第16話:選んだ“強さ”――その3

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この作品には残酷表現があります。苦手な方は注意してください

 ふわりふわりと、夢の中に沈んでゆく。

 暗闇の中でふと、セナを淡い光が照らした。

「セナさん」

 光が、聞き覚えのある声で呼びかける。穏やかだが、落ち着きすぎて、どこか冷めたような声。その声の主は、光が渦巻くような、“仮の姿”――“ポケモン”だった。

「“ポケモン”……」
「今日は大変興味深いものを見せていただきました。友達。仲間。味方……。人間が好むくだらない概念は、こんなにも脆いものなのですね」

 人間に対する批判的な見解を、“ポケモン”は冷たい声で淡々と述べる。

「ホノオさんも、アナタも。人間はみな、そうなのです。所詮は自分が大事。だから人間同士で歩み寄れずにいがみ合い……“あんな事件”を起こしたのです」
「“あんな事件”?」

 セナが思わず問いかけるが、“ポケモン”はそれを冷たくあしらう。

「いいですね、記憶をなくした方はお気楽で。前にもお伝えしましたが、ワタシは事情を親切に教えてあげられるほど、アナタを信用していませんので」
「…………」

 いつも気になるのに掴めない。ひらりひらりとかわされてしまう。――どうして“ポケモン”は人間を嫌うのか。そして、失った自分の記憶とは。人間が冒した過ちとは……。

「今日のアナタの思考は、とても興味深いものでした。心がなければ、辛くならない。思考を乱されず、身体と理性だけで生きていける……。なるほど、一理ありますね」
「……」

 自分の思考を正確に読み取られ、言語化されて浴びせられる。合理的で、無機質なその結論は、客観視するととても冷たく重たい。覚悟が揺るぎそうになる。

「せっかくですので、とことん検証してみてはいかがでしょうか。使命を果たす前に、アナタに死なれては困ります。使命を果たせないような、弱いアナタのままでは困ります。アナタが強さを求め、生き残る術を模索することは、ワタシたちにとっても、非常に有益なことです。ワタシは、止めませんよ」

 そう言い残すと、“ポケモン”はフッと姿を消した。

 ――そうだ。死んではいけない。弱くちゃいけない。“ポケモン”の言葉は淡々としていながらも、セナに浸透して行動を操ってゆく。
 オイラは、強くなる。心なんて、要らない。オイラは、強くなる。心なんて――。
 揺らいだ覚悟を、言葉の復唱で補強していった。
 そんなセナの耳に、別の声が届く。

「セナ」

 温かく、甘く、優しい声だった。セナが顔をあげると、目の前には救助隊キズナのメンバー、ヒトカゲのヴァイスが立っていた。

「悩んでいるでしょ。大丈夫?」

 ヴァイスが心配そうにセナの顔を覗き込む。迷えるセナと目を合わせようとする。セナは慌てて、ヴァイスから目を逸らした。オイラは悩んでなどいない。迷ってなどいない。ヴァイスの言葉を必死に否定する。捨てたはずの心が、戻ってきて揺らいでしまいそうで。

「ボクね、セナにお手紙書いてきたんだ。読んでみて」

 目を合わせることは諦めたヴァイスだが、次の手段を用意していたようだ。いつかと同じ、黄緑色の封筒を手渡してきた。
 つい封筒を受け取ってしまった。封筒から手紙を取り出してしまった。だがそこで、セナの理性が手を止めた。折り畳まれた手紙を、開くのをためらった。
 この手紙はきっと、ヴァイスの優しい言葉であふれている。そんなものを読んでしまえば、心という障害物が復活してしまうかもしれない。せっかく見つけた“強くなる”方法を、見失ってしまうかもしれない。
 そんな進歩のない自分に成り果ててしまったら、きっとオイラは、自分がもっと大嫌いになってしまうだろう。オイラは変わる。強くなる。だから。

「ごめん」

 セナは手紙を読まずにビリビリと引き裂いた。何度も何度も、細かく……。

「え……?」

 戸惑いを隠せぬヴァイスに、セナは無表情で一言を放つ。

「オイラは“強く”なるんだ。こんな手紙なんか、要らない」

 その言葉を聞くと、ヴァイスは今にも泣き出しそうな顔をした。その表情のまま、言葉を残さずに消えていった──。


「ヴァイス……」

 セナがそう呟いたのは、夢の中ではなかった。夜中に目が覚め、暗い空の下で、夢の内容を思い出しながら呟いたのだ。

 夕方は天気が良かったのに、いつの間にか上空には厚い雲が。星や月の輝きをかき消し、さらには冷たい雨まで降らせていた。
 雨宿りをする場所を探す余裕すらない旅路。セナとホノオは、全身を雨に濡らされる。セナにとってはしかし、ひんやりと身体を冷やす雨は心地よく感じた。時間帯が真夜中なので、ホノオは眠っている。無抵抗に雨に打たれ、高く保たねばならない体力を奪われている。

 ここで、ふとセナの頭を夢の内容がよぎる。“ポケモン”との会話。ヴァイスからの手紙。
 セナはバッグに手を突っ込む。少し前から雨は降っていたらしく、バッグの中もしっとりと濡れていた。ふやけた紙の感触。ヴァイスからの手紙を取り出した。
 月明かりもないし、ホノオは寝ているときは尻尾の炎を消している。手紙を読む術がなく、しばらくただ便せんを眺めていた。

「っう……」

 視界をにじませるのは雨だろうか、それとも……。よくわからないが、小さく嗚咽が漏れたのは確かだ。
 心なんてないほうがいい。何度もそう痛感したはずなのに、何度か実行できたはずなのに。本当は、まだ迷っていた。
 傷つきたくないけど、強くなりたいけど、心を失うのは怖い。

 もう一度、手紙を眺める。もしこの手紙を開いて読めば、オイラは心を取り戻すが、弱くなる。夢のように引き裂いてしまえば、感情を失う代わりに強くなれる。
 そんな気がした。
 どちらにしようか迷っていると、突然、姿は見えないが“ポケモン”の声が聞こえる。脳に声が直接響くような、不思議な感覚だった。

「ずいぶんと中途半端な真似をしますね。期待を裏切るのはやめてください。心と共にしなやかに生きるか、心を捨てて強く生きるか。どちらにするのですか?」
「うわっ!!」

 “ポケモン”が言葉を言い終えた直後、急にセナは酷い頭痛に襲われる。とっさに頭を押さえると、その場にうずくまった。
 手紙は投げ出され、地面にたまる水に浸った。

「さあ、セナさん。どちらか選んでください。このまま痛みに耐えきることができれば、アナタはきっと、痛む心と上手く付き合って生きていけるでしょう。ただし、痛みを受け入れられないのであれば……手紙を引き裂いて、心を捨ててしまいなさい。そうすれば、サイコキネシスを止めてあげますよ」
「うあっ……ああ、うぐっ……!」

 内側から殴られるような頭痛に、セナは悶えて転げまわる。気が狂いそうな痛みの中で、“ポケモン”の声が支配的に響く。痛い。痛い。耐えられない。――それはきっと、心もおんなじなんだ。痛みなんて、感じないほうがいいんだ。そう直感すると、セナは這いつくばって手紙を探した。
 暗闇に慣れた目が手紙をとらえる。それを握るように掴んで引き寄せ、ためらいもなく引き裂いた。
 びしょびしょに濡れた手紙は、音もなく、むなしく裂けてしまった。

 そこで本当に、頭痛がおさまった。セナは息を弾ませて、自分が引き裂いた手紙を見つめた。ふにゃふにゃで、もはや紙としての形を保てていないそれから、文字を読み取ることは困難だった。ヴァイスの優しい文字と言葉は、失われた。

「は……ははは……」

 力のない笑い声が、自然と漏れる。それが安堵なのか虚無感なのか、セナには分からなかったのだが。これでもう、道は決まった。これでもう、痛くない。頭も、もちろん、心も。――オイラは何を悩んでいたんだろう。やっぱり、こっちの道を選ぶんじゃないか。

 もう二度と、迷わない。心への執着を亡くす。その覚悟を、セナは痛みとして刻むことにした。“それ”を躊躇う心は、とうに壊れ果てていた。
 セナは立ち上がると、ゆっくりと後ろを向く。自分たちの姿を隠してくれている岩肌が、彼を迎えた。
 グッと、右手を握る。それを軽く岩肌に押し当てた。
 そして、なんのためらいもなく思い切り拳を引き、そのまま岩を殴りつけた。

 乾いた音が、一瞬、雨の音を打ち消す。

 ニヤリと笑った後、セナはその場に力なくうずくまった。
 右手を開こうとするが、うまく指は伸びないし、じんじんと激痛が走る。手からにじんだ赤色は、雨がゆっくりと流してくれ、暗闇に溶けていった。

 でも、これでいいんだ。
 セナは満足げに笑う。
 今の一撃には、全ての“感情”を込めたつもりだった。オイラは、ここに“心”を置いていく。
 重荷がなくなったような感覚に、セナの身体は軽くなった。心が傷つくより、身体の怪我の方がはるかに楽だと気がついた。

「はははは……」
挿絵画像

 再び力なく笑うと、セナは右手を空に突き上げる。雨粒が負傷した拳をコツコツと叩き、拳はズキズキと痛み出した。
 妙な開放感を感じて、セナは再び声を出して笑う。その声は雨の音と混じり、本来静かな夜を支配する。

 オイラは、強くなれたんだ。

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