理が終わるまで雷を防ぐんだ」ウォーレンが渋い顔つきで言うと。
「ミュウツーが百匹いればな」科学士官スノウライトはため息を吐く。「とてもじゃないが、船全体を守るには足りないぜ」
「特性『避雷針』は? ライドスーツを着せたサイドンやライボルトを外に配置すれば、雷を誘導できるのでは?」続くレノードのアイディアにも。
「やめとけ、アレはとても生身で受けていいもんじゃねえ。サイドンだって粉々に爆散しちまうよ」スノウライトが一蹴した。
「こうなっては界域の雷を防ぐことよりも、どうにかして船を動かす方法を考えるというのはどうじゃ?」ルーナメアも難しい顔をしてアゴを撫でた。
「ジェットエンジンでは界域を抜けるのに数日掛かります」エルニアはすっかり肩を落としていた。「ワープライドが復旧する見込みもないし……」
「界域の外まで向かう必要はないぜ。ダウン直前の記録によれば、長距離センサーが近くに重力の歪みを検知していた。おそらく『ワープホール』だ」

 ワープホールがある。そう聞いたとたんに、絶望のどん底に一筋の光明が差した。船さえ動かすことができれば、避難できるじゃないか!
 わずかな希望を見出し始めた一団の間に、ラクールが大皿を挟んだ。

「頭を使う前に、おいしいマラサダはいかがかな?」

 すべての視線がラクールに刺さる。だが異を唱える者はいない。真っ先にマラサダを掴んだウォーレンは、ひと口齧ってから尋ねた。

「距離はどのぐらいある?」
「およそ二百五十キロメートルだ」マラサダに馴染みのないスノウライトだったが、興味深そうに取った。「ジェットスラスターさえ動けば、届かない距離じゃない」
「動かせたとしても、幾らか雷に衝突してしまうのは避けられんじゃろ」ルーナメアもぺろりと舌舐めずりをして、ひとつ。「ワープホールに到達するまでリフレクターが耐えられるかどうか怪しいな」
「エルニア少尉?」ラクールは意見とマラサダを促した。
 こんな大変なときに食べてても良いのかな、と迷っていたエルニアも、甘い匂いに釣られてとうとう頬張った。「自動操舵コントロールの復旧は間に合いません。手動で船を飛ばすことはできますが、あれだけの雷を回避するのはまず無理です」
 行き詰まったか。これ以降の提案は続かず、ウォーレンは舌を打った。「まったくもどかしい。出口が目の前にあるのに、手が届かないとは」

 大変だなぁ。マラサダの減った大皿を抱えて、ラクールは呑気にそう思っていた。それよりも他におやつを貰っていない士官がいるかどうかが気になっていた。
 やはり最後に残ったのはシラモのようだ。きっと受け取らないだろうな……黙々と制御盤に打ち込んでいる彼女の前に、諦め半分で大皿を差し出した。意外なことに、シラモはすんなりと口に運んだ。しかも小さく「どうも」とお礼まで添えて。
 ジッと見つめてくる視線に気がついて、シラモは怪訝そうに顔を上げた。

「……他に何か?」
「いいや、何でもない。ただその……メガロポリス人の君が、こんな緊急事態の下でマラサダを食べるとは思わなかったから驚いたよ」
「あと三十分程度でメガロポリスの船が到着します。まだ荷解きをしていない乗組員が多いおかげで、避難準備はスムーズに進んでいます。あとは船の航行記録を艦隊に転送するだけです」
「あぁ、たった三日間の記録か。テメレイア帝国へ往復した後も含めて、少なくとも三年間は旅が続くものだと思っていたのに、短い命だったな」
「あなたの命ですか?」
「違う違う、この船のだよ」

 シラモは不思議そうに首を傾げていた。

「この船に命はありません」
「我々の文化では、たとえ物でも命が宿っていると信じられているんだ。実際、物に宿ったポケモンだっているぐらいだからね。ヤバチャとか知ってるかい?」
「まだ会ったことはありませんが、理解できます」

 時間が許せば、もっと色々な話をしたいところだ。じきプロメテウスを離れれば、こうしてシラモのことを知る機会も失われることだろう。せっかくメガロポリス人と同じ船に乗ったのに、もったいないが、仕方がない……ラクールも残念そうに視線を下げた、そのとき。それまで間断なく制御盤を打ち続けていたシラモの手が、一瞬、戸惑ったように見えた。
 バーを経営していた職業柄、ラクールは相手の仕草に敏感だった。それがどんなに些細なシグナルでも見落とさない。飲みにきた客の心を掴み、物腰穏やかなお喋りで癒す技術が、功を奏した。

「副長」
「何です?」シラモは見向きもせずに答えた。
「船長に報告していないことがあるんじゃないですか?」

 ビンゴだ。彼女の手が完全に止まった。その冷ややかな目が、いつもより少しだけ見開いている。振り返って、シラモは言った。

「隠し事をしている訳ではありません、実行不可能だから進言しないのです」
「なぜ?」
「この方法を実行するためには、熟練の操舵手と、完璧な統制の取れた乗組員たちの協力が必要です。残念ですが、プロメテウスにはいずれも足りていません」

 なるほど合理的だ。しかしラクールは頷かなかった。

「この船に乗る前、俺は艦隊の横で小さなバーを開いていた。艦隊でお勉強している士官候補生たちの相手もよくしてたよ。ここの士官たちとも顔見知りでね」

 突然何の話を、と疑問を挟もうとするシラモを制して、ラクールは続ける。

「だから操舵手エルニア少尉のことをよく知っている。彼女は、艦隊のパイロットに就任した初めての草ポケモンだ。陸の上でフワフワしているエルフーンに、航界船のパイロットなんて無理だと言われ続けてきた。そんな彼女だからこそ、プロメテウスの操舵手になれた。血の滲むような努力の果てに、見事に周りの偏見を覆したんだ。エルニア少尉にできない任務なら、他の誰にだって無理だと断言しよう」

 仲間への思わぬ弁護に、シラモは即座に返さなかった。メガロポリス人らしく熟考している。粗を探している、というよりは、前向きに考えているように見えた。
 認めよう。少なからず、メガロポリス人と旅に出ることに不安はあった。しかし、ひょっとすると、我々は今まで人類未踏の世界に目を向けるばかりで、実のところはご近所さんであるメガロポリス人のことでさえよく分かっていないのでは。ラクールは腕を組んで、考え込むシラモの横顔をジィッと見つめていた。
 やがて、シラモはラクールを見据えてこう答えた。

「仮にそうだとしても、やはり無謀過ぎます。命の安全を第一に考えるのであれば、やはり救助を待つのが賢明です」
「船長が判断を誤ると思っているのかい?」
「彼はメガロポリスを憎んでいます。たとえ乗組員の命を危険に晒してでも、決して引き下がろうとはしないでしょう」
「そうかもな」

 否定はできない。確かにウォーレンならやりかねない。彼は目的のためなら、多少強引な手段でも押し通してしまうだろう。だが。

「我々がそう思い込んでいるだけかもしれないぞ。実際には、ウォーレンはまだ何の決断も下していない。一度でいいから、彼を信じてみるべきだ」
「信頼で判断するのは極めて危険です」

 ああ確かに頑固者だ、ウォーレンが苛立つのもよく分かる。ラクールが頭を抱えていると、その続きが飛んできた。

「しかし私の任務は、船長と乗組員の能力を評価することで、地球が本当にウルトラホールの神秘を探索するに値するかどうかを判断し、メガロポリスに報告することにあります。結論の根拠として、船長の判断を観察することは必要不可欠と言えます」
「つまり……?」
 続きを期待するラクールの意に反して、シラモはつれない態度を見せた。話は以上です。そう言わんばかりに、颯爽と席を立った。「船長、ご提案があります」

 *

「もう一度最初から説明してくれ」

 ひとしきりシラモが喋り通した後、しばらく沈黙が続いて、ようやくウォーレンが言った。
 説明はおそらく明瞭で、論理的で、まさに画期的なアイディアだ。あいにくそれを誰も聞いていなかった。一体どうして信じられようか、今まで冒険の失敗を誰よりも望んでいたはずのシラモから、この状況を打開する方法が出てくるなんて。今度こそ一言たりとも聞き漏らさないよう、皆して真摯に耳を傾けた。

「ジェットスラスターで、近隣のワープホールへ向かいます」
「でもナビゲーションの問題はどうするんだ?」スノウライトが口を挟んだ。「ナビ無しで飛んだら、雷とぶつかりまくって、辿りつく前に船は木っ端微塵だぜ」
「そこでポケモン乗組員の技『未来予知』を使います。現行の進路を採用した結果、船が雷と衝突する未来を検知したら、ただちに操舵手へコースの変更を指示。これを繰り返すことで、雷を回避することが可能です」

 納得が広がる一方で、ルーナメアは顔をしかめていた。

「未来予知の頻度と精度はどうする? 一度未来予知を使ったとしよう、しかしもう一度使うまでの間に雷と衝突してしまう危険があるぞ。しかも、未来予知はあくまで確率の未来に過ぎん、百発百中とはいくまいよ」
「理論上、このサイクルを維持するためには三十二名が必要です。ピーピーリカバーの投与も併せてですが」
「もうひとつあるぞ」ルーナメアはエルニアに一瞥を送って、さらに続けた。「仮に未来予知がうまくいったとして、指示を受け取ってからコースを修正する猶予はどのぐらいある?」
「正確には、三・七秒」
「それだけあれば十分です!」エルニアはここぞとばかりに飛び跳ねた。

 不安は絶えない、果たして新米パイロットに船の命運を託しても良いのだろうか。しかし自分たちの思いがどうであれ、最後に決めるのは船長だ。制御盤のモニターをひたすら睨むウォーレンの動向に、皆が注目した。その重い口を開く。

「リフレクターの出力は?」
「三十八パーセントです」と、レノード。
「なら一刻の猶予もないな、急いで準備に取り掛かろう」前向きな命令とは裏腹に、その顔は苦渋に歪んでいた。「ただしリフレクターの出力が十パーセントを下回ったときには、ただちに作戦を中止。メガロポリスの救助を待ち……船を放棄する」

 シラモの顔が強張った。きっと船長はなんとしてでも策を押し通すだろうと思っていた。確かにラクールが正しかった。船長は決断した。ウォーレンと目が合い、彼は忌々しそうに視線を泳がせたが、最後にはしかと頷いた。

 *

 航界日誌、ウォーレン記録
 地球暦2115.5.3

 機関主任ブライス少佐、及び機関部員の尽力により、ジェットスラスターの機能が三十分も掛からずに回復した。光速以下の速さしか出ないが、近くのワープホールに逃げ込むには十分だ。無理を言ったが、彼女はよくやってくれたと思う。
 未来予知部隊は既に準備を完了。作戦中に投与すべきピーピーリカバーの量を管理するため、拠点を医療室に置いたが……これもシラモのアドバイスだ。
 それにしても、今までメガロポリス人が我々に協力したことがあったか?
 ……コンピュータ、最後の一文を削除。

 ミオは医療室を奔走する。エスパーポケモンでごった返す中で、機器類や医療品を呼ぶ声が入り乱れていた。点滴用のパックを持ってきて。医療用スキャナーはどこにあるか。足りない手は『サイコキネシス』で補い、ミオは雑用に全力を尽くした。
 時々間違えることもある。

「これはピーピーリカバーのパックじゃないぞ!」ドクター・バークが怒鳴っても。
「リカバーの棚はあっちだよ」ビクティニがさらりと助言をくれて。
「チョロ……!」チョロネコが棚に飛び込んで、必要なパックを放り投げては。
「ありがとう!」ミオがキャッチして、バークのもとへと届けた。「なにか、他にも手伝えることはありますか?」

 バークは疎ましそうな顔をして、「もうないよ」と答えた。すかさずビクティニが「そんなことないよ」と挟んだ。
 こうした熱心なお手伝いは、機関室でも見られた。船中のパワー系統を直すために機関部員たちが駆けずり回っているおかげで、医療室以上に人手不足が深刻なのだ。助っ人に参上したのは、ミュウツー率いる保安部員たちだった。

「手を貸す、何でも言え」

 突然の訪問客に、ブライスは呆気に取られた。相手は戦闘集団、しかもその筆頭は戦いのために造られたポケモンだ。すっかり震え上がるブライスの首から、ふかふかのマフラー(オオタチ)が頬ずりしてきた。よく見て、とミュウツーを鼻先で示す。あぁ、とブライスはすべてを理解した。
 失敗は悔しい。ミオもミュウツーも、自分のせいで船がこうなってしまったことを深く自覚していた。誰も責める者はいなかったが、それでも挽回しようと、今の自分にできることを精一杯やり遂げたかったのだ。
 高慢な態度を取りながらも、決して視線を合わせようとしないミュウツーが、少しだけ可愛く見えた。

「インジェクターの交換を手伝ってもらってもいいスか? 重くて大変なんスよ」
「すぐに取り掛かろう」

 返事よりも先に、足が進んだ。

 *

「リフレクター出力、二十一パーセントです」

 レノードの報告を聞いて、士官たちにも緊張が見え始めた。ジェットスラスターは待機中、未来予知を報せる通信システムも異常なし、出発するなら今がその時だ。
 人類未踏の世界へ旅を続けるか、救助されて地球に戻るか。目前に迫ってきた運命の分かれ道を見据えて、ウォーレンは身を乗り出した。

「レノード、メガロポリス船にメッセージを送れ。これより作戦を開始する」
 応答はすぐに返ってきた。「送信完了。メガロポリス船、スタンバイ」

 ようし。ウォーレンは口角を不敵に上げて、裾の緩みを正した。

「エルニア少尉、ワープホールへ向けてコース設定、発進だ」
「了解しました!」初めて出航した時よりもずっと慎重に制御盤を操り、エルニアは答えた。「ジェットスラスター起動、操舵コントロールをマニュアルモードに設定。コースセット、方位〇二一、マーク三、発進!」

 真正面のスクリーンから見える景色が緩慢に流れ始める。草ポケモンのちっぽけな手を通じて、巨大な船が動き出した。しかし手放しに喜んではいられない。ウルトラホールを漂うおびただしい数の雷球体が、船の行く手を埋め尽くす。
 早くも最初の関門が襲ってきた。

「医療室から通信あり。衝突確率、八十一パーセント」レノードが読み上げる。
 すかさずエルニアは制御盤を叩いた。「コース変更、一三五、マーク七!」

 船がぐらりと斜めに傾く。そのとき、船の左舷端で雷が弾けた。ほんの僅かにだが引っ掛かったのだ。

「リフレクター出力維持、十八パーセント」と、シラモは淡々と告げる。
「今のはニアミスだったぞ」ウォーレンは冗談気味に笑って言った。
 次からは気をつけます、と口では笑いながら、エルニアのつぶらな目はスクリーンを凝視していた。一瞬たりとも目が離せない。今度は四方から雷球体が迫ってきた。

「コース変更、方位三一〇……」エルニアが言いかけると。
「衝突確率が上昇、九十三パーセントです!」レノードの報告を受けて。
「訂正します、方位〇八二、マーク五! フルスロットル!」

 機体が左から右へ大きく揺れた。雷球体の間をギリギリ通り抜けて、ホッと安堵の息を吐く。まるで深い森の奥を、鳥ポケモンになって飛んでいるようだ。彼らなら、もっとスマートに枝葉を避けられただろう。私だって……。
 スクリーンからまばゆい光が飛び込んでくると同時に、辺りからけたたましい警報が鳴り始めた。エルニアの手が止まり、レノードが叫ぶ。

「衝突確率、九十八パーセント!」
「こ、コース変更、方位二二〇……いや、方位三四〇……!」

 定まらない。雷球体が大きすぎる、プロメテウスの十倍はあるだろう。今さら進路を変えても間に合わないと悟るや、エルニアは固まってしまった。
 遠くから船長の声が聞こえる。大勢の声も。だがそれよりもずっと鮮明に聞こえてくるのは、かつて過ごした学び舎の喧騒だった。空飛ぶ小型艇でジョウト地方を巡る操縦技能の訓練、飛び立った艇は三隻、戻ってきたのは二隻。エルニアは一隻を海に沈めたために、教官であるピジョットからこっぴどく叱られていた。彼はエルニアに問うた。どうしてマニュアルに書いてもいない曲芸飛行をやったのか、と。キャモメの編隊をすり抜けようと思ったからです。エルニアは悪戯っぽく笑って、容赦のないクチバシを浴びた。
 もはやエルニアは報告の義務を省いた。すべての意識を、これから行う無謀な曲芸飛行に注ぐ。ジェットスラスターの最高速度から一転、エンジンを逆噴射して、船首を強引に持ち上げた。

「少尉、何をしている!?」

 ウォーレンが叫ぶも、エルニアは答えない。そのかわりに、大量の命令を制御盤に叩き込んでいた。船の腹部に巨大な雷球体が寸前まで迫る。エルニアは再び、一気に側面のエンジンを全開にした。微細な角度調整を絶え間なく入力する。そして雷球体に船首を向けたまま、その表面を滑るように飛び抜けた。
 これは……ドリフト走行だ。
 ブリッジにいる誰もが言葉を失う。心配する目はひとつもない。ウォーレンは特にそうだ、まだワープホールに届いた訳ではないが、もう大丈夫だと確信していた。

「今のは艦隊の規定にない飛び方だぞ、少尉」ウォーレンはからかうように言った。
「大変失礼しました、次から気をつけます」エルニアは前を向いたまま笑った。

 それから二度、三度とコースを変えたが、もう雷の球体に脅かされることはない。プロメテウスは目論見どおりに、念願のワープホールへと吸い込まれていった。
 図らずも、そこはプロメテウスが訪れた初めてのウルトラスペースとなる。雷の嵐を抜けたとたんに、それまでの荒れ模様が嘘のように晴れた。スクリーンから見える光景に、ブリッジ士官たちは次々と立ち上がる。船中の乗組員たちも我先にと近くの窓へ集まっていく。ミオは初めての異界に目を輝かせた。
 まるで潜水艦に乗って、夜空を優雅に泳いでいるみたいだ。このプロメテウスよりひと回り大きいほどしかない惑星が無数に浮かんで、それぞれが異なる自然を抱えていた。ある星は花畑が咲いて、またある星は海に覆われ、またある星は火山が絶え間なく噴火する。星々に棲むポケモンたちが続々と顔を出して、初めて目にする航界船を、もの珍しそうに眺めた。
 嵐の向こうには、新しい出会いが待っていた。

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