2:恋となんとやら

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 どこかで丸くなっている自分に気がついた。起きようと思って背伸びをすると、急に視界が明るく開けた。
 誰かの家のリビングだ。広くはないものの、窓から差し込む光が部屋を明るくし、狭さを感じさせないようにしていた。一人暮らしだろうか、モノが少ないように思えた。あるのは、緑色のソファに、ガラスのテーブル。引き出しのついた背の低い木の棚、その上に薄型テレビ。テーブルの上に置いてあるモンスターボールが、開きっぱなしで揺れている。もしかして、自分はこのボールから出てきたのだろうか。モンスターボールの中はポケモンにとって快適な空間になっているとは言われているが、実際に見る機会なんてそうそう無い。どうやって入ったらいいかも分からないし、少し勿体ないことをしたな、と惜しい気持ちになった。
 両手をまじまじと見つめる。どうやらまだ自分はタブンネの姿のままらしいことを知る。
『あら、おはよう』
 廊下側から、タブンネが顔を出した。一瞬、自分を襲ったタブンネかと思ったが、別人だとすぐに分かった。何から何まで全て違うように見えた。具体的に違う点を挙げるとすれば、彼女の場合目元が少し離れている。瞳の輝き方も全然違う。自分と同じ動物の顔は見分けられるのだ、という話を思い出す。タブンネの違いがはっきりと分かってしまう自分が、少し悲しい。
 それにしても、このタブンネも喋っている。自分がポケモンだから、ポケモンの言葉を理解できるのだろうか。そんな疑問はさておき、今は彼女に話を合わせた方がよさそうだ。おはよう、とコールは返した。
『ここは、一体どこだい? それに、君は……』
 コールは言った。そのタブンネは窓のそばに寄り、外を見た。暫くののち、彼女は答える。
『ここはカラクサタウンのアパートリプレ301号室よ。私はミミ。ポケモンレンジャーしてるフィデルのお手伝いをしてるの』
『フィデルだって? それってまさか、あの?』
 コールは思わず聞き返した。ポケモンレンジャー界では、名の知れた人だ。まだレンジャー歴は自分より数年上なだけの若手だが、ポケモンを傷つけない独特のスタイルによって暴れるポケモンを宥めてきた凄腕の先輩レンジャーだ。少なくとも、コールにとっては憧れの存在であった。新人研修の時に一度彼女の仕事を見る機会があったが、このミミとのコンビネーションは抜群で、尊敬の念を抱くようになった。彼女が黄色いビードロを吹き混乱状態のポケモンを宥める姿は、身近な夢のモデルにふさわしいものだった。
「おはよう、ミミ」
 廊下側から、一人の女性が顔を出す。ピンクのチェック柄のパジャマを着ていたが、すぐにフィデル本人だと分かった。思わず、顔を覆ってしまう。どうしよう。今、自分は憧れの彼女の家にいる。正直な話、彼女に対して思うところは憧れだけでなく、一人の男としての好意という意味も含んでいるのだ。
「きみもおはよう。もう落ち着いた?」
 フィデルはしゃがみ、目線をタブンネに合わせて頭を撫でた。さらさらとする。優しい感触に思わず目を閉じる。全身が緊張し、心臓の鼓動が早くなる。憧れの人からの思わぬアプローチ。しかも、向こうは自分が本当は人間だということにすら気付いていないせいで、遠慮がない。手を乗せたまま、フィデルの瞳がじっとコールを見つめた。
『あ、あの』
 直視に耐えられず、思わず目を背けた。しばらくするとフィデルは、安心して、ここは大丈夫だからね、と言ってコールの頭をぽんぽんと叩き、別の部屋に行ってしまった。
 ひとまず予期せぬ緊張は去り、コールはため息をついた。心の余裕が出来たところで、フィデルの言葉を不思議に思った。ミミに尋ねてみる。
『ミミ、落ち着いた、ってどういうことなんだ?』
『ええっ!?』
 ミミは声を上げ、大げさに驚いたリアクションを取った。自分の意識がないうちに、信じられないほどのことをやってしまったらしい。
『あまり記憶がなくてさ』
 コールは苦笑した。あの光の後、一体何があったのか。コールは知りたいと思った。何から話そうか迷っているのか、ミミはもじもじしていた。
『一番道路におかしなくらい強いタブンネが出た、っていう報告があったらしいんだけどね、その子を助けに行ったレンジャーが行方不明になっちゃって、それで代わりにフィデルと私が止めに行ったの。あなたすごい暴れようだったわよ。シンプルビームはむちゃくちゃに撃つし。フィデルのビードロもぜんぜん効かないし。あくびをしたらすぐに眠ってくれたからよかったけど、ちょっと怖かった。あれは興奮しているというより、何かにすごく怒ってる、って感じだったなぁ』
 どうやら、勘違いされているようだ。コールが対処しようとしたタブンネが、いつのまにか自分ということになっている。ミミやフィデルは恐らく、一件落着と思っているだろう。でも、本当はまだ何も解決していない。
 人間としての自分は、行方不明扱いされているようだった。あの場に服もリュックも置き去りにしてきたのだ。救援を呼ぶほどの大事と判断された以上、誰かがそれを見つけ、回収してくれたのだろうが、それについては元の姿に戻ってから考えることにしよう、と決めた。
 シンプルビーム、と聞いて、思い当たる節があった。もしかしたら自分を襲ったタブンネが最後に放った光線はそれかもしれない。特性をたんじゅんにする技。それがどういうわけか、人の理性を失わせる方向に効果がシフトしたのだろう、と推察した。つまるところ、自分の特性を書き換えられることで、一時的にただの獣にされていたのだ。
『ねぇ、何に怒ってたの?』
 ミミは首を傾げながら聞いた。
『うーん、分からないな』
 コールは苦笑した。自分が何かに怒っている? 少し深く考えてみたが、心辺りはない。強いて言うなら、首を絞められた時に聞いたあの嫌な鈍い音だ。誰かに殴られた時のような、あの鈍い音には非常に嫌悪感を覚えた気がする。

 フィデルが戻ってきた。パンとミルクを両手に携えて、ガラスのテーブルに置いた。ランチョンマットを忘れた、と言って、自分の朝食をテーブルに置いて慌てて取りに行った。彼女が戻ってきた時、ぐぅとお腹が鳴った。あぁ、ごめん、二人のご飯も用意するから、と言って、フィデルはまた台所に戻る。戻ってきた時、その手にあるものを見て思わずぎょっとしてしまった。自分もポケモンに食べさせているから見たことのある袋。ポケモンフーズだ。これを食えって言うのか。コールは冷や汗をかいた。
 茶色い塊が、お皿に盛られる。傍目にも、あまり美味しそうには見えない代物。いただきまーす、と、一人と一匹の声。ミミはポケモンフーズを口に含み、ゆっくりと噛んで食べる。おしとやかだが、一歩踏み出す勇気が出なかった。
「食べないの?」
 フィデルは聞いた。コールはフィデルの顔を見つめる。
「いいんだよ、食べれなかったら。無理しないでね」
 そう言って、フィデルは優しく微笑んだ。胸の奥から、つんと湧きあがってくる切ない気持ちを感じた。タブンネの姿になっても、まだ彼女に対する人間としての気持ちは持ち続けられていることに一抹の安堵を覚えた。流石に頭を撫でられるのは想定外過ぎて緊張を禁じえなかったが、今は落ち着いてそんなことを考えていた。
 思考は、折角好きな人が用意してくれた食事を食べないのは失礼だ、という結論に至る。ここで引いては男がすたると、妙な意地が生まれる。ええい、ままよ、とポケモンフーズを口に含んで噛んでみた。
 うまい。コールは驚きを隠せなかった。一口、もう一口と、次々にポケモンフーズを口に運ぶ。これはこんなにうまいものだったのかと、ある種の感動さえ覚えた。
 次々に口に放りこんでいく姿を見て、フィデルはにっこりとほほ笑んだ。その姿に気付いたコールは、やってしまった、と思った。女性の前でみっともないところを見せてしまった、とどぎまぎした。もちろん、そんな風に今のコールを見る人間は一人もいなかった。

 食事が終わり、フィデルは別室で着替えを済ませた。フィデルはさてと、と呟いた。
「ねえ、タブンネ君。きみを今から育て屋に預けに行こうと思うんだ」
 フィデルは目線をタブンネの高さに合わせ、真剣な面持ちでコールを見つめた。
 真面目な話なのだろう、ということはすぐに分かった。
「きみは誰かに育てられたポケモンなんだよね。
 バトルを見たときに分かったよ。野生には野生の、トレーナーに育てられたポケモンにはそれらしい癖があるもの。……野生で生きることは辛いことだと思う。だから一旦預かってくれる人の所に、きみを連れて行こうと思うの」
 少し、フィデルの目が涙っぽくなっていた。言い分は分かる。だがコールは首を横に振った。振らなければいけない、と思った。
「きっと良くしてくれる。その後なら、野生に戻りたければ戻ってもいい。だから、一緒に行こう?」
 コールはもどかしさを感じていた。この説得を自分が聞いたところで、何にもならない。コールは下を向く。
『僕は、』
 コールは顔を上げ、口を開く。そして、一気に喋り出す。
『僕は行きません。だって、本当は僕は人間なんです。本当に見つけるべきタブンネは僕じゃない。僕をこんな姿にしたやつがいる。フィデルさん、偶然だけど、こんなところであなたに会えてとても嬉しかった。もしかしたら、タブンネを育て屋に連れて行くところまでがあなたの指令なのかもしれません。この任務が失敗することで、あなたの顔に泥を塗ることになってしまうかもしれない。けれど、それは勘違いなんです。本当は、僕がやるべきことなんです。あなたに任せてしまっては、僕はあなたに顔向けできなくなる。だから、あなたと一緒には行けません』
 コールは呼吸を忘れるほどの勢いでまくしたてた。全ての思いを吐露しきったその時、まるでさっきまで潜水をしていたかのように息を大きく吸い込んだ。
『人間には私たちの言葉は聞こえないわ』
 ミミは少し憐みを込めた目で、コールを見つめた。その視線が、コールの心を突き刺す。目のやり場を無くし、俯いた。ポケモンの言葉は人間には伝わらない。当然だ、とコールは思った。だって、自分もポケモンが喋る姿を見たことがない。人間には聞こえないのだ。今喋った言葉も、人間にはただの鳴き声にしか聞こえなかったのだろう。届けたかった言葉が伝えたい相手にだけ届かない。やるせなさが、コールの肩に重くのしかかる。
『でも……あなたが人間って、本当なの?』
 ミミは聞いてきた。コールは頷いた。
『今行方不明って言われてるポケモンレンジャーがいるだろ。あれ、実は僕なんだ。別のタブンネを追っていたら、そいつに襲われて、こんな姿にされてしまった。何をされたのか分からないし、元に戻る方法も分からない。
 だけど、もう一度その子に会えば何か分かるかもしれない。その子がどうしてこんなことをしたのか知りたい。あの子は、僕に任せてほしいんだ』
 こんなことを、ミミに言っても仕方がない。それは分かっている。この決意が、正しいのかどうかも分からない。けれど口に出せば、自分のやるべきこと、望むべきことがはっきり分かる気がした。
 あのタブンネを、助けてあげたい。レンジャーの道具も、自分を証明するものも何も無いけれど、彼女と交わせる言葉がある。あの子を助けるとしたら、今しかない。他のレンジャーが気付いて、彼女に手を伸ばす前に。
 行かない意思表示として、コールは首を振った。フィデルの目をじっと見つめた。タブンネの青い瞳が、思いを伝えてくれればいいと思った。フィデルは、じっとコールの目を見た。人間とポケモンの言葉は通じなくても、彼女は会話しようとしている。
 フィデルは、ゆっくりと目を閉じた。
「他にやるべきことがあるんだね。それも、きみ自身の力で」
 コールは頷いた。フィデルは暫くの後、分かった、と答えた。行き先は一番道路かと聞かれ、コールはまた頷いた。フィデルはモンスターボールの開閉スイッチをコールの方に向けてかざした。
「ボールに入れて連れて行くよ。その方が早いでしょ」
 フィデルはにっと笑った。

 モンスターボールから放たれる赤い光に包まれて、コールの身体はボールの中に吸い込まれていった。ボールはフィデルの腰のベルトに付けられた。ボールの中の空間は広いとは言えないが、地面はふかふかで、眠ることもできそうだった。天井からは外の景色が見えた。自分は今、小さくなっているのか。コールは不思議な気持ちになった。
 町外れ、一番道路の看板が見えたところで、フィデルはコールとミミをモンスターボールから出した。
「これ以上詳しい場所には連れていけないけれど、頑張ってね。私、きみを応援してるから」
 フィデルは言って、満面の笑みを浮かべた。ミミも同じ表情だ。
『二人とも、本当にありがとう』
 コールは言った。そして振りかえろうとした途端、ミミに呼び止められた。
『あなた、フィデルに恋をしてるでしょ』
 ふいに、ミミが呟いた。なぜ分かったと言わんばかりに驚いた顔をして、コールは固まっていた。
『分かるわよ。ずっとぼうっとしてたもの。フィデルのことを見ながら』
 ミミは右手を口元に当てて、穏やかに笑った。
『恋って素敵よ。全てが幸せに見えるんだもの。私もしたことあるわ。一目ぼれで、二度と会うことはないでしょうけど……いつ会ってもいいように、私はいつも恥ずかしくない自分でいたいと思う。だから、あなたもそうであってほしいの』
 ミミは少しだけ目を伏せた。そこに込められている意味は、祈りだけではないのだろう、とコールは悟ってしまった。タブンネの身体は、耳が良く聞こえるようにできている。そして、音から他人の気持ちを知る力も備えている。そんな話を、今になってようやく思い出した。コールの心は、無意識のうちに敏感になっていた。ミミの祈りに、憂いが隠れている。
「どうしたの?」
 フィデルが首を傾げた。コールははっとして、我に返った。いつの間にか憂いの理由を読もうと、膨らんだ想像に囚われていたらしい。コールは首を振った。
『いや、何でもないですよ。行ってきます』
 笑みをフィデルに見せ、振り返った。

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